毎日眺める目の前の山を訪ねて思いも果たせどうなってるかも理解できたはずなのになにかやり残してたりない感じがしてなりません。
まず向こうから自宅をみてみるというのは吹雪のため果たせておらず、22番に通じる道というのも確認はしたものの最後まで行ったわけでもありません。毎日眺めてあそこに自分がその場に立ったらどんな気分なのかというのは結構今までもやってみてどんな結末になるかは経験済みなのですが、まだ全部果たしたわけでもないというのは始末に困ります。なぜ人はコンプリートを目指すのか?日本三大何々とか外湯が13湯などと出てると全て見て体験して見ないといけないもののような、すべてやってこそ体験したといえるような風潮とか自分のなかにも罪悪感にもにた気持ちの悪さが芽生えるのはいかんともしがたいことです。子供の頃全ての人が100点を取ったわけでもないのに簡単なことほどコンプリートを目指せとなっています。そんな声に騙されることなく自分のやりたいようにやれる自由を大事にして何でもネットに載せて完成のようなことはやめるべきです。しかし、日本人の生真面目さや人に言われてしたがいたがる性行は至るところで利用されなんの世界でも何々流としてならいごとやセミナーだらけです。今ニュースで話題のバックカントリーもただ単にスキー場外を滑る違法行為のように報道され勝ちですが、安易に場外に出て遭難騒ぎになる違法者と最初から雪山を滑る人が遭難するのとは意味が違います。でも、警察や消防などがどちらも命がけで救助にでなければいけないのは同じです。まあ、それを見て自分はどうするかは個人個人で判断すればいいことでとやかくいっても仕方ありません。ガイドもなく素人が山に行って雪崩に会うとよく言う人がいますが、いつ雪崩が起きるかはプロでも全て判断できるものではありません。だから冬山は全て禁止にするのかと言う問題でよく餅をつまらせて老人が毎年死んでいるが禁止にするかと言うのとおんなじで何でも規制にと言うのは今回コロナで色々学んできたところです。さて、そんな問題のなかたまたまsnsで見た映像が頭からはなれないのでした。それは草津のスキーのようすだったのですがカメラの位置が第三者の俯瞰者のものでなおかつびったりとその距離がぶれないのでドローンでもないし、自撮り棒も見えない不思議な映像だったのです。アップした人に質問すると360度カメラの映像と返答があり検索すると自撮り棒が消える不思議なカメラとありセットで売っていました。久しぶりに物欲を感じたひとときでした。