King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

中秋の名月に

2024年09月22日 11時36分03秒 | 珈琲
雲の多い中、それでも大きな月が見えていつも走りに出る8時頃でも雲が白く見えたり空が青く見えたりしていました。
すすきにお団子に漆黒の闇と黄色の満月と絵に描いたような色の絵とは違う現実の空でした。
そして昨日はまた三連休ながら雨がポツポツ降るスタートとなったのです。
関東ではそんなことでコスモスやら野球観戦やらと過ごす人があった一方、能登では線状降水帯が発生して大雨による洪水、土砂崩れがあり、また停電断水、電話の不通が発生したのです。
仮設住宅も床上浸水とニュース映像を見るとなんでまた能登なのかと思ってしまいます。
なんとこの日泉谷しげるはチャリティライブを開催予定でしたが中止にしたとSNSで発表。
元々地震でライブ中止にしてたものが会場は無事と聞き、さだまさしらと慰問したときにチャリティーライブを決定していたものです。
それが今度は雨で中止とは。改めてまた否定されたようなどうしてなんだと声が漏れるような事態です。
まあ、これが自然で何らかの超自然がとかすぐ結びつけたがるのが人なのです。
人のないものを信じる、嘘を信じる力です。一方技術の進歩で一般の人が捜査機関のようにGPSで位置特定したり、カメラで監視したりドライブレコーダーで交通被害を訴えたりとネット操作、それもスマホから指先で操作するだけと至って簡単にやれるようになっていてしかもそんなことはまるで関係ないという人も多く存在するという進歩や進化が全ての人類にあるのではなくそもそも地域や貧富の差など斯様に苛烈に現れるのです。それはこの間の中秋の名月のように見ている人にだけ感じられる現在の状況なのです。
とかくそれを埋めるのが政治の力で役割とされてきましたが、民主主義や世界を変えるとされた人たちやネット技術にそんな力はなく、格差は広がり地域差、貧富の差は広がるばかりなのです。
それでは今幸せ追求には何が必要なのか。手っ取り早く稼ぐにはネットでバズるよう動画で稼ぐのがいいのか。
いえネットでバズらなくても毎日美味しい珈琲がのめて、月を眺めて夜毎日走れたりバスケットができたり貧しい中でも心の平安と安らぎで幸せ🍀を感じることは可能です。
さらに例えば今年熱中症で畑でなくなった80才のお年寄りも幸せな人生と思ってなくなっていったかもしれません。人のために大雨や地震や土砂災害などで救助のために無念の死を向かえた若い方も日々充実した中でたまたま事故でなくなって十分精一杯生きて幸せだったと思っていたかもしれません。無理にできもしないみんなが平等や優しさを強いたりや不労所得を責めたりしてもただの偽善なのかもしれません。そんな思いにさせる能登の被害でした。
今日も珈琲の香りと深いこくのなかで不安定で格差の広がる理不尽な世界について考えました。
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エチオピアの豆に

2024年09月21日 22時22分14秒 | 珈琲
先週の三連休も台風14号が奄美から北西に直進的に中国に向かい、遠く離れた栃木や秋田に大雨をもたらしました。連休明けから関東にも雷と急な雨があり走るのもままなりませんでした。
そんな今週でしたが、相変わらず日中は36度になったりまるで穏やかな日のない雲のなかに中秋の名月があるような目まぐるしく不安定な週でした。今週末も三連休で前線が列島の上にありまた局地的に線上降水帯が発生するかもといわれ天気はよくなさそうです。
中間決済の今月、商社から投げが出て魅力的な商品もありましたが、まだまだ過渡期で実際の買い時と買うべき豆はこれからの気がします。
今はクリスタルマウンテンやケニア、イルガチェフがあるのでそれを売っていきます。
ブラジルの干ばつ等で今後は入ってくる豆はよいものはなさそうです。
戦争による品不足が指摘されエチオピアなどはもう入らないといわれていましたがどこの商社でもエチオピアは持っており、高値安定で取引されてます。
やっと美味しいものが知られて嫌気発酵の豆も認知されその差別化もされてきた感があります。
私もイルガチェフやエチオピアの豆にこれはというものを揃えてその魅力に触れるにはというところを色々伝えてきましたが、値段が倍以上に値上がりして満足に味わえないと感じている方も多いと思います。
当店ではそんな中ハルスケのナチュラルが1200円と格安なのです。
G1のイルガチェフでナチュラルが普通2000円以下の店がない中これはどうしたことかということですが、詳しくは来店のおりにお尋ねください。
昨日紹介したthe100ですが実はあと三話で結末なのですがまだ見ていないのです。
こういう核戦争で文明が消失とかゾンビが溢れてサバイバルする話は多いものの結局サンデル先生の白熱教室のネタなんだなと思います。ドラマでも最大幸福を得るために少数を犠牲にする話や人肉を食って生き残る話も出てきます。卓越した宗教家が超越した未来や人類の進化を語ったりみんなどかで見た光景です。
まあ、当店には他店にない安いエチオピアがあるとまあ何て幸せなことだという気がしてきます。
本格的従来のスマトラ方式のマンデリンのスペシャルティまであるし、クリスタルマウンテンなど1800円で買えるのです。楽しんでいきましょう。


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数学の教科書の巻末

2024年09月17日 10時36分32秒 | 珈琲
三連休が終わり、忙しさや期末の事務が大方収まった感もある今週。先日の土曜のピアノの旋律と音が未だに頭にぐるぐると残る朝にインドネシア、ブラジルの豆が染みます。
そんな朝に頭に去来する事象は自民党総裁選で候補者の政策を語る内容も色々な性格を見せてきました。
9人も出て各支持率も石破茂氏の26%小泉氏21%以外は一桁でもう戦わずして結果は見えたようなもので会見での受け答えも石破氏の答えが総理に聞くみたいな受け答えなのに対し、他の候補は何々をやりたいとか夢物語のような予定を話しているにすぎず、中には政策が昭和のまま所得倍増などを掲げる人までいてオリンピックに万博にと未だにかつての成功体験から抜けられない国際感覚も世界をリードしようなどという気概もないのです。
さて、それと同時に去来するのがアノマリーと自然対数の底です。
アノマリーとは最近では経済用語のように投資の話しにはよく現れ、大統領選とか株式の格言とかに聞く言葉と共に現れます。
さらに今ごろ気になる色々な統計やら複雑な計算で複利計算とか昔やったプログラムで書いた計算式やらアルゴリズムでこの自然対数の底はかおを出したりします。
小学校の算数の巻末は計算問題が数ページ連なっていて夏休みの宿題の定番でした。
更に中学や高校の数学では巻末に資料としてこの自然対数の底が載っていました。しかし、資料として載っているので頻繁に参照するのかといったら、差に非ずで一度も授業中に使われたこともないのです。
それなのに中学の頃、使いもしないのにルート2とかと一緒にその数値を暗記する方法が雑誌の付録などにあり試験に出ることも使うこともないのに当時の学生はみんなこぞって暗記したのです。
高校の頃電子工学をまなんだので数学もⅠからⅢと応用数学までやりましたので複雑な計算やら方程式もやりました。磁界方程式やらにこの自然対数の底は微分方程式とかに入れる魔法の式のように登場してビックリさせられます。
さらにその後、プログラミングで複利計算とかグラヒックでパソコンで描く色々な描画でマンデンブロ集合とかフラクタルとかに自然の仕組みにときおりかおを出す数字や黄金率やら数学の不思議と自然の仕組みがリンクして現れるのです。
朝飲む珈琲にそんな不思議なリンクの話が土曜の激しいピアノの旋律と共に思い出され何度も珈琲の味の構造を反芻するのでした。
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コーヒーの味とグランドデザイン

2024年09月09日 17時43分26秒 | 珈琲
現在コーヒー店では一杯ずつハンドドリップする、もしくは機械で一杯取りで出すというのが主流となっています。これは人件費が高くなり人海戦術で珈琲を出すというのができなくなった結果だと想います。
ただ、名古屋のモーニングを出す喫茶店など未だに50人とりのホーローのビーカーにネルで落とした珈琲が供されます。それは朝の一辺に100人のお客様にも対応できるオペレーションでそれが何回転もするのです。
店の中央に原子炉のような湯沸し器がありその回りにビーカーの珈琲が落とされいつもの味で朝が迎えられるのです。馬蹄型もしくは円形に配されたカウンターと朝は珈琲とタマゴサンドや野菜サンド、ホットドック、茹で玉子におにぎりと朝とお昼の準備もできるような珈琲スタンドが昔はありました。イノダコーヒーのようにそういう店は年中無休で学生やサラリーマンでごった返し毎朝寄らねばならない場所でそこで飲む珈琲で本物の味を知り、また他の店でもネルで一杯ずつハンドドリップする店では遜色なく本物の珈琲が供されていたものです。世の中色々と変わり本物の味が普通に標準でなくなったとき、町の水準もチェーン店のコーヒーにとって変わられたり、一杯取りでも標準でない味に気付けない人が増え何が美味しい珈琲かさえあやふやとなってしまったのです。
ですから当店の常連さんのように他所で飲むと胸焼けがするということになってしまい外に珈琲を飲みに行くという習慣もなくなり珈琲文化もまだらの地図のようなものになり味を楽しむというより昔はあったものを懐かしむようなものが喫茶店巡りの目的になってしまったのです。
秩父に今あるのも本当に古いコーヒー専門店だったり、昭和の香りのパフェやナポリタンが味わえる店だったり、自家焙煎で炭火焙煎だったり、はたまたキーコーヒーの喫茶店だったりと昔のように普通に本物の味が普通にどこでも味わえる状況になくまして50杯落しの店はありません。
昔の50杯落しの味を知る人は今でもそういう店にかよっているでしょうしそういう店が現存する地域もあります。
どこに行ってもレストランでも飲食店でもファミリーレストランでもコンビニでもコーヒーはあります。それこそ自動券売機でも缶入りのものまであるのですからいかに需要が広いのかと思いますが私は他所ではコーヒーは飲みません。スキーの時には宿にドリップパックを持ち込みます。
名古屋の喫茶店のようになにげに50杯取りのネルの珈琲があるところではそれが珈琲文化としてグランドデザインに入っていい地域です。
秩父の場合自家焙煎と古い喫茶店と猫のいる路地の多い町はグランドデザインになりますが名古屋の喫茶店のような店はなくそれに気がついている人もないので路地を巡る楽しさや古い町並みとレトロな喫茶店を巡るがテーマになります。もし個性を競い味に言及するならばご勝手にとなります。
今は焙煎機も変わり自動て技術の介入しないものも出てきており、自家焙煎の手法を競うのも時代遅れな感があり、自動でも胸焼けがするようなものはできなくなったのです。となると胸焼けがするようなものは根絶するがせめてグランドデザインになるかもしれません。




  
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the100近未来と近過去

2024年09月08日 14時23分24秒 | 珈琲
朝晩は涼しいものの今だ昼間は36度にもなる9月です。
とはいえ別に秋が待ち遠しいとも感じません。
それとはまた別に私の最近の思惑ともろもろの現象との齟齬はなんとも微妙な違和感をかもしときに感情をビシッビシッと犇めかすのです。
さて、そんな中アマゾンのビデオは相変わらずthe100を見ていて今シーズン5に入りました。
結局マウントマンの最新の設備と物資は使われないまま破壊されなんとももったいない形でマウントマンは排除され共通の敵だった者が滅びると共闘や同盟も裏切りで破綻、誰もさわれない形になり、新たな新天地光の国を探すことになり、その光の国とは人工知能アリーの支配する世界でチップを飲むことで全ての痛みや苦しみから解放されるというもので信者のようにチップを飲むものが増えて行くのです。なんかもっとうまくやってマウントウェザーで全部の部族共用でやっていければそんなチップやら飲まなくてもと思いますが、結局各部族に対抗するのに政治力や外交努力では解決できなくて武力で対抗するしかなく空の民はキャンプで生き残るため100人の選抜をすることになります。しばらくテーマと関係なくこの100は出てこなかったのですが結局生き残る人は生き残りに必要な人を選ぶという過酷な作業を強いられます。結局光の国の人工知能には改良版のアリー2があり、それの流れを汲むのが総統であり、総統はアリー2のチップを首筋に埋めているのです。アリーを止め光の国を停止するクラーク。しかし、このとき地球は原子炉のメルトダウンであと数ヵ月の間しか住めない状況だというのを知らされます。それでもなんとかアリーを止めてアリー2のチップを守るのですが部族の争いは収まらず、空の民の元議長ジャハは民間のシェルターを探しだします。これはボリスのタワーの下にありタワーを支配する氷の国とポリスを支配する森の民をうまく説得しないと行けないのですが結局力による選抜戦になりオクタビアが勝ち残り全ての民で利用することが宣言されます。シェルターにはいることができるのは各部族100人ということでまた100のテーマが現れます。
このとき空の民は370人以上いて公平にくじ引きで入る人を決めるといったんは皆公平にくじによる選抜に納得するのですが、やはり戦って他の部族から勝ち取るべきだという人が現れ結局クラークの作ったリストの人間が選ばれるという結果になります。一方島に残ったレイブンを迎えにいったクラークとベラミー、エモリ、マーフィーですが途中でアウトランダーに襲われ助けた氷の国のエコーと車で助けに来たモンティとハーパーで島に行くものの時間までにポリスに帰ることができないで宇宙ステーションアークに向かうことになります。宇宙船の無線が使えないので電波塔から直接アークに信号を送る役を引き受けたクラークは結局宇宙船出発に間に合わずひとり取り残されます。プライムファイアから6年。クラークはアークと毎日無線連絡をとろうとしますが返事はなく数ヵ月後ポリスのシェルターを目指しますが、タワーが崩れ入り口は埋まってしまい開けられません。それから6年生き残りの少女を発見しオワシスのように緑が残った一角で宇宙船の仲間を無線で呼び掛けて待っていたところ、空から見知らぬ宇宙船が飛来してまだ知らぬ武器を持った人々が降りてきたのです。子供が襲われてその部隊の二人を射殺するクラーク。と、まあここまで見たのですがよくもまあこう過酷な運命が次々と襲いそれでもなんとかしぶとく生きていくということで設定やら科学的整合性には疑問も多々ありますが生き残るためにはとか戦争となればとか色々考えてしまいます。そのなかでも一番気になるのは宇宙に簡単に逃げるほど宇宙は安全かということと核戦争後の世界とメルトダウンした原子炉の汚染後の世界です。核戦争後100年たって原子炉が全てメルトダウンするという設定にも疑問だし、核戦争後国家も文明も消失したあと生き残る人類が弓とか刀で戦う人達になるというのも疑問です。一見マッドマックスの無法の世界のようですが現実にはもっと文化的に資源を確保したり法による秩序が残るものと思うのですが。
さらに日本人として思うのはメルトダウンして5年後はもう人が住める状況になるという設定は安易すぎないかということです。実際広島や長崎では核爆弾投下後黒い雨が降ったといいますがそれを浴びて苦しんで死んだというのはあまりに急激な症状で放射線障害の現実とは違うような気がします。さらに福島の第一原発では広範囲に放射性物質が飛散し事故から13年たった今でも散々除染作業をしても広範囲に立ち入り禁止区域が設定され、原子炉の近くでは数分で死に至るほどの高レベルの放射能が蔓延しているのです。もし全世界の原発がメルトダウンしたら5年で外に出れるようにはならないでしょう。地球は密林や人が住まない荒野や砂漠があり全部が全部汚染されるはずもありません。それに宇宙ステーションでは重力がある設定だったり100年も経つのに宇宙船が飛ばせたり、基地の機械類がメンテナンスもされてないのに電気もコンピューターも動くのはおかしいのです。実際に核攻撃を受けて放射線障害を受けている人がこういう物語を見たらどう感じるのでしょうか。防護服や核シェルターで生き延びる世界より核廃絶を訴えている人にこれはSFで物語だからと済ませるのはあまりに無神経なのではと感じます。米の場合やはり力で支配する。平和とは力で作り征服してのみ訪れると思っているのでしょうか。そう目くじらたてて見ていてはつまらないのでそんな訳ねえよで済まして見続けていますが、やはりアメリカは核は使われるもので核シェルターは必須で宇宙開発も将来のため、AIも世界を変えるためどんどんやっていくということなのでしょう。余計日本人の心とか真の平和とか力による変更以外の道筋とか考えますね。
またまた焙煎後は冷房の部屋に逃げ込んで珈琲と未来のことを考えます。
今日はまたクィーンスマトラでした。
こんな美味しい珈琲が飲める幸せと冷房の部屋で楽しめる環境が続けられるようにしないとだとつくづく思います。
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近未来と近過去

2024年09月04日 11時16分15秒 | 珈琲
川村記念美術館の休止閉館のニュースに私のこのブログに美術館にいった感想があったかと探してみましたがありませんでした。
そんなに昔のことだったのか不思議な思いにかられました。
読書の記録から15年から10年前辺りに見ているはずなのに記録にありません。
バブル期に日本は世界中のお宝を買い漁り現代美術から印象派まで多くの美術品が集まったのですがそれは文化財として人々に美術館などに展示するという目的より手っ取り早く金儲けする投機的な投資として集められた側面が強くバブルが弾けると人知れず売買され倉庫から倉庫へと変遷し、中にはずっと倉庫で競売ができるまで人知れずしまわれたままなんて運命のものも多かったのです。
しかし、21世紀になり落ち着くと日本で見られる世界のお宝と銘打った雑誌やムックなどが現れ美術館がブームになり新しい美術館が話題になったり企画も斬新で多くの名画が世界中から集まって見納めみたいな企画がされたりと美術展事自体もイベント化、大型化しました。
もとより秋になると上野の美術館群を巡っては谷根千を散策していた私は段々美術館の行列に辟易として人の行かない所へ足を向けるようになりました。
そんな行動が川村美術館の休止に現れたのかなんて気もするのですが、問題はそんな簡単な図式でもないようです。
元々企業が集めた美術品を企業名を冠した美術館で展示するのは企業イメージや社会貢献とか文化継承や社会の根幹をなす重要な行動だとされ都会の一等地や観光地のシンボル的ランドマークになっていたりします。そんな美術館の運営は赤字だとか収益的なことは今まで問題とならないことが多かったのに今回は物言う株主という人達のせいで中止というかたちに追い込まれたようです。
私が思うのは世界で二つしかないロスコールームがなくなったり見られなくなるという損失と簿価の100倍の価値とされる収蔵品がなんらかの意図で狙われ分散されるのだとしたら株など公開しないで運営すべきだったのではと思えてきます。
美術品と経済問題の話しは枚挙に暇がなく、珍しくもないのですがグラスゴーの貧しい町がダリのキリスト像を収蔵したことから世界的人気美術館になったとかボストン市が財政破綻した際、市の美術館の収蔵品を引き続き市民が見られるよう市民が立ち上がり特別募金をして収蔵品散失を避けたとかアートは求められる人と共にあると思えます。
秩父でいうと観光地なのに目玉になるようなアートがないなあとその持てる力とあるもののバランスがないような市民として寂しい限りです。
かつて加藤近代美術館として個人の収蔵品を展示していた中にアンドリュー・ワイエスのヘルガや決闘前夜があったことを知る人はすくないのです。私は秩父でアンドリュー・ワイエスが見られるのは市民の誇りと感じていたのですが同じ思いだった人はすくなかったのかその後その建物は市に買い取られ、相田みつを美術館になり、秩父になんの関わりがと多いにあきれさせられ、その後現在のふるさと館となりお土産屋や蕎麦屋が入るテナント物件になって段々価値が下がっている印象なのです。
これは市にグランドデザインがなく新しくできた市庁舎も全く秩父らしさを感じられないなど根底的なミスがあるのです。
私は絹織物や地場産業にこだわりがあるわけでもかかわる有名人に頼ったりするのでなく根底の精神を確認し何を残し何を引き継いでいくかのコンセンサスがまず必要で何をすれば発展するかなど目先の利益や交付金ばかりを追わず、しっかりとしたグランドデザインと高い目標を掲げ統一感のある文化的都市とすることを希望します。
そうしたときに秩父の珈琲文化も十分グラウンドデザインの一翼を担う資質を持つものと思います。
秩父は古くから路地の町であり、猫のいる町でした。それは織物の町の特長でもあります。ガチャガチャとうるさいので商談は喫茶店で行われました。だから個性的でしっとり落ち着ける店が多いのです。その多くは自家焙煎と珈琲にもこだわりがありチェーン店にない味の個性もあるのです。
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復活の日

2024年09月02日 12時19分17秒 | 珈琲
最近のドラマや映画というと核戦争や未知のウィルスによって文明が消失しゾンビと生き残りをかけて戦う人類といったドラマが多いのです。
その一番最初の文明が終わりを告げる物語としては『渚にて』というSFだったと思います。
これは冷戦が進み米とソ連のもつ核弾頭ミサイルだけで人類を何回も消滅させる量の核兵器を突きつけ合う状況ということで世界を憂いた科学者は世界終末時計というのを作り抗議しました。そんな危機を受け多くの文明消滅の物語が作られました。
日本の物語では『復活の日』というSFが大ヒットして映画も作られました。
この頃は世の中的ヒットが起こる時代で全ての国民が熱狂して映画にも大行列で入れ換え制で並んでみた想い出があります。
映画の指定席件を買うのも大変でした。
もちろん私も映画も原作も読んでたいへん楽しんだ記憶があります。
その頃のお話の特長としては核戦争が起きても南極とかオーストラリアには人類が生き残りまた文明をやり直すというものでした。
しかし、その後の同系列物語ではターミネーターの未来の機械と人類の戦いだったり、ウィルスにより文明消失とゾンビとの戦いに変化してきました。
ゾンビ映画は世界各国で作られ文明や国家や政府といったものがなくなるなか力だけで対抗するサバイバルゲームが物語のもとになって最近では発達したAIが人類より賢くなり人類が地球環境に一番悪影響であるという結論に達し人類の排除に至るといったものになりました。
実際に温暖化で災害が増え、それにコロナウイルスのパンデミックを経験してきて危機としては近未来の不安を抱えるなか現実味をもってそれらの物語を見ているのではないでしょうか。
現実にロシアやイスラエルといった各核兵器の使用をほのめかす国の戦争が起きている現代。もし核を使用し第三次世界大戦になれば文明や国家消失といった現実味は増します。
そんな危機をあおるような物語ばかりですが、人類の叡知で戦争を回避したとか温暖化を克服したといった物語は作られないのです。
それは多くの人の関心を得る、気を引く物語を作るという商業意識が文明消失後の生き残りという話を供給させるのでしょう。
そうすると私のなかでは『復活の日』の物語と人類の希望の話が懐かしく思えるのでした。しかし、どんな話かは直ぐ思い出したものの題名とか主演が、最初阿部寛だとばかり思っていたら草刈正雄だったりあれだけ強烈な体験をしたのにその後のターミネーターやらバイオハザードだとかを経てみると温暖化で地震や台風、干魃に山火事とすさまじい環境の変化を経験したわけで、それでも先進国は豊かさを今までになく享受し、世界の人口は81億に達したといいます。
内訳を見ると豊かな国や人権が保証されている国ばかりでなく貧しく貧富の差が激しい国も上位を占めています。
そんな中日本は防衛費を大幅に増やし危機管理ができるよう憲法を改正し法整備をするといいます。世界の方向と行動が一致しているのでしょうか。
さらにロシアやイスラエルの戦争に争いを止め武力行使や力による変更以外の道をとることの大切さを示し、武器供給をやめ自衛権の放棄に向けてできることを探るべきではないでしょうか。
この間の長崎市長に書簡を寄越して慰霊祭を政治利用するなという行動に是非とも政府は先進国のリーダーとしての発言をすべきだったのではないでしょうか。
少なくともウクライナへの武器供与やイスラエルの支持ではないはず。
そんな他の国や大きな話と鼻白む人もいるかと思いますが、人の人権とか自分達の安心安全とか常日頃からしっかりとした知見を持たないと世の中の変化に対応できないのです。
現在身の回りには添加物まみれの食品が溢れていたり味の解らない人が増えて新しくできる店も健康や無添加食品にこだわるというよりインスタ映えや手っ取り早い支持の店だらけなのです。そういったことに危機感を持つべきです。珈琲でいうと当店の常連さんが新しくできた店に行きコーヒーを飲むと胸焼けがして気持ち悪くなったという悲惨なことになります。誠に生き難い世の中なってきたわけですが『復活の日』のように希望の見える物語が増えるよう願わずにはおれません。
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真新しい照明に

2024年09月01日 11時38分12秒 | 珈琲
のろのろ台風10号はもろもろの予定やらイベントやらも吹き飛ばし、町内会の防災イベントさえ中止となりました。
長い夏休みが終わりこの9月の初日が日曜なんてなんとついてるんだろうと小・中学校の頃なら思ったはず。
しかし、秩父の今年の小・中学校は8月30日からやっていたようで残念としかいえないような…。
徳島にいた台風はそのまま南下して海に出て、陸地には上がらす今は愛知の下辺りだそうでなんとまた北上して上陸しそうなんだとか。
この台風は鹿児島のはるか下にあるときから1000キロもはなれた蒲郡に大雨を降らせたりのろのろで広範囲に影響を及ぼしているのです。
土曜日のバスケットの練習は二週間ぶりにいつもの農工体育館で行われ照明が新しくなった下、初の練習となりました。
新しい照明は水銀灯からLEDになり昼間の光と同じ白日光でスッキリ明るく見えます。
白日のもとにさらされるといいますがなにも隠し事などないし滲みとか影とかがでなくてとてもいい感じ。
スッキリと爽やかなイメージは今月のブレンド『林檎』でも大切なメッセージとして今月の味のテーマです。
また、このブレンドで感じていただきたいのは香りの特徴です。フルーツ香というと皆さん違うイメージを持つと思いますが、林檎が昔木箱に詰められて送られてきたとき、その箱を開けると林檎のいい香りがしました。その香りこそ珈琲の持つ香りと同じなのです。
豆を焼いていると様々な匂いが出ますが、概ね一般の人がイメージするのは炭のはぜるようなスモークされた香りで炭火焙煎などというとその炭の火の香りが豆に移っているイメージを持つようです。熱源として炭を使うのは遠赤外線効果であり、スモーク臭や炭の香ばしい香りをイメージするようですが世の中炭火で焼き上げた魚だとか焼き鳥だとかの味を知らずイメージ先行でそれも誤った情報を信じてしまいもはや誰もたださないような炭火のマジックで世の中味についてはかなり貧困な人が多いのが解ります。
コーヒー豆屋でも薪で焙煎したり炭で焙煎を売りにはじめる人はその必然を知らない人がほとんどで今のキャンプブームと同じでイメージ先行で勝手に踊らされているだけの消費者が多いのです。
先日オープンしたコーヒー屋さんもコーヒー鑑定士のいる店だそうですがその鑑定士が何を鑑定しているのか気にしている人はいません。私はあなたは何を鑑定してるのですかと行ったら聞いてしまいそうです。抽出液の鑑定なのか生の豆の鑑定なのか。いくら鑑定士がいても味の判定はあなた自身がしなけりゃ行けないのは同じで人が鑑定したあとだからと丸投げで安心のわけがありません。となると端から全く鑑定士の存在に意味があるのでしょうか。
世の中ちょっと考えれば解ることが考えない、自分で判断しないで騙されることを容認する人が多いのです。その上政府や国はそんな国民にたいして安全安心を与えるとがんじがらめの規制を施しガラパゴス市場などという特殊な世界になっているのです。
食品業界でいえば飲食業とか一番個人や小規模の事業者が多い業界で日本の国の規制は大手企業に有利と思われるような規制がされています。食品添加物がこれ程多く認可される先進国はなく、有機農法に使っていい農薬が年々増える国もありません。食中毒を止めるため生魚など一度冷凍庫に入れ1ヶ月以上たったものでなければダメだとか添加物でいつまでも色が変わらなかったり腐らない食品を優遇するような大手企業優先規制で昔ながらの無添加で無農薬の安心安全な食品より添加物まみれでそれをちゃんと表示することで認可された添加物使用の安全性を担保していると添加物推奨な立場をはっきりと講習会などで聞くこととなります。
消費者が無知なのをいいことに誤ったことがなされているのは毎度のことですが何故とか長年の変化のわけを知ろうとしない人々に一番原因があるのかもしれません。
環境が大事だ自然が大事たと騒ぎキャンプとかグランビングが流行る世の中でさも環境に配慮し自然を堪能してる風潮ですが自然公園で焚き火する人や川原でバーベキューする人が増えキャンプ場では火もおこせない人が一酸化炭素中毒や斧や鉈で怪我して緊急搬送される例があとをたたずです。
これも格差が広がった現れかもしれません。
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夏の終わりに

2024年08月31日 11時28分18秒 | 珈琲
のろのろ台風は今四国徳島辺りだとか。
しかし、四国の降水量より関東の方が多く、昨日夜には西武秩父線は止まってたといいます。
今日も東京大阪間の新幹線は運休。
これはお盆の頃からこんな感じでもう二週に渡って連続台風に蹂躙されているのです。
とはいえスーパーに行けば普通に刺身から野菜から果物まで買えるわけで何ら支障もありません。
ただ米はまだ戻っていません。
普通の商店も台風を理由に休んでいるところはなく市民生活は至って平穏です。
しかし、テレビには濁流で溢れる川や水没している車の映像やら剥がれた屋根瓦などが写されます。
とてもバタバタしていて静かに行く夏を振り替える感じでなく、まさにまだ水かさを増していく濁流の川面を見るような思いで月末特有の空気のなか溢れる業務をたんたんとこなしています。
夏梅雨明けから畑で倒れてなくなっている老人のニュースが連日あり、今では川を見に行ってなくなるいつものニュース。ニュースに取り上げられない人の死は毎日あるわけですから台風や暑さで亡くなったとわざわざニュースで騒ぐ必要もないわけです。誰のせいでもありゃしないのです。
他にもっと重要なことやはっきりさせてもらいたいことがあるのにそんなことはお構いなしで目の前の当たり前のことを騒ぐというのは子供以下の所作です。
さて、そんな中来年度の予算が出てきて防衛費だとか巨額な予算が組まれていますがその根拠や本当に必要なのかというのは毎回うやむやで検証とか支出の適正など至って疑問で決まったら使い切れみたいなことが毎年行われています。新聞を読まない人とか選挙に行かない人とかそれらを助長していることに気づかずやりたい放題なのです。まずは疑問に思うことから辺りに訴えて共感してということで波が次第に強くなり生活改善もそこからということではないでしょうか。
さて、こんな暑くてあたふたした朝ですが、やはり息継ぎには珈琲でリラックスとなりここのところはイルガチェフハルスケを飲んでいます。
またブレンドの製作もあり午後には出来上がりを確かめたりびっちりと予定はあるもののどうにかしたいという欲求もずっとありなにも考えずボケッとした時間もまだ持てません。
とりわけとなりの空き地の草のジャングルをスッキリ刈ってやりたいという欲求も日に日に増しており、あまり穏やかに珈琲も飲めていないのでした。

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のろのろ台風に

2024年08月30日 11時31分30秒 | 珈琲

28日に鹿児島に上陸した台風10号は一日かけて九州を北上、昨日の夜大分にいて今後北西に進むと見られます。
そんな昨日のニュースを聞いてさていつも通り夜の8時に走りに行こうと玄関を出ると駐車場を川のように流れる雨にこれはダメだと走りを中止。
お盆から続く台風の接近でここのところ雷雨の中走るのは当たり前になっていましたが、視界が遮られるような降りでは身の危険があり雨の中走る限度を超えます。
そういえば日曜日のバスケットのOB会の試合でも自転車で出掛けて直ぐ雨が降りだして激しくなりびしょびしょになりました。
どうせ汗で濡れるのだからと構わずそのまま体育館に行き試合しましたが、たまに雨に濡れるのもいいけれど、こう毎度ではたまったものではありません。
相変わらずニュースは被災した地域を繋げて悲惨な危機感を煽ります。知人の料亭女将が店の備えをしたとSNSにあげました。何故か窓を内側からブルーシートでおおっただけ。
やるならコンパネで外から窓を覆わなけりゃ意味ない。昔は魚でもリンゴでも皆木箱できましたから雨戸やドアを飛ばされないよう打ち付ける木には事欠かない状況で台風というとあちこちでとんとんやる音が響きました。
こう連続で災害が続き、防災の日が近づくとテレビでも防災グッズの特集とかテレビ通販もポータブル電源とかをやっています。
東日本大震災の時には計画停電で珈琲を飲もうとしてミルも使えず、お湯も沸かせなかったのを思い出します。今では手回しミルはセラミックのポーレックスはあるし、ガスのカセットコンロや炭とバーベキューコンロ、七輪などが直ぐ出せるようになっています。
昔からお茶道具として湯を沸かすのに鉄の釜が使われましたが、鉄だと水に鉄臭さがつかないか昔から気になっていました。
茶釜は秀吉の純金製のものが有名ですがそれは味を求めてのものではないでしょう。マグカップなどもステンレスの真空二重のものからチタン、スズ、銅と色々あるものの野外で本当に力を発揮するのは何か即答はできません。昔は定番のホーローのマグカップも今ではデザインや質共によく軽く丈夫で長持ちします。
ミルもポーレックス一択だと思いましたが、最近は玉石混淆で全くどれがどうだか判断つきません。USB充電方式のものなど3000円ほどで買えいいように思えます。かと思えばコマンダンテの手回しは40000円以上もし電動のミルっこが買えてしまうものまであるのです。
私にはポーレックスがあり、不満はないのですがコマンダンテの高さの理由など探ってみたい気もします。
茶道具などは昔から趣味の世界で高いものをコレクションするのが当たり前で、茶の湯などでも亭主の茶道具の説明タイムがあります。要は道具自慢でそれをするために茶会を開く人もいます。しかし、肝心の茶はどこどこの茶葉を使用というのは問題になりません。裏千家でも表千家でもひとつの茶屋がブレンドして提供するとなっています。とりわけ淹れ方やら味わいかたに作法があり、均一化して道としてしまったのは誰がやっても同じ味やら境地に至るために編み出されたものと思われますが、最近の急須のないうちが増えてお客や会議にもペットボトルのお茶が供されるようになり茶の心などはもう誰もが省みないものになり珈琲もそうなるのかといった感じです。
それでもチェーン店のコーヒー屋ばかりでなくしぶとく珈琲専門店なる店が存続していて注文を受けて豆を挽き一杯一杯ハンドドリップして出す店はなくならないのです。
これから温暖化で各国の豆をストレートで飲む喫茶店文化も存続できるのか定かではありませんが最近では代替コーヒーの発売も盛んで本物の珈琲を飲み続ける人がどれだけ残るのか不安な将来がこの台風がもたらした環境の変化だといえるでしょう。




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配線とパソコン設定と

2024年08月29日 10時34分10秒 | 珈琲

いつも夜のランニングでは雨と雷がセットで星が出ていて今日は大丈夫と思っていても影森辺りでは空も黒さをましてバシャバシャと降ってきたりまた市内に戻ると丸で雨など痕跡もなく乾いた道路だったりといった具合です。
8月の最後は色々の思い出とともにこの時期ならではのイベントも加わって様々な思いが去来します。
そのバックグランドには夏休みに出される大量の宿題に苦労した思いが今でも消せず背景に残っていることと今の自分と重ねておもうこととか複雑に重なりすんなり処分できない気分です。
こんな時に思うのは昔は友達でも親戚でもなにかにつけしょっちゅう顔を会わせお互いの家に行き来し、なにかと緊急呼び出しとか深夜の訪問も頻繁でした。
なにかとなにか作ったとか取れたとかで最初呼ばれたものが今思い出すものを重ねると家具の移動とか家電の配線とか組み立て家具の組み立てとかパソコンの設定だとかに呼ばれたことで友達とか親戚だから行き来していたというより何らかのレスキューだったり便利屋的なことで行ったり来たりしてたのかと思えてきます。
というのも昔の仲間とバスケットの試合で再会したりしても昔のただ楽しかった頃となにか違う違和感を感じているのです。
そして、新の課題のように襲うもろもろの事件もあり、昔はいつも顔を会わせていた人達が最近はすっかりご無沙汰のことが多いと改めて感じたり。でもこのお盆で同窓会のような会があっても私はそんな暇はないと出席しなかったり、そもそも人と遭おうとしないのは自分の自身の中の問題か。と、思ってみたり所詮用がなければそれでよいとしてみたり、中間決算の前と新の課題と残した夏休みの宿題など山積みの仕事の前に朝の珈琲であれこれ思索にくれるのでした。
今朝の珈琲はエチオピアのイルガチェフです。
エチオピアの珈琲はイエメンの内線やイスラエルの戦争で、紅海の封鎖ともうはいってこないといわれたのですが、何故かどこの商社でもエチオピアの豆はあり、なくなるから買えといわれます。
高すぎて売れなかった豆もイルガイェフは売り込みが多いのです。
しかし、どこの何がというのを知らないとこの安売りの豆を買うにも値段だけでは買えません。
投げ専門で培った情報の積み重ねとやはり自身の舌で味わうという行動で見極めた豆だけを買いこれだけ値上がりの激しい中生き残りに必死に激流を抗い続けている感じです。



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どうせならクリスタルマウンテン

2024年08月24日 11時29分32秒 | 珈琲
連休も過ぎて夏の断末魔のように連日雷雨と局地的大雨があり、台風は連続発生しています。
暑さは相変わらずですが、夜走りに出ると虫の鳴き声は秋の風情です。とはいえ夜になり涼しいとはいえ走っていると猛烈に汗は出て激しく消耗します。空には星が多く出て輝くのに混じり雷の閃光があちこちでおこります。
それでも直接降られるよりどこかで降って涼しい風が吹き込むなら一番快適かもしれません。
ペテリコールと呼ばれる雨の匂いは屡々ドラマや映画にも登場します。しかし、毎日雨の中走る身としては植物由来で心地よいとされる一般論に異を唱えずにはおけません。
但し、この香りを嗅いで近くに雨の存在を察知するのは共通で、ただ心地よいと息をおもいきりすったりするシーンがよくみられそんな感じじゃないだろうとおもってしまいます。すかさず物知り役の人の台詞でペテリコールの紹介があります。
実際には嗅いで親しんだ人の考えたシーンでないのは明確です。
こんな頭だけで作られた物語がおおいなか今みているメジャークライムやthe100は良くできている物語です。
灼熱の焙煎室から解放されたリビングの冷房下でみるドラマ時間が充実してる一方ニュースでみる現実や目指している社会がどんなものか人々は不安をただ書き立てられているだけなのか見極めが必要です。
さて、そんな時に飲む珈琲ですが今あるのはブラジルや深煎りで味のはっきりした豆がおおいなかそれを説明するのですが多くのかたは消化不良を起こし季節のブレンドを選んでみるという感じが多いのか。
それでもそのブレンドを飲んでさらにと再訪される方には美味しいという感じをさらに味わうのだったらやはりこれでしょうとクリスタルマウンテンが私の口に上ります。
多くの豆が値上がりするなかこの豆だけ以前入れたより安いのです。
そしてまたいつ入るかも不明です。できる限り集めましたがこういう状況下無理して売らなくてもという気も確かに湧いたりします。
そんなわけで焼き上がると一番味がよくて値段的にも買いなのはと正直さが現れ直ぐ売れてしまうのでした。



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米不足、水不足

2024年08月21日 09時58分13秒 | 珈琲

今右足に感じている鈍痛は久々のものです。
もともとバスケットやらランニングやらで両方の足の親指の爪がきれいに揃っていることはほとんどないのです。
それが今年に入ってずっときれいに揃っていて、別に気にも止めなくなった頃、朝からお馴染みの親指の痛みを感じています。
内出血して黒くなったり、爪が死んで浮いて白くなったりこれからするのでしょう。
今は赤くなっています。
爪がしばらく死ななかったのはそれだけ激しい運動をしていなかったといえるかもしれません。
バスケットでは主に試合になると無意識に色々なリミッターが外れ普段行わないようなからだの使い方がしばしば現れ爪先を踏まれたりとか激しいスピード変化で爪先に負担がかかったりして爪が死ぬのです。
ランニングではランモードで走ると爪先過重が強まり死にます。
ただ今回はランニングシューズを換えたのが大きな要因です。
そんな痛みを抱えながら朝のモーニングショーなどをみているとよいよネタがなくなってきたのか、年金生活者のレポートをやっています。さらにネタがなくなると迷惑運転とか廃墟ごみ屋敷とか迷惑住人などが定番です。
そんなテレビをみていて思ったのが米不足、水不足問題で昨日買い物をしたとき我が家の米を買おうとしたときにも三件目にしてやっと米を見つけたのでした。同様に水のペットボトルもひと家族1本とか制限があります。
秩父の場合、私は美味しい珈琲を求めて湧き水を汲みに行った経験からポリタンさえあれば何かあっても大丈夫と思えます。
米不足については地域差があって地方には普通に山積みになっているといいます。9月には新米も出回り解消するといわれています。
しかし、現実的に玄米とか雑穀米、カルホルニア米しかないスーパーの棚をみると宮城とか石川とか豊富とされるところまで買いに行くことになるのではと思ったりしました。
しかし、それはよいよのことで今は先月より1000円も高いスーパーの米を買い、知人の米を作っている人やら親戚やらがやがてなにかいってくるでしょう。
等と考えながら朝の珈琲を楽しんでいました。
今日はクィーンショコラです。
今ブラジルサントスをいれると1200円ですからそれよりやすく今なら1100円という値段ですからお得です。
在庫的には、カルモデミナスなどの高級品があり、そういったスペシャリティで勝負していくべきなんでしょうがこんな暑くて非常事態の時こそお手軽品をたくさん供給し家計の負担も減らしたいという意識も働きます。
テレビの年金生活者の様子は皆私より年上の皆さんが少ない年金でいかに生活しているかが流れていて半額商品やら訳ありスィートで生活防衛している姿が30分くらい続きます。そういうのみていると貧乏な国になったなあと感じますがそんな人々しかいないはずはなく豊かな人は多く、スキーに行くといつも顔をみるのは決まった人のような仕事のように通う人だらけで今なら山に行列していたり、観光地にはお年寄りだらけです。だから本当の平均的姿が今みているテレビの貧しい年金生活者のわけがなく報道などいい加減なミスリードにすぎないと思います。
米や水もこの間のお盆の時の南海トラフに注意というラベルをはってニュースを流したり台風情報を連日被害地ばかり繋げて見せたりした結果なのではと思えてきます。
水不足や米不足にに反応しないようテレビのニュースもほどほどにとおもいます。






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巻き返しその三

2024年08月19日 10時15分07秒 | 珈琲
いや、まったく巻き返しなど出来てないのかも知れなくてなんか複雑な朝です。
昨日の朝はなぜかD払いがログインできなくてお昼の買い物やらができなくなって暑さで沸騰する脳内はさらに熱が籠るような状態でうちに帰りすぐに冷却行動をするも次から次に襲うネットトラブルやらカードトラブルに暗澹たる気分にさせられるのでした。
それでも心地よく冷えたリビングのソファという極楽の地でお気に入りのドラマをみて意識がなくなる狭間でたゆたうと脳内の沸点もぬるま湯のように穏やかになっていくのでした。
今朝はまたD払いにアクセスすると何事もなかったようにもとに戻りなんなんだよこいつと一人呟き珈琲をのみいつもの朝になっていたのです。
感じたのは毎日お客様に説明するフルーティーだとかフローラルとかいう簡単なものでなく裏山の小川に流れる水を見つめる自分の気持ちそのもののような味といった風景が現れるも意味や言語化は不可能な世界観です。
しかし、匂いも気持ちもどんどん静かに気持ちが落ち着く情景はまさに今飲んでいる珈琲の世界です。
そして落ち着いてまた心に浮かぶのは一昨日夜のランニングの光景です。
武甲山の上に雲をすかして明るく輝く大きな月があり、ポツポツと降だした雨はバシャバシャと飛沫をあげて辺りを包み雨のカーテンはこれ以上走るなといわんばかりになりました。
それでも空にははっきりと月があり今までなら濡れたついでにそのまま走りとおすのにランペースで走るのが難しくなった今ではこんな雨ではとトイレに逃げ込んでしばらく通りを眺めて雨のなか車に戻る人や傘をさして行き交う人を眺めていたのでした。
結局7、8分そうしていて雨が弱まったのをみてまた影森までは走ろうと走り出したのです。まったくその間雨はやまず歩道は水溜まりに点字ブロックと走りづらく、広くおしゃれに作られたばかりの歩道もそんな感想を持つ人がいることなど知られないんだろうなあと思いつつ影森ベルクで折り返し番場通りを下ってくると雨も弱まりまたポツポツと大粒になり重たく体に当たるのでした。
私が走り通るときには商店街の祭りやイベントは片付け中のまるで他人の振りでいつもの人通りのない通りより白々しいのです。
こんな台風絡みの変な天候も夏の断末魔のようで連日雨に降られていますが昼間は百日紅のはなと夜は白粉花の香りに包まれてぎっちり夏のスケジュールをこなしているようなそんな日々です。
今日飲んだのはクィーンスマトラでした。


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巻き返しそのニ

2024年08月16日 12時03分43秒 | 珈琲
昨日は船玉祭でした。その前の日は5年ぶり開催の秩父音頭祭りでした。
若い頃は祭りだといえば必ず繰り出して意味もなく夜出歩いたものです。
今は祭りは関係なく毎日走りに出ます。
今日はあんどん祭りです。
まあ祭りだからといって何かかわった事があり、どんな展開になるかもう知れてしまい出掛けるまでもないということですが、出掛けるとすれば何らかの郷愁にかられ昔の自分に出会いたいとか懐かしさのあまりということですがまだまだ過去にすがり付く感じでもなく面白味も感じないいいおっさんになったという事実だけで何も未だに祭りだといっては出掛ける人を批判するものでもありません。
でも何でこんなに連日お祭りだらけなのか、それらは何らかの宗教行事がもとです。
ということは何かを嘘と知りつつ信じたい人々の集まりなんでしょう。
そんななかにあって、
日々の珈琲は取り分け切実でそのときの気分に寄り添ってくれる大事な相棒です。
今朝は朝から雨でこれだとさすがの私でも夜走りに行くのは躊躇します。
今朝は嫌気発酵のグアテマラです。
当店の焼き上がりのボードをみて値段も安いし、馴染みのグアテマラという名前からこの豆を選ぶ人は多いのかもしれません。しかし、これはとてもフローラルで華やかな気分に浸れるこんな雨の気が塞ぐような日にはぴったりの豆なのです。
ここのところの夜のランニングは走り出すのもぐったり暑さの籠る家から外の涼しい夜気のなかに出るのですが、なかなかスッキリ元気一杯走り出す感じにはなれず、まして後半のランペースにペースをあげてそのスピードに乗り最後までリズムよくペースを持続して気持ちよく終わるというもくろみ通りにいかずランペースも信号やら歩道の舗装の悪さや対向車のヘッドライトのハイビームやらに気持ちを削がれ段々ペースは落ちてしまい狙った心拍数を維持して終われなかったりします。
今までは走っている時にも脳内物質が出て面白さや楽しい気持ち、心地よさが走り終わっても寝るまで持続したのです。
これは甘いものや美味しいものを食べて幸福感に浸るのと同じでその心地よさから人は肥満になったり精神が不安定になったりすぐハイになる薬に頼ったりするのです。
これにランニングで脳を刺激したりスキーや温泉というご褒美効果が加わったらまた違うことになるのかもしれません。
例えば朝飲んだグアテマラも朝一杯の珈琲の幸せがずっと昼の食事まで続くのです。
そんな珈琲の魅力と走ることの魅力を知る珈琲の世界の展開に興味を抱いて遠くからも今日も雨にもかかわらずご来店いただいてありがたいなあとしみじみと珈琲の余韻と共に感じて雨を見つめるのでした。
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