King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

すんなり秋

2020年09月30日 10時11分17秒 | 珈琲

怒涛の月末となり、あわただしさの中ふと気が付けば

あれほど暑かった毎日もすんなりと涼しくなり、珈琲タイムも

より深まる感じです。

 

突然の安倍退陣もすんなりと新内閣に移行して、新大臣のごたごたより

すっかり今内閣では縦割り行政の是正や岩盤規制をつき崩す強力体制が

始動した印象です。何のためか解らなかったマイナンバーカードも来年には

健康保険証と一体になるとか将来は運転免許証も兼ねるとか今までの無駄やいちいちの

役場に出向く無駄も減らせるといいのですが、果たしてどこまで進むのかは全く未定です。

 

大きな台風が来たわりにさしたる被害もなく過ぎた今月は暑さもすんなりと

秋に移行して長雨や豪雨もなく秋堪能がつづけばいいのですが。まあそれでも

コロナ禍の秋ではいつもの祭りや催し物もなく、私自身も都内への用事やコンサートなどは

どうしても躊躇してしまいます。

 

また今月は決算月ということで色々な数値も発表になり、土地の値段なども出ました。

不思議なのは銀座の一等地とか商業地の地価が値下がりしたというのですが、取引が

ないのにこの値段の変化はどう評価したものなのでしょう。取引に動くとしたらという仮定の

ものなのかほしいという需要の数と売り手の数を数値化したものなのかそんな仮定の話で

経済の動向が左右されかのように何ポイント下がるとか実際に取引があった土地の動きと同列に

述べるのは違うのではないかとふと思いました。

 

しかし、役場では毎年税金の課税のため土地評価額を発表していますし、コロナ禍で経済が停滞

しているとてこの課税標準がさがることはなく、民間の評価会社などもいろいろな指数を出して

ニュースで地価がどうしたと報道されているのでしょうが、モノポリーの地価ぐらいの関心しか

湧かないのでした。

 

それよりも日々飲む珈琲は涼しくなるとやはり本格的な味への興味が俄然沸くわけで、今年は

早くからレッドマウンテンを焼き始めました。

 

深まる秋にマンデリンとクィーンスマトラといったレギュラーとスペシャルティの飲み比べも

おすすめです。

詳しくはお問い合わせいただき、ただいま試飲は中止しておりますが、予約により飲み比べの

機会も持ちたいと思います。コロナ禍でお客様同士が密にならないことや滞在時間の短縮など

感染防止取り組みですのでご理解の上ご協力お願いいたします。

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感染症の世の中で飲む珈琲と台風と

2020年09月24日 14時57分04秒 | 珈琲

人類に対して三大感染症というとエイズ、結核、マラリアとなっいます。

 

日本脳炎や狂犬病など克服してきた伝染病は色々とあるわけですが、簡単な風邪など

未だ治療薬もなく毎年流行するものもあります。

 

先日、NHKの逆転人生で蚊帳を作る会社を取り上げていました。

 

これを見て思ったことは日本人の特性です。

 

このような物語の作り上、何度も試練がありそれを克服してやり遂げるという成功物語で

それがなされていることに見ている人も自身の成功体験のように疑似体験して喜ぶわけですが、

実際に日本ではマラリアやデング熱が流行っていないわけでこれはまるきり途上国や熱帯の国の

ための事業にるわけです。つまり国家的危機とか人類の危機とかとも違います。それでも三大

感染症といわれるほど毎年多くの人が苦しむので人類の敵であることに違いありません。

 

考えてみると日本ではそのマラリア原虫なるものが過ごせないから流行らないのか今のコロナ

ウィルスが瞬く間に世界に広まったのに比べて改めて感染症の恐怖と人類を苦しめてきた病苦の

歴史を思います。

 

この様々な感染症も下手に薬剤を使用して菌を強くしてしまうという歴史もあり、結核なども耐性菌

によりなかなか根治できない伝染病となっています。さて、その貧しい国に蚊帳を売ってもたいしたもうけに

ならないので対策はなかなか進まない中日本の化学メーカーの一人の男の人が途上国や熱帯の人に殺虫剤入りの

蚊帳を送れば被害を減らせると社内で取り組むようにある社員に頼み片手間でやるよと受けたその人の開発で

プロジェクトは進むのですが、次々に問題が行く手を阻みその都度どう対処していったかが番組のおもしろさに

なっていました。

 

それを見て一番思ったことは会社にとって儲かる仕事でもなく、まして自身の出世とか自身の成長とか儲けと

考えたときに普通なら人はまじめに取り組もうとはしないものです。ところが、困っている人がいるからと

日本人の特性としてベストを尽くす。つまらないことでも真面目にこなすという性質が至る所に感じるのです。

 

まず、製品ができても売り込みもできず引き合いもない状況の中で、たいした額にもならず派手な建築も

伴わないため政府のODAからも漏れ、製品の効果と質は問題ないのに現地に届かないという問題に少額援助と

いう大使館の予算をあてに売り込みをかけまず一つの成功となり、ユネスコにも認められ大口注文を

受けるようになり中国に工場を作ったりします。その際もライセンス料もとらず無償で技術提供して

生産量を確保したといいます。やがてコンゴに現地工場をつくり、現地の人による生産が始まるのですが、

品質が伴わず生産を止め、すべての製品の検品をするという事態になってしまいます。

 

現地の人は仕事がなくなり、不満を募らせ、品質のために生産を止める日本人に不信感も抱きます。

現地の人が自分の国のために自ら生産しているのに品質が保てないというのも国民性とか培ってきた

文化が違うとかいうものと簡単に片づけることが行かない問題です。

 

日本では職業に貴賎なしということが浸透していてつまらない仕事でもきちっとこなされ電車は

時間通り来るし、ゴミが決まった日に収集されます。そんな日本ですが、先進国の中では女性の

活躍が少なかったり、外で勝負しようと打って出る若者が少ないなど問題もありますが、その

特性ゆえにああ日本でよかったなあと思うこともしばしばです。

 

珈琲の世界ではそんな当たり前のことが当たり前にやられているとすべてにいえなくて

例えば海外から届いた麻袋の豆をそのまま焙煎機に投入する業者もいれば、いちいちハンドピック

して豆を細かく見る自家焙煎業者もいます。これも味のためときっちりと仕事をこなし、

季節のこの味という届けたいものがあるからこその努力ですが、それも伝わることもあれば

伝わらないこともあります。しかし、同じ日本人としてきっちり仕事をこなす人には同じもの

を持つ人同士というのは伝わるのではと思います。

 

さて、コンゴの現地の人たちにどう品質を保つ大事さを日本人スタッフが伝えたかというと、

スタッフの現場責任者を集めて折り紙で鶴を折って見せ一枚の紙でも美しい鶴になると説明し、

もしそれをぞんざいに折ればどうなるかやってみせ丁寧な仕事の大切さを伝えたそうです。

それをみたコンゴの現地スタッフも製品の品質労働の質に気が付き品質が向上したそうです。

 

毎日珈琲を必要とする身にはきっちりと仕事をした豆が必須です。同じ思いの人のために

今日も豆を焼ます。

 

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金木犀の香りとシルバーウィークと

2020年09月21日 12時24分10秒 | 珈琲

昨日の夜のランニングではきんもくせいの香りの中走るというぜいたくな

雰囲気のランニングとなりました。

ここの所考えているコロナ禍の人類とそれにより何をなせと言われているのかと

いうことですが、ひとつには人類の誤りや社会のシステムなりでよりよい社会を作る

きっかけなのではということも当然考えます。今の世でもこれは神が人類の世に対する

罰であり人類は悔い改めて神の許しを請わないといけないと考える人もいるのです。

法律で保障しているように信仰の自由はあるのですが、社会通常の共通の概念を犯すと

それが個人の信仰から来ているとしても世間は冷たく遇します。

社会が造成して醸成した通念や社会常識や共通の意識などというのは大勢が信じているから

正しいとか国のためだからなどというのは為政者の意図するもので正しい法とか人として

正しいかなどということは無関係です。ただし、それに歯向かって生きていくというのはとても

生きづらいことになるのです。

まあ私のように信仰とか宗教に関係ないし今後も信じていく予定もない人間には関係ありませんが。

突然終わった安倍政権も考えてみると戦後レジームの脱却も果たせず、期待された北方領土も

返ってこず、憲法も改正できないということで終わったのです。もうこれは安倍でもなせなかったから

もうできないことと思われても仕方ありません。彼の行った大企業優先の経済対策と消費税の増税を

したものの巨額の財政赤字はそのままという何ら解決もされていないものです。しかし、景気対策として

ターゲットを大企業にして減税と金利対策をすれば大企業の業績は上がり政府に入る税収も上がり

政治家に入る金も入るというものでした。政治中枢に関係する人には恩恵があり、特定の人に許認可や

補助金が回り得をするという図式も森加計問題や桜を見る会など様々な形で表にもでました。

しかし、これがすべて悪いとして共産党の言うように大企業に課税して一部の富裕層に増税を

すればよりよい社会になるのかというとそう簡単でもありません。ここの所成長してきたソフトバンクや

楽天のような企業はトヨタやパナソニックのような大企業と比べるとこれからの日本をしょっていく企業か

というと米で起業したマイクロソフトやグーグルと比べればはるかに格下であり、日本の成長としては

かつてのような競争力がないのがはっきりしています。大企業に課税して富裕層に課税してもそれは

せっかくの日本の富を海外に逃がすなもので得策でもありません。要は日本でもマイクロソフトや

グーグルのようなトヨタに匹敵する次代の企業を作ることであり、企業投資をできる環境や起業できる人材を育てる

ことです。

それにもうずっと戦後から返せと言っている北方領土もソ連では第二次大戦の成果だと略奪を認めている

わけで日本との条約を無視して密約により参戦してそのまま実効支配を続ける相手に戦争して取り返すしか

ないという議員があらわれたり、ロシアが四面楚歌状態で日本との平和条約とともに返還が近いとされた

近年も結局安倍でもだめだったという感じの方が今は強いでしょう。これはより強い態度と今の違法性をつく

交渉を掲げないといけないのではないでしょうか。つまりは占領の対価をはっきり損害賠償として請求し

シベリアでの不法な抑留など犯罪行為として告発して損害賠償を請求すべきです。すべてが戦争に負けたから

という意識で交渉しても何も得るものはありません。韓国を見習い恥ずかしげもなく解決したものをいつまでも

謝罪と賠償を何度も請求してくる姿勢が国際間では必要なのではないでしょうか。

それと原発事故伝承館がオープンしたというニュースにまた得意の箱ものかという思いをさせられ、

テレビなどで報道される事故原因や二つの事故報告書などをみると東電は今の堤防では防げない津波が

来ることは予測しておりそれがなぜ作られなかったかなどというTV番組なども見ましたが、結局は

全電源消失しても冷却できるシステムや津波後でも高台に電源車と重機を確保しておけば高い堤防を

築くまでもなく事故は防げたのではないかと思えてなりません。事故調の内容では所員が車のバッテリーを

外してつなげようとしたが電圧が合わず使えなかったとか海水を注入しようとした時には東電幹部が炉心が

再使用できなくなると抵抗したとか政府が介入して再臨界が起きると中断したとかはっきりとした記録が

ないなか現実には吉田所長の判断で注入を継続し事なきを得たとなっています。

報道でも炉心溶融が起きたという報道が出たのはずいぶん後で当時すでに炉心溶融を止めるよう砂でも

鉛でも早く投入していればベントも必要なかったのではないかと防げたポイントがいくつかあるのに

前社長の裁判などなんどもやり責任の追及をしてみせたりするより原状回復の努力や事故防止の対策を

立てる方が遥かに有効なのは間違いありません。このように大事な公文書ははっきりと記録し後から検証

可能にし公開するようにせねばなりません。ところが安倍政権では事ある毎に電子記録や日報は処分して

ないので検証できないという答弁を何度も役人がしています。

引き継いだ菅さんがどんな改革をしていくか期待したいものです。

土曜日の久しぶりの音楽会で生の演奏を聴き、その力と感じる人と人のつながりや絆というものを

感じる時間となり、コロナでなくしてはならないものだということを感じました。

しかし、この突如現れたシルバーウィークという連休も来月の体育の日の消失などどうなってるのと思わない

人が当たり前のように突如大挙して外出してどこも久々の大混雑になっています。これは当然また感染拡大と

なるのか心配されますが、対策をしたうえでの今回は違うという見方をする人もいます。

この連休は7月の海の日スポーツの日8月の山の日とこのシルバーウィークの四連休と当初の思惑と

外れたものと政権交代と何かセットのようにも感じるし、立ち止まって考えるためのもののようにも

感じるのでした。

それでも毎日飲む珈琲に必ず訪れる安寧と幸福感のある時間が訪れるように日々のうるおいは

何にしても必要不可欠であり、珈琲時間にはそれが毎回あるという幸せはどう言い表していいやら

多くの人にも味わっていただきたいものです。

そして多くのお客様に自分はどんな珈琲を飲みたいという希望を語っていただき、あの時に

あの空とこんな空気の中こんな香りでこんな味のものという物語を語りたいものです。

現在試飲は自粛中で予約制で短時間に限り実施しています。

どうしても試飲がしたい方はあらかじめ電話連絡の上目的と趣旨を予約の上起こし下さい。

ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたします。

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コロナ禍の世界とペストの記憶

2020年09月20日 14時06分49秒 | 珈琲

コロナ禍での新様式とか人々が経済活動や移動を制限される中、

それでも楽しみや生きる意味とかを見出そうと様々な活動をネットでも

見かけます。

まず、ペストが流行った中世ヨーロッパではこれは神による罰だとする

人々が自らの体を鞭打ちながら諸国を行脚する人たちとか免疫を付けようと便所の

臭いをかぐ人々という行動が記録されています。

科学が進み、医学も1928年のペニシリンの発見で様々な病気が治るようになり、

菌に対しても様々な発見と20世紀末にDNAの全解析と21世紀のその利用により、

より多くの病や生命、医療に革命的拡大で病気も次々に克服していると思われていた

矢先の2015年に中国でスーパー耐性菌の発見があり、急に暗雲が立ち込めだしました。

私たちが普段聞く耐性菌の話は医療関係で医者にしろ患者にしろ簡単な風邪でもなんでも

抗生物質を使用してしまい耐性菌を生んでしまったということでした。ところがこのニュースで

あらわになったのは現実に一番抗生物質を使用している現場は農業であり、酪農や養鶏場では

厳しい経営環境と激しい市場競争現場で薄利多売が強いられ、何トンという量で家畜に抗生物質は

与えられているのです。

そしてついに99%の抗生物質が効かないというスーパー耐性菌が現れ人類の未来に暗雲が立ち込めたのです。

つまりは中世のように簡単な切り傷や奥歯の治療などでもそれらの菌に触れてしまったらもう治療法もなく

死に至ることもあるのです。中世のように簡単な病で死んで行く人が増えていく世の中になってしまったのです。

そんなことも大々的に知られることもない現在ですが、世はその細菌よりさらに小さなコロナウィルスの蔓延する

世の中となっており、これはもう中世の人々のように何の罪なのかと考えているのです。

私も最初このコロナで出現した世の中について色々と考えてきましたが、冬にスキーやバスケットと楽しみにして

いたことが次々になくなり、あげく映画館やスポーツイベントの中止、音楽会さえも中止、さらに自宅で過ごせと

自粛生活という厳戒生活となったのです。その頃私はそういった楽しみがなくなり、それでも珈琲だけは常に

安らぎと幸福感をもたらす癒しの時を与えてくれ珈琲のある生活のありがたみを改めてかみしめる結果になりました。

ここの所聞くニュースではカリフォルニアの山火事や災害化する大雨や台風の襲来とコロナで制限を受ける上にさらに

環境面ではもう人間の住めないところが増えるという感じになっておりさらにこれは何を意味するのかと考えないといけない事態になっているのです。今やっているNHK100de名著はダニエルデフォーの『ペストの記憶』であり、

コロナ禍で私たちが今対面している事態と当時の事象と比べて私たちが今何をなすべきかという誰もが思うことに触れて

いました。当時王政復古から三年目にペストの発生と新しい制度新しい世の中になりそれを否定するかのように

ペストが襲い結果人々の意識にも変化が起きるという人間は簡単に誤った方向に行ってしまうという歴史的な事実と

それを補正するかのように立ち止まり考えさせるような事象として伝染病は繰り返し起きているという人類の歩みと

これから来るであろう細菌感染と人類の住める地域の減少もあり得る環境問題など全人類が団結して取り組まないとならない問題なのです。しかし、米トランプ大統領は未だ温暖化は迷信と取り組む気配もなく、分断の態度は続きます。

人類の英知をもう一度ということでコロナもあったのかと思えば納得の事象でもあり、いやこれはまだ序章と知れば

もっと前向きで積極的な課題と考えないとなりません。そんな意味でもこれから来る事象について環境悪化と更なる細菌禍と

知り考えないといけないのです。ただ、コロナ退散としてアマビエ様をシンボルとして掲げてありがたがったりというのは

中世期のペストの記憶と同じであり、まったく進歩も感じません。そして中世期に戻ろうかというスーパー細菌の登場などこれから描く未来はより現実に沿って考えなくてはならないのではないでしょうか。抗生物質が効かなくなる中、期待できるのは DNA折り紙によるロボットなど新たな武器となるものも開発されています。ただ恐れるのでなく超自然のものに頼るでなく、しっかりと託せるものに投資してきっちりとした未来を見据えることが重要でしょう。珈琲のある生活持続可能であるようにと願います。

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佐藤久成×高橋望オールベートーヴェンプログラムを聞く

2020年09月20日 11時31分56秒 | ライブ・コンサート・展覧会

そもそもこのコンサートは春3月14日に予定されていてそれがコロナで

非常事態宣言が出され延期となっていたものです。

プログラムはヴァイオリンソナタ第1番ニ長調

ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調『春』

ヴァイオリンソナタ第9番イ長調『クロイツェル』

とアンコールにボーム作曲カバァティーナ、ゴセック作曲カボット、

ボーム作曲カンツォーナでした。

 

久々の生のコンサートながら家族の都合で聞きに行けるのか直前まで

解らなかったり、もう既に夏の終わりであり、今更春の曲を聴くのもと

いうのもあり、あまり盛り上がらない気分の中、それでも天の差配か

直前に聴きに行けるということになり、開場時間に家を出ました。

 

そうすると会場は階段座席とホールに椅子を出した席はほとんど埋まっており

かなり上の方に行かないともう空きがないのでした。前回の鴻巣で開場時間の

1時間前から既に並んでいた光景を思い出し、これも佐藤久成人気のあらわれか

などと思いました。

 

佐藤久成だけでサントリーホールを埋める実力を持ちそれがわざわざ秩父で

秩父の高橋望とコンサートが催されるという奇跡とそれに遭遇できた喜びを

感じるのでした。しかし、こんな上の方で大丈夫かという不安もないでもなく

そんなヤキモキとする気持ちを持ちつつも直ぐ開演となってしまいました。

 

上から眺める座席はほとんど禿頭か白髪のご老人ばかりで鴻巣やオークラの

時とは違う客層で大丈夫だろうかといういらぬ心配までしてしまうのでした。

 

そして、おもむろにコンサートは始まり、あのヴァイオリンははじまり、

あのステップや節回しと客の反応を確かめるかのように会場を見回す

仕草やそれではこれではどうかと挑む一音一音にどんどんと引き込まれていく

のでした。

 

いつもだと高橋望氏の語りとか曲の説明とか入りますが、今回はアンコールまで

終始無言でそのアンコールでも今の曲は誰々の曲で佐藤久成さんはそういった

埋もれた曲を掘り起こし演奏するという活動もしていると紹介しただけです。

それなのに次にやった曲は誰でもが知るメロディの曲であり、そしてそれは

佐藤久成がやればこうですよと雄大に語ったものでした。秩父の人にもこれで

今回のコンサートの意図したものとか佐藤久成のヴァイオリンが理解された

物と思います。今回佐藤久成氏は一言も発しませんでした。

 

 

 

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人類の英知と味の文化

2020年09月19日 16時36分01秒 | 珈琲

灼熱の焙煎室もどうにか乗り切り、すっかり涼しい朝晩のこの頃は

これから来る秋の味覚の楽しみとか、季節限定の商品の発売の時期だとか

気にするのでした。

当然こうした楽しみは万人にもあり、誰しもそう思っていることと思ったら

以外にもそうでもないことは来店された方との何気ない会話にも表れて

秋の味覚といっても全く通じないこともあります。

例えば葡萄などやはり王道は真っ黒い大粒の巨砲のうまさですが、最近は

何とかベリーという改良品が多く出回り、それは畑で盗まれるほどの人気だと

いいます。まず思うのはそんな盗まれたものでも流通させる手立てがあるのかという

ことと市場がそんな盗難品を受け入れるのかというシステム的な不備とか

なのですが、まあうまくて人気で品薄というととかくこんなことも起きるのかという

安易なニュースを聞く側の責任も感じます。よくいう過剰なブランド信仰から

偽ブランドを知っていて買う人がいるから悪いとか市場形成原理がまずいけないとする

立場など踏まえてみると流通側と摘発側でタッグを組めば容易に解決できそうな

問題でもあるような気がします。

てっきり最近の盗難も外国人グループの存在かと思いきや捕まったのが高齢の男性で

盗めるのでやったというものでした。まあその先に盗んだものでも買ってくれる人がいる

というのは報道されていませんが問題はそこなのではないでしょうか。

秋の味覚としてさんまもありますが、すっかりスーパーなどでも特売で売り出す姿もなく

どんどん姿を見ない商品となり、売っていても以前の88円とかいう値段がもう普通に

200円から300円となっているのです。このさんまなどは以前は開きで流通するものでしたが

生のまま流通し、それも生食ができるものが普通に見られるようになったのは最近のこと

です。

すしネタとしても普通にあり、生さんまや刺身サンマを食べられるようになったのは

流通の成果ですが、その冷凍技術や朝とれたものが直ぐ市場に届くシステムがなかった時代は

やはり干して日持ちのする加工技術があり、ただ天日干しにするのでなく鰹節のように

煮て蒸してカビを付けてという技術や塩漬けするとかただ熱処理だけでない工夫かともなうのが

他の国と違う点です。

漬物など様々な乳酸菌やら酵母菌やらという複雑で色々な菌の利用は昔からされてきた実績であり、

発見と発明のたまものです。ふぐの肝の漬物などどうして毒が抜けるのかというのは科学的説明は

されていませんが実際に食用としての販売が国から許可されており、なにも科学で説明できなくても

OKという行政の力も見逃せません。江戸時代禁止されたふぐ食の許可をだした伊藤博文の逸話など

有名です。

酒は酵母、酢は酢酸、味噌醤油の酵母や納豆の納豆菌と様々な菌を使いぬか漬けやらカビなどでも

何がたべられ何が毒かなど知っていた日本人の先人の知恵を思うと日本食の力というのも改めて

感じます。ひょっとしたら肉食をやめ多彩な野菜と穀物と味噌と醤油の食事が世界標準となる日が

くるのかもしれません。中国では畜産業に抗生物質を与えることが禁止されました。ウィルスの発生も

豚由来なので養鶏や養豚産業にさらなる規制が加わりそれが世界標準となる世界も近いかもしれません。

フランスでは既に養鶏場においてゲージでの飼育の禁止が決まっています。EUで養豚場周りの水質が悪化して

問題になり、宗教も絡んだ人工培養肉の発売の活発化など世界で始まっています。ウィルス関連からそれが

今後加速するかもしれません。

願わくばさらなる安全と安心のためにより自然でホルモンやら薬など与えられていない家畜の肉を

食べたいものですが、野菜ですら工場で生産されるものが全体の30%以上でさらに将来は増えると

見る人が多く自然で安全で豊かな食品というのはなかなか自給自足でもしないと手に入らないこと

なのかもしれません。

今年我が家では南のリビングの前にオクラとラディッシュとパプリカを植えましたが、パプリカなど

なかなか色づきせず、大きくなる前にかさぶたのような傷が付き満足なものができませんでした。

オクラは直ぐに巨大化して葉っぱの下を覗くと既に手のひらより大きく硬くなったものが取れるという

家庭菜園などという素人農業はいかにプロの凄さを感じさせるのでした。店先では気持ちの悪いくらい

揃った野菜だらけでキュウリなども直線過ぎるほどまっすぐだし、葉物も虫の食った後も微塵もなく

売られていますが、こうして自分で作ってみるとそれがいかに不可能なことであるかが実感できます。

毎日目の届く庭先ですらそうなのですからきちんと設備して工場のように管理された現場で農薬や肥料も

自動で与えられるような設備で作られていることも予想できます。

こうしたことも消費者の観念から変えていかないと持続可能な社会というのは難しいのでは

ないかと思います。

手間ばかりで儲からないからやめていく、もしくはなり手がない農業などというのは未来が

ありません。

肉を売る肉屋さんもただ仕入れた肉を冷蔵庫から出して機械でスライスしているだけではなく、

ちゃんと室に入れ熟成という作業をします。そこでは室に住む菌により時にはカビなども付いて肉は

熟成していくのです。腕のいい肉屋さんはその熟成過程を熟知しておりカビが生えたら捨ててしまう素人とは

違うわけです。

私どものような自家焙煎の珈琲屋ですと豆を取り出してその状態を見極め虫食いや不良豆は

取り除くという手間を入れて焙煎をしますが、それはもちろん標準の作業だと思えばそうでもなく

案外麻袋から焙煎機に何十キロと直接入れられて焙煎されているのが普通です。

ひと手間ひと手間が全て味につながると手作り感覚でいちいちハンドピックしている人もいれば

同じ釜の大きさの店でもやらない人はやらないしさらにそもそも自身で望む珈琲の味を持たない人も

いるのです。これは不思議でもなんでもありません。私のように自身でいつもおいしい珈琲を飲みたいと

思い始めた人には提供したい目標の味がありそのために努力を尽くしますが、そもそも私が来店される方に

どんなコーヒーを飲んでいてどんな味を求めているか聞いてきましたが、今までにその答えに熱く語った人は

なく、ほとんどの方が酸味が苦手で酸味のない珈琲がいいというのみでした。

ところが最近の流行りのスペシャルティとはそもそもの魅力は酸味にあるといってよく、パナマのゲイシャも

それで世界的人気となったものです。

その酸味を否定した場合、そもそも求めるものがないといっていいのと同じなのです。

それでも当店のように裏通りにあるような店を探してやってくる珈琲通はみんなこういう味と

う具体的なものも待たずただ他所では満足できず満足できる何かにぶちあたりたくて遠くからも

足を運んでくるのです。何かにこだわり日々焙煎している人がいるというだけで自身が求める

何かも知らず探す目的のものという不思議な世界に確たるものを提供できる人が何も考えずに

ただハンドピックもせず流れ作業のように買いに来るから焼いているでいいはずはありません。

豆が生の状態で語り掛けるものに眼を向け、釡にかけてその発する歌のような音に耳を傾け

排気と温度に気を配り目的の味に仕上げるという作業があって初めて提供できるものだと思います。

しかし、実際に売っている自家焙煎店の現場で見かけるものを見るとぞっとするようなものが多く、使っている

釡もそれぞれで試しに飲んで幻滅することがいかに多いかという繰り返しをしてきてせめてちゃんと

した焙煎をしたものを提供したいという気持ちでやってきましたが、どこまで通じたか思いの端でも感じて

いただけたのかというのも確かな感じとして感じたことも少ないのですが、説明も満足にできず

手渡した方の感想を聞きしっかり伝っていると感じられたり、外国人の方でも自分なりの英語の説明でもしっかりとした試飲の反応をされたりということがあって続いているのかもしれません。

少しでもそんな共通の思いを感じられこの先も珈琲を提供できたらと日々焙煎を続けようと思うこの頃です。

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休みのなかった夏の夏休み

2020年09月13日 10時08分32秒 | 珈琲

まだ日中は30度を超す暑い日ですが、もう既に朝夕は涼しくなっており

夜走りに行くときには秋の虫が鳴き盛り何重にも重なった背景放射のような

バックグラウンドミュージックの中走るようになっています。そして、台風

10号以来ずっと雨が突然降りだす状況でいつも雨の中走っているような感じに

なっています。

 

思えば今年は祭りはすべて中止、お盆も帰省するなという夏でどこも出かけない

何もイベントもない夏でした。そして、そんな中焙煎室は灼熱で下着までびっしょりと

なりつつ連日焙煎と焙煎機の調整とに明け暮れて気が付けば焙煎室とカウチと珈琲部屋の

往復しかしてない夏なのでした。

 

そんなほとんどがカウチの上で過ごしそれでもそこそこ快適と思われていた夏も終わり

今月の季節のブレンド『林檎』を作るに至りまたそれに込めた色々なものを思い出すのでした。

それと先日のメガミートソースである映画のシーンのセリフを思い出し、それはコルシカ島の

海辺の崖の上のレストランで家以外でパスタを食うとお袋に殺されるというもので海辺の名物の

海の幸のパスタを注文するシーンがずっと印象に残っていました。それが『グランブルー』で

セリフを言ったのがジャンレノだったというのは先週BS12で放送をみて知りました。

 

もう30年以上もこのパスタを食べるたびに思い出したセリフとそのおふくろのパスタとはどんな

味なのだろうと思い続けていたものが映画で見ると何も具がないただのパスタでただ量は山盛り

というのを見たわけです。そんなこともあり昨日メガミートソースを食べたのかと今更思い返したり

しましたが、意外なものが長年気になったり影響を知らず知らずに受けていたりするものです。

 

例えば今ではアマゾンで見るものがなくなり、BBCの刑事ものをよく見ますが、そうすると

イギリスという国の今の姿が画面から伝わり、普段ずっと見続けていたアメリカの豊かさとか

やたらと拳銃を出して直ぐに犯人でも容疑者でも射殺してしまうシーンなどがあまりに多く、

その違いと影響が映画の見方とかにも強く影響していることを知ります。

 

アメリカなどのドラマの舞台はニューヨークやシカゴなどの都会であり、その繁栄ぶりは

もはや当たり前ですが、ひとたび地方に移ればそれは何もない土地の連続であり、田舎の

寂れようはあまり報告されていません。一方BBCのドラマで見るイギリスの風景というのは

なんとなく陰鬱で表現されるものも回りくどく解決のシーンなども拳銃を出して犯人を取り押さえる

というものと違い逮捕されてもこれは解決ではないというその裏や続きをおもわせる構成となって

います。つまり本当の悪や犯罪根絶のためになすべきことや社会の悪を葬るにはというのは

見る側にゆだねられているという感じです。

 

それにつけてもイギリスでは普通の市民や社会にも麻薬が蔓延していてそれは田舎の小さな町でも

流通しており、それを担っているのが普通の社会的地位のある市民がかかわりそれは決して検挙されないと

いう現状を強く表現していますが、それは米などの犯罪組織とそれをコントロールするよう検挙にも上層部の

思惑が敷かれているようなものと違いが見られます。それとやたらとハイテクや科学捜査や司法取引と最新の

手法と合理主義が貫かれてなんでも捜査と証拠と即物的な感じがするのに比べ英は人間的なやり取りと

自白というのが一番重要視されたりという違いも感じます。

 

そうなると気になるのはそれでは日本ではどうなっているのかということですが、どうも日本の

ドラマなどもう見たいと思わないし、どうせ勧善懲悪で悪はどこまでも悪人で刑事はいつも正しく

どこまでも正義の人というありそうもないものでそういうのを国民に見せ社会というのも醸成されて

行くのだという感じをどうしても思ってしまいます。

 

そんな中でBSでやったヒカリゴケの衝撃という番組はよくできていると

思いました。

 

ヒカリゴケ自体は映画にもなり私も見ましたが、番組から受けたような印象は微塵も

感じませんでした。

 

作者の意図は国民に戦争に行くとはどういうことかを問うもので全国民が信じて

増生した神国日本だとか天皇陛下に尽くすとかその裏の真実には誰も口をつぐみ今までも

見て見ぬふりをしてきた物をズバッと表に出したのがヒカリゴケだったのです。

つまり、それは戦争とは国家の命令で人殺しをして来いという命令であり、今の現代なら

多くの人がそんな命令には従えないと表明するでしょう。それが当時は天皇のためとか

国に命をささげるとか言い変えられ逆らえない国の意識が作られていて従わないのは非国民と

いうレッテルを貼られてしまうのでした。多くの戦争ドラマや映画が作られてきましたが、

国に命令され人殺しをして来いと迫られた時の人の心を現わしたものはなかったと思います。

その国家の命令と人を殺すことの罪を問うたのがヒカリゴケであり、作者の意思はそれを

我慢するしかなかったという自身の心の発表で人々にそれは二度と繰り返してはならないと

訴えるものとなっていたのです。それなのに映画では人の狂気とか人肉を食らうと言う怪奇

的現象と極限状況ばかりがアピールされているのでした。つまりはそこにも人々をコントロール

しようとする恣意的なものを感じ取らないといけないこととなっています。そんな意味では

100分de名著的な表面的な文学鑑賞でなく、作者の意図をつく作りに感心した番組でした。

だだBSの番組でダークサイドミステリーという番組なのでまさかこんな内容と誰もが思わないし

興味も湧かない表向きなのが気になります。

 

毎年八月は終戦と鎮魂の月でお盆の祖先のお参りと里帰りの時なのですが、今年はそれが集会まで

禁止され追悼の会も縮小と全く終わりのない拡大路線がいまだ世界に蔓延しているのです。

コロナ禍であぶりだされるのは今までのように人々は移動して化石燃料を消費しなくていいのでは

ないかということと外出自粛でプラスチックごみの増大です。カリフォルニアの火事のように環境

問題は人の住めるところの縮小や食糧問題に発展するのは直ぐに思いつくことであり、いまなすべき

ことも温暖化への対処なのではということと持続可能な社会の構築でしょう。

 

分断化する国際社会において全世界共通の問題として環境問題にとりくまないと軍事力が解決する

事態になりかねません。ここら辺は市民レベルの監視が今後重要になってくるのではないでしょうか。

そんなのも珈琲のある生活で日々の生活を重要に思うこころがあれば防げるのではないかと常々思い

ます。エベレストとという映画で何かと紅茶と酸素というのが出てくるのですが、そこらへんが

極地でそこに集まるのが世界中から富裕層が押し寄せあげく遭難してしまう事態を描くのですが

そもそも題名のエベレストという名が全てを語っている感じです。それに珈琲でなく紅茶というのも

世界の覇権がイギリスにあり、イギリスの元インドの測量がもとでエベレストに上るという使命が

ありそれがもとでエベレストという名にもなった山ですが、今ではチョモランマと国際的にも呼ばれる

のが普通です。

 

インドと紅茶そして英国の今でも午後の紅茶が重要な時間となっていることなどペストが流行るころ国際化が

顕著になりその時ヨーロッパ知識人の間で熱烈に流行ったのが珈琲です。それが英の覇権と紅茶文化がいまでも

息づくのもそれがエベレストのベースキャンプでは標準となっているなどなかなか興味深いのですが、米では

先進的な人々の中では日本の食文化や日本茶の信仰は強く、日本人以上にその食文化に通じていたりします。

 

そんな日本では他の国にはない珈琲の国ごとに飲み分けるという文化があるというのも実に興味深いことです。

それを踏襲して産地重視の豆の売り方に賛同したのが大手コーヒーチェーンでサードウェーブといわれる人たちです。

そういう珈琲を愛する人たちが今の世界の環境を守るという意識になり分断化も防いで国際社会に一定の役割に

なっていくのではと期待します。珈琲のある生活をあなたにもと思います。

 

 

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メガミートソースの衝撃

2020年09月12日 09時41分12秒 | 日々のこと

ランニングを趣味とし、大会になど出るようになると

体調管理と日々の栄養補給にも気を使い、カーボローディングなども

試みたりするようになります。

 

そして、ドーピングなどと称して色々なサプリとかプロテインなどの

スペシャルドリンクに凝ってみたりして、それなりにそれぞれ効果を実感

したり過度の思い込みなどをしてみたりするのです。そして炭水化物をとる

喜びなども感じるのですが、普段は体重増加とか気にして制限していても

時に夏バテとかここ一番力を出したい日に山盛りのうどんとかパスタを食べたく

なるのです。

 

特に麺類好きでうどん好きな私ですが、この間は庭に作られたたくさんにハーブから

ここはパスタにしました。ある弁当屋さんのメニューにメガミートソースとかメガナポリタンと

いういかにも無駄にガテン系食欲をそそるメニューがあるのをみていつか実践しようと

目論んでいたところ昼はミートソースを作ったから自分で麺をゆでるように言われて

いざ冷蔵庫を見てパスタを茹でるときに一束の麺を茹でるのはどうもはばかられつい

二束取り出しわざわざガスコンロまで出して茹でだしたのでした。

 

大きな鍋で茹でられた麺は直ぐにざるにあげミートソースに絡めるともくろみ通り

皿からあふれんばかりの山盛りとなり思わずにんまりとなるのでした。

そして、それを食べると筋肉にエネルギーが蓄えられ久々に感じる満腹感と何かを

やり遂げたかのような満足感で気分も雨の中でかけるだけの力をだすことができ

異様な興奮もともない夜のバスケ練習に出かけたのでした。

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病院へ

2020年09月09日 23時42分41秒 | 日々のこと

秩父に住んでいると年に何度か秩父以外の病院を訪ねるということになります。

それは家族や親せきが入院するとか診察が必要になり同行するからです。

それだけ大きな病院がないという田舎特有の事情により大きな病気をすると

必然とそういう大学由来の附属病院とかを紹介されます。

 

大学病院や先端医療の大病院など最近では土地の安い辺鄙なところに建っていたり

しますので田舎だから病院がないというのも当てはまらないかもしれません。

 

都内出張と合わせて電車で出かけようかと最初思いましたが、未だ感染拡大中の都内は

余りでかけたくないので出張は自粛中なこともあり、今回も車で病院だけ行くことにしました。

今回紹介された病院も所沢と練馬でしたが、練馬の病院は行ったことがなく所沢は

元会社の先輩が入院するも病名も解らず死に至った印象もあり、今まで何度も行ったことが

あり様子は解っているものの足は向かわずわざわざ都内の方を選んでしまいました。

 

子供のころからこういった大きな病院に行った話はよくありそれは時に自慢話的に

されるものです。その最たるものは埼玉医大に行ったらロビーでピアノの演奏があったとか

スタバが中にあったとか何も自身の手柄ではないのに自慢げに語られるのでした。

 

そんな中うちの家族は近くの日野田病院だったり、市立病院どまりでそういった大病院

には縁がなく子供の頃は聞く側でしたが、大人になると家族を連れて行ったりお見舞いやら

と出かける機会が増え、話に聞く大病院の実際も大病院だからできることも体験したつもり

でした。

 

さて、今回は秩父で解決できないと大病院の紹介を受け出かけたのですが、普通大学病院などは

紹介状がないと初診料が5500円とかかかりそれだけ上位の病院のようにされていますが、実は

行くと今まで受けた検査をまた受けてと同じ繰り返しをして結局治療法もなくというケースが

多いのです。しかし、医者が万能と思っている人は多く、どこの病院も混んでいるのです。

 

今回も同じようなことになることは予想していましたが、今回違っていたのは病院がごみごみとした

住宅街の中にあり、古くてぼろくそれでも人は激込みで待合はソーシャルディスタンスどころか

余裕もなく人であふれていて駐車場なども今まで行ったところでは一番狭くて有料で一時間500円と

高く、支払った医療費も1万円以上と散々なものでした。それなのに考えてみると二月のスキー以来の

遠出は良い気分転換になり、何かやり遂げたかのような満足感も漂うのでした。

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すすきの草原の思い出とマンデリンの香り

2020年09月09日 16時43分17秒 | 珈琲

核のゴミの選定調査に応募する自治体が複数現れるという事態についにという思いと

今起きているポイントマラソンとか持続可給費金詐欺とかと同じ匂いを感じないでも

ないのでした。

 

これは調査を受け入れるという決議を町の議会で決議してそれが了承されると国から

補助金が10数億くるというばらまきの政策です。それでもそんな見せ金でふるさとを

売り飛ばすようなことをする村や町はいないだろうと思われていましたが、ついて

手を挙げるところが出たのです。

 

実際の政策と現在の施設を考えると青森の六ケ所村とか福島の仮置き場の近くとかに

結局なるのだろうと思われましたが、最近の温暖化というのは私たちが思う以上に漁業者に

切実な問題としてのしかかり漁業で食っていけないという村や町は今後増えるのだろうという

何の対策も何の施策のないまま高齢化と過疎化に政府も行政も何のビジョンもなくいつまで

ばらまきの政策で対処療法のようなこととエネルギー政策を中身のないまま放置するのかと

いう感じです。

 

こう涼しくなってくると雪山のこととか温泉のこととかばかり考えがちですが、その前に

秋になるといつも思うこととしてすすきの草原に立つことを思います。それは私がかつて

鉄道会社に勤めていたころいつもお客さんが必ず話す言葉に箱根の仙石原のすすきの草原の

ことが話題に上っていました。それを聞き続けていたので私もそれをみに出かけましたが、

その時には何度目かの仙石原ということもあり、いろいろな名産品やらお土産もひと工夫したり

富士屋ホテルをみたり、その近くで鉱泉せんべいをゲットしたりとお気に入りのコースでも

あるのですが、伊豆半島の高原に行けばもっと広い草原と海とセットの見晴らしとかあまり

有名ではないもののちょっと想像してもすぐに見に行きたくなるような景色があるのです。

 

ネットのSNS映えとか言われていますが、そんな画面に収まりきらない景色というのがあるのも

事実で360度のパノラマとか静止画だけでは紹介しきれない絵というのはあるのです。

 

山の映像もそうで実物の目の前の景色と頭の中のイメージと写真に撮ってみるとつまらない

平坦で奥行きのないものになってしまい全然伝わらないということもしばしばです。

スキー場の景色などもそうです。白一色で実際に滑ってみる景色としたから写真にする景色では

とても表現できないものがあります。

 

それに休憩所で飲む珈琲と薪の燃える臭いとセットにすると記憶には立体的に奥行きを持った

記憶になるのですが、それを言葉で伝えようとしてもなかなか表現のしようもない時間と空間で

これは温泉の臭いと露天風呂の風景と受けている体のリラックス感なども到底い言い表せはしない

のです。

 

囲炉裏や暖炉の脇で飲む珈琲の時間もそうです。それなんかは冬の贅沢ですが、まだ高原に海と

すすきの原を見る贅沢と珈琲を飲むという野点のおいしさなんかもぜひ今週中に出かけられればと

思います。

 

逆に秩父に来る景色というと秩父鉄道と秩父往還と荒川長瀞の眺めが重なるドライブとその後に

突如現れる武甲山の景色とそれを眺めながら入る露天風呂と棚田の風景とか色々と心に沁みるものも

あるのです。秩父に住んでいるとやたらと雲海だとかコスモスとか萩の花とかミューズパークのイチョウ並木とか

上げますが、ドライブとその果てにある景色という物語性をもって考えると秩父というのは実に

面白い地形と景観があちこちにあるのです。ですからこれだけ週末になるたびバイクで通ってくる

方がいるのでしょうし、名水を汲みに来たりお墓詣りだったりと目的も様々で人それぞれの秩父の

楽しみがあるのです。そんな中、コロナで閉まってしまう店や逆に始められたラーメン屋とかまた

新たな面を見せつつある秩父もありでコロナでもこれから秩父に来る人は増えていくのでしょう。

 

そんなことを長く続く香りを持つマンデリン、クィーンスマトラを飲みつつしみじみと思うのでした。

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『グランブルー』鑑賞

2020年09月08日 10時45分19秒 | 映画

あれほど何日も前からかつてない大きさの台風ということで警戒を呼び掛け

命を守る行動をというニュースを聞き、結果過ぎていった台風10号は心配された

河川の氾濫もなく、家が流されたり土砂に埋まった家のニュースもまれでまずは

一安心したのでした。

 

しかし、ニュースでは人々の不安をあおり続けコロナ禍の避難所はどこも一杯で

よそに移れという指示を出すシーンなどが報道され、停電で熱中症でなくなるお年寄り

が出ているとか直接的被害は少なかったものの大きな影響下に未だにあるという報道です。

 

今回も亡くなった方は窓を補強中転落して死亡した五十代の男性とか直接暴風で飛ばされたとか

大水で流されたという方ではありませんでした。

 

こういう報道を見る度、災害が頻発する社会とコロナ禍と何をあぶりだすのかということを考えて

いましたが、少し変化が生まれました。これはのちに詳しく書きますが、報道では弱者ばかりが

取り上げられていて格差社会の弱いところの人々が割を食うかのような姿勢ですが、台風などは

いちいち選んでくるわけでなく、屋根に近所の鉄塔が倒れてくるのは弱者も強者もなく、強風で

飛ばされる屋根も頑丈な家だから飛ばないかといえば竜巻が起きるなどそんなの関係なく飛ばされて

いるので別に格差社会が際立つということではないはずです。

 

しかし、かつて中州に取り残されたキャンパーをレンジャーが必死の救助活動をしたという映像や

川べりの家が土砂とともに家一軒丸ごと濁流に飲まれる映像などみると人間の愚かさをあらわに

するかのように感じたりしました。

 

まあそれも何かし向けられたことかもと感じるのが今日この頃であり、新たな気付きかもしれません。

 

その一つのきっかけにもなったのがこの『グランブルー』です。

『フィフス・エレメント』と同じ監督、音楽の映画で世に知られるのは『タクシー』がヒットしてから

でしょうか。

私も最初監督もジャンレノも知らずに見た記憶があります。今見ると80年代の感じを色濃く感じ、あの時代の

ファッションやら全てが特異で世の中がそこだけずれてしまっていたような特別な時だったように思います。

似た名前の映画があり、そんな海を主題にした映画でサーファーとか潜入捜査とかの映画かと思ってみたのですが、

シチリアのレストランのシーンでこれは見た映画だと思い出しました。

 

世界ではすごい大ヒットとなったのですが、日本ではおおごけして新宿プラザでは一週間で打ち切りだったという

ことになるのですが、その後のリュック・ベッソン監督でジャンレノの映画が次々にヒットして復権し世界各地で

何度もリプリントされディレクターズカット版とかいうリバイバル公演がされました。私が見たのは映画館では

期待されたのにすぐに終演となり、テレビで早々に流れたのをみたのだと思います。

 

映画に出てくるファッションだとか世界をまたに掛ける恋とかいかにも80年代なのですが、それは自身の青春時代と

あわせて諸々な思い出も直ぐに上がるあまり触れたくないようなそれでいて大事な思い出の数々にはかわりないという

微妙な時代なのです。

 

今思うとなんであんなことしたんだろうとかパジャマのような服とかだっぶりした肩パットの入った上着とか

やたらと派手な髪形とみんなそんな格好していたことにおかし味とともに蘇ります。

 

映画はフリーダビングの物語で素潜りの最新記録を競う有名ダイバーの話なのですが、もともと二人は幼馴染で

幼少期ギリシャのどこかの島で一緒に過ごした中なのです。そして大人に成長した二人はそれぞれ世界をまたにかけ

活躍するようになり、大会でシチリアで再会するのですが、その大会で結末はという最後と色々な海の映像が

幻想的な雰囲気な映画です。

 

私はこの映画の直ぐ後い何回かフリーダイビングのドキュメンタリーとか特集を見ておりこの映画ともども記憶

していましたがそれも併せて思い出し、近年にもyouは何しに日本へでダイビングの大会が行われているのを

見たりもしています。

 

映画では簡単に120mという距離を出すのですが、人間の体の構造上限界深度はほぼ100mとされており

それを超えると体や精神に障害が残る危険があり、今では競技方法もその距離を競うものではなくなった

ように記憶しています。

 

それを思うとクジラなど同じ哺乳類でも普通に1000mでも潜れますし、到達速度も10分程で到達できると

人間が潜水艦や深海探査船で活動するよりもずば抜けた運動能力を持っています。このように人類の

進化進歩をしのぐ自然の驚異はいたるところにあり、今襲い来る災害など人知をこえたできごとだらけと

改めて思うのです。

 

私が毎日走るようになり、人間は陸上で一日の移動距離や速度では最高に進化してきた歴史を感じ

それを忘れてはいけないし、それを実感するためにも毎日走り続けようと思ったものです。

しかし、クジラや渡り鳥の一日の移動距離は人間をはるかに超えており、可聴周波数なども

人間の数倍あり、脳の大きさもしのぐといいます。つまり人間だけが進化したというのは誤りで

みんなそれぞれこの地球上で生き残るためにその能力を獲得していったのです。

 

そして今コロナ禍の世になりと人間の思い上がりというかその存在をもう一度考えることに

なったのです。増える災害についてもそうです。人間が進歩してきたといいつつひきおこしている

自然猛威の大きさは人類を生きにくくしており更なる人類の進歩とはこれらをどう克服し持続可能な

生存の道を探ることとなるでしょう。化石エネルギーを消費しきって他の星に移住するなどという

SFや聖書のハルマゲドンを持ち出すのでなく違う未来を描くことができることを示すべきです。

 

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絶滅危惧種の夢

2020年09月06日 16時26分19秒 | 珈琲

昨年までは100年に一度の台風といいそれが毎年襲うようになり、今近づいている

台風10号は過去にない大きさと警戒されています。一昨日からこの台風のため

雷とともに急に雨が降るという状況が続いており、昨夜は何度も洪水警報やら土砂

災害警報が出て大きな音で携帯が鳴りました。

 

まだ台風は沖縄辺りで本格的に近づくのは月曜辺りとのことでこの突然の雨はまだ

続くようです。

 

このように続く災害や毎年繰り返される地震やら台風やら火山の噴火とそしてコロナウィルスと

何をあぶりだそうと次々に襲ってくるのかとどうしても考えますが、それはとても簡単なことなのか

とも思えます。もともと人々が便利に生活し暑さ寒さをしのぐのに使ってきたエネルギーが

温暖化となって地球環境を変えてしまったということなのにずっとこれには見て見ぬふりと

問題の先送りがされてきたのです。

 

されとてそれではと温暖化以前の原始的な電気のない生活をしたらもとにもどるのかというと

そう簡単でもありません。

 

しかし、一昨日からの雷雨の中でランニングして雷の光を見ながら思ったのは、あれだけの

エネルギーが毎日発生しているのにそれを生かせないのかということです。地球上には火山や

温泉と雨と水の流れ、潮の流れ海の満ち引きと自然のエネルギーに満ちています。それを

安易に化石燃料を消費してそれを国の主源料として消費し続けてきました。私の子供頃から

ウランや石油などの資源はあと数十年という限りのある資源とされていました。しかし、その

枯渇が直ぐにやってくるように言われてから50年が過ぎてもその枯渇がいつという話はまだ

聞きません。

 

米でもテキサスの原油が枯渇してもシェールガスという新たな資源を見つけそれは従来の

CO2削減の切り札となると言われていました。ところが当初より排出量は増え、森林火災や

台風など災害が増えているのに何ら対策はされていません。

 

テレビに出る映像は避難所の人々や川沿いの家が流される映像です。多くのテレビを見ている人は

安全で災害のないところから見ているはずです。そして、その数が増えていることやその度政府の

人間が安全安心のため最善を尽くすといい、壊れた橋や鉄道やら道路は復旧されるのですが、それは

この後も続くのでしょうか。

 

これだけコロナや災害が続くと政府の援助や助けもいつまでという気がしてきます。今はそれでいいのかも

しれないがこの先の未来は弱い人だけがあぶりだされていく世の中なのか、それとも多くの人の生活にかかわる

ように拡大してしまうのかと気にかかります。現実的にこの増える災害に対して有効な手立てなり、対策はあるのか

政府はそれについて何か手を打っているのか。我々の立場や生活で何かできることはと思っても明日から電気を

使わないで生活するとか発電は自家発電にして電気を買わないようにするとしてもどれだけの効果になるでしょうか。

これは国ぐるみで計画し全国民がとりくまないとこの災害化していく天候不順も生活防衛もできないでしょう。

なんとももどかしい思いに駆られる台風の接近のニュースです。

 

今朝方見た夢はまるで短編小説のようなもので実に面白いものでした。ざっとあらすじを紹介すると自分の

祖父だかの先祖の話で町の資料館にその先祖の書いた手紙があり、それが自分の出張費の清算について

よろしく頼むという依頼の手紙なのですが、それが余計な接待防止に役立っていたという逸話なのですが

その接待というのが天然ウナギが使われるというもので、静岡県のある町の話で県では天然ウナギを店で

出さないよう指導しており店舗ではもうメニューから消えているのですが、宿泊施設などでは特別料理として

未だに供されていてそのもとにあるのは天然遡上する謎の水系を持つ池の数々に天然ウナギが生息するという

事実です。川では禁漁扱いでも個人の敷地内のそれらの池ではそれは禁止できず旅館などではそれを仕入れて

食べさせているというのです。ふぐ料理が解禁されたようにある地域の天然ウナギはたべていいという歴史を

作る話でした。

 

何事も現実と法律やら政令やらで一律に律せられるものでないという生きたものという厄介な面があります。

そこで政治家の手腕とかが必要になるわけですが、それがどう生活者の代弁となっているかというのが現実には

なかなかそうでなく利益者の代弁となってしまっているというのがこの温暖化の問題でも解決を難しくしています。

 

このコロナの世の中で珈琲のある生活が色々気付かせてくれると今まで書いてきましたが、それは毎度感じる

癒しや安堵感をもたらす貴重な時間の訪れだったり、癒さる心だったわけですが、逆にそれを長くこの先もという

考えも当然考えるわけでそれを思うと一人で考えてもしょうがないことばかりとなってしまいます。

 

毎朝感じる朝飲む珈琲のあるありがたみとか、午後特別の豆で特別の人をお迎えする時とか、夜コンビニスィーツで

デザートとする時にも珈琲があればそれは極上空間に変わります。それらの特別な時間を多くの人に知ってもらい

同じように珈琲で人生の向上を感じられれば温暖化も世の中の存続も望みが持てるのではと考えるのでした。

 

 

 

 

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今月の季節のブレンドは

2020年09月01日 11時27分42秒 | 珈琲

新しい首相に菅氏の名が上がり、なんだかみんな今の外枠をそのまま

使い、今のままがよいということなんだという感じです。そもそも

河野防衛相が総理になれば、菅氏がそのまま官房長官に留任して概館を

そのまま引き継ぎ運営できるとするニュース解説があり、総理の元ずっと

官房長官を務めた参謀としての存在とその陰の存在が表舞台でリーダーとしては

並びたてないとみていた人たちの裏をかくように菅氏の存在が昨日あたりから

突如一番に躍り出た感じです。

 

米の大統領選がずっと話題でしたが、それが長い戦いとシステムと手間のかかる

物ながら直接国民が大統領を選ぶことができないもどかしい制度でこういうのが選挙に

行かない人を作り、結局民意が反映されない政治につながると思ってきました。

 

日本ではさらにひどくろくな選挙もなく密室でリーダーが決められていしまうという

のがここの所のニュースから見る総裁選びです。

 

今朝はずいぶん涼しい感じでやはり九月になればという感じの朝でした。

 

そして九月となれば今月のブレンドは『林檎』です。

 

最近全くどこにも出かけていない夏が終わり、いろいろ長い歴史に幕というような終わりの

ニュースを聞き、連綿と続く歴史というものにとらえきれない置いてきぼりにされる気持ちを

抱きつつそれでもできることをなすと言い聞かせつつ、集めた最良の豆で今年もブレンドしました。

 

お楽しみに

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