King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ジャカルタの変

2019年09月30日 11時21分03秒 | 珈琲

土曜のアイルランド対日本のラグビーワールドカップ一次リーグの試合は

歴史的な日本の勝利と報道されました。しかし、その扇情的な報道ばかりにラグビーの

相手へのリスペクトはなく、敵を倒したというような疑似戦争的な表現ばかりでマスコミの

レベルというかスポーツへの意識の低さが感じられます。

 

一方経済とか社会現象としての報道も盛んでレプリカジャージが前回の大会時の十倍売れてるとか

日本が勝つことが経済効果になるという分析など当たり前すぎる絵の作りに町の声は正直に勝利に

酔うかのような現象を作り出しています。その中でビールの消費に触れサッカーの試合に比べラグビーは

六倍になるので各飲料メーカーやスタジアムは品切れにならないように準備しているという報道が

ありましたが、これはスタジアムがサッカーの収容人員の六倍であり、ラグビーファンがのん兵衛だ

ということではありません。

 

スタジアムはテロ警戒のあまり飲料や食料の持ち込み禁止のところが多く、売店コーナーには長い列が

できたといいます。かといって野球場のようにビール樽を背負った売り子もいないのです。

 

そんな中、昨日のオーストラリア対ウェールズの試合を見てみると日本の試合というのが実にクールで

危険なタックルや相手の反則を誘うような攻撃的なものでもなく実に高次元で日本的な正々堂々としたプレー

だというのが理解できます。戦術的な緻密なパスや機転の速いひらめきと瞬時のキックや化学変化を誘うかのような

短いキックと愚直な突進とスクラムのチーム力など体格差や体重差など見た目や数値上の不利を感じさせない

パワフルな攻撃にただ劇的に勝利したのではなく、当然の結果としてアイルランドに勝ったのだという感じを

改めてしました。

 

ウエールズは倒れた選手からインターセプトしたり見ていてあまり正統性や正々堂々のプレーというより

こずるいプレーだったり、後半怒涛の追い上げのオーストラリアも日本も後半一気に追い上げ怒涛の逆転を

しましたが、オーストラリアのような稚拙なミスや明らかな荒い攻撃といったものもなく、確実なダブル

タックルとか追い詰めていくような力での愚直な攻めなど皆正統性があり見ていて奇麗であり、ラグビーの

精神である相手へのリスペクトを画面からも感じます。

 

そういう基本的魅力を伝えることなく、劇的な勝利とか勝って飛び上がり喜ぶ姿やサモア戦への意気込みばかりを

毎日放送していますが、本来のノーサイド後はチームメイトと飛び上がって喜ぶ姿でなく、相手の健闘を称える

姿こそ放送すべきなのです。それともう一ついつも思う事はサッカーにしろラグビーにしろ誰も疑問にしませんが

私はいつもこういう国際大会に際して強い違和感を感じるのはなぜイギリスだけウェールズやスコットランドや

イングランドなどという地域名の出場枠を持つのかという事です。みんなどの国も国単位でしか出場枠がないのに

イギリスはサッカーは四枠あり、ラグビーでも三枠です。サッカーファンの人にこの違和感を問うてもなかなか

すんなりとした答えを返したことがなく、そもそも疑問にすら思っていない人が殆どです。私はそもそもこういう

スポーツが大航海時代の植民地支配と同時に各国に伝わり、そのグローバリズムと占領の残滓でサッカーもラグビーも

自国第一主義を主張しナショナリズムを鼓舞するのに使われているのと世界平和や超国家や目指したヨーロッパに

また新たな影を差している現状など複雑な現状を見ているわけです。

 

特にラグビーの外国人枠などはそれを著していて国としての縛りより協会所属というどこの協会かを選ぶことに

重視され国という枠での考え方ではないのです。よくプロ野球などで外国人枠として登録できる人数を制約したり

していますが、自国での競争より他国での出場枠を得るために移籍するようなそんなせこい考えでもないです。

ラグビーの場合一度選んだ協会は変えることができないということを考えるとただ単に自分のスキルを高く売りたい

という事や国際的に有名になりたいという自分の欲ではなく、その協会へ参加する意欲が強くないと代表へは

なれないでしょうし、実際今の日本の外国人たちは高校ぐらいから日本にやって来て日本での生活とともに

ラグビーを愛し日本を好きになったという人が多いようです。

 

そうすると直ぐに日本のために戦ってくれる力強い人とマスコミなどは都合よく持ち上げますが、それほど

彼らに国境のこだわりとか日本愛はないのかもしれません。たまたま所属したのが日本の協会であり、それが

選択として当然で合理的だっただけなのですが、それがマスコミに日本のために戦うという戦場的な言い方や

捉え方は迷惑なことかもしれません。

 

この協会ということで先のウェールズやイングランド、スコットランドという枠があるわけでそもそも協会の

方が国のくくりより古くからあり枠が残ったというのがイギリスだけずるいと感じる結果です。

実はこの協会の問題は日本でも感じる事が出来ます。私がやるバスケットでも例えば友好関係にある豊島区と

いつも交流試合をしていますが、例えば夏にそれぞれのミニバスで同じように交流試合をしようと計画したと

するとなぜかこの協会問題が出てきて秩父のミニバスと豊島のミニバスでは所属する協会が別なのでそれぞれが

参加する大会などでなければ対戦できないという問題がありました。

 

同じ競技をしていてただの親善試合でも協会での交流がないと試合できないというのはなんともばかげた話です。

 

一方豊島との試合では秩父対豊島という試合は毎回最初に行われますが、後はごちゃ混ぜになってゲームを

楽しんだりします。それぞれ勝利という結果よりゲームを楽しむ、同じ競技を楽しむことです。

プレイヤーに豊島だ秩父だというこだわりもなく、それにそもそもなぜ豊島と秩父は友好関係にあるのかも知る

人は少なかったりします。

 

同様にラグビーでもそんな日本人のために戦うとか日本とか自国の国籍とかの意識は強くなく、たまたま選んだのが

日本の協会程度の事でそれより今のチームで全力を尽くしお互いのリスペクトと相互理解がすべてなのだと思います。そう

いう自己表現を勝手にマスコミは日本人のために戦う外国人と捉えたり、都合のいい日本愛を持ち出すのは意味が

違うと思います。

 

ただ、そのチームによりチームスピリットがあり、取る戦術も特色も現れるわけですが、それは選手ひとりひとりの個性の

集合であり、精神的背景であり、それがやはり日本的という事やサムライ的な戦術という共通項は出てくるものでこれが

魅力として感じられるかというのも重要な点です。前の監督のエディジョーンズは知将として知られその指導のおかげで

南アフリカに勝利するという快挙があったと誰もが認識しています。世界戦略的にみてオフロードパスやノールックパスは

当たり前に行われていてそれを禁止して愚直なラグビーを指導したエディー氏でしたが、コーチが変わりさらなる進化は

このオフロードパスの解禁や個人のスキルと自発性をさらに求めてより速い展開のパスと事態を打開する機転を生む発想力

でした。そして愚直なラグビーは生きていて体格差パワーで勝る相手に確実にダブルタックルで止めていくというがちっと

したところはきれいに徹底して行われごまかしやこずるいスキルなどでなくきっちりとチームで対処した勝利に歴史的なんて

マスコミの使う言葉でないものを感じました。

 

こんな見ていて面白いラグビーにランニングの時間が削られてしまっているこの頃、それでも放送予定を見つけては片端

から見る状況になっています。

 

バスケットをしていると後ろにしかパスできないというのは実にもどかしいのですが、実はキックは前にしてもいいので

これは完全に前にパスを禁じられたわけでもないのです。

 

ただやみくもに前にけり出しても相手ボールになるだけです。ただ、ファウル後のフリーキックでは外にけり出しても

自軍のスローインで再開と俄然優位になります。そんなに厳しいルールながらモールやスクラムなどラフな攻撃に

走り反則、もしくは相手を苦しくさせて反則を誘うのか、他国同士の試合ではモールでもみ合ったり、危険なタックルなど

の反則はままみられます。こういうところからも日本のラグビーの差を感じそれが明らかな特徴を持ちますます

面白く感じるのです。

 

各チームの特色とか戦術とか得意としている

ところなども理解出来また楽しくなってますます他の試合も見てしまうという結果になっています。

 

さて、この自国優先の放送で他の試合はあまりないのですが、国粋的なことと日本の珈琲事情を見ていくと不思議なことに

いくつかあたります。一番面白いのは日本の喫茶店のストレートという表記で国ごとの豆を飲む習慣が日本には昔から

あるのですが、なぜかメニューに載るのはモカ、キリマンジャロ、マンデリンなのです。

 

豆売りをしていますと生産国表記というのが食品表示法で決められていますので、そのような売り方はできないのですが、

昔から有名なブランド的なものはあり、コピルアクとかジャンクコーヒーとかもあります。そして、なぜかジャカルタも

コーヒーの産地としてとらえている人がいてジャカルタのコーヒーをくれという人がいます。

 

これも喫茶店文化の遺産といえるのでしょう。ジャマイカのブルーマウンテンは有名で古くから日本ではおいしい

コーヒーで世界一のコーヒーはブルーマウンテンと信じている人がまだ多く存在します。ただ、その実物を味わって

いる人は少なく、現実の味を知らずに世界一はブルーマウンテンというイメージの人もいます。ただそんな人の中には

どこがジャマイカかということやハイチとドミニカとの区別とかそんなことも知らずにコーヒーはブルーマウンテンと

主張する人がたくさんいます。さらに語感が似ているからかジャカルタもコーヒーがうまいところという人がいます。

 

中にはジャカルタで飲んだコーヒーがうまかったという人もいてジャカルタのコーヒーをくれということになるの

だと思います。

最近はジャカルタのコーヒーチェーン店を巡ってきたなどという人もいて安くて色々と楽しめる地として注目して

いる人もいます。

ジャカルタはインドネシアのジャワ島にあり、マンデリンはスマトラ島です。日本人が愛してやまないマンデリンですが、

実はどんな味か知る人は非常に少なく、当店にマンデリンをくれと言われても直ぐには売る気になれません。というわけで

いつも試飲していただいて本当のマンデリンの味を知っていただくことから始めますが、かつてマンデリンしか飲まないと

言っていた人もいつのまにか次から次に当店の色々な豆を飲み出すという事になって行きます。

 

そこら辺のいきさつや試飲システムについては来店時に聞いていただくとして、さらにこのジャカルタコーヒーに

ついてみていくと日本のようにサードウェーブが複数鎬を削るという状況前夜の昔のカフェがやっとコーヒー牛乳の

様な飲み物を売り出したという安い感じのカフェが楽しめる地となっていてそれを楽しみジャカルタコーヒーとして

紹介しているようです。

 

つまりスマトラのマンデリン、トラジャなどの有名コーヒーとは何の関係もなく銀座でむかしブラジルのコーヒーを

飲むのが流行って銀ブラという言葉ができたように都会で飲むコーヒーという意味で味は全く関係ないばかりか

中心の豆がジャワ島に限った話でもないことは理解してください。

 

最後になりましたが、重大な発表を致します。

 

当店は諸事情により、店舗の移転をすることになりました。

 

新しい店舗は同じ秩父市で相生町6-8になります。

 

実際の移転の日や豆の販売状況は順次お知らせいたします。まず新店舗の工事の具合いなどで

変更もありますので、お問い合わせください。

 

 

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対戦相手は敵と登ってみないと解らない景色に

2019年09月27日 23時54分56秒 | 珈琲

最近みたい映画とかかつて見た映画の続きが上映するというニュースにじゃあ

行こうかと調べてみると近くの上映館がないという事態がしばしばあります。

埼玉は一館だけとかならば群馬でと検索をかけると群馬はなくて栃木が一件と

何か埼玉栃木と群馬はもうすでに関東ではないかのような扱いにすごいいらつきと違和感が

募ります。

 

最近ラグビーワールドカップの中継が7時8時にあり、つい見始めると走りに行く時間が

少なくなってしまうという感じになっていてやたら録画スペースも足りなくなり、時間の

やりくりも大変です。

 

そのラグビーですが、今まで私が行ってきたバスケの試合などでいつも対戦する地域の他のチームは

すっかり顔なじみですが、なぜか日本の放送というのは対戦相手を矢鱈敵視したり、敵対的な表現を

使いますが、ラグビーの試合を見ていると他のスポーツより強い相手へのリスペクトとかチームは

ひとつという精神に今までやって来たスポーツでも日本は矢鱈敵だとかやっつけろというけしかけのような

指導がされていましたが、そういうのが日大のアメフト問題だったり各競技の指導者のパワハラとか

おかしな指導につながっていたのではないでしょうか。

 

私の参加する市民リーグでも我々のチームは万年負けてばかりの寄せ集めの年よりチームですが、

対戦するとラグビーのように終わればノーサイドでお互いのリスペクトは変わらずさらに仲間としての

連帯とか信頼とかが醸成されまた他の地域との交流などで出かけても同じように勝敗というより唯の

結果であり、お互いのベストを尽くすプレーへのリスペクトという共通のコート上でしか成し得ない

相互理解とパフォーマンスを通して敵味方という勝ち負けしかない世界以上の事をしているのだと

思います。それを自国第一主義的に日本中心で日本だけ勝てばよいかのような報道に私自身の色々な

スポーツ体験とそれを指導され教育の現場での感じとかやはり違うのではないかと感じることがしばしばで

今回ラグビーの試合で感じます。

 

それとNHKでやるトレッキングの番組とか300名山を見ているとこれだけ詳しく簡単に山の景色をみられて

もうそれで十分でわざわざ自分で登るまでもないと感じてしまうのは私だけでしょうか。

不思議なことにそういう番組の製作陣とか登っている人たちにこれは登ってみなければわからない景色と

言わせていることです。

 

確かに生でなければ通じない体験はあります。しかし、それもそれを紹介しようとしてかつてはなかったドローンなどの

俯瞰映像まであるともうそれは行かなくても十分体験したと感じてしまいわざわざ自分で登ろうとも考えなくても

責められないのではという感じです。

 

まあそれはただ単に根性なしとか怠け者というそしりを受けても仕方ないことかもしれませんが、昨今の

地球温暖化など余計なCO2を排出するなという問題も突き詰めれば余計な移動は慎めという事でこれは

グローバリズムに反することで、トランプの自国第一主義に通じます。ラグビーワールドカップと

地球温暖化とまだ見ぬ景色と色々な思いが交錯するこの頃です。

 

そんな中いつもと変わらないブラジルの味にいつもながら整ったという感じの朝にこの相反する問題は

静かに広がりどうすんだよという心の声になるのでした。

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よいよ増税前夜

2019年09月26日 23時49分54秒 | 珈琲

安倍総理の得意の外交の場で日米貿易協定を調印に導き、サウジアラビアへの攻撃に

憤り、イランを諫め慣れた外交の場での自らの存在感を示し満足そうなテレビ中継を

みてそんな得意そうな外観とは裏腹に日韓関係や北朝鮮問題など何も結果をだしていない

ばかりか、何度も中止してきた消費税増税がやっと実施されるのを前に、現場の混乱を

ます景気対策が実はそもそも増税してまですることなのかというそこの浅さを露呈していて

増税しても財政規律にかなう未来がある訳でもなく、そもそもバラマキの対策やら復興やらが

大企業やゼネコンのためだけという誰が見ても一般庶民はそっちのけという姿勢にいかに

選挙に行かない人々もあからさまに気が付き始めています。

 

それでもそんなことはお構いなしで忖度政治は進んでいます。名古屋に補助金停止をしたり

普段なら検閲とか文化芸術にも介入するのかと批判が集まるところですがマスコミにでる

のがいつもあの少女像ばかりなので誰もおかしいという声すら挙げません。

 

この様に静かに何かが進んでいるかのような忖度で進んて行くさまは肌に泡立つような違和感を

感じるのは私だけでしょうか。

 

こういう時に世間をにぎわせるのが前回は年寄りが暴走して子供や若い親などをひき殺してしまうと

いう事件で今回はあおり運転です。こういう身近な危機を報道して大局にあるものを遠ざけるような

報道姿勢は随所に見られます。

 

最近気がついた事ではニュースに出る大惨事の現場というのがいずれも私がついこの間でかけた

ところばかりというある符合にこれはただ単に災害が増えただけなのかとつい考えてしまうのでした。

 

一昨年の熱海のホテルも今年の千葉の大停電も私が旅行したばかりのところです。

 

いややはりこれはみんなの身近な施設が最近は被害を受けているということで、いずれかは自らの

地にもと引き締めないといけないのかもしれません。

ところが、こういう災害が起きるとやれ知事は何もしないとか市長は他人事だとかその立場の人を

攻撃するマスコミや番組の司会者など責任問題を指摘しますが、そもそも知事や市長は関係個所に

指示をするだけで自ら動いて処理にあたるようなことはないのです。そうならないように組織が

出来ており、やるべきことや判断も遅いとかそっちのけで何かの行事に出てたとか批判されますが、

本来は仕事がないのですから予定通り行事やらに出ていても何ら支障はないのです。

 

ただ、それは指摘されればそのように見えるし逆に仕事も無いのにわざわざ作業服など来てマスコミの

前に出てくればさも危機に対処しているように映ります。何も扇情的に報道することよりこういう時には

しっかりと何が起き何が足りなくなったという事実を記録してそれをどう今後に生かすかです。

 

かつて秩父には巨木がないという人がいました。それは秩父の町にシンボルとなるものが少ないという

意味で言った言葉なのでしょうが、歴史の古い物や珍しい木も実はあります。よく知りもしない人が

目立つ巨木がないと一目みわたしていったことなのでしょうが今回の台風の被害で鉄塔やらゴルフ練習場の

支柱やらが倒れて家が潰れたのを見ると高い建物や高い木が近くにない方がいいし、秩父のように周りを

山に囲まれているとそう簡単に突風やら竜巻やらも襲ってきそうになくやはり秩父でよかったと思うことも

あります。

 

すっかり涼しくなってきたこの頃、いつも感じる秋らしさはなく、ススキや萩の花もまだ見ていません。

 

ただ、しっかりと香る金木犀の花の香だけは毎夜のランニングで感じます。

 

朝にはいつものブラジルで高くなった空を見て秋を感じています。増税前に買うかどうしようかという

判断をこの週末にまたしています。

 

 

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朝と珈琲の後味に

2019年09月25日 23時54分45秒 | 珈琲

毎日夜に10Kのランニングをしていますが、最近昼間の仕事で疲れ果て

半分の6K程度で切り上げてしまう事もあります。

しかし、この軽めのランニングというのがその日のせい一杯だとしても

夜の睡眠ではいつもの10Kをこなした日と6Kでは訪れるその深さが違い

何とも言えない屈辱感を味わうことになります。

 

そもそもなんで最後まで走らなかったのかという事で自分を攻めたりして

いつまでも考えて寝付かれなかったりとそしてそれしか走れなかったことに

納得して走りを中断しているのに体の中の疲れとか体力を吐き出しきった

感じとか温存した時のすっきりしない気持ち悪さなど色々な残滓が処理

仕切れない気持ちに寝付きを極端に悪くします。

 

一方いつもの距離と過酷なコースをこなした日には深い眠りとスイッチを切ったように

簡単に眠りに落ちる心地よさと色々な特典があるのです。ただ、走れば走ったなりに

筋肉痛になったり足や腰に痛みが出たりと困難はあります。

 

今涼しくなり、かつてのようにヘロヘロとなりようやく走っている状態からランニングの

ペースに突入できる時間帯も現れ、タイムを気にする色気も出てきてかつてのタイムにまた

挑む意欲にもつながるかという感じです。

 

要は唯の義務感でだらだら走るのでなくて常に自分の限界を意識してこそだと感じるこの

ランニングのタイムコードです。

 

昨日の価格の件では所謂職人の仕事が価格破壊により減り、より良い仕事とかそれを尊ぶ

意識とかがなくなり、それによりさらに良い物や職人そのものがいなくなるという危機的状況を

思うとこれがグローバル社会だとか国際格差から今の中国のような国が経済成長で豊かになってもまた次の国が

やがて現れ、世界の工場はなくならないことは予測できます。

 

そんな中、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀の包丁研ぎ師の放送は色々と疑問を残しました。

 

年間200本の依頼があり、今申し込んでも一年待ちということなのですが、それも持ち込まれたり

送られてくるのは全国のプロの料理人だということで、私の理解では料理人とは自分の包丁は自分で

毎日研ぐというのがプロの仕事の一部で、良い包丁は作られてプロの研ぎ師に一度研がれて売り物と

なり、その付けられた研ぎ方で料理人はそれを踏襲して自分で研いで使っていくというものです。

 

ところが、番組で持ち込まれた包丁はかなり歯が欠けたり日々研いではいないさびが見えたりと

どうも一流の料理人の物には見えないものばかりです。そして、その料金ですが、それはNHKです

のでいくらで研ぐとかは出てこないのでネットで調べてみると1000円から2000円程度となって

います。つまり年収40万にしかなりません。つまりこれで職としていくには不十分な収入と思え

どこがプロフェッショナルなのかと思ってしまいます。

番組では高級車に今でも自ら運転していて店舗は自宅とは別にある様子が見て取れネットでは年収

2000万などとまとめられていましたが、研ぎ師としての収入とは果たして成り立ち存続していく

物かというのは疑問に思いました。画面からはひとりで仕事をしており社員も弟子もいないようで

これも失われる職種なのかと思ってしまいます。視聴者としては研ぎ師としてはこの人が第一人者で

一流の料理人の支持があるプロという造りにただ納得してみてしまうのでしょうが、私はかつての

天ぷら職人以来あまりこの番組での登場人物を信用できません。

 

今回の料理人の人達の包丁さばきなどもあまりにたどたどしいものでそんなんだから人に包丁を研がせる

のだろうと思ってしまいます。

 

私も料理に凝って包丁を買い込みかつら剥きから習った時など毎日包丁を研いでいましたが、その時間の

かかることといったらきちんと仕事をしようとすれば寝る時間が無くなり流行っている店で仕入れから仕込み

全てをこなしているととても時間がないことも予測できます。そうなってくると予約でしかお客を受けなかったり

一日何組限定となってきて値段も高いという事になるのです。

 

包丁研ぎ師というとどうしても京都の刀研ぎ師というのを思い浮かべ昔から何人もいる職業として認識して

いますが、包丁研ぎ師というのは果たして全国でも何人いるものかと思います。金属加工の町燕三条には

磨きだけをする工場が何カ所かあると言います。

 

日曜日のデパートなどによく見かける包丁研ぎ師の頂点が佐賀にいるというのはやはり私には俄かに信じがたい

物として残ったのでした。

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価格に何を見るのか

2019年09月24日 23時45分56秒 | 珈琲

消費税増税前夜ですが、期末処理やら当店については重大イベントもあり

慌しい時期です。この事業の合間に次の投資や戦略を実施しなくてはなりません。

それがこの増税で価格について色々と考えさせられる事態になっています。

とはいえ、当店の店頭価格には増税は関係ありませんので慌てる必要はありません。

 

ただ大きな出費を控えている人とか何かの買い替え時期ならやはりこの増税前にと

誰もが考えることです。

 

先日当家の今の照明が切れ、蛍光管の交換を余儀なくされました。いつもの電器屋に

聞くとなんとその蛍光管が5000円もするのです。この時点でテレビのデジタル化や

住宅エコポイントなどの消費を煽り色々買い替えさせられた時のことを思い出しました。

その後、町の電器屋のその姿を変えいくつかあった同業者もすっかり姿を変えるなど

町の姿も変えました。昔は電球やら電池やらとしょっちゅう電器屋に通うのが当たり前

でしたが、人の出入りや新製品などが行きわたりよいよ成熟市場となったのか売るものが

ついに変わって来たようです。

 

町の電器屋からテレビ通販会社にのし上がった企業があるように家電を大量流通店でうるという

安売り業態や大型化を辿ったところとそのまま町の電器屋さんでいるところなどその形態も

そのままでは生き残れずにスタイルとサービスを変えています。

 

成熟産業の家電産業も今までのように新商品や生活用品がより便利に進化してきたのもよいよ

行き詰まりエコやネットとつながる家電とさらなる進化を謳ってはいますが、消費者がもう

そんな未来図についてこなくなったのは明らかです。

 

実際に何とかスピーカーに語りかけ部屋の電気を入れたり音楽をかけたり電話をかけたり

と未来的生活をしている人もいるようですが、エコ家電を喧伝した結果電気をそもそも使わない

方向に動いた人の方が多いようです。

 

家電店のかつての店舗は明るい照明がいくつも付いていて豪華な大型冷蔵庫が並び大きなテレビに

マッサージ器があるというより便利に豪華に生活を演出するところでした。ところがエコ照明などと

いうことで買い替えられた結果、かつての大掃除の時期に蛍光管を安売りしたりして安売りの目玉と

されたそれらの商品は片隅で細々と売られています。さらに長持ちの蛍光管も高いだけでその値段を

出すなら現在は安いLED照明が3000円台からあるのです。

 

かつてネット販売よりホームセンターの特売品と相場は決まっていましたが、最近は価格だけで見れば

ネット販売の方が安いものが多く、となるとかつての町の電器屋さんなどどんなサービスで生き残って

いるのかと疑問に思いますが、この価格について疑問に思うことが現れていて世の中どういう構造に

なったのかと思います。つまり、ネットでどこの商品が安くて売れているのかという情報が瞬時にわかる

世になり、競争が早くなったはずですが、意外にいくつもの商品が幅広い値段帯で売られていてどう

選んだらいいのか、値段は何を表しているのかと思う事態になっています。

 

照明でいうと一流メーカーの商品は2万から3万といったところです。ところが最近家電に参入したアイリス

オオヤマのものは3000円台なのです。これでは競争にならずとっくに淘汰されて高い商品が駆逐されるのは

明らかです。それが過渡期なのかそうならずにいくつもの商品が未だに並んでいるのを見ると価格が

選ぶポイントではない人たちがいることになります。またネット販売が盛んになり誰でも安いからと飛びつき

痛い目にあうなどの経験を持っているものです。極端に安い物や知らない業者の者は誰も買わなくなっています。

 

それでも商品が届かないなどのトラブルはよくニュースに流れます。

 

そんなのを聞くと対面で安心確実なものをと思う人がいても不思議ではなく、そんなことで町の電器屋さんも

生き残れているのでしょう。

 

それにしても照明器具の値段の幅はあり過ぎで、蛍光管の取り換えを諦めて倉庫の奥から昔の器具をとりだして

取り付けました。

 

この一連の出来事はその後色々な選択にも影響を与えました。

 

細かい値段を気にしない生き方がいいのか、一流の人はそれなりの道具に囲まれて一流の技術と道具に自然と

揃うということや値段とはそういうトータルの物という思いがあるものの、それは違いが解る人がいて成り立つ

ことであり、いくらそれが本物であれ、その値段に支持がなければそもそも成り立たないのです。

 

それが価格破壊です。価格をその値段にするという事はそういう一流の信頼も破壊するということで、昔は

一生ものという用具やサービスも多々あったものの、安い価格の品に駆逐され破壊され続けてきたのです。

 

珈琲の世界も今では高いコンテスト物や特定農園のものを揃える店が幅を利かせ神話に出てくるような名前の

さも現実にいるかのような天才焙煎士を思わせる名前のコーヒーとかイメージ専行の所が先頭を行くような

状況です。それでも当店のような裏通りで見つけづらいところに通ってくださるお客様がいるということは

味や手間といった目に見えないものを感じていただける人も中にはいるということで私も軽々に数を売る商売とか

お客様の顔を思わないことはできないのです。

 

数を売る商売とは1Kの代金と200gの代金で100gごとに値段を安くするようなそんな売り方です。

常に1K買っていただける大口の顧客と一見のお客様が同じ値段ではないのは当たり前ですが、

最初から100g200g300gで値段が違うというのはどうも違うような気がします。

売ろうとするだけの商態になってはいけないと常々思います。

そんなわけで少しでも安くてよい豆をという気持ちで値段は付けています。

 

豆の仕入れ値は常に変動しています。お買い求めの際は確認ください。

時にはサービス価格としているときもありますが、これはとりわけ良い豆で良い味に焼けたと

喜びのあまり少しでも多くの人に知ってもらいたいからとか今の時期この味を知ってもらいたいと

付けることがあります。世の中わけのわからない値段の物が多くなっていますので少しでも

納得の行くものにしていきます。

 

 

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秋は金木犀とともに

2019年09月23日 23時54分56秒 | 珈琲

ついこの間まで夜走っていると香る花はオシロイバナでしたが、秋の深まりとともに

金木犀の独特の香りがあちこちでするようになりました。

 

空の雲の様子も夕方の積乱雲が主張する姿からイワシ雲のような綿を散らしたようなものに

変わりました。

 

それでも少し動くと直ぐ暑くなるのは相変わらずです。

 

夜走っていても直ぐ汗の層ができておなかを冷やしたり色々厄介な問題になりますが、

暑さの中だらだらと汗を垂らして走るのは何か象徴的に健康のシンボルでもあり、

肯定的行動ともとられるシーンとなります。

 

エアコンが停電で止まり熱中症で死んでしまう時代に普段から大汗をかくことは

それだけで様々な効果があり、昔なら作業で大汗をかきそのあとすぐ着替えられず

ヒヤッとして風邪をひくなんてこともありましたが、全体的に免疫力や基礎体力の

向上からちょっとのことで風邪をひいたり体調を崩すこともなくなりました。

 

ただままならないこともあり、すベてが良いとも言い切れません。走ればリスクも

あります。

 

環境問題が注目されていますが、現在の温暖化も人類が化石燃料の使用をやめたり

CO2削減だけで果たして止められるものかというのは甚だ疑問で日本だけが処理水

で注目されている核廃棄物の海洋投棄も昔から世界中でやられていることです。

 

ただ、安易に石油や天然ガスなどで発電しないで代替発電にした場合、世界の力関係

などに変化を及ぼし社会設計など基本的インフラ建設にも大きく影響します。

現実車の電化は先進国では積極的でやがて航空産業も電化されれば化石燃料で

発電しないという方向は確立していくでしょう。

 

実際世界の経済格差が簡単には縮まるものでもなく、石油に頼る国が多いので

災害が多い地域は益々増えどれだけ早く車の完全電化を実施できるかが今後の

地図塗り替えに現れるのでしょう。先進国では子供まで使い化石燃料は悪という

イメージ戦略にでましたが、これは貧しい国の否定になっていることは訴えている

本人は知らないのでしょう。

 

そんな国際会議に出て行った日本の環境大臣は中身のないポエム体質を顕にして

世界的に評価を下げたようですが、注目を集める存在であることに変わりはなく、

ステーキを食べただけで温暖化について不勉強であるとされるなど周りにいる人が

敵か味方よく判断することも必要ですね。

 

毎年人気のスィーツなどはころころと流行り廃りとあり、今年はタピオカドリンクで

それをひっさげ脱サラしたり起業したりする人もいるわけですが、そういうのは栄枯盛衰

があり、次の年にはまた新しい流行り物が現れるのです。とはいえ時をつかむというのは

ビジネスでは当たり前の行動で人が見向きもしないものに投資する人はいません。

 

珈琲はそんな人気の飲み物ではありませんが、これは生活に欠かせないものとして

単純に良い珈琲を供給するという事で当店は取り組みより向上を目指しています。

試飲は三時まで受け付けています。

 

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中間貯蔵施設と秋の味覚

2019年09月20日 09時18分25秒 | 珈琲

今日も涼しい朝でした。数日前まで30度を超える暑い日が毎日続くという

状況からこうなるとなんとなくさみしいような感覚が去来します。

慌てて夏の忘れ物を探すようなそんな何かを手当てしなくてはならない感じが

します。週末にはお墓のある実家に帰るという人も多いと思います。

 

さてその故郷というとそこに今戻れない人もいるわけで、昨日の東電の判決を

聞きそんな思いを新たにした人もいるのではないでしょうか。しかし、この大きな

問題ながら多くの人はやはり他人事で今どんな状況かも日ごとその報道が減るのと

同時に記憶から遠のいているのです。先日Eテレで中間貯蔵施設を特集していましたが、

私はそれを見て大変びっくりしてしまいました。多くの国民はこういうことだったのかと

その意味と今後を知るべきだと思います。私も中間貯蔵施設に関してはかつての

石原環境大臣がころころと担当大臣が変わる中この問題を決め最後にポロリと後は

金目でしょうと失言したのを記憶していますが、実際その金目が物を言ったのか

工事はすすめられ核のゴミは着々と集められているのです。

 

私はこのEテレの特集を見るまでそれがどんな施設でどこに作られたのかを知りません

でした。これは多くの国民が同じだと思います。就任が決まると即首都圏の大停電の地を

さておき視察に小泉環境大臣が福島に赴き、記者団に質問で30年で県外の根拠はと聞かれ

約束ですからという薄いコメントで評価を下げた時でさえこの番組を見る前だったので

あまり気にもなりませんでした。

 

ところがかの番組を見て初めて中間貯蔵施設とはどこかの人が住まない山深い地ではなく、

福島第一原発を取り巻くように双葉町、大熊町に作られ既存の家やブドウ園を取り壊し

更地にし県内の除染のゴミを集めているのです。ニュースでは聞いていた中間貯蔵施設と

政治家の話よりこの現地の映像を見るだけでそれはそこに意味するものを強く感じます。

チェルノブイリの事故でもセシウム137の放出による放射能汚染が問題になったのですが、

その半減期は約30年です。中間貯蔵施設の設定期限が30年であり、そのために今ある

建物や農園など町のあらゆる施設は更地にされているのです。そして、地権者の20%以上は

未だ同意が得られていないという状況ながら搬入や更地化は進み今まで聞く大臣の言葉

などより実に多くの事を語ったようでした。

 

涼しくなり秋の味覚もこの時季ならではというものがスーパーの店先や食卓にも上る

この頃です。

 

珈琲も秋の夜長にふさわしいものをという注文が増えています。

 

とりわけモカをというご注文が重なりなるほどという感じで焼くこともあります。

 

そんな意味ではこの涼しくなった夜を前にして食後の珈琲としても可なのかと

考えたり、モカはいつ飲んだらというモデルを考えてみたりします。

 

そうするとゴルゴンゾーラとシイタケとか焼きナスの鰹節かけとかエノキの干したのとか

なぜか酒のつまみのような簡単レシピが次々と浮かぶのでした。

 

秋はキノコの季節でもあります。これからおいしい物がまだまだ出てきます。

秋はこれから本番です。珈琲も御伴にどうぞ。

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秋の豆

2019年09月19日 12時38分38秒 | 珈琲

昨日は雨が降り、随分涼しいと感じる日でした。

そんな降る雨を見つめてやはりそばにあるのは珈琲です。

インドネシアの豆もこんな気候になりより味わい深い感じで

これからのきせつにも似合うのではないでしょうか。

 

秋というのに医者や床屋の待合室にある雑誌の記事にはまだ夏の寿司だとか首都圏の

お出かけスポットの雑誌なども川越と秩父とあまりに定番すぎてこういうのを

見て皆週末に来て、ラーメン屋とか味噌豚丼に並ぶのかと見てみるとなんとも

いえない違和感に包まれるのでした。

 

とはいえ私自身川越のこの間のNHKで見たパン旅のパン屋に行ってみたいと

思っているのですからこれは無理なからんことでみんなこんな情報により

行動しているのです。

 

そんな中旅ランでみる景色というのは何か同じランナーとして実に近い視点と

意外な町の発見があります。秩父もつるの剛士が走り画面に現れるものと現実に

走ったらどうなるかというのを知る身からしたらこの番組の絵作りが知れる感じで

まだ行ったことのない町も行ったことのある観光地も走るとこうなるのかという

事で楽しくみれます。札幌の開拓ランでは有名な観光地が意外と近くにあるように

次々に現れれるのですが、私が車で訪れた時には結構な距離感とよく見るクラーク博士の像も

画面に出ていましたが、大学の中にはなく、どこかの公園にある筈で画面上では

走ってその像にも出会っているかのような造りになっていますが、後撮りだと思います。

 

結局、ち密に計画してあの有名な観光地も見てあの建物も見て何て計画しても実際やって

見ると疲れるだけで何にも楽しくないことが解ります。ただ後になって城は行ったとかあの観光地は

見たと言えるだけで結構憧れて夢の地だと思って実際に見てみるとなんとも無駄なことをしている感じが

滲むことがしばしばです。

 

つまり名物とか観光地巡りなんて実に人に乗せられてこなしているようでそれに気づいてみじめな感じが

するのです。そんなガイドブックを辿るようなことはしまいと何度も思うのに旅番組などみるともうそれは

忘れミーハーの極みのように行ってみたいと思うのです。

 

昔は気障にガイドブックの観光地などはわざと無視して自分の感性で街をぶらぶらして気に入ったものだけ

見るという気概もありましたが、そんなことをしているとこのまま有名観光地も見ないまま人生を終えるのかと

ふと思った時にそれはやはりまずいような気がして大阪に行って大阪城やグリコの大看板をみたりとさざえさん

のオープニングに出る有名観光地ぐらいは実際に見て置こうとした時期もありました。

 

そしてそんな淡い敗北感や自分なりの旅行をするにつけ今行きたいところはどこだろうなどといつも考えている

のでした。

 

さて、そんなことを考えつつ今朝はミューズパークで行われる世良公則のライブのチケット販売日でした。

主催者に確認したところ一番券の枚数と良い席を持っているのは矢尾の観光チケットセンターだといいます。

19日からの一斉販売で窓口は三カ所のみと解釈していましたが、今朝実際に座席表と券をみて疑問を持ったのは

売っていた席が全体の一割ほどで各ブロックの一列二列だけだったのです。帰ってからまたポスターの内容を

見てみると会員販売で取引のなかった券を販売しますと書かれています。つまり、何の会員かは不明ながら

券はあらかた売られていたようなのです。他の会場などでは12月の物もソールドアウトになるなどいくつも

前売りサイトやコンビニチケットでの販売があり、そういうのがない地方の会場の場合もっぱら地元の人対象

に売られるものと思っていたら既に会員向けにあらかたの券は売られていた事実を知りその会員とはどんな

人たちなのかと思っているのでした。忌野清志郎の券をとる時にもファンクラブにあらかた売り払われた残りを

ぴあなどでネット販売するというのが定番のやり方と聞いていましたが、月三回も地方や都内とさまざまな

コンサートをしているのに4ケ月先の券を売り切ってしまうというのはどんな人達がその会員なのかと。

 

私が今朝の八時半に矢尾前を通るともう既に五、六人の人が並んでいました。前回市民会館前に南こうせつの

コンサートチケットを求めて並んだ時には発売一時間も前に予定数量以上の人が並んで買えませんでした。

今回はそれから比べたらあまりの少なさに逆に拍子抜けしてしまう人出です。私は仕事をしてから9時45分に

矢尾に向かい北入り口に着いた時にはもう既に列はなく入り口にいた人に整理券を渡されたのが14番でした。

 

そうして無事最前列の券をゲットしてあまりの呆気なさでしたが、これはこれで満足の一日のはじまりでした。

昨年はダメもとで電話してどうにかチケットをゲットした泉谷しげるに続き、今年もライブ参戦できることになり

今からワクワクとしているのでした。

 

 

 

 

 

 

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『珍夜特急』と経度と緯度の測り方

2019年09月18日 15時44分44秒 | 読書

よく観光地で記念碑があるとそこに緯度と経度が記されていることがあります。

測候所がなくなりましたがその地にはいまだ百葉箱と降雨計とか何かのアンテナとか

装置がある一方何のためか経度と緯度の記された柱もあります。こんなのを見ても誰も

地球上の自分の位置を気にしたり、地球の大きさを気にしたりしないでしょう。それは

我々が誰でも義務教育として最低限の教育でもそれらの知識を教わり太陽の周りを周る

第三惑星に住んでいるという事を知っているからで、物の大きさを測ったり木の高さを

測る方法を知っているからでしょう。地図に入っている縦と横の線は経度と緯度であり

その数値で地球上の位置もあらわされると知っているからです。

 

しかし、実際に中学生や高校生にその意味や数値の出し方を質問したとしてどれだけの答えが

返ってくるでしょうか。

 

最近テレビで見た東海道にある古い家からお宝を見せてもらうという番組で伊能忠敬以前の

地図というのを見ましたが、その出来はかつてテレビなどでやる伊能忠敬以前の地図からすると

かなりの精度でそれが伊能忠敬の60年ほど前といいますから如何に我々が正確な情報に接して

おらず教育としても甚だ怪しい知識でしかこの基礎科学部分を理解していないことを知るのです。

 

私が一番最初に伊能忠敬の事を知るのは歴史の本からでなく、道徳の本からです。この道徳の授業

はテストとかなく一週間に一回ぐらいしかなかったと思いますが、とても心に残る話があったように

思います。走れメロスとか鑑真が日本を目指した話とか陸上でペースメーカーを命じられた生徒が

腐らずに練習に専念して結局レース本番に優勝してしまう話など今でも思い出します。そんな中

伊能忠敬が出てきたのは自分は50歳なのに31歳の人に弟子入りしたという事で登場するのです。

 

彼が弟子入りしたのは天文方という幕府の役人です。そして道徳の本では師としてもう教えることは

ありませんと言われて伊能忠敬はその獲得した技術で測量の旅に出るというものでした。

 

多くの日本人が理解する伊能忠敬は日本地図を作った人という事ですが、幕府に収めた地図にしろ

伊能家にあった地図にしろみんな火災や関東大震災で焼失し彼の偉業が改めて評価されるようになった

のは最近と言ってもいいかもしれません。しかし、その理解が未だにテレビ番組で紹介される偉業に

しても初めて地図を測量して作ったと言った理解に止まり、日本の教育のお粗末さを露呈していて

このままでは確かに国際競争力も衰えてしまうわけだと感じるのです。つまり、彼が測量したいと

思ったのは蝦夷地まで行って測れば地球の大きさが解ると思ったからなのにそれを教えずにこの人の

偉大さと科学に対する興味を伝えることもできないわけです。

 

世界では伊能忠敬が生まれるより10年早い1735年に地球の経線と赤道線を測る測量隊が派遣されています。

 

この測量は天文観測によるデーターが示す地球の形状が極方向に長いのではないかという学説上の争いに

終止符を打つべく学術調査として派遣されるのですが、使命を果たすまでに命を落とす人が続々現れ簡単に

終わらず、その体験記が出版されると世界にめがむく結果になり色々な影響を与えたのです。

 

私もかつて深夜特急という体験記を読みそんな冒険をしてみたいという事を夢見たりしました。また当然に

社会に出る前に若者の特権である自分探しの旅というものに出て世界中を歩いてみることもするものと

思っていました。しかし、実際には進路指導の先生の言うがままに普通に就職して淡々と社会人生活に入り

海外をまたにかけて活躍するビジネスマンでもなく普通の日本人的な世界観に止まるわけですが、テレビなどで

憧れたヒッチハイクでユーラシア大陸を旅する猿岩石の番組が人気になったりとかつて私がやろうとした旅を

実際にやっている人達を見ると何かしらやり残したことのように感じるのも確かです。

 

今回読んだ『珍夜特急』というのはインドからポルトガルのロカ岬を目指す旅をバイクで果たした旅行記なのです。

現在の世の中ではできないこれまた良き昔のお話となってしまった世界情勢とか色々と考えさせる本でした。

そもそもロカ岬にしたところにもしかしたらこの人も宮本輝の本を読んでロカ岬を最終目的地にしたのかと

予測したのですが、全体的な知識とか文化的欲求とかそもそもそんな旅に何を求めていたのかという目的も

実に味わいもなくあやふやなものなのです。観光地など興味がないとばかりに名だたる名所をことごとくすっとばし

遺跡や観光名所などもたいした紹介もなく、美術館などゴッホ美術館とゲルニカとミュシャ美術館だけという

なんとももったいない行動なのです。

 

出てくる描写も荒野をただバイクで一日何百キロも走ったりとバイクで走る描写もただ何も起きなくて日本の

バイクの性能の良さをうかがわせるような旅でこんなトラブルも少なく良く行けたなあという物語です。

もう色々と経験もして旅行経験とか人生経験もしてしまうとまたこれを読んでも私が高校生でそんな海外放浪の

旅の本を読み漁っていたころに出会えばまた違った感想だったのは間違いありませんが、今となれば何もない

この本は現在ではこのようなことはできないしと考えると昔はよかったねとしかいえない本です。

 

せめて宮本輝の『草原の椅子』のように砂漠や原野に宇宙とのかかわりを見出したり、最古の文明の地など

今では入れない地に行けたのに何の未練もなく立ち寄りもしないなど期待するには本人の資質に問題あり

なのではという気もしたのです。それは世界というものに過度に期待する私の方が問題なのかという気も

しないではありませんが登場する多彩な旅での出会いなどそれにつれコースを自由に変えそんな人に助けられたり

また違う人に出会ったりとそんなことを重視しての旅なのかという気もします。そんな旅もやはり若いうちに

やってみようという人が日本人にもこれからたくさん現れて日本や世界を変えていってくれることとを願います。

 

 

 

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初彼岸

2019年09月18日 09時40分37秒 | 珈琲

昨日は三十度を超えて暑い日でしたが、今日は涼しい風が吹き24度しかありません。

 

これは夜になると涼しさは増し、昨日の夜も今までより走りやすく、でもかといって寝付き易いかと

いうと微妙な暑さがありまだ布団をかぶって乗るわけにいかずという最も体調を崩しやすい状況です。

 

それでも私は一度寝てしまうと昨日は一度も起きずに朝を迎えるという理想の睡眠でした。これが

何度も起きるようだと夢を見たりなかなか休めないのです。最近見る夢はかなり複雑なもの

でこれはすごい込み入ってよくそんなこと考えたなあというようなもので書き留めておくと実にその

まま出版して世に問いたいような物語です。

 

しかし、それは目覚めとともに不確かな内容になり前後の脈略も不確かになりなんとも幻の様相を

呈して来るのです。

 

さて、昨日小鹿野に拡大した豚コレラですが、どうやら昨年岐阜に端を発した豚コレラがどうやら

首都圏に達したというのが今回の秩父で発見という事らしいです。当然隣接の群馬などはイノシシの

防御柵やらワクチン接種やらと警戒と対策に努力しているようです。それではコレラ菌はどこから

来たのかというとモンゴル由来で中国人が菌を持ち込んだという見方が有力です。ワクチン接種は

有効ながらそれをすると国際認定の清浄国から外れてしまうので簡単に使用ができないところだ

そうでそうこうしているうちに首都圏まで来てしまったというのが現在です。

 

まあいつもながら対応が遅いという事になるのでしょう。

 

台風15号の復旧の遅れなどもとかく行政の対応とか県知事の対応がいわれていますが、そんなことより

今起きたことをよく記録しておき、どんな対応をしたかです。そして検証を後からやりどうしたらこれから

増える災害に対応できるかを準備していくことなのです。

 

環境大臣に任命された組閣の目玉の小泉大臣は翌日福島県知事と面会していました。その後、千葉の被災地を

訪れ市長と面談とその時のニュース映像で語られたことも国の援助を要請され、解りましたと答えた映像で

した。

 

今の日本の問題は都合の悪い資料は改竄や紛失という悪しき恒例で公文書なんて実に頼りない存在です。

他の先進国ではその文書は厳重に保管され期間が過ぎれば公開もされます。そんな文書から明らかになる

事が多く、新たな発見とされます。日本も行政の判断や政治の在り方として後に検証可能で現政に生かせる

記録とすべきです。

 

その時の首長の指示や対応の遅ればかりを指摘したりあげつらったりするのでは韓国の政治と同じです。

その時の遅れはなぜ起きたのかを検証し、次に生かせないと意味がないのです。

 

例えばビールとは装置産業で大手のビール業者の寡占状態でそのガリバーとしてキリンビールがあり

そういうトップ企業は一度築いた地位は簡単に覆らないといわれていました。しかし、バブル期に

あったそういう状況も産業ごとに事情は違いより寡占化が進んで統廃合が起きた産業やまさかの地位

逆転が起きた業種と様々なのです。

 

ビール首位のキリンはガリバーでその地位は揺るがないものとされていました。それがアサヒスーパードライの

登場でアサヒが逆転し、名門サッポロに至っては最下位になってしまいました。寡占状態という事で新規参入が

難しいとされていましたが、今ではご当地ビールブームで年々極小ブランドは増えている状況なのです。

 

この様に昔教科書で教わった産業構造も学者の見立てと現実という混沌の世界では違うようで、電気業界

なども官製談合の既成業態を誰が今のような自由化を予想できたでしょうか。それもあの大震災と民主党政権が

あったからで、もしそのどちらか一方がなければまた違った地図となっていたでしょう。日本の既得権益と

岩盤規制を崩すのは容易ではなく、そういうものは変わらないと教わりながら現実はまさかとおもうような

事が現実となり誰もが予想しない企業が現れたりするのが現実なのです。

 

過去からの流れとか日本人のアイデンティティなどといいつつ現実社会はドラステックに変化するのです。

 

トラディショナルとか古くて正統なものが生き残るなどというのは幻想で何が起こるのか誰が生き残るのか

何て実は誰も予測できないのです。

 

となればその時代の流れに流されつつ生きていくしかないのかもしれません。

 

そんな事を思うこの頃ですが、古い因習というか風習はなかなかなくならず、先月の新盆につづき今度の週末は

初彼岸というものに出なくてはならないと言います。

 

まだ多くの親戚が生きていますが、今後私が出るであろう初彼岸は今回が最後だろうというので行こうとは

思いますが、なんとも釈然としないものも去来します。人の心とはそんなものの集合体なのです。合理的とか

科学的という説明が成り立たない世界もあると理解するしかありません。

 

 

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豚コレラ拡大

2019年09月17日 12時52分57秒 | 日々のこと

昼のニュースによると小鹿野町でも豚コレラが確認されました。

そしてその農園は秩父市の南五キロとのことでしたので元の秩父の養豚場は

旧吉田町だと知れました。これ以上の拡大がないことと早い復旧を祈ります。

そういえば、この辺でも牛や馬豚を買う農家はありました。

家の前を牛車が通ることも珍しくなく今のように車のみとなったのはいつぐらいからでしょうか。

前は乗馬クラブが柳大橋のところにあり、秋葉神社にあった自宅前を馬が通るのは珍しいことでは

ないのでした。

 

ところが現在その市営馬飼育施設は羊山にありますが、馬がそこから降りてくることはなく毎年

秩父夜祭の時だけ神社と市役所を歩くだけです。今月その馬に乗せてくれるイベントがありましたが、

土曜日で用事があり参加できずでした。残念。

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豚コレラと焼き肉

2019年09月17日 09時39分06秒 | 珈琲

突然の秩父市の豚コレラ発生のニュースはなんで秩父にという

感じですが、なんかしっくりこないのはやはりニュースに出るときの秩父と

いう範囲です。秩父市とは旧大滝村、旧荒川村、旧吉田町と合併により一口に

秩父で発生という報も実際私たち秩父に住む者からするとどこの事だよという話に

なるのです。

 

秩父は盆地で山の中です。イノシシに媒介された菌が家畜に移り発見されたという

ことだと秩父の豚だけ菌が発見されたというのはおかしい話です。なぜいきなりこの盆地の

豚だけ死んだのか詳しい調査と由来を知りたいものです。

 

秩父の名物は色々ありますが、毎週末店に行列ができる豚味噌ドンの店とかホルモン焼きの

店とかに影響がと考えられますが、現れた現象は当店の豚肉は熊谷産ですというような自らを

否定するような秩父名物の店の対応でした。そんな事と関係なく私の昨晩の食事は期せずして

ホルモン焼きの店でした。このホルモンも週末には店に行列ができる人気となっていますが、

私はあまり好きではなくあまり行ったことがありません。

 

現在のスタイルとしては炭火で網焼きというのが多いのですが、そうなるとかなり衣服や体に

臭いが映りますし、暑い時には火を前にして暑い思いをして火を囲むというのは人を選ぶことに

なり誰でもそれではホルモンを食べにという事にはならないと思います。

 

焼き肉などもいくら親しい仲とはいえ砕けた間柄でないとおいそれと誘えないという種類の

食事です。逆にこういう食事の場を持つとお互いの距離が今まで以上に縮まったと感じたり

する人もいるので懇親会などというとわざとそんな席にする傾向もあります。

 

日本の首相が外国要人をおもてなしするのに今までは焼鳥屋や寿司屋、炉端焼きなどの店を

選んだとニュースになりますが、それらは相手側からのリクエストもあり日本文化を著す

スタイルとしてそれらの店をチョイスするという日本食を代表するものということと日本の

サラリーマンがコミュニケーションを深める手段飲みニケーションの再現という意味合いも

込めたものと思います。

 

珈琲にしろ珈琲を前に対峙して語り合う時間はどんな人ともその距離を縮め楽しい時間の共有に

違いありませが、人により好きでないという人もいるのも事実です。

 

自分が好きであれば相手も同じように好きであるとするのは危険なことと認識すべきであり

ながら事焼肉とか珈琲だと酒や宴席というより砕けて誰でも好きであると信じている人の方が

多いのではと伺えます。

 

お互いの壁を少しでも低くして親しくなろうとするときに本当に必要なことは何かというと

共通の感動体験でそれは何もホルモンや焼き肉でなくてもいいのです。お互いで壁を下げる

努力が必要だという意識と面と会い会することで何かを解決できると知る心が発展につながると

思うこの豚コレラとホルモン焼きに思う事でした。

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中秋の名月とMGC

2019年09月16日 10時06分29秒 | 珈琲

今朝もいつものブラジルでスタートしました。整いました。

 

さて、昨日今日とすっかりと朝晩は涼しくなり、こうなると寝る時や寝具には気を使います。

寝付きも時間がかかるようになり、かといって寝入りから厚い布団などかぶる気にもなれず

薄い綿毛布だと寒くて目が覚めたりと朝に風邪声の人とかもこの急激な気温変化に台風通過と

我々首都圏の人には厳しい環境にあります。

 

夜のランニングでは相変わらず汗まみれでそんな気温の変化も受けていないようですが、実は

涼しくなり走り出しやすくなったり、温まり汗が出るまで時間がかかったりしています。

 

今頃はまだ夏のおしろいばなのはなが香ったり、秋の象徴のような金木犀の香りがしたりして

います。柿の実が道路に落ち酸っぱい匂いがしているところとか虫の音とかすっかりと秋の

風情ながらまだまだ汗が滝のように流れるのは相変わらずです。ただ走りやすくなった感じは

今までのよたよたやっと走っていた感じからそろそろタイムを気にするようになり環境が整ったと

感じたりもしています。

 

先週の土曜のミューズパークではここら辺ではもう鳴いていないミンミンゼミが鳴いていたりと

環境の違いを感じてもう一度近いうちに走りに行こうととう思います。そう思う一つの変化として

まだ今年はススキも萩の花も見ていないので見たいという気持ちもありどちらも間違いなく

あるところで見てみたいと思ったからです。

 

中秋の名月が13日で、その時は曇りで見られませんでしたが、うちでもだんごは用意されていて

あれススキはと思ったのでした。私のランニングコースにも見かけません。これはどうしたことかと

そんなありふれたものも旧市内では見られなくなったのかと訝る事態です。

 

その日に訪れた台湾のお客様と今日は十五夜だと話をすると台湾でも同じだと言いました。台湾では

バーベキューをするんだとか。

 

月を愛でる心と月を見て何を思うのかは人類共通なのかそんなことを思いつつ、日曜はテレビで

マラソンの五輪代表選考レースをみました。これは今までの対象レースでタイムと順位で選んでいたものを

候補三十人を一遍に走らせて一発勝負で一位と二位が代表権獲得という今までにないスタイルにしたもので

これはより公平に活躍できる人を選ぶためだといいますが、実際に選ばれた選手はまさかという結果に

なりこれはこれでよいのか悪いのか今後の結果に現れるでしょう。

 

男子はTBSで女子はNHKでやっていたのですが、それに気が付いたのは男子トップが既にゴールした時で

女子の方は男子ほどのドラマもなく順当といえる人が入ったようです。ただ、その中継のされかたがまるで

二つの局でスタイルが違い女子の方はレースの内容そっちのけで解説が座談会のような砕けた会話でまるで

中継に解説が不要なのではと思わせる無用のコメントばかりでそんなのいらないと何度も思わせたのでした。

 

男子の一人で抜け出し快調に飛ばす姿はトップ独り占めで大群衆の中の首都を駆ける爽快感を見せてくれて

完全に独走だと思われたのに中盤から明らかに疲れが出た走りにこれは最後まで行けるのかと危ぶんでいると

なんとあれだけ離れていた第二集団が段々画面に映りこんでくるようになりそれが30K超えてであり、タイムから

みても1時間43分とこのペースでは明らかに10分を超えるゴールタイムになってしまう事を見ると選考レースで

本番とほぼ同じコースを使い日本人だけというレースでこの時間ではもう候補としてあまりに頼りないのは

明らかでなんてだらしないレースなのかと思ってしまうのでした。

 

最初に飛び出した選手は歴代二位のタイムを持つスピードランナーなだけに6分台のペースでそのまま最後まで

行くものと思ってしまいましたが、まさかの失速と一度速度を失うとその第二集団にもとどまれず結局14位16分

というタイムでした。意外と彼のこの走りに批判よりそのチャレンジ精神に賛意を表する人が多々います。

でもあまりに無残な後半のタイムはどうにかならなかったのかという恨みも出てきます。あまりに優勝タイムが

悪すぎ当日はもっと過酷な熱波の中を走る様な真夏の東京のアスファルトジャングルであることを考えると

こんなのでいいのという気もします。さらに女子は番狂わせもなく順当な選手が一位二位に入り五輪代表権

獲得し、解説がタイムが素晴らしいメダルを期待できるという人がいてそうじゃないだろうとどうしても

思ってしまいました。マラソンの女子記録はあのラドクリフの15分であり、世界的なレベルは20分を切るかどうかが

メダルに届くかというレベルです。確かに暑いリオデジャネイロでは優勝タイムは24分ですが、これは

何度も何度もペースアタックをかけるアフリカ勢の揺さぶりの結果であり、過酷なレースでの24分と今回の

優勝者25分が同じ土俵のタイムに見える解説とは余程のセンスのなさを露呈しています。

 

レース前の注目選手でマスコミ露出度の高かった福士選手は7位腹筋を見せての松田瑞生選手は29分51秒の4位

とレース前のインタビューで語った準備の様子からするとあれという結果でした。

 

残りのひと枠は設定タイムを超えた選手と対象レースが決められていて三位四位の人がこのレースに出てタイムを

出すチャレンジをするのかただ結果を待つのか微妙なものを感じます。

 

当店としてはこの暑さの中ひとつの決定をしました。

それはおいおい発表しますが、今後ますます忙しくなりそうです。

 

 

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内閣改造と台風被害

2019年09月13日 09時37分48秒 | 珈琲

ついこの間私が旅行した南房総や千葉ではいまだ停電と水も止まり、電話もつながらない

という被害が一向に回復せず、さらに拡大しているかのようなニュースがある一方

内閣改造して新大臣などのコメントなどが見られました。

 

snsでは水も今日止まりました、とか食料がありません、などという書き込みがあり、

助けてくださいという訴えに満ちています。一方知らすべき行政の長がアカウントすら持って

いないというのもみました。これは千葉県知事のことを言ったものですが、そもそも知事は

snsで情報を発信すべき人でしょうか。

 

この様な危機に関係機関との連絡や的確な部署への指示といったところが一番の仕事で、

こういう災害の時に誰々は仕事をしなかったというのが今までも聞きましたが、その結果は

あまりいいものではありません。

 

住民は助けてもらう事しか頭にありませんから、苦情を議員とか市長や知事といったところに

直接電話したりします。

 

中にはここぞと自分の力をアピールする輩もいるのですが、それが却って円滑な作業に支障を

きたしたり、迷惑したりするのです。

 

今回予定通り被災地がまだ停電で復旧もいつなのかままならない中、内閣改造人事の発表があり、

お決まりの宮中任命式やら記念撮影やら記者会見をやり、全くこの災害に触れることなくインタビューも

されていました。

 

ネットではそれについて内閣改造どころではないだろうと怒りの声を上げる人もいましたが、

大臣就任を喜ぶ声を伝えるニュースの方がニーズが高いのは歴然でこの二つの事しかやらないニュース

ばかりをここ数日見させられた身からすると入閣する人は脛に傷あるような人や全く知らないお年寄り

だったりして大臣はそういう人がやるのかという印象です。なかでも前回も話題になったIT相はなぜ

年寄りでパソコンにも触ったことがないような人がやるのか、インタビューでこれから勉強して

答えられるようにしますという事をはっきりといってしまう程度の人をなぜと思うのは私だけでしょうか。

 

首都圏であり電気も止まり死者も出た台風による停電ですが、40万もの人が苦しむ中淡々と内閣改造と

その発表がなされた国の行動に文句を垂れるのが正しいのか、予定通り発表した国が滞りなく業務を

こなしている証なのかすっきりと言い切れませんが停電での暗澹とした気持ちははっきりと今でもあの

東日本大震災の時の感覚を思い出すことになります。

 

毎年何らかの災害が襲うようになりますますその対処が問われるところです。

 

台風後の暑さも今日は収まり、涼しい風が吹いています。

 

こんな時には季節のブレンド林檎も丁度実力を発揮し、この急激の変化も癒しの空間にしてくれます。

 

コスタリカ、エルサルバドルなど独特の酸味を持つ珈琲がこれからお勧めです。

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実はとても簡単なこと

2019年09月12日 14時21分18秒 | スキー

私には日々疑問に思う事として、なぜ日本は世界第二位の経済大国になった以降

その発展の歩みを止め、どんどんと輝きを失い国際競争力もなくし、お年寄り国家に

なってしまったのかということです。

 

経済は右肩上がりで常に物価が上昇し給料も年々上がるという環境の中学生時代と

社会に出ても景気のいい時代を過ごした後突如バブルの崩壊とともに、デフレ社会という

かつて経験したことのない長い不況下にあり、企業の競争は年々激しさを増し、企業は

どこもブラック化するなどどこにも余裕とゆとりのない社会になったかのような日本で

築いた金融資産もどんどん陳腐化するという豊かなのに貧しいという状況が現れています。

 

元々これは土地神話といわれる土地が年々値上がりすることを否定して土地に融資するシステムを

極端に絞ったことから諸々のマネジメントがくるってきたことに端を発します。これは

建築基準法が戦後住宅を作る時にとにかく安くても30年持つ程度の建築基準という発想で

作られ建物は木造で30年しか持たないという悪しき観念を持ち込んだせいで日本の不動産という

価値観が土地にしか存在しないような仕組みになり、建物に何の担保価値がないような価値観が

定着し土地さえあればいいような仕組みになってしまったため土地が上がり続けた時にはよかった

資産価値も長年ローンを組んで返済しても実は何も残らない老後になってしまうなど制度に

よる破綻を随所に見せお年寄りの不安がその数とともに増え社会に混迷を与えました。

 

今介護や年金など老後の不安社会を生んだのはこの建物が価値を持たないというシステムに元を

発するものが殆どで借地などが今空き家になり荒れているのはその流通するシステムとか価値の

移譲に問題があるからです。そもそも建物の価値が20年するとなくなるという実務上の計算や

法律上の借地の価値と実務上の価値や実際の居住環境など現実との差が激しく地方ほど法での保護も

何にもならず地上権者の地位も金銭に変えていくこともなくただ空き家として朽ちていくのみという

ことになっています。

 

もう一度生活とそれを支えるものと資産的背景とかセットで考えないといくら働いても豊かになれない

という社会になりはしないかと思います。ところで昔のように会社で旅行に行き、運動会や納涼会など

があった時代となんでも会社の人と時間を過ごすことが多い人は私のようになぜ昔はみんなスキーやスケートに

行ったのに今はいかないんだろうと思っていないでしょうか。それでも中高年の趣味は今は山であり、

多くの人が山登りはしています。

 

私はその山登りというのはひとつの成功体験でより高い山を登りそこから眺める景色を味わいたいと

人生を賭して今まで見た事のない景色を征服したいのだと思います。私はもっぱら田中陽希の300名山の

テレビでもう登ったつもりになり自分で登ろうとも思いませんが、毎年スキーに行き温泉とスキーという

極上の時間を過ごしたいといつも思います。

 

そして、ネットで今見ると色々な夏から冬のどう山を過ごしたかを読んでみるとなんか人の書いた冬山と

自分が過ごしたスキー旅行はもはや違うもののような気がしてなりません。そもそも私には今年からかつての

様な温泉とスキーの旅行ができないというのは物理的に起こったことでこれは積極的にもっと冬山に近づくか

日々滑る環境など作らない限りもうかつてのような経験はできず新たな摸索の年だったのです。それは

草津の噴火で新雪滑走がいつでもできた本白根の閉鎖というもうこの先滑る楽しみもないという状況の中で

それに代わる楽しみを発見しないといけなかったのです。

 

ひょっとするとそれはもうゲレンデスキーではこの先体験できずもうどこのゲレンデも楽しくないのかも

知れないというほど切実になり、ああだこうだといつも考えていました。

 

そして、夏が過ぎまた冬が来るぞとなった時にふと見た各ゲレンデのレビューサイトみたいなところで

各スキー場の楽しみ方を読んでいるとまたすごい違和感が沸いてきました。例えばガーラスキー場の

楽しみ方みたいのを読んでみると魅力を星の数で表しているのですが、アクセスが星5と最高ランクで

次の混雑では星ひとつです。雪質は半分くらいの評価でおおむね混むから雪質は望めないとなっています。

 

ここまで読んでくるとどうしてだろうかと不思議な感じがこみあげてきて仕方なくなったのです。

私は今年は一度も上越のスキー場行ってなくてこれは今までにないことなのですが、今年はここの

260万ダラーというコースをぜひ滑ろうと期待していたのです。昨年行った時には閉まっていて今まで

一度も滑ったことがないはずなのですが、それはコースがいつも開いていないからでこれと似たように

毎年行く斑尾のキングスラロームと同じだと今年は気が付きまあ行けばそんな感じなんだろうなあと

予測が付きます。私に残された道はこの予測のつかないスキーを各スキー場やまだ見た事のないスキー

場で滑るかだと思うのですが、それには簡単に日帰りで繰り返したスキーとは違う困難さがあり、

いつも約束された楽しさがあるから行ったスキーも毎回そんな冒険のような旅となると果たして

やって行けるのかという疑問も湧きます。

 

これまでの経験で誰も滑った人のいない雪山で滑るとかサラサラのパウダーを滑るとかテーマが

あったわけですが、意外に簡単にできるのは所謂バックカントリーという方法であれば人もいないし

人工物の見えない斜面を滑る解放感はそれはもう素晴らしいものがあるのも体験しています。

 

しかし、これと近いことが激ごみのゲレンデでもできることが意外とあることも知っています。

それがガーラなら南エリアや260万ダラーなのですが、それも新雪降りたてであれば申し分ありません。

ここに辿り着くまでの長いドライブや混雑する駐車場や雪が降りしきる中の移動などそれまでにする

苦労もあるわけでそれをいかに減らして極上体験だけにするかというのはもっと思い切った行動が

必要で残りの人生とか残された資産とか有効活用して本来は思い切った行動に出た方がいいのかも

しれません。

 

日帰りのスキーでちょいと滑って満足するのかそれとも極上の体験を追求するのかというのはいつも

考えては伴う無駄な時間の多さと年々減少する新鮮な驚きとかまだ見ぬ世界とか未体験ゾーンなども

考えてはみんなそんなやらずもがななことを考えるのは草津のあの斜面の喪失につながっていてみんな

そういう事なのではと考えてしまいます。

 

いつも簡単に手に入っていたものは実は簡単になくなってしまい、誰も気が付かない闇の中にしまわれ

次から次に蓋を開け新しい世界を見ることに没頭してしまうと実はある世界も見えなくなるというよく

あるジレンマに陥るのです。

 

ガーラのゲレンデ紹介のページの欠点としている激ごみも一人様レーンを利用すればそんな苦でもなく、

雪質などは気にするほどの事でもないし、どのコースとどのコースを繰り返して滑れば一日滑れるし

できれば新雪の260万ダラーも開いていればと考えます。しかし、このページを読むような人が混んで

雪質も悪いと思えばガーラはよそうと思うでしょう。つまり何のために書かれているのか不思議なのです。

こういうスキー場だからこう楽しもうがないとただ来るなと書いているようなものです。

 

私も今年の冬はどんなスキーをするのか今からまた考えて行きます。

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