King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ピキピキと

2011年09月30日 10時12分52秒 | ジョギング
体中の筋肉があちこちから不協和音を奏でてピキピキと痛みを
発しています。

そんなに特別な事はしていません。

いつものコース。いえ、最近町の役員業務の集まりで走る時間は
まちまちになり、コースも色々変えているのです。

会議の場合、六時か七時からが多く、その前に走りに行くので
夕方の車の多い時間帯に走りだし、かつ、丁度陽が落ちる時間帯で
危険は多いのです。

この時間帯だと流れ星が見れたり、上空には多くのこうもりが
飛んでいたりします。

こうかくと秩父は田舎だからと珍しく感じる方もいるかもしれませんが、
私が所沢勤務だったころも、マンションの立ち並ぶ駅付近でも夜に
多くのこうもりが飛んでいました。

特別なところにしかいないように思われていますが、どこにでも
いる身近な生き物なのです。

ただ、気がついていないだけで、中国の人は吉兆を呼ぶ生き物と
珍重されたり、屋号のシンボルなどに使われますが、日本では
あまり例がありません。

日本だとリスだとかウサギたどかタヌキなどを使います。

普段目にしているのに無視されているなんてちょっと面白い
感じです。当店のシンボルに採用しようかと思います。

そんな事を考えながら走っていますが、それと走り方を先日の
日経新聞の記事を参考に、腕をひいて振り、足の大きな筋肉を使って
走る事を心がけています。

そんなせいか、いろんな筋肉が痛くなっているのだと思います。

今からストレッチします。
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林檎とチョコ味

2011年09月29日 09時10分12秒 | 珈琲


秋になり、町内役員の業務が増え週末やお祭りや戸別訪問や
何やかやで刈り出されます。

地域から支えようと参加した役員業務ですが、最近は地域の
現状とか地域の問題点や世の中の仕組み地域社会の仕組みを
まざまざと見るような感じがします。

走りに出る時間が不規則になったり、少なくなったり、影響は
すくなくないのですが、やはりしるべき仕組みはやってみなくては
解りません。

珈琲も同じ事で、色々やってみないとわからない事だらけです。

林檎の香りがする珈琲もやっとみつけましたが、いつもあると
それはそうと気がつかないのです。

実際、この香りなんだと思いますかとお客様に聞いても、それ
と答えが返っては来ません。

林檎の香りがすると思いませんかと聞いてもムーとうなってしまいます。

季節的にこんな珈琲を飲む時期かなあと思いますが、もうひとつ
足りないものがあるとすればブラジルのチョコ味です。

中米高地産の豆の弱点はここです。

印象的な香りと上品な味でありながら、珈琲らしさが乏しいのです。

モカなんかもそうですが、独特の苦味があります。

香りも産地それぞれの特長があり、香りは味を連想させます。

それを味わって何々の香りという表現が多くつくものの、実際の
それらを味わうと得られる感覚を先にイメージさせてしまう為
珈琲の感覚を伝えられない事がまま見受けられます。

その典型的な例かもしれない林檎の香りです。

当店での似たような例ではワインの香りとかキャラメル風味という
ものがあります。

ワインと聞けば酔うものという連想の人が多く、馥郁たる香りを
連想するより飲んでくる酔いの方を思ってしまうようです。

チョコ味もそうです。チョコといえば甘い物という連想をする人が
多く、甘みが来る物として飲んでなんだとなる人も多いのです。

皆さんがチョコ味として期待するものは砂糖の甘みであり、ワインの
香りと聞いてアルコールの酔いを期待する人々が多いのです。

花の香りとかナッツ感などはそれでも意外な感じを受けつつ本当に
そんな感じがすると実感され易いのですが、そんな経験あまりない
と言うのが実際のところです。

実際に体験されたい方は当店までお越しください。
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無線環境

2011年09月28日 09時13分21秒 | 日々のこと
昨日の朝、我が家にipad2がやってきました。

昨年から、タブレット型の端末がほしいと思っていました。
最初は、額縁のようなデジタルアルバムがあれば色々便利だと
思ったのが最初でした。

数千円からあり、デジカメで沢山撮ってそれを使って色々説明
するのに、プレゼンソフトでなんか作るよりその方が時間的にも
労力的にも節約になると感じたからです。

しかし、デジタルフレームもピンから切りで、商品ディスプレイの代わり
に使えるものから、パンフ代わりにもなるような機能もあるものまであり、
機能面で選ぼうとするとどこまで求めてしまい、それならタブレット端末
の方がいっそいいのではないかと思えて来ました。

4,5万で買えてしまうのです。

そんなわけで思い立ち注文して次の日の朝に着きました。

しかし、それが一日ずっと振り回されました。

まず、その荷姿は普通のノートパソコンと同じ程度の大きさのダンボールで届き
そんな感動もありませんでしたが、中から出てきた本体はびっくりさせられ
ました。

パソコンにつき物の、分厚いマニュアル類が一切ないのです。

出てきたのは薄い本体と充電器のみです。

マニュアルとはいうもののただのカードサイズの説明書きだけで、その
潔さというかシンプルさに惚れ惚れするほどです。

しかし、それもあまりのほっとかれ方に段々喪失感と失望が募ります。

まず電源を入れても何も起きません。

これはどう始めていいのか途方にくれるのです。改めてマニュアルと称する
ものを読み、どうやら何かをダウンロードしないとならないようで、それを
します。

それにより最初の画面が変わりやっと始まる気配になったのですが、何を
どうしていいかはわからず、ホームページを見ますが、肝心の説明はなく、
画面に指紋の後だけ増えて行きます。

とにかくネットにつながらなくてはいけないと自宅の無線ルーターにアクセス
させますが、パスワード入力画面になるのですが、AOSSで本来二代目以降も
ボタンひとつで自動接続というルーターのはずですが、なぜかパスワードを
求めてくるのです。

以前のルーターは、手動で暗号の種類からキーの設定まで出来ましたが、
実際には新しい端末の追加が一番厄介でそのたびにどうやったか思いだし
ながら設定していましたが、今のルーターは自動でやってくれるので、
その設定自体しばらくやった事がなく、ルーターのマニュアルやらホームページ
やら調べて設定を試みますが暗号化されたキーを見る方法などが見つかる
までにほぼ半日かかりました。

ただ、それをやりルーター本体にアクセスしますが、それは過去の自分の設定した
キーワードにより守られていました。

ネットで会員になったり何かを申し込んだりするたびに求められるパスワード
ですが、その時だけ入れて後はずっと使うことがなく忘れてしまうものという
のが相場です。

ネットの場合には忘れた場合の救済措置があるので気軽に使っていますが、
増え続けるパスワードに安全と簡単便利な方法を確立しておくべきだといつも
思います。

どうしてもネットにつながらないまま、とにかくネットにつながったらどうなるか
見たくて街中にあるフリーのホットスポットにつなげに行く事にしました。

そして気がついたのは、市内のアクセスポイントも格段に増えて、個人の
無線もいくつも受信できます。

ただ、フリーのポイントも中々安定しない物が多く、つながってもどこかにメールを
送らないと続けられないとかやたらと手続きばかりでまるで詐欺商法のようなもの
ばかりで簡単にストレスなくネットにすぐつながるものがなかなか見つかりません。

やっとみつけた何もしないで普通につながるところがあり、やっとつながった
状態を確認してとにかく同じように一旦ルーターをフリーでパスワードなしで
つながる状態にしてみようと思いました。

それで、ルーターに直接ケーブル接続で設定を試みましたが、自分が何をしたか
思いだし、設定にこぎつけました。

色々できるような説明でしたが、ネットでは見れないものや機能しなものもあり、
音楽やら本なども本当に必要なものや情報に簡単にアクセスできないように感じました。

一日かかりましたが、やっとネットにもつながり思ったより小さい画面と使いにくさ
に辟易としながらもどうにか使う事が出来たという満足感が漂う一日でした。
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青りんごの香り

2011年09月27日 09時27分02秒 | 珈琲


最近毎朝風邪を引いたように頭が思い感じで目が覚めます。

最近布団に毛布で寝ているのですが、いつもそれらをはいで寝ています。

まだ毛布は必要ないようです。

いつも仕入れでお邪魔する珈琲豆屋で気になる臭いがします。

何の臭いか聞きましたが、紅茶かハーブティーを売っているのでそれじゃないかと
いうのですが、これは珈琲の香りなのです。

私も珈琲の組み合わせもしくはある銘柄でする香りとして気になっていたのですが、
何から来るのか解りませんでした。

それが最近解りました。

香りはまるで青りんごのような香りです。

中米の高地産の豆から出ているようです。
これを強くするブレンドも可能のようです。

しかし、ブレンドをするときに万人向けの味にするよりも、飲んで何これと思わせる
ことと、気になってまた飲みたくなるという味の方が好みです。

これは人により、ついてこれなくなる部分を含み、珈琲というと人それぞれ固定観念があり、
それを裏切るより寄り添う方が結果がいいのは目に見えています。

それを裏切りつつ納得させる線を迎えるというところを狙うという事になります。

ただ、この青りんごに関しては理解を得られるか微妙です。

というのは、青りんごの臭いがするよねと同意を求めてもそうだと認められることは稀
なのです。

でもこの香りが私は好きなんです。

他の人はどう感じて、何の香りと認識しているのか興味があります。
調査して販売につなげたいものです。
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人肌恋し

2011年09月26日 09時13分01秒 | 日々のこと


すっかり涼しくなりました。

もう少しゆったりと冷房も暖房も要らない日が長く続かないものでしょうか。

そろそろ年末に向け秋霜が積み重なり、なんだか落ち着きません。

やっと暑い夏が終わったばかりというのに。

先日、日経新聞の記事には驚きました。なんと文化面なのですが、ページ一面を使い
マラソンの走り方について書かれていたのです。
足の太い人は足が遅いというもので、書いている人は昔サッカーをやっていてふくらはぎ
が太いらしいのですが、足の太い人に足の早い人はいないという説について書いています。

なんと、その遅い早いのレベルがフルマラソンを3時間切る切らないの話をしているのです。
こちらは4時間切る目処がついたら参加しようというレベルなのに大新聞のランナー向けは
そのさらに上を読者としているかのようです。

世の中そんな早い人ばかりなのかと訝るばかりですが、記事の内容にはうなずけるもの
でした。

世の中、走る人や自転車に乗る人がとにかく増えているというのは事実のようです。

酒を飲まなくなっているとかお金を支出しないようなっているという話はよく聞きますが、
珈琲くらいは贅沢に飲んでほしいものです。

そうせめて珈琲ぐらいはおいしいの飲みたいですよね。

こんな世知辛い世の中なんですから。

間もなく今年の豆も入荷予定です。

秋というとブラジルの豆ですが、その前にウンゴロゴロの今年の豆も手に入れたいと
思っています。

ただ、新豆については値上げせざるを得ないかもしれません。

円高と季節的な下落があったはずなのに高止まりのままというのが現状です。
デフレの世の中なのに税金や電気料金とか上がるというのも執政の失敗の
象徴なように思います。

珈琲のひと時だけそんなこと忘れたいですね。そのように豆の値上げも最小にするよう
努力します。
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すっかり秋

2011年09月25日 09時54分23秒 | 日々のこと
昨日書いたことは、秩父に限った事ではなく、超円高という
事態になり製造業など各産業が日本での生産をあきらめ縮小
をはじめた結果、職がなくなり高齢化が進むという現象が
顕著になっているということです。

結果、ますます景気が悪くなり地方は疲弊して行き、企業の流失
は加速して日本には年寄ばかりという結果は進むでしょう。

昨日の夜、テレビでもパレスチナが国家として国連に加盟申請を
したというニュースがありました。

これはアメリカによる拒否権が発令されるので加盟が認められる
ことはないといいます。

それでもなぜ申請し現地の映像はお祭り騒ぎの映像が流されたのか。

もうアメリカなんて世界の立場がないというアピールなのでしょう。

『珈琲時光』見ました。

私はかなり昔、テレビで録画したものが尻切れトンボになっていた
ものですが、なんとその後映画は何の事件も発展もないまま終わったのです。

私は地元高崎に戻るという主人公と芸術家を探すという行動がどうなるか
楽しみにしていたのですが、全て置き去りでした。

こういうのも斬新かもしれません。

実際に人生のシーンなんてこんなかも。
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秩父に生きる

2011年09月24日 11時51分17秒 | ライブ・コンサート・展覧会
テレビだけに情報を頼っていると現実というものとは違う
認識が次第に形作られそれから中々抜け出せない偏った人間に
なるのではないでしょうか。

そして、それが一般的な人であり標準的な日本人の感覚を持ち
日本人として正しい判断をすると思われていると思われます。

しかし、現実の世界はテレビのきれいな画面とは違いますし、
一瞬で終わるニュースのような世界とも違います。

この間のSUMAPの中国での公演のニュースがありましたが、待ちに待った
中国人待望のSUMAPのコンサートだったという感じで報じられましたが、
週刊誌の記事によると観客はまばらで寒々しいものだったとのことでした。

テレビだけしか見ない人は、SUMAPはアジアでも人気者という認識が
できたことと思います。

まあ似たようなものには韓流ブームというものが日本にはあり、韓国の
タレントが日本でも大ブレイクというものと同じような感じかもしれません。

日本の野田首相が外交デビューというニュースはテレビで流れましたが、
パレスチナとイスラエルが国連を巡って世界がにらみ合う状況なのに
テレビでは国連での演説とか普天間の話しか出てきません。

新聞にはトルコとイスラエルの問題とかまたオバマが拒否権を発令する
のではという記事が読む事ができます。

日本人はイスラエルとパレスチナがどこにあるかすら知らない人が
ほとんどです。私もつい先日までそうでしたから。

さて、昨日の秩父の地元ピアニストのリサイタルでしたが、これまた
スマップの中国公演同様の入りでした。

今までのなかで最低の入りだったのではないでしょうか。

もともと手作りのポスターのようなもので町中に告知はされているものの
全てがそんな手作りのリサイタルで今まで続いてきたものです。

続いたからこそ人気も徐々に集まり会場はファンで一杯になってもよさそう
なものですが、やはりクラッシックのピアノコンサートとなるとこんなもの
なのでしょうか。

とはいえ今回のプログラムがヴェートーヴェンのピアノソナタであり、
それも三大ソナタを聴けるというものです。

その副題が核心という音楽ファンならずともこれは聴かなくてはならない
と思わせるものです。

これを秩父にいながらにして聞けるという贅沢はそうはありません。

それなのに広い館内には空席が目立ち冷房が効きすぎるくらいに感じる
薄ら寒い空気が流れました。

そんな盛り上がりに欠ける中、見ず知らずの人に呼び止められ丁寧な
挨拶をされ、はて誰だろうと思ったらピアニストのお母さんでした。

私は、珈琲を買ってくれるお客さんが声を掛けてくれたのかと思い
こちらも丁寧にいつもありがとうございますと返しましたが、いえ
いつもこちらがチケットを買いに行くのを覚えていてくれたのです。

コンサートの内容はこれは演者の性格のせいなのかいきなり西村朗の
小品からはじまります。

本人の説明がありましたが、当時のヴェートヴェンの音楽とは理解され
ないものであり、斬新な今でこそ繰り返し演奏されるが当時は反発を
受け、けちょんけちょんな人も多かったということで、それを味わうために
西村の作品をやることにしたというのですが、それが同じかどうかと
逡巡しているうちに曲は始まりました。

西村朗の曲自体は私も日曜日のNHKの番組で聞きましたが、踊りと一体
だったり雅楽と一体になった武満徹の曲の延長線なのかなあという位の
興味しかありませんでした。

これをいきなり当時のヴェートーヴェンを聞くとはこれほど突拍子もない
ことというのは果たして正鵠を得ているのか。どちらかと言えば唐突であり、
無理があるのではと感じます。それをやってしまうところにこのピアニストの
まじめさというか音楽に対する姿勢が現れています。

こういう無調のシェーンベルクの先にある現代音楽も解し、紹介すると
いうのは音楽家としては当然であるし、立派な行いでしょう。

ただ、自身のコンサート活動を思えばこの冒頭の西村朗をやる意義と
効果はどればかりだったでしょう。

長い説明の上曲が始まり、小品は祈りとはという意味を考えていると
突然終わり、何かまた説明が入るのかと思えば拍手も送る暇もなく、
突然に最初のピアノソナタ『悲愴』に入ってしまったのです。

これは観客置いてきぼり状態であり、せっかくやった意味も薄らいで
しまうのではと危惧しているうちにどんどん本題のソナタは進んで
行きます。

結局、この日この最初の『悲愴』が一番よかったのではと感じました。

確かに、次の『月光』『熱情』は円熟とか技巧といったものが
ヴェートーヴェン生涯のピークと重なるものでありドラマ性とか
人生とか思えばあの早い旋律や矢継ぎ早の怒涛の音の重なりも
彼の人生そのものなのです。

ピアニストの技巧の見せ所や聞かせどころなども強いと思いますが、
なぜか詩情とかドラマ性というものが足りないようなそんな不満を
私は感じてしまいました。

この三大ソナタのCDはバックハウスをはじめいくつも持っています。

どれが好きか誰が好きかと言う話題もしてきました。

そして、かつて彼の師匠のレーゼルの月光も聞きましたが、
その時には、聞きに行くだけで大変な旅であり、しっかり聞けるか
大変不安でもっとゆったりとした気分で聞けたらという気持ちでしたが、
それをまったく覆すものすごい感激をしたのを今でも覚えています。

それほど聞くだびぞくぞくと体中の毛が逆立つようなものだったのです。

あの駅に向かう坂道をああだこうだと如何にすばらしい演奏だったか
しゃべりっぱなしになったものでした。

そんな意味で、ドラマ性とか表現力とか演者の魅力がやはり譜面とか
音とかを超えて伝わる何かを感じさせるか否か、それが足りないのでは
と感じてしまうのでした。

それが、会場の入りにも出てしまうし、秩父という地でやり続けると
いうことにもそれがいいか悪いか別にして結果として出てしまうという
厳しい現実を感じます。

これは私が、秩父の現実を地域の役員で近所の家々を巡って感じたことと
同じなのです。

何かどうやっても簡単には変えられない厳然としてそこにあるもの。
厳しい現実。
熱い個人の思いや真実の持つ力でも簡単には覆らない。
そんなものを強く意識させられました。
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いよいよ珈琲の季節

2011年09月23日 11時14分21秒 | 珈琲
昨日の夜は二日空いてのランニングだったせいか
とても疲れて11時に寝てしまいました。

いつも2時位まで起きているのですが、やけに台風明けの
ランニングは疲れました。

そんな訳で、『珈琲時光』は見るのを取りやめてしまい
まだ見ていません。

今日の夜になるでしょうか。

今日は今日で午後、地元ピアニストのリサイタルがあり、
それも是非聞きに行きたいと思い、やりくりに苦労します。

今回は、ヴェートーベンのピアノソナタばかりのコンサートで
これは大変力のいる演目です。

私もそんな聞く方もやる方も真剣な会を望んでいたので、これは
大変ビックな催しです。

ヴェートーベンもバッハも大変珈琲を愛したそうです。

当時の文化人とか流行の最先端を行く人には、中近東からの謎の
飲み物がとても新鮮で謎に富んだ物だった事は想像できます。

当時のカフェは文化芸術系の人が集まる最高の情報交換の場でも
あったのです。

戦国大名の時代の茶会が特定の商人の取引の場となったのと似て
います。

何でも西欧の真似をしてればいい時代ではありませんが、珈琲は
日本にすっかりなじみ独特の珈琲文化を持つに至りました。

喫茶店文化も同様で、それもスタバの登場で色々様変わりした
のはいいのですが、ホテル等の公の場でおいしい珈琲が飲め
なくなったのは大変残念です。

いつの間にか変なカートリッジで機械で淹れる物がどこでも進出
し、インスタント以下の味になっているのにあまり不満を述べる人を
見出せません。

それだけ企業による宣伝と商業化に毒されてしまったのでしょうか。

それでも当店のような自家焙煎の豆屋に足を運んでくださる人が
いるということは、そんな状況に満足できないという方がいくらかは
いるということでありがたいことです。

つい昨日まで汗をかいていたのが今では上着が要るような状況に
なってきました。

こうなると暖かい飲み物が恋しいですね。
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刺抜きの続き

2011年09月22日 15時48分11秒 | 日々のこと
まあ台風一過で午前中は晴れましたが、午後は降ったり止んだり
と不安定な天候で、それでも来客がポツポツとあり、中止になった
用事のやり直しもあり、そこそこ忙しくて予定していた刺抜きの
続きは夜出来るかどうかという感じになってしまいました。

というは、昨日のビデオはもう一枚借りてありまして、これが
いちばんの楽しみでもあります。

まあ、引っ掛かりを解消するという名目で借りたものですが、
このとげも相当古いものです。

昔テレビで録画したところ当時の機械は今のように天候により
変更になった番組の追跡補正などしてくれず、途中で切れるという
事がままありました。

三谷幸喜の『THE有頂天ホテル』なども何度も悔しい
思いを味わった作品です。



これは最後の演歌歌手の新しい歌の発表の前で切れていてどんな終わりなのかはらはらどきどきで
一年くらい待っていたらまたテレビでやって見たら待つまでもなく、
もしかしたらその時に終わっていた方が却っていい映画の印象のもの
だったのではと思えるないようでした。

つまり刺もそのままにしておいた方がいいという教訓な様なものです。

しかし、この
『珈琲時光』はそんな盛り上がりがあって
その後のラストはどうなるのかと期待するような映画でなく、昔はこんな映画も作られていたなあという
懐かしいような映画で、雨の中ふと見たくなって借りて来ました。

ビデオ屋さんでも中々売ってなくて通販でもかなり高いままです。
今時洋画のビデオなど旧作になると1000円を切る物があるのに、
邦画は5000円を切るのが珍しいという時代が続きました。

それでなぜか手元に持っておきたいという作品はあるものです。

この映画は、今時若者は結婚も男女交際もドライで全て割りカンで
情熱とか熱愛などという言葉も聞かなくなったこの頃ですが、それでも
男女の仲は不思議な縁があり、50を過ぎて結婚するカップルが身近でも
現れて男女の恋愛感情とか恋愛模様を考える上でふと見てみたいと
思わせるものがありました。

そういう郷愁的な感情が表れる次期というのは何かの危険信号だというのが
最近の経験です。

でも、なんか今日はそれに一歩近づいた感じです。

感想はまた今夜見た後に書き込みます。題名に珈琲とある以上
見ておかなくては。


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朝はニカラグア

2011年09月22日 09時04分06秒 | 珈琲
ニカラグアエルレクレオが今朝の珈琲です。

これは味よし香りよし、そして珈琲らしい味です。

最近のCOE物だと酸味ばかりが強調され、ハーブティーかフルーティーな味
ばかりがもてはやされているような印象ですが、これは珈琲らしい味です。

その系統ではやはりブラジルの高地さんのものがすばらしくブラジルらしくない
ブラジルが存在しますが、値段で見るとこちらのニカラグアの方が安くうまいと
なります。

ですから自分用にとかつて沢山仕入れたもののこの夏はほとんど飲んでいませんでした。

久しぶりに飲むとやはり日常飲みに最適です。
飽きもこないし、好きな香りです。

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刺抜き

2011年09月21日 19時07分43秒 | 日々のこと
台風15号の通過は久しぶりに秩父上空を通過する直撃の台風でした。

それによりいくつかの予定が中止になり、ぽっかりとあいた時間ができ
いくつか引っかかりのある事を解決する事にしました。

その中でも、最近出来たトゲはずっと見ていた『フラッシュフォワード』の最終回を見忘れたのです。



ネットでも人気のない評判のよくないドラマでしたが、私は東日本大震災の
直後だったこともあり、映像がどうも現実とオーバーラップしてしみじみと
ドラマの世界にはまってしまいました。

最終回を見逃してもどかしい思いで他の人の感想を読んでいたら、終わり方
がよかったとか、なぜフラッシュフォワードが起きるのかが解ってよかった
と言う書き込みを見てどうしても見たくなりDVDを借りてきました。

ついでに、機会があったら見たいと思っていた『28日後』も借りて来ました。



これは昔ビデオ屋さんの店頭でいつも気になっていたもので、パッケージの写真が
印象的だったのだと思います。

今はなんか違う雰囲気でもしかしたら違う映画なのかもしれません。

どちらも無事刺抜き終了となったものの、だから何状態でもあります。

ちょっと以外だったのは、普段見ているテレビの方が画質がよく有料テレビも
そうですが、金を払って見る価値が最近はないような感じがします。

もともとハードディスクレコーダーに録りためたものが沢山あるのに、今回は
引っ掛かりとなっていたトゲの解消だったのでまあよしとします。

フラッシュホワードは米のドラマ特有の謎やら続編の予告的な終わり方で
すっきりしません。

しかし、米でもこの続編は作られていないといいます。それだけ人気薄で
打ち切り的な扱いだったようで、SF的なモチーフとか謎の集団が目指したもの
とか是非突き詰めてもらいたいという感じでした。

テーマとして運命とか天命とか人がなすべきこととかドラマ的テーマが弱い
ところがネックとなったのかなあと思いました。

28日後はビルから出ると廃墟の町というバイオハザードの最初と丸きり同じ
始まりとやがて感染者に襲われることと生き残りに助けられるということ、
救済所のようなところへの旅立ちとそのうらぎりとかもう他の映画で見た
ストーリーに加え最後は生存の為の戦いが倫理観より雄と雌の欲望となる
ところなど幼稚なストーリーでした。

昔の西部劇がみんなこんな感じでした。

いつからかインディアンと戦いインディアンを殺す西部劇が作れなくなり、
無法の町をガンファイトだけで生き抜く中で語られる正義とか法というのが
権力を掌握したものが語れる正義であり自由だという真のテーマを隠す為
女を取り合うというテーマになります。

そんな状況でも生存者は生存を掛け必至に生きていくというのも新たな
希望があるということなのでしょうか。

あまりすっきりしない結果で終わりました。

西武線や鉄道各社はこの台風の通過で運行を取りやめ大変な事になって
いますが、家でおとなしくしていたので皆様の無事をお祈りいたしております。
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ネット環境

2011年09月21日 10時09分28秒 | 日々のこと
猛暑に節電に台風と大雨と次々に襲う気象環境と
仕事ですっかり遠出で遊びにも行く事がなくなり、
縮こまるような感じの日々です。

景気のいい話などは全くなく、地域の役員業務で近所の家を回ったり
情報を聞くとますます将来的な不安を感じます。

かといって自分に出来る事もなく、ネットを開くと日々遅く感じる
諸々の反応です。

ブラウザの反応も通信速度もどんどん何かに侵されているようです。

最近毎日電話がかかってくる光ファイバーによる回線の勧誘と
関係があるのではないでしょうか。

不必要なトラヒックを増やして光の優位性を感じさせる為なのでは
とかんぐってしまいます。

一般人が参加してすっかりかつてのインターネット通信での趣味人の
交流の場の雰囲気が消え異常者の吹き溜まりのようなものから企業が
利用して公共の空間のようなイメージのものまで色々な顔を見せる
ような世界になってしまいどこまで信用できるのかという世界に
なってしまいました。

公共性の高い情報機関も企業が個人の財産を取引する情報のやり取りも
一緒くたにする事に無理があるのではないでしょうか。

やたらセキュリティをいうようになりましたが、それなら公共と個人間の
物を分けて、企業もネット取引のような物や通信販売の世界も通信世界を
別階層にしたらいいのです。

それには、まず先進国で採用されている社会保障番号のような国民総
背番号制を導入して、プライバシーの管理を国が責任を持って人権を
守る姿勢を示すべきです。

身近で起きる老人を狙った訪問詐欺や俺俺詐欺のような電話での犯罪も
緩い個人情報管理と間違った個人情報の観念から起きていると思われます。

名簿管理がずさんなのですから、いっそ全国民の住所と連絡先は国民の
総背番号と共に公にして誰でも誰とでもつながれるようにしてしまえば
情報の淘汰がなされ、必要な情報が必要な人に届くようになるのではと
考えます。

ネットのメールなど不必要なものばかり山のように届きますが、これも
コスト的な物なのだと思います。

ネットでは個人認識キーを普及させ私信のやり取りなどそれをお互い
持っていれば届いた開いたの確認も確実になり、絨緞爆撃のような
メールの波は一切はね返すことも可能です。

何年も前にそんな動きがあったのにいつのまにか使えない世界になって
しまった感があります。
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雨の朝に珈琲

2011年09月20日 09時29分34秒 | 珈琲
雨の朝です。

昨日の夜に走り出したときにも雨でした。

途中、かなり強く降ったのですがすぐに弱まり予定通りの
時間走りました。

雨が強くなった時点で速度は求めませんでした。

スピードに乗って走った方が気持ち的にも体力的にも疲労感は
ないのです。

充実感もはるかに違いがあります。それなのに、ペースを上げられない
最近の走りです。

今朝の雨により、今日は走りにはいかない予定です。

朝から汗がだらだらと出る気候からやっと開放された感じで、珈琲を
楽しみました。

深い煎りのブラジルがぴったりと来ます。

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短距離と長距離の走り方を知る

2011年09月19日 21時43分51秒 | ジョギング
走っていると別に短距離だろうが長距離だろうが区別なく走り方も
分けて考える事はないと思うようになっていました。

というのも、トップランナーとなるとキロ3分のペースとなりそれは
沿道の応援やギャラリーの人が戯れに併走するも全くついていけない
速さなのです。

長距離でも短距離のような飛ぶような走り方をしないとそんな速さは
得られません。

ジョギングやマラソンの入門書に長距離はかかとから着地して足の裏
全体を使いべたべたと走るというような記述があります。

しかし、それでは早く走れませんし、ロスも多くなります。

段々なれてくると短距離と同じように足の前半で着地してそのまま
足の反発力を利用してジャンプするように走ります。

なもんだから短距離だから長距離だからという足の使い方はないという
のが最近の認識として持っていたのです。

日曜日の走りでこのつらさは短距離と長距離の走り方の切り替えの
せいかと合点がいったのです。

と言うのもここのところ右足の足底筋が痛くてずっと湿布したりして
しのいでいました。

夜走るときはその湿布を剥ぐのですが、バスケット練習会の次の日の
夜が一番苦しく、且つ足底筋も痛いのです。

やがて最初の2Kくらい過ぎて痛みも呼吸も整い苦しさもなくなり、
後半残りの三分の一でスパートしようとするときにまた足の底が
痛くなるのです。

そこでやっと気がついたのですが、バスケット練習会でずっと
短距離走りをしていて次に長距離走りをすると呼吸法の違いで
やけに苦しくなり、ただ、体は長距離の走り方を記憶しているので
やがてその走りになり、苦しさはなくなり、走り方の違いで足の底の
痛みもなくなるのです。

また後半にスピードを出すときに痛くなるのは短距離的走りをとりいれ
て足底筋を使うのでしょう。

今までは、そんな意識しなくても切り替えがすんなり出来ていて
どちらも自然に出来ていただけなのです。

今はそれだけ調子が落ちていて、足の裏の筋肉も両足ともいたくなり、
ひざの裏もガクッと力が抜けるなど痛みがいろんなところに出ています。

走りに余裕がなくなっているせいでしょうか。

これから月が大きく見えるシーズンに調度体力気力が充実し、コースの
タイムが更新する時期に当たります。

今年は暑さも激しく、気持ちよくトレーニングも出来ず、精神的な
甘えも多くなっている感じがします。

気がついたところから直していこうと思います。
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増税とデフォルト

2011年09月18日 09時30分36秒 | 日々のこと
またまた色々業務が重なり色々考えさせられる日々です。

それにしても暑い日々が続き、雨がずっと続いた後にまだ
夏ですという感じです。

でももうさすがに蝉も鳴いていません。

新聞によると復興増税に消費税を含めないよう首相が指示と
なっていましたが、果たしてその復興とは何をしようとしているのか
とても気になります。

津波で消えたものを全て元に戻す金額のようですが、そんな必要が
あるのでしょうか。

新しく作るにも工夫が必要でしょうし、その知恵のないままとにかく
元に戻すのにいくらかかります。それは増税してまかないますという短絡さに
がっかりです。

何の為の政治家なのか。

今までのような高い堤防を作ってもまた津波は来ます。

高い津波に安心した人々が逃げ遅れて亡くなってしまったという教訓も
活かされません。

最低のインフラはもちろん整備すべきです。

しかし、それを超えるものは工夫して民間を投資を促すものをしないと
全て国で復元しその負担を国民に回すという能なしな事では、ますます景気の
落ち込みがつづくでしょう。

今まで政府がした景気浮揚の政策が全く効果なく、エコポイントやら子供手当て
などが財政の負担になっただけなのを評価して次に活かすべきです。

世界的な景気減速と財政不安を全くよそ事と思っているのでしょうか。

日本の方がはるかな危険度を持った財政状況なのに政治家にはその危機感は
ないようです。

国民はみんなその危機を感じているから消費を増やそうともしませんし、
未来の希望もなく縮こまるばかりです。

でもこの状況を招いている今までの制度とか地域の生活とかも国の借金体質
に基づいた活動をいまだにやっているので、さらに暗澹とするような感じ
です。

昨日もその活動で地域の役員活動で地域を周ったのですが、やはり我々が
同じような事をずっとやっているからなんだろうと思いました。

地域でも知恵を出してよりよく変えて行こうと言う考えをみんなが持って
実際に変えて行くしかないと思うのでした。




コメント (1)
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