昨日見た映画は不思議なことにこの暑い時期にぴったりな大海原の物語なのです。どちらも漂流の末家に帰るという物語です。題が日本名では白鯨との戦いとなっていていくつもの物語で名著として登場する白鯨と人間の話なんだと思って見始めたらなかなかそういう話にならず白鯨が出てきても海の怪物感はなく、元々捕鯨とは日本のように食料としての捕獲ではなく油をとることが目的だったことがテーマとして語られます。だから漁の後のクジラ解体の様子も油をとるための作業を描写され骨や肉は捨てられてしまいなかなかその後クジラに出会えず南アメリカを回ってエクアドルまで来て白鯨の噂を聞きつけ赤道に沿って4500キロ西に向かうことになります。この時代の航海の過酷さや人力しかない時代の航海の難渋さがそれでも人々の欲求により大海を走りクジラをとるという危険な行為をさせてしまう様が描かれます。これはまったく海洋冒険小説としての白鯨のイメージとまったく違うものを描いているのですが、それでもあの素晴らしい物語がどう誕生したかを教えてくれる構成になっています。人々はそれぞれの定めや夢や目的によってクジラをとるという目的のためひとつの船に乗り合わさるわけですが、その夢と目的が破綻したとき苦難と悲劇の旅が始まるのです。一旦は無人島にたどり着きそこで通りかかる船を待つのですがそれでは死を待つだけだとまた小舟で旅立つのですがなかなか船には出会えず死んで行く仲間が出てしまいます。今までなら表に出てこなかった話がここから始まります。それは日本のヒカリゴケのテーマと重なるものですが、その衝撃の強さ故、作者の訴えたかったものは二の次になったように彼らが無事救助され聴聞会やら裁判で事実が明らかになることの重要性がテーマとなっていきます。つまり事実をそのままだすのでなく白鯨と人類の戦いを後世に残る一大叙事詩とする作家と事業継続のために真実の公表を押し止めさせようとした町の有力者と船長の行動と船長になるのを条件に口封じをされるも拒否して仲間を島に助けにいってその後も海で船長になった航海士の話が白鯨と戦う物語になり、捕鯨は石油の採掘により廃れてしまったことが描かれます。ここで海の大きさや自然の力を感じるわけですが安全を担保した上でならその大きさや何もない様を味わいたいとふと思ってしまいます。それは今まで何度も思ってきたクルーズ船で世界一周をするというものですがコロナ以降日本ではクルーズ船の帰投が始まりでしたからすっかり悪の象徴のようになり日本一周のツアーなどは安く人気で広告を見ますが大海原を行くクルーズはまだ足が向かない感じです。さて、トムハンクスのキャストアウェイは国際宅急便のfedexの社員が事故で飛行機が墜落、海を漂い無人島に漂着4年間無人島で生活し、筏を組んで島を脱出して無事家にたどり着く話です。実物のFedEx,のロゴやら航空機やらが出てくるので実話なのかと思いきやこれはフィクションでした。アフリカから始まった人類の歴史は大航海時代になり世界の海をわたるようになるのですが行く先々で先住民がいるという事実に文明社会は対峙するのです。これは人類が新たな食料や土地を求めて端舟で海を渡り何千キロも旅してきたからオーストラリアやハワイなどに先住民がいたという現実に驚異を感じずにはいられません。夜になりTBSのドラマ『VIVANT』を見ます。これは日本のドラマには珍しい本格海外ロケで豪華出演人とどんな話なのかなかなか明かされないという変わったドラマです。それに出てくる砂漠と荒涼とした岩山と荒野と青空を見るとこの星の実力をまた犇々と感じるのでした。普段ビルと夜景の町並みばかりを目にしますが本当は何もない土地が延々と続いたり海しかないところも人間の町より多いのです。普段地球としてみてないだけで本来の大きな自然の土地や海を意識せず暮らしていて今や温暖化という危機に面しているのにまだ地球を意識できない人類はこのまま灼熱の中消えていくのかと思えて来ます。
今朝のニュースでは給食がない夏休みは家計がピンチだなどというもので本当のことなのかと思うような内容です。
画面に出てくる人は皆ふくよかな人が多く、とても食うに困っているように見えません。取材に応じた支援団体は給付金の必要性を訴えていました。
こういうのはまともに食べていられる人達の罪悪感に訴えて飢えている人がいるんだからと金をせびる行為に思えてしまいます。
我々庶民は各種保険とか年金とかさんざん控除されさっ引かれてきたのです。なにもこれ以上差し出す必要はありません。そもそも生活ができない人の家計の中身を見ると住居費が収入の半分を占める例が多くもっと家賃の安いところに引っ越すか田舎に行けばよいのです。
まあ、都会に集中してしまうのも理解しますが地方の衰退を思うともっとなにかできそうなのにと思います。さて、昨日はこの灼熱の中バスケットボール市民大会に参加して試合を楽しみました。その際年齢も近い方からほったらかし投資で数万円得た話をされました。まあ、私はだから始めたいとも思いません。今朝yahoo newsでアメトークでタモリが漏らした金持ちになる方法というのがありました。アメトークの生番組
でうっかりタモリが金持ちになる方法を明かしてしまったというものでタモリはそれで訴えられてるんだとかいう記事なんだけどこちらはどうも詐欺らしい感じがぷんぷんです。
バスケットの仲間の話はポイントを投資して儲かったというものでまだ実害はありませんが、タモリの話はそもそもアメトークの番組にタモリが出るはずはないし、途中の誤字がやたらあったりアメトークがアメリカントークになったり有名人とyahoo newsということに信憑性がありますがこちらは最初に40000円差し出さないといけなくて、後はほったらかしでドンドン増えるというお話なのです。まあ、振り込んだら帰ってこないことになるでしょう。こういうのが本物のニュースサイトで出ているというのが驚きですがSNSのリンクで飛んだのでYAHOO内で見つけたのでないのでニュースとして流通したのかも怪しいのです。SNSに出てくるニュースやら購入サイトは利用しないことです。
いやあ。この暑さの中でも普通に普通の豆を買いにいらっしゃる方がいる土曜日です。私はこの暑さのなか豆を焼きアイスの注文をこなします。
それらはみなフルシティのギリギリまで加熱する焼き方になるので釜に付きっきりの作業です。
今焼いているのはパプアニューギニアやマンデリン、コロンビアと皆深煎りの効く豆ばかりです。さて、焙煎により工夫して高値に対抗すると書きましたがあまり手の内を晒すようで書かずにと思ったのですがこんな暑さだからやはり書いておく方がいいかと思い追記します。まずなんでこんな暑いときに深煎りの豆がいいのかということですが、これはこのみなので一年中きれいな酸味が際立つシティの初鳴りで止めた豆を欲しいという方もいますし、ケニアやバプアニューギニアの深煎りを欲しい方もいます。ただ酸味の表情が変わるエルサルバドルのパカマラやブラジルのカルモデミナスやモジアナの豆をじっくり味わうには暑すぎると感じもっと安くてポピュラー豆を焙煎度を変えて楽しむのも賢いのかなあと思うのです。でも注文に従うのでこちらの思い込みばかりを押し付けるのも憚られます。冷房の効いた部屋が当たり前なら一年中同じいつもの豆でいいわけですからこんな時こそじっくり試飲してお気に入りの豆を選んでもらうのがいいのかもしれません。とはいえ買う方もこの暑さだと試飲まで考えてないので夏は深煎りでアイスにもできるしホットでもということになるわけです。当たり前すぎますが、深煎りの効く豆はそれだけではないのです。まあこれ以上はさすがに晒せないか。来店の時にでもお話しします。
毎日暑い日が続きますが、テレビで冷房を使えとかエアコンを使用せよというものだからお年寄りの家庭も今ではエアコンをつけてる人は増えているらしいです。しかし、ネットでお年寄りの家の介護訪問をしてる方の報告で6件でエアコンの設定が暖房だったというのがありました。
昨年の夏はまだコロナの中で密になるなといわれてたわけですが、今年はそれもなくなり早くもお盆休みの混雑予報が出ていますがコロナは未だなくなってわけでなく毎日数が報道されなくなっただけです。
それと同様、いちいち報道されませんがスイカとうなぎといった真夏の味覚がものすごい値上がりでスイカなど6割高、輸入蒲焼きも4割りから6割高、国内養殖も倍の値段など激しい高さです。
そんな中、日銀はゼロ金利から金利調整という歴史的転換にやっと舵を切りました。それは単純な利上げでなく国債の大量購入が伴うもので更なる危険水域に踏み込んだかのような感があります。
とはいえ先週までは物価目標2%に達してないと利上げを躊躇していたものがFRBの利上げとまた利上げがあるとする予告付きによいよ重い腰をあげなくてはならなくなったという感じです。しかし、日本の0.5%に対して欧米は5.25と格差は歴然です。日本ではいくらでも借りられるという感じは強くより日本の円相場に関心は向くのでしょう。日本の富が海外に流れる状況は避けたいものです。
珈琲豆も為替により更に値上がりする可能性もあります。買うのがむずかしくなりつつあります。インドネシアの豆は昨年の台風と火山の被害と中国の買い付け増加でまったく様相が変わってしまった感じです。この地域はブランド豆も多くそれらの多くは入ってこなくなりトラジャなど日本が開発したような豆は倍近く値上がりしています。でも買えなくなったわけではありません。焙煎の工夫でやりくりもできる部分もあります。逆にここまで高くなるともっと高いケニヤも試してみるかということにもなったりしてますが安くても不味かったら飲むのを諦める人は増えるとおもいます。ですから味の維持には気を遣います。そんな意味ではパナマのゲイシャより安い謙気発酵の豆はお勧めなのかもしれません。それに今の暑さの中でホットで飲んで苦になりません。これは不思議な感覚で是非味わってみていただきたいとおもいます。夏だからアイスコーヒーなんて短絡的なものでなく真夏こそこのような珈琲を味わってその奥深さに触れていただきたいとおもいます。
関東地方は22日に梅雨明け後、連日の猛暑で毎日の報道で畑で年寄りが倒れていたとか日本列島が真っ赤な危険な暑さとやっています。
それって何の意味があるのか。
いまだに秋田の豪雨の被害で浸水した家の調査がと毎日秋田の豪雨を取り上げていますがなんとその数1100世帯で調査したのが26000世帯。てっきり秋田のほとんどが水没するかのような被害かと思えば調査世帯の4%のことを毎日伝えていたのです。
そうかと思えば、コロナ患者は増えていてたいした症状でもない人が救急車を呼んで病院に駆けつけるという事態で毎日危険な暑さという報道を真に受け過呼吸や熱中症になりかけくらいの人が救急車を呼んで病院に来るといった状況になっています。
これらは正しい対処や今すべきことを正しく報道せずいたずらに危機感やら危険度を報道するだけの無意味なニュースにより、本当の危機や将来になすべきことがうやむやになっている感じを受けます。
そしてマスコミは次の悪の主役認定を受け、ビッグモーターの街路樹枯らし問題を今さら追求を始めました。
弱った犬に更に追い討ちをかけるのはマスコミにはよくあることですが、統一教会のようにまともに追求せず地下に潜らし大きなテロでまた表舞台にという悪例もありニュースの需要と供給にはいつも疑問が募ります。
AIの情報もその発達により仕事をなくすとかAIが自我を持って人類を攻撃するとかマスコミの報道は何を広めたいのかと思わせます。それらデジタル社会が目指すことと恩恵が伝わらず、些細な人為的ミスばかりを取り上げマイナンバーカードの自主返納が増えていたりとそんなことがなんになると思わせます。
日本にはĆIAもFBIもありませんが
大きなテロもなく銃乱射事件もなく危険な外国の侵略にも対処されているかのような雰囲気ですが、昨年の安倍元首相の襲撃のように実はなにもできてなかったというのが正解で国民は無知で肝心なことは知らされてないという危うさは増している感じです。
とはいえ、毎日の暑さにかかわらず解ってらっしゃる方はケニヤやマンデリンを当たり前のように買っていかれます。アイスコーヒー用の豆はタンザニヤやモカシダモといった豆を用意してきましたが値上がりが激しくアイスをガブガブというほどの値段ではなくなり
需要の高い水出しも今までの豆で作ったら4割高になり苦慮しているところです。まあそれでも普通の珈琲好きは欠かさずいつもの豆を買っていくわけでそれらいつもの豆をなるべく安くといった努力も相場を見つめ情報収集に努めて格安品をゲットするのですがそれだけでなく珈琲の今を伝えるべく謙気発酵の豆も揃えるということになっています。いまだにブルーマウンテンが至高の豆という人やパナマのゲイシャが最高という人やコピルアクの豆を尊ぶ人もいたりの中で謙気発酵の豆もお試しあれとするのはその値段が高いだけに
心苦しいところながら飲んでみる価値はあるとおもいます。ここら辺は試飲ということでやっていくしかないのではと考えるこの頃です。
関東地方は22日に梅雨明けしたそうです。連日猛暑が続きます。こうなりゃ涼しいとこに行かなきゃと夕方初めて秩父にできたウニクスの映画館に行きました。ネットで見たらスクリーンはみな小さく座席数も50から200と小さいので上里に行かなくてもいいのはよいけど規模が小型なのは仕方ないのか複雑です。最近新作もすぐアマゾンでやるのでわざわざ映画館で見なくてもという感じは増してます。ただ007とかこのミッション:インポッシブルは特別で大きなスクリーンで見なきゃでしょと夕方でかけました。初めて入るロビーは思ったより狭くチケット売場もレジひとつとなんかシネコンらしくなく、スクリーンも小さいんだろうなあと入ると客席の割りにスクリーンは大きくてビックリでそれを前から5列目で見たのでスクリーンは全体を見きるのに慣れが必要です。映画の前にトムと監督のメッセージがありトムは大きなスクリーンで見るべき映画だといっていました。まあそれだけ映画人にも今のネット流通に危機感があるのだと思いました。ただ、映画館に見に来た人にいうことないのにとも思いました。映画はアラビア半島の砂漠からローマの市街地でのカーチェイスとスパイ映画の定番が展開するのです。私は何の前情報もなく見たのですが、始まって早々 Part1の文字になんだ完結じゃないんだと少々がっかり。しかし、物語の展開や話の流れについていくのにそんなことも忘れアクションと次から次の危機の連続に追われるのでした。次から次に現れる敵に自国のCIAにも命を狙われ自分が追っているものが何なのかそれは何に使われ誰が買主かというのもなぞのままとにかく敵に渡すなというミッションなのです。自国からの指命なのに自国からも感染したAIからも狙われるという正に不可能なミッションなのです。そして何故か舞台はオリエント急行なのです。来年のパリ五輪で復活しているらしいのですがなんでそんな密室のような手間と時間のかかるところで取引をするのでしょうか。復活したオリエント急行は何故か石炭をもす蒸気機関なのです。そしてお決まりの列車の暴走と鉄橋の爆破と屋根の上での格闘と古いのか新しいか解らない映像が展開しお腹いっぱいになり終わりました。AIがフェイクニュースを作り出す世の中になり、そのAIが暴走するとか人類を敵視するとかいう物語だらけですが不確定要素が多い未来の計算は予測不可能でひとつの方向に導くとか人々が思う人工知能に自我が生まれたり恣意的な計算をしたりというのは不可能です。ただ最近のAIの報道を見ているとデジタル情報の信用とか法規的な証拠能力は段々疑わしくなりデジタル技術の利用も変化していくかもしれません。そんなことを真夏の映画館で感じました。
暑い日が続いても雨が降っても毎日夜は10Kのランニングをし昼は豆を焼くという日々に変化はなく
それでも様々な事件はあり色々の因果律をおもうのでした。
それでも様々な事件はあり色々の因果律をおもうのでした。
そんなときにネットで見かけた本ですがこの手の入門雑誌はきれいな見た目の割りに得られるものは少なく、学校では教わらない学問について短絡的に知識を得ようというニーズをとらえたものですが内容としては入門の入門というくらいの知識しか得られません。それでもきれいなイラストが豊富でこのNewtonシリーズは好きです。今回新しい知識としては哲学の歴史でギリシャで起こったものがキリスト教の普及でキリスト教の社会では哲学的思考が廃れ全ては神のご意志と宇宙や人類全て神の手により生まれ人類の命運もその信仰によるとされ人類の進化や進歩もそのまま停滞してしまうかもしれなかったのだというのを知ると感慨深いものがあります。しかし、イスラム社会にはプラトンやアリストテレスを継ぐ学者が活躍していて十字軍の遠征で文化の交流も生まれ哲学が再興隆するという天動説から地動説へという転換もおきるわけです。まあ、しかし人間の思考と能力からキリスト教社会1色となったとしてもいずれは現代のような進歩と繁栄は訪れたのでないかという気もします。人類の進化と進歩の末、温暖化や戦争と危機は続いており、哲学する心は一層重要かと思います。
毎日朝見るニュースはどこどこで大雨というものです。土砂崩れや土石流、雨に家が流されてなくなる人もいます。
家が床上浸水するだけで家電や家具の被害など生活を脅かすのですが水道や下水などインフラの打撃もあります。交通の便も乱れ生活への影響は甚大です。
警戒を呼び掛けたり避難を促す報道があり、町内会でも避難の確認の文書が回ってきました。
しかし、雨を降るのを止められないし我々市民はなにもなす術もなしです。
例年ミンミンゼミが鳴くのは19日前後ですが今年は13日に初鳴きを確認しました。例年より早く毎日暑いです。雨は毎日降りますがそんなに長く降り続くこともなく、夜走るときにぱらつく程度で走るのにもたいして影響ありません。
そうなると俄然アイスコーヒーの需要が高まるこの頃ですが、今まではアイスコーヒー用の安いモカシダモを用意していましたがこれも今までのように仕入れられずでアイスコーヒーも安く提供してガブガブ飲んでもらいたいというわけにも行かなくなってきました。そもそもアイスコーヒーに対する概念の違いや求めるイメージが違うなか何を提供するというポリシーが重要になってきているとおもいます。
まあこの値上がりにたいしてできることは特殊な豆やごまかしでなくしっかりと焙煎した豆で表現していくということで対応していくしかないのかなあと感じるこの頃です。
飲んでいただいたかたにああ美味しいといっていただけるよう心がけています。
昨日は暑くてソファでは快適に昼寝をできないとハンモックを出して設置しましたが、重要なテレビモニターの前は許可されず珈琲試飲部屋におかれました。
そのビデオ鑑賞の方は『プライミーバル』という時空の扉が開いて古代の恐竜が出てきてしまうというなんか古い主題のドラマを最近見ています。
実に古くさくストーリーに信憑性とか合理性とか謎解きというかなにか解明されていくのか伏線やら人間ドラマは適当でとにかく現代に恐竜が現れたらというシュチエーションばかりを秘密の機関やら政府機関やらが隠蔽と個人の権力拡大とかの陰謀や役所と軍が縄張り争いしたり時空の扉を自由に行き来して未来を見て人類を救おうとするかのような謎の女と過去や未来に関与して歴史を変えるのをやめさせようとする博士やらとかく文明と進化とタイムトラベルネタを行ったり来たりするドラマなのですが私などは鉄腕アトムとか手塚漫画には古くからあるネタで古~いとおもってしまうのです。それが何故か5シーズンも続いておりなぞの解明やら物語のテーマなどそっちのけで主要登場人物も使い捨てのごとくウォーキングデッド並みに主役交代されシンディーローパーみたいな女と学生だけ何故かずっと第1シーズンからで続けています。
この脇役がちょうど視聴者目線の親近感があるということでしょうか。
まあ、見るものもなくただロンドンという都会と文化が解るからつい見続けています。
ヨーロッパ文化というと進んだ文明社会で洗練された社会のような憧れもありそこのドラマというのは米の何でも銃で解決のような正義と暴力に思考の入り込む余地のないような物語より人間らしいドラマがあったり人として現代の肯定としてダウトンアビーのような昔肯定が流行ったりするです。
そんな中『ドラゴンタトゥーの女』もみました。ミレニアムという原作と映画化は過去に何作品もありなぜという気もしましたが主演にダニエルクレイグということと監督脚本がデビットヒンチャーということで見てみました。
今までの本の中のリスベットは天才ハッカーでバイクに乗ってレズでとにかくかっこよく何でも闇の中で活躍して解決みたいな完璧ヒロインでした。どの映画でもスタイリッシュで完璧で悪を仕事人のように抹殺という描きかただったのがこの映画では主役はもと雑誌記者で裁判で名誉毀損で負けたばかりの記者がまだジェームスポンドのイメージそのままのダニエルクレイグがでてくるのです。作られたのは2011年でまだ007を演じている最中に作られており殺し屋で凄腕のスパイのイメージがあるまま消えた少女と犯人を探すと言う探偵のような活動の中リスベットと出会いいつしか仲間になるのですが、リスベットは他の映画のようにかっこよくなく不細工でダーティで漬け込まれてやられもしますが、そこからの反撃と007と組んでからの活躍がかっこよくなぞにたどり着いていくところはよいのですがその後一族に仕返しをする手法やらその結果やらはどうかなという感じです。でも今までの映画にないリスベットの生きづらさややられてしまう様がゴスロリでいかさないスタイルと容姿がこの映画の味になっています。そんなカウチからハンモックに至る最近見たビデオでした。
3年振りのお祭りにはしゃいでいるのは子供より良い年をした親父たちです。あめ薬師というこの縁日は昔から何店もの出店で目の前で大きな包丁であめの板をぶっ叩いてこまかくし袋に摘めてみんなが競って買っていきました。
もう昔私も懐かしくあめを買ったことがありますが、いつまでも食べきらず残っていたのを覚えています。
まあそのあめを買うことが子供の頃は最重要ミッションだったわけで今でも変わらないのはまたよい風習なのか実は大人になり切れない子供の心のままの大人が今でも欠かさずあめを買いに繰り出しているのだなあとSNSに投稿された記事からうかがえます。
出店の売っているものは大きく変わりハッカパイプやほうずきなんかは今はないのです。
出店の並ぶ東町商店街も商店は少なくなり空き地もある状態で飲み屋や旅館などなくなったものを思い浮かべて個人商店や事業主の不遇の時代をおもうのでした。
そんな秩父でも今の時期夜走りに出て秩父神社の宮森に近づくとふくろうの鳴き声が聞かれます。
神社の彫刻にも北辰のふくろうがありますが秩父市民でも今でもこの神社の森にふくろうがいることと今の時期に鳴き声が聞けることを知っている人は何人いるでしょう。上町の養殖蛍を愛でたりするのも良いですが、郷土の自然の姿の理解が大事だとおもいます。
毎日夜走っていると今日半夏生が葉を白くしたとかくちなしが薫ったとか日々の変化を感じられます。今日はふくろうの声を聞いた。そんなことの積み重ねが珈琲の味にも活かされているとおもいます。
自然の変化を毎日肌で感じているとこんなときにはこんな味と自然とおもうようになるのです。
だからお客様にもどんな味を求めているか聞くのですが酸味が苦手以外の味に関する言及はないのです。
味に関しては質問のしかたを変えて季節と珈琲の味を皆様に楽しんでいただけるよう工夫していきたいとおもいます。
この時期半年振りの厄を落とす茅の輪くぐりがあり、連日雨も降りなんだか洗われたそんな清々しさもするようなこのごろです。
あめ薬師も三年ぶりの開催で縁日らしい出店の出店もあり、賑わったらしいです。ただ出店は東町どおりだけの交通規制にとどまったといいます。
こんな暑くてムシムシする日は珈琲なんて飲みたくないでしょうか?
私はまったくそんなことはなく今の季節は深煎りの豆をせっせとのみます。
ブラジルサントスも深煎りにします。コロンビアスプレモもグアテマラも深煎りにします。
後はパブアニューギニア、マンデリンもそうです。
不思議なことに深煎りが好きなんていう人はこの深煎りの豆がたくさんある時期を知らずそもそも深煎りにする意味も知りません。
深煎りにすると何がどうなるか知らず深煎りの豆が好きというのです。
後1月2月の寒い時の深煎りの豆もなぜ深煎りにこの二つの時期こだわるのか深煎りの好きのひとには解らないようです。
イルガチェフやケニアの豆、さらにはタンザニアとアフリカの豆はなにかと御しやすいと感じるのか注文する人は多いのですがその妙を解説できる人は少なく、まして今だから深煎りにしてくれという人もいません。
前回のブレンド選定でもそうでしたが何がどう違うか同時にまったく同じようにドリップしてのみ比べても的確にどれがどういう味といえる人はなかなかいないのです。濃度計等持ち出してきてもそれは味までは教えてくれないと解ったに過ぎません。
まあ予測はしてましたが斯様に味なんてあやふやなものなのです。
自分を珈琲通などという人も実はなにかどうなったら美味しい珈琲といえる人はいないのです。つまりどういう珈琲をくれなんていえる人はいないし、どんな珈琲を探しているかと語れる人もいないのに深煎りの豆が好きといわれるのです。まあそれでもどんな珈琲を普段飲んでいるのかどんな豆を探しているのか毎回聞いてしまうのでした。答えはいつも同じ酸味のない珈琲なのに。
連日の激しい雨と雷、雹が降っています。
暑くなるとアイスコーヒーの注文もあり、焼いても焼いても豆ばかり出ていきという消耗戦のような体力を削られる日々になります。
それでもこの時期重要なのはアフリカ大陸のニュークロップが入るということです。
ずっと入ってこなかったモカマタリもやっと入ってきました。
ただ大幅値上げになっていてこれはどれだけ買っておけばいいのか悩むところです。
最近は株価上昇と円安に続きEUや米は金利を上げていく姿勢ですから買っておくべきなのは解りますが明日年内停戦が発表になれば一気に安くなるのも見えていてすぐ動いては行けない気もします。でも、久々のモカマタリ入荷なので嬉しいです。
イルガチェフのナチュラルも確保できたし後は安いレギュラー品があればいうことなしです。待ってれば格安品の投げがまたあるでしょう。チャンスを待ちよい知らせを期待します。
コロナ禍第9波に入ったなどといわれるのになんと私はまたまたホンキートンクに泉谷しげるのライブに来てしまったのです。前回のライブから5年ぶりだろうかまさかまたやってくるなんて。今回はチケット売り出し前から情報をキャッチして売り出し日にTELしたが繋がらず諦めて電話を置いたら向こうから掛かってきて無事買えたのです。6000円でワンオーダーは前回と同じか。
そして内容的にも前回と同じでただ今回は二列目だったのでいろんなことが良く解りました。翼無き野郎共が最後の曲といって楽譜も仕舞われて、自らアンコールと宣言して春夏秋冬。野生のバラット。ジャンプ禁止だから野生のバラットはやりませんといっていたのに最後はやっぱりやったのでした。前回と同様ここから後半です。静かに立ち上がり伸びをしましょうとスタンディングを促し、さらに盛り上がると前に出てこいと促しでかい人は邪魔だからと舞台に上げる大サービス。セットリストが以下ですが
カウントダウン
スキル
Y染色体の歌
オー脳
黒い鞄
野良犬
旅立て女房
白雪姫の毒リンゴ
春のからっ風
つなひき
明日から今日の夢の続きを
なぜこんな時代に
眠れない夜
褐色のセールスマン
国旗はためく下に
翼無き野郎共
春夏秋冬
野生のバラット
なんですが、良く解んないです。
秩父のライブというと田舎でのリが悪くいつもの調子と違うと苦労するミュージシャンは多いもののまったくものともせずギター一本で盛り上げ客を熱くさせる泉谷は本当のミュージシャンでロック魂のある人ですね。途中歌詞が飛んだり、ピックを落として中断したのも味のうちで全然ライブが揺るがないのは場馴れというかお手のものお手の内といったところなんでしょう。前回とまったく同じ全力90分といいつつ120分8時過ぎに終わりました。前回はあっさり感じたのが今回は二列目でしっかり一体となり盛り上がりすっかり堪能しドット疲れた2時間でした。こんなの毎週やってるなんてなんていう75才なんでしょう。
先ほどご近所さんが訪ねてきました。
挨拶から天候の話から最近のニュースの話題に飛んで、庭に咲いている花々に及び最近の自身の健康状況にまた戻って最近の気候の話でやっと訪れた目的である貰いすぎた野菜のお裾分けをおいて帰っていきました。
まったく私は気にしないので、挨拶一言と物をおいてお裾分けと一言で足りるのに押し付けがましさやわざとらしさを排除してなおかつ自分はいい人、相手に負い目を負わせない配慮からベラベラとおしゃべりは続くのでした。
もうすっかりなれてしまったいつものことなので気にもしませんが、移住してきた人とかは色々大変と受けとるようです。まず、お返しをしないと報復のような批判の噂が渦巻くとかただで貰う危険を良く耳にします。しかし、農家さんから生産物をどかっと届けられることはよくありお裾分けやそもそもおつけものなどつくらない当家では来店者にあげてしまいます。食べるものはあとに残らない贈り物で消えものとしておくる方も送られる方もこだわりなく行ったり来たりするのが重要です。
重要なのは気持ちとその表明の挨拶の方ですね。それさえ欠かさなければOK。時に忘れてもリカバリの方はあると知れば心も軽くなります。人間関係所詮気持ちなの、忘れずに。
沖縄に行くと沖縄でとれたコーヒー豆をお土産で売ってます。
観光地でコーヒー豆を売ってることはよくありますが、何かしら地元に絡めてのメッセージなりあああそこに行ってきたんだなというもののはずです。
例えば、入れ物が名産のワッパの容器とか。
先日見たお土産スポットではあまりにひどいものだったので秩父の知性とかセンスのなさを露呈しているようでこちらが恥ずかしくなるようなものでした。
最近では手拭いとか温泉まんじゅうとかどこの観光地にでもあるものにわざとベタな秩父に行ってきましたと印刷された商品があったりします。
しかし、先日見たものはそんなものの足元にも及ばない商品でした。
お土産品などは流行があり毎年目新しいものがその土地とは関係のない材料で縁もゆかりもない商品が堂々と売られる時代です。
そんな中で個性を発揮して時代の移り変わりにも色褪せないそんな自己アピールとメッセージがあっていいんじゃないでしょうか。
毎度いわずもがななこととおもいつつをついいってしまうのが私の悪い癖です。
それも秩父を愛するがゆえです。お許しください。