一時期は真の上達を目指し、スキースクールに入ったりしてバッジテストなどに
挑んだりしましたが、その全体のシステムやスキー理論などころころと変わる教程と
かかわっていても真の滑りとか求めるものに辿り着けないのではと思いしばらく技術系の
情報とも間が空いていました。
スキージャーナルの破産の情報から昨年買ったスキー雑誌の付録のDVDを見てふと思ったのは
自分のスキースタイルと技術がズレているということです。
昨年の雨のガーラで感じたことや久しぶりに滑ったスーパーオリオンなどで長年の疑問やひとランク上に行くための
ヒントがあったように感じましたが、昨年感じた自分の下手さにさらに愕然とすることが今期は感じられたのです。
それは昨年長年滑れなかった急斜面のコブラインも目線と恐怖心さえなければ滑れるんだという単純な思いから
そもそも滑りの構造を変えないといけないかもしれないと思い出したのです。
そして技術的にはとにかくskiTVの丸山貴雄の滑りを見てどうしたらああいう滑りになるのかという強い興味を
抱きテクニカルコーチのコーナーの滑りをやってみようとスキーに出かけました。
残念なことにこの日からどこも雨の予報でかなり強く降るとなっていてかろうじて草津だけ雪の予報だった
ので草津にまた出かけました。
そして、昨年気が付いたことよりさらに愕然とすることに気が付いたのでした。
それはとにかくコブ斜面さえ滑れれば自分に滑れない斜面はないとコブに挑み続け
コブキャンプなどの教室に通ったりして降りられるようにはなったけれど急斜面のコブ
などはいまだに手ごわく年を取るにつれそれらに挑むより新雪を繰り返し滑ったり
温泉に浸かったりを重視し年齢と体力のせいにして上達というものに興味が薄れていたのが
それでも長年あと少しで謎となっている部分にアクセスできる感じがしていたものがその前に
自分のスタイルのせいでとんでもない癖がついていてとてもこれでは上達などというレベルの
話ではないことに気が付いたのです。
もともと自己流で身に付け所謂上級者コースが滑れるから自分は上級者なんだと勝手に
信じ込み、それが所謂基礎スキーの人たちから否定され、バッジテストなどに挑むことに
なり、同じ時期検定を始めた人がクラウンまで取るのに自分はいつしかそれをやっても上達とはいえない
と二級をとっただけでやめています.クラウンを持つ人が転んでしまうようなところも私は
滑れるというシーンを八甲田山のバックカントリーやニセコなどでは実際にしているので
実際的な滑りができればそれでよしという思いはあったのです。カービングスキーがでだした
ころ矢鱈とズレとかカービングとか雑誌にも書かれ、カービングターンができると上級という
認識があったかと思います。
今でも二本の細いエッジ跡を残すターンの人は得意げに大回りをしています。
私はこの細いエッジ痕を残すのが苦手でそれよりとにかく急斜面のコブが降りられる方を
優先していました。今のブーツにしてから、それらのエッジ痕は大回りならふつうにつく
ようになり要はエッジなりに滑るのなんか簡単だというばからしい結論をつけさらに
自己流に拍車がかかったようです。
そのコブ斜面も要は普通に小回りができればコブも降りられると感じ、それを阻んで
いるのは恐怖心だと思ったのが昨シーズンで今年軽井沢で滑りコブ滑りも新段階を
迎えたようでした。
それが、今回草津で圧を強めた小回りをしているうちに自分の滑りの欠陥を見つけた
のです。
そもそもこのブログにも書いているズルズルドンでコブを滑る弊害をいつも書いてますが、
問題はそこではないようです。
そのズルズルドンを始めるきっかけは万座のコブで階段状になった細かい急斜面のコブで
コブの頭で板を切り替え底にドンと落ちる繰り返しで降りられると発見してこれで降りる方法を
掴んだと思ったのです。そして、コブのビデオや雑誌の記事にもそのような逆ひねりによる滑り
というのがよく載っていました。これだと体力があるうちはいいのですが、消耗の激しい春の深い
コブだとドンと落ちた時にその衝撃とひねりを戻す立ち上がりが出来ずに破たんしてしまうことが
多くなり筋力と体力をつけなくてはいけないと感じたのです。その後、毎日13Kを走る体力から
体力に不安がなくなったころでも筋力を消費してしまうズルズルドンでは滑りきることができず、
やはり滑りを根本から変えないといけないという課題になっていました。この日草津は予報通り
雪でしたが、午後には雨になりました。湿った雪はとたんに走らなくなり、滑っている人も少ない
状況で自分の滑り跡をまじまじとリフト上から観察できました。それはある癖があり、すぐにわかり
ました。そしてそれこそが自分のスキーの欠点であり、修正すべきものとしてあげられると思いました。
私をスキーに連れてってで有名なセリフでターンの時内足を引き付ける癖直した方がいいよというのがあります。
つまり、パラレルターンこそ上級者の証なのですが、当時最初はボーゲンで足を広げて滑っているの
ですが、それがなれてくるとターンの時だけ開くシュテムターンに移り、やがて開かなくなるパラレルターン
となるわけです。小さい子がどんな急斜面でもどこでもパラレルファーレンで降りてしまうのをよく見ますが、
実用的にはボーゲンができればどこでも降りられるのです。しかし、ゲレンデで上級者と認められるのは今では
いわなくなったウェーデルンができて真の上級者であり、憧れのスタイルだったのです。
だから足を開かないでターンができるというのは上級者の入り口で内足を引く付けるというのは上級者に至らない
レベルを意味し、越えるべき壁の存在を意識させます。
まず私がターンを覚えたのは急斜面で斜滑降とブルークターンを覚えたのがきっかけです。これにより山側に足を開き
ターンを始めるという練習からパラレルターンにつながっていったのです。
斯様に一つの目標としてあり、人によるとこれができるようになると人はスキーを友として一生お付き合いできるもの
となるという人もいます。しかし、この説には私は疑問符が付きます。その説によると毎年スキーに通う人のほとんどが
上級者ということになり、ゲレンデで見る人はパラレルで滑っているかというとそんなことはありません。昔一緒にスキー
をした仲間も子育てや仕事に追われゲレンデに通うより他にやることがあり今更という感じの人や一級をとりやりつくした
かのような気分になりなんとなく足が向かなかったりという話を聞きます。80年代から90年代はバブル崩壊の後でファッションから
ライフスタイルと強烈な変化があった時期です。その頃のスキーファッションもやたらもこもこしたダウンの短い上着とかピタッとした
パンツと花柄の模様がV字に付いたような肩パットの入ったものとかとにかくその時期のものだと直ぐにわかるものを未だに着て
いる人をたまに見かけます。それらとパラレルターンとの因果関係はないようです。
今では最初からエッジを傾けるだけでパラレルターンができるカービングスキーの登場で教え方も楽になったのかと
思いきやゲレンデで見るスキー教室はいまだにブルーク姿勢でのターンをやっています。半面雑誌のデモのスキー姿勢
などをみると明らかに進歩ともいえるべき変化が見て取れそれを確認するためにもスキー教室に入って確認した方が
いいのかとか思い、改めて二級の合格証をさがすと直ぐには見つからないのでした。
なくも今更困らないし、それでも一級を受験するには必要だというし、デモのスクールだと一級所持が条件だったり
するので少し気になります。
結局、この日は下着まで濡れるほどビショビショでスキーシーズンで一度は雨になるものですが、明日の予報も
雨なだけにやっとあらわになった自分の課題修正のめにもひどくならないように願い宿に向かいました。