二日目の草津は、朝飯を食べ早々にゲレンデに向かうと同じように風と雪で、リフトも三本しか動いていませんでした。それでも下のリフトで誰も踏んでいない雪を滑ったりして何本か滑った後に青葉山レストランでお茶をしながら青葉山リフトが動くのを待ちました。というのはリフトを動かしたり、パトロールが何やら準備に動き回っている気配がしてこれは昨日と違いここもオープンするんだと思ったからです。同時にロープウェイも試運転を始めています。とすれば、ここでのんびりお茶を楽しみ開くのを待つのがベストの選択です。同じようなことを山頂の駅でもして、今度は本白根ロマンスが開くのを待ちました。この時は早いお昼をとり、食べ終わるともうリフトが動いていました。これが動いてより回転がよく本白根を滑れました。ただ、昨日はほとんど滑る人がいない状況だったのが今回はリフトが動いているのでやたらとこの本白根の壁に人がやってきました。そして、ほとんどが途中で雪にはまり動けなくなり、刺さっているのです。こうなると滑る範囲が狭まり、とても昨日のような感覚では滑れません。私の板なんかよりはるかに深雪向きのボーダーも止まってしまったために滑れずにはまったままになる人が多く、スキーヤーと違い彼らは立ち上がるのにストックがないので余計長く雪にもがくことになります。そんな状況ながら不思議に思ったのはスキー教室の教師と生徒のペアのボーダーが私の前でリフトを降り、本白根の壁に向かったのでどんなレッスンをこの斜面でやるのかと興味をそそりました。というのはこのようなコンディションではただ真っ直ぐに滑るだけしかできなくてテクニックもレッスンもあったもんじゃないのです。もし、斜面の途中で止まろうものなら板が沈み身動きが取れなくなるのです。となれば、先生も斜面の出だしで滑り方を教えて下まで滑っていかなくてはならず、途中でアドバイスや指示はできないのです。そして、生徒が滑ると案の定途中で雪にはまり止まってしまいました。もちろん先生は助けに下から駆けつけることもなくただ降りてくるのを待っています。そんな脇をこちらは三回降下してやっと脱出したなと思ったら次にまた私の前にその二人がいたのですが、さすがに違う方に行くのかと思ったらまた同じ壁に向かい、また途中で生徒ははまりという繰り返しをしたのです。こんなので何か教えることができたのかとても不思議なレッスン風景に私には見えました。つまり生徒にこの斜面が降りられる技量がないのになぜ繰り返し雪に埋まる苦行をさせたのかということです。他のスキーヤーにしろボーダーにしろ同じようなもので、何人もの人が斜面の途中で埋まって身動きが取れない様子をみたらこの斜面を迂回するなり引き返すなりすればいいのに、何を考えているのか次々に雪に埋まる人が後を絶たないのです。これは何も技術云々でなく、ある程度新雪の経験があればただ勇気をもってまっすぐに滑り下りれば誰でも下まで行けますが、一度板を横にしたり止まってしまったらそのままずぶずぶと雪に沈んでいくという経験が待っており、下手に倒れこめばそのまま雪に埋もれてしまうというさらに悲惨な状況になり、経験がなければパニックにも陥る事態になります。ただ、深雪というのはこの雪にまみれるという体験も新鮮で楽しいので、傍で見るほどの深刻さは彼らは感じてないのかもしれません。ただ、人が増えると昨日ほどの楽しさもないと感じて一旦青葉山まで降りてそこでリフトが終わるまで滑ることにしました。雪が多く降っている割に各斜面の雪付きは悪く、どこもブッシュが出ていたり雪質的には楽しさはイマイチでまたあのいつものさらさらした雪の感覚は次回の楽しみだと感じつつ初滑りはあっという間に終わりました。
政府の働き方改革といいつつ、年末年始と旧お盆とゴールデンウィークとに集中する民族大移動をみると何も変わっておらず、何の改革もできていないことを知ります。驚くのはこの繰り返される渋滞を見て喜び、それに参加すると称してラジオなどで中継までしています。つまり、混むことを喜んでいるわけです。私はまるでそんな向きとは逆で人が群がるところよりひっそりとのんびりする方を選びます。昨年、年内の草津は行かないという教訓を得たのにもかかわらず、今年は寒波やら爆弾低気圧やらが早くやってきて昨シーズンは風で止まることの多かったリフトやロープウェイも今年は頑張ってるらしく、早々に本白根の壁さえオープンしたというのをネットでみると昨年の教訓は一旦おいてとにかく行かなくてはという気にさせました。というわけで予約したのはひとりでも予約できるホテルでいつものヴィレッジよりスキー場に近い森の中のホテルということでした。ホテルのサインに見覚えがなく名前もあまり聞かないもののいつでも予約できる感じのホテルで昨年失敗を踏まえつつそのコスパが高いとする森の中のホテルというのにしました。予約は二日前とぎりぎりでしたが、まだネットからいくつか選択肢があり、ひとり利用も以前より利用しやすくなったかという感じです。天気予報は寒気がやってくるので不要の外出は控えましょうなどと言っていましたが、私が望む本白根の壁に立つという希望は叶いやすい環境がたったと言えます。宿を予約してからスキー場のホームページを確認すると風によりロープウェイは止まっています。しかも天狗クワッドも動いておらず、本当に緩斜面のリフトしか動いていません。とはいえ、なぜか昨年とは違うような思い込みを抱きつつ、ロープウェイが止まっていても最初からあきらめることなく、二日券を買い二日とも滑るつもりでした。昨年は最初の日に下のリフトだけであきらめて雪道をドライブして今までにない草津の過ごし方をしたのですが、今年はスキーと温泉に徹すると最初から決めていました。朝出かけるときに風が強くこれは危険水域だと感じましたが、かまわず出発するといつもの通り上里サービスエリアで色々と情報収集とクーポン券やらを仕入れあとはひたすら草津を目指します。八ッ場ダムの辺りから雪が舞いだし対向車は雪を積んだ車が多くなります。ほどなく吹雪状に降り出し、道路は圧雪状態になりました。駐車場はかなりの量の車で埋め尽くされ、でも昨年から比べればまあまあかという感じの込み具合です。いつものところに止め、滑り出します。かろうじてお昼前に滑り出しましたが、券を買うときにロープウェイが動いているのは確認しました。ただ、クワッドが動いていないので次のリフトまで滑って移動となりロープウェイに辿り着きました。こんな吹雪状な状態ながらよく動かしたものだとうれしさとともに乗り込んだら、やはりゴンドラはひどく揺れこれはいつ運休になってもおかしくないととにかく滑れるだけ滑ろうと心して降りると山頂駅はまだ雪付きの悪い感じで本白根ロマンスは止まっています。となるとどこを滑ればいいのかと思いつつ、もしや本白根の壁はクローズなのかと確かめに行くとなんとクローズになっておらず、誰も滑った跡すらありません。しかし、堅い凍ったバーンの上に雪が積もるという状況で、そこをずっと雪が風で流されていくという厳しい状況です。体は移動でかなり温まっており、そこでゴーグルの中の水蒸気がすぐに凍り付き視界が極端に悪い中、念願の本白根に立つという思いはあっけなく果たされました。ただ、余りコンデションはよくないと予測して古い方の板サロモンデモテンを持ち込みましたが、保護用の手塗したワックスが雪に合ってないのが解るほど滑りが極端に悪い中、それがはがれるまで板は走らず、最初の壁滑走は一度回避して違う斜面から降りました。降りてしまえば繰り返し壁に行くのにロープウェイを乗らなくてはなりません。その効率の悪い回転を繰り返し、最終のロープウェイ3時50分までリフトのように乗り回しました。そうさせたのはベストシーズンの雪質とは違うもちっとした湿ったザラメのような雪ながら大量のまだ踏まれていない雪の壁がとても気持ちよく、いつものふわっとした感覚とはまた違う不思議な感覚でした。踏まれていない新雪は止まれば途端にずぶずぶと沈んでしまい、身動きができなくなり雪に埋まってしまいます。ですから、崖の様な斜面に臆せずまっすぐに突っ込んでただ板を沈めずに真っ直ぐに降りていく以外できません。これがパウダー用の板ならどうにかなるものの今回のショートターン用の曲がりやすい短い板ではただ板を沈ませないように浮かせて小刻みなターンぐらいしかできません。しかし、その意を決した崖の先には不思議な今までに感じたことのないような感覚が待っていてただふわふわというような生易しいものでなく、無重力感も体中の血が泡立ち全部脳みそに上がって脳内麻薬に変わったかのような快感の渦です。まるで、クンダリーニヨガにより覚醒したチャクラのごとく体中のプラーナが宇宙のそれとつながったかのような今までにない感覚でした。これはかつて八海山の深雪やニセコのどこまでも続く新雪などとも違うもので、今まで一番心地よい体験のように思えました。これが来月末くらいには雪が研がれたふわふわサラサラの上質なものに変わりまた心地が変わるのでしょうが、今回のモチモチとした感じの雪はそれはそれでその誰も踏んでいない降りたてを味わえたのでまさに奇跡のタイミングのたまものと言えます。動いているリフトも時間も短い間でしたが、これが滑れて本当に良かったと感じ、ロープウェイが止まるともう滑るところもないので下に降りると下のリフトも終了のアナウンスが流れていました。駐車場にも15センチくらいの新雪が積もり、車は除雪が必要でした。宿に向かうためにナビを入れると電話ではヒットせず予約した時に見た地図を思い出しつつ向かいました。電信柱に巻き付いた宿の案内を頼りに宿に着くとたったの三階しかないこじんまりとしたホテルで駐車場はガラガラでした。昨年は建物が五階建てなのにエレベーターがなく、名前だけホテルで中は寒くて値段は高級ホテル並みという感じでした。今回は同じ値段で、量は多いもののなんか冷え切った料理ばかりの宴会料理みたいでなんかサービスは整っているとは言えないものを感じました。いつもスキーと温泉の旅では宿にチェックインするときに浴衣のサイズとチェックアウト後の入浴について尋ねるのですが、今回も昨年と同様お風呂は有料ですと言われこんなけち臭いことを言われると全体の印象が悪くなるのにどうしてそういうシステムなのかと訝ります。お風呂自慢の宿ほどスキーの後も入ってから帰れと逆に勧められることの方が多く、別料金ですよというのはもう来なくていいと言われているのと同じです。そんなサービスながらあまり気分も悪くせずすぐに寝入ったのは全てあの雪のせいでした。
今まで年末業務と月末業務が重なり、棚卸と確定申告の準備等ずっと忙しい日々なのですが、かつては大掃除してあとは温泉とスキーの年末年始という過ごし方が多く続いていたのをもう自由業であるので年末の高いホテルに泊まる必要はないと気づき、年末の大掃除も何も忙しい時に大掃除することもないということに思い至り、毎月掃除するようにしてまとめて掃除というのはやっていませんでした。ところが今年はなぜか大掃除をまたやってしまい、昨年年末の草津にはいかないという教訓を得たのに今月16日にオープンすると今年は本白根の壁さえ早々に滑れるようになり、今年はなんかよいぞと思えてきて年内一度行こうかと計画し、また今年も家族の予定はつかないまま一人でホテルを予約してしまいました。すると寒波とか爆弾低気圧の影響で草津はまたロープウェイ運休が続き、そうすると今滑れるのは下山移動の様な緩斜面しかなく、これではわざわざ泊まって滑るレベルではないのです。それなのに年内は何の割引も受けられずというまた昨年と同じことをやることになりそうで、昨年の経験は何だったのかという感じです。早く風がやんで本白根の壁に立てるのを願うのみです。
バスケットの試合では40分ほどの運動ですが、普段とはまるで別の運動感覚で、しばし体のリミッターが外れる感覚が発動します。日々のランニングでは体中のデバイスに電源が入るような感覚があり、普段の省エネ的に休んでいる機能や器官などがいろいろと電気が通って覚醒したような感覚です。一時間も走ると体が温まり、夜走り寝るまでそのアイドリング状態が持続し、寒く無く眠れます。さらに体の免疫系も上がり、汗をかいて着替えずにいてヒヤッとしたらすぐ風邪をひいた以前の体より耐性があがり、めったに風邪をひかなくなります。バスケットボールでは、同じ運動ですがまた体に現れる効果は別で無意識に昔の10代に覚えた体の動きを要求し、体はそれに従い普段ならボールを追おうとしない局面でもダッシュしボールに手が出ます。そして。頭より体の方が局面に反応し、運動中にいくつものリミッターが次々に外れる感覚があります。こうなると当然運動中からあちこちが痛くなり出し、いつ足がつるかという感じになります。どちらの運動も欠かせない生活の一部です。これにより文化的にも精神的にもより健全でいられるという気がします。そしてこれから冬の季節にはスキーというまた欠かせない運動も加わります。これら非日常的体験が人間には必要だと思います。さて、今回そんなことを思いつつ、バスケットと協議会の年間行事もよいよ最後の練習会と総括を残し残務処理だけとなり、総会やら忘年会などをやるだけとなりました。そのちょっと前にまた地元ピアニストの音楽会もあり、今回は10年ぶりに平均律の全曲演奏という珍しいプログラムです。とはいえこれは二回目であり、録音した成果を発表したいということで
企画されたようです。そもそも平均律を全曲やるということでこのピアニストのリサイタルに通いだしたわけで、それも十年になるのかという思いとともにふと全曲全曲といいつつ実は第一巻しか聞いてないぞという気もしています。十年前は譜面捲りの人もいなくて本人が第何曲と言ってから弾いていて非常に珍しいスタイルで妙に感心したのを覚えています。ピアニストとはもともと孤高で観客が解ろうが居眠りしようが自分のやりたい演目をただ弾き切るだけというスタイルの人が多い中、かのピアニストは自身の曲の理解を聞く人にも求めるタイプらしく、事前に勉強会をやったりします。彼のゴールドベルク変奏曲なども詳細な勉強会とセットになっていたりします。彼の演奏を聴くのは彼の研究と研鑽を体験するだけでなく、彼の知的レベルと同様の理解を同じように体験してこそという教育的意欲がいつもところどころに出ていると感じます。一方聞く人の集中が持続しずらいクラッシックの音楽会でさらにバッハの平均律を全部やってしまうというとんでもない演奏をまたやってしまったというのも何かまた進化があったのか今現代フォルテピアノでやる意味とか聞かせるだけのものがあったのかいろいろと興味はあるものでした。今回は今何を弾いているというのをインジェクターで映し出して行うという今までにない方法で、これはこの前と違いスマートでより集中して聞ける良い方法と思いました。もっと色々な情報が画面にこのフーガがどうとか文字情報で出てきてこの前の勉強会の補完的な役割をするのかと思ったらただ何番目の前奏曲でハ長調とまでしか出ません。楽譜のページは前回同様自分でめくっていました。最近の演奏者はタブレットに楽譜を入れて自動的に表示させる人が多くいて舞台にページめくりがいる演奏会の方が珍しくなっているようですが、自身でめくる様子とか曲に入る間の感覚で、演奏者の思い入れというか気の入れ方が曲により違いが分かり、それはそれでライブ感があっていいと思いました。CDなんかだといつ次に行ったのか解らないくらいの間しかなく、どこがどう難しいかなんて聞く間もなく淡々と進んでしまいます。それが生だと演者の気合の入り方が伝わり大変聞く側にもその気迫と音の変化に気持ちが伝わる感覚が熱波のように伝わりしびれます。これが全曲通しで聞く効果かと思います。ところで今回隣の男性は真っ暗の中楽譜をずっと眺められていてかつてエティエンヌ バリリエの『ピアニスト』の中で演奏会の最前列で楽譜を見られるのがやでたまらないという記述があり、それをそのままやっている人を現実に見てああやる人がいるんだと思いました。これは何のために楽譜を見ているのか。演者が何か違う音を出しているかチェックのためなのか、それとも演奏法をこれで何かヒントとなるものが得られるのか謎です。そもそも楽譜がこの暗がりで見えているのかも解りません。よく演奏会のマナー違反として音の出る電子機器の電源を切れとか録音録画はやめろとか注意点がありますが、楽譜の持ち込みがマナー違反という話は聞きません。しかし、先のピアニストの中ではマナー違反になるからやめろという書かれ方をしていたように思います。演者に少なからず影響があり、他の聞く人の影響も出るということでした。つまり、プロとして他の演奏家に極秘のテクニックを盗まれるような気までするらしいのです。とするとみている人がいるとその極秘の装飾音も控えめになり、結果本来のパフォーマンスを聴衆は得られないとなり不利益だといいます。同じバッハでも無伴奏ソナタとパルティータ全曲のように派手で聞きごたえのある演目とは違い、いっぺんに演奏される機会は珍しくそれも全曲全曲と言いつつまだ一巻だけだったことを思うとやはり次は第二巻もあるのだろうかとふと思うのでした。それにしても最近はこのやりきりのコンサートが多く、アンコールなどがないのがちと物足りない感じがしました。
年末特有の各種行事や地域役員のしごとなど季節業務と月末の業務とに忙殺される中、年末にどうか一度スキー旅行がかなうかという一縷の希望をつなぎ朝新聞の中の記事で高速料金の割引記事を見ました。
珈琲を巡る仕事の中では、世の中のメッセージについて衝撃的な事件もあり、先行きの不安はとてつもなく大きくなっていました。なかでも味についていろいろと考えさせることがあり、コンビニ食事が当たり前となり、ファミリーレストランでの食事のようにレンジでチンしたようなものが料理として当たり前に食されている現状では、珈琲一杯に求めるものなんてとても頼りのないもので人々は何も思っていないということに愕然とするのでした。そんなものに心を砕き日々焙煎に力を尽くしている当方は人々の関心のない中今後ももがき苦しんでそれでも必要とするわずかな人のために日々努力し続けるのかという自己決着をつけるのになんともすんなりとはいかないものを抱きそれだけで疲れ果てるということが続きました。
さて、それでも昨年とは違い回数が重ねられないながらもどうにか年内一度はスキーと温泉に出かけられればという願いの中ふと今朝見た新聞にドラ割というネットで申し込む割引があるという記事を目にしました。この高速道路の割引というのはかつて通勤割引という大変スキー行には有効な割引制度があったのですが、それが廃止になったために平日にスキーを楽しむ人には大変な負担増となりました。そもそも冬の関越道の土日の慢性的な混雑状況をみれば平日にそれらレジャー利用者を増やして平日に振り分ける工夫が必要なのは必然で、先進国各国では冬のスキー休暇は当たり前でそのための社会システムも整っています。つまり人生の楽しみ方が本当にわかっているという感じです。現在温泉とスキーは海外の人の利用が急速に進んで現地の旅館では対応が進んでいます。ですが、交通など移動手段やその利便性を図り楽しめる工夫は進んでいないのです。昔ながらの補助金で冬のキャンペーンをして地域の特産品やリフト券の還元をするというものだけです。もっと地域貢献する仕組みとか地域の経済圏と直接かかわるような開発と雪と資源とのかかわりとその開発がこれから求められます。そんななおざりの毎年のキャンペーンを見るにつけ顧客に手間をとらせるだけで何の効果の検証もしてないためにデーターをとるだけのアンケートなど必要もない手間ばかりかけているのです。土日の高速の混雑だけ見てもどれだけの経済損出かどこをどう改善すべきかは明白で、アンケートなどで集計する必要はなく、繰り返し来ている人への利益還元などポイントカードなどという古い手法やカード会社へのポイント還元などというものも必要なく利用者へ手間をかけずに直接還元できる制度があるのです。それなのに高速道路のドラ割などわざわざネットでHPにアクセスさせて購入という手間をとらせて割引を与えるなんてことはそのシステム構築だけで大変な費用の無駄であり、それを利用率に合わせてどんどん還元して料金を下げ、さらに混雑緩和に努めて利便性を上げるべきなのです。そんな毎年感じる文句をまた今年も書いたのはドラ割でもしかしたら通勤割引に匹敵する割引ができたのかと期待してみてわざわざ見て損した気分になったからでした。
前作から意外と早い新作の登場でどんな展開かと思いましたが、世間の評判とは裏腹になんかこの戦いを続ける意味があるのかという疑問がただ沸いただけです。前作でもそれは感じたことで、あのデススターなんてずっと作られては破壊され最終兵器の完成が戦争の終結になるはずが、ゲリラ的戦いで破壊に成功しめでたしめでたしで終わりにしておけばいいものを受けて金が儲かるシリーズになったために素材をさんざ使いまわしてできるだけ引っ張ろうというものを感じてしまいます。昔は気にならなかったSF的失敗ももともと宇宙にファンタジーを取り込んで時代錯誤的チャンバラを宇宙で行うというシステム上ストーリー上の無理とかテーマとかどんどんないがしろになってきている感じもします。この帝国の立ち上がりというのはそもそもナポレオンの自ら皇帝を名乗って帝国覇権主義に走り他国を侵略した歴史に触発され民主主義が高度化すると人々は何も決められなくなって強力な強権による統一を求めるというかつてたどった道を宇宙を舞台に人の習いを描きつつそれに否を唱えて立ち上がることができる人の素晴らしに姫と騎士という古きものを持ち込んでロマン的に仕上げた冒険活劇なわけで、それがディズニー参入でならず者のハン・ソロとお姫様の恋と三角関係などの恋バナはとれなくなりその子孫が繰り広げるものに新しい対立や勢力構図など新機軸もなかなか盛り込みずらくいまだにまだ戦っているという展開を新しい構図に入れない第二作としてこのまま終盤に行ったらますます戦い未だ終わらずの展開で終わりそうでテーマもへったくれもない作品になってしまいます。そもそも帝国軍は何のために宇宙支配をしていこうとしているのかもはやわからず、物語に必然や暗黒面に支配されるということの意味ももはやなんだか分からないのです。カイロレンを暗黒面から救い出し寝返らせることができると信じて会って説得を試みるレイによりファーストオーダースノークを倒すことに成功カイロレンはレイと組んで新たなファーストオーダーを作ろうと迫るのですが、もし、戦いを終わらせる、もしくは政権の変更が可能なのはレジスタンスとしての戦いよりもこのカイロレンとの協力こそ一番の近道であり、本来の暗黒面から解放も可能だったのではないのかと思うのです。もともとルークスカイウォーカーはなぜ隠遁生活になり、最後フォログラム戦いに何をなそうとしたのか全く意味不明であり、フォースの覚醒でどう何が覚醒したのか島の暗黒面で何を見て何を確信したのか、自身の過去の秘密と向き合ってどう変わったのかという面でも説明とか必然とか描き方に魅力として伝わってこないのです。そもそも魅力的な登場人物が少なく、みんな学芸会の様なスター性のない人々の起用です。かつては王族の血族と一般の奴隷の人とその転身など聖書に出てくるような人の配置で物語の組み立てが出来上がっていたのに今回は脱走兵に整備係と無謀なパイロットとみんな必然のないところにスポットが当たっていてなんのために戦っているのかも今やわからないのです。物語に魅力はないけれどやはりかつてのスターウォーズで受けた衝撃そのままにあのワープ航法の映像やライトセーバーで戦ったりの衝撃がまだあるので見てしまうというブランド効果のみのような感じです。それに、ディズニー、JJエイブラハム、ソニーといった最強布陣で面白くないはずがないということで成り立っている映画だと思います。あと一作も結局面白くないから見ないとはならないのだろうと、公開されればまたみてしまうのだろうという映画でした。
20世紀という時代には人類未踏の土地がまだあり、冒険というのが普通に行われていました。今でも未開の土地はたくさんありますが、人が住まないのは生活が成り立つか否かという問題だけではないようです。トランプ大統領は月に基地を作る大統領令に署名し話題になりました。また、月が人類の住まいになる可能性が出てきてホーキングの人類は宇宙を目指すべきという言葉とともに宇宙開発が加速する勢いです。しかし、地球以外に人類生存の条件は厳しく、宇宙船の速度や放射線などあまりに課題は多く、それを度外視してなお危険を冒して他の星を目指さなくてはならないのか。これは16世紀から大海を渡り他の土地を侵略した行動をさらに拡大するようで、さらにこの星をよく住もうという思想でなく、将来のため他の星の生活を目指すとする科学者の意見など何のためなのか意味が解りません。ジョージマロニーの有名な言葉と彼のミイラがエベレストで発見されるも登頂が果たされたのかは不明であり、何のためにという問いはだれしもまた彼に問いたいところでしょう。結局のところ20世紀に果たされたことは月へ人類を送り、エベレストに人が到達し、極点などにも人類が行くようになったものの、そういう言葉の事象があの円谷幸吉の遺書を思い起こさせるのです。私がその印象を強くしたのは『駅ステーション』のシーンで流れたことでその人生を改めて知ったことです。東京五輪は強く印象にあり、華やかな栄光のシーンとして華々しい舞台というものが、実はそこに上った人の人生は悲しい物語が実に多いという現実も強く思い起こされるのです。マラソンといえばアベベですがその陰でメダルを取った日本人として有名になっても過度の期待に押しつぶされたり、アベベのように事故で人生が変わってしまったりと栄光と光に包まれて輝き続ける人は実はまれで栄光を追う人は所詮影も強く味わうという現実を見るようです。そんなことを思うと普通の平凡な人生の実に幸福に満ちていることに毎日の珈琲一杯に贅沢と感謝を感じずにはいられません。珈琲を知ることは人生を楽しむことの第一歩かと。
この年末というあわただしい独特の季節を迎えるといつも思うのは人に合わせていつもはやらないようなことをして失敗を続け、やっと自分なりの過ごし方を見つけたのが昨年のスキーと温泉の旅を増やして年末年始は休まないというスタイルです。いつも大掃除などして汗をかき喉を傷めて体調を崩していましたが、ランニングを日課とするようになりそもそも風邪をひかない超人体質になったものと過信してノロウィルス以外はもうかからないと思っていたのです。しかし、ノロウィルスが罹患するのならインフルエンザも当然罹るわけで体力云々は関係ないのです。そんなわけで年末の大掃除などはわざわざ寒くて忙しい時に掃除する必要はなく、暖かい時にやった方が効率もよくきれいになります。そんな人と逆をいく自信と自分なりを確立してこそよい年が迎えられるという根本的なことに気が付いたここ数年です。
ですが、なぜか今年はいまだスキーに行く機会もなく、今日はお客様が途切れた隙に大掃除までしてしまいました。いつも手が届かない高い窓などを掃除すると明るくなった居間の空気になんとも言えない幸福感が漂います。
まだ年末の在庫整理や帳簿関係という膨大な仕事が残っているもののなんとなくひと段落が過ぎた感もあり、今年いろいろと変化を楽しんだインドネシアの珈琲を楽しみます。
深煎りにして最初の一日目は苦みが強く感じましたが、二日目にはそれもなくなり、昔親しんだカンロ飴の様な味があの色とともにイメージされ広がります。年末と年始を大事な人と過ごすには何とも似合っている珈琲です。ここ一番にはこの味というものを持っている人はその時の過ごし方の達人です。そんな定番の味をお届けしお役に立てればと思うのでした。
トヨタは中国で電気自動車を売り出すと発表し、2025年までに全車種を
電気自動車化するとしています。
脱炭素社会とか脱化石燃料化という世の中の変化はより身近により近未来の出来事と化してきています。
そんな世の中の変化とルールの変化に日本は取り残されているようで、未だに石炭発電の火力発電所を輸出するとしています。
異次元の金融緩和で円安にして輸出企業や大企業は景気拡大の恩恵を受けていて一般の人々は長時間労働に低い賃金で離職率が上がり求人倍率は上がっても誰もそんな仕事に就こうとせず数字上の景気拡大が続いているのです。
秩父の現状はもっと悲惨で高年齢化と過疎とさびれる地方の実態をさらしています。
それなのに交わされる会話には秩父は今観光客が増えて景気がいいでしょうとか祭りの湯がにぎやかだとか土日の道路の混雑とか活気があるかのようなことが言われています。
しかし、それらは実体経済の動きを知らない人たちのうわべの見方です。
確かに駅や市役所は新しくなり、道も広がりいろいろと投資が進んでいるように見えるものの実際には人口がどんどん高齢化し一人暮らしのお年寄りばかりがいる旧市内や耕作放棄地が増え野生動物がすぐ身近に現れるようになっているのです。
これらは実体経済に合わせた政策や具体的な処方箋がなく、見た目の豊かさだけという日本の現状の危うさを表しています。
毎年過去最高の予算を組みその35%が国債によるものであり、それがずっと続くという借金財政でこれが火種とならず国際問題にもならず何かあると比較的安全な通貨として買われ続けるという不思議な現象がもう何年もつづいています。
テレビを見れば日本のおもてなしとか外国人が日本の文化やアニメをもとめて続々と訪れて世界に誇る国であるかのように持ち上げています。
かつて、武士道を説いて日本の独自性をアピールし世界に独自のルールでアプローチした新渡戸稲造が結局は日本の進む方向を変えられなかったように正しいことだけでは動き出したうねりは簡単には方向修正できないのです。
しかし、正しいとみんなが気が付くことやおかしいと言い続けることで誤った方向に向かうルール変更に修正が加えられるのではないでしょうか。
世界では脱炭素社会が進んでいるが、地方で何ができるかといえば薪ストーブとかペレットストーブの普及ではないでしょうか。
秩父に移住する人のほとんどが薪ストーブを使い、その前で飲む珈琲をと買い求めにいらっしゃいます。
放棄された農地や山間地の活用で人口減を食い止め秩父の良さをアピールしていくことが今後より重要な施策になっていくのではないでしょうか。
結局あの焦げ味のコーヒーの味はずっと付きまとい、
それを拭い去り珈琲とはこんな素晴らしいものであるというもとに戻すのに一週間は
必要だと感じています。
浅煎りの豆と深煎りの大粒豆と普段でないような希少豆がここのところギフトがらまり
で注文され香りの妙や甘さの差などいろいろと刺激を受けやっとあの打撃を緩和してきたところです。
ここのところの寒さで大粒豆は今までより深く焼くようになっています。
しかし、それは焦げとは無縁なさらに一段階深い焼きであり、甘みが強く前面に出てきて味は厚く深く重なります。
小粒なコロンビアなどで希少な豆はティビカと違い浅煎りに仕上げました。
これは酸味の妙を強調し、切れとコクが絶妙に感じる点で焼きを止めます。
小粒のモカなどもあまり焼き過ぎないように仕上げました。
どれも豆姿焼き色がそれぞれ違います。
これが当然ですが、焼き豆が並ぶ豆屋さんの店頭でみると同じ色で同じ豆姿のものが並ぶ店が大半です。
生豆が店頭に並ぶ店はジェット焙煎などの電気熱風式ですが、先日の豆屋さんなどは
ガスコンロに小さい釜が乗るタイプのものが何台も並び注文を受けてから焼くらしいスタイルです。
当店の釜ではたとえ300gの最小限豆でもやはり30分かかり、この少ない豆を焼く方がこまめに火力を調節し、気を使い短時間で仕上げることはできません。
特に最初の10分は気を使いここで下手に温度変化を与えれば外だけ焼けて中は生という状態になり、豆色で焼きの判断がつかない状態になります。
人により自分はプロだから豆の状況はいちいち豆色や時間と火力を見なくても焼けるという自分なりのルーチンを持ちそれが揺るぎのないものというオリジナルメソッドを論じる人がいます。
しかし、豆の状況は保存状況やロットごとにまちまちであり、保存方法でも味は変化し水分量の持続も豆ごとにまちまちなのです。
さらに火力というのはその日により変わり、重力により微圧計の数値も外気温により排気温度も変わってくるので毎日毎日のデーターが重要になってきます。さらにそれを飲んで変化を感じさらに季節の移り変わりも自分の肌で常に感じていないと味の変化をどうつけてどう感じるかも解りません。
増して焼いている人が季節を感じこの季節にどういう味のものを飲みたいかという確たるビジョンを持たずに焼いている店がほとんどだと感じます。
そんな意味で今年のケニアレッドマウンテンが焼けるのは私にとっても喜びであり
勧めるに足りる冬の味がしっかりとあります。
こんなために日々ランニングをし、その時に聞こえる鳥の声に耳をそばだて、香る空気に何が今咲いていて何がなっているのか心を砕きます。
冬には冬の香りがあります。
どこかで藁を燃やすような匂いも終わり、冷たい湿った香りがいろいろなものの本質を際立たせる季節になりました。
こんな冷たい空気の中でも花をつける植物があります。
今の時期見られる鳥たちの行動や音があり、空気の香りに豆を見てこう焼こうという構想もできるのです。
そもそも焦げてしまえば何の豆でも同じであり、本来の魅力もなく、焦げの持つガツンとした味だけが残ります。これが直火焙煎の醍醐味とする人がいるのも事実ですがそれは焦がしていいという意味ではありません。ネットで焦がしとか焦げコーヒーなどで検索してかなりのものがヒットしてきます。それも否定的に書かれたものより好意的に使っている場合がほとんどで私が思うほど嫌悪感をもって飲んでいるケースよりむしろ喜んでいるのが不思議でなりません。
かつて炭火焼きコーヒーというのがはやり、本来の焼き方からかけ離れた炭で焦がしたようなものが出回っていた時期があります。
今でもそういうのが本物のコーヒーだと思っている人もいるようで炭火の持つ本来料理などでの利点を知らない人が炭火の香ばしい匂いが付いたものを喜んでいるようですが、それでは本来の珈琲の味でなく炭の焦げ味などという本来炭を使う意味すら知らない自身の愚かしさに気が付くべきです。
実際には焦げたピザにしろ焦がした料理や食品に絶妙な火加減の魔術的な味といった経験をしらないという根本的な誤りがあり、素人の失敗したものを食わされたり飲まされたりしなければならない現状に文化の低下と感性のなさを痛感するのでした。
埼玉県でも源泉かけ流しをうたい広い敷地にいくつもの湯舟を持つ温泉施設があり、気軽に温泉気分に浸れるようになったと昨日は書きましたが、最近その愉楽とか花何とか皆似たような名前のそれら施設は多くて、似たスタイルだからチェーン店なのかと見まごうばかりです。実際本物の源泉かけ流しはごく一部なので注意が必要です。
さて、昨日は温泉のほかにもいろいろな体験をして思い知ったのは改めて珈琲の力ということです。
当店でガヨマウンテンやレッドマウンテンを試飲していただき、よい珈琲は後味がずっと続いてその印象は記憶に残りますと説明していましたが、そんな簡単なことではないような気がしてきました。普段出かけ先でコーヒーは飲まないようにしているのですが、昨日はついお店の作りとか見てみようと豆屋さんに入りコーヒーも飲んだのですが、その後その時の味がずうっーと一日続き、何を飲んでもその焦げ味が取れなかったのです。まあこんなぞっとすることもあるのだと、いつまでも心地よい香りと喉を通るハーブのような清涼感が続きますなどと説明していたものが何か裏切られたような気分になり、自分が信じていたものがズタズタと崩されて汚されてしまうかのような心地になり落ち着かない気分となりました。その日食べたピザ屋でも何をこんなに焦がして焼かなくてはならないのかというぐらい焦げたピザでさらに追い打ちをかけるようなコーヒーに確かにここのコーヒーもずっと味が一日付きまとうことはうちのと同じではあると珈琲の持つ力に改めて偉大なものを感じるのでした。
昨年の今頃は最初のスキーに行ってふかふかの新雪を踏んでいました。
今年はいろいろの予定が立て込み今だ自由の身とならず、それでも温泉で
リフレッシュ欲求は募り、つい日帰りで温泉リゾートに出かけることに
なりました。
最近評判の出来立ての温泉リゾートでしかも源泉かけ流しといっています。
これは数年前から熊谷バイパスで櫓が見えてそれに温泉掘削中という文字があり、
どこでも温泉は出るもんなんだという驚きをもって眺めていたところです。
最近話題の行田に行ってみたいお店がいくつかあり、それに絡めて出かけました。
付近には埼玉古墳群とか忍城とか古代蓮公園とかいろいろ見どころがあり、
ゼリーなどという名物もあります。
忍城はぬぼうの城で有名になり、近くの堀跡の水上公園など見ることができますが、
他の城の遺跡に比べ歴史をおもんばかる風情には乏しく、早々にお店巡りをした
あとは温泉に行きました。
日帰りで味わう温泉施設は今までいくつも入りましたが、今回は出来立てで、
師走の平日の午後という一番すいているだろうという時期なのにとても混んでいて
本場の温泉宿のような風情でした。
いくつもの湯舟と露天風呂があり、広さと解放感は抜群で、わずかなコストで
温泉リゾートを体感した感じになりとても満足な気分となり、大変
お得な感じでした。施設は一日グダグダと過ごせるような設備となっていて
安価にリゾート感を感じてみるのには打って付けです。
なんと便利な世の中なのかという感じ。
冬にレッドマウンテンという当店の推奨も
昨年は入荷できず、一年ぶりの提供です。
今朝も飲みましたが、年末の忙しい最中でも
心の平安と長閑とした心地に落ちていきます。
先日ラジオで聞いたNight Before Christmas
で、改めて知った今更な事実がありました。
St.Nicholasがサンタクロースの元の人で、
それが赤い服を着てホーホーという掛け声をしながら
赤ら顔でプレゼントを配るおじいさんになったという
不思議な話であり、なぜかキリスト教に関係ない国でも
そのクリスマスを祝うというおかしな話です。
そのもとになったのがそもそもこの詩からのこと
らしいのですが、その詩というものが改めてみると
日本での詩のとらえ方が元の漢詩に忠実で韻を踏み
音を揃えたり、使用文字を揃えたりという規則を踏まえて
作られており日本での詩のイメージや短歌や和歌といった
発展とはまるで違い、手元にあるものがまるで違うのに
同じように表現してみようという心とその詩がいまだに
読み継がれているところに妙に心打たれました。
それにつけてもなぜというクリスマスという行事のことが
気にかかってきます。
暖炉につるした靴下。モミの木を山から切ってきて飾り付ける。
エッグノッグを飲んだり、七面鳥を食べる。
ツリーの下にプレゼントを置いたり、ヤドリギの下でキスとか
クリスマスの風景と習慣が紹介されそれを意味もなく宗教が
違うからと拒否するでもなくまねしてきた日本人。
その寛容性が世界も必要なのかもと最近は思います。
トランプ大統領によるエルサレムの首都認定なども人命を危険に
さらすことになるのに自らの政治のために実行されてしまいました。
見境なしに他国の行事をまねする日本人からすれば別に首都が
どこでもいいじゃんと思う人も多いはず。
国連決議に違反する行為であるならそう指摘すればいいだけ
のことです。
もともと神の約束の地だとか聖地とか言っても聖書の時代にも
他の人の生活の場であり、すでに人が住んでいた土地を異教徒だから
うばっていいと神がいったというのはいかにも勝手な言い分です。
人類を創造し万能の力の持ち主であるならそんなお粗末な差配を
するでしょうか。
日本人には及びもつかないすべてを超自然のものに託してしまう
そういう心根にまったく根拠や科学的なものがないからやめろと
言い切れないものもあります。
日本人も正月に初詣をし、パワースポットといっては出かけて
特別なお守りなどといって数千円ほどで何がかなうのか期待を
こめて喜んでお金を払います。
では何を信じて迷信とか非科学的とか言いつつ初詣には行き、
聖地の奪い合いや国の奪い合いには当事者の話し合いでなどと
突き放していられるのでしょうか。
これは戦後された民主主義教育のなされる業なのでしょうが、
イスラエルでの問題はアラブ由来の人とユダヤ人の人口比率は
世界規模で見るとムスリム人口の増加は顕著で所謂民主主義と
いう多数決原理でいくとキリスト教徒やユダヤの人々は今や危機に
あるわけです。
漢詩を完璧に自国文字で再現し新作を作れるだけの理解力があれば
ユダヤ教キリスト教、イスラム教に寄らない世界も提案できるのでは
ないでしょうか。日本も当事者でどうぞ話し合ってなどと遠ざける
ことなく、もっと世界に寄り添い平和な世の中に解決策を提示すべき
なのではと思います。
といった方が通りはいいでしょう。
最近は朝はこれを飲んでいます。
冬の入口というのはまだ体が慣れていなくて体調を崩す人が
多くなっています。
そして、この時期インフルエンザもはやり出し、ノロウィルスなどの
疾患もはやり出します。
なので私が好きなカキなども控えるようになりますが、ノロは
何もカキだけに限らないという昨今の現象でとにかく
よく言われる予防法はとることにします。
この時期、やはり毎回感じることは寒さになれることです。
寒さに縮こまったり、負けていつもと違う行動や行動そのものをやめて
しまうことは避けることです。
昨日もミューズパークを走りましたが、陽のある温かいうちに
走ろうと冬の入り口には考えるものです。
しかし、走り出しこそつらいものの体は走るのに慣れていれば体
が温まってしまえばもういつもと同じなのです。
特に年末あたりがこの寒さの耐性ができてなくてつらい感じが
します。
長尾根という呼び名の地の上にあるミューズパークは北からの
季節風を常に受け寒そうな印象ですが、意外と秩父の盆地の底の方が
寒いのです。
車の温度計で昨日は公園駐車場は7度で、自宅に戻ると4度でした。
そんなもろもろの思い違いや気のせいにしてとにかく寒さになれ
冬の体にしないと風邪ひいたり体調不良となったりします。
とにかく寒さになれるために今の時期に外に出て今まで通りの
生活をすることです。
一昨日昨日とミューズパークにはスマホで顔を照らした人々が
いくつかのグループを作っていました。
こういう人たちはタバコを吸う人もいてその近くを走るのは
ちょっと迷惑ですが、こういう人たちはなにもここだけにいる
わけでなく街のあちこちにいて昨年流行がテレビでも流れた
モンスターを捕獲するみなさんなのでしょう。
寒さにも負けずにこんな人のいないところにも時として何十人も
集まったりするのですから、地域振興やら何か寄与する方法に
転嫁していくことも可能でしょう。
そんなことを思いつつ、冬になれることといつも通りにやることと
今朝の珈琲を思うと夏の定番のようにタンザニアに人々は深煎りと
ミルクとシロップで夏の珈琲のように思っているイメージもシティ
ぐらいでこの大粒のスノートップを仕上げて冬飲むと実にすんなりと
甘みの強い豆の力強さを感じて色々と夢想が膨らみます。
冬の入口を味わうのにふさわしいこれからの白銀の世界とふわふわと
した浮遊感をまた味わえる予感を感じつつどうやって実現しようかと
予定をああだこうだと考えてその前にやることの算段もし、さらに
残りのシーズンのバスケットリーグのことなども考えます。
年末恒例の地域の行事や年末片づけないといけない役目やら役割と
いうのは実に多くその合間に帳簿の整理やら在庫管理などの年末の
業務も当然すませ年末業務と月末業務が重なる今月の乗り切りを
付けなくてはなりません。
そんな序章にタンザニアの甘味が静から広がる朝でした。
豆をいつも通り焼いて、来店者様の対応と試飲をこなし、
車のタイヤ交換を済ませました。
あとは少ししたら走りに行くだけです。
その前に珈琲でも。
スノートップが今日の珈琲です。
各地から雪の便りがあり、どんどんと進んでいく感じです。
また新しい依頼があり、また準備せねばなりません。
雪山に遊ぶ目論見もいつになるか、バスケットのリーグ戦もあり、
色々とやることはあります。
地域役員の仕事や頼まれごとも次々と舞い込みますが、
一つ一つ着実にこなして雪の上に立つことを夢想しつつ
忙しさにまみれるという例年の年末模様となっています。
お客様には昨年はできなかったレッドマウンテンを用意できたことが
冬にこの味と皆様に喜ばれ年末のお客様やギフトなどにお役に立てて
うれしく思います。
ただいまレッドマウンテンは今月だけサービス価格にて提供しています。