King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

さわやかな珈琲とコクとうまみと

2017年09月29日 11時51分06秒 | 珈琲
月末にきてあわただしく金融機関を回り、
どうにかすべての手当てをし終えてお昼となり、
これがすべて自分の口座内で済んでいる今は
よいがと安堵している自分に次なる展開を
自ら促すもう一人の自分も見え隠れして複雑な
思いもするのでした。

一度拡大しだすとそれは止められなくなり、
もはや自分だけの意志ではどうともできない事態も
顕出して結局なくなっていくさまをたくさん見ている
だけに次なる一手はやはり自然慎重にならざるを
得ません。

世の中は選挙モードとなり、やたらと街宣車が
秩父でも行き来し、党の主張などを並べていきますが、
看板だけ変えて出てくる人は前と同じというようなことに
なれば途端に世間はそっぽを向くでしょう。

それにしても民進党の代表自らが自身の党から立候補
せず無所属での出馬を表明したのはびっくりです。

本気で政権交代まで持って行く気なのかそれとも
やけくそなのか自身の所属するものがそんなに
軽々しいものなのか有権者としてはよく見極めねば
ならないでしょう。

さて、そんな下世話の様子とは異なり、季節はより深く
秋というステージに突き進み、やがて山には雪が
見られるだろうとわくわくとする季節になってきました。

空気は花の香りに満ち、また今年も栗蒸し羊羹が食べられ
松茸料理や季節の味覚も味わえるようになり、豊かな季節を
実感します。

あれだけ苦しかった夜のランニングも花の香りを胸いっぱいに
吸い、虫の声が重層的に響く空間を行くとなんとも不思議な
感覚に陥り、だんだん夜の深い闇の中にはまっていくかのような
闇の深さを探りそれを味わいわけるような仕儀になっていきます。

そんな季節に以前はどこまでもすっきり感が伸びるような
東山魁夷の道のようなカロシトラジャやアンデスマウンテンを
勧めていましたが、もっと他の食べ物と合うようなものでも
いいのではと思うようになりました。

それはひとえにテレビでみた大原千鶴さんの料理に感じる
ところがあってからかもしれません。

料理とかサービスというのは決して自給いくらで判断される
労働ではなく、人を納得させるものにはそれなりの訳が
あります。

例えば和菓子の餡ひとつとっても作るのに何日もの手間が
かかり、売り出しても一日しか持たないものです。

今の世の中では、機械でそれを簡単に一日で作れて保存料を
入れて半年お店に並べられるようなものを作ります。

ところが、京都の和菓子屋のほとんどは室町時代から
変わらない手間と手法を続け、味を守っています。

それがわざわざ人を京都までひきつける魅力になって
いるわけですが、それについて人のなす行動とか手間とか
についてはあまり議論されません。

オリンピックの招致以来おもてなしという言葉がひとり
歩きし、一長一短に誰でもそれがなせるものと勘違いが
すすんでいます。

古いものをただ良しとしたり、伝統が尊ばれたりするのも
人がどうそれを守り伝えたかに意味があり、味を守るという
ことも目の前の利益ということでなく行動したから人を魅了し
感動を生むものなのです。

そんな意味で、ブラジルの日陰干しなどはそれを味わえば
人が何を失い、何を守ったのか思わずにいはいられません。


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珈琲の季節

2017年09月24日 11時34分09秒 | 珈琲
突如沸いた衆議院の解散。

これは国会のことなのになぜか、内閣総理大臣の
交代と内閣総辞職を意味します。

なぜなら内閣総理大臣は国会議員から選ばれると
憲法に明記されています。

しかし、そもそも天下の宝刀とか衆議院の専権事項
などとしている衆議院の解散権は憲法には明記されて
おらずわずかに天皇の国事行為の中に出てくるだけです。

それは政権とされる首脳が決めてよいという趣旨では
ないはずですが、今回の解散などはまるで国民無視の自らの
権力維持延命の措置としかみられずなんと政治家というのは
国を預かっていながら自分勝手なものなのかといわずには
おられません。

さて、そんな中今の季節はコーヒー業界は
新豆の売り出しと恒例の見本市
などがあり寂しいスペシャルティ市場も俄かに
変化を見せています。

コーヒー業界は良くも悪くもブラジルを中心に回り、
味についてはエチオピア、イエメンを知るに限ります。

ところが市場的には注目しなくてはならない産地もあり、
ファンとしても有名でなくても絶品の産地に出会うと
それがいつしか伝説になり、いつも味わえないものこそ
素晴らしいものと考えられがちになります。

そんな中ひとつ変化としてもう飲めないのではないかとまでいわれた
ブルーマウンテンがようやくはいってきました。

今市場に出回っているのはちゃんとしたNO1で農園物なら
200g5000円程度です。

一時は10000円してたので、半額程度に値下がりしました。

ただ、ネットで検索してみると高いのから安いのまで
幅広く出ており、これでは消費者は安心して選べません。

値段的にパナマのゲイシャはいまだに10000円程度で
流通しており、主客転倒が進み定着化したということ
かもしれません。

それだけ名前の浸透が進んだものの両者とも飲み比べた人
がどれだけいるでしょうか。

他の食品とか食事のように支出する値段が少なくて
すみますので、もっと多くの人がその味を知り頂点に
触れ、比較するという興味もあっていいと思いますが、
コーヒーファンという人たちの存在もそれほど関心と
探求心が厚いということではないのでしょうか。

色々なグルメの一端としてアルコール類やデザートの
スウィーツと比べても扱いは弱いのは価格の広がりと
訴求感が足りないのか原因は不明です。

珈琲を愛するものとして現在の扱い方や味の求められ方
にいろいろ疑問と不満がありますが、誰にも楽しめて
解りやすい求められる味の普及は今後重要な点になる
でしょう。

昨日は秩父に私立恵比寿中学のライブがありました。

西武秩父駅からシャトルバスで続々と運ばれるそれらの
人たちをみて何事かと思いましたが、現地のミューズパーク
にもポスターやイベント告知はなく、地元は取り残されて
いつもと違う光景に異変を感じて初めて何が起きている
のか知るという情景は過去にも世界的なジャズフェスティバル
が地元の人は知らないまま熱く盛り上がるということを
思い返させました。

世の中この様に多様化して様々な動きと趣味の多角化が
起きて時に分断と誤解と混乱を招いていくのではと
思わずにはいられません。

というのもこのイベントに集まる人たちの趣味と趣向に
ライブ参加して楽しそうだとかうらやましいとかいう
気持ちが一向にわいてきませんし、そもそもエビ中とは
という疑問から検索してあああの子たちかと気がついても
よくこれだけ集客できたものだと感心はするものの逆に
もっと文化度というか芸術的なイベントとか秩父で色々
発信できないのかとつい考えてしまいます。

そんな中珈琲という誰もが触れられるもので共通の認識と
共通の喜びを分かり合える関係を模索することでなにか
その答えとなるものがあるのではないかと考えるこの頃です。
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アレッポの石鹸と日陰干

2017年09月22日 12時22分45秒 | 珈琲
日ごろ使っているせっけんは昔から化学物質を
含まない環境にやさしく体に刺激のないものを
使っています。

歯磨きもシャンプーせっけん系です。

なにかにつけて無添加とか自然食品とかに
流れ、一時禁牛乳でしたが、今マイブーームは
玄米グラノーラとヨーグルトブラス抹茶掛け
です。

それら健康食品とか雑貨の店は一時はたくさんあり
ましたが、最近はめっきりと少なく、特に表示成分
未使用のシャンプーはなかなか手に入りづらいもの
となっていました。

それらも今やネットで買うしかなくなり、イスラム国
台頭でいつも買うアレッポの石鹸も手に入らなく
なるかと思いきやこれだけは普通に同じものが手に入ります。

ただ、違うのはアレッポという文字が使われなく
なっただけです。

私は昔からこれを使っていますが、これはシリアで
作っているのではなく浜松とか明石とかで作られて
いるのではと疑っていました。

でも、ふだんから普通のドラッグストアで売られている
時と変わらぬ品が今でも届きます。

これらのものを使う人はよく環境自然派とかこだわった人
とか市民活動家みたいに感じる人もいるようですが、私は
そういうのとは全くかかわりなくただ私の趣味として
何物も本物を使いたいというだけで添加物や混ぜ物で
ごまかさない品を使いたいという自身の環境にこだわった
結果です。

そんなものが当店の珈琲の精神にも息づき、自然産地にも
レインフォレスト認証の豆とかJAS認証の豆が多くあり、
かといってそれをいちいち認証豆だと宣伝していません。

そもそもそういう認証とかスペシャルティを標榜する際には
会員証の取得という集金システムがあり納金の義務がある
のです。

つまりは消費者はフェアトレードとか有機無農薬とか
タイトルをつければそれだけ高いものを買わされると
いうことになります。

そもそも珈琲豆などは未開の村と発展途上国が産地な
ため化学肥料や農薬など無縁のところが多く、あえて
認証を付ける必要なものではないのです。

一部に高く売ろう、余計売ろうという精神のもとに
やたらと認証やタイトルや農園名を前面にだした
売り方が出てきます。

当店としては名より味なので、工業的に作られて
なお何々認証もつけたというものより、豆姿と
立ち上る香りなどから判断したいということで、
特定の農園と付き合うということもなく、その年の
一番いいものを使いたいという産地にこだわりも
ありません。

どこからでも買える自由度も重要です。

それは安くていいものを消費者にお届けするには
欠かせない工夫です。

ここにきて昨年度産の豆の安売りが目立ちますが、
それよりはその前の年の豆の方がまだ買いです。

九月というと新豆の売り込みも出てきて選択肢も
格段に上がりました。

そんなのを眺めつつ飲む日陰干の味にこの秋の
豊潤な実りの時期を感じます。

昨日の朝のニュースで萩の花が出ておはぎの由来に
なったと紹介していました。

花などに関心のない人がそれを見れば萩は白い花
なんだと信じてしまうことでしょう。

さも一般的な普通の事象として紹介していましたが、
一般的に今見られる萩の花とは紫一色か白と紫の花で、
真っ白な花は特別な花です。

それを説明しもせず、なおかつ説はいくつかあるのも
触れずに流すのはNHKで流せばそれが通説という傲慢な
姿勢が透けて見えます。

NHKの最近の歴史的な番組も恣意的なものが多く、政権の
意向を受けているのではないかというような内容なものも
よく見かけます。

確かに、死ぬ前に証言しようと初めて戦中体験を語った
という人もいるかと思いますが、それが政治的に使われる
のは語った人も本旨ではないと思います。そんなのが
最近多い気がします。







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『土の記』上巻読了

2017年09月22日 11時51分41秒 | 読書
この夏のエアコンの効いた部屋でのソファの
御伴がこの本でした。


髙村薫は昔から読みついてきている作家で
それは直木賞を受賞する前からの冒険小説的な
時代からです。

それがいつしかミステリー作家から時代を切り取った
ような小説家になり、読む価値のある作家になりました。

その変化は『照柿』のころからでしょうか。

読者はその頃はまだミステリーを期待して
マークスの山からの登場する合田雄一郎の
活躍を読みたかったはずです。

しかし、作風の変化は確実に表れそれは
社会派と呼ばれるような事件を追いその裏側
に潜むものを顕にするかのようなものになり
それは時に人生や芸術についても語られ人の生
そのものに言及していることに気が付きます。

そんな意味で、まさにこの本も一人の老人の
人生が淡々と語られるもので、後期高齢者の
妻もなく一緒に住む家族もない山の中の棚田を
耕す生活を描くという至って地味で何の事件も
喜びもないかのようなものをそれをしったからと
いって何か人の人生に影響のあるものか疑問の
ものを扱っています。

いつしかミステリーから社会派作家に変わった
変化に伴い、語り調が老婆の語り部が講談のように
一息一息言葉を絞り出して行くかのようなリズムと
それをつなぐ接続詞として、否という接頭語か
逆説を意味する否定接続として使うはずが実は
ただのリズムをつなぐために言葉の癖のような
意味合いで否であったりああという詠嘆のことば
も接続詞としてくっつくのもみんな語り部の言葉
の調子として使われているようです。

これは『新リア王』から現れだした変化で、
その時は東北の地方のボスの事件を描くという
犯罪小説、警察小説的な面もありましたが、
新聞に毎朝連載される小説でありながら色々と
事件があり、なんと掲載中止になった衝撃的な
扱いでした。

これでファンも逃げ作家として終わりかと
思われましたが、今回の本を見ればますます快調
ということでしょう。

新リア王、太陽を曳く馬とその東北のボスの事件が
続いていたわけですが、今回は全くその人たちと
決別して奈良の山奥のマスコミに登場することのない
日本に多い中山間地域の話なのです。

残ったのはあの独特の老婆の講談調の語りで、しかし、
それでいったい何を書きたいのかとふと考えながら
ひとまず上巻を終えました。

この上巻で唯一の盛り上がりが孫との同居のシーン
ですが、ここで感じるのがドストエフスキーなどでも
自身の体験を素で語るシーンは読んでいて他のフレーズ
と違いはっきりと感じられたもので、それと同様のものを
この孫との再会のシーンの書かれ方にふとその自身の
体験を入れたような違いを感じ、あの老婆の語り調の
否の接続詞もしばらく消えるのです。

でも、いつか見たテレビで髙村薫が猫と暮らす一人暮らし
だというのを見たのを思い出し結婚もしてなかったんじゃあ
ないかと思うと思い違いかとも感じるのでした。

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夏の恒例行事の芥川賞受賞作を読む

2017年09月20日 22時47分55秒 | 読書

夏の読書はいつも文藝春秋で芥川賞受賞作を読むと
いうのが恒例になっています。

昔、旧軽の茜屋でその雑誌を見かけて以来夏は
文春が似合うと勝手に決めています。

それだけ古い喫茶店と趣のあるカウンターには
本を開きたくなる特別の空間です。

夏の避暑地と極上の小説なんて似合い過ぎている
組み合わせでしょう。

しかし、ここのところ受賞作には文句ばかり垂れています。

ところが今回の『影裏』は読んでいてほうという感じが
して時に言葉が変な時もあり違和感があったかと思うと
あれこれこういう話だったかという展開でやがて次々に
明かされる話と東北が舞台なので当然のごとく大震災と
津波に飲まれる話にもなります。

でも、それが自然と釣りという入り口としてはべたな
ものから今風なLGBTの問題が出てきて釣りに出ていた男とも
そういうことで付き合っていたのかという逆噴射型の
珍しい訴え方ではあったのですが、そこまでして何を具現
してみたいのかというとそういうことだったのかというものが
ないまま終わりあの名言である小説って落ちがなくていいんだ
というのを思い出す物語です。

実際に多くの人が身じろぎもせず押し寄せる津波を
受けて流されただろうことが、あのペテン師は生きていると
平然と言いのけてしまう父親と曲折しているものの
それはそれでまぎれもないものとして印象に残りました。

そう受け取ってみたものの実はそういう話でいいんだよなと
確認してみなくてはいけない気になり、ネットで他の感想など
を読んでみると作品を読み込んだというより、自分は解説して
いるという姿勢の人ばかりで新人賞として受賞したテクニックに
ついて書いているようなものばかりが出てきます。

誰もこれを楽しんだとかこう楽しめたという人はまれで
こう書いたらいいんだよという上から目線にそんなの
読みたくないことを先に気づけと言いたくなります。

最近はカフェなどでわざとカバーを外して小説読んでる
という仕草をする人も多くなってるんだとか小説の読み方も
時代とともに見せびらかす人までいるのかとびっくりします。

それも茜屋のカウンターならいいかな。


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August Rushと日陰干

2017年09月19日 13時44分51秒 | 珈琲
昔喫茶店のメニューあった日陰珈琲とか
温泉珈琲というのがあり、珍しく思い
飲んだものですが、どちらも特別な印象の
ないままでした。

それでも他より100円くらい高いので特別な
豆なんだろうとは思っていましたが、それら
がどう特別だかは飲んだものからは察せられ
ませんでした。

今になればどこがどう特別か詳しく知り尽くして
おり、味の違いもくっきりとイメージしています。

種を明かせばばからしいほどのことで、どうして
そんなことが起きるのかと思うようなことです。

今では、さらにもっとばからしいことが平然と
繰り返されているので、多少のことでは驚きませんが、
商品を売り込むというのはそれだけエポックを
必要としているのでしょう。

珈琲においてはブルマンという確立した成功例があり、
いつまでもそこから抜け出せないようで、それでも
ゲイシャの登場でそれも過去のこととした人たちも
いるようです。

しかし、消費者はまだそれほどコーヒーに親しんで
味を知りその味を必要なものとしている人が増えたわけ
ではないのが一番の問題です。

昨日見た映画『August Rush』は、神から与えられた
才能は隠しておいてもいずれ世に出てそれはとんでもない
奇跡を起こすという特別な才能を信じる人たちには重要な
テーマですが、日本人の場合は努力をして誰にも
認められなくても続けていくことと正しいものは
多くの支持を集めるという古典的なコツコツまじめが
尊ばれこういう映画はファンタジーとして処理されます。

しかし、そうだろうかというのが私の意見です。

とんでもないことでも信じてしまえば、それが
通ってしまう世の中でもあるというのが現実に
起きていて、本当の特別な存在とか特別な才能は
時にして本当にあると思いますし、音楽のちからも
あながちただの夢とは限りません。

ただ、作品の中の音楽とかケビンの作り出す音の世界感
がもっと音楽のちからを実感させるだけのものが
あればまた違った響きになったかもとも思えました。

さて、日陰干はどうして日陰コーヒーなどと呼ばれて
喫茶店のメニューに載ったのか。

そこら辺の説明は試飲にいらしたときにするとして、
今これを飲んでみた感じをいいますと、とても後味
よく甘みが続くということです。

イメージはこの秋の実りであり、秋風になびく黄金の
麦畑で農園には他のブドウやイチジクなどの果実の
香りも満ちる中、どこまでも黄金に輝く実りの豊かさ
が続くというものです。

こんなことをイメージしたのもAugust Rushのケビンの
麦畑で宇宙から音楽を聴く場面が肯定的におのずと
この珈琲のイメージを作ったからかもしれません。

これは映画The Shawshank Redemptionに通じるもの
を感じます。

絵の世界ではよく、芸術家を開花させるミューズの
存在が語られますが、特別な才能もただそれだけでは
やはり世には出ないでしょう。

また不思議な縁というのも存在し、これはよく物語に
なるわけですが、栴檀は二葉より香し的な偉人伝より
特別な才能を信じることができるのはやはりそれを
知る人だということであながちただのファンタジーと
はならないのです。

今回の日陰干は高地産で手摘み完熟豆で、さらに
ブルボン種100%とという選びに選んだ豆でそのうえ
日陰干を指定して作られたものです。

その実力をぜひお試しを。
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仁者楽山の碑に

2017年09月14日 00時05分29秒 | 珈琲
珈琲の最高峰といえばブルマンという人は
いまだにいます。

ですが、昔から手に入りづらい希少豆で近年の
ハリケーン被害でさらにそれが更新されています。

つまりここ数年まともな入荷がなく、市場にも
少なくなっています。

全く手に入らないこともなく、普通に袋詰めして
売っているコーヒー専門店もあります。

ただし、値段は馬鹿高です。

こうなるとまともに飲んだ人は非常に少ないはずです。

ゲイシャも珈琲ファンならずともうまい珈琲として認知
されてきていますが、こちらも十分に味わったという人は
少ないでしょう。

こんな名の通じた豆以上に香り、甘みの強い豆があることも
知られていないのが現状です。

今日夜走って市役所の駐車場を抜けて自宅に向かったら
ふとそこにある石碑にある文字に目がとまりました。

駐車場の端っこに追いやられたこの石碑は多分前の市役所
ゆかりのものなのでしょう。

そうなるとどんなことが書かれ誰の書だとかのいわれも
詳しい説明書きなどはなく、その石 書かれた文字が
単純な漢字四文字であることから、はてどんな意味がと
気になり読んでみました。

仁者楽山。

論語の言葉です。

自然石に凛としたバランスの良い文字が右から読むように
彫られています。

つまりこれは戦前に作られたもののようです。

最近作られた新庁舎の記念の碑に比べたらなんとも
自然石の表す山の形とその論語文字とのバランスと
品の良い美しさは端っこに追いやられてもその存在感
は威風を放つ立派なものです。

その前の句の知者楽水。が自然と思い出され秩父の
水が大変なことになっていることもなにか符合する
かのようだと思い苦笑いしてしまいました。

知者楽水。仁者楽山。
知者ではないが珈琲を楽しみ、スキーとランニングを楽しみます。
そして珈琲を楽しむ人を増やしたいと思います。
知者動。仁者静。知者樂。仁者壽。
珈琲を楽しみ活発にうごき、人生を楽しく、そして健康にもよくと。
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新豆届く

2017年09月13日 21時16分20秒 | 珈琲
今日やっと新豆が届きました。

傾向として生豆の状態から香る豆にこだわりました。

パルプドナチュラルやナチュラルの豆は果肉を乗せたまま
乾燥に入りますが、乾燥の仕方も機械とか乾燥庫とかで
一気に乾かすのが一般的です。

時に最近は、この乾燥過程をわざわざ日陰干しに指定する
ことで、果肉の乗っている時間を長くして甘みや風味を
強くする製法がとられます。

昔から喫茶店でも日陰珈琲なるカップが売られています。

試してみたけれど特別うまかった記憶はありません。

しかし、今回のブラジルの手摘み完熟豆でしかも日陰干しの
豆はサンパウロ州の標高1200メートルの高地でしかもブルボン
種のみというぜいたく仕様です。

前回のチェリーブロッサム同様、ブルボン種のうまみとフルーティー
さは大好評でしたが、これからの時期はより濃いコクと甘みの強い
ものが求められます。

そこでこの日陰干しにしました。

生の豆から香る仕上がりです。

また、生の豆で強く香るということでエチオピアの豆も
入れました。

こちらもとてもフルーティーで甘みの強い豆です。

今までのパプアニューギニアパラダイスプレミアムと
ニカラグアカサブランカと甘みの強い豆がそろいました。

パプアニューギニアは今旬の巨峰の香りであり、昔の
ブルーマウンテンのような味がします。

今ではブルマンは200g一万以上しますから、それに比べたら
たったの1200円で味はこっちのがいいと来ていますから
うれしくなります。

とまあおすすめ豆がたくさんのこの秋です。

年中無休十時から三時までの営業です。
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今月の季節のブレンドは

2017年09月12日 11時59分17秒 | 珈琲
もうご存知のことと思いますが、今月まだ
紹介していませんでした今月のブレンドは
毎年『林檎』です。

もはやこのブレンドの由来を書きませんが、
毎年このブレンドが飲めると喜んでいただく
今の季節のランドマークとなっています。

この時期、来月のイベントとか地域の行事とか
やたら用事があるのが今月で、今手当しないと
いけないこともあるのですが、最近のコーヒー業界は
発注をかけてもさっとものがそろうということも
なく、昔からの取引相手だと手元に在庫があり
明日届くということもあったりでいくつかの
経路の確保というのは常に必須です。

イベントとか行事などというとこの味でそろえてとか
このコンセプトの味で珈琲を作りたいという人もいて
堅苦しい注文も時にひしめき合います。

それもあああの林檎があればそれでよいという方も
いて思わぬ展開になることもあります。

このブレンドを作ると直ぐもう年末の『第四楽章』と
あっという間です。

こんな忙しいはざまにも珈琲一杯の暖かさと
ホッとする時間が大事だと感じる9月です。

暑さや寒さの激しい時なので体調管理には
十分お気遣いください。
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萩の花と金木犀の香り

2017年09月11日 10時11分52秒 | 珈琲
今秩父の街を走って感じるのは金木犀の香りです、

まだ花が咲いている姿はないものの、走っていると
香りは強く感じます。

道に落ちている柿の実や栗のいがなども見かけますが、
秋という感じを強くするのはやはりこの強い特徴的な
香りです。

それと秋の七草である萩もたくさん羊山で咲いていますが、
これらは誰もめでるわけでもなく、花の名所として紹介は
されませんが昔から七草として日本人はこの時期の花として
愛してきたのです。

となると今の秋の七草もあっていいような気がしますが、
まあそれは次の機会にするとして、今の珈琲に話を
移します。

日中はまだ30度を超す暑さがありますが、夜や朝は
涼しくなり、珈琲を求めて来店される方もいつもと
違う顔の方も現れるようになりました。

今までのケニアやパプアニューギニアに加えこの
時期はやはりブラジルの手摘み完熟豆を味わいたい
と店頭に加えました。

また、ニカラグアのカサブランカも焼きました。

これは秩父の某病院の売店にも売られているので
聞いた名前の人もいると思います。

私もそれは珍しく感じて飲んでみました。

これはいつもと同じ結果になりました。

よく試飲依頼されても飲んでみるまでもないことは
あります。

最近も豆が送られてきて単なる売り込みに止まらない
試飲依頼も結局、すぐに当店の豆で飲み直しをして
リセットをしたい気分になります。

それだけ味に基づく売込みや特別感もその背景には
ないのです。

しかし、ニカラグアのカサブランカ農園と銘打たれた
豆にはそれだけの実力があり、本来の味のありかを
知らずにいるのは残念なことです。

当店では試飲もできますので気になった方は試して
見てください。

当店で試飲できるのは10時から3時まで。
休みはありませんが、一人で配達や納品仕入れもして
いるのでいないときもあるので一報してから来店が
推奨です。
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ERにジェームズ・クロムウェル

2017年09月10日 00時05分21秒 | 映画
またまたERに大物ゲストがでてついいろいろ
検索してしまいました。

というのはこのジェームズ・クロムウェルはとてもいい人
の役で出ていたのに最後でどんでん返しで悪い人になると
いう印象で、なかでも宇宙ものか西部劇かでシガニー・ウィーバー
と共演した記憶が強く、それが代表作だと記憶していたから
です。

ところが、二人の名前で検索しても何も出てこなくて、もしかしたら
メリルストリーブと間違えたかと余計こんがらがってきました。

そういえば先日NHKの映画で『クリエーター』という映画があり、
マーゴヘミングウェイが出ていましたが、エンドロールでは
マリエルとなっていて日本では孫にかけてマーゴにしてたのかと
思ったりしました。

とはいえこの映画も初見ではなく、映画館で見た記憶があり、
その当時はなんとも思わなかったし、実力のある科学者には
仕事も恋もついてくるんだととても肯定的に見た記憶があり
ます。

しかし、例によってよい齢をしてこういう青春真っ盛りの
人たちが大学で繰り広げるという夢も希望もある世界というのに
どうしても経験から色々突っ込みを入れたくなり、素直に
楽しめないのでした。

なにより、ピーターオトールが楽しくなさそうに教授役を
やっているのが見て取れ、こんなわけないだろうという苦悩が
にじみ出ているのです。

それが逆におかしくてじっくりと見てしまったのですが、
それと同じようなのがERにも言えて、頭を切り刻まれて
苦労しているクリーン先生のこれからどうなるかという
結論を知っているのにはらはらとして見入り、その双極の
悪の権化のような人たちがまたどうなるとしっていて
それが少し快感となるような出来事が起きるのもわかって
いても結局不幸が不幸を解消するようなカタルシスの
持って行き方に不安と人生と被るリアリティも感じたりします。

そして、今見ると改めて知る事実や実はこんなところに
こんな人というのが発見されてますます楽しいのです。

先日も検視官イーサンハントの元彼の役のマーク・バレーが
出ていて、それがなんとアビーの元旦那役だったのです。

クレジットをみているとゲストスターの中に時折
スペシャルゲストスターというときもあり、あのジョンカーターの
おじいさん役George・plimptonなどもそうでした。

ですから、ジェームス・クロムウェルもスペシャルゲストなのかと
おもったらそうたいした扱いではなく、役的にも重要度は左程
でもなく、ただルカの過去が明かされるという方に重要シーンとして
印象に残ります。

これも連続で毎日見ているから知れることもあったりでかつて
一週間楽しみにしてみていたのと違う楽しみ方です。

違う見方といえば、今グッドワイフもやっていてこれは
NHKでやっていた時には復習と再調査が必要なドラマで
いろいろと現実にかかる事件だったり、法律的な考察とか
何を言っているのか知るにはいろいろと関連知識も求められる
ドラマでそれが今までの法廷物と違い、多くの人が取り上げて
いました。

日本もやがてああいう法律サービスが必要な社会になるのかと
思われましたが、弁護士を増やすという掛け声だけで結局
まだまだといった感じでコンプライアンスなどといいつつ
グレーゾーンや政治家のいい加減さなどうんざりな事件ばかり
でとても法や行政文書など整備されていない社会なんだと
いう思いを強くします。

これは英国なんかと同じ、権力者が強力で文書ですべて
残す社会ではなく権力者の意向が強く働く社会なのを物語って
います。

まあそれは総理の意向を忖度するというこの間の国会の騒ぎに
象徴されるわけです。それは昔から場の空気を読むとか大人の
理解とか言葉でない決まりごとが支配するのは知っていて口に
しないだけです。そのうちそんなのは知っていて言葉に残すことを
強要するように変化していくのでしょう。

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10年一日南こうせつのコンサート

2017年09月09日 23時56分11秒 | ライブ・コンサート・展覧会
忙しい日で、地域の役員の仕事と行事に朝から
動き回り、隙間に軽く走ってそれから夕方風呂に
入ってから南こうせつのコンサートに出かけました。

これは市民会館が建て替えられて、本格的な音楽イベントと
なるコンサートで券を売り出し日に行くとすでに予定枚数以上の
人が並んでいるので買えないといわれてあきらめていたのですが、
次の日あきらめていたけれどダメもとで吉田へ納品に行ったついでに
吉田売り出しの支所に行くと一枚だけ残っていたのでした。

このブログにも記録が残る10年前の同じ月に全く同じコンサートを
やっており、なんとその時もウーハンが一緒に来ていたのは先ほど
ブログを見返し知りました。

前回もMCで宝くじでコンサート代金も安くなっていることや
まるきり同じ話で、やっている内容も歌もまあ変わり映え
しないこと甚だしいのでした。

いきなり赤ちょうちんで始まったのでかなり期待してしまい、
もしかしたら私の好きなマキシーのためにもやるかとわくわく
しましたが、これは会場のお年寄り多めの構成に決めた方針
らしく、やたら話が長く、曲目はすくないのでした。
続いて妹をやり、どの曲もハミングパートが入るという手抜き
的な演出も変わった点です。

続いてうちのお父さんという定番曲で一旦盛り上がって終わり
ウーハンの登場。雪山春暁、花咲く旅路とこれも全く十年前と
同じ曲、つづく夢一夜を一緒にやるのも全く同じ展開。

お父さんの遺骨を前にお母さんが本当は好きじゃなかったと
天井を向いていった話など何回聞いただろうか。

本人が言う通りテレビでも何回もしているもので、定番ネタと
化しているのです。

休憩があるのも前回と同じです。

再開して上海エレジー、カラタチの小道とやり、合唱団が
加わりふるさと、愛よ急げ、最後の曲で神田川と全く流れも
演出も同じです。

MCにいちいちうんうんとリアクションして年寄りのこれで
最後神田川だという一言が聞こえなんとも寒い気持ちになったり
もう清志郎のコンサートをオールスタンディングで聞いたのも
遠い思い出で次に同じような熱い気持ちになることも感激する
こともないのだろうと思うと周りの年寄りと俺も同じかととても
いやな気持になるのでした。

それでもアンコールで夏の少女に思わず大声で歌ってたまった
もやもやも少し晴れ盛り上がった感じがしました。

最後、僕の胸でおやすみでおしまい。

この終わり方も同じでした。

でも、満天の星をやらなかったのでなんか肩透かしな感じもしました。

観客もそれ用の星を用意している人も見かけたので肩透かし感は私だけ
ではないはず。

他のこうせつの思いで色の空というツアーではあの人の手紙や
マキシーのためにまでやっており本当に盛りだくさんでもちろん
満天の星もやっているのでこの宝くじ町の音楽会はお年寄り向け
ダイジェスト版なのかと思えてしまいます。

実は十年前のコンサートのそれからまた十年前にもこうせつは
きており、本人の今日のMCでまた十年後に来ます。というおそろしい
話もまんざら適当出まかせというより現実に起きそうです。

そのあとすぐ来年も呼んでくださいと言っていましたが、来年は
レギュラーツアープログラムで来てもらいたいものです。
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