あれだけ尾身会長に五輪開催の意味を問われ、無観客を主張されたのに
それに答えることもなく政府や五輪委員会は会場で酒提供を画策するという
居酒屋や飲食経営者を逆なでするようなことを発表し、世間や庶民などおかまいなし、なんでやるかはおのずと知れたものでもはややめることなどできず
国民の安全や安心より国際的ステークホルダーが全てを握っているという現実が
顕わになっています。
それでもデモが起きる程度でボイコットとか反発する向きもなく、売り出された券の払い戻しを求めたりという目立った動きにもなっていません。券を買った人は
楽しみにしているという人が多く、対策がちゃんとなされた大会が開催されるものと信じているようです。
ワクチン接種も大規模開場には空きがあるという報道がある一方、接種券を求めて
役場に押し掛ける人も増えていてデジタル庁とかワクチン大臣まで作っても
何も建設的なことはされていないのです。
役場もそんな国のやり方に何の対処もなくただ人海戦術で押し寄せる人々に
ワクチン接種券を発行し続けています。
そんなのなんでデジタル発行ができないのか逆に不思議になります。
何のためのマイナンバーなんだか。それにワクチン接種者にデジタル証明なども
進んでおらず、ワクチン接種後の世界もどんな感じか見通せません。
勧善懲悪のドラマが流行る米はマグナムのシリーズも本国ではシーズン3の制作が決定しているそうです。
ハワイファイブオーが長寿番組でその後継としての需要もあるようです。
日本としては米のトランプからバイデンへの動きなどみてやっとまともな
人が政治を担うようになったくらいの認識ですが、民主主義とは正しい一部の
先進的な人や科学的な人の意見ばかりが通る世界とも言えません。大多数はおろかな庶民なのです。
だから真の民主主義とは愚か者が支配して愚かな決定をしてしまうのです。
例えば地球温暖化のためにCO2を削減するというのも実際科学に裏付けされた
正しい主張と今では捉えられていますが、トランプが言ったように科学的裏付けに乏しいというデータも存在します。
しかし、ここのところの温暖化の現実を実感する世界になるとできることはしておこうと
現実にCO2削減に世界が向かっています。
この脱炭素は今では普通に語られていますが、宮沢賢治のグスコーブドリの伝記では
冷害に苦しむ農民のために火山を噴火させて炭素を出して温暖化させるという今とは逆の話になっていてこれは童話だからとか実際火山が噴火するとその噴煙が一年以上も滞留し作物は冷害で育ちが悪くなるという説もありますなどと注意書きが付されていたりしました。ところが今のようににわかに炭素悪物説が主流になると宮沢賢治の先見性が言われるようになりました。
私は雨にも負けずの詩以来時代に利用され評価にバイアスがかかる人もいないと思います。
文学作品や思想的にすべてOKなのかというとそれは簡単ではなく、しかし、現代では宮沢賢治の世界ならすべてOKなようなそんな風潮もまた怪しいと感じます。
つまりは作品を読んでもいない人がその作品やイメージだけ利用して使っている感じです。これは米の歴史をよく知りもせず米が善で中国やロシアは悪といった単純な考え方をする人がほとんどなのと同じです。
映画『グリーンブック』や『ブロークバックマウンテン』をみると人種差別や性差別があったとの贖罪なのかそれとも恥じてもいないという態度なのかよく
人々は考えてみる必要があります。
日本もあれだけの被害を出しなお故郷に帰れず汚染も進んでいるのに40年超の
原発が再稼働されてしまう日本も何と鈍感でバカな国民なのでしょうか。