紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

地平線にむかって北米旅行・その1

2005-05-11 16:44:46 | 8・山と旅の思い出
■旅立ち 

1993年の夏。3週間北アメリカを旅した。
ロスアンゼルスからロッキー山脈に沿って北上して、カナダ国境まで行き、そこからシアトルに出る。アメリカをほぼ縦断する旅である。

旅の計画を立てながら、こんなに長い旅をする機会は、これを最後にもう当分ないだろうと思っていた。
その頃、痴呆症(認知症)と診断された父は、おそらくその3年ほど前に発症していただろうと思われ、あと7年後には、日常のことはほぼ何もできなくなると、医者から宣告されていた。

けれど、その年3週間の時間を作るのが大変だったのは、父のためではなく、息子のためだった。
中学2年生というと、部活というのがあって、夏休みといえども、そうそう自由にならないのである。

留守番させようかどうしようか迷ったが、本人はすごくアメリカに行きたいという。キャンプしたり、馬に乗ったり、ロッキーの山を歩いたりしたいと。
だけど、3週間はとても無理だという。それで、相談した結果、息子だけは2週間一緒に旅をして、先に日本に帰り、あと1週間は残り4人で旅をすることにした。

といっても、アメリカの国際空港までは送らなくてはならず、最後の1週間は、シアトル、バンクーバーのパパさんの家を訪れるということにした。

5人で旅をしたのは2週間。今思い出しても、ハードだったが、楽しい旅だった。それまでは世話をしてあげる存在だった子どもたちが、ようやく対等な立場で、一緒に旅をすることができた。
それと同時に、息子は中2になり、おそらくこういう旅に同行することは、この先もうないだろうとも思っていた。この5人で、世界のあちこちを旅したが、なんとなく最後の旅行だろうなあという予感があった。

スタートはディズニーランド。アメリカにいって、いきなり車の運転するのは時差があってきついので、時差をとるためにアナハイムに滞在した。ふだんそのような所に行くことがない私は、そこで一生分といってもいいほど乗り物に乗った。

そして、早朝から夜中まで、目いっぱい遊んだ翌朝、フューラートンという駅からソルトレイクシティー行きのアムトラック(長距離列車)に乗り込んだ。



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