毎日来客用のアイスコーヒーを作りますが、これが今年色々と作りまた
発見やら気付きがありました。まず言えることは水出しが一番味的にも
お勧めで簡単だしよいということです。次にコンビニのアイスコーヒーのように
氷の上に落とすという方法もこれはこれで良いと思います。すぐ作れるし
そのまま冷蔵庫保存しても味の劣化も少ないです。普通の方法で落として
それを冷蔵庫で冷やすというのも方法ですが、これはなぜか保存がききません。
一概に言えるのはキンキンに冷やしてしまうと味は解らないという事です。
特にたっぷりの氷と銅のマグカップのような金属容器だとまず味は解りません。
ちょっとヒヤッと感じる程度の温度でしっかりと味が出るのは13度程度かも
しれません。
しかし、味にこだわるのであればわざわざアイスにすることはないので冷房の効いた
部屋でホット珈琲を飲めばよいことなのです。当店でもおもてなしの心で冷たいものを
出したいと作っているだけで、アイスコーヒーはこうでなくてはという事でやっている
わけでもないのです。
まあ細かい話やさらなる味の話は来店の時にしますが、当店で飲まれた方はお店ででる
物とは違うとびっくりするといういつもの試飲と同じ効果はあります。
さて、ここのところの増えた待機時間はもっぱらゲームオブスローンズなどを見ていますが、
これは長いシーズンなのでよいよ見るものがなくなった時にとっておいたものなのですが、
そんな事もあり、実際に目にしたらもうこれは見る価値があるのかと思うような内容でまあ
暇だから見出したので見ているという感じで今でも見ています。
今シーズン4の途中ですが、ここに来て主要登場人物がばたばたと死んでしまうというストーリーの
存続にかかわるような事態になっています。今までアリア、ティリオン・ラニスター、ジョン・
スノー、デナーリス・ターガリエンといった人物を中心に物語が進んでいましたが、そもそも
ネッドスタークことエダート・スタークが罪を着せられ死んでしまう事で一家はバラバラとなり、
その視点から進んでいるとみてもよく、スタークの五人の子供とパラシオンの新王との間で
物語は進むのですが、視聴者は事の真相を知っており、正しいことをすべき誠実で正義の人が
運命のいたずらか家族ばらばらとなり、不実でその成り立ちすらも陰謀と画策により不義の血筋の
ジョフリー・パラシオンという見るのもいやな奴が世の統治者権力者となり、スターク家はより
混迷を帯びていくというのが概要です。
まとめサイトやあらすじサイトでは各キャラクターを性格付けとか特長を書いていますが、それは
見た印象というより、本の台本上のことでドラマから見た感じはまた別なのかもしれません。
その最たるところでは物語とか原作上では五人の子供の中で長男ロブ・スタークが一番武力も強く、
頼りになる存在という事なのですが、物語を見る限り、連戦連勝で負け知らずの武将でインチキで
血筋もおぞましいジョフリーなんか直ぐ退治して混乱と一家の離散も解消しそうなものですが、
王都に辿り着くまでもなく、どんどん戦力は減少し、挙句間違った選択で母親とともに婚礼の宴席で
殺されてしまうのです。
つまり、原作上の性格や人となりの表現など表されるよりもストーリーとしたら本来あるべきところに
いるはずの人が不正義や不義により複雑な生を辿るという見ている側をハラハラドキドキとさせるのに
一生懸命で行き詰りそうになるとまとめて殺してしまうというようなことになっており、長男と母親が
死ぬ時次はにっくきジョフリーも死んでしまうのです。それも同じく婚礼の席という共通点でなんで
こんなに主要人物が死んじゃうんだという感じです。
唯一安定していて正統路線で拡大していたデナ―リス・ターガリアンもここにきて停滞してしまいます。
今まで、兄により軍隊を得てかつて君臨した城を取り戻すべく辺境から蛮族に嫁がされドラゴンの卵を
もらいやがてそれを蘇生させるのに成功、旦那は簡単に死んでしまいますが、各地の奴隷を開放して自身の
軍隊とし、海を渡る船も軍隊も得たのに進軍をなぜか中止し、ピラミッドのような国で統治し始めます。
ドラゴンは成長しもはやゆう事を聞かず陳情者は増えるという今までは快進撃で唯一正しき我が道をひたすら
邁進して助言者や従者や騎士を自ずと従わせ増やしてきたのにここにきて停滞するというのはまた暗雲のひとつに
なって誰がこの先冬の来る王都を治めて行くのかという不安定な感じと母と長男まで失ったスタークの子供たちは
どうなっていくのかという実際そのはらはらと見守る事こそがテーマとなり、何も気持ちよく解決しないという
本質はずっとこの先つづきそうなのです。でもとりあえず凶暴で憎らしいジョフリー・パラシオンが死んでくれて
サンサはいじめられなくなりほっとできたというのがこのシーズン4まででした。この先8まであるのですが、結局
いつまでやってもめでたしめでたしの結論にはなりそうもなく、ブッテンブローク家の人々のような没落感もなく
何のための話なのかという感じです。
さて、もうひとつ記しておきたいこととして夜のランニングでのできごとで自宅から市役所を抜けてだんご坂を
下り、突き当たると川上に南下し、キヤノンの前を通り、巴川橋を越え公園橋まで行き戻ってくるというコースを
週のうち二度は走るようになっていました。これは距離としては10Kより若干少ないものの桜橋から公園橋の坂を
登ると体のスイッチがバチバチと入る感じがあり、信号待ちや暑さやら何かと理由づけてして最後の市内の細々した
ところは歩いて終るようになっていた夏のランニングでもこのコースを辿ると少なくとも市役所の坂に上る踏切まで
走り切ることができ、気分もだらだらとしたジョギングからランニング感がほとばしる感じになるコースだったの
です。
信号待ち込みで一時間2分というのがこのコースのタイムですが、トイレに寄ったり信号待ちやら踏切で止まったり
タイムはあまり気にしていません。依然はコースごとにタイムレコードがあり、常にそれを更新していくという気持ちが
ありできなくなるとコースを変えるという行動でした。最近は走る事への義務感が減り、逆に一週間に一度の走休日も
なくなりました。
つまり雨が降ろうが常に毎日ジョギングペースながら10K走るのです。依然は13K程を常にタイム更新しながらそれを
続けることを念頭に走っていてフルマラソンも4時間切りに目途が着いたら挑戦するつもりでした。そんな義務感や
走らされている感じから日常に走ることがあるようになり、だんだん目指していることも変わって来たようです。
不思議な感じを抱いたのはこの巴川橋と公園橋のコースを逆走した時です。
それは気分転換でトラック競技と同じ時計と逆回りに走ったのです。神社を目指し番場通りに降りて秩父神社秩父駅
公園橋と向かいます。この坂を上り長い下りを桜橋まで走ればその勢いで次の巴橋まで走るのですが、ここからが
緩くずっと坂道です。今まで下りで勢いと楽をしたという思いだけでこの坂を上るのはこの暑さの中では体力だけ
でなく何かを奪われるようです。この逆走だとタイムがなんと一時間24分もかかるのです。
かつて大野原から秩父橋を渡り寺尾で引き返して巴川橋を渡り自宅まで帰った時には90分以内で走れたことを
思うとなぜこんなとろとろと走るようになったのか理解できません。かつてのK5分ペースの走りをもう一度
常にできるように走らなければならないのではと考えるようになりました。しかし、これが義務感と故障を生む
という事も今まで経験しており今考えてどうしようと思っていることです。