King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ハローウィンに

2018年10月30日 11時57分20秒 | 日々のこと

クリスマスに盆踊りにとかく日本人は全く宗教観もなく

他所の習慣を何の抵抗もなくとりいれてきました。

感謝祭にハローウィンと続く秋の祭りも何の背景に忖度すること

なく日本でも騒ぐことになっています。

ハローウィンは英語を習うときにその背景とか決まり文句などを練習させ

られたりしました。子供が菓子をもらう祭りとだから知っている人もいますが、

その後、商店街などがイベントとして根付かせようと努力していろいろな販促

活動をしてきましたが、それよりも大人が夜繁華街に出て騒ぐことが定着して

しまい肝心の商売は逆に迷惑行為やゴミばかりが増え早じまいする店も出て

きました。

 

根付いたデフレマインドと縮こまったものを開放したいという抑圧された若い

人の爆発と発散の場となってしまったという社会現象に解決には簡単な規制や

条例なんかではできないものを感じます。

 

これと同様に今国会で審議される外国人労働者の受け入れ増加が四月からされるという

法案なども移民政策の転換だと早くも野党が噛みついていますが、いかにも唐突に

安い労働人口を海外から安易に導入し、人手不足に対応しようという簡単な考えの

下にその場しのぎでいい加減な考えが見えてきます。

 

今でも厳しく外国労働者を規制しているにもかかわらず、周りには外国人が増えていて

かつて定期的にフィリピン人のダンサーが商業ビザで入国してフィリピンパブが流行る

という時期がありましたが、その後フィリピンでそのビザを廃止して新たなホステスと

して働く人がいないはずなのになぜか秩父にはフィリピンパブがいまだにあります。

 

熊谷ではペルー人の連続殺人事件が記憶に新しく、やはり治安の不安はぬぐえません。

 

今回の改正もただ安い労働力のためのという首相の答弁に誰のためにとかどう国を動かすかと

いう視点より誰の言うことを聞いているということがうかがわれるだけです。

本当に解決すべきことだとかただすべきことより間に合わせにとりあえずやっておく程度の

ことが毎度出てきます。憲法改正もかつて戦後レジュームの脱却を架がげ見事にこけた過去

の経験から実際にアメリカに占領されている状況を脱却するのは無理だからとりあえず誰も

できなかった憲法に手を付けて無念を晴らすというようなものしか感じません。

 

そういうのを国民も感じて何かあると街に出て発散するという習慣ができてしまったのではと

感じるハローウィンに感じることでした。

 

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月末に思うガヨの楽しみ

2018年10月29日 12時23分42秒 | 珈琲

今日は久しぶりの秋晴れでした。

のんびり洗車でもしてお昼に美味しいランチでもと過ごせればよいのに

今月は綱渡り的な資金繰りを経て怒涛の月末で、無謀にもまた新豆の手当ても

してととかく資金需要の強まる年末にこのままなだれ込むのかとやたらと業務

ばかりが過熱する今日この頃です。

 

そんな気持を解すかのように昼に飲む珈琲はいつものブラジルではなく贅沢にも

ガヨマウンテンです。

インドネシアの豆にはとかくと希少種やら高級品が多く、高い豆はばかのように

皆高く、高級志向の人の心をくすぐります。

それでもおいしいなら良いですが、中には高いだけとか希少なだけというものも

あり、有名だからと買っているだけな人はいいですが、少しでも良い味の物を

追い求め真の高級品とはと日々心を砕く者にとってはなかなか手ごわいのがこの

地域です。

 

まず、インドネシアといえばマンデリンですが、そのマンデリンの味の神髄と

さらに高級品になればどう変化するのかという段階とさらにその各地にある

高級希少種の味わい分けをしている人は非常に少ないのです。

 

さらにマンデリンの味わいも極めていない上に、自分はマンデリンしか飲まないとのたまう人も

います。

 

そんな人に当店のマンデリンを味わってもらうと非常にびっくりするのですが、さらに

この夏から秋、そして晩秋にマンデリンを味わう上で必要なことも知りません。

まあなんにかかわらず、季節の変わり目にその刹那を味わうことの意義とかぎりぎりのところを

味わう楽しさとか食の魅力が季節感と一言に言ってもそう簡単なものではないのです。

 

勘違いした人がやたら紅葉やら枝物で飾った弁当折などを喜びますが、その起源とか

由来、味の変遷まで知らずに今ならマツタケとバカのようにマツタケ入りの割烹料理に

大枚をはたいたり、解りもしないのに秋になれば歌舞伎など見て高い仕出しの弁当など

食べたがります。

 

当店に通う人はマンデリンの焼き加減がどう変化したまで理解して、季節を感じまた

味わえたと喜ぶ人もいれば、季節のブレンドにいつも秋の深まりを感じるなどいつも

喜んでいただき理解いただいたことに私もうれしさが通う日々なのです。

 

そんな季節を感じる中でも、晴れの日に飲むという意義もとっておきの豆もあると

いうことでガヨマウンテンなどはまさにいつ飲んでも晴れの日の味であり、人生の喜び

を味わせてくれる味に違いありません。

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フクロウの啼くランニング道

2018年10月28日 23時54分55秒 | ジョギング

あのわずかな歩道に飛び出たマンホールの縁に躓き

転倒したいつものランニング道を次の日走り、どこで

躓いたのかそんな危険なものはどこか特定しようと

気を付けて通ってもこのマンホールだというのがよく

解りません。

 

それにそう下ばかりよく注意していると転ぶこともなく、

またいつしか忘れて何かを考えながら走るとかつんと引っかかって

しまうのでしょう。

 

昨日はそんな自宅からのランニング道から離れ、ミューズパークを

走りました。

 

まとめてしっかり走ることだけに集中したい時には車の走らない道を

走ることは意義があります。

 

それに気が付いたことに最近日暮れから夜にかけて走るために交通量の

多い道は排気ガスによる息苦しさがあり、車の通らない道を走る快適さは

確保しなければならない重要な点であるという気もします。

 

かといって車を使ってこのミューズパークに来るというのは震災の時に

大きく疑問というか、意義を考え、自宅からの走り出しということに

至った経緯があり、贅沢行為ということで自ら決別したにもかかわらず

未だにたまには気分転換と快適な走ることだけに集中できるところで

走るという事で出かけます。

 

日が落ちると全く照明がない部分のあるサイクリング道は危険でもはや

走ることができません。もっぱらスカイロードと呼ばれるローデン敷き

の道を行きます。これは普通のアスファルトやサイクリングロードと違い

コンクリートの上にタイル敷きのようなもので滑る上に固いという走り

やすいものではありません。

 

結構アップダウンもあり、真っ暗になるとこの坂道は壁のように真っ黒な

板のように行く手に立ちはだかるように見えます。

昨日は雲が多いのにもかかわらず、天体望遠鏡を設置しているグループなどいて

夜でも人が多くいました。走ってすれ違ったのは三人程度で散歩の犬を連れたひとりの女の人も

いました。こういう人を見るとこんな暗い道も安全なのかとこちらが不安になります。

かつてここには痴漢注意という看板があちこちに立っていたことがありました。

 

ネットの掲示板などでよく夜走る人が警察に職務質問されるという話題がありますが、

私の場合田舎のせいか警官に敬礼されることはあっても止められて職務質問はありません。

これは顔や家まで知られているからもはや質問に及ばないという事でしょう。

 

商売をしているので、近所の交番から郵便局まで当店の顧客はいますから今更走っている

というのもご近所にはしられていることではあります。

 

斯様に目に映る事象というのは二三度目にすると新鮮味と面白みにもかけ人の口に

登ることもなくなります。ところが目にしていたり、耳にしても意外としらないことも

多いのです。

 

例えばここのところの野生生物の動向も夜出歩かなければつい目と鼻の先まで

鹿が出てくることもタヌキやネズミが夜走り回ることも知らないでしょう。

夕方に蝙蝠が飛んでいることも知らないでしょう。当店のすぐ近くに鷹が巣を

作り、毎日カラスと追いかけっこをしていましたが、最近鷹が引っ越しをした

らしく姿を見ません。野生生物は結構身近に生活していると気が付いていましたが、

それでも夜聞くフクロウの鳴き声はまた格別なものがあります。

 

秩父神社の森に住んでいると昔から言われていますが、この鳴き声を聞いた人は

少ないのではないかと思います。これは酔客もいなくなり人が寝静まったころに

鳴き出すからです。ところが、昨日のランニングの一往復目にこのフクロウの鳴き声は

盛んに呼び合うような大きな声が山の尾根の上で響きました。一方で秋の虫の合唱が

あり、実に味わいの深いのがこのランニング道の魅力です。夏などは口に虫が飛び込んで

来たりよいことばかりでもありませんが、自然を肌に感じて走るというのは実に楽しいもの

です。これからは星がよく見え星空を進んでいくような気分になることもあり、なんとも幻想

的な雰囲気や夜霧の暖かい中を行く時もあり、季節季節を正に肌に感じることができます。

旅ランが流行るこの頃。夜のランニングをしに出掛けてみませんか。

 

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『ハイドシェック』と緩やかな坂道の陥穽

2018年10月26日 12時18分32秒 | 日々のこと

昨日また衝動的に『ハイドシェック』のCDをかってしまいました。

ヴェートーベンのピアノソナタのCDはいくつも持っていてなかでも

『ヴェデルニコフ』はお気に入りでいつも聞いています。

それなのに魔界のヴァイオリニストを激賞していた宇野功芳氏の評を

みたらこれは聞かなくてはというなんともミーハー的な行動で求めました。

聞いたら全身汗まみれになるほどの衝撃とかこのテンペストを聞いて

まだテンペストを弾く人がいるだろうかとまで言わしめた演奏とは

どうしても気になってしまったというわけです。

 

ルービンシュタイン、ケンプ、バックハウスと有名どころや名盤と

言われればずっと買い集め聞き続けてきたのに次元が違うといわれると

やはり興味が湧いてしまいます。

 

いくら巨匠だとか美辞麗句で飾られようとも好き嫌いはあるので名盤と

評論家が言っても気に入らないことはあります。

ただ、巨匠に囲まれて過ごすのも悪くはないでしょう。

 

さて、昨日の夜のランニングでの事件を書いておきましょう。

 

秩父は河岸段丘の地形で南から北に荒川が流れその両脇に段々の

平地がある地形です。それが夜のランニングをしているとよく実感

できます。

コース取りによってはアップダウンの激しい苦しいランニングを強いられ

ます。

とすれば、一番その影響を受けないためにはどうしたらいいか。

川に沿って南北に走ることになります。我が家からだと私道から出たら

その道をひたすら影森方面にまっすぐ走ればよいのです。ただし、

若いころにはこのコースはなんとも思わなかったのに、最近はこの坂道

ともいえない僅かな斜度のあるこののぼり道が気になり、気分の乗らない

日には走るのがつらくなり引き返してしまうこともありました。

 

南に行くと川に沿って走っても登り坂なので、かといって北に行くと

国道を走ることになり、これはまた走りづらい道です。あまりに気分の

乗らない下りスタートがしたい時には時にこの国道からウニクスから一本

線路寄りの道に入り大野原まで走り秩父橋を渡るコースもあるにはありますが、

秩父橋から先がずっと今度は登りが続いて自宅まで登り続けることになります。

 

というわけで最近は自宅から市役所を突っ切り団子坂から13番にぶち当たり、

そこから影森に向かうというコースをとります。これもキヤノン前の大きい通りを

通るのですが、この道も影森駅まで緩やかな坂ともいえない坂なのです。

まんてんの信号で折り返してキヤノンに引き返し、金仙寺秩父病院と一回りしてまんてんの信号に

戻り影森駅に行き、線路を越えて突き当りを左折したら自宅に一本道になり、これで

丁度10Kです。

 

さて、問題はこのキヤノン前の大きな通りは歩道があり、キヤノン側はまず舗装が平坦で

走りやすいのですがベルク側の歩道は凸凹があちこちにあり、街灯もなく危険なのです。

昨日三度目の転倒をしました。いつもマンホールの淵に足先が当たり転ぶのです。その

マンホールの周りは掘れていてマンホールの淵が行く手を阻むとは思いもせずいきなり

かつんと当たり見事に転ぶのです。

 

私だけでなく他の人が歩いていてもここでは転ぶ人が多く、そこだけ暗くていきなり現れる

ギャップに対応できないのです。転んだあとの数日は警戒しているので大丈夫ですが、走りに

集中したり何か考えていたり、前の歩行者や後ろの自転車の接近など何か他に気をやるといきなり現れた

マンホールにやられるのです。でも流石に三度は多いのではと思います。今まではいくら暗くても

直線では転倒したことはなく直角カーブだったり、雨に濡れた路肩の側溝のふただったり、

足を払われるように転ぶことをあってもただのまっすぐな道で三度も転んでしまうというのは

納得のいかないことです。いややはりこれは市長にメールして道を直すよう言うべきなのか。

今市内のあちこちで水道管の入れ替え工事がなされており、舗装はあちこちで凸凹なのですが、

私のように転んでもケガもしなければ一時痛いだけですが、年寄りなどは一度でも転べば寝たきり

という事もあり得、一番の交通弱者でそういう人の安全があまりにないがしろにされているのではと

考えるのでした。

 

 

 

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つかの間に飲むブラジルに

2018年10月23日 12時23分43秒 | 珈琲

慌しく午前中の仕事をこなし、突然の訪問の地域役員の

仕事も済ませ、何かと大変な月末処理も控えますますと

忙しさの増す年末となだれ込もうとしています。その前に

草津の湯につかりに行くべく計画したのですが、またまた

家族のスケジュールが合わずぎくしゃくとしました。

 

しばらく仕事に専念する中まるきり休暇も外に出ることも

なかった梅雨から夏でしたが、秋の豊島交流から都内やら

出かけることも増え、コンサートやらライブなどの文化的な

催しにも美術展にも行くなどと引きこもりから脱出したかの

ような秋ですが、そろそろ膝痛とかたまった疲れをいやすため

温泉に行きたいという気持ちも日に日に強くなっています。

 

これは今朝の今にも降りそうな天気と冷え込む天候に温まり

たいという欲求もかさなり、つい先日には薄着で出歩けたのも

今では上着がないといけないという季節の急な変化もあり、秋の

うら寂しい感じが余計そんな気にさせます。

 

そんなひきこもりに逆戻りしようとする気持ちとは逆に観光シーズンの

秩父に各地はイベントなどでにぎやかでそれに使う豆の引き合いも

増えています。私自身はもうイベントの参加や出店をやめてしまい

お断りしているのですが、豆の協力や注文は相変わらず増えています。

技術的協力もするのですが、基本的なことができない人が多く、まず

そこからかという人も多数います。

 

なぜかイベントで珈琲を提供したいというのはよいのですが、

そのコンセプトやどんなものを出してどうしたいのかはない人が

多く、ただ珈琲くらい出したいというくらいの考えでまず豆をと

動くらしいのです。高校生の文化祭ですらもうちょっと計画的で

実際的なのに対して何事も夢のような思いが先に立つ人が意外と

多いのです。

 

例えばキャパ50人の集まりに一遍に50人分の珈琲を提供するには

どうしたらよいかという事を考えずに豆を買えばそれもついてくると

安易に考えるのはどういう思考なのでしょう。私に言えばどうにかして

くれるという事なのでしょうが、それならそれでまた話は別なのです。

 

イベントに来る人達にふるまい的に一遍に50杯提供するのか、注文を

受け一杯づつ出すのかという事すら考えずに来る人もいます。

私は色々なイベントを経験していますので、ひとりで200杯の珈琲を

提供したこともあるし、コンビニコーヒー的な安くてうまいという要求から

スペシャルティグレードでネルドリップで淹れる団体向けまで様々な

注文に対応しそれにこたえられる機器とノウハウも提供できます。

 

しかし、夢の中のような人には付き合いきれず、いままではおせっかいにも

それでは供給できないでしょうからと機材と私の参加もあったのですが、

あまりに安易な人が増えそこまでは付き合いきれないという事になって今に

至ります。豆を1k買ってイベントで出すと聞いてもそれ以上深入りしません。

 

以前映画会に100杯分の注文があり、その程度なら私がいなくても可能と

提供のノウハウと機材と豆の用意を整えたのに突如キャンセルされたりと

イベンターの身勝手さは年々ひどくなりそういった人たちと間を置くのも

致し方ないと結論付けました。

 

喫茶店の出前と同様に考えている人たちに珈琲の味など忖度することもなく

驚くことに自分たちでインスタントのコーヒーを提供して金をとるのも同じことと

思っている人がいるのにもはや開いた口も塞がらないという事になったのです。

 

それにしても自分たちのイベントに美味しい珈琲が必要だからと注文され

ないというのも寂しいことで、距離の置き方も考えなくてはならないのかも

しれません。そんなイベントが先日ありました。

その後、どうなったか詳しい経過は徐々に入り次第お伝えできるかと思います。

珈琲の味を仕掛けるイベントとして今後新しいアプローチとして定着するかも

しれません。

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斑な地図から魔界へ

2018年10月22日 09時26分31秒 | 珈琲

今年の秋は特に深く濃く感じるこの頃。雨がぱらつき

ちっともさわやかな秋晴れとならずに雨が降る度、寒さが

増し、浅間山の初冠雪もありました。今朝はさむざむとした

晴れた朝です。

 

一昨日からのこの週末は本当に目まぐるしく色々なことがあり、

正に夢の中の出来事だったのではと思える目覚めの朝の感じです。

土曜日にはプライベート感覚な少人数のコンサートに招待され

今思い出してもニンマリしてしまうようなもしかして人生の

ランドマーク的体験だったのではと考えてしまう体験でした。

お誘いのメールでさっそく共演者のヴァイオニストを調べてみると

出しているCDが魔界のヴァイオリンという事でなんとも際物的な

怪しげな雰囲気がプンプンとしていてこれはどうなんだろうとあまり

期待していませんでした。というのもヴァイオリニストというとすぐ

枕詞に超絶技巧と付くほど曲芸的なものとしてソリストは人気と雰囲気を

持つ人が多く、人生をかけてバッハの無伴奏ソナタとパルティータを

弾き続ける人など風貌と個性は皆際立っています。それに対して魔界とは

と鼻白んで出かけたのですが、実際に聞いたものは実にびっくりでした。

この世のものとは思えないという表現は魔界に通じるもので人生をRPG的に

みると重要なアイテムを手に入れた瞬間だったのでは感じました。この感動から

すぐネットで宇和島でのライブ盤を手に入れました。これは私の好きなチャイコフスキー

のヴァイオリン協奏曲だったからです。

 

一夜明け日曜はバスケットの試合で秋リーグが始まりいつものメンバーが

集まりました。高校の体育館に集合時間に行くと四チームで二試合とこじんまり

した試合となりました。ここのところ続いている膝痛の関係で今まで無意識で

体が思うままに勝手に動いていたものに任せてプレーしていたものが色々と考えて

やらないと得点にもつながらず、自分が今何をなすべきかより明確に見えてきた

ような試合でした。

 

バスケットの試合もプレーを通しての対話のようでもあり、年齢も運動経験も

様々な人が同じプレーを通して結びついて何年も地域で交流しているという

あらためて思うのは不思議な時間だと感じるのでした。

 

週末に訪れたお客様はまた新しい秩父の発見などやグルメ情報などを

寄せてくれました。こういう情報はまた検証するという行動に結びつき

大概はがっかりすることの方が多いのですが、それでも新しいものが

生まれているという発見もあり楽しい行動です。

 

そんな週末を経て昨日届いたCD宇和島ライブ盤を聞いたところなんと

がっかりしたことか。

妙にオーケストラは間延びしたような演奏をしており、全体の鳴りも

感動的でドラマチックな曲を再生出来てない印象です。

いつも聞いているCDのベルリン交響楽団とカラヤンと比べるとあれ

と残念な印象が残りました。

 

濃厚な週末の体験はやはり夢だったのかというような魔界体験となりました。

 

こんな経験も長年経験するプレー感覚も共に私が焼く豆に集約され

味の蓄積につながっているのではといつも思います。

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斑な地図

2018年10月19日 09時30分03秒 | 珈琲

この秋に感じることは目に見えぬものを感じることです。

 

毎年のように繰り返す恵みの秋に秋ならではの味覚とあちこちからの

戴き物とか秋しか売り出されないものとかを手にする度にいつもは

この季節を愛で大いなる自然とか大いなる存在とかに思いが至るのですが、

とかく人はそんな思いにつけ入り利用し利用されてきたことの方が多い

のです。

 

若い時には春に種を蒔き、勝手に実がなることに当たり前すぎてありがたい

とか人の苦労などに思いが至ることもなく、庭の木でさえ秋になれば実をつける

のをみてごく当然の生業であり、落ち葉に涙するなんて話などまるで理解

できなかったものです。

 

しかしながら、私は家庭でコメはお百姓さんが八十八の手間をかけ作られた

のだから一粒なりとも粗末にしてはならないと食事の度に言われて育ったので

今ではテレビで普通の人でも食事の時に帽子をかぶったまま食事する光景など

流れるととても見てられない気分になります。

 

いずれにしろ時を経て今思うのは自分の前に現れるものは食品に限らず

誰かしらの汗や苦労がなければ起こりえないことであることを実感するのです。

 

例えばあのザクロ事件も行動としてはいつもの昔を懐かしんでとる行動が皆

その思い出さえも壊す惨憺たる結果になると知りつつそれでもやはりその思い出により

行動してしまう。しかし、今毎日そのザクロの木の前を通るとザクロの枝を見る度

今年はやったなという達成感のような満足感がじわじわと湧くのです。

あのひどい経験も決して感動も味に満足も感じてないのに、やったことに満足する

それも毎日俺はやったんだと今年はという肯定感までも湧いています。なんと不思議な

できごとです。

 

アメリカで出版された『騎士団長殺し』は評判が悪いとニュースにでていました。

これは書評の紹介だったので、実際の売れ行きとか読者の声でないので解りませんが

米でもあの物語を理解し楽しんでいる人がいるというのは素晴らしいことです。

ただ、ニュースというのは正確に事実を伝えてもらいたいもので、何かをどこかに

導こうとするニュースが最近多いのは気にかかるところです。そのひとつにジュリーの

ドタキャン騒ぎがあります。

 

昨日報道されたさいたまアリーナの公演を突如当日にキャンセルしたというもので、

その後、本人の会見などの模様が伝わり今日のワイドショーはさぞかしにぎやかに

この問題を取り上げるだろうと思いみてみると意外の外騒ぎになっていません。

というのは当のファンの人達がまるで騒いでないばかりかネットでも騒然とするのは

外野の人たちだけでファンの人達は超然とした態度はまさにファンだからこんな仕打ちに

納得いかないと騒ぐはずもないのだと改めて思い至りました。それにワイドショーも

全ての局が取り上げるだろうと思われたのにテレビ朝日などは一切触れずサウジの記者が行方

不明になった事件を延々とやっていました。

 

忌野清志郎亡き後私にはファンとして楽しめるアーチストがなく、かつてチケットを手に入れ

るまでの苦労や手にした喜びやコンサートまでのワクワクとして待つ気持ちとかその対象が

ある人とない人の人生の楽しみの差とかそんなことも知らずにいる人もいるという事実など

思い合わせると人の思いというのは不思議なものであるとつくづく思います。

 

北杜夫がマグロ漁船に乗り込んだように芸実作品が時に人の生き方をも左右してしまうと

いう事実とそれを理解できる心があるかないかもまた人の人生にかかわり、文化や社会を

築いている要素にもなっているということにどうしても思い至り時にはどうして人はこんな

ことをするのだろうという事に結びついているのです。

 

何ごとも理解することの重要性を感じます。

 

まずは目に見えないことや物に思いを致すことなのではと思います。

 

私が口にしなことも感じて受け止め味を理解している人々や私が付けた

ブレンド名に問いはしないがふとこういうことですねと漏らす言葉に

伝わらないこともないいや口に出すから必ず伝わるとも限らないと感じる

この頃です。

 

気にしない人はブレンドの名前を読んでみようとさえしないのです。

 

まずは行動からという若いからできる行き方もあるでしょう。

 

また無意識に現れる顧客の素振りや気持ちこそ私の珈琲への答えであり、

無意識の会話です。

 

年々意識とか人の意をくむという事すらなくなりつつある社会ですが、基本

の人としての交流は見失わないようにしないといけないと思うジュリー事件

でした。

 

 

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さらにまだ見ぬ世界へ

2018年10月18日 09時27分48秒 | 珈琲

肌寒い朝になりました。ここのところ予想外に雨になったりで

さわやかな秋空というのもしばらく未定な感じです。

昨日は所沢出張で一日留守にしてしまい、そんな日に限り注文が

重なり大変ご迷惑をおかけいたしました。

 

最近聞く、秩父の情報などびっくりするようなものばかりでこの先

どんな方向に行くのか大変心配です。

その最たるものとしてバンジージャンプ場の建設です。

これなどは完全な未来予測と地域特質のミスマッチで下手な投資となる

と予測します。

 

今は急速な高齢化が進み、そんな元気なお年寄りが活躍出来る社会が

望まれそれを築くのが急務であり、若者向けのバンジージャブなどは

なにもないことの裏返しで余計それがクローズアップされてしまいます。

何もないのに人を集める三峰神社のように秩父には目に見えない魅力があります。

まずそれを理解して多くの世代の支持を広げることが必要だと思います。

 

日本の現状もバブル崩壊以降、他の国や新興国の成長を横に見て日本だけ

ずっと資産デフレというジレンマに置かれました。それを打開すべく多くの

投資と政策がとられたものの何の効果もなく借金を増やすだけでした。さらに

その愚を繰り返すかのようにオリンピックを多額の投資をして開催しようと

しています。

 

一方テレビをみると日本のここがすごいという番組ばかり、世界が日本に憧れて

外国人が大挙して集まるという刷り込みを行っているようです。そして来年から

外国人の雇用拡大が実施されようとしています。本来なら賃金を上げ消費を喚起

していくだけでいいはずなのに、労働人口が足りないという宣伝に加え外国から

低賃金の労働人口を増やすという安易な政策です。本当の取り組みはもっと別の

所にあるのは解っているはずです。

 

今ジムに行くと高齢者が大挙して押し寄せています。

同様にウォーキングやジョギングに励む人も増えています。

これは国民の自衛の策で国は頼りにならないと自分の身は自分で守ると動き

出した人々の姿なのだと思います。しかし、日本国民の富のうち大半はお年寄り

が所有し、それを狙った詐欺が増え続けるという危ない状況なのです。

 

この秋特に気が付く、目に見えないものの大切さ。そしてまだ見ぬものに

思いを寄せるとそれに反対するものばかりが目に付くのです。

単純で解りやすいもので解決していくしかないのです。

それはまず日々の行動から。今日も目に見えないものが伝わることを心に留め

豆を焼きます。

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まだ見ぬもの

2018年10月16日 12時07分25秒 | 珈琲

沢山の思い入れやこだわりとか珈琲にまつわる

話も人によりさまざまであり、その熱量も人により

変わります。


そもそも同じ味の話をしているのになぜ様々な手法や

変なこだわりに固執する人が現れ面白がられるのか

不思議です。


昨日ふと人のブログから『ウォーキングデッドシーズン9』が

始まっているのを知り、もしかしてアマゾンプレミアムでシーズン8が

見られるようになってるかもとみてみると配信が始まっていました。


そもそもアマゾンのプライムに加入するきっかけになったウォーキングデット

ですが、最新シーズンは有料でどうやってみようかあれこれと比較検討して

苦心惨澹した結果、少し待つとした結果、待ちに待ったわけですが、その

甲斐もなくシーズン8は面白くないのです。


なんでこんなに面白くなくなっちゃったんだろうと考えこむほどのつまらなさ

です。


コロニーの住人全員に渡るほどの自動小銃の存在と圧倒的存在のニーガンとの

戦いもただのギャング抗争のようになってしまっていてなんの驚きも新たな視点も

ありません。


テレビがどれも同じようなクイズ番組と旅番組だらけになり、見たいものは

有料チャンネルを見るようになりつつあるという過渡期的な今のその象徴と

化したウォーキングデットもこんなものならそもそもテレビなんてみなくて

良いものかという結論に達しようとしている感じです。


そんな秋の発見の中に最近の秩父は空き地も増えたものの新しい店なども増え

その感想が聞こえだすと中にはそんなら行ってみようかというものもありました。


秋の味覚の中に新しい発見もあり、日々の焙煎にもそういう新しいまだ見ぬものが

少なからず刺激を与え、これで完成という終わりのない旅のようにつづいて

行くかのようです。


熟練の芸術家が自身の美術感と技術に今描き切る最高の美意識を示しきるのでなく

終わりにできない不完全さを残すのと同様のものを最近珈琲にも感じます。

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『三度目の殺人』と『ハクソーリッジ』

2018年10月15日 11時36分52秒 | 映画

『三度目の殺人』

『ハクソーリッジ』

どちらもテレビで放送したのを見ました。

どちらもすごい違和感を抱きました。

三度目の殺人の三度目とは何を指すのか。

それに死刑判決という結末は、これが三度目ということなのかと

いうそもそものテーマは今の司法制度とか刑事事件制度とか

そんなものを問うことなのかということで、それならば起訴されてしまうと

90%以上の確率で有罪という現状や自白だけが唯一の証拠で死刑が確定

しまう現行の制度とか先進国とは思えない司法制度など死刑制度をとり続ける

意味合いとかこれは憲法改正より先に刑法や司法改革をすべき点でしょう。

日本では検死というのが殆どされず、死んでしまうとうやむやになり、その原因さえ

解明されず司法解剖も行われないのです。そういうことで見れば真実の解明がされない

今の裁判などまさに三度目の殺人でしかないと思えばかなり衝撃的な作品です。

ただ、そう見なければもやもやするだけのいやな映画かもしれません。

『ハクソーリッジ』はずっとこの映画前にも同じような武器を持たず助ける

兵士がいて勲章ももらったという話を見た気がして初めて映画になったのじゃ

ないよなと思いました。しかし、いくら検索してもその映画はでてきません。

それと史実とはいえ自分の信仰から武器を持たないとしたのは宗教の教えというより

個人の信条であり、アメリカに多い聖書原理主義の新興宗教を信じた人が仲間を

救ったということで、それをクリスチャンと呼んだりキリスト教徒が教えを守って

かつ国のために働いたとするのは違うと思います。まず、そういう原理主義者で兵役を

拒否した人は刑務所に入れられました。教えを守るという事ではそれでよかったのかも

しれません。映画の中で同じ教区の人で兵役に就き戦場で戦った人もいます。神との契約とか

宗教が生活と密接だった古代と違い、信仰に実践した生き方をするというのは難しい

ことです。しかし、そもそもその教えが間違っていたらということになったらこの話も

いくら勇敢に仲間を助けたからと言って美談にならないのではないでしょうか。

彼が銃を手にしない、人を殺さないという信念に至ったのは幼いころの経験や実体験により

聖書の教えを実践しようとこころに決めたことであり、それを映画でも強調したから特定の

宗教の教えとか主義が問題になることはなく個人の信仰のみがクローズアップされるように

なっています。でも、それをクリスチャンと呼んでいる人がいるのは間違いですよと一言

いいたいと思ってしまうのです。当然こういう人が仲間にいれば攻撃され激しい暴力や

仲間からの弾圧にあいますが、それにも屈せずただ助けたいと懸命に働く姿はやはり感動

的に映ります。人の心とか個人の信条をおもんばかる心があればそもそも戦争など起きなかった

のではとも思います。映画戦闘シーンはすさまじく、ハクソーリッジとは沖縄の前田高地と

言う所だそうで、この映画を見るまで全く知りませんでした。米兵の話でも当時の戦闘を

最近やっと語り出したというドキュメントを見ますが、それはまさに地獄のような出来事で

その時の悪夢はいまも続いているといいます。そういう体験を米はしているのに朝鮮、ベトナム、

イラン、イラク、アフガニスタン、リビアと戦争を続けるのでしょうか。結局、戦争をしている

為政者は前線で死んでいる人たちや難民となって逃げまどっている人のことなど考えないのです。

人類史上初めての原爆攻撃を受け、非戦の誓いから戦争を放棄するという憲法を持った国として

改めて世界平和を訴えていかなければいけないのではと思います。

今では普通に海外に自衛隊が出ていき、国際軍事演習や軍事パレード的観閲式などが実施され

本当に必要なことなのか、憲法でいう武力の威嚇にあたらないのかという疑問はいつも思うのです。

映画の中で現実に攻撃されているんだからやり返さなければ愛するものを守れないとか、国が

なくなるとか出てきますが、その前に人と人が殺しあう事態にならないようにすることはできる

はずです。守るためには攻撃してもいいと安易に武力を認めるのは簡単ですが、それが地獄の

はじまりと知れば誰も武器等持たないでしょう。つまりはそうならないように相互理解と

多様性を認める社会の構築が必要で、今強まる自国第一主義や非グローバリズムなど移民排斥など

に走る前になぜ移民が生み出されているかかつて自国主義に走り移民排斥から戦争が繰り返されて

きたことを心に留めなくてはなりません。

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柿の香り

2018年10月15日 09時38分09秒 | 珈琲

夏の暑さを受け、深まる秋に実はどこの家庭の庭の木でも

大きな果実をつけています。

ところが今時庭の柿の実をとる家庭は少なく、皆熟して道路に

落ちるに任せています。

とそういう柿の木のそばを通るとつんと酸味の香りがします。

この酸味は珈琲に共通のもので、果実性の酸味は珈琲を焼いていても

します。

ただ、皆さんが珈琲の酸味が苦手でという味とは別物です。

当店の来店者のほとんどが珈琲の酸味が苦手とおっしゃいます。

それは若い時分に飲んだ喫茶店の酸っぱくなったコーヒーを指しており、

最近のスペシャルティの酸味という魅力とは似て非なるものです。

柿の実のなっているうちの前を通ると酸っぱい香りがすると感じる人と

柿が熟したと感じる人といると思います。よく食べるものは腐る手前が

一番おいしいなどといいます。

柿などは木上で熟してしまいますから、その時に腐臭に近いものを出すものも

ありますが、おおむね熟した酸味で心地の良い香りの方が強いようです。

ただ、熟した柿が道路に落ちて汚れているのはいただけません。

果物などは実を食べてもらい種を運んでもらうという戦略の物が多いので、

腐臭がしたら動物にも食べてもらえないので腐る前に実は落ちるか枯れるか

します。

いつから人々は自分の庭の木のみを喜び収穫しなくなったのでしょう。

今年も柿やらカボスやらいろいろ戴きましたが、このほかほしかったら取に来いと

いう人がいくらもいます。どこの家もあまり手入れなどしていないので虫が食い放題で

栗なども商品価値がないのです。家庭に限らず農家でも農地が草ぼうぼうという

荒れ地のところが増えています。大雪でつぶれたハウスがいまだにそのままなんて

農家もあります。いつ辞めてもいいという人が増え何かのきっかけで手を入れるのを

やめて後は荒れ放題という事になるようです。

まずは人々の関心を個人の庭の木から放置するのをやめ空き家や空き地の改良に

取り組み過疎への対策とする時期に来たように感じる柿の香でした。

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お昼にビックウエスト

2018年10月12日 12時48分09秒 | 珈琲

また連日雨交じりの日となっています。

昨日のお昼のニュースでは世界同時株安ではないとニューヨークの

一時的な下げで、それも長期金利を意識した調整に過ぎないと報じていましたが、

今日になってもその下げは止まらず、世界同時株安という言葉も使いだしました。

 

安倍政権の命綱である株高が崩れたことでその政権運営とか政策に厳しい目も

増えることでしょう。

 

もはや年内に憲法改正案提示などと言ってられないかもしれません。

 

しかし、日本の通貨は信用がありこういう局面では買われて円高となります。

ベネズエラなどのハイパーインフレをみるといくら資源を持っていてもその

金では何も買えないという信用の低下は国の信用であり、日本のように他国、

主にドルによる債権を保有しているというのがそもそもの信用の源泉なのでしょう。

 

それでも実体においてベネズエラの紙幣と日本の円との差は左程もないかもしれません。

 

日本のシステムという社会の信用と新興国のそれとは質が違うのかもしれません。

 

そんなことを思いながらお昼休みをしました。

 

最近はピザとかパンで軽く済ませることの多い中、やはりその後の珈琲は欠かせません。

今日はブラジルビックウエストでまったりしました。

下がった株価で消えたお金はどこに行ったのかと夢想しながら。

 

 

 

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ザクロに柿にマツタケ

2018年10月11日 09時35分05秒 | 珈琲

また今にも降り出しそうな曇り空となり、秋満喫という

雰囲気も薄まりそうですが、こんな朝はより珈琲での出だしが

重要になります。

世界同時株安という様相の大きな動きの中で、日本も朝から

全面安という展開です。

 

あのバカマツタケで連日ストップ高の多木化学も最初は安くなる

など全滅のイメージが広がりましたが、今は反発し始めたものも出る

などちらほらと明るい光も見いだせる展開のようです。

 

昨日は、大量の戴いたザクロをただかぶりつくだけではおいしくいただけないと

思い、とにかく赤いところだけを選別して取り出し、それを絞って濾すことにしました。

 

ひとつには実がはじけると同時に中の果汁がほとばしるという独特の感覚が

素晴らしい魅力ひとつですが、その後口の中に残る種を除かないといけない

のでこれは連続して味わえないひとつのおいしいと思えない原因となっている

と思いそのようにまとめて処理したのです。

 

レジ袋一袋のザクロも解体してジュースにすると僅かコップ一杯あるかないかの

ものでした。

 

たったこれだけかと一気に飲んだところ喉に何かしわしわと何かが張り付くような

違和感があり、やがて胃の方も痛くなり出し、いつもの走り出す時間になったら

吐き気もありこれは走れないのじゃないかというくらい気持ち悪くなってしまいました。

 

これは飲み過ぎだったのかと今更に思いつつ、胃散を飲んでとりあえず走り出しました。

 

どうにか走り切り、胃の痛みも喉の不快もやっと収まり、秋の味覚の堪能も

なんと困難がつきまとうことかと思い至るのでした。

 

秋だからキノコ採りに行きキノコご飯やうどんに入れたりと採りに行くのに

一日かかり、処理にも何日もかかり、クリなども拾うのは面白くても栗ご飯に

するのに剥くだけでへとへとになり、そのへとへとの感覚ばかりが残ります。

 

それなのに毎年何か秋の味覚を求めて獲物を何にしようと考えたり、目にする

実に目が釘付けになったりします。今年は柿が豊作でどこの家にも実がたわわに

なっていますが今では収穫する家は稀で道路に落ちて汚しているところが多々

あります。

 

収穫というのは手間と引き換えであり、その果実もその労があってこそです。

 

なんでもスーパーで買える時代ですが、やはりその労を費やすことを忘れない事も

重要なのではないでしょうか。

 

例えば当店の珈琲にしてもいつ何を仕入れこの季節にはこの豆とこの豆と

いうマッチングを常に考え、それも直ぐ使える物と何年もエージングするものと

それは仕入れの計画から味を設計していくその都度のやらなくてはならないこと

の日々の積み重ねでできていることを考えれば誰かがどこかでそんな努力をして

居てくれているから人の良かったにつながるのです。

 

そんなことを毎年思い知る秋の味覚と収穫の理です。

 

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秋の味覚

2018年10月10日 09時30分58秒 | 珈琲

今年は猛暑で果物とか野菜もものによっては出来すぎ

という状況になっているものもあるようです。

なかでも柿などは各家庭の庭にある木でも多くの実をつけています。

それと同様、グミの木とかザクロも大きくなっていてそばを通るたびに

そそられる思いがします。

というのもこのザクロに関しては遠い昔の記憶で中学の庭になっていた

ものを食べたらあまりのうまさにびっくりしてザクロとはこんなにおいしかったのかと

記憶にとどめた果物です。 

その後、何度も食べているのですが、あの部活帰りに食べた味以上のものに

出会ってはいません。

なのに店や人の家の庭にあるものを見ると食べてみたいと思うのです。

今回も近所に木になっているものがはちきれんばかりに大きくなり

これはさぞと思わせる形になり、つい隣の家の人に声をかけてしまいました。

すると袋一杯のザクロとその他にも柿やらカボスやらをいただきなんとも

恐縮してしまう事態になりました。

早速一番大きな実を割ってかぶりつきますが、食べるのが大変で果汁は

ほんの少しで種ばかりが口に残ります。苦労して手に入れた割には報われた

満足感がないというなんともがっかりな展開です。

昔の記憶からつい行動に移してもこんな結果になるというのはよくあることです。

まあこのブログでも何度も書きますが、思い出は思い出でとどめておくのが

よいのです。行きたい場所もやりたいことも実現してしまうと途端に夢が覚めたように

感じることが多々あります。

さて、珈琲も新豆の情報が届くようになり、摘みたて一番豆を買えと言ってくるところも

あります。

この一番豆とか一番摘みはブラジルの大規模農園が多いので大概がムンドノーボ

です。

このムンドノーボを味わうなら今ぴったりなのがビックウエストです。

ブラジルの特長を心行くまで楽しんでいただけます。

実りの秋にふさわしく豊かな味わいで季節とともにお楽しみください。

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草津温泉スキー場値上げだろ

2018年10月09日 10時26分38秒 | 日々のこと

今朝の草津温泉からのメールでシーズン券の早割の

案内が来たのですが、びっくりしたのは今シーズンの

料金です。

 

シーズン券5万円で早割りで3万5千円になるのですが、

普通の一日券は4千円でこれも早割が売りに出ていて

3200円でというのですが、昨年噴火してから火山ロープウェイ

と本白根のリフトが廃止となってからの一日券は3千円でした。

それを思うと今期の4千円はすごい値上げになった感があり、

一層のスキー客離れを呼ぶと予想されます。

 

と思うのはロングコースを楽しみにしていた人と本白根のパウダー

を楽しみにしていた人だけなのでしょう。

下のリフトだけでよりファミリー志向が強くなり、そんな客層を狙い

値上げしても大丈夫と踏んでの値段設定なのか入込と料金を勘案しての

設定なのか非常に残念でいつもトータルでシーズン券を買った方が安かった

というくらい利用していただけにこれは温泉にどうしても入りたくなって

行くくらいかなという感じです。そして、今どうしても温泉にという感じに

なっているので非常に気がかりで残念な感じが強まってます。

 

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