ポスト安倍のニュースに揺れる中、としまえんの閉園というまた一つの時代の終焉を
聞くようなニュースもありました。そのなかで見る映像はあの懐かしいユネスコ村で見た
ゴンドラシュートでゴンドラの先に乗っていた人がジャンプする技はここが発祥だったことや
狭山にできた室内スキー場は最初はここに作られていたことなども知りびっくりです。
今朝車に乗り出かけた際に鼻水が出てくしゃみが出たりしたのは昨日の午後はエアコンの中で
過ごしたせいで夏バテのように今日は朝からぐったりなのもそのせいでしょう。そんなエアコンの
中で見た『yesterday』は120秒の世界的な停電の後、現れたのは売れないシンガーソングライターの
主人公以外ビートルズを知らないという世界でした。それを知った主人公は当然ビートルズの曲を
世界に発信して念願のメジャーデビューを果たし、有名にもなり売れもしたけれど戻ってくるのは
ずっと支えられていた幼馴染の元マネージャーの元というファンタジーです。
まあ色々な権利関係やらポールはまだ生きているし、ジョンの歌は妻やらがまだ根強くなんか言ってくる
だろうしということで使われる歌は限られていてビートルズの歌の再発見とかビートルズの魅力再確認と
いう映画ではないのです。
もともと私より少し上の世代のカリスマであり、彼らがなしたことや彼らが残したことに改めて
目を向けるというより、今気が付かなければならないことを一番に打ち出したかったのだと
思います。それなのに世のビートルズファンが見たらがっかりだとか曲がどうとかありえないとか
全然意味が解っていない向きの感想が多いのであえてここで書いておかなくてはと思います。
ビートルズのドキュメントやら映画やらはたくさん作られていて彼らがなしてきたことは
ずっと見てきました。清志郎で言えばイエスタディを歌ってとかトランジスタラジオとか
スローバラードとか思い浮かびますし、アイドル系歌手にビートルズ由来なのに本人はそれを知らず後に共演を
果たした井上陽水にビートルズの魅力を知らされるなどといったエピソードは多々あり、パフィ
とかその音楽の痕跡だけでも聞くとわかるものも多々あります。
ところがビートルズファンの人がこの映画で何を怒っているのかというとまるでピント外れで
もともとなぜこの映画が作られたかは世の中が自国ファーストとかイギリスのEU離脱とか覇権に
明け暮れ帝国主義的な動きをしだしたからです。そんな現世の世界の動きに目もくれず、ビートルズが
世界に影響を与えたそもそものものは音楽で世界は一つになれるという思想でそれを実現してみせた
ことです。アメリカがまだアパルトヘイトを敷いて黒人と白人が同じコンサート会場に入れない時代
それでは演奏を拒否するといいその解除のきっかけとなったスタジアムコンサートを行った歴史的事実とか
その後そんな世界的ツアーという世界で初めてのことにも飽きインドにグルを探しに行きヒッピー文化と
反戦のシンボルになりベトナム反戦を起こしいま世界で若い女性が声を上げ環境や性差別を世界に訴える
行動にでるようになったのもみんなビートルズがなしたことです。
そういうのを理解してみないといけないのになぜか限られた歌だけとかリバプールを聖地化してるとか
生きているジョンのそっくりさんが浜辺て生きているシーンはいらないとか的外れなものが見られます。
それなら今でも生きて世界ツアーを行っているポールの記憶と活動はどうなっているのかの方が重要に
なるだろうし、他にもタバコやハリーポッターやコカ・コーラがなくなっているというのはしゃれであり
本物のエドシーランが火付け役になるというのもファンタジーなのです。
そして、All You Need Is Loveで元マネージャへの愛に気付きそのもとにすべてを捨てて戻っていくという結末に
今の現代に対するメッセージを感じるのが当然であり、ビートルズファンには楽しめないと言い放つのは
なにも理解してませんといっているのと同じです。
まあ感想だからそう人の漏らしたことにケチをつけるつもりもありませんし、どう感じても自由です。
私としては路上ミュージシャンと世界ツアーを行うミュージシャンとその才能の差とかサリエリとモーツファルト
のようにエドシーランが嫉妬するシーンとか実のところは売りだす力とか世に出す力とかただきっかけだったり時代
だったりしたかもしれないというのはあるはずでそこをサリエリトモーツファルトにするあたりがファンタジーであり、
世界的名声や収入より幼馴染に戻るところが世界に分断と自国ファーストでは未来はないというメッセージになるわけで
今見るべきものとなっているわけです。そんな気取ったイギリス風の描き方と言い回しを理解したうえで多くのビートルズ
物にさらに屋上を重ねる意味として今でも残るビートルズ名所がふんだんに映像化されていたりをビートルズファンは
喜ぶべきでしょう。でもエリナー・リグビーとは架空の想像上の人物でその墓は偶然同姓同名の人の墓なのです。念のため。