King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

超絶技巧と先進生活

2018年08月31日 11時02分08秒 | 珈琲

ついつい入ってくる豆の事ばかり頭に上り、つい書くことを忘れてしまい

ました。

というのは、当店に訪れる方の行動や装備をみると人生とはかくあるべきとか

現在はこうだという感じの方が多いのです。

先日訪れた白髪の紳士ながら手にはめていたのは最新の時計で何やらサインが

画面に出て今度はその画面に何か話しかけるというスパイ映画に出てくる人の

ような行動でした。

スマホのメール着信音に会話が度々中断されたり、イヤフォンのようなインカムでの

電話の会話などみるとテレビドラマのエージェントのような人も珍しくはなく、

でもそんなメールでいちいち指示されたり、時計に予定やら心拍数を干渉されたり

とする人たちはそれぞれ人生を十分堪能しているという事なのでしょう。

ですが、一方ではそういう生活がいやで秩父に移住したとか山の上に電気も水道もない

小屋に住んだとかいう人もいます。

当然テレビもなく、世の中のなんとかハラスメントの問題も一切知らずきょうは初めて

おおるりを見たとかこういう鳴き声の鳥は何ですかという問いを発したり実に徒然草の

世界そのままの生活ぶりだったリ、それをただ世捨て人と呼び見下したり、白眼視

できるでしょうか。

私が行きたいと思っている展覧会はことごとく出かけていて、国立美術館で土偶を一日

見てきたとか、超絶技巧の工芸品が集まる京都の三年坂美術館も三島の佐野美術館も

あの天目茶碗さえ実物を見ているというのです。

電気代も水道代もかからず携帯電話も持たずそれなのに最高水準の美術品に通じ

名だたる音楽家の生の演奏に触れてもいるこういう生き方は人のに幸せとはという

ことから時間という有限な一番の資源の使い方を教えられるようで頭が下がります。

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沢瀉にみる武士の心

2018年08月31日 10時23分37秒 | 珈琲

最近は夜7時を過ぎて走り出すと辺りは真っ暗となり、

空気も灼熱の熱波をかき分けて走る感じからひんやりした

空気をすいすいと走る感じになってきました。

とはいえ少し走ると直ぐに汗まみれになるのは同じです。

昨日は、ところどころでオシロイバナの香りがする中、いくつもの

花の香りがするのですが、目にするのは色々な色の百日紅の花ばかり

でこれは各家に植えられていて目にはするのですが、匂い立つ感じは

ありません。

 

現在は3Dプリンターで仏像も作れてしまう世の中で、かつての英知で

取り決められたこともいつの間にか反故にされ技術優先のもといろいろと

ぎすぎすとしてきました。

 

宇宙や南極などの極地は軍事利用や領有主張をしないという紳士協定が

20世紀にはありましたが、もはや宇宙軍創設や本来軍備を持たないとする

日本ですら宇宙防衛を言い出す始末です。

 

さて、ブラジルの豊作でよい豆を手に入れられる状況が続き当店でも

この期にベストの選択をしておきたいと色々探るのですが、ここにきて

どうしても過去にあったあの豆というのが出て来てそれを探してつい

ついでにこれもという結果となり、やたらと資金需要が高まってしまい

ました。それもこの月末に発注をかけたので色々と処理も重なり、朝から

てんてこ舞です。

 

来月には連休が二回もあり、ゆっくり豆評価も豆探索もしてられるのはわずか

でしょう。入った豆は順次焼いていきます。

 

ケニアレッドマウンテンは在庫切れとなり、補充は二か月後の予定です。

かわりにガヨマウンテンを焼いて行こうと思います。

ブラジルの新豆の詳細はしばらくお待ちください。ほしいものは老木の珈琲と

レッドブルボンと今までは手が出なかったものです。お楽しみに。

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行方

2018年08月30日 09時17分25秒 | 珈琲

この暑さがいつまで続くのか悩ましい問題となってきました。

というのも先月と今月は季節のブレンドは『夕焼け』で固定して

きました。

というのもこの夏期にこの季節のブレンドを指名して買われる方が

少ないことに由来したわけですが、今年はなぜか季節のブレンドがいつもの

倍出ています。そして、先月来て今月も夕焼けでがっかりしたという人も

現れ、通常は同じでもその変化とその心を聞いて納得して帰られるという

方がほとんどのところ毎月違うから来たのにという人がいたのが意外でこれは

期待に応えていかなくてはと思ったりしました。

ところが、来月予定の『林檎』はひとつの成果であり、達成したものの記念で

あるので、これはこの時期に外せないのですが、余りにこの季節にというより

暑さには向かないし、季節を冠している以上これは合わないのではないかという

危惧を抱きます。

とまあはらはらとこの暑さの持続を恨めしく感じつつ、少なくなった在庫に

新しい豆も発注しました。

さらに、ほしかった豆も見つけだしということもでき、これから楽しみな秋となると

思っています。

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夏の終わりに

2018年08月29日 10時43分50秒 | 珈琲

今日も小学生は元気に学校に通っていきました。

岐阜の病院ではまた熱中症で人が死んだと報道がありました。

そんな暑い病院に行くくらいなら自宅にいた方が安全とは

皮肉なものです。

学校が始まる前に来月が一番自殺が増えるという報道がありました。

学校に行っているときには気が付かないものですが、小学校高学年と

中学くらいでは毎日が善悪の判断基準を作る判定と善悪の判断の連続

であり、日々それを繰り返し自分というものを作る準備をしていると

いう重要な活動のさなかであり、毎日の授業ばかりしか考えない今の

教育ではそういう子供たちの日々の精神の成長を考えていないために

子供の世界とか子供たちの日々のそういった優劣の判断を軽視する

あまり、いじめやら格差やらという問題が発生していることに

気が付きません。

やがて高校生になれば子供の社会感も自我の確立という段階に入り、

周りからどう見られるとか周りから頼られたいとかそういう社会的

付き合いより自己というものを強く意識しだしてそこから今度は

社会とどう付き合い、どう社会参加するかを考える段階に入ります。

 

大概は経済的必要で会社という組織に加わり給与を得、社会とかかわり

人間として生活が成り立ったかのような錯覚のうちにあっという間に老人と

なり、今まで会社員でいられる間は気にもならなかった社会参加が定年と

いう新たな社会放出にあい、これから先人生100年時代を迎え、後の

40年余りをどう生きるかをまた構築していかなくてはならなくなります。

 

もはや定年後を老後として過ごすような社会でなく、ずっと社会人としての

余生が続くと考えて会社にいるうちに社会とのかかわりとか自己の能力を

しっかりと確立していかないとなかなか生きにくい世の中になります。

 

そんな人生の中でも小中の多感な時、やはり善悪の判断とか正義感が作られる

この時期の経験が最も重要であり、そこで培った自身の判断基準をまた社会に

フィードバックして世の中をよりよい社会に近づけるという人々の気持ちが

あれば未来も明るいと思いますが、時に今まで培ってきた自我と社会という判断に

世の中からはじかれたような経験とか自分が持っている判断基準が通じないと感じる

疎外感も発生するでしょう。

 

これから起きる災害や事故など理不尽なことや個人ではどうしようもできないこと

もさることながら、個人の能力をさらにいつも高めていく努力が今後は必要になって

行くのかもしれません。

 

何も下の方ばかりを向いて下方修正したり、人に合わせたりしなくてもよいということを

強く心しないとこれからの世の中の変化というのは並大抵ではないかもしれません。

昨日のモーニングショウで日米地位協定の事を触れていましたが、官僚が正せるかと

いうパネルの表示がありましたが、それは官僚の仕事ではなく、政治家のやるべきことで

あり、昔は安保闘争とか大学でも普通に論議があったり、町ではデモがありました。

いまでは過激派の人しかそういう議論にはくみしない大学でも左翼とか右翼という

特殊な人の領分ととらえる人が増え、テロリストやカルト宗教の人ぐらい特殊と考え

がちですが、それは今ある日本の問題に背を向けているだけではないでしょうか。

拉致被害者の問題も北は部下がやったことでそれは処分したし、解っている人は皆返したと

し、解決済みを主張している以上、やみくもに拉致被害者の全員返還を言っても相手は

解決済みしか言わないでしょう。

つまりこれを入り口にして解決がないと日朝会談もないとすると進展のしようもないの

です。かつて六カ国協議がなされていたころは再調査を約束し出てきた答えは嘘ばかりと

いう経験をしているのですから、次は得意の第三者委員会を作り一緒に調査してみましょうと

いうのが正しい交渉の仕方ではないでしょうか。

日米関係も今まですべてが言いなりで何の交渉もしてこなかったので、国内でもどんなひどい

条約とか取り決めかも国民は知らず豊かさも平和も当然に与え続けられると勘違いする人が

ほとんどなのです。

 

自然選挙にも行かずという人ばかりなのですが、そろそろ大人の判断と思考を持って世の中

見た方がよいのではと感じます。

 

さて、月末となると色々と情報が集中し、ここにきて今月中に限りこの値段でという豆なども

飛び込んできたりして、今はそれを買うときかなんて悩むこともでてきました。

 

COE上位の豆も結構特別価格が出てきたことを見るとどうしても売り上げの欲しい企業は

まとめ売りとか厳しい競争にさらされているようです。

 

特に飲食業の合併や本業以外の業種、例えばうどん屋が居酒屋チェーンを買ったりと

いう変化は多く、売り上げが落ちている企業は本業も細っているというのをみかけます。

その栄枯盛衰は激しく、かつては高配当の株式で有名な企業が今では赤字だったりと

今の健康志向や少子高齢化とか社会の変化を受けた動きは年々激しいものとなっています。

 

珈琲の豆でいえばマンデリンの値上がりはこの夏激しいものがありましたが、逆に安い

豆もあり、日々この先どううごくという予測をしていれば十分対応可能の変化でした。

中でもブラジルの豊作と安定した供給があり、これに支えられたという感じもします。

ただ、このブラジルも十年前にあった豆と今の豆では随分内容が違っているのです。

 

以前沢山入っていた日本人の農園物というのが最近なくなり、作り方まで指定した

農園が結構の高値で入るなど変化があります。

作り方といえば、桜をイメージしたり、イチゴをイメージしたりオレンジをイメージしたりと

その年ごとに攻め方を変えているので消費者はこの力を入れた豆を買わされるのですが、

以前の豆と比べる倍の値段なのです。

世界的に評価されているセラード農園の豆と比べると味対値段があっているのかというのは

消費者にははっきりわからないものです。

どこの商社の豆だからとかそんな頼りないブランド意識で飲んでいる人もいますし、品種で

探している人もいます。

私もブラジルではずっと探している味があり、それなりにコストもかかっていますが、

あきらめずに求めています。それはこれはどうですかとお勧めできる味がほしいからです。

まず自分がほしいものがないとそうはなりません。

ここ数日に新たな動きがありますので、またこれはどうですかというお勧めができるかもしれません。

 

 

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最後の珈琲

2018年08月28日 10時42分12秒 | 珈琲

なかなかしぶとい今年の夏。朝晩は涼しくなり、夜には秋の虫が鳴くが

昨日など雷雨の中走っているとまるで真夏のさなかの出来事のようで

今年の夏のしぶとさを思うのでした。

もちろん昼間の暑さはしつこくずっと続いていて、あちこちに立つ積乱雲と

雷のきらめきと長い間この大気の変動を見ることになり、走り出した時に

ぽつぽつ降り出した雨もやがて本降りとなりこの漆黒の闇を走る時にいつも

感じるのは自らが雷のきらめきを吸収してぼやぁと体の後ろから光が射すような

感覚になることです。

車も来ていない街灯もない闇の中でも足元から前の道からくっきりと明るく

照らされているように見えるのです。

自らが何か特別な力を得たかのような、それとも人間本来の力の発現のような

いつしか人間が文明生活を営むに従い忘れていった感覚とか能力が人がやらぬ

土砂降りの雨の中を一時間以上走るという行動をすると知ることになるのだと

思います。

色々と気が付かないことに気が付いたり突然そうだったのかという納得が

得られたり、ある程度制限される状況の中にいると解ることや知ることは

あるのです。

スキーなどしていると周りの白一色に自身の感覚もその白に染まっていくような

そんな時には何もひらめいたり知ったり納得したりという事はなく、ただ無に

なるばかりです。

ところが、違う瞬間にその無の時間を思うとまた違った発想とか見方とかが

作用してその時間が無駄な空白時間ではないことを知ります。

時に一番そんな気付きや発見はこんな季節の切り替え時期に現れ、季節の切り替わり

のドラマチックな別れや出会いを演出します。

当然、珈琲豆の切り替え時期とかいつもある豆と今では入らなくなった豆と

これが最後になるという瞬間もやって来てそれを飲むときにはいろいろな感慨が

去来します。

不思議なのはネットでも店での会話でもそれらの過去の農園物についての話題と

いうのは出ないことです。

ひとつには常に新しい売り出し中の豆と農園があり、新しいものの売り込みが激しい

ためそれをこなすだけでも目の回る忙しさで常に評価と選別を迫られどこのどの品種が

出たら買いたいという目論見もなかなかかなわないことになっています。

ハワイコナ、ブルーマウンテン、クリスタルマウンテンといったかつては高級コーヒー

という確立した名ブランドも今では入ってこず幻のブランドという地位があたえられ

今のコンテスト豆と差別することでお互いの地位を侵害しない状況を意図的に作って

いるかのようです。

かつてものすごい量で入っていた農園とかありふりれた農園も今では見かけないものも

多く、ブラジルの日本人農園もいつのまにかコーヒー名人の畑からというのも聞かなく

なりそれについての違和感も聞きません。

そんな中ひとつの選択の仕方を向けるととても選びやすくなることもあります。

それが安いのにうまいというカテゴリーを設定して選ぶといういつもある当店の

手法です。もちろん条件が伴うこともありますが、最大限安くなるカテゴリ―で

安さに挑戦したり、努力点はいくつか出てきますが、何より味をという思いで

選んでいます。この切り替わりの時期もまた新しい出会いがあるでしょう。

 

 

 

 

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今年の夏休みの予定と検証

2018年08月27日 09時59分53秒 | 日々のこと

今年の夏休みは今までの空白地を埋める旅の続きでした。

 

昨年は尻焼き温泉に行きました。近くてわざわざそれだけにはいかない温泉地へ

わざわざ行くというシリーズです。

 

今年は四万温泉に行く予定でした。

 

それも暑さのさなかに避暑もかねて湯治をしようと思っていました。

 

そもそもこの空白を埋めるとは毎年必ず行く草津温泉に行く途中にいくつもの温泉地があるのに

全然行ったことがなくそれぞれ魅力なりがあったはずで草津に通うあまりそれらの温泉に

行くことも魅力に気が付かないのももったいないと始めたことですが、その草津自体の魅力も

毎年行われるイベントもいつも物足りないものを感じそれじゃあお客さんは喜ばないだろうと

いつもはらはらとツィーターから流れるそのイベントを見つめているのでした。

 

本当は夏も草津に行きたいのですが、そうできないひとつの足止め要因につまらないイベント

だとぜひ気が付いてほしいと常々考えていたら、ひとつ考えついた事があり,書いておこうと思いました。

 

今年は草津には湯畑キャンドルナイト、街中コンサート、大道芸などが行われました。

 

どれもありきたりでああこれ行きたいと思わせる魅力に欠けます。

 

ひとつ正攻法的に考えれば、あの天皇陛下と皇后が演奏した音楽堂は皇族専用なのかという疑問です。

 

それを直接売りにはできないもののその音楽堂でコンテストをするとか音楽祭をするとかは可能な

はずです。直接皇族を客寄せにできないとしてもあの音楽堂でやりますというだけで全国から音楽家とか

音楽会の集客が望めます。

 

草津に行けば何か楽しいことがあるというワクワク感がないといけないのに、今の大道芸にしろ街角コンサートも

目新しさとマスコミにも注目されない新しいところに目が届いていないというレッテルを自ら発表しているかの

ようです。

 

以前冬に落語会をやり注目されたこともありましたが、それに続くイベントがなく、草津に行けばという

思いが発現していないとすれば次の手も見えてきます。

私なら ネコメンタリー的なもので押せばいいのではと考えます。

猫が看板の宿はいくつかあります。

しかし、それだけではありきたり。もうすでに手垢のついた素材です。

温泉地と音楽。温泉地と猫と考えていけば次の一手次のイベントはまた違った色を放ち

人々を引き付けるでしょう。

湯畑にキャンドルはもうさんざん手垢まみれでだれも見向きもしません。

タレントやら有名人に頼るのもつまらい。実は有名手前の人が魅力的でエネルギーもあるのに

誰もそれを発見しようともしないで安易なタレントの旅番組に依頼して見飽きたテレビ番組を

重ねるだけなのです。

猫タレントが湯畑で撮影会をするというのが私が思いついたイベントです。

猫の俳優の実物を見たのは西武秩父駅で行われたドラマか映画の撮影でした。

それは実に新鮮で猫俳優には専属のトレナーがいて時には猫待ちの間などもでき

猫としての演技もあったりと外から眺めるものにはこれはただ猫好きが単純に猫が

好きというもの以上のインパクトを備えた出来事に映りました。

猫俳優に草津を旅させてそれをドキュメントする。猫俳優が看板猫を訪ねる。猫俳優の

湯畑での撮影会など企画されてみれば。

 

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藪はそのまま

2018年08月27日 08時53分48秒 | 珈琲

今朝は小学校と中学生が登校する姿が見られました。

秩父は今日から学校開始か。

それなのに依然激しく暑さが続いている現状で大分の小学校は

夏休みを一週間延長したというのに秩父は開始してしまっていいのか。

この暑さいつまでつづくのか。

インドネシアのアジア大会の女子マラソンでは朝7時のスタート

ながらタイムは2時間30分台と国際大会とは思えないタイムでした。

 

この結果にマスコミでは二位に日本人が入った事しか伝えずそれが

32歳の遅咲きランナーであることやあきらめない姿勢とか矢鱈と

感動を押し付けてくる姿勢ばかりが目立ちダメだこりゃ的状態でした。

 

そんな中、私はずっと夢の事を考えていました。

 

普段は夢は見ず、寝たらずっと意識を失い朝になったらぱっと起きるという

一度も目覚めず夢も見ずという完全に無の世界を味わう極上の眠りという

のが理想の睡眠です。

 

ですが、これがいつもできるという事でもなく、大体がそんな感じでも中には

寝付けない日や朝いつもの7時に起きても日曜で今日は8時でよかったんだと二度

寝したりすると普段は見ない夢を見ます。

 

それが色々と覚えているときがあり、その内容がいつも面白いので気が付けば

書き留めようと思いつつ朝の忙しさの中で次第にかまけてしまい時には予知夢的に

感じたこともこれは近い将来あるのかもとメモしようとか現実に行ったところや経験が

実は何日か前または数週間前に見た夢と同じだったというような既視感に襲われたり

します。

 

今回はそういう意味では夢は実はこうやって見ているのかという内容でした。

 

これはすごい発見のようなか気がしてずっとそれを考えていたので書くことが

出来ました。

 

実は見る夢にはいくつかのシリーズがあり、続き物だったリいつも繰り返してみる

ものだったりその世界は色々でした。ところが、その見方というのが実は頭は

膨大な物語をいくつか同時放映していくつものモニターを俯瞰している感じなのです。

 

ですから、朝思い出そうとすると物語があやふやだったり筋がよくつながらなかったり

していたのです。日曜の朝に見た夢は、大きな公園で自分は高台にいて家族に大声で

呼びかけてこちらに来いと叫んでいるのです。ですが、ストリーとしては苗場の謎のゲレンデ

に向かう自分がいてそのゲレンデはロープウェイの終点から少し降りたところからある

リフトに乗ると行ける秘密のゲレンデでコース図にも載らず、料金は別料金が必要で

一日券を持っていても行けません。

 

これは何度か見ている夢で志賀にも同様に謎のコースが存在していてそこに紛れ込む夢を

見ています。

 

これはなぜ覚えているかというと苗場は色々とエリアがあり料金体系も複雑ですが、今まで

リフト券を二枚腕に巻いて滑ったことはなく、これは夢だったんだと自分に言い聞かせる

シーンが妙に印象的で蘇ってきたのです。

 

じゃあ覚えているシーンは大きな広い芝生と段差のある公園だけど自分たちはスキーに行こうと

していたのかと自問するとそもそものシーンはそうじゃあなくあるミッションを背負って

集合場所に行こうとすると大きな公園の入り口で、ある福祉団体がイベントをやっていて通行止めに

会い、目的地に行くのが足止めされたばかりか色々とミッションが複雑になり福祉団体からも

僅かな報酬でその公園の後始末を任されたりしてしまうという人にいろいろと依頼されてしまうと

いう現実界と同じような展開になるのです。

 

それらを思い出してふと気が付いたのがこれらの夢はそれぞれ独立したストーリーであり、

自分はそれらをいくつかのモニターに同時進行に流してみていたんだと夢の見方はそんな

見方なのだとふと心に落ちるものを感じたのです。

 

いつもこの夢の世界の物語がいくつもあり、そのどれもが面白いので気が付けば書き留めたり

持ち帰りたいと願ってきましたが、そもそもの見方が解り何か次の展開が見えたように感じたのが

その日曜の朝でした。いままで同様それだからじゃあこうしようという解決ではないことに

変わりないと気が付いたのは午後になってからでした。

 

しかしこの発見を誰かに言わなければならない気がして今朝は全く夢も見ずに目覚めた暑い朝に

違う次元に足を踏み入れたような新しいマニュアルを手にしたような気分を引きづりつつ月末処理に

奔走することになりました。

 

それに在庫整理と新豆の発注もしないといけません。

 

ちょっと今まで入れていない豆を欲しくなり、まるで別世界の豆を入れようと思ったのは

この夢事件のせいかもしれません。

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時に来る悩ましいご注文

2018年08月24日 11時44分37秒 | 珈琲

ときにあるどうしようかという瞬間、この選択で今後の

行き先も左右する難しい選択を迫られることもあります。

そこで人間は難しい問題の選択には、悩むことと同様

実は哲学的にも精神医学的にも自由選択というのはなくて

宇宙が始まって以来その素粒子の配置と量によりそれはもう

既に決まっていたことであり、選択しているというのは人間の妄想

だといいます。

 

よく若い時には重い石を拾えとか分岐点ではより困難な道を選択する

という考え方もあります。

 

珈琲の場合は、よくしがらみからどうしてもこのイベントに参加してほしいという要望と

それに参加することから商売の方向性が左右されたり、取引相手が固定化

するなど色々と制約の方が多くなる傾向があります。

 

ある宿泊施設の珈琲を作るといった簡単なことでもそれをやることで

出来なることが意外と多かったりと自由業とか自営業を堪能していると

いうケースでも実はちっとも自由でなかったり固定客とか販路を求めて

営業するのも自らの自由を捨てたり狭めることに直結しています。

 

こんな珈琲がほしいとかこんな味を求めているといった要望は少ない

のですが、逆にそれを突き止めていく作業は困難ですが楽しいものです。

 

多くの人が集まるところで出す珈琲では当然味にこだわって独特の味の

ものを出す人はいません。

2000年の沖縄サミットの時に珈琲を監修したのはバッハで、いろいろ試して

意見を求めた結果バッハブレンドになったという話などもあらかじめ用意

されたストーリーのように感じます。

 

日本では最高のコーヒーというのはジャマイカのブルーマウンテンという

概念が強くあり、お客様用に最高の物を提供するという事で今でも来客用に

ブルーマウンテンを注文される方が多くいます。

 

例えばお客様用なのでこれこれを下さいという方にいや今ならこの豆の方が

おいしいですし有名コンテスト一位の豆ですから人気と名前も間違いありませんと

売り込んでいいかという問題ともいえない事象があります。

 

そこでする味についてのあれこれでその店の価値が決まるのでは

ないでしょうか。

 

それと現地農園と直接取引という喫茶店や豆屋が多く見かけられますが、

それを真に受けて喜んでその豆を買う人たちです。

 

ちょっと考えればその農園が世界一の栽培人で毎年極上の珈琲を生産すると

したらそれはその豆がブルーマウンテンのようにもてはやされることでしょう。

ブルーマウンテンは度重なるハリケーン被害でほとんど日本に入ってきていません。

入ったとしてもかつてのような上質な豆かというとランク上もNO1グレードのもの

はありません。ハワイコナもエクストラファンシーランクの物はまったく入りません。

このように農産物が常に世界の一位を維持し続けるという事はないのです。

 

現在でいえばパナマのエスメラルダ農園のゲイシャ種ですが、これもブランド化が

強まればその味と値段の乖離は今後開くといっていいでしょう。

 

それを地方の喫茶店がわざわざ現地に赴き特別栽培を依頼して直接豆が届くなどと

いう幻想に簡単に騙されている人は自分は味なんてわかりませんというのを発表して

いるのと同じです。

 

似たような話はいくらもあります。

 

いちいち指摘しませんが、豆の履歴をああだこうだ説明される店は敬遠した方が

良いというのは昔から変わりません。

 

豆のチャート図も入試とか苦しんだ人が考えたものなのかまともに相手にする価値も

ありません。人のコメントもそのチャート表のようなコメントを残す人には要注意です。

 

とはいえ昨今今まではずっとヨーロッパ限定とか北米限定で全く入ってこなかった

良質豆が入って来てそれが今までの概念を変える味だったという事が最近多くあり、

一部の人が作ろうとするブランド化とは違った豆の動きも確かにあります。

となるとよいよ消費者の選択は味の理解という自身の定規が正確か問われる場面も

出てきます。より良い選択のお手伝いができるよう今後とも情報と味について

お伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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マンデリン納品します

2018年08月23日 09時13分43秒 | 珈琲

古い西部劇を見るとなぜかほっとするのはなぜでしょう。

ハラハラドキドキの展開でも必ず騎兵隊や正義の味方の

ヒーローが現れて救われるという予定調和のせいでしょうか。

実際には無法地帯と暴力に支配され、銃での解決がすべての

力の強いものだけが生き残れる世界ながらただ無法者だけなら

社会というのは成立せずただ原野だけがそのまま続く死の世界が

広がっていたことでしょう。

やはりそこに社会が築かれ法の支配があったから永続性がうまれ

存続可能な人の住める街となったはずです。

西部劇では原住民はその生き方として存在は認められても開発と

定住には邪魔な存在で駆逐され分離し閉じ込めて彼らの土地に

新しい国を築いたわけです。

昨日見たのはジョンウェインの『ホンドー』という映画ですが、

スターウォーズにもホンドーというキャラクターが出てきます。

それも賞金稼ぎとか海賊とか身代金目当ての誘拐とか懸賞金を

かけてとらえるといった西部劇テイストの話が出てきます。

西部劇の英雄のワイアットアープも賞金稼ぎの賭博師でガンマンであり、

その銃の腕を見込まれて町の依頼で保安官になった民間委託の無法者です。

一説には毒を以て毒を制するという町の実力者の政策であり、それが

後に正義の伝説にすり替わったということですが、似たようにことが

西部という時代には多くあった事でしょう。問題はそれを正しいことと

信じ込ませるように西部劇には必ず正義がなされ悪の原住民や無法者を

駆逐します。それが正しい正義の国アメリカの歴史のよう。

スターウォーズでは共和国制度から突如強大な権力を持つ独裁政治

が現れてそもそも多くの意見が衝突する共和制では人々の望む安定と

平和が得られないという失望から圧倒的な専制性を一人の人間に認めて

しまうという民主主義の限界を示すような歴史の流れを見せるのですが、

そもそもの主人公自体がその滅びゆく世代でありヒーローであるという

なんとも危うい展開なのです。

チャンバラと不思議な術を使うジェダイマスターこそが正義と平和を

悪の帝国から救うという単純な正義と悪の戦いなはずですが、今現在

自由平等基本的人権を共有する西側先進諸国が圧倒的正義の国として

悪のタリバンとかイスラム国などのテロ国家はもともと独裁的な支配者の

国を西側諸国がことごとく破壊し民主化をなしたとしているもののその

後訪れた混乱は地元の人たちからすれば暴力と破壊の連続でまともな生活が

望める国ではなくなり、国を出るしかなくなる人々が続出したのです。

故郷をなくした人には誰のせいという考えは当然怒り矛先には米を先頭と

した世界の体制に向けけられるでしょう。ソマリアでは実際に生きるために

本来の沿岸の漁師から身代金目当ての海賊になり、もともと武器など持たない日本の

船など実に良い標的となり彼らの活動源ともなっています。

西武の平原を武力で原住民を追い出し開拓して行った今までのやり方と

何ら変わらない現在の世界での振る舞いといえるでしょう。

『ホンドー』でアパッチに向けたジョンウェインの台詞が消えていく生き方だ

というものです。今のイスラム原理主義の人たちもその消えていく生き方の人たち

なのでしょうか。スターウォーズで共和国から独裁者が生まれるとき、それと

協調した勢力に通商連合という一団がいます。この人たちは海賊や賞金稼ぎの私軍から

財産を守るのが目的で戦いはそもそも望んでいないという設定です。それが逆に

シスの帝国に組み入れられていくのですが、映画で解らない独立星系連合とか

インターギャラクティク銀行連合などが軍事力を持ち帝国に組み込まれている

となっていますが、現在の銀行団や企業グルーブが西側先進国の集団と酷似して

いると言えます。

 

こうなるともう今までの西部劇では我々も納得して安心してみていられないので

『ミッションインボッシュブルホールアウト』では新しいテイストが加わりました。

それはどんな困難なミッションでもこなすスーパーヒーローの特殊武器が最先端の

技術に裏付けられた秘密の武器と優秀な仲間だけでなく、それより仲間を大事にする

という安定感と安心感を見る人たちに約束したことです。

例え任務を危うくしようとも味方の命を最優先にする優しさがあるから存在意義があると

する新志向が導入され『ローンサバイバー』で部族の掟である「パシュトゥーンワーリ」に従い

タリバンから救われる話とも共通していて、そもそも海兵隊にある仲間を決して見捨てないという

信頼感があるから任務に命懸けで臨めるという根底のものと似ています。これは愛のため愛する祖国

愛する家族のため戦うの言い換えに過ぎません。

さて、そんな考察をする中、昨日はどうにか昨日歩いた距離をずっと膝をだましだまし走り切り、

歩きにはない爽快感を感じました。不安はこの膝痛がバスケ練習の11日に起きたことでそれが

今まで続いているという不安と不快は如何ともしがたく、納得いかないしつこさです。

まあゆっくりごまかしながら付き合うしかないのでしょうか。

今やるべきことは月末事務などいつもの定例のごたごたと夏の整理です。

ここのところのマンデリン研究で溜まった焼き豆がありますのでこれは

吉田道の駅に出品します。どうぞご堪能ください。

 

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あの復活は夢か

2018年08月22日 09時41分35秒 | 珈琲

昨日一昨日は一度寝入ると朝まで目覚めないという理想の

眠りでした。

 

一方夜のランニングは、昨日は途中から膝痛で走れなくなり

その前の晩は腹痛と膝痛で最後歩くという満足なランニングが

できてないという不完全な精神的にも敗北感の募る感じになって

いるのに夜はぐっすりと眠れているという反対の現症にやはり

ここは少し休養が必要なのではという感じもします。

 

昨日触れたマンデリンの可能性について検証もかねて今日は既に

二杯のマンデリンをいただきその思惑通りに進んでいるかのような

ちょっとした刺激を受け今後の計画を練っています。

 

これから秋の七草の時期になり、野にも風情のある花々が咲きます。

 

夜走っていると花の香りはないと前に書きましたが、しかし、それらの

植物の作り出す夜気を包む空気感は独特のものがあり、その日その日で

変わるのです。

 

ですから、そのためにも毎日走りその違いを直接肌に感じる必要性を感じ

またそれに出会ってどう思ったかを日々綴り珈琲に持つ時間として日々

今ならこの味を提供できると思っております。

 

今マンデリンに感じるフルーツ感の変化というのが実に今味わうべき

ものであり、それを際立たせるには今までの深煎り一辺倒に踏み込む

時期を見極めて浅煎りにシフトしたいために今毎日飲み比べております。

 

そして、それがされる時、季節のブレンド林檎』ができるときでもあります。

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マンデリンの可能性と次期季節のブレンド

2018年08月21日 09時51分15秒 | 珈琲

いつもは見ない高校野球も今回に限りなんと面白い展開なのかと

そして、なんて世の中が見たがる展開に筋書きをいくら作ろうともこうは

行かないだろう劇画調の構図になりました。

 

毎日連続で一人で投げ抜くというおおよそプロ野球の世界ではみられない

過酷なトーナメントという形でそれに本来のアマチュア性の高い公立高校が

勝ちあがるというまさかの展開もさることながら、速球でバッタバッタと

三振を取りまくるという速球本格派の印象を与えるような報道の中実は

その日その日の出来やら自身の特性をうまく見極めて巧みにかわしている

姿が見て取れそのすごさが投げるたび勝ち進むたびに感じられるという

ただ単に力で押すばかりでなく、抑えている姿に目を離せないものを

感じるのです。

 

私自身はせっかく涼しくなってきたのですが、毎日のランニングも膝痛であまり距離が伸びなかった

りで本来の走りができないためか夜の眠りも今までのように深く朝まで

目覚めないという理想の形とは違い何度も起きてしまうことが続いていました。

 

その話を家人にすると何度も寝入れるんだからそれはすごいとほめてくれました。

普通は起きてしまったらもう眠れないんだからと。

 

へえそうなんだと感心してその話を聞いたものの、三時ごろ意識が切れたように

昼寝してしまうことがあることなどを考えたりすると睡眠時間が長すぎないか

とも思えるのでした。

 

さて、ここのところ来店される方は涼しくなり、珈琲を飲んで帰ることも多く、

この夏の思い出とか自身の休暇の話をされて行くことも多いのですが、とりわけ

祭りの話でどこの祭りに行ったというものが多いようです。

 

しかし、昨日書いたように秩父は祭りがとても多く、それなのにさらに町内会では

納涼会などという飲み会のようなことをしているわけでなぜそんなにバーベキュー

やら七輪を囲む必要があるのでしょう。さらに他所の祭りまで見学に行くという

もうこれは病気なんじゃないかと。

 

なぜ上高地のホテルでただボーとして過ごしたよとか水上の温泉で湯治していた

という時間の過ごし方は思いつかないのか人混みやインスタ映えばかりに集まる

なんとも熱心な活動家ばかりです。

 

そして多くの人が指摘するどこどこのカフェにも行ったがまずかったという

カフェ巡りの成果などです。

 

食べ物はネットにアップ済みで味についてのコメントはなく、ただ名物とか

何々で有名のという有名狩りの旅なのです。

 

自分なりの時間を過ごした妻の実家に行ったとか田舎の墓参りなどは人に

話すことではないのか、自分なりの旅もまた人に見せたり話したりするもの

ではないのでしょう。

 

そもそも旅とは昔から草の中で寝たとか草の器で食事したとかいつもと違う

様子を歌にしてきました。

 

松尾芭蕉も馬の小便の音に悩まされた歌を残しています。

 

自分の故郷に行った人が何十年かぶりで会った中学の同級生がひとめで

誰か解ったという話をした人もいました。

 

これは実に興味深く、故郷の喫茶店が今でもやっていて同じコーヒーを

飲んだという話もありましたが、同じ味だったかの報告はなく、同じ

時間が同じように流れていると興奮して話す方も来月の季節のブレンド

の味には興味がありどんな味か聞いていました。

 

これは特徴的なブレンドでいつもファンが多い『林檎』の特長である

香りの話をしないといけません。

 

今年訪れた春の長野ではいつもは雪の下で見られないリンゴ畑を

抜けてスキー場に行き、その木が花をつける様を想像できました。

 

この夏多くのアイス用の豆にはマンデリンが使われて春に言われて

いたマンデリン不足もそんなに影響なく乗り切りましたが、この豆こそ

これから季節が移り変わっていく時に飲み続けていくとその変化と受ける

感覚の変わり方にも実にいろいろと感じさせてくれるものはありません。

 

それを感じることが夏の終わりを語るもろもろの変化を受ける時であり、

記憶に留めたいひと時です。

 

それを感じた時、夏の温泉地や高原のホテルでぼんやりしたことも重要に

感じられるでしょう。

 

このマンデリンを飲む楽しみを実はこれから休みでとある場所にひまわり

の群落を見に行く楽しみがあると話した人がいました。その告白はマンデリンの

変化の期待と同じようなものだと明かしてくれました。

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祭り好きな人々

2018年08月20日 11時55分21秒 | 珈琲

土曜日曜と市内を夜走ると色々と人々が集まるところが目立ち

何かと思えば各町内会で主催されている納涼大会なる催しでした。

 

そうでなくてもこの旧お盆の辺りは夏まつりが多く、いつも花火が

あがりにぎやかなのにそれが終わりまた各町内会でテントを張って

やっているのは七輪で肉を焼いて食べていたりと飲み会なのです。

 

そうでなくても市内に開店する店は皆ホルモン焼きの店とどれだけ

みんなホルモンが好きなのかと思う現象です。

 

私の家はかつて秋葉神社の隣にありましたが、夕方駅に父を迎えに行くと

そのあたりには肉を焼く煙で道が煙で見通せなくなるほど焼き鳥屋や

ホルモン焼きの店が一斉に煙を吐き出しその周りに野良犬が狂ったように

集まるというのが日常の風景でした。

駅で見つからない時には近くの酒屋で角打ちしている父を見つけ連れ帰るのが

役目でした。

酒屋のおじさんはよくつまみのチーズや裂きイカ、ピーナッツなどをくれました。

 

この酒屋のおじさんは将棋友達でもあり、よく家に将棋をやりに来ても

いました。

 

各家庭に風呂やテレビがなく、町が社交場のような当時は夜が長く、縁台で

夕涼みする人やとかくと人々の交流が街角にありました。

 

テレビゲームもアニメもなかったけれど子供たちには多くの楽しみがあり、

七夕飾りをしたり、町内会で地域揃って川に行って納涼会をしたりと

色々と楽しみと冒険の日々だったように思います。

 

そうすると未だに納涼会などといいつつテントを張って酒盛りをしているのも

当時の名残なのかという感じもします。

 

ただ、商店街のイベントとかかつての七夕祭りの風情も今はなく、地域の

発展とはとか地域振興と地場産業の活性化などいかにしていけばいのか

非常に不透明でこの先の地方の在り方は問題を感じるのでした。

 

急に涼しくなり夜走るともう秋の虫が鳴いています。

 

そして、ユリの花やくちなしの代わりにオシロイバナがまだかろうじて

香っていたり、ダリヤや百日紅といった夏の花々は昼間はきれいに咲いて

いるものの夜にはその香りはなく、空には武甲山の上にさそり座が怪しく輝き

火星金星も明るいという夏の終わりの静かな夜でした。

 

涼しくなると珈琲を思い出したように買い求める方もいてそんな方々の

好みははっきりとした夏の珈琲よりいつものブラジルが好みのようです。

それも何の変哲もないブラジルサントスにうま味を見出すかと思えば、

イエローブルボン日陰干しなどの質の高い豆を求めたりとそれぞれの

好みがあるようです。

 

ブラジルも色々とあり、ガツンとはっきりした濃い苦いのもあれば

肩透かしのようなすっきりとすんなりしたものもあります。

 

久しぶりに珈琲を飲みたいという気持ちにやはり一番合うのは基本的な

味を備えたいつもの味という事なのでしょう。珈琲の時間がまた

長くなります。

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膝痛と復活の夜ラン

2018年08月20日 09時45分05秒 | ジョギング

普段は高校野球など暑苦しくて見ないのですが、プロでも

通じるピッチャーというプロの人からの評価を受けてどれどれと

いう気持ちから話題の金足農業の試合を見ました。

 

最初は横浜とのベストエイトをかけての試合でした。評判のわりに

ヒットを打たれるわ、またフオァボールもだすわでそんな印象もない

まま4-2で八回で勝負あったと思いニュースを見ていたらなんとそのあと逆転から

スリーランで逆転勝ちしていたのです。

 

なんなんだろうこの勝負強さはという印象の後、準々決勝近江との対戦でこれは

投球内容から球筋から球種まで注意して最初から見ました。剛速球投手の評判ながら

打ち取るのはスライダー等の抜いた球で打ち取るケースが多く、速球で三球三振と

いう感じではありません。

 

なので、その伸びる直球も今まで左打者の内角でのウィンニングショットもヒットされ

フォークボールなども投げるなどその苦心の投球内容が伺われる内容でした。どちらの投手も

八回の近江の二年生投手も最後の選手を三振に取ると珍しくガッツボーズをみせ、九回

吉田君も連続10個の二けた三振を取りガッツポーズを見せ最後の九回裏最初の打者がヒットで

でると魅入られたかのように近江はノーアウトでランナーだしてしまいます。この三塁を

踏ませたことですでに勝負あったという印象ですが、まさか最後がツーランスクイズだった

とはことごとく劇的なシーンが付いて回るこの試合に今までにない高校野球の魅力を

みたようでした。

 

34年振りに準決勝進出を果たした金足農の試合にその34年前に逆転負けをしたPLのその

決めた逆転フォームランを打った桑田が始球式をするというなんとも因縁めいた開始と

なりました。

 

そんな今までは見もしなかったゲームに今年はなぜか楽しんでいるという自分に

不思議なものを感じつつ、昨日は先週の土曜日のバスケットで痛めた膝が夜の

ランニングの度に痛くなり、先週は満足に10K走れずに短めにしたり雨が降ったら

休んだりしてしまいました。それでも昨日は走り出した時には膝痛はなく、やっと

治ったという感じで今までの夏の暑さも消えた夕方ひさびさに明るいうちに走り

だしました。

 

いつもは7時過ぎの星の出る頃はしりますが、これが家族には不評で早く走りに行けと

催促されます。ただ、これは暑さが残る日が沈まぬうちに走ることにもなり、さらに

帰宅ラッシュ時で道路が車や人で危険な為なるべくなら暗く静かになってから走り出し

たいのです。

 

昨日は夕立もなく夕方でも涼しく、久しぶりに明るいうちに走り出したのですが、

そうするとあちこちで散歩の人とか近所のひとがあいさつしてきてこれはこれで

走りづらいのでした。

 

それでも今まで困難にしていた暑さと膝の痛さがないだけで久しぶりの気持ちのいい

走りができました。久しぶりに10Kフルサイズ走れそうだと思い後半に入り、国道を

渡りました。もうこのころには真っ暗になっていましたが、以前快適に走れスタミナ的にも

リズムも元のように戻ったと思われた最後踏切を渡り、最後の直線の2Kこれは自宅まで

緩い下り坂とも感じられないほどの勾配があり、自然さいごのラストスパートになります。

とそこに後1Kのところで前にランナーが現れました。

 

ここで通常ならスイッチが入り追随して相手のペースを探り追い越せるかどうか判断する

のですが、そう思った瞬間鋭い膝の痛みが出て歩幅を狭めて痛みが出ないように小さな

フォームで様子を見なくてはいけなくなりました。すると前のランナーは距離が縮まらず

通常なら抜かせるはずなのにぬかせないという今までにない状況に自分の走力の衰えを

感じるのでした。

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夏にすることで今年はまだしていないこと

2018年08月17日 09時40分10秒 | 日々のこと

夏のドライブと夏の避暑地探訪、温泉へ避暑など

通年だとお盆前にやっていることが今年はそれすら頭に出てこない

そんな暑さに沸騰した夏でした。

 

冷房を利かして昼寝と読書もしていません。

 

夏というと文春に芥川賞受賞作が載りそれを読むという習慣から

自然、雑誌のカラーページを見て旅行とかグルメとかに誘われていた

のです。

 

それと同時に終戦を意識した安倍首相好みの記事や主義に彩られていて

そういう偏った傾向ながら日本の代表する小説の賞を主宰する権威ある雑誌だから

これが日本の標準なのかと勘違いする向きもいるのではと訝るけれど実際世の中は

そんなに人は小説など読んでいないし、せいぜいスマホの画面のメールぐらいしか

読み解くぐらいの集中力しかないのです。

 

さて、そんな文藝春秋に刺激される夏が今年はまだ雑誌を手にしていないことや

暑くて外に出かける事すら憚られる気温に夏休みらしきこともない今年ですが、

昨日の夜からその暑さにも変化が現れました。

 

午後から散発的に雨が降り、さらに夕方には本格的に降り出して、早々に

走休日を決め食事に外に出ることにしました。

 

せっかく涼しくなったのに走らなかったことにより寝つきが悪く、また

何回も起きてしまいました。

 

今朝も涼しい風が吹き夏の終わりを意識させる朝でした。

となると今年まだやってない夏の定番が気になったというわけです。

NHKでは満願という米澤穂信原作のミステリードラマを三夜連続

でやっていて夏はミステリーという雰囲気で楽しみにしてみたのですが、

見終わってあれっとなることの方が多く、そもそもミステリーというと

クリスマスに新作を発表するというアガサクリスティーの例に倣い、

スカ―ベッタの新作が今では発表されるなど冬のイメージだなと

改めて思うのです。構造的に納得できないドラマ構成など虚構的な組み立てに

難があると思わせてしまう基本的な部分で欠陥が最初からあったのではと

感じるのでした。

 

 

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夏はミステリーとうどん食

2018年08月16日 10時40分15秒 | 珈琲

昨日はお昼にうどんを食べに行きました。

 

この時期夏のドライブとお昼は水沢観音のうどんというのは定番で

よくおこなうことです。

 

ですが、今回は地元のうどん屋さんでした。

 

驚いたのは昨日走りに行き、いつものように風呂の前に体重計に乗ると

最近減少傾向の体重が一挙に増加していたことです。

 

炭水化物の効果たるや直ぐにエネルギーになるのでここぞというときの

栄養食として頼りになります。

 

とかく西洋だとステーキなどの肉食でそのエネルギーをとり、肥満も

この肉食による脂肪過多体と言われています。ですが、現実には清涼飲料水

やシリアルに含まれる糖質により、彼らは多くが肥満で糖尿病で心臓疾患を

抱えているのです。

 

それで最近は米のスーパーでも日本食がブームであり、味噌の量り売りがされるなど

だいぶ日本食が浸透しています。かつてはアメリカ人が嫌う第一の食品が豆腐だと

されましたが、今では豆腐も納豆も普通にスーパーで売っているという事実にその

変貌ぶりがうかがえます。

 

逆に日本人はコンビニ食が浸透し、かつては国民の半分の家庭で毎日だしをとると

いう文化も失われ味噌汁も飲まない人が増えています。

 

料理自慢の一泊三万円以上もする旅館でも椀物が出汁をとったものでないことやワカメ

が生の物でなく乾燥の増えるワカメを使っていたりします。

 

この様に味の劣化は至る所にあり、まして旅館やホテルで飲むコーヒーと言ったらそれは

それはひどいものになっています。

 

それでもウェルカムドリンクがコーヒーだったり滞在中コーヒーが無料で飲める

宿などコーヒーを売りにしている宿泊施設は多くあります。

 

ただ、それがとてつもなくまずいのです。

 

それでもそれがサービスとして受け入れられているという事はいかにそれが

まずいのかを一般の人々が感じていないからだと思われます。

 

特にいつでも一杯づつボダンを押すとその都度豆を挽いて入れる自動販売機とか

コンビニにあるようなベンダー機器のコーヒーがまずいということに気が付かない

とはどういう事でしょう。

 

なかには私どもと同じ豆屋の店でもそういう一杯づづ淹れる機械のおいてある店も

ありますが、そういう店はハンドドリップの力とかおもてなしとかより機械の力を

信じている、自ら味は解りませんと発表している店なのでしょう。

 

そんな恰好ばかりがもてはやされたり、味が忖度されない時代でも解る人には

しっかりと支持されてという現実があるのでやめないでやっているわけですが、

最近の昔の店がなくなる街並みを見続けると味の理解などという少数派は寿命

いかばかりかということを考えなくてはならない夏の日でした。

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