紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

地平線にむかって北米旅行・その8

2005-05-24 06:39:00 | 8・山と旅の思い出
■グレーシャー国立公園~シアトル

ずっと雨に降られたグレーシャー国立公園だったが、雨の合間をぬって、ラフティングやカヌー、馬にも乗った。
この時のラフティングは急流下りで、おもしろく、びしょぬれになりながらも、みんな興奮した。
グレイシャー国立公園で、唯一晴れた日だった。

 

そして、とうとう国立公園を去る日がきた。中2の息子は、この後アムトラックの夜行列車に乗ってシアトルに着いたら、一人で日本に帰ることになっていた。
長い間、お世話になったレンタカーも返さなくてはならない。私たちが自炊をしていたロッジを片づけている間に、息子に車の中の掃除を頼んだ。

そして、荷物を運び込もうと外に出た。車の前にいた息子に「掃除はすんだ?」と聞くと「すんだ」という。「じゃあ、鍵貸して。」というと「車の中。」という答え。
一瞬いやな予感がして、ドアをあけようとすると、案の定あかない。

仕方ないので、ロッジの人にどうしたらいいか聞くと、レインジャーを呼んでくれた。レインジャーは窓ガラスにすきまをあけ、そこから針金のようなものをいれて、鍵を取り出してくれた。
レインジャーは、山登りの案内から、このようなことまでしてくれるのだなあと、守備範囲の広さに感心した。

その夜、2時間もおくれて来たアムトラックを、えんえんと駅で待ち続けた。(写真左)
ようやく10時半頃乗り込み、翌朝シアトルに着いた。(写真右)

 

国立公園からくると、シアトルはあまりに大都会で、目がまわりそうだった。
(写真下:スペースニードルというタワーのてっぺん)

その日は、息子のアメリカ最後の夜だった。
みんなで日本食レストランにいった。

前日の車のキー事件で、一人で太平洋を越えて、日本に帰れるんだろうか、と急に心配になった。
それまで旅の間じゅう、パスポートすら、私がずっと持っていてあげた。

翌日、空港に息子を送っていった。息子はウェストバックの中の航空券、パスポート、お金を自分で確認し、緊張した面持ちで、日本に帰っていった。
後日、息子と旅の話しをした。
何が一番印象深く楽しかったかと聞いた。すると、一人で飛行機で帰ってきたこと、だという。3カ所の国立公園を巡り、めったに見られないものを見、いろいろな体験をした。でも、一番楽しかったのは、独力で帰ってきたことだったのだ。

その楽しみを知ったら、もう親と一緒に旅などしないな。とその時感じたが、案の定、息子と最初から最後までずっと一緒に旅をしたのは、これが最後になった。

娘と良流娯さん親子と私の4人は、それからまたカナダのバンクーバーまで旅を続けた。

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