King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

夢に出てきた豆

2019年06月28日 09時58分37秒 | 珈琲

怒涛の月末。何か夕方になると立ち上がるのもやっとという疲れ方をしていて

それなのにそれからまたいつものランニングに出かけるというハードな日々です。

 

それならもっと走るのを減らせばいいようなものですが、なぜかこればかりは省けない

人生の重要なアイテムとなっています。この雨が突然降る季節でも雨を理由に走るのをやめる

のも月に一度くらいで、なんとしても走る時間は作るのでした。

 

そして、今の季節なら夏の匂いが辺りに漂います。

 

サクランボやプラムの季節。この夏の夕方の匂いはそんな果物を予想させる甘い香りが

辺りに漂います。

 

もちろんそんな畑があるはずもなく、店頭に並ぶ八百屋さんが多いわけでもないのに、

走っていると夏の匂いがそこはかとなく漂っていてああこの匂いはと思うのです。

 

でも、昔はプラムなんて食べなくて李だったなあという思い出もあります。

 

八百屋の店先に並ぶのも青梅だったけれど、今では青梅なんか漬けるうちないだろうと

思いますが、スーパーには瓶とホワイトリカーが目立つところにまとめて置かれています。

 

しかし、町に漂う香りはやはり夏の果物の匂いがします。

 

ここで夏の罠についていつも考えるのですが、皆さんはそんな経験がないでしょうか。

 

夏休みというと八月が本番ですが、いざ八月になると暑すぎて何もする気にならず、

いつも大量の宿題に四苦八苦したというような、もしくは充実した八月を過ごすために

宿題を夏休み突入とともに爆速で片付けて八月はとにかく遊ぶという計画でいざ始めると

ずっと宿題だけして終わってたとか最後の二日くらいしか遊ぶ日がなかったとかそういう思い出。

 

そもそもずっと雨続きでやっと晴れたと思っても暑くて何かやるような気温でもなく、どこも

出かける予定もないというそんな夏はつまらないというような海に出かけても悲惨な思いでしか

ないとかとかく渋滞と混雑という日本のレジャーの貧しさを象徴するようなことしかないような

そんな夏でも家族で行った千葉や新潟の海は様々な思い出があり、その後海辺の温泉という最近の

思い出でもほんわかとした思いもあるもののやはり夏とは裏切りの季節というイメージです。

 

それに冬のスキーのために夏は一生懸命働くという心持のここ十年ですが、思い返すと浜焼きだ岩ガキだ

温泉だと出かけており、夏は夏の楽しみも多いことを認めないわけにはいきません。

 

ただ人と違うのは人混みの中に出かけていきたくないとか昔のようにお祭りだと浮かれなくなったことは

確かで、人と違うような体験とか本物を味わうというこだわりは増したかということです。

 

とんでもなくミーハーなことをしたり、俗っぽいことに浸る楽しさも時にはありますが、やはりある程度

人生を経てくると当然残した結果が気になるものです。

 

まあそんなわけで、後悔や裏切りの夏に少しでも潤いをということで夏は夏でできることを最大限考えるわけで

今朝の夢ではなぜかその夏の豆にスノートップを焼いて備えようという夢を見ました。

夏の豆ならというのがいくつかありますが、これはかなりレアな部類かな。でも昔から喫茶店などでもアイスに

深煎りの豆として定番の物でもあります。

 

ただ、スノートップくださいと来るお客様の多くは昔のキリマンジャロの酸っぱい味をイメージしており、

そこに氷とガムシロをドバドバと入れ、ミルクを後からトロリと入れるようなイメージでいます。

それにあがなう気もありませんが、当店の試飲でミルクも砂糖もありませんから。

でもアイスの試飲もできますよ。

水出しのアイスパックも受け付けています。

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ジャスミンだと思っていた人

2019年06月27日 09時51分10秒 | 珈琲

また月末になり色々と資金手当てやら支払いやらの時期になり、それに来月の

季節のブレンドの構想も重ねていくという重要な時間もあり、だんだん梅雨の空は

また重く感じるのでした。

 

昨日のカラッとして暑い日から今にも降りそうな梅雨空になり、朝から注文をこなしますが、

なにかいつものような感じでなく、普段より空気も重く感じたりします。

 

都内での諸々の用事をこなした疲れもあるのか、直ぐに仕事にかかる気にならず、少しテレビなど

眺めたり、ネットの内容をみたりして、それでも消えない疲れをまた改めて感じるだけで

すっきりしません。まあこんな時こそ珈琲タイムと珈琲を飲み出ししばしまったりします。

 

昨日来店のお客様でいつものように季節の話と珈琲でテイカカズラに話が及ぶと初めて私同様

ジャスミンだと思っていたという方が現れなんだかとてもうれしくなったのでした。

今の時期ならどこに何が咲いているとかそんなことを知り楽しんでいるのは自分だけと思って

いましたが、普通に散歩と町を楽しんでいるのは私だけではないというのもうれしいことです。

 

テイカカズラとはあの藤原定家でと由来を知るのも万葉集と令和に有間皇子の話など徒然に

続いていくことがあの街角から出ているという事が面白くそれも共有できるということに

また魅力が増してくるのでした。人と人のつながりも街のつながりも不思議な縁があるものです。

 

今秩父では突拍子もないアトラクションを作ったりしていますが、もっと人とその思いを紡ぐような

形にしないといけないのではと思います。例えば粘菌とか真菌とかは森に行けば出会えます。

ですが、秩父の森に行き粘菌を見てみようという人が現在どれくらいいるでしょうか。

ただ、今の食文化とか日本食のすばらしさがつとに言われる現在これは重要なことで、味噌醤油酒

など全て微生物が関連して作られています。冷蔵庫もなく安全な食をどう保つかという知恵が

この微生物による変化だったのです。そんなことは現代人は関心もなく、それでも健康長寿には

執着し、テレビで何が良いと聞けばその食品が次の日スーパーの棚からなくなるという事を

繰り返しています。しかし、何を食べるなんてことより遺伝と環境により人の病気は既に

未来にどんな病気になりどんな生害になるという事まで解ってきています。そんな時に人間に

寄生している微生物の種類とか組成により健康長寿も変わってくると最近は解ってきています。

 

そういう事と人と人のかかわりとか微生物の果たす役割とか地域にいる微生物とかトータルで

面白く見せたら秩父の森に単細胞生物を見るブームが生まれるかもしれません。

 

しかし、マスコミで紹介される有名すぎる店というのは一度は訪れたいのでずっと

それは増え続けるというのが私の中ではあります。秩父でも最近ラーメンやら豚ドン

やわらじカツの店で行列が見られ名物だとか決して近づくまいと心に誓うのですが、

今までやってない体験ということならその行列に挑むのもまたいいのかもしれません。

私の増え続ける懸念のひとつを減らすべく一昨日のお昼は神田のカレーボンディに挑みました。

 

結論から書きますが、1480円は高いし、味は秩父のカレー屋さんで美味しいところはあります。

これは完全に失敗の部類で名声と行列が如何に当てにならないかの証明になっただけです。

 

しかし、神田カレーはまた他の店を選んで挑戦してみようという気持ちに変わりなく、都内

出張の楽しみのひとつとして今後もあらゆる店を試してみるでしょう。

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粛々とそこにあるつづき

2019年06月26日 12時20分53秒 | 珈琲

秩父の田舎から都心に出るとその豊かさを実感します。

かつては都心で生活することを考えたりしました。

 

都会は便利で様々な機会に満たされているとも感じ、今の田舎の需要では

これから先、たいした事業的発展も望めないでしょう。

 

しかし、そこまで求めなくてもよいような気になるのは秩父に着いて安心感に

浸る時です。

 

そこで感じるのは、丁度よい距離感と必要なら日帰りで用事を済ませられるインフラです。

 

都会で生活しなくても生活の拠点は自然豊かな秩父にあるのはとても居心地がよく、なにかに

抱かれているような安心感もありつい次なる発展を踏み出すのを思いとどまらせるようなものも

含んでいたりで、昔から懸念のあることでした。

 

昔から珈琲を飲み考え過ごしてきたそんな空気の積み重ねだったり、時間の目に見えない積み重ねが

珈琲を飲むたび蘇り、自分の精神世界から秩父の自然とそこにある空気と呼応するものが粛々とあると

感じるのでした。

 

そして、その豊かさと自分の幸福をふと感じたりします。

 

自然とは人間の営みにしたたかな仕打ちを時にします。特に最近は雨が集中的に降るだけで死者が出たり

地震が頻発したり、火山の噴火があったりと実ににぎやかです。しかし、それらはニュースで知るばかりで

秩父の生活がそれらからほど遠く何か守られているとさえ感じてしまうのでした。

 

とかく聞こえる同年代の人達の現状は多くの病や社会環境の変化で蹂躙されとかく厳しい人生ばかりです。

 

かくも悲惨な課題を課せられるのはどうしてなのかと人は時に問いますが誰もそれには答えてくれません。

心の安定のために様々な方法が発明され、神という存在や信仰などというもの考え出されました。

 

しかし、珈琲一杯ほどの豊かさ完全さがそれにあるでしょうか。

 

珈琲一杯に感じる自生の心に安寧と安心といつもそれがもたらされるという幸福を持つという事が如何に

恵まれた事か。それを昨日久々都心に出て感じているのでした。

 

 

 

 

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粛然とそこにあるもの

2019年06月26日 10時26分42秒 | 珈琲

昨日は突然の都内出張となり、やはり少なからずご迷惑をおかけしてしまい

申し明けありませんでした。

しかし、私は積もり積もった懸案とか今度都内に行ったら寄ろうと思ったこととか

ことごとくすべての予定を熟せこれは最近にないお出かけの中では行幸の部類に入る

のではという感じです。

もっと自由に自分らしくとか人は時に諸々の悩みやら壁やらにぶち当たり、ぐだぐだと

方向性を試したり、答えのないものをずっと考えていたりするものです。まあそれが人の

繰り返してきたことで、これからもいい年をしてもこんなことの繰り返しをするのです。

 

前回の田中陽希の三百名山で秩父の山を登り武甲山の容姿について地元の人との会話に

日記でも触れて破壊される山容について意見を述べていました。なにかと最近このように

秩父の行政がとった自然破壊というものに対して意見を言う人がいますが、もともと人間の生

は農業によって集約的社会を築き発展してきました。これは各国の神話にも登場し、自然と

農業と人々の暮らしが神の営みとリンクするかのような物語は各国にあり、天文学や潅水

建築とそれぞれの発展を促し、より大きな社会、集合体を形成可能にしました。

 

つまりは社会形成していくと治水、町の構築など自然の形質を変え、他の食性にも大きな影響を

与えます。しかし、それが自然破壊だとか悪だとか直ぐに考えるのが日本人でもともと生きるためには

自然に変更を加え続けることを考えれば人の生そのものが悪となってしまいます。

そして、農業などはよいことと捉えて現代社会でうまくいかなくなった若者が地方で農業するとか

言い出すのをよく聞きます。自然を相手にするからよいこととするのは単純です。農業こそ自然破壊であり、

人間の都合により捻じ曲げた搾取に違いないのです。しかし、それによりより大きな集団での生活や

集約的発展で様々な進歩を手に入れました。そんな事も解りもしない人が山を削ったから自然破壊だとか

信仰の山だから破壊するのは愚かなことだとか言い出しています。

 

そんな程度の宗教理解だから令和だ新時代だと浮かれてみたり、続々と国家神道の復活のような儀式が

国の予算で行われていても何の違和感も持たないのです。

 

今回のイランと米の緊張のように仕掛けたのはアメリカであり、もともと勝手に核合意を離脱したり、

一方的な制裁を課すなど武力を背景にした交渉など誰も乗る気になれないでしょう。ところが今世界で

起きている武力による占領状態は皆アメリカが関係して起きており、自国第一主義が巻き起こったのも

武力による解決で難民が増えヨーロッパの安定を脅かし、各国の自国第一主義勢力が躍進したのも中東で

軍事的にアルカイダなどの排除をしたせいです。

 

昔から他所の国に軍事介入して自由主義と資本主義を守って来たといいつつ、それは唯の侵略と変わりなく

朝鮮でもベトナムでもイランやイラク、アフガニスタンでも破壊しただけで何も生まれていません。

多くの平和で安定した暮らしを脅かし、より過激な勢力が台頭し、無政府状態の国が増え、難民は

祖国を捨てヨーロッパに向かいました。このように平和に暮らしていた生活を壊したのは全て米国の

軍事行動です。

 

それらは国連の決議もなく一方的に始められ、同盟国の参加も強制し大々的に強者が弱者を蹂躙すると

いう図式になっています。今回はまだとどまっていますが、軍事行動の陰で多くの人々の暮らしは破壊され

その責任は誰も負わないという形にそろそろ終わりにしていいのではないでしょうか。

 

クリミア併合やゴラン高原の軍事的占拠など軍事によらない解決を国際社会が主導していかなくてはなりません。

それには全ての国が軍事による解決をやめなくてはなりません。

そんな事を思ったのは昨日の都内出張で見た大使館近辺や有名ホテルでの警備の尋常でない様子からです。

朝のニュースではトランプ大統領が日米安保を見直すとか破棄すると米報道があった事を報じているのを

見てそう思いました。止めるのは米の軍事行動です。

 

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躊躇なくすんなりと

2019年06月24日 12時21分23秒 | 珈琲

実は今月は誕生月でそれにつれ色々とイベントとかできごとがあり、

また懸念材料も一つありました。その懸念の案件も予想どおりと

いうか心配の程のも事もなくすんなりと成し遂げよいよ月末の怒涛の

処理にかかれます。

 

それにはいつもの都内での決済とか用事もあり、なるべく外に出ないで

済ませていたこともあり、都内に出て色々と懸念になっていることも

果たしてみようという気になりました。というわけで明日は都内出張と

なり一日留守になります。ご迷惑をお掛けいたします。明日の豆がない方は

今日中のお求めをお願いします。

 

 

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セラミックの衝撃

2019年06月21日 09時11分46秒 | 珈琲

昨日は税務署からの通知で消費税の講習に呼ばれ参加しました。

梅雨とは言え暑い雨も降らない日でした。

会場はさぞ冷房が効いて講習は絶好の休憩タイムだとばかり出向いて

みると会場は結構暑く涼しいいき抜きタイムとはなりませんでした。

 

秩父のこういう集まりは狭い地域なので顔見知りも多く、あまり声を

掛けられないようにひっそり片隅に座るも見つかってああだこうだ色々と

何をやれとかこれをしろとか色々と無理難題を上げつられるのがおちです。

 

結局、講習の半分はこの増税とキャッシュレスの推進で使える補助金は

いくらでどう申し込むかというものに占められ早々に席を立つことになります。

思えば今回の三度目の増税チャレンジで今回は軽減税率もあり、よいよまった

なしのようですが、海外では日本型の巨額借金財政を見本とせよという人も

あらわれて財政規律とはと改めて問われています。

 

しかし、今回の増税は国際的信用とかオリンピックとか控えてもう逃げようも

ない感じになり、実施は避けられないのでしょうが、巨額の補助金などや軽減税率

の導入により、そもそも増税する必要があるのかという疑問も強くなります。

 

少子高齢化に伴い社会保険料や医療費はさらに膨らみそれを支える労働人口の

現象など有効な打開策や人口構成に改善の見込みもない状況に衰亡の危機は

強くなっています。

 

秩父では移住を勧めたり観光振興策など色々と取り組んでいますが、最近目にする

ものに何か方向性とかアプローチの仕方に問題があるのではという気もします。

特に先日報道陣に公開されたジャイアントスイングという渓谷間の巨大ブランコなど

一万以上という料金に誰がそんなのやるんだろうと思います。

ケーブルで滑空する体験も他の観光地には既にあり、いまさらという感じもします。

 

例えば銘仙などの伝統文化を伝えるなどという取り組みも補助金目当ての地域おこしに

とどまり、京都のように文化そのものが着物を着る機会を作っていたり、菓子や

歌会や花見など人と文化が絡み合い残っている様をもっと見習うべきです。

 

第三セクターの相次ぐ失敗を見てもお役所指導には限界を感じます。

商工会とか補助金とか中小企業の味方のように今回の講習でも頼りになる組織のようですが、

実際のどれだけ税金なり補助金が果たした役割の検証などもなく、ただ正統な競争を阻害して

市場を狭めているだけのケースもあるのではないでしょうか。

 

さて、当店ではそんな補助金やキャッシュレスでのポイント還元などあまり関係ない

わけですが、最近問い合わせが多いのはミルについてです。より良い珈琲を淹れようと

ドリッパーや器具に色々凝る人もいますが、簡単に味の向上が望めるのはミルの種類に

寄ることもあります。特に安くてすぐ効果を実感できるという事だと手回しのセラミック

ミルをお勧めします。

 

これはいくつも種類が出ていますので、オールステンレスの最低30g挽ける日本製のものを

推奨します。これならどこにでも持ち運べるし、鉄の歯の物と比べると味の違いが実感

しやすいのです。ただ、毎日使うものですから手回しだと疲れるとか面倒だと感じる向きには

電動のものもあるので紹介します。もともとカリタのミルは古くから電動のミルはあったのです。

家庭用の電動ミルで業務用を小型化したみるっことかそれとほぼ同型のナイスカットミルという

定番商品があるのに最新型としてNEXTGという商品も出しています。ナイスカットミル、みるっこは

鉄の歯ですが、NEXTGはセラミックの歯です。

 

ミルに求められる性能とは挽目がそろうとか微粉が少ないとか静電気による粉の飛び散りとか

音が少なく振動も少ないという静穏性などです。

 

ネットなどから見るNEXTGの性能はそれらの声から定番として名高いナイスカットミルを

改良したもので見た目も斬新な美しさがあります。ただ、ネットの声でこのセラミックの歯に

ついてのコメントは皆無なのです。中国製の安いミルや高い海外ブランドなどもありますが、

日本製の物に比べて性能や耐久性もあり故障も少ないという車と同じような安心感は同様です。

不思議なのは味を求めてこのミルにしたという人は少なく、音がうるさいとか粉が飛び散ると

いったことで買い替える人や見た目の斬新さに惹かれた人ばかりなのです。

 

特に歯の素材に触れた人や味覚変化に触れた人がいないというのはいかに世の人が味から

買い替えるという切実なものを抱えていないというおかしな状況です。

当店で試飲した方はほとんどの人がその変化を簡単に実感するのになぜセラミックの歯が

必須とならないのか不思議です。

 

思えばそば屋で金属のミルで挽いている店は皆無で石かセラミックの臼です。

水分の多い蕎麦の実とカリカリに焼いた珈琲豆ということで現在のように

なっているのでしょうが、もっと味に気付きやすい環境があれば違うのかも

しれません。つまり、まだ人々は珈琲の味に気付いていないのです。

NEXTGが35000円程度ナイスカットミルは2万前後、ポーレックスミルが6264円

ですが、支払った金額に見合う味の成果を得られるのか。

 

しかし、ここで肝心なのは毎日持続可能なシステムかどうかというのも重要な

アイテムになるという事です。味ではポーレックスの手回しの物がいいのは明らか

でも物理的、時間の制約とか精神的余裕とか毎朝その使用ができない方もいると

思います。

 

もちろん当店では挽いてお渡しも豆でのお渡しも自由です。

気になるのでしたら200g程度ならすべてポーレックスの手回しのミルで挽いて

お渡ししてもいいですし、業務用のカリタのハイカットミルで挽いてもいいですし、

みるっこで挽いてお渡しでも構いません。興味のある方は指定してください。

 

 

 

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いつもの香で満たされる

2019年06月20日 09時58分56秒 | 珈琲

春から初夏にかけて様々な花が咲き、それぞれ独特の香りを発しています。

今梅雨の季節なら半夏生。

昨年この花を見つけた花壇にその姿がなく、家人がどこからか見つけて持ち帰ったものを

みてどういうことかと考えてしまいました。

つまり、興味のない方には全くただの路傍の草も季節を感じる重要なアイテムであり、

それらに包まれて生活している実感があるとないとでは大違いという現実です。

 

しかし、自宅の庭にお気に入りの草花や植物を植え、季節感を味わうという一番

オーソドックスな趣味さえ最近では行われることはなく、下手に動植物を飼うこと

は喘息とかアレルギーを増やして快適な住環境などというのも最近では人工物に

囲まれて生活する無機質なものに変わっている感じです。

 

なぜこうも人はこうも弱くなってしまったのか。

 

自然の脅威が増し、雨が突然集中的に降ったり、PM2.5の増加など環境の変化は

我々の経済生活からもたらされたものでしょう。かつての薪とかまどの生活に

戻ればまた違うのかもしれません。しかし、一度手に入れた便利さに慣れ、人々の

生活はもう元には戻れないでしょう。

 

ただ、脱石油は不可能なことではなく、プラスチック製品を減らしたり、循環型の

社会を目指すことは我々の今の便利な生活を長持ちさせる鍵となるでしょう。

 

昨年の私のブログに載せた半夏生の写真は、神社前の番場通りのとある花壇にあった

ものです。今時その白い色は目立つので今年も咲いていれば目にしているはずです。

それがないのはやはり花壇の主の判断で違うものにとってかわられたのかはたまた

今年は花を付けなかったのかということです。通りに面した花壇でさえこのように

年により付ける花は違います。

 

これは人による人工栽培という事で咲かせる花も変わるのですが、野望としては

常に華やかにそして香りに癒されるという事が目的のひとつであると思われます。

しかし、我々鑑賞する側の通行人は楽しむだけでなく、時にはゴミ箱代わりに

ゴミを投げ入れたり、空き缶を放置するなどの行動をとる人も少なくなく、人と

いうのは全てが同じ気持ちでよりよい社会になどという勧善、性善説はなりたたない

のです。

 

奇麗に咲き誇る花壇でも人は時にそれを愛できれいだと誉めそやす人もいれば

花をもいでしまう衝動に駆られる人もいるのです。ただ、花を植える人が多い

町であってほしいと願わずにはいられません。その先にどうすべきか、どういう

社会を築くべきかは置くとして、花壇の維持は並大抵な努力ではできないことは

理解されるでしょう。いつまでこの花が見られるか解らないとすればまたみる側の

意識も変わります。さらに、花の香りの記憶もより一層強く残るのかもしれません。

 

ただ、毎年色々な花が咲き匂いに癒される社会がその記憶とともに連綿と続くように

努力しなければならないと思った時に、珈琲の毎朝の香に満たされるということが

実に簡単でもたらす豊かさも一日を始めるうえでも実に実り豊かに生活を演出するか

というのは花壇ほどに手もかからず、簡単に手に入るのです。

 

そして、簡単に生活を豊かにしてくれると思います。

 

そんな珈琲の香で今朝も目を覚まし、朝のひと時をブラジルの豊かな甘みとゆったり

した深いコクの中でくつろぐ時間を持てることに感謝し一日を始めることができる

のでした。

 

この珈琲生活も初めはインスタントコーヒーでOKでもある日それがとても不満に

感じ、受け入れられないと感じることもあるのです。さらに、本物のレギュラー

コーヒーを飲むという贅沢を手に入れたとしていつも飲んでいるそのメーカーの

味が突如不満に感じより確かなものを求めたりするのが人間の志向です。

 

特に本物を知ってしまうとそういうことになってしまう人は多いのでは

ないでしょうか。何かにこだわりを持つという事は自身の生き方の問題で

ただ単に趣味の問題や好き嫌いの問題ではありません。

 

なにかにこだわることが人間であり、物が売れなくなった時代に製品に

アートを取り入れる企業が増えているといいます。それだけニーズと

競争が激化しているにもかかわらず、秩父において受けるサービスとか

販売者からのアプローチとか実に不快にしか思わないことに満ちています。

 

度々指摘する自動車セールスの担当の質もそうですが、一番基本の自社商品の

性能すらよく理解していないのです。例えば今や自動運転という未来に向けて

業界は動いているわけですが、今のトヨタの車には2000ccクラスの車では

パワーステアリング、パワーウィンド、ウィンカーの自動復帰という他社と

共通の性能はいいとして、パワーシート、ヒーター付きシート、ヒーター付きハンドル

一度踏むとブレーキが踏んだままとなる、サイドブレーキもPレンジに入れると自動で

入り、解除も自動など最初の三つと比べて必須の物でしょうか。もともとギアを

クラッチでつなげていたものが自動でその操作がなくなったものが、さらに進んで

ギアすらないというのが今の車です。これが何をもたらすかというと長いドライブ

で結構差が出るのです。そして、運転人生という事で、こういう車で運転して慣れて

しまうと他の車に乗った時に信号待ちでブレーキを踏み続けなくてはならないと

思い出すまでハッとしたり焦ってそのままアクセルを踏み込んでしまったりという

ことにならないでしょうか。停車の際も同様です。昔のように止まれば自分でサイドを

引くなり踏むなりするのが習慣で染みついているのにこういう車に乗って慣れてしまうと

またそういう装置が付いてない車に乗った時にサイドをひき忘れたり、戻し忘れて

さらにアクセルを踏み込んだりしてしまわないでしょうか。

 

私のようにクルーズコントロールの設定上限を知りたいというユーザーにセールスは

そもそも自分でそのような場面に陥った経験がないと何を求められているのかさえも

解らないのです。今のXVを購入する時にも担当セールスは全車速対応ですといいましたが

実際は114Kまでしか入らないのです。そしてこれが何を意味するのか、ユーザーが

どう感じるのかも理解できないのです。

 

高速の利用が日常でないユーザーも多いでしょう。そして、高速道路も120K時代を

迎えようとしているときにユーザーは何を思うかとメーカーも考えないのでしょうか。

SUBARUはクルーズコントロールの上限設定の数値をカタログに書いています。

それなのにこれが何を意味するかセールスは理解していません。

 

トヨタに至ってはその数値が書かれていないためセールスの言う通り何Kでも設定可能と

いわれても試しようがなく知りようがありません。ネットでも私のようにこの点を知りたい人が

質問をしているのを見かけますが、その意味も考えない人がやたらとコンプライアンス

を訴えたりと不毛な応酬で終っているのを見ます。

 

つまり自動運転前夜ですらこんな状況なら日本ではどんな法設定が今後されるにしろ

自動運転など専用道路以外では実現しないでしょう。日本では細かく各道路の上限速度が

決められていて、高速道路など100Kから出口インターに入った途端40Kになり、もしそれを

完全に守る自動運転の車が増えたら追突事故が絶えないことになるでしょう。

 

さらに自動運転でない車のユーザーからの不満が募り反対運動も起きるのではないでしょうか。

 

それ以上に人手不足でAIのプロドライバーが増えて自動運転の車に駆逐されてしまうのかも

しれません。ただそうなれば個人で車など所有する人はいなくなり、メーカーとしては本末転倒

なのではないでしょうか。

 

そう考えると毎朝珈琲の香で目覚める幸福は実に簡単で実に確実に実現できる至福の時で

それもなお季節のブレンドで季節感も感じることができるという素晴らしさです。

是非お楽しみください。

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路端の半夏生

2019年06月19日 09時13分43秒 | 珈琲

朝のワイドショーで毎日繰り返されているのは2000万だ3000万必要だという

議論です。そもそもそんなのいくらあれば安心とか老後いくら必要かは国民

ひとりひとりの価値観が違う事であり、いくらで満足する人もいるし、それでは

足りないという人もいることでしょう。それが年金の信頼性に触れたものだから

報告書を受け取るとか受け取らないとか諮問しといてなかったことにしだしたのは

選挙前という事で下手な蓋を開けたことになったためでしょう。

 

そしてワイドショーでまたぞろ専門家などがああだこうだ言い出したものを見た時に

国民は寡婦方式とか保険とか年金とは言いつつこれは税なのだと認識すべきです。

つまり、年金は将来もらうための物でなく、年寄りを養うためにとられる税金であり、

介護保険も同様です。それらがたいして収入がなくても収入の半分近くも取られている

事を考えればいくら関心がないといって最低選挙に行くようになるでしょう。

 

つまりは将来年金としてもらえるとか自分が介護を受けるときにもらえるという期待を

持たせて税という負担感を霞ませただけです。

 

そして、70まで働かせて年金支給も70、80からにしようという少子高齢化のためすぐに

新たな負担者が増えそうもないことから先送り的施策がされようとしています。

しかし、逆にこれをみると70からもらうこともできるし、60からもらえることもできると

するならば、将来破綻とか減額が予定されているなら逆に60からもらった方がよいとする

決断もあるかと思います。人生100年時代などといい老後の備えを70まで働いて年金は

80からもらい二十年間の老後を楽しむというビジョンを見させようとしているようですが、

60から年金生活でいいような気もします。

 

まさにこれは働き方改革で、今までのようフルタイムで安い時給で働かせるスタイルから

専門性のあるものを時間拘束せずに使うような幅広い活用の仕方が広まるでしょう。

 

さて、一昨日の大きな月から昨日の武甲山の上に見えた明るい金星と何か象徴的な

風景の夜空が続いています。すっかり梅雨らしくない今年ですが、何が抜けているのか

考えるのもまた楽しいと感じるこの頃です。

 

新しい浴衣を新調してあめ薬師や川瀬祭りの支度をするのもいいでしょう。

 

昨日家人が持ち帰った花はあの半夏生です。

 

梅雨の花なら半夏生です。

 

半夏生に浴衣美人が今のジャストコンビネーションでしょう。

 

今年の夏は色々と秩父でも相撲興行やらイベントがあり楽しみです。

 

それもこの季節を楽しんでこそです。

 

そして、それを彩る珈琲に季節のブレンドは欠かせません。

アイスコーヒーには冷蔵庫で一晩でできる水出しアイスパックも

ご用意いたします。お気軽にお問い合わせください。

 

 

 

 

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MJBが飲めなくなる日

2019年06月18日 09時32分15秒 | 珈琲

昨日はまた朝から疲れる業務が重なり、午後には歯医者と疲れ果てたので

夜の走りも極少なめにしようと市役所方面に向かうときれいな夕焼けがみられ

疲れもスーと薄くなっていく感じでした。

 

これに走って汗をかき、最後にジャスミンシャワーで完全復活だと思いつつ

国道を渡りました。

 

最近は走り出してもまだ明るく各庭の花なども眺められます。

 

ちょっと前までは完璧に陽が落ちてから走っていることが多く、大きな流れ星が

よく見られました。昨日は大きな月が羊山から上がりその上に金星が明るく輝くと

いう幻惑的な輝かしい光景がみられました。一昨日はこの月と金星の位置が逆で

そのさらに前は金星が丁度武甲山の上に輝くという象徴的な風景で一日一日の

決まった時間だけ眺めてもこれだけ変化が楽しめるのです。

 

そんな周りに劇的な変化を見せる風景が展開しているのも知らず、人々はスマホや

タブレットでネットでのやり取りに夢中なようですが、私も朝ネットを見ていて

愕然とするものを見つけてしまいました。スペシャルティの豆を売りにしているお店の

ものでしたが、どうやら大手と自分の店の値段の違いにびっくりしたという記事で

自分の店の豆を載せていたのですが、まずその大手の豆と同じ豆かどうかは国が同じ

だけで実際同じなのかは定かではありません。

 

珈琲豆というのは同じ国の同じ地域でも畑が違えばもう味は別物なのです。

 

例えば同じ産地で同じ農園名だとしても大手は商社と特別契約で普通のスペシャルティより

さらに選別をかけた特別なロットを仕入れているのかもしれません。巷の小さな店はその

残りの農園物を仕入れただけかもしれず、それを堂々と大手より半分の値段で売っていると

公言するのはあまりに事情を知らなすぎると危ぶんで続きを見てみると豆の写真をみると

ひどい斑な豆が映っていて半分は焦げ色のような当店であれば捨てているようなものが

入っているのが見て取れます。

 

こういう小さなお店は注文を受けてから焙煎するというスタイルで中には店舗もなく、

ネットだけでの店もあり、薪で焙煎するとか特殊な焙煎を売りにする店とかとにかく

増えています。

 

多いのはやはりどんな味でこんな感じという記述がないことでしょう。

 

人により珈琲の味は人生を左右しかねない大事な要因であり、その切実な要諦を

訴える人が時にいます。当店に寄せられた要望も色々とありました。ドラマ鴨川食堂的な

テーマを訴える人もいました。

 

それぞれ面白いエピソードですが、それは個人の秘密に属するものもあるのでおいそれと

書くわけにはいきませんが、味という事では皆切実な体験をしているわけです。

皆似たような経験をして喫茶店巡りを始めたり、自分で焙煎機を作ったりします。

 

それがある日インスタントコーヒーが飲めない日が来たり、あの緑の缶のMJBに満足できない日

が来るという話がすんなりと通じる人とそうでない人がいるようです。

 

まあそれが喫茶店でネスプレッソで商売が成り立つという現状になっているのでしょうが、

フェイクニュースでも商売として成り立ってしまうというものと似たものを感じます。

しかし、本物には力があり、偽物はやがて駆逐されてしまうという簡単な正義を信じるようでは

この世の中乗り切って行けないのでしょう。本物には力があり、それを信じ見分ける力は

必要です。さらにこの混沌を眼前とあるものとして感じられ許容してそれでも仕分けし、

その本物を味わう力を養わなければならないのでしょう。ダメなものを否定するだけでは

完結しないのです。そんな意味でMJBを飲めなくなったか飲めるかにかかわらず試飲を

お勧めします。あなたの珈琲問題も聞かせてください。

 

 

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ラストチャンス的ジャスミンシャワー

2019年06月17日 10時17分33秒 | 珈琲

 

昨日は仕事を始める前に朝一でCH-Rの試乗をしてきました。

私の希望はRAV-4の試乗なのに応対したセールスは何を考えているのでしょうか。

まあ、CH-Rも気になって一度試乗をしたいというのは以前からあったので乗ってみ

ましたが、顧客がどんな要望を持ちどんな応対を望んでいるかというのが何も解って

いないという思いはしました。

 

RAV-4も地上高200mAWDと形だけのSUVでなく、初めからオフロード走行を予定して

いて期待が持てます。ただ、カタログ数値的には4気筒200cc燃費16k/l、170馬力、cvtなど

見えるものは大体の物は装備しているようでただ設計上の新しさやクローズコントロールの上限など

はなく、こういうのは販売店に聞いても知らないことが多いのです。

つまり自分たちの売っているものがどんな細かい性能かまで走らないうえに、顧客が何をこだわり

どんな差を求めているかなんて考えてもいないのです。

 

かつて車はステータスであり、所有する喜びというのも大きなウエイトを占めていました。ところが今や

移動の道具という認識は強まり、さらに必要性能が価格に見合うか消費者は吟味する時代になっており、

安全性能や燃費など環境性能まで強く意識されているという変化を見せているのに、何が売りになり、

何が魅力というのは知らないのです。ただ新しくなり、かっこが以前よりいいくらいにしか思っていない

人が売っているのです。そんな消費者は馬鹿でなく、今や顧客満足の時代でどういう喜びが車により

もたらせるか伝えられなければ車も売れないでしょう。

 

かつては車検ごとに買い替える人も多く、メーカーもモデルチェンジやスタイルとデザインをくるくると

変えていました。しかし、今では車を所有する人は減っておりその維持費と自由度に見合うかという事を

考える人も多いのに、何故そう車を買い替えさせる強い動機を作り出せていないことと本当に必要なものを

メーカーも知らないのではという現状です。例えば、昨日乗ったCH-Rなどもcvtなのに機械的ショックのある

変速段階ごとの吹きあがりと切り替えショックがあり、パーキングブレーキの電動、自動化で渋滞や信号待ちの

ブレーキの加重が自動化されたりしているので、年寄りの暴走は下手な自動化が却ってあだとなりパニックを

誘発させているのではと思います。

 

それにアイドリングストップなどもふたつバッテリーを積んでまで備えなければならないことなのかという

気もします。車検や三年ごとの部品費用の高騰でエコでも環境にやさしくもない気がします。

 

土曜日には久しぶりにバスケットの練習に参加してまた違う筋肉痛を感じています。

 

これも月曜日に行ったジムでの久しぶりのトレーニングで起きた体の変化からバスケットも

やっておかなかければとなったのだと思います。

 

そうして、昨日は夜のランニングは雨上がりからまたジャスミンシャワーを味わうべく、最後の

シーンがあの坂道になるようにコース設定して出かけました。このジャスミンシャワーと令和と

定家と色々と関連しているので詳しくは試飲の折にでもお尋ねください。

 

それは昨年の季節のブレンド『光のイディア』と今年の『早夏』にも関連しているのです。

 

光のイディアと名付ける前は光芒という名前でした。それはこれから夏に向かう秩父の夕景からきていて

雨上がりの厚い雲間から指す光の筋が射す光景は神々しく神秘的な風景です。なかなか写真にとっても

その雰囲気は伝わりません。そう思うのはその神々しい風景と風情を言葉で伝え、ええそうですねと感じて

もらえることが少なく、いつも説明してもどかしいのですが、それはあることに通じていると感じるのです。

 

人間の目というのは実に優秀で山の風景とか遠いものも近いものもうまくまとめて一枚の絵のようにして

感じています。これは森の中の雨上がりの中を行く心地よさに似ていて森の中にも光芒が射すさまを見ること

になります。

 

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会を思い出してください。あの華やかで楽しさにあふれた風景はまさに

音楽が溢れ人々のざわめきが聞こえてくるような絵ですが、それをもたらしているものは何か認識していますか。

あれこそが光のイディアであり、いつもこの時期テーマにしていたものです。しかし、もし実際に写真であの場面を

写したらどうなると思いますか。実際にはあの絵のような明るい絵にはならないのです。絵だからできるあの

明るい光の絵が出来上がっているのです。

 

山もそうです。目の前にある山塊を伝えたいと写真にとってもその迫力がなかなか伝わりません。

 

しかし、サントヴィクトワール山はどうでしょう。伝えたい凛としたたたずまいがハッキリと描かれて

います。実際の現地の写真などを見るとあまりの違いにびっくりするはずです。それなのに現実を伝えて

いるのは写真より絵の姿の方に感じるのが人間の頭です。

 

今年感じたテイカカズラの変化は梅雨の訪れと連動しています。

 

雨上がりのテイカカズラのそばを通るとマイナスイオンに満ちた清浄で清涼な空気に満ちています。

それが合わさり疲れた体が癒され軽くなるとてつもない蘇生感を感じることができます。

これなどは雨上がりの森を行くのとおなしで事です。そこにある空気も雨に濡れた植物の呼気であり、

清浄な空気です。サントヴィクトワール山やムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会に描き込まれている

のはそんな感動も一緒に描かれているのです。


ただ、それを知るには見る側に同じような体験や日々の喜びや感動を知る心がないと伝わらないのかも

しれません。


というわけで、季節のブレンドを飲むお客様にはぜひともこのジャスミンシャワーを経験してみて

ほしいと思います。

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この差は何

2019年06月14日 09時38分19秒 | 車選び

昨日はまたSUBARUのディーラーに出かけた。

というのは数日前いきなりモニターにハイブリッドシステムの点検が必要ですと

でて、アイサイトも使えないようになってしまった。それでもアイドリングストップは

作動するし、EV走行もしている。前回室内灯を点けっぱなしにしバッテリーが上がって

しまい、救援車からバッテリー直結で始動してディラーに持って行き、三年たっているから

バッテリーは交換した方がいいというので交換した。

 

ただし、XVはアイドリングストップ用にバッテリーがもう一つついていて一遍に交換すると

5万円以上してしまう。ディラーでも申し明けなさそうに今日は補機バッテリーだけ交換して

後は量販店の利用をお勧めするといった。車の進歩に伴いバッテリーも変わったようで、色々

調べてみるとやはり三年に一度の交換は普通に必要で、二つも付いていると維持費は倍かかる

ことになる。量販店に行くとバッテリーは三種あり、スタンダード品とプレミアム品と最高級品質品

とあり、一番下のスタンダードでも三年保証されるらしい。昔、ホームセンターで売っている安い

ものは再生品で一度使用済みの物を液を変え充電して売り出すというもので次の車検まで持つかどうかは

定かではないというものが殆どでとりあえず車検を通すための物という認識だった。ところが、今は

バッテリー単体で三万以上するものもざらにあり、それでも三年したら交換は必要だという。

とにかく最近の車は全てアイドリングストップが付いていてやたらと始動回数が増えたので

バッテリーは酷使される。だから高性能になったというのが売り場の人の意見だが、鉛電極と

希硫酸という基本構造は変わっていない。となればだましだまし使えば10年くらい使えるのだ。

ただ、朝出かけるときに気持ち良く一発で始動して出かけるという行動を当たり前に感じて

当たり前にオーディオやらナビやらドライブレコーダーやらエアコンを使いたい人には説明書の

いうとおり、バカ高いバッテリーを三年ごとに交換しないとならないのだろう。というわけでは

私はアイドリングストップ用にバッテリーはネットで買うことにした。再生品では不安なので

買ったのはスタンダード用ではなく、プレミアムというクラスのものにした。それでもディーラー

で交換するより一万以上安い。ただ、取り付けは以前やったことがあるとはいえかなり苦労した。

昔と取付金具の方式も取り付け方も同じであったが、やたらと電極に色々付いていてコードに可動域

が狭く、バッテリー自体が重いために体力がない人だと自力での交換は諦めてしまうだろう。

私も三度ほどこれは自動車屋に持って行かないとだめかと思った。過去にこのくらいの作業は

やったことがあった事とその時と何ら構造も変化してなかったことが最後まで私をその終結まで

作業をさせたが、今の車はコンピューター制御だとか点火方式も複雑で昔のように原始的な

ポイントなどというものはないし、個人でメンテナンスして乗るなんて時代ではなくなって

しまった。しかし、基本的構造やら組み立て工法や設計志向が変わったわけでなく、やはり

ボルトとナットという造りに変わりはない。特別な工具を必要とするケースも少ない。

前回ディーラー車検から車検専門店にして数万のコストダウンとなったことは書いたが、

結局なんかあるとディラーに持って行かないとどうにもならないことは多い。今回の

アラート表示もハイブリッドシステムの点検を促すもので、どう対処しどんな不具合なのかも

解らない表示というのは全くお手上げである。表示は出たものの走るのに不具合はなく、

自力でディーラーまで走り点検してもらうとコンピューターのエラーを消してただそれだけ

の事であとは何も点検やら作業らしいこともなく、様子を見ろという。さて、この作業の間に

みたカタログから感じた事だが、今はハイブリットシステムという名前でなく、E-BOXERなる

呼称でなんか特別な駆動系を備えた様な印象になっている。ついてるのはフォレスターとXVのみで

今までのハイブリットからかなり特殊な印象を与えるけれど各記事や試乗記事などから判断すると

トヨタのハイブリッド車から比べるとEV走行はあくまで補助的であり、加速が足りないところを

モーターで補ったりと燃費や性能的にみるとどうしても必要かという所で疑問符がつく。というのは

エコカー減税がすべて使えて取得税が無税とはならなかったり、数万円の差で買えるシステムという

ことでその分伸びる燃費で何万キロ走ると元が取れるという数字もそれほどの物かという気にさせる。

しかし、付いているのは最上級ランクのグレードに付けられているからなんとなく所有欲を刺激される

というものとなっている。私も最初XVの出だしの滑らかさと速さにはびっくりして他のプリウスなどの

モーターだけで走る出だしやCVTなのに最初のギアはローギア設定が別に機械的にある設定など結構

がくがくと機械的変速のイメージがあるのに対してXVの滑らかさは今までのロングドライブでの疲労

から比べるとかなり減ったのも事実だ。そしてなりよりスキーに行く際に一番気に入っているのは

車高20センチという他の車にはない低重心なのに足高なところだ。これは他のSUVと比べても他の

街中を走ることを重視している形だけのSUVと違っていて最初から悪路を走るという設定になっている。

ただ欠点としては樹脂の部品が多く、内装などは安っぽい印象を受ける。走りはよいのに車格という

物は低く設定されているという事だ。特に不満はアイサイトのバージョンが最新のものでなく下の物が

付けられていて信じられないことにクルーズコントロールも100Kまでなのだ。これは私が買った時が

モデルチェンジの時期でたまたま新型が付かない状況だったのだと了解していた。しかし、あれから三年

マイナーチェンジを経てE-BOXERなる新武器を備えた今でさえこのクルーズコントロール100Kは

維持されているのである。これが他の車もそうであれば諦めもしよう。だが、LEVOUGやフォレスター

には120Kまで可能なものが付いているのだ。つまりこれは車格での差を付けたとしか思えない差別で

これだけは受け入れがたい。ただ、だからといってLEVOUGやフォレスターに乗り換えたいかといえば

スタイルや用途が違う気がしてその気も起きない。どこでも自由にという発想と走りは燃費以外は他社を

しのぐもので、突出していた。ただ、RAV-4が改良されてスタイルと性能的にこれでよいのではと思わせる

物を持っている。例えばパワーリアゲートオープナーなどはスキーを収納する時にあると良いものだ。

ただ、これはスバルだとフォレスターにはあるがXVには設定がない。そのくせ無用のパワーシートなど

付いている。シートなど電動で動く必要がないばかりか手動で手早く前後させたり背もたれも移動できた

方がよい。変なとこに高級感を出す必要はないのである。それに格付けがあるかのような扱いもそもそも

不満であり、オフロードを気楽にどこまでもという事でその走りの信頼性で乗り換えたのだから変な

差別があるようならレンジローバーにでもするだろう。そもそも車に金をかけて肝心のスキーに行く回数が

減ってしまったら意味がないのだ。実際世の中は外見を気にするあまり、外車を乗ったりバイクを買ったり

する人の方が多い。自身の何を大事にし生活を重視するなら人からどう見えようが好きなように自由に

移動し、自分の行動を任せられる安心感を重視する。それと走りそのものにこだわったり、発揮する機会のない

能力までは必要ないが必須のスペックはあるのだ。そこら辺の機微をわきまえている人というのは持っているものや

乗っている車のスタイルで判断できるものだ。ああこの人は形だけの人だなというのも一見して解り、どう

いうつきあいになるかも予測できようというものだ。

そんなわけでドライブクルーズ120K問題は車の乗り換えに発展しかねない問題であり、重要な案件なのに

世の中では年寄りがプリウスでまた人をひき殺したという話題ばかりだ。

そもそも最近の車はアクセルとブレーキの踏み間違いを防止する装置が付いているし、衝突回避装置も付いて

いるのに年寄ほど昔の車を乗り継ぎ突如暴走して人を巻き込んでしまうというのは車の性能とか認知機能以前の

問題のような気もする。確かに人の車にたまに乗るとブレーキを踏まずに始動でできたりびっくりすることが

ある。だからといって次の朝突如車を誤発進させたり暴走させるというのは社会がどう対処するかという問題を

超えている。しかし、小池都知事は誤発進防止装置導入に補助金を付けるというこれまたパンとサーカス的な

対処を示して見せた。もっと世の中を正しく導く道はほかにありそうな気がする。

さて、ドライブクルーズ120K問題はそもそも100Kだと設定する機会がないのだ。つまり使用する機会がないことに

なるのについているというなんともいらいらとした状態になる。これは使うと長いドライブでは必死にアクセルを踏み踏み続けると

いう事から解放され実に楽なのだ。それにやがて来るだろう自動運転を先取りしているというような近未来感も感じる。

なのに、実用域が低いとお前の車ではここまでだよと差別を毎回受けているように感じるのである。

しかし、その100と120に明快な差がなく、簡単にコンピューターの設定を変えるだけでXVでも120Kが可能になると

思えてならない。外車などでスポーツチューンなるコンピューターの設定をすると最高速度が上がるというのを聞いて

それと同じ類の違いだと思う。しかし、これについてやろうとしてもその壁は厚く、車を買い替えた方が簡単なこと

を知るばかりだ。それなのに私が車に求めるものがXVに行きつかせたのに、ロングドライブが楽になるからというので

買い替えるのはまた違った話に思える。誰かXVでも120Kまで使えるようにしてくれないだろうか。

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なにかと小倉と強まる筋肉痛

2019年06月13日 09時17分58秒 | 珈琲

筋トレから三日目なのにますますあちこち筋肉痛は強まり、

何もしないでじっとしていてもいたいという状況に今朝はまた

すっきりと梅雨の晴れ間となりました。

 

そうするとまた駐車場の除草やらやることが出てきて、また起動に

時間がかかる事態となり、さっと動けない自分が面白く感じたり、

運動して筋肉痛になってよかったと思ってみたりします。

 

そう思うのも動き出しの度にいたっと声を出しているうちだけで

実際に動き始めてしまえば段々気にならないし気にしている間も

ないのです。

 

さて令和になりやたらと万葉集だとか亀卜だとか昔の事や古墳の事が

話題になる中、次々に日常の中で実はあんこの小倉もあの藤原定家が

もとらしいとか百人一首の小倉と付くのも藤原定家だとかときてそして

今話題の伝承館のテイカカズラもまさかの藤原定家の悲恋から来ていると

知り、何か仕組まれていたことかとまで考えてしまうこの頃です。

 

そんな今まで知らなかったことが次々と関連して明らかになる現象に

発見の喜びや、生活のアクセントを感じるわけですが、これって知って

いた人から見るとなんで今頃という事であるのかもしれません。

 

この間の有間皇子の歌のように本来知らされるべきことが省かれたり十分な

教育水準にない環境に置かれたりというあってはならない偶然のようなことも

時には起きることであり、この辺の機微は敏感に過ごさねばなりません。

 

そんな生活を豊かにする、気持ちも豊かにする知識というのは立体的思考の源泉

であり、新しい視点にもつながります。

 

身近なものや日々目にするものの古来からの由来や故事、はたまた昔話や伝承

に至るまで触れてみると関連を考えるだけでまた面白いことに気が付くのです。

 

さらにそれに季節のブレンドが加わればまたその思考は広がり考えもその幅を

増すのではと思います。

 

今月の季節のブレンドは『早夏』です。

 

四月からのされているの季節のブレンドを飲み継がれているお客様にはさらにこの今月の

ブレンドが目指したものを理解されるのではないかと思います。

 

このテイカ由来の続きはひとつ疑問も残しました。藤原定家は権中納言という

役職なわけですが、小倉餡に用いる大納言という小豆が小倉よでくとれるから

という説明がされているのですがここら辺は後付けというか後世に作られたものを

感じさせています。何事もすべて鵜呑みはいけません。お楽しみもほどほどにと

いうのも心しましょう。

 

 

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ジャスミンシャワーとカエルシャワー

2019年06月12日 09時32分23秒 | 珈琲

一日遅れの筋肉痛が襲う中、痛いところはさらに増し、動こうと

起動するのに時間がかかるようになってしまいました。

二日続いた雨が昨日は止みこれは希少な時間とばかりに走り出すと

雨はまたぽつぽつと降るといういかにも梅雨らしい天候となりました。

 

宮地を大野原方面に走ると妙見七つ井戸を辿るように行けるのですが、

五の井戸と四の井戸は昔のように水が流れていないという状況に寂しさを

感じます。

 

大野原まで行って秩父橋に回りスーパーの前を通り299号の信号から阿保へ

回ります。このコースはほぼ平坦で一番気分の乗らない時に利用するコースです。

特に暑い時にはこんな逃げのようなコースがあると便利です。

 

そして気になっていたことが昨日は全て解消されるという快挙もありました。

 

まず、阿保のセブンイレブンから公園橋方面に走る時に昨年は田んぼだったところが

乾いて駐車場のようになっていてもはや耕作を諦めたかと思われていたところが、

ちゃんと田植えされていたのです。カエルの声が絨毯攻撃のようにさざ波となって

迎えられました。田植えは六月になってからかと納得というか安堵して走り抜け

さらに懸案となっている坂にまで来てまた気になっていたことが解消されました。

 

それはこのブログに何度も書いたジャスミンシャワーです。

 

伝承館のテイカカズラはずっと安っぽい石鹸の匂いのままで、なんだという

気持ちが強くなっていました。しかし、雨上がりの昨日は昨年嗅いだあの

ハーブティーのようなスーッとする感覚があったのです。マイナスイオンが

満ちたような清浄で走って火照った体を冷やしてリフレッシュしてくれる

あの感覚を昨日も味わったのです。ずっと待っていたジャスミンシャワーです。

 

これだよ。という感覚とそういう事だったのかという納得となんとも充実感の

漂う走りとなりました。

 

こんな些細なことの積み重ねですが、何十年も暮らしている町に興味が尽きず

季節季節の楽しみも増し、発見があったりと楽しみは尽きません。

 

結局六月は雨。雨が必要だというのを実感し、雨がもたらす効果も肌で感じるのでした。

 

この時季の季節のブレンドはしばらく雨上がりの雲間から射す光の筋をイメージして

いました。雨が降り、いつも厚い雲に閉ざされていても実は太陽そこにあるという

その証のような光芒に神秘的なものと何か約束されたものを感じつつ、じめじめした

事に収束するよりこんな雲の間からも射す光に癒しを求めていたのでしょうか。

 

五月の記録的暑さに昨年のようなブレンドではもはや間に合わないような感じもして

さらにもっと根元的な味にとしたのが今月の『早夏』でした。

 

その根元的な味とは知りたい方は試飲においでください。

 

 

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雨上がりとジムの後

2019年06月11日 09時33分35秒 | 珈琲

昨日は雨なので夜のランニングは諦め久しぶりにジムに

トレーニングに出かけました。久しぶりというのも昨年はバスケットの

試合で度々アリーナには来ていますが、トレーニング室はすっかり

足が遠のき二年ぶりに訪れたことになります。すると私の個人ファイルは

なくなっており、10年分のトレーニングの記録もどこかに片づけられてしまいました。

 

いつも五月の下旬にあるスポーツイベント、チャレンジデーで無料開放される折には

雨が多いことからいつも利用していたので最低一度は使っては来ていたのですが、食事処が

トレーニング室に拡張されてから狭いところに閉じも込められて自転車をこぐようなイメージが

あり、つい足が遠のくようになり雨でも外を走ることが多くなり、よっぽどのことがないと

ジムの利用はなくなっていたのでした。

 

ジムで筋トレをした夜は直ぐに筋肉痛に悩まされたものでしたが、予測した筋肉痛は朝になり

徐々に強くなって色々と支障が出てきました。

 

やはりもっとジムの回数も増やしていかないといけないかという感じです。

 

ジムではいつものメニューをこなしていくと当然衰えとかできないこととかが

増えていくような不安を持つわけですが、それと逆の事も普段感じるのでどこかそんな

バランスがとれているんだと勝手に思い込み下手に落ち込んだり調子に乗ったりしないよう

心して行こうと思うのでした。

 

さてその久しぶりに訪れたジムでの変化を書いておくと掲示物から色々の催しやはたまた

この間のチャレンジデーは久しぶりの敗退という結果を知りました。秩父が負けたのは

あまり今まで聞いたことのないことであれっという感じを受けました。といっても、この

イベントは参加している人の数のわりにネットでも話題にならないし、マスコミに取り上げられる

事もないので関心のない人にはまるで認知されていないことであり、年一度の対戦型という

イベントも今後の取り組み方とか工夫が必要なのではという感じもします。

 

それともう一ついつもどこかしらのマラソン大会の募集のポスターを見るのですが、今回みたのは

大田原マラソンの物でそんな大きな大会でもないのですが、問題はその制限時間です。普通は

5時間程度の制限時間があるものですが、大会要項によると4時間というのです。これはきびしい。

かなり経験があり完走実績のある人しか走らせないという感じを受けます。

 

年々増えるといわれるランナー人口ですが、フルマラソンをサブ4で走る人も普通に増えているので

しょうか。私も最初はそれを目標にして実はそれを達成してしまうと走るのも人生の目標も失うような

気がして残しておいた課題でもあり、そうするうち実は実現が難しいかもしれないという自身の衰えなども

考えると達成せずに残したままなのか最終到達点となるのかぼんやりとしたものとなっています。

 

まあ、世の中ハッキリとさせるより曖昧のままでよい場合もあります。

 

また変化するのが人生なのです。

 

ということにして、昨日ジムに行ったことで起きた体の変化をしばらく

楽しむことになるでしょう。それを彩るのは今朝もブラジルの珈琲です。

このブラジルはどこも突出していない平衡的な味で実にバランスよく、

一日を始めるのにふさわしく、仕事中も仕事の邪魔にならないという相棒の

ような存在です。

 

当店のようにスペシャルティの豆も普通の豆もある店はそうあるものでなく、

しかし、珈琲のあるシーンを考えれば普通に自分で飲む日常的なものとちょっと

贅沢にお客様を迎えたい時に出す珈琲と揃えたいのも当然です。

 

当店ではブラジルサントスNO2を1Kとかマンデリンを2Kとか買われる方も

いればスペシャルティの良い豆だけ買いそろえる人とかそれはもう様々で

私の想像を超えている人もたまにはいます。

 

季節には季節の味というコンセプトを理解され必ず季節のブレンドと新しい

出会いを求め今まで飲んでいない豆という買い方をされたり、楽しまれていると

いう様子を感じるとまたこちらも楽しく感じるのでした。

 

新しい出会いは常にあり、情報も集まり豆との新たな出会いも世界の情勢を感じたりと

めくるめく移り変わりは常に感じます。

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やはり梅雨入り後は雨

2019年06月10日 09時45分45秒 | 珈琲

さわやかで暑いという日もいつの間にか終わり気が付けば

雨がしとしと降っているという今時の朝でした。

あれだけ暑い日が続くとこの涼しい朝は逆にたまに訪れた休みのように

感じます。

 

ずっと気になっていたジャスミンシャワーですが、今年は昨年とは匂いが違い

ずっと安っぽい石鹸の匂いのままです。

何故昨年の良い香りがしないのか気になっていますが、ひとつには今降っている

雨ではないかとまた今降る雨に期待しているのでした。

 

今までは雨が降っても乾いたほこり臭いにおいばかりが目立っていましたが

このしとしと降り続く雨が上がった時には一斉に植物から上がる空気はまた

生気そのものを感じるみずみずしい香りに満ちているでしょう。

 

それだけ今年は今まで雨が少なく、暑い日が続いたという事です。そんな

流れで季節のブレンドも雨上がりを意識したものからもっと変化の中逆に

落ち着いた雰囲気に浸れるものをとブレンドしました。

 

落ち着いた雰囲気とは珈琲の世界に浸る境地とはとにかく根元的な味を

求めて信頼に足るものというのはなかなかそう簡単に表せるものでなく、

一口に根元的な味といいつつ、それを聞いた人たちはどんな味をイメージ

しどんなものを求めるでしょうか。

 

それには深い味の珈琲と聞けば、ただ豆を黒く深く焼けばいいわけではなく

ただすとんと気持ちの落ちる気持ちの良いものにしなくてはなりません。

それがブレンドの妙で掛け合わせによって成功事例として生み出されるのが

そのすとんと落ちる心地よさです。

 

ここに落ちると感じるほどの落ち着きが生まれるからこんな激しい温度変化や

気候の変化でもすとんと落ちる心地よさで季節感を改めて感じることができます。

しとしと雨が降る今までにない心地よさを感じて雨に濡れる楽しみもあると

感じるのもよし。雨が地面にしみわたり秋の恵みに通じると喜ぶもよし、

雨を楽しめたらよいのでは。

 

 

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