色々経験したが、この先道路がどうなっているのか
解らないとか、雪で通行止めですとか何も情報がない
状況で、ただ渋滞の列でぼけっと過ごすという恐ろしく
非生産的な時間を強いられるというのを24時間もやらされた
というのはもう思い出すのもうんざりで、これを記録しておくと
いう気力もしばらく置きませんでした。
つまりそんな閉塞的な記憶を呼び出すのが憚られたのですが、
24時間も飲まず食わずでひたすら運転して渋滞解消にスタック
した車を押したり交通整理したり、現場の人と協議したりとただ
車でぼけっとしたのでなく、秩父の我が家へたどり着くために
多大な努力と行動をやはり記録に残しておくべきだと思い
ここに記すことにしました。
24的な大冒険のようですが、自分も24時間休みなく今でも
時には戦えるのだという自信もなぜか湧いたのです。
まずは、なぜか草津というのは何度も出かけてるだけなので
かもしれませんが、雪道の中トラブルになるというケースが実に
多いのです。
過去、草津に行く日はいつも雪で、車がのろのろだったという
ケースは多く、宿から自宅までずっと雪道なんてこともよくあり
ました。
ところが、今回の場合、宿から外へ出る道が全て通行止めか
通行不能だという、まさに閉じ込められたというのは初の経験
です。
そして、この宿に閉じ込められたというのは実は何度か経験があり、
一番記憶に残るのはまだ二十歳そこそこの時に、苗場に一泊したら
二泊余計に泊まったことです。
当時はまだ高速道路も前橋にまでしか通じておらず、唯一の交通路
が国道17号が大雪で通行止めとなりました。
今回とその状況が異なるのは当時は関東地方は冬型の気圧配置で
よく晴れた冬の晴れで、途中の前橋までの高速では車が横転するのでは
というくらいの季節風が吹いており、これがこれから向かう悪夢の予兆でした。
17号線が三国峠に差し掛かる国境というドライブインの辺りから渋滞
しだして、雪道でさらに吹雪のような激しい降雪になりました。
その激しい降り方でワイパーは役に立たず、止まっては雪を払い落とす
という経験したことのない状況でした。
その後、雪国の人は降雪使用のワイパーを装着しているという情報を
得るのですが、その時にはまさかそんな状況になるとは思いもよらず、
ワイパーに着いた氷と雪を取り除きに車を降りなくてはなりませんでした。
それでもどうにかホテルに着くと雪のために稼働しているリフトも少なく、
満足に滑ることも、当時は喜んで新雪を滑るという気持ちなく、ゲーム
コーナーで休憩したり、早々に引き揚げてホテルのバーで飲んでばかりでした。
朝起きると17号線が通行止めになり、ホテルからどこにも出かけることが
出来なくなり、自動的にそのまま同じ部屋で延泊することになりました。
料金は二割ほど安くなったように記憶しています。
当時はこのまま出られなくなってお金が無くなるとか職場から怒られるとか
そんな心配もしていませんでした。
職場に連絡すると喜んで私の変わりをしてくれる人が大勢いたし、無責任だと
スキー行を非難する人もいませんでした。
ただ、関東地方はあまりにいい天気なのに、新潟は大雪というコントラストが
見事に現地に閉じ込められている人と普通の生活をする関東地方の人の差が
意識にも気持にも表れていました。
苗場のホテルは関東地方と同じチャンネル構成で同じ番組を見られます。
ニュースには雪で閉じ込められているニュースはあまり流れず、我々は
ホテルに缶詰めになっているだけなのに、世の中は淡々と流れている
ようでした。
それでも、このままいたらお金が無くなっちゃうとかホテルの食料が無くなるとか
そんな不安は全く感じませんでした。
ホテルのキャッシュディスペンサーには人だかりがありましたが、そもそも
ホテルの払いをカードですれば持ってきた現金はそのまま日常に使えます。
それに、ホテル内の売店には新聞も雑誌も物資も配達されておらず買いたいもの
もなく、リフト代もとうにスキーを諦めたのでバーで飲む分は部屋付だから現金は
減らなかったのです。
そこでバーで飲んでいたらホテルの支配人と知り合い、奢られたりして
閉じ込められたホテルは意外と居心地がよかったのです。
そんな経験からまた同じような経験をするのかとふと脳裏に浮かんだ昔の
記憶ですが、そんなのんきな状況でないのは15日の朝リフト券を買い求めようと
フロントに寄った時の会話でスキー場は営業停止だろうという言葉を聞いた時
にもまだあわてませんでした。
というのも、雪が降ると群馬のスキー場はよく営業停止になるので、もともと
雪国やリゾートのスキー場とはやはり違うなと不満を募らせた程度でした。
北海道や東北のスキーリゾートのスキー場なら、もともと1メートルの積雪でも
道路はおろかスキー場もクローズしないでしょう。
私が初めてニセコに行ったときにも、空港がクローズして道路で渋滞した車の
男性が死体で発見されたというニュースがありましたが、スキー場は一日も
閉鎖にはなりませんでした。
それどころか明日は新雪だとワクワクして滑っていたものです。
そんな経験もあるので、今回も昔のように二泊も延泊することなく、夕方には
除雪ができて通れるだろうと12時のチェックアウト後も用意された休憩所で
のんびりとゴロゴロすることにしたのです。
車は出せるように除雪してその恐ろしい姿にも今まで見たことのない積り
用に帰って面白いものを見たという感じの方が強く、ああ困ったという気持ちより
とりあえず冷えた体を温泉で回復しようと優雅に朝ぶろを使っていました。
風呂の帰りに、道路情報の掲示板の前の係りの人との会話で、よいよ
閉じ込められたという気持ちも出てきましたので、延泊用の部屋を
チェックインして、くつろいでまず思ったのは、またあのバイキングの食事を
今日もするのかという思いでした。
それはさすがに辟易とした物がありましたが、まあ草津の湯があるからいいかと
思った頃に、館内放送で国道の一時開放があるというニュースでした。
それで、すぐに荷物をまとめて急遽帰ったのですが、雪は前日程では
ないものの風が強く、風景は初日の草津の風景とは一変して雪国の
吹雪が舞い、除雪車が行きかう風景でした。
そして24時間悪夢のドライブ行が始まりました。 -つづくー
解らないとか、雪で通行止めですとか何も情報がない
状況で、ただ渋滞の列でぼけっと過ごすという恐ろしく
非生産的な時間を強いられるというのを24時間もやらされた
というのはもう思い出すのもうんざりで、これを記録しておくと
いう気力もしばらく置きませんでした。
つまりそんな閉塞的な記憶を呼び出すのが憚られたのですが、
24時間も飲まず食わずでひたすら運転して渋滞解消にスタック
した車を押したり交通整理したり、現場の人と協議したりとただ
車でぼけっとしたのでなく、秩父の我が家へたどり着くために
多大な努力と行動をやはり記録に残しておくべきだと思い
ここに記すことにしました。
24的な大冒険のようですが、自分も24時間休みなく今でも
時には戦えるのだという自信もなぜか湧いたのです。
まずは、なぜか草津というのは何度も出かけてるだけなので
かもしれませんが、雪道の中トラブルになるというケースが実に
多いのです。
過去、草津に行く日はいつも雪で、車がのろのろだったという
ケースは多く、宿から自宅までずっと雪道なんてこともよくあり
ました。
ところが、今回の場合、宿から外へ出る道が全て通行止めか
通行不能だという、まさに閉じ込められたというのは初の経験
です。
そして、この宿に閉じ込められたというのは実は何度か経験があり、
一番記憶に残るのはまだ二十歳そこそこの時に、苗場に一泊したら
二泊余計に泊まったことです。
当時はまだ高速道路も前橋にまでしか通じておらず、唯一の交通路
が国道17号が大雪で通行止めとなりました。
今回とその状況が異なるのは当時は関東地方は冬型の気圧配置で
よく晴れた冬の晴れで、途中の前橋までの高速では車が横転するのでは
というくらいの季節風が吹いており、これがこれから向かう悪夢の予兆でした。
17号線が三国峠に差し掛かる国境というドライブインの辺りから渋滞
しだして、雪道でさらに吹雪のような激しい降雪になりました。
その激しい降り方でワイパーは役に立たず、止まっては雪を払い落とす
という経験したことのない状況でした。
その後、雪国の人は降雪使用のワイパーを装着しているという情報を
得るのですが、その時にはまさかそんな状況になるとは思いもよらず、
ワイパーに着いた氷と雪を取り除きに車を降りなくてはなりませんでした。
それでもどうにかホテルに着くと雪のために稼働しているリフトも少なく、
満足に滑ることも、当時は喜んで新雪を滑るという気持ちなく、ゲーム
コーナーで休憩したり、早々に引き揚げてホテルのバーで飲んでばかりでした。
朝起きると17号線が通行止めになり、ホテルからどこにも出かけることが
出来なくなり、自動的にそのまま同じ部屋で延泊することになりました。
料金は二割ほど安くなったように記憶しています。
当時はこのまま出られなくなってお金が無くなるとか職場から怒られるとか
そんな心配もしていませんでした。
職場に連絡すると喜んで私の変わりをしてくれる人が大勢いたし、無責任だと
スキー行を非難する人もいませんでした。
ただ、関東地方はあまりにいい天気なのに、新潟は大雪というコントラストが
見事に現地に閉じ込められている人と普通の生活をする関東地方の人の差が
意識にも気持にも表れていました。
苗場のホテルは関東地方と同じチャンネル構成で同じ番組を見られます。
ニュースには雪で閉じ込められているニュースはあまり流れず、我々は
ホテルに缶詰めになっているだけなのに、世の中は淡々と流れている
ようでした。
それでも、このままいたらお金が無くなっちゃうとかホテルの食料が無くなるとか
そんな不安は全く感じませんでした。
ホテルのキャッシュディスペンサーには人だかりがありましたが、そもそも
ホテルの払いをカードですれば持ってきた現金はそのまま日常に使えます。
それに、ホテル内の売店には新聞も雑誌も物資も配達されておらず買いたいもの
もなく、リフト代もとうにスキーを諦めたのでバーで飲む分は部屋付だから現金は
減らなかったのです。
そこでバーで飲んでいたらホテルの支配人と知り合い、奢られたりして
閉じ込められたホテルは意外と居心地がよかったのです。
そんな経験からまた同じような経験をするのかとふと脳裏に浮かんだ昔の
記憶ですが、そんなのんきな状況でないのは15日の朝リフト券を買い求めようと
フロントに寄った時の会話でスキー場は営業停止だろうという言葉を聞いた時
にもまだあわてませんでした。
というのも、雪が降ると群馬のスキー場はよく営業停止になるので、もともと
雪国やリゾートのスキー場とはやはり違うなと不満を募らせた程度でした。
北海道や東北のスキーリゾートのスキー場なら、もともと1メートルの積雪でも
道路はおろかスキー場もクローズしないでしょう。
私が初めてニセコに行ったときにも、空港がクローズして道路で渋滞した車の
男性が死体で発見されたというニュースがありましたが、スキー場は一日も
閉鎖にはなりませんでした。
それどころか明日は新雪だとワクワクして滑っていたものです。
そんな経験もあるので、今回も昔のように二泊も延泊することなく、夕方には
除雪ができて通れるだろうと12時のチェックアウト後も用意された休憩所で
のんびりとゴロゴロすることにしたのです。
車は出せるように除雪してその恐ろしい姿にも今まで見たことのない積り
用に帰って面白いものを見たという感じの方が強く、ああ困ったという気持ちより
とりあえず冷えた体を温泉で回復しようと優雅に朝ぶろを使っていました。
風呂の帰りに、道路情報の掲示板の前の係りの人との会話で、よいよ
閉じ込められたという気持ちも出てきましたので、延泊用の部屋を
チェックインして、くつろいでまず思ったのは、またあのバイキングの食事を
今日もするのかという思いでした。
それはさすがに辟易とした物がありましたが、まあ草津の湯があるからいいかと
思った頃に、館内放送で国道の一時開放があるというニュースでした。
それで、すぐに荷物をまとめて急遽帰ったのですが、雪は前日程では
ないものの風が強く、風景は初日の草津の風景とは一変して雪国の
吹雪が舞い、除雪車が行きかう風景でした。
そして24時間悪夢のドライブ行が始まりました。 -つづくー