King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

味は関係ないってことで

2009年09月30日 12時54分59秒 | 日々のこと
今週中ずっと探していたサイトがやっと
みつかりました。

これにこだわったのは、土曜に行った皇琲亭の
評価を比べたかったからです。

しかし、有名自家焙煎めぐりサイトにも載って
いないのでどうなのかと気になっています。

実は、自分がおいしいと思った店はなるべく
教えないようにして、自分だけで楽しむのが
ベストなのは世の習いです。

概ねラーメン店でも飲食店でもそうですが、マスコミ
に紹介されると客が殺到し、その内かつての味も
失われるということが日々繰り返されています。

変なファンが出来て方向性を見失ったり、その人達の
間だけで通じる世界など作ってしまうのです。

だからお気に入りの店などは人に言ってはいけません。

何十年も同じ味を守っていたり、さらに進化していると
思わせる店もありますが、多くはみんなあるピークを
迎えると並みの味に変わるのです。

ただ、世間に認知されて評判を作るとそれだけで
客は殺到し、それに慢心するとさっと客も引いて
しまうので店もなくなることが多いのです。

それでも日常的に指示されている店は、町の顔として
なくなることもなく伝えられた味を残すのですが、
実は客が変わってくれるのを見守っていることも
あるのだという例もたまに見かけます。

不思議なことは、味がいいと評判の店がなんだという
ことがとても多いことです。

古い情報が生きていたり、イメージだけが定着して
いるというのもありますが、珈琲に限っていえば
味はあまり関係ないのではないかということです。

というのも最近はおいしい豆が鳴り物入りで紹介され
るようになっているのですが、それが果たしてうまい
かというとそうでもない店も多いのです。

となれば商売として成功するコツというのがあると
いえます。

おいしい豆がおいしい珈琲になるのは当たり前で
あまりに当たり前だと誰も喜ばないので、どこにでも
あるものが感動を呼ぶような仕掛けが必要なのでしょう。

だから、最近流行のカップオブエクセレンスとスペシャル
ティなんてのも高けりゃうまくて当たり前で、なにげない
日常的な値段のものが、あの人が淹れると絶品となると
それだけ注目が集まります。

要は個性であり、だましのテクニックですね。

本当のおいしい珈琲なんてのは、行列店にはないと
いうことです。
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出来ないことへの希求

2009年09月29日 10時33分30秒 | 日々のこと
久しぶりの雨が降っています。

色々予定が狂います。

予定といえば、ずっと見ていたサイトが
ある日どこへか行ってしまったため、
それを探すということを昨日はしてしまい
ました。

そして気がついたのですが、最近ヒットする
ページというのはメーカー製のページで素人が
作るページというのが非常に少なくなっている
ということです。

それでも素人が毎日更新しているページも世に
あるのだという新鮮な発見というか事件もあり
ました。

今やブログとか色々新たな手法が普通で昔ながら
のHTMLがすでに20年も経ってきているというのも
改めて時の流れに愕然とするものでありました。

求めるページを探すうちにいろんなページをみて
感じるのは、人それぞれのこだわりがあるという
ことです。

そんなことに拘泥するばからしさです。

例えば私がこだわる珈琲の味にしても、世には
珈琲が飲めないという人もいます。私の知人友人に
も、珈琲のような強いものはだめという信じられない
嗜好を述べるばかりか、否定するのです。

酒が飲めないというのは、人によりアルコールを
分解する酵素がないのでアルコールが解毒できず
体質的に受け付けないというのは理解できますが、
珈琲の場合には健康に悪い物質はないだろうし、
カフェインがだめというのも中毒物質で一編に
80杯飲まないと中毒で死ぬというということは
ないのですから日々の飲用に心配も不要です。

ただ、最近カフェイン中毒を自称する人が増えて
いるのも確かです。

珈琲を愛するあまり自嘲気味に言う場合もあるし
珈琲をやめたら健康になったという警鐘の意味で
言う人もいます。

でもそりゃあオーバーだろうと私は思います。
世は草食系とかパワー控えめの感じが増えて
いますが。方向性が違いませんか。
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祭りランのようなランスカを囲む風景

2009年09月28日 14時09分03秒 | ジョギング
昨日のジョギングに向かう公園橋へ至る
国道との交差点で面白い集団と出会い
ました。

リュックを背負った旅ランの集団で、ひとり
は光沢のあるランスカ着用。

それを囲むかのように団体で走る姿は、なぜか
こっけいな祭りの風景です。

そういえば金曜日の夜いつものこの時期の風景で
市役所隣の酒屋の前で、ランニング大会のゴールの
ようなものが設けられていて暗くなった中、ランナー
の姿が見られました。

いつも年寄りが歩いてゴールしていたのが、今年は
ちゃんと走ってゴールする人が群れていて、前回
とは比べ物にならないほどの人がいました。

どこのどんな大会か知りませんが、なんかいつも
雰囲気がいいです。

今日はランスカランナーにまた出会えるかとそんな
ことを思いつつ公園に着き、いつものトイレに寄ると
故障で封鎖されています。

電気がついていたのにロープでしっかりバリケード
されています。

別にトイレに寄りますが、なんか寂しく暗く気分が
滅入ってしまい、それが原因か走りもピリッとしなく
途中にトイレ休憩まで入れてしまいました。

走っている人はたくさんいましたが、こちらの
モチベシーョンを上げてくれるような出来事は
なく、タイムは散々だし、いい走りではありません
でした。

もっと向上心を抱いて走りたいものです。
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気になるコーヒーマシン

2009年09月27日 14時35分37秒 | 珈琲
昨日の不満の買い物の補完のために
ネットで色々注文してしまいました。

やはりネットは安くて物が豊富で、
情報や使用者のレポなどもみられて
安心な買い物が出来ます。

まあ前よりその格安感はなくなりましたが、
お店では最近定価販売がふつうになり、スーパー
でもないと滅多に安売りがなく、安売り店では
決まったものしか安くなくて選べないと、満足
な買い物が出来なくなりつつあるのです。

最近買い物好きの人は、アウトレットや業務用
会員スーパーとか、円安を利用した海外へ買い物
ツアーに出かける人が多いようです。

私は、ブランド物も服も最近必要としないので
買うのは食料品や本ばかりです。

本も最近文庫本でも1000円オーバーで、単行本
などのハードカバーも純文学物や専門書など
すぐに数万も飛んでいきます。

その内半分はただ積んでおくだけという状況に
なるのに、経済的な負担は増すばかりです。

さて、私の珈琲ライフは自家焙煎のロースター
にスペシャルティコーヒーやcoeの落札銘柄を
頼むようになり、他所で流通している珈琲が
あまりにひどい状況にあることに、改めて
憤りを感じる日々となっています。

それでもデパートなどに行くと珈琲豆屋さんは
必ず複数の店が入っていて、有名大手チェーン店
のほうが高いというのが相場です。

私が普段買っている豆より二倍は高いのに、潰れず
何年も同じところに出ているのだから不思議です。

その先の2,30m先にはもっと安い無名の豆屋さんが
でています。それなのに売れているのは大手の方
なのです。

デパートに入っているような豆屋の豆はいつ焙煎
したのかわからないのです。それでも最近は改善
され、スーパーの様々の豆よりはいいのでしょうが、
スーパーでもそういう品揃えがなくならないことから
スーパーやデパートで買っている人は相当いるの
でしょう。

しかし、その味に疑問を持ったり、もっとうまい
珈琲をせめてうちではたくさん飲みたいと思わない
のでしょうか。

私は今でも自家焙煎の喫茶店に珈琲を飲みに行き
ます。お店の雰囲気が好きなのもさることながら
やはり味の違いをチェックしないと気が済まないと
いうのもあります。

以前所沢で会社勤めの時には、事務所の珈琲が
まずいので、よく喫茶店に行きました。

駅に近いのは、カフェクリエとかスタバとかそんな
店しかない地域でした。

個人の喫茶店のマスターが自分の珈琲の味を誇り
それを売りにしている店があるところはいいですね。

そういう店は、大概大手チェーン店の珈琲豆は使わず
自分で焙煎を始めるようです。

喫茶店のほとんどが自分の店のブレンドというのを
持っていますから、豆の特性を活かしてオリジナルの
味をということだと結局焙煎に行き着いてしまう
のでしょう。

考えてみれば当然のことで、生の珈琲豆ならば何年も
保存可能なのに、いつ焙煎したのかわからないような
豆なんか押し付けられてすっぱいような珈琲をだして
いたらいくら味音痴で、タバコをすいに来ている人達を
常連にしていたにしても珈琲屋としての意気があれば
自分で豆を焼くようになるでしょう。

そういうついに自分の家で焼きだした喫茶店店主の
行動を見ていて最初は焦げ味のきつい、店の外まで
炭臭いにおいをさせていたところが徐々にまともに
なってくると自分の家でももっといいものをとなって
きます。

それでも、忙しいのに豆を焼いたり挽いたりしてられ
ないというのが今までの立場でした。

よっぽど暇じゃなきゃいくら味が違うといっても一杯
ごとに豆から挽いてなんてやってられません。うちは今
でも、注文と同時に粉にしてもらいます。それでも十分
お店で飲むよりうまいのです。

それに一回注文して飲みきるまで二週間くらいのもので
飲みきってしまうので、味の劣化もそれほど気になり
ません。中には時間が経つほどうまくなるものもあり
ます。

さて、そんなコスト的なことを考えたら一応いろんな豆を
飲んできて、自分の好みのものも解ったし、昨日みた
デパートの豆屋さんと自分がいつも頼んでいる店では
私のほうが少し高いくらいで生豆をネットで何Kも
頼んだほうが経済的だしいつも新鮮な焙煎豆が飲めると
思いました。

それに今は、ボタンひとつで生豆から焙煎と挽きを
やってドリップまで出来る機械が10万以下で売られて
います。中にはエスプレッソやカプチーノまで出来る
物もあります。

朝ボタンを押すとおいしい珈琲がでてくるという
のはまるで夢のようではあります。珈琲マシンは
漫画喫茶などで見かけますが、味は到底求めべくも
なく、やはり自分で抽出したものにかないません。

となれば、豆の焙煎と挽きまで任せて後は自分で
やればということに自然となってきます。

とりあえず昨日5kほど買って見ました。

実は珈琲が淹れる人によりかなり味が変わるという
事実と農園単位で輸入されるようになってきた豆に
たいして後、気にするのは焙煎しかないのです。

これだけデーターが揃ってきた現実に全自動で豆が
焼けるようになってきたら、後は手で焼いたらとか
焼き方や焼いた釜で味が変わるのかということが
知りたくなったのです。

前は、ブルマンよりおいしい世界中で争奪戦が
起きる豆というのに興味を抱き色々試しましたが
豆を知ればやはり焙煎を知らなくては味が解らない
と思うようになりました。

しかし、解らないのは味も良くないものに大金を
払う人たちです。

そういう人たちにスペシャルティだとかカップオブ
エクセレンスだといったところで何になるのでしょう。
デパートで有名ブランドの珈琲を買うのがいいこと
で満足してしまっているのです。買った豆は、珈琲
メーカーが淹れるのでしょう。

ああいうドリップの機械が売れること自体が謎です。
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昨日の『ダメージ2』と合羽橋

2009年09月26日 22時39分04秒 | 珈琲
土曜日はまたカフェ巡礼です。

ただ、地方の珈琲屋さんの実力がそろそろ
透けて見えたところで、都内の有名店に
行ってみようと思いました。

それに、自分でも色々試してみようとなり、
結局ローストする機械を見に合羽橋の台所用品
専門店街へ行って見ました。

いつも乗る電車より一時間早く出かけました。

これは夕方のバスケ練習までに帰ってくるため
でした。

ですが、結局は浅草まで足を伸ばしたり、電気屋さん
や東急ハンズまで見て周ったので、完全に帰りは
夜でした。

試合が近いのでこれは残念でした。

合羽橋は、素人相手の窓口ということでそんなよく
テレビで紹介されるほどたくさんのものがある
訳でも安い訳でもありませんでした。

それに浅草に隣接で、線香臭い門前町という感じ
のほうが強いものでした。

期待したコーヒー関連の品揃えもネットで見て買う
以上のお得感はなく、わざわざ出かけて目の保養と
言う感じになりませんでした。

お昼に渋カフェにも載った合羽橋珈琲に寄りました。

本日の珈琲はキリマンジェロということで酸味の強い
豆ですということでしたが、おいしかったです。

素人臭い珈琲屋さんでは、味が苦味酸味甘みコクが
みんなばらばらに主張して、さらに淹れ方が悪ければ
ぼんやりした味で切れがまるでないこともざらですが、
ここはしっかりとひとつのまとまりを感じました。

池袋に戻って、おいしい珈琲によく上がる店『皇琲亭』
に行きます。

ここでは、ビンテージモカをいただきます。

945円とこの店でもっととも高い値段設定になって
いました。

このところお店で飲むのはモカが多いのです。

それは、自分の家でイエメンモカをずっと
飲んでいたので、イメージをしやすく比較して
おきたかったからです。

モカマタリの枕詞は、貴婦人のような香り、
ワインのような香り、というそれは是非飲まなくては
というものばかりです。

しかし、世の評としてはすっぱくて薄っぺらな
味とか珈琲らしくない味とかあまり好きな人は
いなくて、逆に好きな人はとにかくモカじゃなきゃ
だめというはっきりと好みが分かれる銘柄でした。

これは、本当においしいモカを知ってしまった
人と知らない人の差ではないかと思います。

エチオピアの残留農薬騒動でモカが消えると昨年
来珈琲業界を震撼させる事件となりましたが、輸入
が止まっても喫茶店のメニューからモカは消える
ことはなかったのです。

それだけ、根強い人気と国内内部留保がしっかりと
なされていたということになります。

なくなるとか代替等といわれましたが、豆売りの
業者にも喫茶店のメニューからモカは消えることは
ありませんでした。

そして今日飲んだモカはエイジングしたもので
1995年産ということです。

今まで飲んだ中で最高の味でした。

今年飲んだ中で最高かもしれません。

買い物では満足な結果は得られませんでしたが、
『ダメージ2』の感想などをつらつらと思い出しながら
満足な珈琲タイムを堪能しました。
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目に優しいランスカの行き交う風景

2009年09月25日 09時43分05秒 | 日々のこと
週刊誌やテレビでの大臣発言や首相の外交デビュー
の話題が依然かしましいですが、月末に来て影響を
与える発言も多いようです。

一番怪しい動きは、モラトリアム法案を早く作れと
号令した亀井大臣でしょう。

同様に怪しいのは数多くテレビ出演する有名タレント
知事です。

地方に財源を移譲すればいいと迫りますが、地方に
移譲すれば全て解決なわけありません。

地方に赤字が多いのは、いい加減な運営をしてきた
からです。

地方にいらない道路や橋が多数あるのは、税金を
ただ消費すればいいということで次々に言われるままに
作ったからに相違ありません。

今更もっと金をよこせだの道路作れだの、いくら人気が
あってもよく言えたものだと思います。

地方に行けば、トンでも箱物に行き会えるのです。

有名な北陸の瞑想館のようにあまりの見事な使いっぷりに
あきれるのを忘れて感心してしまうものまであります。

だから地方に適当に金をばら撒くのはやめてもらい
たいと思います。

わが地方にも私のいつも走っている公園のように過剰投資
の例はあります。

いつも走るたびに何でこんな山の中にビックバンだの
パルテノンだのギリシャモチーフが入り込むんだと思う
のです。

もっと豊な地方性と地域性を出して楽しめるものに
出来なかったのかと。

ちょっとこの前有名になった宮沢賢治のイギリス海岸と
同じなのでしょう。

それでも多くの人が訪れて楽しんでいるからまだいい
です。

昨日は、またまたランスカ美ジョガーに遭遇しました。

やっと我地にも若くてファッショナブルなランナーが
出現したかあと感慨深いものがあります。
昨日は連休後の平日であり、今まで見かけた旅の
ジョガーという感じでなく、地元の人の感じです。

最近ランナーだけじゃなくウォーカーも若い人が
増えたように思います。
そしてそのスタイルもファッショナブルになって
きたようです。

二年位前はドナルドダックの大きな顔のついたTシャツ
だったのがついにランスカまで来たかと。
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零れ落ちるもの

2009年09月24日 14時10分26秒 | 日々のこと
何につけ全てをカバーするのは不可能であり、
全てに満足ということはありえないのです。

とそんなことは百も承知なのに、その零れ落ちるもの
たちに、重要な全てを決するような価値が含まれて
いたり、喪失感に苛まれたり、身のこげる思いにはっと
したりするものです。

そんな過去を思って、ちきしょうと声を出したりして
周りから顰蹙を買うそんな時が増えているように
感じる今日この頃。

圧倒的支持で誕生した民主党政権も、全ての人に歓迎
され、みんながその政策を支持していたかのように
感じたのもつかの間。

新聞の社説では、早くも現実のギャップに躓いて外交
デビューで苦い現実に直面するような、ミスを予測
するようなものを見たり、担当大臣の働きにはやくも
暗雲が立ち込めているかのような記事ばかりです。

亀井郵政金融相の返済猶予法案には批判集中で、経済
原則や歴史的な失政につながると書かれていますが
本人は意気軒昂に推し進めています。週刊誌まで
書き出し突っ込みどころの多い船出となりそうです。

しかし、ここで注意すべきはマスコミの取り上げ方
です。

ダム反対報道では、中止反対派の声ばかりで賛成派の
声は滅多に報道されません。

新聞でも失敗を期待するような記事が多く、いつから
こんな調子になったのかと改めて考えてしまいました。

先日ビートたけしがTVタックルで、現政権に望むこと
というコメントを言った時に、抱いた違和感と同じ
物かもしれません。

ビートたけしは、今一番望むことは教育だねといい、
日本人は誇り高く、例え負けても反則などはしないし、
誰でもいいからと無差別殺人をしたりしなかったと
いい教育の失敗をあげていました。

でもそれは散々暴力を美のように描いた映画を撮って
おいて、本来の日本人ははないでしょう。

過去の天皇を抱く誇り高い民族だという教育を望んで
いるのでしょうか。

日本人は今までは激しい競争にさらされて社会の何割かは
確実に負けていく社会というのは経験していないのです。
そして負けていく人は二度と立ち直れないようなのが
今までの社会で、急激に増えた生活保護世帯と失業者に
ただお金をばら撒くだけでは、経済は立ち行きません。

かつての高度成長社会では、全ての人に社会に座るべき
席があり、それだけの収入の道がありました。労働力が
足りず海外からも多くの人が働きに来ていました。

それらの人の扱いも法整備もあいまいなまま経済危機を
迎え、自分たちの足元をより踏まえて立つ意識が重要と
なったのです。それを踏み出そうという時に、みんなで
足元を危うくしてどうするのでしょう。

手から透けてや落ちてしまうものはこれからもあるでしょう。
しかし、多くのものはしっかりと手に残す努力を
あきらめないことです。

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街の魅力

2009年09月23日 23時14分11秒 | 日々のこと
連休最終日というので、街はいつものとおり
リュックをしょって地図を片手の観光客が
目立ちます。

私もほしいものがあったのでいくつかの商店
を巡ったのですが、魅力的な街の情景とか
機能というものがすっかりなくなった感じ
です。

というのは、日常の食卓に彩がほしくなる
のは人の常で、趣味の食器とか小物は生活の
アクセントであり、散歩のついでとかふと目に
ついて買うものです。

そんなお店がかつてはいくつもあったのが、
今や店はあってもそんなものを売る店がなく、
100円ショップや雑貨屋はあっても、かつての
趣味の店の内容には当然及ばないのです。

街に出れば何かある。それが街の魅力であり、
誰かに出会えるという魅力と気軽に憩える店と
街の機能はそういうことで出来上がっていた
のがいつの間にか人口減社会とともに失われて
いたのです。

今あるのは食料品や日常ティッシュなどの雑貨の
安売りを競う店ばかりです。

確実にあるニーズを取り合うことで、本来提供
していたサービスをおざなりにし、根本の需要を
なくしてしまったのです。

かつてあった商店街の魅力ですね。今は牛乳と
ティッシュの値段を下げ比べているだけで街に
は何かあるがなくなったという現実。

そして、それはネットの社会にも徐々に押し寄せつつ
あります。
かつては本当にびっくりする安さやサービスが
ありましたが、今は普通のものが普通に提供される
だけのおもしろみもないものに変わりました。

本屋さんも変わりました。次々に出てくる雑誌の
数やベストセラーしか店頭に並ばないという偏った
品揃えと本の高騰です。

そういえば昨日はバスケの本は一冊もなかったなあ。
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こんな夢を見た…

2009年09月22日 23時12分34秒 | 日々のこと
勉強のために図書館に通っていた時分の話。

勉強に疲れ、小説の棚から目に付いた夏目漱石の
本を読み出し。

面白くてそのまま読み通し。

一枚の絵が気になり、画集を見に行き、その絵に
目が釘付けになりました。

そう。漱石もロンドンで絵の前で釘付けになったという
『オフィーリア』です。

この漱石のエピソードも有名ですから、日本人には
なじみの深いものですが、先日米テレビ番組の
それも『コールドケース』という刑事物でモチーフ
として取り上げられていたのには驚かされました。

米ドラマなんて薄っぺらで刹那的でアクションばかり
と思ったらこういうものも作れるんだと思いました。

この時期、良く漱石の本とテートギャラリーの絵のことを
思い出しますが、世界には訪れてみたい名画がいくつか
あります。

とはいえ、日本にもこんな名画が日本にあるという
奇跡がいくつかあり、うれしい限りです。

これも日本の経済力の成果なのですが、バブル期には
有名絵画が日本に集まり、その後行方不明になったり
日本にあっても見られなくなったりと世界からは非難
の的となっています。

そんな中無難に今でも見られる名画は、ありがたく
見られるうちに見ておくべきでしょう。

有名なところでは、大原美術館と国立西洋美術館には
名画が集中しています。

意外なのは、ゴッホ好きの日本人なのに、ゴッホは
あまり数がないのです。

有名な新宿のひまわりと広島のドービニの庭とくさむら
位しかありません。

しかし、毎年ゴッホの絵は展覧会で日本にやってきて
います。

有名な絵は結構きているのですが、日本人の知らない
ゴッホも多いのも事実です。

この間のモネ展のようなのが行わればと思う今日この頃です。
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またも遭遇、美ジョガーのランスカに見る秋

2009年09月21日 10時45分58秒 | ジョギング
来月は、うれしいことに試合の予定がふたつも
入りました。

ただ、ひとつは都内へ出張ということで、色々
たいへんそう。

ジョギングは、パーマネントコースで新タイム
02分が出ました。

とはいえ、距離は11Kなので一時間が切れて当然
なコースです。

最近は、涼しくなり今までのタイムより楽に早く
走れるようになっています。

ミューズパークでも06分台が普通に出るようになって
います。

いつかこのコースでも一時間切れが達成できるで
しょう。

そのミューズで昨日、また美ジョガー遭遇しました。

こんな些細なことですが、そんな出来事で勇気付けられ
ます。

この日は、いつも自転車で犬を散歩している人で挨拶
してくれる人も久々で遭遇。この人は挨拶してくれます
が、こちらはハアハアしているのでほとんど挨拶らしい
ことは返せないのです。

もうタイムも気にせず本当にジョギング状態のときなら
声を出して挨拶を返せるのですが、一応トレーニング
中ということで目線だけで察してください。

といつも思っていつつ無言ですれ違っているのですが、
それでもいつも挨拶してくれます。

散歩とか犬連れの人もいつも会う人で最初は挨拶して
くれていたのが、声かけられたくないんだなと挨拶
しなくなることはあるのですが、声がでないだけなんだ
といつまでも挨拶してくれる人は稀です。

しかし、最近会うジョギングの人は初対面でも挨拶
してすれ違う人が多いのです。

これもうれしいことです。

それでもこちらはせいぜい首をコクッとするか目で
こんにちはというぐらいなんですが、解る人は解る
ようです。

そうです。無視したりなんだうるせえなという目では
ないのです。ありがとう。あなたもがんばって。
なのですよ。

昨日の美ジョガーは、一人で突然現れ、しかもランスカ
中々ファッショナブルでした。

これはこのコースでは奇跡に近い現象です。

旅のジョガーでしょうか。目によい光景でした。

昨日も06分で終了。このタイムになるとひざとか
痛いところがでてきます。

最近はひざが痛くなってきてしまいました。

速く走るためには何かを引き換えにしないといけ
ないようです。
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珈琲の酸味と古民家再生

2009年09月20日 13時07分56秒 | 日々のこと
昨日のコーヒー探訪は強烈な印象でした。

特に古民家再生については夢までみてしまい
ました。

夢の中で、有名な絵描きの方が秩父に別荘を建てる
プランを語り、それについてどういうものを建てる
か私に聞いてくるのです。

不動産屋としての物件紹介というより、表現者として
趣味の人として何がよくて何がだめか聞かれたのです。

ここで私の一番言いたいことが出てくるのです。

ただ古いものや古来の工法が本当にいいことなのか
ということです。

世界遺産西本願寺御影堂・10年大修復という番組でやった
ように、ここは古来の建設技術、技法、建材が使われ
瓦も昔ながらの焼き物でできています。

ところが、瓦を葺くのに丸一年かかり、その下地の板は
古来の方法の竹釘で留めるという技術で手作業で作業
されました。が、その上の瓦は現在どの家の瓦もそう
されているように屋根に直接釘で留められています。

竹釘は何百年も経っても腐りもせず、その美しいカープを
保つといいます。ただ、金属の釘はそういうわけに行かず
せいぜい15-20年でしょう。

何でそんな画竜点睛を欠くようなことをとずっと疑問
なのです。

それだけを知りたくて、京都に行って見たいくらい
です。

かといって昔の家のように、土を屋根の上に敷いて、
その上に瓦を重ねるだけという工法がいいのかというと
昨今の耐震性とか建物全体に与える負担などを考えると
合理的とも思えません。

つまりは、20年後にはまた屋根の改修が行われるという
ことです。

何百年も持つ建物とはいえそれは主要躯体だけで、常に
何らかの補修が必要なのです。

古代の建物が今でも残るというすばらしい現実がある
反面、人間の作ったものはいずれ時代にそぐわなくなって
きて、どこかしら変えて行きたくなる物なのです。

かつてはエタニティ性とか、永遠の命とか真実とか求め
ていましたが、時という連続性を見つめれば、その実に
意味のないことか解ってきてしまうのです。

だから、私は漆喰と木で作る日本建築の家がいいとは
思うのですが、最近では壁は漆喰でもその下は石膏ボード
ですから、100-200年もつとは限りません。

西洋建築では、ツーバイフォーなどといって薄い板を
ぺたぺた貼ったような家ですが、日本の住宅よりずっと
耐用年数が高く100年以上の家が多いのです。

西本願寺のように藁を入れて寝かせた土を使わなくても
いいですが、いつまでも手を入れて住み続けられる家を
建てたいものです。

その話をすると施主の画家は納得するというストーリー
なのです。

そういう意味では、昨今流行の古民家再生という建築物は
私の理にかなっているはずです。

ところが、こういう建物や作られてまた利用している例を
みると果たしてこれがいいのかという疑問を持ってしまう
のです。

昨日の建物の印象でもそうでした。

太い梁や臍だらけの柱。それがかっこいいか。

何の意味があるのか。

高い屋根を支えるにはこの古い木しかなかったとか
この柱でなければこの家が建たないというような
必然がなければならないのです。

無意味な古けりゃいいというような建て方や昔の
木を寄せ集めたつくりなんて魅力ないのです。

同様に色々考えて昔感じた古い豆の酸化した味と
珈琲豆の持つ特色のひとつの酸味を取り違えていた
のではというひとつの考察も最近の珈琲店めぐりで
いややはり自家焙煎珈琲店でもかなりすっぱい珈琲が
あることから、焙煎が深くなっても新鮮な豆でも
消せないいやらしい酸味を出してしまっている店は
結構あるのです。

モカマタリの持つ酸味は、時に強烈に感じる時も
ありますが、概ね甘みを伴っていて、ただすっぱい
だけではなく、本来持っているコクとか深みとか
いうコーヒーの醍醐味の中で、上品な味わいと称する
に足る味の厳選があり、あえて狭いレンジに収斂した
切れ味と香りの相乗効果がなければならないのです。

ところがモカとはすっぱいものという先入観が根付いて
いて淹れている人もモカだから酸味がありますとか
独特の酸味とか表現していて、実は失敗で出てしまって
いる部分は解っているのかと時に疑問に思うのです。

多分、ペーパーフィルターを使っている時点で本人は
解っていないのかもしれません。

ペーパーフィルターを使っても他の淹れ方よりうまい味
を出すことも可能ですが、こんなばからしいことという
ささいなことの積み重ねで出来ているのです。

味というのは、主感的な物であり、人それぞれの思い
込みであり、感じ方は千差万別であります。

しかし、万人がうまいと感じることも実に存在し。

あそこで飲むとあの人が淹れるとと言うことは事実
としてあるのです。そうすればプロならばそれが
出来ないといけないと思うのが当然です。

当然が当然として起こらないのがこの人生です。



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週末の喫茶店めぐり

2009年09月20日 10時25分32秒 | 珈琲
ここのところ慣例となった土曜の喫茶店めぐり。

今回は、桐生です。

桐生は自家焙煎喫茶店で検索すると何件もヒット
します。

今回もスペシャルティコーヒーを出す店をめぐろうと
厳選したところ、珈琲の味も良く豆も買えるという
ところで、太田と桐生に行くことにしました。

奇しくもどちらの喫茶店も古民家再生の店でした。

ただ、味は明暗を分けました。

最初の太田の店は、ネットで訪ねた人のブログの
写真のイメージが強く、もっと広くて落ち着いた
感じの金のかかったものをイメージしていましたが、
となりはコインランドリーで、窓から見える風景が
まるでだめだし、店の雰囲気も重厚というより
古めかしいのがそのとおりのイメージしか与えて
いないような、色々な仕掛けが全て失敗している
ような感じです。

これは私が勝手にもっとシックでゴージャスな店を
予測してしまったのがいけないのかもしれないし、
ロケーションとか場所柄とかもろもろのものが作用し
イメージされることなので、人によりまた違うこと
を思う人もいるでしょう。

ただ、不発弾的な感じは強いかな。

そんなイメージを最初に持ってしまったので、でてきた
珈琲もちょっとぼんやりした味でした。

ネットの喫茶店めぐりのHPで最高得点のお勧め店だった
ので、これも期待した分マイナスが強くなってしまった
かもしれません。

飲んだのはモカです。つい先日まで飲んでいたもの
なので比較しやすいと思ったのです。

前回の珈琲めぐりと同様、今回の珈琲も酸味が最初に
きつく感じたのです。

これは色々考えた結果、豆が古いということはないので
淹れ方により生じたものと思われます。
概ね時間を掛けたペーパードリップの場合にでる
ことがあります。さらに、ペーパーの種類によっては
ぼんやりした味になります。

プロが一杯500円以上取るコーヒーにおいてペーパードリップ
という手法はいただけないものではと思います。

バッハのように家庭でも同じ味が出せるという意味で、
あえてペーパーを使用とているという店もありますが、
なんか手抜きに思えます。

同行者の頼んだブレンドも味を見ると強烈な酸味と
苦味です。ブレンドでこういう味を出すのもめずらしい
と感じました。

豆を買うのもやめて、次の店に向かいます。

次は、いかにも古民家を再生したという感じの太い
梁や柱に以前の臍の穴もそのままのごつごつした
感じの店にロートレックのポスターといういかにも
珈琲屋さんという感じの店でした。

今までスペシャルティーコーヒーを売りにしている
店でも店頭にはその表記がない店がほとんどでしたが、
この店はバリバリに前面に出ています。

メニューも本日のスペシャルティコーヒー。本日の
COEなのです。

そしてここでは飲んでみたかったイルガチェフが
飲めました。

そして味も先日までのモカと同じ狭いレンジで勝負
してくる独特の味と切れのあるさわやかな香りです。

豆も500g買うとかなり安いので買って帰りたくなり
ましたが、最近お土産でもらった豆など在庫が溜まって
いるうえにさらに500gまで増やすのもどうかと思い
やめてしまいました。

こういう店が近くにあればいいと思える店でした。
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PPMのMが

2009年09月19日 10時29分25秒 | 日々のこと
昨日の朝刊で死亡の報を読みました。

今年は巨星落つ

という年になりました。

PPMを改めて聞いたのは清志郎のライブで
聞いてからです。

もう聞けない。

そう思うと……
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高支持率の新内閣に見る動き

2009年09月18日 13時22分58秒 | 日々のこと
政権交代とうるさいぐらいに聞かされた新政権
ですが、実際の所は何がどう変わるのかみんな
ただ期待するのみというところだと思います。

しかし、今までは新大臣が発表され引継ぎと
言う儀式の映像など散々見てきましたが、今回は
すでに引継ぎの段階から、大臣発言の内容が
変わっています。

もうすでに大臣命令を出した人。

とんちんかんな意向をチラッと言って早くもこいつ
大丈夫かと書かれてしまった人。

発言から周りから反発が相当出てしまった人。

などと一通りの動きがありましたが、今までこれだけ
早くも動き出し変化を生んだ政権も稀でしょう。

それだけ今までああだこうだいわれながらもしっかりと
準備してきたのだと思われる動きです。

今までは失言ばかりが目立つ大臣の人たちでしたが、
これからは仕事で目立ってほしいものです。
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本日の珈琲

2009年09月18日 13時03分31秒 | 珈琲
モカマタリが終わり、先日のスペシャルティコーヒー
の店で買ってきたパナマに変わりました。

これは香りがいいのです。

つーんと突き抜けて澄んだ香りで、珈琲コーヒーして
いないのです。

モカマタリが上質な花のような香りがあるとすると
花を精製してポプリにしたような感じです。

モカマタリが味の層を厳選して狭いレンジで勝負して
いる感じでしたが、こちらはそれに苦味という部分を
足した感じです。

ただ、ここで感じたのは、モカマタリの実力です。

上品で上質な味と香りが、午後の仕事始めに丁度いい
雰囲気にあふれていますが、最初の頃の味は実はもう
なく、これはかなり鮮度と淹れ方により味を変える
銘柄で誰でも真髄にたどり着けるというものではない
ということです。

最初はそれだけ強烈な甘みを感じ、後から酸味と苦味の
ファーモニーを味わうという感じでした。

しかし、これは粉にして保存した豆には最初の時分に
しか現れない味で、次第に味の層が薄くなります。

香りは豊な上品な香りがあるのですが、あの甘みは
最初だけでした。

これは焙煎したら豆のままで保管し、一杯一杯粉にして
飲まないともったいない豆です。

私は、200gを買うと粉にしてしまいます。深炒りなら
それでもさしたる差はないからです。酸化する度合い
がとよく言われますが、私はその前に飲みきりますから
200g単位の場合は買ったときに粉にしてしまうのです。

ただ今回のモカマタリに関しては、粉にしてはいけない
種類だなと感じました。

逆にコクを味わう深炒りの豆は、時を経るごとに濃厚に
推移する豆もあり、私は豆保存にこだわらなかったのです
が、これからは豆購入にして、さらに時間があれば自家焙煎
にしようと思います。

それだけ店により味が違うのです。

大釜でしか出せない味もあり、手あぶりの味もあり、
一概にどれと言えませんが、炭火で焙煎する人もいる
ことから温度が必ずしも重要とばかりいえないようです。

大釜で予熱して十分な熱を多くの豆に一気に通す方が
いいように思いますが、自家焙煎の店によりまだ生焼け
だったり隅々まで均一に火がいきわたらないような味に
出会うこともあります。

そんな素人な豆から脱するために炭火であえて高温で
焼くことより芯から熱を通して焼くことを考え付いて
炭火焙煎がはやったのだと思います。

炭火の珈琲というとこげた味しかしないものが多いですが。
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