King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

モカマタリに手を伸ばすには

2018年03月28日 09時39分32秒 | 珈琲
今年最初にスキーに行った時に上里SAで見たパンフレットをみて
不思議な違和感を抱きました。もともとスキーに行く一つの目的と
喜びは雪の中で遊ぶという身も心も真っ白な世界にまみれることであり、
それが最も楽しめるのが新雪の中に突っ込んだときでしょう。
新雪を滑るのはある程度技術と経験が必要ですが、楽しむのに
初心者も上級者もありません。誰が突っ込んでも楽しいのです。

一方基礎スキーヤーと呼ばれる日本独自のスタイルの人たちは級をとる
のに毎日スクールに入り教師の前に整列して長い説明を聞いて教師の
まねをして不自然な規制やら片足で滑ったりという曲芸まがいの技を
やらされ四時間のうち滑るのは四五本という滑り込みとは真逆のことを
やります。

カービングスキーという板が出たときからスキー場でも整地の一枚バーンと
いうのが人気となり、整地しか滑らないという人もはっきりと増えたよう
です。ゲレンデを見ていても誰も踏んでいない不整地があるのに整地された
まだ誰も踏んでいないポテトチップの表面の様な斜面の方を選ぶ人が圧倒的に
多いように思います。

しかし、毎年どこかのスキー場で遭難やらヘリで救助されたというコース外に
でて迷惑をかける人が後を絶たないのはやはり新雪を滑りたい人が少なからず
いるということです。

私の経験からすると平日なら何泊かするとトップシーズンなら一日は新雪に
遭遇し、降りたての新雪を楽しめます。

またそういう新雪の楽しみとは別に真っ青の空の下見渡す限りの雪面を
誰の踏み跡のない斜面を思うがまま滑るという野望も一方にはあり、これも
同じ新雪の楽しみだと思います。

しかし、平日の滑る人が減ったスキー場ではわざわざツアーやらハイクアップ
をするまでもなく、誰も踏んでいない斜面やら整地でもわざわざ新雪滑走用に
端を残していたりしていくらでも新雪が楽しめます。

それなのに現実にゲレンデで見る光景ではそんな不整地を滑るより整地を行く
人やスクールに入って一日四五本しか滑らない人の方が圧倒的に多く、人々の
ニーズがどこにあるのかとふと疑問に思うのでした。

そんな中、今年のパンフレットには雪質とかパウダー特集とか実際には滑る人が
少ないのに新雪滑走の魅力をアピールしているものが多かったのです。

そして、スキー場が新しいサービスとして始めたのがキャットツアーとか
雪上車体験です。そんな設備投資をしなくても今やネットで動画を上げるのも
簡単ですから雪山で遊ぶ楽しさを今日はこんな感じだったとか今日はデモが
滑ったとか全くの素人がこれだけ滑れるとかやりようはいくらでもあるのにと
思ったのです。

私もSKI TVを見て改めてスキーの魅力をもう一度考えたり、技術的な面ももう一度
考えたりしました。飛び切りのトップデモの滑りにはそれだけの魅力と気づきが
あったのと普通の人が同じところをどう滑るのかという対比があればさらに面白いと
思いました。

珈琲でもモカマタリという誰もが名を知っている珈琲がありますが、実際珈琲通でも
当店に今焼きあがった豆にこれがあっても手を出す人は半々で反応も全く分かれます。
本来のモカマタリの味を知っている人がそれだけいないということもさることながら
これが酸味という簡単に片づけられない問題にもつながり、誤解や真の理解に導くには
なかなか難しいものをはらみます。

それでも全く珈琲を飲まない人でもコーヒールンバやタレーランの詩は知っていたり
文化面からのモカマタリという特異な性質を理解している人もいるでしょう。

それならばいっそ本物の味とその文化や文化人に及ぼした影響などをひとつにしてみたいと
いう欲求があってもいいでしょう。

つまりスキーの新雪やどこまでも続く誰も踏んでいない雪原を行くのと同じ解放感が
珈琲の根源を知り魅力を知ることなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲れも色々

2018年03月25日 23時40分41秒 | 珈琲
今日も20度を超え暖かい日となりました。
昨日までの雪の世界から現実の国に戻り、慌しい一日を過ごして
期末と月末の忙しさに明け暮れました。

配達に行った時に見た秩父の桜は半分以上咲いているところもあり
全く咲いてないところもありでこれから長く楽しめそうです。

こう暖かくなるとまたガツンと本格的珈琲がほしくなります。

仕事でくたっとなった時にこんな豊かで深い味の珈琲を飲むと
頭の芯から疲れが抜けていくようで疲れが心地よさに変わっていきます。

昨日ロープウェイ下の駅で聞いた会話で笑い話のようなのを小耳にしました。

披露すると、久しぶりにスキーで再開した友人としばらく車の話をして
いたと思ったらいきなり相手のスキーブーツを見ておお良いブーツ履いてる何
そのマークレクサススキーブーツも作ってんのという驚きの声です。

冗談なのか車好きゆえに何でも車関連に考える故に起きたことなのか俄かに
判断が付かない会話でした。

真っ白な世界からまた現実界に戻り、そんな会話も夢の中の出来事のように
思い出すのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今さらユーミン、二日目は土曜のガーラ

2018年03月24日 23時31分40秒 | スキー
今さらユーミンという題の通り、何十年も気が付かなかったというのは
スキーについても同じで、それでも当時毎日ユーミンが流れる環境であり、
それなりに楽しんでいたのは事実で、それと同じにスキーで毎年
コブを滑りそれが全く進歩もなく普通に降りられることもあったりそれが
なぜか解らず、コブもストップがかかる春の時期の雪で滑れるようになると
思ったりしました。昨シーズンのガーラで雨と霧で視界も悪く下までコースが
見通せない時に下まで普通に降りられたことからコースに対する恐怖心が
何かを見落とさせていて本来小回りで降りられる斜面はコブだろうと降りられる
のではという思いを抱くようになっていました。それをまた同じコブラインで
解明しようというのが今回の湯沢行きの一つのテーマでもあります。

昨年、あふれる東南アジア人で賑わっていたガーラは土曜ということで
下の駐車場もあと数台で満杯という賑わいでした。あまり報道されない
湯沢の状況も今年になり、東南アジア方面に売り込みを行い専用スタッフなど
を雇い入れ雇用と観光ともに東南アジア人の呼び込みをしているという
ことでした。

朝前を通ったかぐらの駐車場は満杯で久しぶりにこの大きな駐車場が満杯になる
様を見たように思いました。この先湯沢はもっと人であふれていると覚悟した
ものの無事下の駐車場に止められ9時台に上に上がれました。
8人乗りのゴンドラは乗り込みの行列があったもののそんなに待たずに乗れ
思ったほどの混雑もありません。昨年はお昼近い時間帯にもかかわらず
リフト券売り場がすごい行列でしたが今回はカウンターに人はなく混雑の具合
からするともうシーズンオフという感じなのでした。

そう思って上がると下山コースはまだオープンしていて南エリアもまだ営業して
いました。昨年利用した三山連絡はもう終わっていてこの券は何の割引もないと
思っていたら今年みたら三山パスもシニア割引や昼付きパック券など色々とあり
準備不足でそれらを逃しただけだったと知りました。それならトップシーズンは
積極的に利用した方がよいし群馬県のやっているように各スキー場のスタンプを
集めると何か特典があるというのも自治体として展開すべきと思いました。

上に上がると橇エリアは昨年見たような人の群れはなく、そのコースの状況も
見れ、それが大人も楽しめるような規模とスリルのあるコースだと解りました。
スキー場は人は多いものの一人で滑っているとおひとり様レーンがあり全く
リフト待ちもなく滑れるのでした。

南エリアは人気がなく人もあまりいなくて午前中はここを滑りました。
コース図を見るとコーチの上から南エリアに滑り込めるとなっていてそれを確かめに
コーチに行ってみました。今まで何回も来ているものの私が通ったころはいつも4月以降
で南エリアはクローズしていてコーチの先はなかったように思います。今にして思えば
昨年もこのコースは開いてなかったように記憶しています。
しかし、南エリアで見たコース図にははっきりと出ていてこれは行かなくてはと
思ったのです。260万ダラーというこれまた中途半端な名前です。
しかし、行くとコーチはまだコブができておらず南エリアに行くコースも固く閉ざされ
かつて開いていたのかもわからないような状況です。ゴンドラの頂上駅のコース図には
しっかりと閉鎖と書き込まれていました。

それを確かめるとよいよ昨シーズンの降りられたのに降りられなくなったコブを
確かめに行きます。今までラインが光が射したかのようにはっきりと見えること
があり、それが何なのかは解りませんでした。そして長年その成長を阻んでいるのは
体力や筋力のなさや恐怖心やズルズルドンという逃げのような滑りを覚えてしまった
ことから来ていると思っていました。

昨シーズンはいろいろな体験から長年の懸念があと少しで晴れるという感じでしたが
今年はこのユーミンの曲(この曲の誤解については前日の記録をお読みください。)
と同じでそれが何だったのかはっきりと理解できるところまで
今回の滑りで解りました。

今回も最初は普通にしたまでコブのラインを行けました。

段々人が増え昼になり雪解けもありコブが深くなって雪も走るようになりだんだん難易度
が上がり出すと下まで通して行けなくなりました。それで一旦昼休みにし1時近くに食事
場所に行くとどこも満席で席がありません。下まで一回降りて飯にして食事していると
下山コースの終着点で雪遊びする人がいてわざわざレンタルしてウエアと長靴と橇を携え
ロープウエイに乗らなくてもここで初めて見る雪を触るだけで満足の人もいるのかもなと
思いそれらの人を眺めながらここはいろいろな利用法があるなあと思いました。

リフト上の会話でも温泉について思い入れを語る人やゲレンデ情報や宿情報より温泉が
重要だという会話など日本人の風呂好きがうかがわれるものが多く、スキーとセットで
楽しめる日本の優位性とか新幹線という世界一の鉄道でそれが都心とつながっているという
特異性などまだまだ地元の人も気が付いていないポイントがあると思いました。
長年都心とつながることばかり見てきた人達は最近増えた外国人を取り込もうとして
世界のブロガーなどを招待したりして宣伝に努めだしました。しかし、もっと自分たちの持って
いるインフラを海外に紹介するだけでもっと多くの人が来る可能性があります。

今地方の空港はやっと海外との直通便に乗り出した状況で空港からバスで温泉地に直行
させて観光やスキーにより利便性をもたせるなど余地がたくさんありやるべきこと
のようです。しかし、今湯沢がやっているのは雪の村の生活を都会の人に味わってもらう
ステイ型の体験ツアーなどで自分たちの生活を理解してもらいたいという意味は解るものの
もはや東京を向くこともないのではという気もします。世界からLCCで来ることを考えれば
東京や大阪に着かなくてはいけない理由はないのです。新潟空港にアジア各地から直接
乗り入れ温泉とスキーに特化した旅を積極的に売り出していくべきです。

さて、午後になると長年の懸念についに答えが見つかることになりそれだけの事かと
あきれるばかりの簡単なことだったのです。
それは何かというと斜面の恐怖心や怖気づいて身が山側に倒れこんでいたりして
本来の小回りのターンが忘れられてしまうことです。何かと溝をなぞってしまったり
そのスキーと同じ向きに体が向いたりしてスピードがコントロールできなくなり
コブから飛び出したり転倒したりしているのは皆エッジングの後コブの頭で切り返し
トップからターンに入るという普段やっていることがなくなりコブの溝を辿り出すと
もう速度とタイミングが合わなくなりただずり落ちるのをエッジで耐えているだけと
なリターンでなくなっているのです。コブの頭までにターンを仕上げてエッジをコブの頭で
切り返す時にはしっかりとターンを終え次のターンに入っていくリズムを意識して
滑れば単に溝を辿るよりコントロールでき板の前後を意識して使えば、あの板をパタンパタン
言わす滑りもできるのです。

一番いけないのはコブの頭で回るというターンになっていることです。コブの頭で板を
切り返しているだけで回るのはあくまでコブの底です。それを忘れているのでターンが
出来なくて滑れなかったのです。今回初めてそういうことだったのかと理解したのでした。
まったくの誤解と誤った解決法を試していて滑れたのは春の雪のせいというのも誤った
感覚でコブの底でターンするという基本を忘れただけです。

時にそれをよく知る人が何気なく普通に降りていくのを見てああ言う滑りがなぜできないのか
とよく思ったものでしたが、そういうことだったのかという感じです。そしてまた一つ解った
ことは無心に楽しむ大切さです。別にオリンピックにでるでもなくなぜそんなにスキーを
したりバスケットをしたりしているのでしょう。他の人が皆そんなかつて夢中になった
事を歳とともに忘れていきスキーにあんなに昔行ったのにいつしかやめてしまうのはなぜか。
部活でやったバスケットもやがて皆辞めて行くのに自分は未だにやっていてスキーにしろ
バスケにしろなにか毎年進歩があるような気がしてその自分の成長がある以上やめては
いけない感じがします。昨年長年のバスケット関係の知人が亡くなったのですが、一周忌と
なり追悼によせるバスケット関係者の思いを聞くと彼もやめなかった人だったなという
思いをしました。

彼はバスケットの指導という立場であり、私は未だにプレーヤーとしてかかわり注いだものは
やはり好きだからという単純な動機であり、それが突き詰めてオリンピックや競技としての
トップを目指すものではないものの続けることで何か答えが返ってくるような気がして、
誰に褒めてもらうためでも誰かに見せたり訴えたりするためでなくひたすら自身の得心の
ためだというそれだけのことがそれこそが大事なのだという思いがします。一時はそんなことより
楽しいからやるのであり、レジャーやリゾート感覚を大事にする方向に向いた時期もあり
ましたが、できないことができるようになるという単純な喜びだったり技術が進歩する
自分の理解の深まりだったりただ良い休日にするということにとどまらない喜びがある
のではないでしょうか。

だから今回やっと解ったコブの滑り方も解ったからとはいえ終わりにはならないのです。
とにかく夢中でいられるからスキーもバスケットも終わらないのです。普通の人は
部活で試合に出てやりつくしたと感じいつしかそれでもう競技する機会もなく
思い出とともに終了となり、スキーも青春の思い出としての一場面で終了するのが一般的で
それが一級とったからとか上級者コースやあのコースを攻略したからとかなにかしらの
やり切り感だったりを感じてやめていったのでしょう。
終われる人もいれば終わらない自分もいる。しかし、夢中で無心になれるものを持つことが
大切なんじゃないでしょうか。
これがユーミンの地で感じたことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今更ユーミンの地に

2018年03月23日 23時55分43秒 | スキー
何十年もの間間違って聞いていたユーミンをかけ
かつて聞いたユーミンのライブの地に来ました。
と言っても滑るのはかぐらで泊りが苗場の近くの
宿です。

最初初日にガーラで足慣らしをしてから本格的に
かぐらで二日目を迎えようとしましたが、明日は土曜日で
駐車場が有料になることや混雑を考えて反対にしました。

今日は一日雪の中で滑りました。
かぐらはまだトップシーズンの様な感じでまだコブも
育っていません。とはいえ凍った雪の上に10センチ程度の
新雪が乗る状況でこれは全く下が解らずどんな雪面の上に
積もったのか予測してかからないとこの時期あまり人が
踏まずにそのまま溶けて巣の入ったような雪に新雪が乗る
ところに思いきり踏み込んで足がズポッとはまりその勢いで
谷側に倒れようものなら膝を手ひどく痛めてしまいます。

というわけで新雪だからと誰も踏んでいなそうなところは
おいそれとこの時期は入れないのです。しかし、おおむね
どこも固いうえに積もったらしくそんなに苦労する斜面も
ない感じでだんだん上に行くとゴロマは昨シーズンよりも
さらに場外規制線のロープが少なくなりみんなリフト下に滑り込んで
来ます。

私はコース外滑走禁止は依然守りリフト右の斜面には出ません
でしたが、林間に入ってみますとサラサラの新雪が楽しめました。
それなのになぜ固い人が滑った跡の多い斜面に出るのでしょう。

そんなことを思いつつゴロマは二時に終わってしまい、次に
テクニカルとジャイアントに行きますが、ここも田代連絡が
三時閉鎖なのですぐに田代に移り、そうなるとあとはリフトが
終わりとともにロープウェイに追い返されるようになります。
ロープウェイまで行くのに三十分はかかりますから、実質
三時になると移動ばかりになる感じです。

でもこの時期まだ新雪滑走が楽しめるという夢の様なゲレンデ
であり、この後まだ二ケ月もシーズンがあるというゲレンデが
日帰り圏にあるのですから何ともありがたい限りです。

この都心からもアクセスのよいゲレンデは土日と平日ではまるで
様相が違い、心地よさも平日にきてこそなのです。土日では
駐車場が有料になったり、リフト待ちやら食事場所などどこでも
混雑がひどくかなりの苦行となります。さらに車だと渋滞が毎度
あり、この上ない苦痛が重なります。

それなのに相変わらず毎年繰り返されるこの無駄な混雑に
何とかしようという気は起きないのでしょうか。

かつては通勤割引という平日のスキーには強い味方がありましたが、
なんと今は休日割引ということで土曜と日曜は割引になるという
まるで逆のことをしているようで混雑を助長しているようにしか
思えません。

トップシーズンの様な良質な雪も三時になるとぐずぐずのシャーベット
状になりあのサラサラの雪はまるで夢の出来事だったかと思わせる
変貌ぶりです。

それでも最後ロープウェイの下の斜面を何本か滑り四時のロープウェイで
下山します。

いつも日帰りだと六時に出てきて八時台のロープウェイに乗り
ひたすらコブを滑るという感じですが、泊りだと10時について
滑り出すのは11時とまあゆったりスタートです。これだとリフト
移動ばかりが主でひとつのリフトに繰り返し乗って同じコースを
滑りこむなんてこともありません。

これが来月になるとコブしかもう滑るところがないのでかぐら
から登ってコブだけ滑るということになるのですが、となると
移動の長いかぐらよりロープウェイとリフト一本でコブコースに
アクセスできるガーラはゴールデンウィークまでコブ練ができ
インターからも近く優位性があります。

それに交通手段が新幹線直結という利便性の良さで各旅館から
送迎もあり温泉も選び放題です。

さて、今回いつものさくら亭でなくわざわざ苗場にしたのは
直前になり予約したので直前割なるものが使えたのと食事が
ちょっとそそる感じがしたからです。でもこの時期というのは
宿では危険をはらんでおり、子供連れが多くいてそれだけで
いつもの平日のスキーと温泉旅気分を損ねかねないのです。

トップシーズンもやかましい外国人団体客に遭遇し、へたに
大きくて団体旅行向けの日本の温泉旅館では不快な思いも
するものです。そんな中で安くてよい宿というのを発見して
利用してきましたが、今回はさくら亭のグループなのでまあ
良いのではと思い予約したのですが、以前から何度か湯には
入っていたので建物自体もそんな知らないところではないと
いうことである程度安心感があったのですが、案内された部屋は
いつも泊まるところと比べて狭くて造りがかつての合宿宿のような
安っぽい造りでした。

それに以前来たイメージよりこじんまりしてチープなイメージが
しみついてしまいあんまりゆったり感とかリラックス感とか
いつもの旅行気分にならない感じでした。風呂は二カ所あり
スキーロッカーも完備していてスキー宿としては申し分ない
のですが、三階しかない建物は窓から屋根しか見えなかったり
高層のリゾートマンションに見下ろされていたりと気分が
すっきりとしないのでした。

食事会場は狭いところに平日なのにやはり家族連れが多く
にぎやかでした。それでもすき焼きは食べ放題だし、カニも
ありでこれはいつになく食べ過ぎてしまいました。普通ビュッフェ
の鍋などというと具材もおざなりで手抜きをされたような代表が
鍋ですが、今回は逆にこう来たかという感じでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今更ユーミン

2018年03月22日 15時27分14秒 | 珈琲
私たち世代といえば、サザンオールスターズとユーミンが車の中に流れると
いうのが定番の青春シーンでした。
それらはそれまでのフォークソングや歌謡曲と一線を画すものとしてニューミュージックと
呼ばれました。
今ビデオのサイトなどでそれらを聞くと懐かしいという感慨と改めて聞くと気恥しいような
複雑なイメージが湧きます。
今までの貧乏くさい四畳半の歌からどこの国のことをイメージしているのか良く解らないような
歌の世界は何だったんでしょうか。
世の中は、高度成長時代から後にバブルと呼ばれしらけ世代とか世の中に背を向けて生きるのが
かっこいいとされていたり景気拡大を受けて独立したり海外に打って出るのがよいことのように
言われていました。

さて、昨日雪を一日見ていたら無性にスキーに行きたくなり、宿が取れるか見ていたら
昨年か一昨年お風呂だけ寄った宿が格安で取れるので予約してしまいました。
ネットの口コミを読んでいたら毎年ユーミンのコンサートに合わせて泊まっているという
記述がいくつかあり、もうとうに無くなったと思っていた苗場のユーミンコンサートが
まだ行われていることを知りました。

シーナ&ロケッツのシーナさんとか女性ボーカリストとは時に声の劣化が指摘され
それでもファンは残酷にもライブを望んでそれがネットなどにアップされると賛否
の別れるコメントが溢れることになります。

しばらくユーミンの歌などTVからは聞くこともなくなったこの頃ですが、ネットでは
その若い時のものと最近のライブのものが簡単に見られて散々青春の一シーンを彩ってきた
これらの曲を聞くと複雑な気分にさせられます。

イチゴ白書をもう一度を聞いた時には荒井由実という作曲者のすごさをひしひしと感じ
その後、どこの国の事を歌っているのかというような路線になり、それでも曲と作詞の
センスは誰にもまねできないものであり、独特の声とともに不動のトップミュージシャン
の座を走り続けたことは今更私が書くまでもないことです。

ですが、その歌詞が最近改めて聞いてみたらそういう意味だったのかということが多く、
長年深い誤解をしていたということがあり、それと今回まだ苗場でコンサートをつづけて
いることも知りとても一言では言い表せない気持ちになっています。

その中でも一番強烈な思い違いだったのはdestinyの安いサンダルを履いていたです。
サンダルとdestinyがどうつながるのか理解したのがつい最近の事であり、そもそも
彼氏がいつも着飾っているくせに自分に会うのに安いサンダルを履いてきやがったという
思い込みが実は失恋を逆手に取ってさらに思い切り仕返してやろうということでの
着飾っていたのにだったというなんとも切ないような詞をノリのいいリズムと踊りながら
歌うユーミンの姿をみるとあれそうだったのとこちらは思考停止に陥りそれに今の声の
歌を聞くと何かいろいろなものがガラガラと崩れ落ちる感じがするのです。

時というのは残酷なものなんて簡単に片づけたくないことです。

シンディーローパーの曲なんかも最初ハイスクールはダンステリアというような
適当な和訳がついて発表されましたが、後にカラオケで歌ってみると実に微妙で
韻を踏んだ歌詞にすごく関心をしました。でもOh girls just want to have fun
とかall through the nightなど気恥しいような内容の物も時にはあり、それが
紅白なんかで花魁の格好で歌ったりとNHKぽくなくて本当にわかって放送してるのかって
思うような疑問というか知っててやってるよねという不思議な感じもしました。

長年の誤解というのは解ってしまうともう元には戻れなくなってしまいそれが
良いのかどうかすら怪しくなってしまいます。

でも、今回のユーミンの曲ではああそうだったのかということでまたずっと楽しめ
そうです。

そんな発見があったり日々の糧になり、支えにもなっている珈琲のイメージと味も
同じことです。

いつかもうインスタントでは我慢できなくなるという体験は誰にでもあり、
解ってしまうとチェーン店のコーヒーさえ飲めなくなり、ドリンクバーなんかも
頼めなくなるという珈琲体験を多くの人に持ってもらいこれからもより良い豆を
供給していきたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんどん積もっています

2018年03月21日 11時34分02秒 | 珈琲

朝の様子では積雪はないと思っていたら、気温が下がったのかどんどんと積もり出しました。

春の雪は里に降るといいますが、まさかこんなに急激に積もり出すとは。

昨日ぽつぽつと咲き出した杏の木もびっくりです。

秩父市内では東京の桜が咲くと杏や木蓮が咲き、さらに何か所かある早咲きの桜も花を

付けるのです。

昨日夜走った時には図書館前の桜の木が半分くらい咲いていました。

羊山で一番早く咲くソメイヨシノの古木がありましたが、それは数年前に切られてしまい、

家から一番近い桜は銘仙館前の駐車場にある木です。

これは今数輪咲いたところです。

こんな日は雪を眺めて珈琲を飲んでいます。

最近は、いつもブラジルサントスNO2ばかりですが、これがなかなか良いものです。

一番基本というこの味から色々気づかせてくれるものがあるのです。

店頭とかスーパーでなかなか見かけないという声も聞きますが、当店でも表示はなくても

いつも大概焼いて在庫があります。吉田の道の駅では常に置いてありますので、

ご利用ください。

そして、珈琲の味として記憶していただき、指標とすることでその世界をより

味わい深くしてくれることと思います。値段も安いので普段の珈琲として

がぶがぶ飲む方にもよいでしょう。またすいすい何杯も飲める味です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『王様のためのフォログラム』鑑賞

2018年03月19日 10時22分08秒 | 映画

 昨日、wowowで見た映画『王様のためのフォログラム』です。これは昨年ラジオで紹介され興味があったものの

秩父から近い映画館では上映されず見る機会がないままでしたが、このタイミングで

見れ一つの成功体験のような感じです。

そして、この映画を見て率直な感想としてまず思ったのは、アメリカもただの商業映画でさえ

もはやそのものずばりの物は作れなくなってきているということです。

圧倒的富と成功があり、世界のリーダーとしてずっと君臨し、世界の警察であり、正義を具現し

常に正しく最先端であり続けた国もその源泉である基軸通貨であるドルの強さも感じられず

病んで経済の局面でも負けることが多くなって国の象徴として作る映画も黄昏た中年が主人公と

いう誰もが受け入れがたいものとなったのです。そんな意味で感想を書いている人も評価は

低く、見て爽快な映画でもないのであまり話題にもならずひっそりと上映されてビデオでも

知らない人が多く見た人も少ないようです。この映画の主人公や現実の場面でアメリカも一人勝ちと

いう局面はもはや望めず、いろいろと負けることが多くなり、そんな負けて取り残された人たちが

望みを託すかのような形でできたのがトランプ政権であり、反主流派の反撃であり、本来のアメリカの

復権を謳っていますが実はかつての主流産業の鉄鋼や石油産業から世はハイテク産業にシフトしており、

依然これら最先端の技術でアメリカはトップであり、さらに進化した世の中でも世界をリードしてより

良い世界の中心であり続けねばならないはずです。そんな意味から中東の国で最先端の3D映像技術をプレゼン

して売り込むために送り込まれるセールスマンのトムハンクスはかつて有名自転車会社の取締役だったのが

中国への工場移転などから国内雇用を失い自らも失業し、妻とも離婚、家も処分して娘の教育資金となると

いう何もかもなくして活力もうしなった中年であり、最も現代を象徴しているような存在です。そんなかれが

体験する異文化での経済の最先端の商談はその国の独特の制度ゆえ苦難の連続となるのですが、中でも象徴的な

商談のテーマであるIT技術をプレゼンして売り込む先が砂漠の何もないところに作る国王の都市であり、今は

事務局の様な建物がひとつあるだけで、窓口の側近にさえなかなか会えず、同業他社のデンマーク人なども

一年以上滞在しているが国王がいつ来るかすらしらないという状況で、窓口の受付嬢は会う度出張中で留守だと

告げ明日は居ますの一点張り。

ところが、受付を無視して二階に行くと担当側近本人あっさり会えて、それから話はトントンとすすみ

国王にもプレゼンを果たすという快挙となるのですが、商談はどうなるかは書かずにおくとして、この映画は

見る側の知性も刺激するものをはらんでいて、ムスリム専用でメッカ(現代は英語表記的にはムッカ)には

異教徒は立ち入れないと映画で出てくるのに実際迷い込むシーンを撮っているのは果たしてどうやったのか

という疑問も出てきます。(これはエンドロールにエジプトユニットというのが出てくるのでエジプトに

セットを作って撮影した可能性が大。)いろいろなイスラム社会のしきたりとか出てきますが、それらは既知のことであり

それらにびっくりしている感想の人が多いようですが、注目すべきは文化を尊重しつつも自国流を貫き大使館内

ではやりたい放題なパーティーを開いていることやその時に取る主人公の行動とか失った活力をどう取り戻して

どう生きていくかというところに見どころがあり、そんなことと砂漠で何もないところに都市を一から築いてしまう

夢のようなことができる人たちのことと世界がどうかかわっているかを考えてみると題の王様のためのフォログラムと

いうものが何を指しているのか意味深くなってきます。主人公の生き方をみてそれらを知れば、決して中年のため

の映画という評価にならないと思います。ですが現実にはトランプ政権ができてかつてのアメリカをとりもどすとか

国境に壁を作るとか環境問題に背を向けるとかまるで逆のことを向いているのに映画や最先端企業達は世界に寄り添い

世界とともにあるというのは知っている人は知っています。我々日本人としては不変のテーマにおいて目先の政権に

振り回されるのでなく、トムハンクスの主人公同様活力を取り戻しなすべきことをなしていかなくてはいけないと

個人でも国レベルでもと思うのでした。

<iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=httblogoo0b60-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B0742LD56M&linkId=8d2e6ca78fc5d26d31bac0f7c74da760" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杏子にシジュカラ

2018年03月16日 09時21分09秒 | 珈琲

今朝も穏やかな春の朝で、しっとりと湿り曇った天気に

珈琲が似合います。

こんな天気ながら色々と用事やら週末の準備など慌しいのですが、

しばし珈琲の時間だけのんびりと息を抜きます。

ふと眺めると庭の杏子もだいぶ花芽を濃くしていつ咲くかという風情で

それを狙ってなのか色々な野鳥がやってきます。

ひときわ鮮やかな白と黒の小型な鳥は頬が白くきびきびとしていてこれがホオジロ

なのかと思いきや鳴き声のツツピツツピーという特長ある声からシジュウカラと

解ります。ホオジロの鳴き声としては一筆啓上仕り候というたとえで有名ですが

余り鳴き声の実音を聞いた人というのは少ないのではないでしょうか。姿はスズメと

似ており、スズメの柄で頬が白いところが違うのでそんな名になったのだと思われます。

一方鳴き声も印象的なシジュウカラはどこでも聞かれる声音と鮮やかな白と黒のシルエットで

こちらの方がビジュアル的にきれいで庭木に飛んでくる姿も映えます。

こんな湿った穏やかな朝に似合う一コマです。

テレビのニュースでは公文書書き換え問題がいまだにぎやかで森友問題など昨年から

一年も同じことをやっているわけで何の進展もない様を露呈しているようでそんな無駄ことに

時間を費やしてもっと前向きなことになすべきことがあるのではとつい思ってしまいます。

文書がないと言っておきながらあとから実は残っていたとか違う部署で保管されていたと

いうのは防衛省でもあったばかりで国民の不信は募るばかりとなっています。

今はまだ暖かくまったりとした珈琲タイムもこの後雨となり寒くなるということで

しばしの休息になりそうです。雨となればまた、やることや後回しにすることもあり

段取りを組み立てねばなりません。ブラジルの甘味に今だけとなりそうな温かみと

楽しむ朝でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝にブラジル豆

2018年03月14日 09時13分12秒 | 珈琲

夜走っていると沈丁花や蝋梅などの香りがして寒さは

冬と変わらないものの咲いている梅の花から確実な季節の

移り変わりを知ります。走り終わって鼻水と目のかゆみが

起きるのも同様にこの時期の特長です。

花粉症の薬のせいで頭がぼんやりしたり、すっきりせず

やる気がなかなか起きなかったりというすぐれない気分も

薬の副作用ばかりではないようです。

そんな朝にはあまり刺激の強くない豆でゆっくりと目覚めたいものです。

今朝はブラジル豆で朝の珈琲タイムを迎えました。

朝には相変わらずの森友報道とまたまた米国の重要官僚の交代と

大丈夫かというニュースを聞きます。

こんなにころころと高官が後退してしまう政府なんて普通はまともに

相手にしないでおこうとなるはずです。

そもそもは突如輸入関税を上げるとしたりパリ協定離脱など前政権と

違う動きにグローバル派とか国際協調派といったひとがいなくなり

自国第一主義をどこまで続けられるのかといった感じです。

そんなぎすぎすとした話題とは裏腹に朝の安らぎはしっかりと

ブラジルの豆でもたらされたのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

より強い珈琲感

2018年03月13日 12時04分37秒 | 珈琲

今期全く予告なくNBAの放送がなくなり、ひどい喪失感を感じたまま

どうしたものかという気になっているとWOWOWの無料放送があり、

それに申し込みました。ネットから申し込む方式で手続すると直ぐ

見られるのかと思ったら、申し込み後15分もダイアルを合わせてそのままに

しないと受信が始まらないのでした。

 

見られるようになってもこの放送の意味がよくわからない内容で、

結局これは気に入ったものをレコーダーに録画してオンタイムで

見るものではないのだという認識を持ちます。しかし、今回の無料放送を

レコーダーのBCASカードの番号で申し込まなかったからか録画予約できません。

つまりオンタイムで見ないとならず、これはNBAなどとんでもない時間で

やっているので見られるのか課題が残ります。

そんななか、毎年今の時期やることとか手続とかがあり、この時期らしさを

感じたり、昼間は20度を超えるのに朝外の水が凍っているのを見るとこの

一見春らしさもまだかりそめで厳しい冷え込みは消えてなく、花粉という

脅威も加わり春とはいうものの狷介さを感じます。

それでも何かワクワクと沸き立つようなものも感じて、来月には芝桜の

賑わいとか桜の便りが間もなく始まるかと思うと冬の終わりをかんじずには

いられません。さて、この時期大事にした珈琲感というのはブラジルなどで

よく感じるチョコレートの感覚であり、それも主題としていきなり最初から

最後まで感じるのでなく、究極の主題として最後に託されるものとして伝わる

豆を注目しました。

それが『早春賦』であり、グアテマラです。

さわやかなミルクティーの様なフルーティーな第一印象とすいすいと喉を通る飲み口の良さ

もこのフィニッシュの確かな飲み心地と後味に尽きるのです。最後に伝わる本当のこと。

それがこの主題であり、それがより強く確かに伝わる豆がグアテマラです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癒しと期末

2018年03月10日 10時42分34秒 | 珈琲

確定申告の時期に申し開けありませんと佐川国税庁長官が辞任しました。

この季節は色々とストレスを感じて色々と変化の起きる時期に来てるという

ことでしょう。一般の人にも期末というのは色々と変わり目で何かに迫られたり

変化に翻弄されたりして、ストレスにさらされます。

そんな時に何か心によりそう支えのようなものが近くにあればと誰もが思うものです。

それは頼りない些細なものでもいつも変わらない安らぎをもたらすものがそういうもの

になりえます。

所ジョージが番組で紹介したのがふにゃふにゃのおもちゃの金づちでした。

私は今の季節ならこの味として、季節のブレンド『早春賦』をお送りしていますが、この

ブレンドはこの季節こそのストレスに満ちた激変の時に寄り添うものとして作りました。

ハンドドリップの珈琲というのは一口目二口目三口目と味が変わるものです。

そして、中盤と最後のカップの底まで、後半の味も極寒の時と今ではまた違った味わいです。

機械で淹れる珈琲でも時に人の心遣いが詰まった一杯と義務感一杯でやらされて作る一杯とは

飲み手も感想に差が出ます。

そんな味の変化と珈琲シーンにいつも心を砕き様々な思いの果てにあるものが今の珈琲と

いう様々なストレスから一息入れる相棒です。

いつも味方になってくれるそんな心の支えを探してみてはいかがでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確認したスキー技術と草津の雪

2018年03月09日 23時56分55秒 | スキー

予報通り、二日目も雨でした。

気温も上がり、雪質も期待できません。なのに朝一で起きてホテルの朝食を

食べたら直ぐスキー場に向かいました。9時に滑り出すとゲレンデには誰も

いません。しばらく、リフトも私一人でいくら雨でもまるきり貸し切りで

私一人のために以前だったら申し訳なくプレッシャーを感じたりもしましたが、

今回は自分のスキーに課題を感じてよりレベルアップできるような気もして

とにかく一人だろうが他の視線など気にすることもなくどのようにしたらコブ滑りに通ずるレベル

アップになるかひたすら小回りをしました。

ひとりでいるせいかリフト係も顔を覚えたのか天気の悪い日ばかりくるねとか

雪の具合とか乗るたびに話しかけられました。

天狗のコブラインはコブの底から溶けていて大きくブッシュが露出していました。

雨に濡れ雪は滑らず、踏まれていないところは巣が入ったようなボコボコ雪で

とても滑れるようなものではなくなっていました。スキーの直前にみたDVDでは

私が思ったラインどりと違い、スキー教室でよくやるようなバンク滑り的なラインと

それより内側の直線的なラインとを示していて、コブの底に板を下すようなものは

ありませんでした。それでコブを滑ってみようと思ったきっかけのskiTVの丸山貴雄の

滑りをもう一度みたら私が何度もこのブログで書いたズルズルドンはいけないという

その上の滑りにつながらないばかりか恐怖心の克服にもコブの征服にもつながらないと

いう思いとは違うものを発見しました。それはスムーズな彼の滑りにもコブの斜面を

ずらして降りる部分があることを発見したのです。他の技術選のビデオもみてみると

コブの頭から板を横にしてづらして降りる部分が他の選手にも見つけられます。

もちろんすべてのコブで全部コブの向こう側の急斜面を削りながら滑っているわけでは

なく制御の一つとしてずらしも入るという当然の技術であり、コブの切れとか他に見せる

技はいくつもあり、そのための準備で全体を整えるときに当然の制御の一つとして削り下りる

のも決して責められるマイナス要素ではないという認識になりました。つまりは場面に応じて

適切なターンをしていくということで逆ひねりだとか順ひねりだとか両足操作だとか言葉付けや

適切な技術というものよりとにかく安全に余裕をもって降りることに尽きるのではと思うのでした。

雨は昨日より強くはなく、昨日感じた自分の癖を意識して小回りをしているとやがてスキー教室の

教師たちやいつも見かける人たちが現れゲレンデも他の人のシュプールが付くようになりました。

細い二本のエッジ痕を残していく人も現れ、私も大回りを試したりして自分でもああいうのは

簡単だという納得もし、昨年よりよりターンのスピードが上がったことや切り返しに上下動を

使ってしまっているところなど課題や昨日発見したものには修正できたような次につながるものも

感じつつ次にはよいよ春のコブシーズンを迎えられるような期待も持ちました。ただ、自分の癖を

発見したのでこれを修正するためどんな練習が必要かまた他の人の意見も聞きたいような気になり、

やはり二級の合格証は見つけないといけないのかなどと考え昔はあった掲示板で技術論とかスキーに

ついて語り合えた場がないことなど思い、次の一手を考えるのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブリジットジョーンズの日記的草津

2018年03月08日 23時54分56秒 | スキー

一時期は真の上達を目指し、スキースクールに入ったりしてバッジテストなどに

挑んだりしましたが、その全体のシステムやスキー理論などころころと変わる教程と

かかわっていても真の滑りとか求めるものに辿り着けないのではと思いしばらく技術系の

情報とも間が空いていました。

スキージャーナルの破産の情報から昨年買ったスキー雑誌の付録のDVDを見てふと思ったのは

自分のスキースタイルと技術がズレているということです。

昨年の雨のガーラで感じたことや久しぶりに滑ったスーパーオリオンなどで長年の疑問やひとランク上に行くための

ヒントがあったように感じましたが、昨年感じた自分の下手さにさらに愕然とすることが今期は感じられたのです。

それは昨年長年滑れなかった急斜面のコブラインも目線と恐怖心さえなければ滑れるんだという単純な思いから

そもそも滑りの構造を変えないといけないかもしれないと思い出したのです。

そして技術的にはとにかくskiTVの丸山貴雄の滑りを見てどうしたらああいう滑りになるのかという強い興味を

抱きテクニカルコーチのコーナーの滑りをやってみようとスキーに出かけました。

残念なことにこの日からどこも雨の予報でかなり強く降るとなっていてかろうじて草津だけ雪の予報だった

ので草津にまた出かけました。

そして、昨年気が付いたことよりさらに愕然とすることに気が付いたのでした。

それはとにかくコブ斜面さえ滑れれば自分に滑れない斜面はないとコブに挑み続け

コブキャンプなどの教室に通ったりして降りられるようにはなったけれど急斜面のコブ

などはいまだに手ごわく年を取るにつれそれらに挑むより新雪を繰り返し滑ったり

温泉に浸かったりを重視し年齢と体力のせいにして上達というものに興味が薄れていたのが

それでも長年あと少しで謎となっている部分にアクセスできる感じがしていたものがその前に

自分のスタイルのせいでとんでもない癖がついていてとてもこれでは上達などというレベルの

話ではないことに気が付いたのです。

もともと自己流で身に付け所謂上級者コースが滑れるから自分は上級者なんだと勝手に

信じ込み、それが所謂基礎スキーの人たちから否定され、バッジテストなどに挑むことに

なり、同じ時期検定を始めた人がクラウンまで取るのに自分はいつしかそれをやっても上達とはいえない

と二級をとっただけでやめています.クラウンを持つ人が転んでしまうようなところも私は

滑れるというシーンを八甲田山のバックカントリーやニセコなどでは実際にしているので

実際的な滑りができればそれでよしという思いはあったのです。カービングスキーがでだした

ころ矢鱈とズレとかカービングとか雑誌にも書かれ、カービングターンができると上級という

認識があったかと思います。

今でも二本の細いエッジ跡を残すターンの人は得意げに大回りをしています。

私はこの細いエッジ痕を残すのが苦手でそれよりとにかく急斜面のコブが降りられる方を

優先していました。今のブーツにしてから、それらのエッジ痕は大回りならふつうにつく

ようになり要はエッジなりに滑るのなんか簡単だというばからしい結論をつけさらに

自己流に拍車がかかったようです。

そのコブ斜面も要は普通に小回りができればコブも降りられると感じ、それを阻んで

いるのは恐怖心だと思ったのが昨シーズンで今年軽井沢で滑りコブ滑りも新段階を

迎えたようでした。

それが、今回草津で圧を強めた小回りをしているうちに自分の滑りの欠陥を見つけた

のです。

そもそもこのブログにも書いているズルズルドンでコブを滑る弊害をいつも書いてますが、

問題はそこではないようです。

そのズルズルドンを始めるきっかけは万座のコブで階段状になった細かい急斜面のコブで

コブの頭で板を切り替え底にドンと落ちる繰り返しで降りられると発見してこれで降りる方法を

掴んだと思ったのです。そして、コブのビデオや雑誌の記事にもそのような逆ひねりによる滑り

というのがよく載っていました。これだと体力があるうちはいいのですが、消耗の激しい春の深い

コブだとドンと落ちた時にその衝撃とひねりを戻す立ち上がりが出来ずに破たんしてしまうことが

多くなり筋力と体力をつけなくてはいけないと感じたのです。その後、毎日13Kを走る体力から

体力に不安がなくなったころでも筋力を消費してしまうズルズルドンでは滑りきることができず、

やはり滑りを根本から変えないといけないという課題になっていました。この日草津は予報通り

雪でしたが、午後には雨になりました。湿った雪はとたんに走らなくなり、滑っている人も少ない

状況で自分の滑り跡をまじまじとリフト上から観察できました。それはある癖があり、すぐにわかり

ました。そしてそれこそが自分のスキーの欠点であり、修正すべきものとしてあげられると思いました。

私をスキーに連れてってで有名なセリフでターンの時内足を引き付ける癖直した方がいいよというのがあります。

つまり、パラレルターンこそ上級者の証なのですが、当時最初はボーゲンで足を広げて滑っているの

ですが、それがなれてくるとターンの時だけ開くシュテムターンに移り、やがて開かなくなるパラレルターン

となるわけです。小さい子がどんな急斜面でもどこでもパラレルファーレンで降りてしまうのをよく見ますが、

実用的にはボーゲンができればどこでも降りられるのです。しかし、ゲレンデで上級者と認められるのは今では

いわなくなったウェーデルンができて真の上級者であり、憧れのスタイルだったのです。

だから足を開かないでターンができるというのは上級者の入り口で内足を引く付けるというのは上級者に至らない

レベルを意味し、越えるべき壁の存在を意識させます。

まず私がターンを覚えたのは急斜面で斜滑降とブルークターンを覚えたのがきっかけです。これにより山側に足を開き

ターンを始めるという練習からパラレルターンにつながっていったのです。

斯様に一つの目標としてあり、人によるとこれができるようになると人はスキーを友として一生お付き合いできるもの

となるという人もいます。しかし、この説には私は疑問符が付きます。その説によると毎年スキーに通う人のほとんどが

上級者ということになり、ゲレンデで見る人はパラレルで滑っているかというとそんなことはありません。昔一緒にスキー

をした仲間も子育てや仕事に追われゲレンデに通うより他にやることがあり今更という感じの人や一級をとりやりつくした

かのような気分になりなんとなく足が向かなかったりという話を聞きます。80年代から90年代はバブル崩壊の後でファッションから

ライフスタイルと強烈な変化があった時期です。その頃のスキーファッションもやたらもこもこしたダウンの短い上着とかピタッとした

パンツと花柄の模様がV字に付いたような肩パットの入ったものとかとにかくその時期のものだと直ぐにわかるものを未だに着て

いる人をたまに見かけます。それらとパラレルターンとの因果関係はないようです。

今では最初からエッジを傾けるだけでパラレルターンができるカービングスキーの登場で教え方も楽になったのかと

思いきやゲレンデで見るスキー教室はいまだにブルーク姿勢でのターンをやっています。半面雑誌のデモのスキー姿勢

などをみると明らかに進歩ともいえるべき変化が見て取れそれを確認するためにもスキー教室に入って確認した方が

いいのかとか思い、改めて二級の合格証をさがすと直ぐには見つからないのでした。

なくも今更困らないし、それでも一級を受験するには必要だというし、デモのスクールだと一級所持が条件だったり

するので少し気になります。

結局、この日は下着まで濡れるほどビショビショでスキーシーズンで一度は雨になるものですが、明日の予報も

雨なだけにやっとあらわになった自分の課題修正のめにもひどくならないように願い宿に向かいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これから

2018年03月07日 10時31分17秒 | 珈琲

明日から週末は出かけていることが多くご迷惑をおかけするかと思います。

珈琲の在庫の少ない方は今日中の手当てをしてください。

今日から少し冬に戻って寒くなるようです。

こういう時にはやはりブラジルの基本となる味が恋しくなります。

また、季節のブレンド『早春賦』はこの寒暖の差に着目して、冬と春を

行き来する季節に寄り添ったブレンドです。

この季節にふさわしいものそれを知る喜びがあるという声を寄せられます。

また珈琲に託する思いも人それぞれですが、それを受け止めてくれるものが

ある安心も大事なことです。

週末はバスケットボール豊島交流なのでお昼前後が試合時間ですのでそれを外して

お出かけください。詳しくはお電話でお問い合わせいただくとよろしいかと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと肩透かし

2018年03月06日 08時49分25秒 | 珈琲

昨日は久しぶりに雨の中走ることになりました。

雨の時にはゴーグルと帽子をかぶり雨用のウェアですが、この冬特に感じる

のが何かを燃やしている匂いです。

この匂いのためにランニングコースを変えざるを得ないこともあります。

薪ストーブを使う人が増えたのか作冬より確実にこの何か燃す匂いがします。

走っていると町の変化も気になります。

最近は閉店した商店が多くなっているようです。

昨日録画してあったアニメ『君の名は』をみたのですが、余りに受け入れがたいものを感じ

何でこれが世界的ヒットになったのかとすごい違和感を感じました。

もしかしたら世の中とずれが生じそれがだんだん大きくなっているのかと

気になったのでした。

当店に来店されレッドマウンテンがないんですねとがっかりする声が今月になり

何度も聞きます。

そして今月お勧めしているのがグアテマラの豆です。

その味とは最初の飲み口がまるでミルクティーの様な味なのでまた肩透かしの様な

印象を受ける方が多いようです。

喫茶店でのグアテマラの味といえばガツンと苦いものが多く、やたらと深煎りで

濃厚という印象をお持ちのようです。

深煎りにしてあらわになるレッドマウンテンの甘味の様なものもありますが、

ただ凡庸にするために深煎りしているようなところが多い中、やはりこの期待を裏切る

肩透かしの中に物事の深淵を感じてみていただくのがこの季節の醍醐味に通じるかと

思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする