これは昨年朝のニュースでも取り上げられて賞をとったとかで話題になりました。
アマゾンで配信されていて先日見した。
暗い映画で、テーマがボケ老人の記憶のはなしなので見たくはなかったのですが、見始めてあるシーンでものすごい既視感というか違和感というかが画面から伝わったのです。
それは主人公の女性がスーパーらしいところで買い物をしていて走り回る子供に何度も注意するシーンで繰り返し走り回る子供に走ると危ないよと声をかけるのです。何のためのシーンなのかと思いつつその画面を見て違和感のもとを探るとなんと映画の中の食品売場は我が町の百貨店矢尾ではないですか。
主人公が見たがる半分の花火という台詞で諏訪湖の花火大会かとすぐ思い付きますが秩父と諏訪湖の繋がりがなにかと結び付きがあるような今までの経験で秩父もなにか関係してるのではと百花 秩父で検索するとまったく違うことがずらずらと出てきます。百花という映画よりアーティストとかグループでヒットしたりワインやら蜂蜜酒なんかでブランド化しようとしてるようなものとか矢尾と百花を結びつける人もいません。
映画の設定現地は横浜と阪神です。何の脈略もなく買い物シーンを撮るためだけ秩父に来たことになります。そんなにスーパーのシーンにあう場所が他になかったのでしょうか。
他には秩父のシーンはなく矢尾だけなのです。そのためエンドロールまで見て最後の協力矢尾百貨店の文字を確認してしまいました。
映画はアルツハイマーで記憶を失っていく主人公とかつて主人公に捨てられた息子の話で主人公が半分の花火が見たいと言い検索して諏訪湖の花火を見せるのですがこれじゃないと言われてしまうのです。それがきっかけで主人公の自宅を訪れ母親の荷物を漁ることで自分が忘れていた記憶と母親の記憶が繋がり涙を誘うという話です。私の場合同じように母が認知症になり自分の子供の顔も名前も解らなくなるのを見ているのでただの映画でなく自分の記憶やら感情やらが思い出されて物語として楽しむなんてことにならず色々と思い出すことがいいのか忘れたものはそっとしておくべきかなどというどうしようもないループのなかにずっとおとされたような気分にさせられた映画です。今度はそれが自分の身に起きるのかと思うとなんと人生とは切ないものかと思えてきます。そうなる前に人格をネット保存するなんてことが将来本当に起きるのか人格は保存できないにしても記憶だけは色々記録して残すべきかなとおもうのでした。