まだ日中は30度を超す暑い日ですが、もう既に朝夕は涼しくなっており
夜走りに行くときには秋の虫が鳴き盛り何重にも重なった背景放射のような
バックグラウンドミュージックの中走るようになっています。そして、台風
10号以来ずっと雨が突然降りだす状況でいつも雨の中走っているような感じに
なっています。
思えば今年は祭りはすべて中止、お盆も帰省するなという夏でどこも出かけない
何もイベントもない夏でした。そして、そんな中焙煎室は灼熱で下着までびっしょりと
なりつつ連日焙煎と焙煎機の調整とに明け暮れて気が付けば焙煎室とカウチと珈琲部屋の
往復しかしてない夏なのでした。
そんなほとんどがカウチの上で過ごしそれでもそこそこ快適と思われていた夏も終わり
今月の季節のブレンド『林檎』を作るに至りまたそれに込めた色々なものを思い出すのでした。
それと先日のメガミートソースである映画のシーンのセリフを思い出し、それはコルシカ島の
海辺の崖の上のレストランで家以外でパスタを食うとお袋に殺されるというもので海辺の名物の
海の幸のパスタを注文するシーンがずっと印象に残っていました。それが『グランブルー』で
セリフを言ったのがジャンレノだったというのは先週BS12で放送をみて知りました。
もう30年以上もこのパスタを食べるたびに思い出したセリフとそのおふくろのパスタとはどんな
味なのだろうと思い続けていたものが映画で見ると何も具がないただのパスタでただ量は山盛り
というのを見たわけです。そんなこともあり昨日メガミートソースを食べたのかと今更思い返したり
しましたが、意外なものが長年気になったり影響を知らず知らずに受けていたりするものです。
例えば今ではアマゾンで見るものがなくなり、BBCの刑事ものをよく見ますが、そうすると
イギリスという国の今の姿が画面から伝わり、普段ずっと見続けていたアメリカの豊かさとか
やたらと拳銃を出して直ぐに犯人でも容疑者でも射殺してしまうシーンなどがあまりに多く、
その違いと影響が映画の見方とかにも強く影響していることを知ります。
アメリカなどのドラマの舞台はニューヨークやシカゴなどの都会であり、その繁栄ぶりは
もはや当たり前ですが、ひとたび地方に移ればそれは何もない土地の連続であり、田舎の
寂れようはあまり報告されていません。一方BBCのドラマで見るイギリスの風景というのは
なんとなく陰鬱で表現されるものも回りくどく解決のシーンなども拳銃を出して犯人を取り押さえる
というものと違い逮捕されてもこれは解決ではないというその裏や続きをおもわせる構成となって
います。つまり本当の悪や犯罪根絶のためになすべきことや社会の悪を葬るにはというのは
見る側にゆだねられているという感じです。
それにつけてもイギリスでは普通の市民や社会にも麻薬が蔓延していてそれは田舎の小さな町でも
流通しており、それを担っているのが普通の社会的地位のある市民がかかわりそれは決して検挙されないと
いう現状を強く表現していますが、それは米などの犯罪組織とそれをコントロールするよう検挙にも上層部の
思惑が敷かれているようなものと違いが見られます。それとやたらとハイテクや科学捜査や司法取引と最新の
手法と合理主義が貫かれてなんでも捜査と証拠と即物的な感じがするのに比べ英は人間的なやり取りと
自白というのが一番重要視されたりという違いも感じます。
そうなると気になるのはそれでは日本ではどうなっているのかということですが、どうも日本の
ドラマなどもう見たいと思わないし、どうせ勧善懲悪で悪はどこまでも悪人で刑事はいつも正しく
どこまでも正義の人というありそうもないものでそういうのを国民に見せ社会というのも醸成されて
行くのだという感じをどうしても思ってしまいます。
そんな中でBSでやったヒカリゴケの衝撃という番組はよくできていると
思いました。
ヒカリゴケ自体は映画にもなり私も見ましたが、番組から受けたような印象は微塵も
感じませんでした。
作者の意図は国民に戦争に行くとはどういうことかを問うもので全国民が信じて
増生した神国日本だとか天皇陛下に尽くすとかその裏の真実には誰も口をつぐみ今までも
見て見ぬふりをしてきた物をズバッと表に出したのがヒカリゴケだったのです。
つまり、それは戦争とは国家の命令で人殺しをして来いという命令であり、今の現代なら
多くの人がそんな命令には従えないと表明するでしょう。それが当時は天皇のためとか
国に命をささげるとか言い変えられ逆らえない国の意識が作られていて従わないのは非国民と
いうレッテルを貼られてしまうのでした。多くの戦争ドラマや映画が作られてきましたが、
国に命令され人殺しをして来いと迫られた時の人の心を現わしたものはなかったと思います。
その国家の命令と人を殺すことの罪を問うたのがヒカリゴケであり、作者の意思はそれを
我慢するしかなかったという自身の心の発表で人々にそれは二度と繰り返してはならないと
訴えるものとなっていたのです。それなのに映画では人の狂気とか人肉を食らうと言う怪奇
的現象と極限状況ばかりがアピールされているのでした。つまりはそこにも人々をコントロール
しようとする恣意的なものを感じ取らないといけないこととなっています。そんな意味では
100分de名著的な表面的な文学鑑賞でなく、作者の意図をつく作りに感心した番組でした。
だだBSの番組でダークサイドミステリーという番組なのでまさかこんな内容と誰もが思わないし
興味も湧かない表向きなのが気になります。
毎年八月は終戦と鎮魂の月でお盆の祖先のお参りと里帰りの時なのですが、今年はそれが集会まで
禁止され追悼の会も縮小と全く終わりのない拡大路線がいまだ世界に蔓延しているのです。
コロナ禍であぶりだされるのは今までのように人々は移動して化石燃料を消費しなくていいのでは
ないかということと外出自粛でプラスチックごみの増大です。カリフォルニアの火事のように環境
問題は人の住めるところの縮小や食糧問題に発展するのは直ぐに思いつくことであり、いまなすべき
ことも温暖化への対処なのではということと持続可能な社会の構築でしょう。
分断化する国際社会において全世界共通の問題として環境問題にとりくまないと軍事力が解決する
事態になりかねません。ここら辺は市民レベルの監視が今後重要になってくるのではないでしょうか。
そんなのも珈琲のある生活で日々の生活を重要に思うこころがあれば防げるのではないかと常々思い
ます。エベレストとという映画で何かと紅茶と酸素というのが出てくるのですが、そこらへんが
極地でそこに集まるのが世界中から富裕層が押し寄せあげく遭難してしまう事態を描くのですが
そもそも題名のエベレストという名が全てを語っている感じです。それに珈琲でなく紅茶というのも
世界の覇権がイギリスにあり、イギリスの元インドの測量がもとでエベレストに上るという使命が
ありそれがもとでエベレストという名にもなった山ですが、今ではチョモランマと国際的にも呼ばれる
のが普通です。
インドと紅茶そして英国の今でも午後の紅茶が重要な時間となっていることなどペストが流行るころ国際化が
顕著になりその時ヨーロッパ知識人の間で熱烈に流行ったのが珈琲です。それが英の覇権と紅茶文化がいまでも
息づくのもそれがエベレストのベースキャンプでは標準となっているなどなかなか興味深いのですが、米では
先進的な人々の中では日本の食文化や日本茶の信仰は強く、日本人以上にその食文化に通じていたりします。
そんな日本では他の国にはない珈琲の国ごとに飲み分けるという文化があるというのも実に興味深いことです。
それを踏襲して産地重視の豆の売り方に賛同したのが大手コーヒーチェーンでサードウェーブといわれる人たちです。
そういう珈琲を愛する人たちが今の世界の環境を守るという意識になり分断化も防いで国際社会に一定の役割に
なっていくのではと期待します。珈琲のある生活をあなたにもと思います。