King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ニカラグアにします

2013年10月31日 09時42分17秒 | 珈琲
最近よく焼くのが、ニカラグア、モカシダモ、カロシトラジャと
いったものです。

インドネシアの豆を好む人は多いのですが、何に引かれているのか
答える人は稀です。

マンデリンが一番という人。

当店ではゴールドトップマンデリンがありますが、それがそのマンデリンに
あたるのか。

そもそも当店でどこどこの何の豆が好きという話をする方は少数派です。

逆にどこどこで飲んだコーヒーがとてもまずかったとかまずかった話は
多いのです。

どんな珈琲のどんな味を望んでいるのかは聞かれないことが多いのですが、
この豆はどんな豆ですかという質問は多く、どんなものを望んでいるのか
答えられない人にこんな味なんですという答えをするというまるで禅問答の
ようなことをしているのです。

季節のブレンドを毎回楽しみに他県からも通ってこられる方がいる一方、
秩父市内在住者で何度か探して近くまで行っているけど見つからなかった
などという人もいます。

朝晩冷え込み、暖房も恋しくなってきました。

こんな時期にはやはり珈琲が似合います。

カロシトラジャなんかは今の時期にぴったりな味です。

マンデリン好きという人にもぜひ試していただきたい味です。

そして、夏あの暑い中飲んだカロシトラジャと今の時期に合わせた今様の
焼きにした味の違いを堪能していただきたいと思います。

昨今多い高級豆とか限定豆とかいうなかで、高級感が増したニカラグアも
実際にこれがニカラグアの味というイメージを持たれている方は非常に少なく、
ただ、最近おいしいと噂の豆にニカラグアやエルサルバドルの名が重なる
からという理由らしいです。

もともとグアテマラなどの中米で多いブルボン種がその主な品種でどこも
この豆で同じ味だと思われている節がありますが、おいしい高級豆の
イメージの発生源がこのブルボン種であるならば、今当店で焼いている
豆はそれにあたらないのです。

当店の豆を飲み慣れている人は、もはや中米のブルボン種ではちと
物足りないと感じている人がほとんどだと思われます。

今の季節が進んで落ち着いて深い味の珈琲が飲みたいときには特に
色々な顔を見せる希少種の豆がお勧めです。

それがニカラグアのジャパニカだったり、エルサルバドルのバカマラだったり
します。

ブルボン種の醍醐味から知りたいという方にはニカラグアのリモンシリョ
ブルボンがおすすめ。

自分はマンデリンの何にひかれていたのかという自分探しの方も
どうぞご来店ください。お探しのものが解るかもしれません。

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『間宮兄弟』に感じたこと

2013年10月30日 11時33分21秒 | 映画

『間宮兄弟』
この映画はテレビ欄に沢尻とか中島みゆきとか気になる名前が
あり、それもどうせカメオ出演的なものだろうと思いつつも一応予約して
見てみました。

最近のニュースで日本人の生涯独身率が20-30%となり、熟年離婚とか
核家族化がさらにすすみ一人世帯の増加が顕在化しているそうです。

それはもろもろの社会的弱さにつながると分析する専門家もいますが、
まあ専門家でなくても生きにくさが増していることに違いありません。

もともと数千年前から部族間で争うより集密的な都市化を築くことが
人間としての進化と現代の繁栄をもたらしたとみるなら現代の孤独な
生活形態はこの先の未来、何を意味するのでしょうか。

このままでは人口減は避けられませんし、社会の規模縮小にもなるし、
優秀な人材輩出にも翳りが出るのではと思われます。

懸念される事態は高齢化と貧困と格差の拡大にも表れ、長い人生を
定年という形で仕事を取り上げ、社会参加も閉ざしてしまう現制度では
より格差と活力が失われた世界となってしまうでしょう。

昨今何かと絆とかおもてなしとか取り繕った言葉だけが独り歩きし、
実社会の改革や新たな世界を構築する気概もなく、ただその格差の
埒外の側に回ろうとする姑息な精神ばかりが透けて見えてしまい
仕方ありません。

この映画のような兄弟を良しとしてしまう社会や、男女間関係を
みても外見や生活レベル以外の人間としての交わりとか社会的な
かかわりとか何かもっと評価されてしかるべきものが実際には何も
生活には関係なく進んでいるという実態を目の当たりにします。

昔のロシアの小説のようなドロドロとした生活の呪いを博愛的精神と
盲目の人間愛で解決しようとしたパワーも人間の可能性もついには
この先何もないのかと思わせる背中の寒くなる思いもします。

生物進化的に見れば非生殖可能世代の増加は誤発展の結果で、
今後どんな修正と変化があるのか、これは日本だけでなく先進国
では人口減は普通で、地球規模ではほんの一部のことで、実際には
爆発的増加が続いているのですから、主流の流れから取り残された
日本のような国はどうなるのかまた違った考察が必要なのかも
しれません。
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そして感じる敗北感

2013年10月30日 09時36分49秒 | ジョギング
日曜日は長野に出かけていたのと予定より秩父着が遅れたこと
などから走るのはやめました。

そして、次の月曜日は日曜恒例の16Kランの日の代替で90分ランを
やりました。

しかしながら、1分ほど時間はオーバーでした。

最初のゆっくりペースから徐々にランペースになったのですが、ここのところ
の冷え込みでエンジンの掛に時間がかかるようです。

もうすでに夜人に会うことも少なくなり、走っている人もほとんどいません。

それなのに今日は走るのをやめようと思った時になぜか走っている人を
見かけるのです。

昨日も雨が止んだので走り出すつもりでいましたが、いざ走り出そうと外に
出ると音を立てて降り出しこれは休めということかと諦めて車で用事に出ると
秩父神社の歩道を走っている人を見かけたのです。

このパターンは二度目で、なぜか敗北感が募る瞬間となります。

自分が走っているときには人に会うこともないのに、走らない時ばかり
他のランナーを見かけるという不思議と何かにはじかれているような
疎外感と複雑な思いが交錯するのでした。
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コンテイジョンとトラジャと

2013年10月29日 16時50分18秒 | 珈琲
昨日ネットで紹介したトラジャ珈琲ですが、あっという間に
売れ切れてしまい、今日もまたたっぷりと焼きました。

澄んだ高い空と色ずく山々を遠くに見ればどこか行きたい
という気分になるのが今頃です。

お出かけに持って行ってほしいなとご紹介したのがこの豆。

インドネシアのカロシトラジャです。

夏と変わりじっくりと大量の豆を強火の直火で焼き上げた
大粒の豆は圧巻です。

先程焼き立てを試飲したところ、この出来たてならではの味が
さく裂しました。

あれだけ大量に高温であぶりたてたのに暴れた感じもなく、
実にフレッシュなジューシーな味がはじけるといった感じでした。

またこれが落ち着いてくるとまるで違うものになるのです。

まあ、この時のこの味を知り得るというのは贅沢な役得です。

一休みしたらコンテイジョンを見てみようかと思います。

これは11年の今頃に見た映画です。

これを深夜にやっていたやつを録画したのですが、テレビで見るのと
劇場で見るのとではまるで違うものを見る感覚があり、感じることも
また違ったものになるのです。

この映画を見るとなると気になるのはゾンビものです。

映画もドラマも漫画もこのゾンビ物は沢山あるのですが、なぜ
かみつかれるとゾンビになるのかいつも疑問に思うのです。

ゾンビに触れても返り血を浴びても内臓を浴びても感染という
ことなら同じはずなのに、かみつかれない限り感染はないと
いうのがひっかかります。

進化的に考えると宿主を増やす行動が進化の要諦になるので
人類をもっと爆発的に増やす行動をとらせるがこれから起きる
方向だと思います。

未知のウイルスからおきることなら結婚しない人が増えている
現代は明らかにこのゾンビの映画と同じ道であり、未来を予測
させる物語ならもっと違う進化の物語が考えられるとつい思って
しまいます。
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紙にできないんだったら

2013年10月29日 10時19分38秒 | 日々のこと
最近多い携帯端末とかタブレットとかですが、これはアウトドアでは
見づらくて役に立ちません。

特に紫外線がたっぷりの雪山なんかではデジカメなんかも何もモニター
出来ずにめくら押しでシャッターを押すことになります。

そんな経験があるから、デジタルコンテンツとか携帯端末とかあまり
持つ意味を感じていませんでした。

うちにipadはありますが、本を携帯するより便利かというと紙よりも
便利で手軽かという点では重いし、読みづらいので旅行で使うために
持って出る気になりません。

でも最近の携帯端末のCMをみると外でも読めるとかバッテリーが
週一でいいとか軽くなったとか気になることが大変多くちょっと気に
なりました。

基本的にその携帯端末を買うのに1万円払うのであれば、紙の本が
それだけ買うことができることを思うとそれ以上のメリットがなければと
いうことになります。

デジタルコンテンツはすべて有料でもなく、例えば夏目漱石の有名な
ものなんかは無料で読めるわけで、図書館に行くのがめんどくさいとか
改めて古典に親しんでみるという気分の時にすぐに読めるというメリット
があります。

また新聞だとか雑誌とか整理して手元に置いておきたいものもデジタル
なら検索も整理も楽です。

どっかの温泉場に一冬こもるならこういうものも手荷物が減らせるし、
持って行く価値が出てきます。

しかし、ながら一般的な人ならばそんな山籠もりの機会もなく、二泊
位の温泉旅行なら、逆に山の中でネットも携帯もつながらないという
不便を楽しむことを優先させるべきでしょう。

とまあ冷静になってみるとものを持たなくていいという潔さから音楽も
本もデジタル化して身の回りがすっきりするのはとても清々するので
魅力ではあります。

反面本が本棚にびっしりの書斎やラックにCD、DVDなどがぎっしりの
空間も何らかの効果をもたらすでしょうし、どちらがいいとかどちらに
すべきといったものになりません。

今ある物はそのままにして、これだけ情報や物があふれる時代には
興味があったり、気になったらその時だけネットで見たりレンタルで
借りて、あまりものが滞留しないようにしたいものです。

ということで、長い旅に出る機会か山籠もりの機会が巡るまで新品の
携帯端末は保留としました。
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今時珈琲豆にトラジャは

2013年10月28日 10時29分23秒 | 珈琲
今朝起きたらあまりにぞくぞくとする寒さに冬近しと感じました。

昨日の長野への旅で道々での紅葉はまだだと感じましたが、
冬はすぐそこに来ています。

まだ平地から見る遠い山の頂にさえ雪はありませんが、空気の
香りとか音の伝わり方に冬近しというのは如実にあります。

昨日の旅のお供に持参した珈琲は、トラジャでした。

夏にもよく焼いたトラジャでしたが、それはあの夏の夜空のような
イメージが好きで、すっきりとした味わいを強調するためあえて
シティでとどめたスーと突き抜けるようなさわやかな感じを楽しむ
ためでした。

さらに季節が進み、夏の行楽シーズンに連れて行くには飽きの来ない
しっかりボディのそして長いことポットにおいておいても味の変化のない
酸味のしつこさがないものがいいと選んだのがトラジャでした。

これは夏の時よりさらに深く焼いて本来インドネシアの豆を味わう
深さになっています。

インドネシアの豆というと苦さのみという感じをお持ちの方もいるかと
思いますが、そんな簡単な味の連なりではない深い厚いボディで
しっかりと気持ちを受け止めてくれ、落ち着いた気分で旅を癒して
くれます。

ステンレスタンブラーだとえぐみとか渋味とかいやな味は一番先に
来てしまいますので、下手な豆は持って行っても結局一度口にして
後は飲まないということになりかねません。

この豆でしたらそんなことはなく、いつでもああいつもの珈琲を
飲んでいると味と香りもいらっとした気分も消していつもの珈琲を飲む
豊かな気分をよみがえらせてくれます。

旅先で高くてまずいのを買う必要もなくなります。

携帯して行ってもその味の崩れない構造体のしっかりとしたものを
持って行くことが大事なことです。

コスタリカ ラ・カンデリンジャハニーなんかもこのタフコンディションにも
耐える珈琲としてお勧めです。

トラジャとともに秋のお出かけをどうぞ。
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あまりにないことだらけ

2013年10月27日 23時59分28秒 | 日々のこと
久しぶりに朝早く起きて長野県に出かけました。

これは町内の行事に参加したものです。

その目的地の一つが松本城でした。

日本に現存する天守閣というのは12あり、そのうち最古と
いうこのお城ですが、みななぜこのお城を見に来るのでしょうか。

大阪城や名古屋城のように再建されてエレベーターがあるような
お城でも人気で観光客が絶えませんが、姫路城や彦根城のように
戦国時代より建つ城というのはタイムカプセルのように我々に
何かを訴えかけてくるような何かを持っていると思えてなりません。

とはいえ、当時の姿そのままを伝えているものがあるはずもなく、
諸々の修復とか人の手が時折々に入っており、どれだけ当時の
情報が今に伝わっているかを検証するのもまた楽しみかも
しれません。

このお城を見るのも重要な一つの案件ではありましたが、私に
してみれば、もっと重要な目的があり、それが青春の思いとも
いえる北杜夫がその当時残したという落書きを見るというものが
あり、これはお城から離れたところにあるので今回果たせません
でした。

これは夢を果たし過ぎてはいけないという私の行動規範にそって
いるかなと当初思いましたが、今回の結果を思い返すとあまりに
何も得るものがない旅行であり、秩父に帰ってまた感じる満足感
もふるさとが与える安心感も今回は実に少ないと感じる旅となり
ました。
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新体重計

2013年10月25日 23時59分06秒 | 日々のこと
待望の新体重計が届きました。

あまりの先進性にびっくりです。

表示項目も増えて、計測にかかる時間は短縮され、体年齢なんてのも
表示されます。

NHKで特集されていた病の起源というシリーズが人間の進化の過程に
病の起源があると解説しています。

それをみるとそもそもアフリカで誕生した人類の祖先は、病気もなく健康に
生活していて、これを現代の世でも引き続き同じ生活を送る民族も存在
することをリポートしています。

採集狩猟民族がアフリカを出て、文明を手にして得たものは、莫大な人口
拡大だったのですが、果たしてそれは人類の望む未来であり進化だったのか
という懸念が台頭します。

その進化とは、生命体の生き延びるための発展的過程だと言われていますが、
人類の場合、自らの意思を個体本来が持ちますがその意思の結集が進化の
中枢にあると思われていますが、実際はもっと根源生物の原始的な発展のみ
に彩られているのです。

つまり、人体の細胞は6兆といわれていますが、そこに暮らす寄生生物の
細胞は600兆に上ると言います。

つまり生命の頂点にある人類の進化もこの体内の原始細胞体の最大の拡大
を目指すために人類も進化をこの先たどるようです。

ですから、文明社会を築き、遺伝子組み換えで膨大な量の穀物を得、家畜を
その穀物で育て、肥育採乳についても自然環境以上に莫大な量を収穫し、
結果多くのストレスと病気を抱えながらも急激な拡大を未だに進んでいます。

将来、もっとより多くの病気と環境の変化を引き起こしつつも、より拡大し、
もっと複雑な構造体で個体数を増やす方向に進化するのではないでしょうか。

それは過酷な自然環境に対応し、さらに家畜や魚類や有機物を多角的に
活用し、莫速的に数を拡大していくように思われます。

そんな原生生物との進化と病を取り除きより少ない人類で充実した社会を
築くことが知恵と意識を持つ人類のなすべき道なのではないかと新体重計
を手にして思いました。
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台風接近の夜に

2013年10月24日 23時59分08秒 | ジョギング
昨日は走り出そうと外に行った時点で雨が降り出し、
空を見上げたら赤色の混じった寒そうな夜空にこりゃ
だめだとあっさりと走るのを放棄して休みにしてしまいました。

今日はそんな昨日の夜空よりさらに真っ暗な空で雨は
午後から本格的に降っていました。

なのに、なぜか昨日はすでに午後からあちこちであることになり、
配達やらで外出して気分的にはかなりハイになっていて、夜に
なっても休むことなく当然走り出すことを選択していました。

クリアレンズのサングラスとランニングキャップと手袋にランニング
ベストという最強の武装で走り出しました。

しかし、コース取りとしては安全を優先で車の少なくて、歩道も
あるところです。

昨日は前日の休みもあり長い距離を走りたかったのですが、
あまりいいコースが思い浮かびません。

最近一番使っている横瀬高篠大野原コースは歩道も一番多く、
街灯も多いのですが、車の交通も多く雨の日には使えません。

もっと田舎道で誰も通らないようなほうがいいので、影森方面に
走り出しました。

自宅前から影森駅まで走りますが、この道は完全な裏道なので
夜になれば人影さえまばらです。

ただ、路肩は舗装が痛んでおり水たまりも多く、車が来ると端に
避けるため、この水たまりに足を突っ込むことも多々あります。

一度つっつこむ時にならなくなり、多少の水たまりは避けなく
なります。

濡れた靴はとても気持ちの悪いものですが、しょっちゅう濡れていると
気にならなくなります。

最初のうちは冷たいのですが、すぐに靴下は体温で温まり、
時折水たまりにはまったくらいでは冷たさを感じなくなります。

これは体全体に言えることで、体からの熱が走っているうちは
雨で濡れても冷える方が少ないのです。

走り終わった時には体中から湯気が立つような感じでした。

とはいってもそれは走っていればの話で、すぐに濡れた服を脱いで
汗の処理をせねば、風邪をひくことになるでしょう。

一番いいのは風呂に入って暖まることです。

そして風呂で感じる走ったことによる満足感は強く、寝床について
朝ごはんを食べても続くことになります。

明日の夜また雨でも走る気分でいるかは別ですが。
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失せ物、壊れ物と台風と

2013年10月23日 16時05分37秒 | 日々のこと
本格珈琲のシーズンを迎え、よいよ冬を前にいろいろやっておかねばならないこと
が目白押しです。

日々の雑事にまみれて、人それぞれいつの間にか忘れてしまったものとか
いつかやろうとして取っておいたパズルとか、やりかけておいたことなどが
きっとあるはずです。

年々その積み上がった物や無くなってしまったものとか多くなる一方ですが、
実はひょんなことから解決してしまったり、積み上がった資料の中から突然
見つかった探し物とかもあります。

そんなずっと探していたものが見つかるとそれがもとでまたやらなくてはならない
こともあり、それで解決とならないからまた厄介です。

それでも長い時間探していたものが見つかるというのはうれしものです。

最近そんな見つけ物をいくつかしました。

箪笥をひっくり返すの衣替えの季節で、そのついでにもっと奥をごそごそして
気に入っていた帽子とかやろうとして買った塗香などもありました。

塗香入れと塗香は先日やっと見つけたのです。

これは写経をしようと思い立ちそれには必要なものがいくつかあり、そんな
リストの中の一つでした。

それと時期を同じくして、長年使っていたインナースキャンが突如壊れて
しまいました。

突如ピッとなって電源が入ったり、個人リストを押してもスタートしなかったり
で、それでも体重だけは計れていました。

体脂肪や内臓脂肪量、筋肉量とか計れるものをネットで見ると今使っている
ものの半値以下で買えるのです。

約9年使ったものなので壊れても仕方ないかもしれないと新しいものを注文
しました。

前回今のインナースキャンを買った時もネットで買いましたが、近所のホーム
センターでみたらそっちの方が安かったので今回はネットで注文前に見に
行ったら、今度は逆でネットの方がはるかに安くなっていました。

こういう身の回りの品の履歴というのは、微妙に人生に関係していて
見つからなかったものが突然出てきたり、見つかる物や見つからない
ものも故障してしまうものも何か関係しているのでしょう。

そして私が夢の回収に向かおうとして予定している今度の日曜に台風
がダブルで押し寄せているのもきっとそうだと感じる今日この頃です。
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石を見るについて

2013年10月22日 10時34分42秒 | 日々のこと
昨年訪れた京都の旅では、気が付けば見ているものと言ったら
お寺と石碑と標識だけだったのです。

いつかテレビで見た景色とか、本で読んだ物語の地を見てみたい
という欲求と昔の都の跡とか、家康がいちゃもんをつけた豊国神社の
鐘楼の文字とか利休の腹切りの原因になった大徳寺の三門とか
現物を見たいとどうしても思ってしまいます。

そこで暇と金が有り余っていたら、そう思った瞬間にとりあえず
電車に飛び乗ったり、車を出したりして足を延ばすのでしょうが、
普段の仕事やらこなさねばならない日々の用事は誰でもがあり、
そうそう簡単に行きたいと思ったり見たいと思った地も積み重なるばかり
なのが現実です。

人とそんな話をすると中にはテレビで見たんならそれでもうOKなんじゃないかと
いう人もいます。

考えてみればそうなのかもしれません。

しかし、生の素晴らしさを知る者としては、その現場に触れて何かを
感じたいと思うのです。

本に出てくる音楽の表現と作品のモチーフについて考えるときに、その
音楽を生で聞いたことがある場合とまったく聞いたこともない場合だと
その文学作品もまるで感じることが違うし、もしかしたら主題を読み
違えるかもと感じてしまいます。

そして、クラッシックなどの場合はすぐにCDで曲を確認したりしますが、
この文学上の美術品や音楽をモチーフにするというシークエンスには
実は陥穽というか落とし穴もあり、素直な読者はただ騙されるだけ
ということもあるのです。

よく漱石の本の中には美術品が登場しますが、すべてが現物を漱石が
見て感じたことから発していると思われていますが、小説ですから
作者の創作であることもあるのです。

読者の方で作者の魔法をまざまざと受けてしまう必要もないし、抱一
はそんな絵描いてないよと突っ込みを入れて読むのもまた楽しみ方
なのです。

また騙されてそれを追い続けてやっと探してみたものの偽物だったと
知り、現実にはそんな作品なかったと改めてわかるというのもその作品を
味わったということです。

さらに上級者になると本物の現代の芸術家に作品を抱一風にこの画題で
描いてくれと依頼するということもできるのです。

現実には趣味の世界にそれほどまでにのめり込めず行きたいなあとか
みたいなあくらいで止まっているのが普通なのかもしれませんし、多く
の人は別に本の中のことだからですぐ忘れてしまうのかもしれません。

さて、夢を叶えることができるとしたら何をしたいという子供に向けるような
問に、お金を持った大人は昔のころの夢というのは現実にかなえることが
出来るのですが、お金で簡単に処理できることにろくなことがないのも
世の常で、現物を見るとがっかりとか長年温めたものが実物を目にすると
途端にさめざめしいみじめなものに変わっていくことはよくあることです。

私もそれを魔法がさめる瞬間として何度も体験しています。

そして、教訓としては夢は全てを叶えてはいけないということです。

夢は夢のままにしておく。

それは夢の中でまた育って行ったり、希望として常に自分を幸せの世界の
中で待っていてくれる存在になったりします。

長年の夢も私のようにいくつもあるとやはりそれを少しづつ叶えたり、
現物をそろそろチェックしに行くというのもまあ手であはあるのです。

そんな中でも本当にただの石を見るだけの欲求が一つあります。

それはスキーの時にいつも通る吉井町にあり、本当に見る気になれば
ちょっとスキーを短めにしたり、群馬に豆の仕入れに行ったときに見る
ことができるのです。

あまりに近くでいつでもできるとなるとそれは当然後回しになり、いつも
いつも見れないで現在に至ります。

多胡碑というのがその石ですが、地元の人に愛され祀られて現在に
残っているものですが、戦争の時には田んぼの中に隠して守ったとか
様々な伝説に彩られています。

これは秩父にも関連していて秩父と結びつきを強くする歴史的証拠物
でもあります。

それは和銅遺跡の銅を採掘した渡来人である羊太夫という人物の伝説
です。

秩父にはその伝説のものが数多く残されていますが、その墓であると
してこの田子碑は吉井の人々にずっと祀られ守られてきたのです。

ネットでもこの碑は見ることができるし、現物は決まった御開帳のような
日でないとみられないようで、そして現物を見たからといってそこに書かれた
ことが自分に理解できるはずもないのですが、羊太夫の実在を示す証拠
として目にしたいとずっと思ってきました。

そして、10月28日は群馬の日でその多胡碑の記念館も無料開放される
というので激しく見に行きたい衝動に駆られました。

あちこちの群馬の温泉施設も無料開放されると言いますし、これはいい
機会だと感じたのですが、日曜に休んでまた月曜もというのはあまりに
無理と感じ諦めました。
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来週の日曜日はお休みとなります。

2013年10月21日 13時47分55秒 | 珈琲
完成させない美と完璧な美の世界について、これは私の持論でも
あります。

大人とるなと経済的な余裕ができて子供の時にはできなかった
プラモデルやラジコンなど持てなかったものを買うことができるよう
になります。

子供のころの夢を叶える所謂大人買いという奴です。

それと、似た現象に中年の危機と揶揄される親爺によるスポーツカー
やビックバイクを購入するという奴。

さらに、やたらと時間ができたとばかりに旅に出だす奴。

これらの共通した問題点はやりすぎてはダメだということです。

私の経験ですが、もはや本を読むより昔本でしか知ることのできなかった
地を旅して実際の空気を感じてみたいとか物語の地に立ってみたいなんて
のも気が付くと石碑巡りをしているだけの自分の行動にぞっとすることが
あります。

旅をするには何か目的かあり、理由があるのですがそれが幼いときの
夢ならばそっとしておけばいいこともあるのです。

そう感じる最近の旅行シーズンになると思うことですが、来週の日曜日は
久しぶりに休みをいただき長野県に出かけてきます。

長野県は毎年スキーに出かけますが、生涯で一度しか行ったことのない
地、松本市があります。

いつもちょっと足を延ばせば寄れるところですが、なぜかいつもそのまま
にしておいた青春の忘れ物のような地です。

松本市ではぜひ訪れたい場所があり、それが松本城と旧制高等学校記念館
です。

私の好きな作家でこの間亡くなられた北杜夫の青春の地であり、ただ
彼の残した落書きがあるというだけなのですが、いつでも寄れるからと
残しておいた私の夢の地でもあるのです。

そんなもの見てどうすんのという感じもしますが、これがやはり厄介なもので
やり残した物とか時としてうずくんですよ。

夢のかなった瞬間はまた来週レポートしますから、来週のお休みどうぞ
ご了承ください。豆の必要な方は前日までにどうぞご手当ください。
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完成させない完ぺきさの理解

2013年10月21日 13時14分06秒 | 日々のこと
美と芸術と自然世界において、豊かな自然と四季折々の変化が織りなす
豊かな環境があって、これだけ情緒豊かな日本国民は素晴らしい美意識を
持ち、数々の美術品を生み出しています。

それは絵画や書だけにとどまらず、器であったり、思考であったり、建築物で
あったり、はては数学的な思考だったりします。

時に現在的考え方で実利と競争が叫ばれたりしますが、日本では狭い国土と
単一民族からなる民族風土で、独特の精神世界を見せます。

それは古事記などの神話からでもわかりますし、武士道の精神からでも論じる
ことができます。

同じように日本で独自の道を歩んだ宗教でもそうでしょう。

時に西洋世界では神は完璧であり、この世は完璧だという思想のもとですべて
が始まっています。

しかし、日本の建築様式などを見ると建物のような完璧を期すべきものでも
あえて隅々まで作り込み過ぎない余裕のようなものがあるところが見どころだと
よく感じます。

よくあるお寺の七不思議などや見えないところの職人の遊び心だったり、それは
探せばいたるところにあります。

そんなものの全ては西洋人には理解されないのかと思ったら、日本人も知らない
日本の美を語る人が最近いてびっくりします。

アルハンブラ宮殿の数々の幾何学模様の美と日本の日光の陽明門にその違い
があることを述べたマーカス・デュ・ソートイさんなんかが顕著です。

興味のある人は
辺りを読んでみるといいでしょう。シンメトリーの地図帳


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ちょっと復活を期すために

2013年10月20日 14時09分50秒 | 日々のこと
先日のバスケットの試合は、対策を持って臨んだものの
やはり散々な出来なわけですが、私はそれなりにつかむ
ものもあり、次に何をするかしっかりと見えた試合だと
感じました。

ところが、昨日の練習で一週間ぶりに出会った人々の反応は
やれやれ終わったねえという感じの反応が多く、私が感じた
ような次には何をして臨めばいいかという意見は聞かれません
でした。

試合の前の一か月前から一緒に練習していた人も昨日は
現れず、考えてみれば次の試合はもう三か月後なのですから
もっと今から練習することは沢山あるはずです。

参加する人の気持も準備も人それぞれですから、試合を
指揮する人もはっきりとこうだという目標も示せないのは
理解できますが、もっとこういうゲームをしようというコンセプトは
示せるはずです。

そんな意識喚起は私が担わなければならないのでしょうか。

少なくともある程度の提案はしてみていいかも。

フリーに守ったり攻めたりしていますが、実際感じる相手の
弱点や良い点は一番経験しているかもしれません。

ならば、それをチームで共有して、どう対処すかを同じ意識と
して持てばそれだけで可能性は膨らみます。

次回そんな試みを実践してみたいと思います。
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エンジンのかからない日

2013年10月19日 23時54分08秒 | ジョギング
まさにそんな感じの日が昨日のランニングでした。

その前の日は12Kを06分で走る快調な走りでしたが、
炬燵でまどろんで風邪をひく一歩手前のうす寒さが
抜けない感じで、結局途中で歩いてしまったり、トイレに
行ったりと散々な走りでした。

普段何気なく12K走っていますというその距離の長さを
感じるのがこのような時です。

いつもなら一時間ちょっとの走りは日常の一場面であり
何ともないほんのひと時です。

それが、エンジンがかからないとなると途中あるったりして
やたらと家が遠く感じるのです。

体は冷えてくるし、歩いていると普段スピードというのがとんでもない
速度感を持って感じられます。

この急に冷え込んできたこの時期には気持ちが時に乗らないとか
走りたくないとかあることですが、普段はそんなのも走りだすうちに
忘れていつものペースに戻るのです。

つまりはエンジンがその間にかかるわけですが、かからないとなったら
本当にかからないのです。

これが一人で走っていることの弊害かもしれませんが、連れがいれば
迷惑がかかるから無理しても走り切るとか、合わせて走るという気持ちも
出るのでしょうが、気分乗らないから歩くというのはどうも後味が悪い
ものです。

歩いている間の敗北感とすれ違う通行人とか自転車の人の目がいつも
走っているときに感じるものと違うのもそれを助長します。

そうかと思えば雨が降ろうが雪が降ろうがとにかく走ると半袖で走ったり
走り出す前の気分とかもあり、何とも制御しかねる部分も時にはあるの
です。

とまあ一応言い訳に書いておきます。
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