King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

昼時に見たもの

2019年03月29日 09時11分47秒 | 珈琲

昨日のガイアの夜明けで草津の復活について町長が語っていた内容はとても

興味深いものでした。

というのも私は今年も草津に行きましたが、草津に限らずどこも外国人だらけで

どんどん侵略されていくような居心地の悪さを感じたものです。

温泉とスキーも日本人より外国人に乗っ取られている様は、日本人は楽しみを知らず

せこせことスマホと居酒屋で過ごしているだけという図式を見ているようでした。

 

私も草津の予約で今年は大変取りづらく、そして高くなった感じを受けていました。

 

これは草津に限らずで、昨年泊って安くてよかったからと言って同じように予約できないのです。

ヴィレッジなど昨年は8000円で泊まれたのに今は14000円で温泉施設利用とセットになって

いたり他のプールなどとセットとなっているものしか予約できなかったりと利用をあきらめる

内容になっていました。

 

平日でのんびりゆったりスキーと温泉というのももはや上越など交通の便が良いところでは

望めず足が遠のく結果となっています。

 

となると秩父のような日帰り観光地は俄然日本人の人気の的になり昨日などは昼頃配達を兼ねて

でかけると食事処は行列ができていました。

 

こういうのをみると日本人の貧困の極みの様に感じてしまうのは私だけでしょうか。

 

以前はランチに出かる店もありましたが、最近はないのです。

 

以前は風情のあった路地も昔の風ではなく、変に観光地化してほしくないものです。

 

さて、季節のブレンドは昨日の時点である程度固まっていたものの何か足りない気もして

今日また新たにブレンドしてみます。

 

感じとしては中条あやみぽくしたいんだが解るかなあ。

 

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桜近づく

2019年03月28日 10時46分05秒 | 珈琲

私のランニングコースには看板もないホルモン焼きの店があり、不思議な存在といつも

気になっていました。

出来た当時、真っ暗な金仙寺原にポツンと明かりが灯り、寒さに落ちた気分を明かり一つ分

の温もりで少し気分を上げてくれる存在でした。その後、辺りに住宅が相次いで出来てそんな

の中の一軒家という感じから中間地点的な目印に変わりましたが、相変わらず人の温もりが

感じられる明かりは夜の寒さに一筋刺した光明の様に暖かい目印に変わりありません。

 

ひざの痛みが恒常化しているこの頃、全く同じようにバスケットの接触から膝に痛みがあり

スキーにも影響を与えたという記述が7年前にも書いてあり、昨年の夏のバスケットの練習と

試合での接触とこの一年膝痛が続いているのも前にもあった事かと何も深刻に考えることも

年齢的なこととすることもないような気になりました。

 

走っていると痛い時もあるものの走り続ければ痛みは消えるので、やめてはいけないように

思えるのです。今では難しいコース全てを通してK5分ペースで走ることもできないとあきらめると

年寄りの散歩と変わりありませんが、今でも痛みや苦しさの中、K5分のペースに上げられる時間帯が

訪れるのでこれをなくしてはならないとあきらめないことと続けることにこだわっています。

 

季節を肌で感じその変化を一番感じるのもこの走っている最中に起きる出来事からです。

 

それは疲れて気持ち的に落ちた時に嗅ぐ街の匂いとか花の香と時には新芽の出てくる香りもあり、

真っ暗の中でもいつもは聞かない鳥の声とか寒さや温かさといった肌に感じるもの以外のものにも

敏感に影響を受けるのがこの走りの最中なのです。

 

風の音の変化も直に空気の塊にぶち当たるからこそ解ることで、車移動や自転車やバイクとも違う

肌で感じる空気感というのがまるで違うのです。

 

それはゆっくりと散歩するのとでも違い、走りその空気にぶち当たる感覚と暑い時にはその暑い空気の中を

もがいて泳いでいるときのように喘ぐのもそんな時にふと感じる草の香とか花の香りの鮮烈な匂いに如何に

救われるかやってみた人でないとなかなか理解されないことです。

 

これなどは禅宗の公案と似ていて実際の禅問答や座禅体験と同じでやってみてわかる感覚という

ものです。

 

禅宗でもただ考案の問答集と答えが重要なのでなくあくまで自身がどれだけ今まで自分の中の

仏性やら悟りに至るイメージを突き詰めたかが重要で仏教の理解と自身の深まりと対峙できたか

を問われただけに過ぎないのに世の中では案外もっと安易に答えを求めるのです。

 

そんな精神世界の話でなくてもトラックドライバーでもあるときいつも同じ道を走り、

夕陽を見て突如何かを悟ったような思いに駆られそれからもうその時の思いを思い出すと

同じ道を同じ気持ちで今までのように走れなくなったという体験を聞いたことがあります。

 

世間ではあと数日で新元号が発表になると新時代の到来と盛んに言っていますが、

さすがにもう早春賦の感じとは違い、この空気と桜の花とまた次のブレンドのイメージが

固まりました。

 

やはり春の到来の中飲みたい味と桜咲く春と新時代とはどんなものか。

皆さんはどんな春の中にいるのでしょうか。

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終わりと移り変わり

2019年03月27日 12時25分03秒 | 珈琲

先週のEテレ100分で名著は漱石スペシャルでしたがこれが

全く内容がだめでどこがスペシャルなんだよというものでした。

 

よく初期三部作とか三部作というくくりで共通したテーマなり関連した

話題なりが語られることがあるのでそんな感じのスペシャルなのかという

ことで見ていたらなるほど最初に三四郎が来て初期三部作でいくのかと

思わせたらとんでもない決めつけでこれは童貞小説だとか夢十夜が教養小説だとか

とんでもないラベル貼りで決めつけ作品ごとの連携や深まりなどの情報もなく

何がスペシャルだという内容だったのです。

 

漱石をよく読むものとしてはただ腹立たしいもので深く読み解くこともなく

ほんの上っ面を引っ掻いた内容でただむっとするばかりだったのです。

 

最後の明暗に至っては家庭ドラマの対立ばかりを話題にして対立小説などと

レッテル貼りをして的外れもいいところの展開を平気でやっていました。

明暗を語るには門が必須であり、門が出てくると夢十夜やそれからにでて

来ることも関連していて特に門の仏教に触れその世界観から最後その境地という

べきことで書かれた明暗を家庭内のドラマの対立しかスポットを当てないというのは

いかにもへっぼこであり、三四郎のストレイシープを迷子のルビとして流すのも

これでは村上春樹へつながりをあえて消しているような何がスペシャルだよという

感じを強くするのでした。

 

元々本のテーマだけをざっと切り取り100分でその世界観を味わうということだと

元の本は読もうとしないでしょうし、このように明らかに食い足りない内容不足の

方が良いのかもしれません。ただ、それはあくまでああ大変これは自分で確かめなくてはと

気が付ける人向けで一般の人には百害あって一利なしという感じです。

 

NHKは先日の宮沢賢治の銀河への旅ではそこまで言い切ってしまうのかというネタばらしを

したり、どんな意図がありどんな思惑なのか時に疑問に思います。

 

テレビしか情報源がなく物事を深く考えない人にはこれは危険な情報なんではと

思ってしまいます。

 

まあ私が思うほど世間の人はテレビのいう事を信じないのかもしれませんが、

明暗に関してはおせっかいでずうずうしくもこの結末を書いた人がいるという

のがかつて話題になったことがありました。

 

私はまだ読んでいませんが、それがこの本が家族の対決の小姑と家庭問題の対立

でそれを決着づける続編だったら意味がないし、本当に興味本位で続きを書いたと

いう事になるでしょう。ですが、書いた人が門を読みその考案の意味と漱石がたどり着いた

結論を踏まえてその世界観を完結させたいとしたのならそれはすばらしいことであり、

ちょっと読んでみたいかもという気もします。ただ、どうでしょう。芸として当時の

漱石の文体とか虚構の結末ということで書かれている可能性の方が強く、最初から

解ってしまい読む気にはなれません。つまりは対決小説ということでとらえられているだと

すれば。

 

昔、ブルーチップとかグリーンスタンプというポイントカードの元祖みたいなのがありました。

私の珈琲人生にこのブルーチップはかかわっていて現在ではTUTAYAが始めたティーポイントと

いうポイントから通販会社の参入でポイントの互換とか履歴の販売という問題やさらにはキャッシュレス業界や

仮想通貨まで絡んでコンビニでポイントカードは持っているかという催促もそのうちなくなるのかという

状勢になってきました。

 

そもそもキャッシュレス世界になれば社会コストが軽減してより良いサービスが受けられるという

ことですが、果たして便利で安全なキャッシュレス化となるのでしょうか。

 

すすんでいる国ではチップを体内に埋め込んで使うところまで来ているという事です。

 

私が思うにそれなら網膜スキャンとか静脈スキャンと連動するとか国民背番号制と連動

させればできることだと思います。

 

家畜のようにICタグを打ち込むなんて野蛮なんじゃないかと。

 

世の中とかくものすごい勢いで動いており、やはりそれに振り落とされないようついて行く

ことは必要なのだと最近よく思います。そんなわけで当店もなんとかペイとかを導入して

行かなくてはならないのでしょう。

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やたらと起こる春の事件

2019年03月26日 09時21分54秒 | 珈琲

花をむさぼる中型の鳥はどうやらヒヨドリのようです。

胸の模様でツグミかと思ったこともあったのですが、ツグミは

ヒヨドリより一回り小さいようですし、とにかく鳴き方での違いが

あります。

 

今日はやけに杏の木に飛来して盛んに花をつついていきます。

 

ヒヨドリが来ると他の鳥が寄り付かなくなり、種類は望めなくなり

ただうるさいだけです。ただ、セキレイのようにフンを撒き散らしては

行かないだけ良いです。

 

しばらく葬式とか墓参りとか法事関係の事件が続いたと思ったら、同級生が

秩父に帰りレストランを始めたという話で出かけてみたり、何かと騒がしく

事件が続きます。

 

週末にはバスケットの試合が続いたり、町内の祭りがあったりという春の行事と

毎日のランニングと慌しく時が過ぎていくのにただ振り回されているだけに

過ぎないような日々ですが、そこに珈琲のアクセントがあるとまた違ったものも

感じることができます。

 

先日開店した秩父に帰ってきた同級生の店も最近相次いで秩父にできるイタリアンの

店で石窯のピッツァが食べられたりするものですが、どこでもたいして差がないという

今までの物から別に訪れたいと思うような店でもないのですが、実際に食べたらびっくりの

今までの店と違う味があり、これは新鮮に感じました。

 

秩父の店というのはどこも最初は賑わうけど一年以内になくなる店も多く、とにかく

どんな店か興味を持ったら早めに訪問しないとなりません。そして、一番いけないのは

どの店もメニューが固定で開店からずっと同じ内容という事が多いのです。

 

野菜とか旬の味とか季節の観念がないのか今の時期に食べたいという感性を持ち合わせないのか

当然一度行けばもういいやと思われても仕方ないのですが、先日の店はそんな中可能性を感じさせて

くれました。

 

秩父の町を夜走るといつも肉の焼けた匂いがどこからか漂うそんな街で昔あった料亭や小料理や寿司屋など

が減りみんなホルモン焼き屋ばかりという業態の店になっていきました。とはいえ、昔からお花畑駅周辺というのは

焼き鳥屋やホルモン焼きなどの店が多く、夜になるとその煙が通りに雲のように流れるという光景を昔からみている

ので、夜は寂しくなったという思いはします。先ほどの店も私のランニングコースにあるのに昨年の夏から準備して

いたというのに全く気が付きませんでした。これは夜走っているからでオープンして明かりがつくまで知らないという

のはあることです。

 

長年流行っていた店も突然なくなり寂しい思いをしたり、それでもまた新しい店もできていて新しい秩父になって

行くという感じです。

 

そんな移り変わりの中でも不変なものというのがあるとホッと落ち着き信頼という心の治まりどころもできると

いうものです。そんな意味で自身の落ち着きどころに珈琲を持つというのもいいのでは。

 

その代表的なものとして是非ブラジルサントスのNO2の味を知ってもらいたいと思います。

とかく珈琲通と自称する人にはバカにされ飲まれもしませんが、試飲していただくと当店がスペシャルティと

レギュラー品を同列に販売しているのか理解いただけるかと思います。

 

 

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最近多い問い合わせ

2019年03月25日 13時22分41秒 | 珈琲

昨日の夜のニュースでは山の遭難が相次いだというのがありました。

私の良く知るスキー場から登る山からの滑落やら道に迷った人やら山から下りられず

凍死したとかいうものでした。

 

この報道のスタイルは安易な計画での登山の危険性とか春の山はまだ冬だというもので

そんな安易なものではないだろうといつも思います。これはいつか深く書くとしてそれらを

見てもう一つ気になったのは、その登り口のスキー場のコンデションのよさです。

 

スキー場が呼んでいるような映像でなんとも複雑な感情や思いが去来するのでした。

 

さて、ここのところ多いのはどんな豆がありますかというものです。

 

当店にご来店のお客様はご存知なのですが、いつも季節ごとにブレンドしている

季節のブレンドはサービス品で特に季節に飲みたい味を提供するものです。

というのも季節を感じその移り変わりに思い致すことの少ない現代人に自然のすばらしさと

人間とのかかわりとか人の生をもう一度考えてもらいたいという思いもあり、スペシャルティでも

滅多に手に入らない希少豆でもつぎ込んでブレンドして今の季節と今の気分にふさわしい味を

追求しています。ですが、いちいち使った豆を反映して値段を決めるようなことはせず

まずは知ってもらう事からとずっと1000円の固定でやっています。

 

もともと当店の様にスペシャルティとレギュラー品を同列に扱う店は少なく、とかく単一農園もの

とか農園直取引とかいうものが幅を利かせています。前にも触れましたが、そのスタイルの危険は

簡単に考えれば解ることで、政情不安や自然災害の多い地球規模でのコーヒー生産地は常に良い品と

いうのは変わります。農産品ですからそれは避けられないことで様々な理由から良品でもとても安く

入ったり、たいしておいしくなくても高い物とか流行り廃りで高値のままとか味と値段は常に乖離して

おり、少しでもその実力の一端を知り自身の好みの味を知ってもらいたいという思いをしてきたことと

このスペシャルティの豆と同列の扱いのレギュラー豆の品揃えがあるわけです。

 

これからはもっと単純に書きますが、当店に来店してすぐに在庫の表記を見ていただけばその日の

焼けた豆のリストを知ることができますが、レギュラー品の豆などは書かないことが多いのです。

コロンビアスプレモとブラジルサントスNO2、マンデリンG1などは大概いつもあるのですが、

一般店舗さんは買い求められますが、一般の人はどうしてもスペシャルティに目が行くようです。

 

それでは今あるものといえば、ニカラグアSHGカサブランカ農園、パプアニューギニアパラダイスプレミアム、

ブラジルビッグウエスト、エチオピアシャキッソハニー、同じくナチュラルとモカマタリです。

エルサルバドルのバカマラは複数の豆があり、焼けばタンザニアスノートップ、東ティモール、

エクアドルアンデスマウンテン、などなど他にもあるけどあまり売りたくない希少豆等いろいろ

あります。

 

ペルーやメキシコ、インド、インドネシア、ジンバブエ、ホワイトキャメルなどです。

 

前日までに銘柄指定して買われる方もいますが、最近は圧倒的に焼けている豆を試飲して

買う方が多く、店主の不在確認だけする人が増えました。

 

吉田の道の駅にも置いてあるのでご利用ください。

 

ブラジルサントスNO2はいつもここにあります。300g960円と手ごろさと味で選ばれて

いるようです。ドリップパックなどもあります。

ただ、マンデリンにしろモカマタリにしろ本来の味を知っていただき、ブラジルの基本の味として

ブラジルサントスNO2も記憶にとどめていただきたい味です。

試飲いただけると最近感じた豆に関するお話や事件など紹介いたします。

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モカマタリの根源的な味に

2019年03月22日 09時26分42秒 | 珈琲

今年は庭木をかなり伐採してしまい、庭に訪れる鳥の様子も変わって

います。今までだと杏の木に日々蕾や新芽をついばみに来る鳥が多く、

それに虫たちも沢山木に居てそれを目当ての鳥もにぎやかにやってきました。

トトロの腹の模様のように逆三角の模様に覆われた鳥が印象深く、ツグミの

ようであり、いつも来るヒヨドリのようでもありこれはいつも見極めに至っていません。

 

その他いつもより大型の鳥も来てこれは春で旅立つほんのお立ち寄り的な来訪だったり、

かつて大きな鷺が屋根に止まっていたこともあり、庭に居ながらにしてバードウオッチングは

なかなか楽しいのです。

 

昨日の夜は昼間の暖かさを受け、陽が落ちても今までの辛いランニングからこうも

寒さがないだけで違うのかというのを実感しました。

今までの辛い思いで走っていたのは何のためだったのかと思わず問うてしまうこの違いですが、

季節とはじわじわと訪れるのでなくいつも急な変化とまた逆戻りとこちらの準備を試すかのような

いつも試練の連続です。それに加えて最近では災害レベルの気候変化が多く、多く雨が降ったり

いつもは来ないコースで台風が来たりと厳しい気候が常態化しています。

 

オリンピックが近づくにつれ矢鱈復興だとか言われますが、税金の投入のしどころは従来通りで

どこが復興なのかという現地の映像にいつも心寒いものを感じます。

こういう流れの中で考えるのは、先日の運び屋のような大衆を意識した造りです。ジェームズスチュアートには

似てないのに劇中何回か似てると言われたりマネしてると言われたりするので非常に違和感を持ってそのセリフを

聞いたので終わってからも記憶に残りました。さらに平気で差別用語を使う主人公にあたかもそんなことは日常的に

アメリカではあることで別にそれは争いになったり、格差なり人種間の隔絶が今も残るというものではないという

態度だったことです。これは黒人を前に二ぐロと平気で呼んだり、明らかに反発を感じてそう呼ばないでくれと

いう黒人と見ている方がハラハラする緊張する場面なのに当人はまるで気にせず脅威にすら感じてないもともと

そんなことは何でもないという感じです。バイクに乗ったごつい女の人が私たちはダイクスだというシーンも

そういうこともあるさという別にどうという事もないという態度で扱うのですが、これは手法としては

トランプが当選したのと同じで今まで忘れ去られた世代、時代から零れ落ちた人たちにも忘れてませんよという

態度で接する大衆に応えた姿ですが、これは人類が得た進歩とか発展に後ろ向きでよいことなのでしょうか。

 

こういう誰もが気にせず起きる変化に唯一触れたのがEーテレの大衆の反逆オルティガの回です。

 

教養番組の良心のような感じでこういう事だよと日頃感じる疑問に答えてくれたかのようでした。

 

私たちの今の世があるのも戦争や災害で亡くなった人たちの上にあるもので決してそういう過去の教訓は

忘れてはならないもので、民主主義という世論の数の暴力のような世界でもその物言わない人達の一票も

数に入れなくてはならないというものです。

 

そんなこと考えたのもお彼岸という事で秩父に戻ってきた人の来店を受け改めて今日はそういう日かと

思い至ったことからです。そんな日に飲む珈琲は根元的な味の珈琲です。

 

そもそも珈琲の起源はエチオピアとイエメンとあり、どちらも文明と宗教の起源と結びついています。

 

両地域の珈琲を知ればその古い記憶も蘇るというもので、珈琲とはという事もおのずと蘇ります。

 

この味を語るのに古い教室で嗅いだ机の中だったり、筆箱の匂いだったりという懐かしくも忘れ難い

者たちです。そして、香りと味が深く思索の森へいざないます。まずこの香りが一口目の苦みと二口目に

残る甘みと重なれば重なるほど強い苦味は薄くなり、甘みが印象に積み重なり、その両方がうまみという

形で結実していきます。

 

その見事の様はオーケストラのコンチェルトのようであり、スバ抜けた技量のカデンツァとそれに対峙した

オーケストラがまたその度量を包み込むように応え受け止め見事に自らも主張しとひとつの物語に突き進むかの

ように物語が語られていくかのようです。

 

これこそがこの珈琲の持つ持ち味にして醍醐味と今日はこれを試飲していただき秩父のひと時もより印象深く

思われたのではないかと思うのでした。

 

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『運び屋』

2019年03月20日 08時46分29秒 | 映画

ここのところスキーにも行けないで随分引き籠り的な感じに思え

外出をしようと閉店後映画に行きました。いつものシネコンではやっていなくて

入間か熊谷ということで久しぶり熊谷のシネコンで見ました。

駅ビルにくっついた施設で入るのに渋滞が予想されましたが、さしたる混雑もなく

余裕で車も止められました。

クリントイーストウッドが監督で主演という久しぶりの全力投球ということで、いまだ

役者としても現役ぶりを示したのですが、なんと役は90歳にして麻薬の運び屋という

ものです。これは実話をもとにして作られたもので、その運び屋という汚れ仕事をやる

というクライム映画なのかというと人生とか家族とか愛とかを考えるようになっていて

さりげなく繰り返し描かれるのは多様な社会で差別的な現状がでてきますが、それは

あまり押しつけがましくなく、強い暴力で描かれることはなく、普通にあることで

それは知恵と工夫で乗り越えられるものだと言われているように感じます。

私がこの映画を見る気にさせたのは来日したクリントイーストウッドが語った主人公は

罪の意識を持っていなかったことだという一言でそれはどうゆう事かと見極めてみたい

気にさせました。つまりこの映画で言いたいこととか描きたいことが最後のシーンに

込められていたんだなあとしみじみと感じるようにできていてなかなかやるなあと思わせます。

つまりは世の中の法律とか正義以上に大いなる力とか超自然的存在により与えられた生とか

意義とかを考えさせられるのですが、それを神とか特定の宗教とかを語らずに表したところが

散々差別的な表現や人種や嗜好の人との出会いとふれあいの中で対比させたことで

全人類に通じるテーマとして示されたという感じになっています。

同じように運び屋を描いた事実の映画化としてすぐ思い出すのがトムクルーズのバリーシールですが、

こちらはCIAの潜入捜査という事で始まり国の主権とか貧富の差とか色々と考えさせるものの持ち味は

強者や世間を出し抜く痛快さや強権の前には手を出せない事案もあるという複雑さで時に何が正義かと

いう事にも絡んでくるのですが、今回のようにテーマの最後の持って行き処が誰でも納得できるもので

示されたことや一番の悪に最後やられるかどうかという差も見た後の後味の良さにつながっていて

前作のグラントリノとの差もありまだ次にやってくれそうだと感じるものもあるのもすごいことだと

感じました。逮捕されたときの後ろ姿は80後半の老人の枯れた姿ですが、歩く姿はあの往年のローハイド

やハリーキャラハンのままなのです。ファンとしてはまたかっこいい男を演じてほしいと願わずにはいられません。

さて、映画を見た後はさらに車を飛ばして大泉まで足を延ばして夕食を食べに行きました。

大泉はご存知のブラジルからの移民が多く暮らすブラジルタウンです。真っ暗であまり感じられ

ませんが明るいうちなら看板など異国情緒に満ちた様相です。もちろん訪れたのもブラジル料理のレストラン

ブラジルです。ここは孤独のグルメにも紹介されました。シュラスコと煮込み料理を味わうのですが、

以前訪れた時とは逆で私たちが訪れた8時ごろにはもう誰もいませんでした。不安な気持ちで中に入り、

注文すると途端に映画の一シーンの人になったかのような不思議な状況になりました。これは最近のスキー場

などでも感じる日本に居ながら海外旅行をしているような感じです。今後そういうイメージを多く抱く事態に

なるのかという気もします。そういう特別な感じもあり遠出しましたが、料理の味がどうも私にはしょっぱすぎ

帰りの道中ずっと気持ち悪くて仕方ありませんでした。

 

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沈丁花とつぐみと

2019年03月19日 09時24分18秒 | 珈琲

昨年の記録を見ると毎週スキーに出かけその間に葬式やらお見舞いやら

通夜やら講習会に決算に年末調整と怒涛の期末の様子がうかがえる内容に

なっています。

 

ところが今年は今月に入り遠出は講習と法事と近所の葬式だけとなにやら

俄かに引きこもり状況になって来てそれでやたらと詳しい花粉症事情の検証やら

薬ごとの効きぐわいとかそんなことばかりが記録に残り、新しいものに出会うと

いう事態に至らない感じになっているのではと月も半分すぎ後半になり危機感と

して感じるようになっています.    

 

とはいえだからとすぐにでも色々と足を延ばしてという状況でもなく、なにかに

囚われて今しばらくこの季節に付き合わなくてはならないのかという感じもします。

 

昼間出歩けない時にはよくシネコンに出かけたりしましたが、今は見たい話題の作も

なく、小品的に気になる作はあるもののそれでは重い腰を上げるには役不足という

状況です。

 

そんな寂しい状況に季節はすすみ、庭のアンズは咲きだし、沈丁花も香ります。

 

引き籠る早春賦の今に季節は猛烈に春に向かいすすんでいて花は咲き、冬のような

風が吹く中、花の香に満ちています。すると鳥たちも色々な鳥が庭を訪れ、今まで

見た事のないような鳥や鳴き方を聞きます。

 

そんな変化が毎朝飲む珈琲にも変化を与え、香りと一口ごとの味にも変化を

与えます。それをとらえ感じまた次の珈琲に思いを馳せるという重要な時間が

朝の珈琲タイムです。仕事に忙殺される最中に飲む珈琲にもあああの味をという

欲求が急に湧いたりするのも沈丁花と梅や他の花々の香りと猛烈な花粉症と気分を

乱す大波に意識の集中が対ー峙した時また新しい味の欲求も生まれます。

 

それが大海の中の小島の珈琲産地だったり、火山のグアテマラの山々の中の味だったリ

自身は引きこもっていても気分は世界を巡るのでした。

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セントオブウーマン的週末の出来事

2019年03月18日 12時20分36秒 | 珈琲

ローカル路線バスの旅Zは二回連続失敗しているので、今回失敗すると

番組降番をかけて挑む野島崎灯台から大内宿ということで、私が今年見のがした

あの大内宿に行くのかとこともあり、興味深く見ました。

 

印象としては肝心のドラマ性とか人々との出会いやふれあいという番組が本来

持ち味としていたものがこのコンビになりやはり失われているなあという

残念なものです。食事したり一日が終わり最後の食事の際にはその日の進んだ距離を

地図で見せて乾杯するお決まりのシーンなど太川や蛭子のキャラが光るところですが

今の田中、羽田にはそれをほうふつとさせる名シーンという再現ができておらず、

番組ファンとしては矢鱈と失望の念が浮びネットでの評も芳しくないのです。

 

しかし、これを放置して続けている意味としてはこのテレビ局は様々な旅番組をやって

おり、ない物ねだりでみてしまうという効果を狙っているのかとかんぐってしまいます。

さて、問題はこの旅番組ではなく、BSでやった古い映画『セントオブウーマン』です。

これは何度か見ていて、偏屈な盲目の退役軍人とアルバイトでその面倒を見る名門校に入った

公費支給の苦学生という到底面白い展開など望めない設定から最後は名場面として残る演説で

苦境を脱するという見終わってほんわりした気分になれる映画なのです。

 

アクションもハイテクもビジュアルエフェクトもないという俳優の演技力が問われる設定で

そのセリフ回しや独特の台詞でその場を仕切り自分のペースにしてしまう圧巻の演技には

現代の映画では見られないものがあり、なんでこんなに心に残るのかと見終わってからも

ずっと考えてしまいました。

 

who areという掛け声のような一言で人々の注目と関心を集め、挙動や言動には横柄で

いてそれでも憎めない人を取り込む魅力と迫力があり、何でも自分のペースに持って行くと

いうこういう人物は私の周りにもいたのです。

 

そういう人を見てきていたから余計自分も含めて憧れと人と人の交流とかふれあいの根源的な

ものを考えさせられてしまうのです。

こういう純な映画というのは齢をとり酸いも甘いも色々と世の中を見てきてしまうと簡単に

受け入れて楽しめないという経験はあり、今回も20年を経て見返してがっかりして色褪せてみえたら

いやだなあという危惧はあったのですが、それがまるで外れて逆に鮮烈に以前より深く見れた

感じがしたのです。それはセントオブウーマンという題になったものが表すようにアルパチーノの

退役軍人が付けている香水の匂いからその人の人となりから容姿や雰囲気までを言い当てるという

特技のような設定に共感覚のようなイメージも重なり、あの魔界のヴァイオリンの時のような

感じで見られたので余計深く見られたのかもしれません。

 

そもそものテーマは全てに絶望しまっくらだという深い絶望と盲目の闇に対して、学生とのふれあいから

生きてみようと思ったそのお返しに彼の審判の席で演説で窮地を救うという行為は一見学生と元軍人の

友情の様にとらえられテーマとしてその感情の交流と感動のスピーチがその成功とともに見る人をほんわりと

させるのかという解ったようでなんとなく納得しないところに二人を呼び止めた教師の香からフランスの香水と

その名前を言い当てその人となりを言い表して見せるシーンでそういう事かというこの物語の主題のセントオブウーマンと

いう題が付いてるわけも納得がいくという構造になっていてやられたという感じにされるのです。

 

この映画の構造は本当に一杯の珈琲の物語に酷似しており、香りから想像される物語と実際に

一口含んだ時の印象から、一口一口また深まる味とその展開と飲み終わり、上ってくる残り香と

後味に今まで感じていた幸せの感じと最初の印象が蘇る香りの印象と全てが一つで珈琲の物語と

なっていることとこの映画の構造が同じであることに思い至るのです。

 

そして今ならこの味と季節によりその物語を合わせてみるとよりその構造を知るものでなければ

成し得ないものを感じるのでした。

 

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冷たい風に

2019年03月15日 09時53分31秒 | 珈琲

暖かい日もあり、寒い日もある三月ですが、こんな季節には

割と苦味の珈琲とか甘みに特徴があるものとか飛び切りうまいとか

個性派がよいのです。

 

ただ、苦いのがいいとか甘いのがいいと指摘する人は稀で、試飲して気に入って

買われることが多いのです。どんなのが合いそうなのかそれは会話のうちに瞬時に判断して

提供します。

 

そんな見極めも心遣いのうちなのです。

 

先日行われた秩父市と豊島区の交流でのバスケットの試合ですが、これは昔から行われていて

試合の後の懇親会で解ったのですが、当事者の試合参加者はなぜバスケットの試合を秩父市の人と

豊島の人がやっているのかと知る人はなく、昔からバスケットが盛んな地域として交流が始まったと

思っている人が大半なので驚きました。

 

そもそもの交流は秩父氏と豊島氏という中世期の話にさかのぼるのです。

 

秩父は日本書紀などの古代文献にもしばしば登場する時代の要衝で日本の成り立ちにも登場するのです。

よく歴史の古い町と言われて知る人もいますが、そんな歴史の痕跡は至る所にあり、日本武尊に

纏わる話から和同開珎など日本国の発展に寄与する遺跡なども残ります。江戸という名前の由来になった

江戸氏も秩父とかかわりが深く、江戸の成り立ちにも重要な役割を果たしてきたのです。

そんなことを踏まえ豊島区と秩父市は姉妹都市として古くから色々と交流を深め、文化スポーツから

行政的にもいろいろとやっているのです。

 

そんな事を考えると今のように道路や情報網がない時代には、ものの通る道と情報などが行きかう

道路と山と谷と川というのが重要な道筋としてそのターミナル的な土地とはその基地として栄え

山は資源の宝庫として栄えたという歴史が伺えます。やがて農業という産業を迎えるとそれも

変わりその農産物を運ぶ道がもっぱらとなりかつての情報や林間物資を運ぶ道とか川とかの役割も

農産物物資を運ぶものと変わっていったのでしょう。

 

今では鉄道や飛行機、高速道路といくつものルートができて古い道などを顧みる人などもおらず

地方の衰退に拍車がかかる状態となり、そこでなぜかつてはそんな内陸の山間地が要衝として

歴史に登場し活躍していたのか考えることがまた一つのヒントとなり新たな展開もありそうです。

そんな意味でもなんで交流しているのかは重要だと思います。

 

この春の切り替わりに何が好まれるのかを知るのもそんな人の根本を知ることから導き出せる

技かもしれません。その人が今どんな気分でどんな味の珈琲を望むのか、それは珈琲を知り

人が望むものを察知して試飲していただくライブ感ある作業と人間臭さの極地です。人のかかわりとは

そんな事でしょう。そんな事からほっとする心も生まれると感じます。

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毎日洗う車の屋根に

2019年03月14日 09時05分28秒 | 珈琲

冷たい風の吹く中、いつものランニングを済ませ、期末の事務やら

寝るまでにやることをずっと机に向かうという今時のいつもの様子ですが、

このままあれこれやり続けてスキーにも行けないのは嫌だなあと考えては

います。

 

昨年の今頃は毎週のようにスキーに一泊で出かけその合間に突発的な葬儀やら

の用事が起きたり、かなりきわどいスケジュールをこなしており、何故今年は

今月になりスキー行ができていないのかと訝る事態ですが、それはそもそも

草津の噴火も関係しています。

 

草津は昨日からの雪でさらにコンデションを増したという報が届き、こちらの

日増しに春らしさを感じる陽気との違いを感じます。この春らしさとは水ぬるむ

うららかな感じではなく、花粉が飛び、吹く風は冷たく咲く花は後を絶たずという

辛い中での諸々の活動なのです。

 

毎日ここのところ車を洗わないと緑のまだら模様となり、乗り降りする度多量の

花粉の被ばくを受けるような気もして毎度洗うのですが、こんなことしないで雪の

中で遊びたいという欲求が強くなります。こんな春に至る胎動の時はつらく春というには

厳しいものが満ちているのです。それを表したのが小学校の時に聞いた早春賦です。

 

今月の季節のブレンドはまさにこれをテーマとしており、この辛い季節だからこそ

心に寄り添いほっとした気分になりたいという願いとともに寒の時に感じたあの珈琲の

深まりとは違う感じで心を癒したいというアプローチを持っています。

 

心に寄り添いほっとした気分にという事で重要なテーマの味はいくつかあり、その

パターンの妙もぜひこの際に感じていただけたらまた珈琲の世界の奥深さに心動かされると

思います。

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私の復興案

2019年03月13日 08時56分11秒 | 珈琲

忙しいと言いつつもひとつづつ例年通りこなしていけば展開はいつもどおり

すすみ、いつもの行事にまた突き当たります。

今年も桜ブルボンの入荷の報がありましたが、桜とかイチゴとかフルーティーさを

前面にしない日陰ブルボンの方が味がいいような気がして今年は見送りました。

 

ムンドノーボ種のブラジルも一番多い品種ながら日本でどれだけ理解されているかという

危惧もあり、ブラジルらしいブラジルとは人はどんな認識なのか、よりブラジルらしい

味を広めなければならないと力んでみたりして今回の桜ブルボンに手が出ないのもそも

高い物より味の良い物との意識によったのかもしれません。

 

昨日常連さんに最近のテレビで見る被災地の今の景色を見て何を思うか聞いてみると

これという答えもありません。私が昨日書いたようなかさ上げなどしないでその費用を

直接住民に給付する方がはるかに復興になると説明するとそう考えるのは私だけだと

言われ世の中との乖離を感じました。

 

しかし、現実に国や県自治体の様々な支援を受けた地元企業は現実にもう青息吐息で

既に廃業や倒産も多数あり、NHKのテレビに出た釜石のホテルなども建物の再建に

四分の三の給付があり、その他給付金の返済が今年度から始まるとそれが出来ずに

倒産の危機にあるということでした。

 

今までいろいろなアドバイザーやら支援者のサポートを受け、津波の様子を伝え

当時を語る語り部として活動する姿や、今までは復興工事の人の宿泊やボランティア

等が宿泊したが今後は震災関係宿泊は減少し、今までのように海水浴客も見込めないと

いう状況が報告されていました。

 

つまり、津波で流され何もなくなってしまったところに復興と称して今まで通りインフラを

整備したりさらなる防潮堤やら防壁やらかさ上げ工事などを施したとて人は戻ってこないと

いうことです。

 

そういう土木工事や企業の設備には税金を投資してもそれを支える人の営みに支出しないと

入れ物だけ作っても中身が伴わず続いて行かないのです。

 

旅館は従業員が20名程度いたとしても個人事業主とたいして変わらず、それに四分の三の

建物維持の返済しなくていい税金の支出をするのなら戻って生活する人に直接一人一億程度

給付する方がよほど安く生活再建につながります。

 

企業に投資してもつぶれてしまえば税金は戻らないし無駄な投資となってしまいます。

 

しかし、テレビに映るのは大手ゼネコンのかさ上げ事業や防潮堤の建設で復興がなされた

かのような廃墟の建設です。

 

八年目ということで、報道で語られることはないですが、行方不明者も死亡認定され次に

動き出した人たちもいるはずでいくら有名リゾートの役員がアドバイザーになろうとも

人の気持ちがそこでレジャーをしようとか泊まりに行く必然がないと旅館など存続するわけも

ありません。復興工事の人の宿泊もなくなったとなればこれから大地震が予想される自治体の

津波研修をやるとか新たな支援が必要になるでしょう。

 

いずれにしても土木工事が主流の今の復興予算処理では人は戻らないし、復興にならないと痛感

するのでした。

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目白押し

2019年03月12日 09時20分21秒 | 珈琲

テレビでは震災関連の番組が流れていますが、八年後に見る現在の映像は

かさ上げされた土地に新たに建設されたうちはなく、これが今行われている

復興の限界を示しているように思います。私は当初から数千億円をかけてかさ上げ

する土木事業には反対でした。そんな事をすれば廃墟のような街を巨額の税金を

掛けて作るようなものです。そんなのは最初から解っていたことです。

 

当事者の意識としてはつらい記憶の土地にまた住みたいと思う人はいないでしょうし、

いくら復興と力んでみたところで人が戻らなかったら復興など望むべくもないのは明らか。

これはいくらつぎ込んでも批判の起きない絶好の土木王国の面目躍如で各地でせっせと

かさ上げやら商店街などを作りましたが、生活者のいないところに町は出来ず、更地を

未だに作っています。

 

その何千億をもとの地に戻る人に一人一億づつ配って新たに移住する人に数億配った

方がはるかに早く町並みは戻るでしょう。そうすれば住む人からその地域をどうしようとか

発展するために何が必要かも出てきますが、無人の土地からは何も生まれません。

 

そんな中、この時期怒涛の期末に事務作業は積み重なり、混んだ税務署で申告したり、いつもの

豊島との試合があったり、さらに色々と避けられないものが重なり出席したかったものにでられ

なかったり、ひとつこなしてはどっと疲れという日々が毎日続きます。

 

そんな中でもほっとしたいとミルを回して一杯の珈琲は飲むのです。

 

八年前の震災の時には計画停電で暖房が止まり、照明もなく、そうなると珈琲も飲めないと

愕然としましたが、やがて蝋燭やら手回しのミルとガスのカセットコンロなど電気に頼らない

物を集めて計画停電でも珈琲を飲むとそもそもはそういう事だと思うようになるのです。

 

最初は電気に頼らず生きていたし、なくても幸せだったんだなという思いを抱きました。

 

先日マルコメの全商品が出汁入りという話をしましたが、こうなると私たち世代は

出汁という食文化を知り、使用してきた経験がありますが、それがない人にはそれ以上の

発想が生まれないし、微生物までを利用してきた日本人の文化までに思い致すこともできないと

危機感を感じ色々な人に訴えてきました。

 

ところがある店でコース料理の一品にたまたま出汁を使わない椀物が出て

逆にやられたという感じになりました。

 

日本食に必須の出汁というのは足りないものに足すという事で生まれた技なのか

それとも素材の良さをさらに際立たすための技なのか考えてみると何が正しいのか

出汁がなくてもおいしいものはあるという現実に力んで日本人は出汁をとらなくなって

しまったと訴えても何の意味もないことを解ってしまい料理も結局どれだけの思いを

込めるかなのかという気もしてきました。

 

珈琲も今一番もてはやされているスペシャルティの味とは酸味の妙であり、それでは

仕事の後とか最中にガツンと苦い味を求めて飲む珈琲は邪道なのか、ただ眠気覚ましに

飲むのは美味しい珈琲でなくてもいいのかとか世の欲求と珈琲に求めらる要素と味に

ついていつも深く考えずにはいられません。

 

でも日本食に通じるものもあるなあとふと思います。日本食は万人がうまいと思うものに

通じていて会食の席であれこれ味を足す人はおらず、その見た目までが食の満足を表すと

日本食の魅力を語ります。それと同じように珈琲の黒い液体にも完結があるように思えます。

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戦い前夜

2019年03月07日 09時35分47秒 | 珈琲

またあの戦いが始まると勝手に意気込み毎夜のランニングも念入りにと

臨んだ昨夜のランニングはいつものがくがくの足をだましだましどうにかいつもの距離を

辿るのと違い、一度も歩くこともトイレに立ち寄り事もなくずっとリズムよく走り切れ

いつもと違う感じでした。これは寒さが和らいだことと今までのよたよたながら続けた冬の

寒さの中でも辞めなかったランニング習慣のおかげかと思います。

昨日のなんぷれの事に触れましたが、きのうやったなんぷれは以前手を付け解けなかった問題

です。ずっとここのところそういう解けなかった問題が解けるようになり残務処理とリベンジ

のつもりでやっています。

 

ところが昨日は今までやったレベルより優しい星二つの問題なのに解けないのです。

 

これはショックで今まで使わなかった数手先まで読んで必然を探していくという

高度の作戦もこの問題では先の先は二手づつの選択が残りどちらかで選択すれば

どちらかが決するという必然でなくなり、勝手にどちらかを決めていくと最後の方で破綻する

という読みが足りないのか必然の洗い出しが足りないのか何か見落としているのか解らない

状況です。

 

毎年この時期の恒例で豊島との交流試合があり、先週はそのための練習もあり

準備しているのですが、今までとは違う膝の違和感がありしっくりと来ません。

 

昨日は走りに関しては大丈夫という感触でしたがあまりにいろいろなことがこの先に

あり、試合の事ばかりに専念していられない状況もあり今年の市民リーグの試合の

ことを思い返したりするもこんな時に限りあたふたと注文の山がやってきたりと

まったくゆったりと構えることもできません。

 

朝はもう少しのんびりしてから仕事を始めたいと思いつつも荷物の発送期限が

次々と迫りそれに合わせ焙煎もしと色々と準備をするとそれでもやはり待ち時間と

いう釜の温度を待つ時間だとか郵便局の待ち時間とか空白の時間がなんぷれに

向かわせます。

 

ある程度マルチタスクで色々とこなしているつもりでも時にはひとつのことで

一杯にしたいという欲求も時に強くなり、それが夢中でボールを追っているときだったリ、

ゲレンデでただ真っ白の世界に浸る時だったりします。

 

そんなのがあって珈琲の味も色もそんな夢中時間に支えられていると釜に対すると

確かなものを感じたりします。

試飲の時にお客様の顔の変化や飲んだあとの一言とか何かが通じたように感じたり

共有できるものがあると感じたり、そんなことで前夜はうまっていくのかとそして

その後はと。温泉とスキーに行けたらよいがと考えつつ次の釜に向かいます。

 

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ナンプレと宮沢賢治

2019年03月06日 10時02分25秒 | 珈琲

最近のランニングではまともな走りができずにそれでも何とか走り出すと

ひざがかくっと抜けるような感じになることがあり、これは走り続けられ

られないのではという思いも出てきて歩きそうになるのをそれでもいやまだとなだめて

走り続けてやっとエンジンがかかり出し走り続けることができるというなんとも

頼りない状態です。それでもやめてしまえばそれまでだと走り続けるわけです。

 

そんなランニング事情の所へ走り出すまでのあたふたと仕事をしているわけですが、

時にはお客さん待ちとか何かのタイミングで待ち時間ができてしまい、今までの

溜まったビデオを見たり、貴重な読書時間だったりしましたが、最近の視力の低下で

読書はもっとゆったりとした気分の時でないとなかなか本の世界に入り込めず、最近は

ナンプレなどをします。これはナンプレ好きの人からもらったりしたものが家にあり

つい手を出し、先月は行き詰まりナンプレもできないほど頭が衰えたのかという感じに

なってましたが、それが突如復活して最上級クラスの物も解いてしまうほど頭もパズル脳に

変化したようです。

 

ナンプレはやりつけるとひとつの作業のようになり、ひところ感じたストリー性とか

推理と解法の法則性など考えましたが、どちらかというと一つ一つ可能性をあたる作業

のような面が強いかもしれません。可能性をあたることで正解にたどりつくという

ただの時間つぶしとなってしまうという危うさもあるものの人にはできないことをしている

ような優越感も少しは感じてしまう所がこのパズルの陥穽であり人々がはまる原因にも

なっています。困難なことをやり切るというマゾ的な魅力があるのです。

 

一つ一つ丁寧に可能性をつぶしていくという思考は何かを解法に導く意味ある脳活動に

通じていて世にはそれに懸賞など付ける雑誌があり、新聞でも毎日載っけているところも

あります。それだけ需要があり世界的にはやっています。

 

解き方が解ってくるとこのパズルの魅力も増し、チェスのように何手先まで読むかという

物語性が魅力と感じるのですが、時に力押しであれこれ数字を無理やり入れてしまったり

当てづっぼうに決め打ちして解けてしまったりと考えないでも解けるのでただ解法までの

時間を争うなら時にはとりあえず入れてみるという力押の方が早いこともあります。ただ、

あれこれ考えている時間が楽しみたいという向きにはその方法で解けてしまうケースは

つまらないと感じ、これは自然や環境保護論者が文化的生活を否定しているような構図に

似たところがあります。

 

例えば農業は自然愛好家や環境保護論者は自然農法とか有機農法を愛し実践しようと自ら

農業従事者になってしまったりしますが、そもそもの自然破壊がその農業から人類の自然破壊が

始まったことに気が付いていなという皮肉な姿に似てもいます。

 

その農業と生き方に自ら実践して自ら信仰する仏教思想を体現しようとして人気の宮沢賢治の

生きざまに思い致し、ずっと録っておいたままだったETV特集「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛」

をやっとみてみました。


今まで何かと宮沢賢治をとりあげその生きざまとか宇宙に対する先見性とか自然とともに生きた

生きざまとか例の手帳から発見された詩のように人々の人気は依然強く、NHKではよく特集されたり

その生き方に触発された人たちの物語を見てきました。でもよく思うのはそれほどの人気というわりに

どれだけの人が彼の物語を読んでいるのかととても不思議に思うことも多々あります。


それでも銀河鉄道の夜がどんなテーマでどんな物語か知らなくても銀河鉄道999はみんな知っており

そのテーマ曲はよく知っています。例えばそれは夏目漱石の小説世界を知らなくても坊ちゃんは好きで

面白いと思っているのと同じで人の容姿だけで好きだとか良いとか言っているのと同じで何の意味も

なく本質は知らずに終わる人の方が多いという事実に人生と同じものを感じます。


でも最近、仏陀のように悟ることとその目指そうとしたことさえ知らずに死んでしまう事と然程の差が

あるのかという事も感じるのです。なんでNHKはこうも宮沢賢治を取り上げるのか毎年のようにその作品と

それに魅了された人をとりあげ何周年だとか東北だとか番組を作りますが、今回のテーマはびっくりです。

映画では幻の恋人という事で彼の恋をテーマにしたものが本から映画化されていますが、今回の特集は

彼の文学の源泉がある男性への愛だという詳しいものでした。見ていると悲しくなってしまいこんなに

赤裸々に暴かれてしまうと今までのように彼の作品も読めないという感じです。

 

逆にそんなところまで明かされてしまうと種明かしされたマジックのようでとにかくこうも個人情報を暴露

されてしまう事の悪趣味な感じのように感じ、その断定は果たしてどこまで正しいのかと疑う心も

湧いてしまい文学作品ではここまでやってはいけないという感じもしました。ただ、宮沢賢治が宗教にはまって

文学作品を世に出したという事実さえ知らずに彼の童話が好きだと言っている人はこの事実は知っているべきかも

しれません。

 

宮沢賢治の幻の恋人なんて映画を世に出してしまった人はこの特集は苦く自分たちの姿勢に反省をするかも

しれません。

 

そんな思索の果てさらに現実問題に立ち向かうのに今月のブレンドはすっきりとしていてこの厳しい

寒かったり、あたたかったり花粉たっぷりの風に嬲られたりの季節にぴったりの味です。

さらに今月は今までの深い味わいのものからすっきりとしていてさらに甘みも十分という果実感のある

物を取り揃えました。花粉の辛さやすっきりしない空に疲れたら来店されてみませんか。

 

 

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