雲の多い中、それでも大きな月が見えていつも走りに出る8時頃でも雲が白く見えたり空が青く見えたりしていました。
すすきにお団子に漆黒の闇と黄色の満月と絵に描いたような色の絵とは違う現実の空でした。
そして昨日はまた三連休ながら雨がポツポツ降るスタートとなったのです。
関東ではそんなことでコスモスやら野球観戦やらと過ごす人があった一方、能登では線状降水帯が発生して大雨による洪水、土砂崩れがあり、また停電断水、電話の不通が発生したのです。
仮設住宅も床上浸水とニュース映像を見るとなんでまた能登なのかと思ってしまいます。
なんとこの日泉谷しげるはチャリティライブを開催予定でしたが中止にしたとSNSで発表。
元々地震でライブ中止にしてたものが会場は無事と聞き、さだまさしらと慰問したときにチャリティーライブを決定していたものです。
それが今度は雨で中止とは。改めてまた否定されたようなどうしてなんだと声が漏れるような事態です。
まあ、これが自然で何らかの超自然がとかすぐ結びつけたがるのが人なのです。
人のないものを信じる、嘘を信じる力です。一方技術の進歩で一般の人が捜査機関のようにGPSで位置特定したり、カメラで監視したりドライブレコーダーで交通被害を訴えたりとネット操作、それもスマホから指先で操作するだけと至って簡単にやれるようになっていてしかもそんなことはまるで関係ないという人も多く存在するという進歩や進化が全ての人類にあるのではなくそもそも地域や貧富の差など斯様に苛烈に現れるのです。それはこの間の中秋の名月のように見ている人にだけ感じられる現在の状況なのです。
とかくそれを埋めるのが政治の力で役割とされてきましたが、民主主義や世界を変えるとされた人たちやネット技術にそんな力はなく、格差は広がり地域差、貧富の差は広がるばかりなのです。
それでは今幸せ追求には何が必要なのか。手っ取り早く稼ぐにはネットでバズるよう動画で稼ぐのがいいのか。
いえネットでバズらなくても毎日美味しい珈琲がのめて、月を眺めて夜毎日走れたりバスケットができたり貧しい中でも心の平安と安らぎで幸せ🍀を感じることは可能です。
さらに例えば今年熱中症で畑でなくなった80才のお年寄りも幸せな人生と思ってなくなっていったかもしれません。人のために大雨や地震や土砂災害などで救助のために無念の死を向かえた若い方も日々充実した中でたまたま事故でなくなって十分精一杯生きて幸せだったと思っていたかもしれません。無理にできもしないみんなが平等や優しさを強いたりや不労所得を責めたりしてもただの偽善なのかもしれません。そんな思いにさせる能登の被害でした。
今日も珈琲の香りと深いこくのなかで不安定で格差の広がる理不尽な世界について考えました。