King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

赤い蘭のような鮭

2014年01月31日 08時59分21秒 | 日々のこと
北海道フェアが近所のデパートでやるという広告を
見ました。

一番上のところに赤い蘭の花が載っていると最初認識
してしまうとそこから頭が抜けきれず、なぜサケという名の
花がここに出てくるのかと疑問に思ったものの、この絵は
何の模様かという観念から抜けられずにいました。

何の絵であるかなんて最初からサケと書いてあるのに
その赤い規則正しい花のようなところしか見えてなくて
花にしか見えなかったものが、ちょっと遠目に見ると
よく見る鮭の切り身が並んでいる絵でした。

最初からそう見るともう2度と蘭のような模様にはなり
ませんでした。

一瞬自分がロールシャッハテストに引っかかる異常者に
なったような気がしましたが、視点を変える重要性を
感じたことも事実です。

身の回りに潜む異常事態というのは意外とひっそりと
身に沿うように入り込んでいるものです。

例えば私の家に定期的にかかってくる電話もそのひとつ。

何かのセールスだろうと思っていましたが、何回かコール
が鳴ってすぐ切れてしまい、まるで留守確認でもしているか
ずっと気になっています。
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人は人ながら

2014年01月29日 12時08分54秒 | 日々のこと
久しぶりに今までよく見ていた他人のブログを
覗くと改めて自分の行動力と体力のほどを
知ったような気がします。

人より倍の行動力と体力を備え、常に気力充実で
体力も備えていると自負していたのに、本来なら
手にできる果実を得るのに倍する手間と時間をかけて
それでも必要とするものが手に入っているのかも
微妙な現実を見るにつけ、このままでいいのかと
いう自問がじわじわと自身の自由度を狭めていきます。

そんな拘束される時間と手にする果実の減少と
可能性を見つめて何をこれからするのか何を
証明しようとしているのか増々の混迷を招いて
いる感じです。

それでもやるしかないんだよという周りの声に
本当にそうなのかという自分の声も日に日に
強くなります。

確かに読書時間とか今まであったたっぷりの自由時間が
狭まり、全く考えずにその忙しさに振り回されるだけに
任せればじつに楽な道かもしれません。

得られるものに見合うだけ忙しく振り回されるのに
満足する人もいるでしょう。

しかし、梗塞や束縛からは得られないものも実はあり、
本来そこから生まれるものでずっとやってきた身としては、
今の身の回りにはそろそろ色々気にかけてやるものが
増えてきたと感じてもいます。

そもそも新聞をやめてしまうという家庭決議もそんな
ひずみの中から出てきたことでしょう。

最初は興味深く読んでいた小澤征爾の履歴書も段々
読むほどのことのないようになり下がり出し、やはり
ネットで読めればいいかという気もしてきました。

これは譲れないというものも静かに見つめてみれば
本当にそうかというのが見えてきます。

単純化して欲望を整理してみると意外とシンプルに
解決してしまうものなのかもしれません。
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例えばナチュラルなニカラグア

2014年01月29日 09時00分21秒 | 珈琲
未だに各地で猛吹雪や低温注意報の報道が流れる日々ですが、
日差しは確実に変わり、日も随分伸びました。

確実に春は近づいています。

昨日などは、朝はマイナス5度でしたが、昼間日が差すところにいると
じりじりと照らされて汗ばむような強い日差しでした。

巷では、インフルエンザやノロウィルスの猛威が報じられていますが、
これも冬の風物詩であり、騒がれた時にはもうすでに終わりが近い
という例にももれず、冬は確実に終わりに向かっていると感じます。

とはいえまだまだ寒い日も風の強い日も続き、何かほっと息を継げる
ものがしくなります。

そんな時にはやはり一杯の珈琲がほっとした癒しのひと時をくれる
わけです。

ナチュラル製法の良質な豆でそれをじっくりと深く焼き上げたニカラグアの
農園ものなどいかがでしょうか。

この時期、酸味の効いた昔ながらのコロンビアを所望される方も
いますが、素朴で自然の環境ではぐくまれたじゅわっとした甘み
のニカラグアなんかピッタリに思います。

ケニアの苦みに魅力を感じたり、ブラジルの素直な感じも捨てがたい
ですが、ニカラグアならこの冬のクライマックスに最適な感じです。

もっといろいろな変化を楽しみたいのであれば、エルサルバドルの
バカマラとかブラジルセラードなども試したくなります。

まずはニカラグアの雑味のない世界に一度浸ってみてからという
のは第一提案になります。

試飲に出かけてみては。
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ご近所の極楽、

2014年01月26日 23時06分20秒 | 日々のこと
寒いと普段考えないことを考えたり、無駄なこととか
めんどくさいと考えてしまい、だんだん後ろ向きになってしまったりと
いうことが増えてきます。

何事も積極的に前向きに行きたいものです。

人間と人間がぶつかるときその人の本音とか覚悟とか、見てきた
人生とかとかく本性を見たということを最近は語りたがっている自分が
いてまだそう簡単に総括してしまうには及ばないと自分で自分をいさめて
みたり、全く違う話し相手やら話題を提供してくれそうな人を求めたり、
何かとあがこうとしているこの頃です。

先日、映画の後に寄ったこだま温泉は秩父にはない本格的な温泉の感覚が
あり、久しぶりに温泉に入ったという感じになりました。

秩父にも浴感の良い温泉や効能たっぷりの名湯がありますが、どこも観光地の
温泉ということで、施設が新しいところは入場料も高くなっています。

それでもこういう日帰り温泉はどこもにぎわっていて、毎日入っている人も
いるようで、あちこちで顔見知りのあいさつが交わされています。

そんな日常の溢れた環境でいて、私にはこれは特異な非日常のオフで
あり、ちょっと離れた温泉で休日気分満点でした。

それに加えて、いつも通ってはいたけどこんな町はずれにイタリアレストランが
と思っていた店に寄ってみて予想上においしかったという収穫もありました。

秩父だと新しい店はみんな石釜ピザの店で、今更イタリアレストランは辟易と
した気分で入るには抵抗があったのですが、いつもにぎわっている雰囲気があり
ずっと気になっていました。

店内は昔風のレストランで、石釜はなくちょっと前にはやったスパゲティの
種類が並びます。

それでも、ありきたりの味でなく、しっかりとした味付けと素材でかなり満足
を覚えたのです。

どこでも業務用の食材会社製の既成料理を出す店が多い中、ちゃんと
料理人の手作りの料理を出してもらったというのが何か特別にうれしさを
ともなったのか木島平の同じようなレストランを思い出したのかひとつ
選択肢が増え近所でもまあまあ楽しめると思えた経験でした。
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『ゼログラビティ』みた

2014年01月24日 23時46分49秒 | 映画
また仕事を終えてから上里のシネコンまで行き、
『ゼログラビティ』を見てきました。

この映画は全然予告とかもテレビで見ていないし、
映画館で予告を見たわけでもなく、ただ、何を見ようかと
今やっているものをずらずらと眺めたときに、ジョージクルーニーと
サンドラブロックという主演だけでほぼ決めてしまいました。

そして、ネットで感想などをさらうとひどい映画だとか突っ込みどころ
が満載だとか、いいことやほめ言葉がなかなか見つからないところが
逆に安心感が出てきたように感じました。

もはやどんな絵でも簡単に作れるようになったので、もはや映画は
今までに見たことのないような映像とか展開とかにはあまり期待
出来なくなってきました。

とにかく、ドラマ性だとか見た後にどれだけの感想が残るかという
昔の映画のように半年くらいずっとその映画のことを考えたとか
感動が続いたとかそんな濃厚なドラマを最近感じ得ないのはやはり
若い純粋な感性というものが麻痺して鈍したということなのでしょうか。

まだそんなことはないと自ら否定しつつ、まず映画に行くというのも
ここの所楽しんでいないというまだスキーにも行けないというせめてと
も言う気持ちから日帰り温泉に行ったり、外食したり、さてそれに映画も
ということになったわけです。

結果から言うと、映画の本体からはあまり否定的な気持ちもバカらしくて
ついていけないともがっかりした気持ちにもならずまずまず楽しめたと
いえます。

それでも、とことん楽しんだとか今までにない映画だとかいう感心はなく、
斬新な絵も印象に残るシーンもないという結果でした。

なぜ、辿り着く人工衛星が皆廃墟でもうおしまい的な状況なのか
すごく疑問と違和感がありました。

実際に人工衛星の破壊というのは今までも行われているし、それに
よるジブリの発生はあったはずで、それでも現在有人の衛星は存続
しています。

もっと近未来的にこんなことになるという映画の方が良かったのでは
と思いました。
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最近のランニング状況

2014年01月23日 11時52分34秒 | ジョギング
例年この時期のランニングというのは走り出すまでの
逡巡と勇気を振り絞るに時間がとられ、いつも
ぐずぐずとした時間を過ごすことになります。

そもそも何をそんなに恐れているのかと自問したところ
やはり寒さでかじかむ手や痛くなる顔面のこわばりなど
寒さはやはり厳しく体に現象を残します。

何もやせ我慢をして薄着で走らなくてもいいのでは
ないのかというのをふと感じたのが今年の冬のランニング
です。

そもそものところいつもジョギング程度のスピードしか
出せていないので、それならそれにあったトレーニング
ウエアでいいはずです。

だいたいランニング用のロングスリーブTシャツ1枚といういでたち
は特異な存在で、道ですれ違うランナーは皆もっと防寒対策を
しています。

中にはフードをかぶったダウンジャケットの人もいました。

私の場合、Tシャツ以上の重ね着をすると結局、汗をかくことに
なり、すべて洗濯に出すことになるので、汗に濡らすのなら
最初から着なくていいとなったのです。

中でも一番寒さを感じる手と顔ですが、これは走って風を受ければ
それだけで寒さ増して感じ、手などはかじかんで痛さを覚えます。

ただ、これもある時点でふと血流が戻ったかのように痛いくらいの寒さが
緩むことがあり、全身のスイッチ機能チェンジができるともう寒さは感じ
ないのです。

これはただ麻痺して感じなくなる時がある日もあるし、血が巡って違う
状態になったとはっきり感じる日もあるし、だからこの服装で
と今までは思っていましたが、走り出すまでに時間がかかるようなら
無理して薄着でなくてもいいやと諦めて少し後ろ向きのような気も
するものの、やはり快適性を優先させ何のために走っているかを
考えればこれもまあいい判断ではないでしょうか。

それより、何かと走る時間が無くなっている現在に注目してとにかく
少しでも多く走る時間と素早く走りだせることを目指していると記録
のためにも書いて置かなくてはと思い最近少なくなったランニング記事
の書き込みとなりました。

現在氷点下にもなる厳しい条件の中、寒さという点ではこの1月下旬
が一番冷え込むのですが、体感的には昨年末の頃の方が
寒さを感じています。

そして、先日の大寒の報に峠を越えた寒さに勝ったかのような気持ちを
抱いたのが春の到来のようにうれしく感じました。
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氷柱にくる

2014年01月23日 10時03分56秒 | 日々のこと
今朝はロンドムノで朝の珈琲タイムでした。

昨日の夜飲んだコーヒーのことが少し頭にありました。

よく聞く酸っぱいコーヒーはダメなんですという言葉に
これも入るのかというのが昨日のコーヒーでした。

レストランだと一杯づつ豆から挽いてなんて淹れてられない
というのが本音でしょうね。

最近のテレビのCMではないですが、カップの底が顕わに
なるのが普通ですが、もしあなたの飲んだ珈琲が最初の
一口から最後の底が見えるところまで同じ味でないとしたら
どうですか。

実際は、一杯づつ淹れられた珈琲でも最初の一口とカップの
中ほどと最後の底の方では味が違うのはあることです。

しかし、そのいずれかが酸っぱくなってるとしたらそれは
もう飲むに値しないでしょう。

キーンと冷えた空気に熱い珈琲はよく似合います。

最近、なにかと氷柱がブームらしく、あちこちで呼び込みが
盛んで3か所もいまでは秩父地域にあり、やることが画一的に
なって甘酒のふるまいだとかスタンプラリーとか目新しさは
ありません。

どこかで花の迷路がはやったのと同じことがまたおきたのか
という感じです。

冬の観光というと限られるためにこの氷柱というのは数少ない
観光資源なので、自治体も力がこもるのは解りますが、あり
がちなイメージともっとあるだろうという感じはどうしても否めません。

冬の野点とか冬の野外コンサートとか星空と冬の味覚とか何か
企画はいくらでもありそうですがとロンドムノを飲みながら思う
のでした。
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代替休暇

2014年01月22日 23時59分03秒 | 日々のこと
今年はまだスキーに行けていません。

日本人の最大楽しみのこの温泉とスキーという組み合わせが楽しめるのも
今の時期だけであるのに、人生は一つを選択するとまた一つ失うという繰り返し
となります。

もっと適当にやるという方法や選択の方法が違えばまた違った展開が
望めるのでしょうが、今までの選択がこの結果につながっていることを
考えると仕方ないのかとも思えます。

さて、それでも今日は豆の発送とその焙煎に明け暮れたので、せめて
休日的気分に浸りたいと日帰り温泉と夕食は外食してステーキのディナー
としました。

最初は行ったことのない日帰り温泉を考えていましたが、走るという日常の
行動を組み入れるには無駄な移動はできません。

結局、近くの武甲温泉に行き、そこから1時間ばかり走り、それから風呂に
つかりました。

夜でも武甲山の雪景色が白くくっきりと見え走っている自分を見てくれて
いるかのようでした。

不思議といつも混んでいる秩父の温泉ですが、一回700円以上もするのに
近所の人は銭湯代わりに使っているようで顔見知り同士という感じの人が
周りにはたくさんいます。

駐車場も車が多く、ひっそりとした周りの秩父の町からは隔絶とした空間
のようです。

そんなにぎわう温泉を後にしてレストランでステーキのコースを楽しみ
旅館に泊まったのと同じような時間を過ごして無聊を慰めるのでした。
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また雪になりそうですね。

2014年01月21日 19時09分20秒 | 日々のこと
先日見たNBAの中継は、ダブルオーバータイムの末
ヒートがネッツに負けるというなかなか面白いゲームでした。

まるでシュートが入らないレイアレンとかファウルアウトしてしまうレブロン
とか普段見られない光景が展開していてなかなか興味深い内容でした。

どちらも故障者が続出して本来の力が出ていないという感じですが、
ネッツは徐々に本来の力を出しつつあるのに対して、ヒートはエースが
しっかり存在してもウエイドや他のサポートスタッフがいないと意外と
もろいガラスのエースぶりが出てしまいます。

なんかゆっくりゲームが見られないのでしっかりとした感想も最近は
書けなくて残念です。

そんなことをいいつつ、外は雨が降っています。

昨日の大寒は氷点下まで下がらずそろそろ寒さも一息かと思われ
ましたが、今日はまた氷点下の厳しい朝でした。

山にかかる雲からは明らかに雪が降り注いでいる感じですが、夕方
降り出したの雨でした。

このまま積ることのないように願うだけです。

今年はまだスキーにも行けず、のんびり温泉にも行けないとなんとも
残念な日が続いています。

色々考えますが、今までが良かったんだとするのか、これからもっと
良くなるのかそれはまあどうこれからを生きていくかという心持で
変わるもんです。

じたばたと行くのがいいのかのんびりとぼけっとして過ごすのがいいのか。

まあとにかく人に必要とされる人間でありたいものです。
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様々な気持に応えて

2014年01月16日 09時42分51秒 | 珈琲
当店のようなどこにあるのか知っている人は知っているような店
では、わざわざ来ていただけるでもありがたいのですが、それは
それで珈琲通の気持にいつも応えたいと求められる味と要望に
沿いたいと思っています。

珈琲好きの気持というのは昨今、コンビニの100円コーヒーの
出現でだいぶ答えてくれる環境が整ったと思われているようです。

つまりどこに行ってもおいしい珈琲が飲みたいとか、せめてまとも
でちゃんとしたものを適正な価格で飲みたいという人にはあまり
変わっていないのです。

コンビニのコーヒーがおいしいという話をする人は普段から喫茶店
やお気に入りの豆屋があるひとではなく、缶コーヒーをコンビニや
自販機で買う人達です。

米国のテレビドラマなどでは小さな水筒に珈琲を持って行くシーンや
キャップ付きの紙コップで珈琲を飲むシーンがよく出ます。

日本でもスタバやステタンがやたら流行ったことがありました。

しかし、それを続けている人がいるでしょうか。

結局、珈琲を巡る欲求は人それぞれながら、多くは味からとか
必然の欲求にこたえるものが用意されることはなく、味というものが
筆頭で断然となることもないのです。

多くの人は、外ではおいしい珈琲は飲めないとあきらめていたり、
うちで自分で淹れた珈琲が一番おいしいという人がおいしい店が
ないというのも何とも悲しい現実です。

そもそもそういう状況がミシュランガイドのようなものを生んだので
しょう。

現在飲食店のほとんどがレンジでチンして出すような店ばかりで
味やメニューに変化はなく、素人の料理人より拙いものもよく
出会います。

結局、味より時間とか地理的な問題とか一緒に行った人の都合とか
万人の意見を総合すると特殊な店や個性的な店は選ばれないし、
流行にのることもありません。

そうと解っていてもそれでも毎回豆を求めに出かけてくれる方や
最近では大量に一度に買って行かれる方も増えて、釜の最大
許容量を何度も焼くことが増えています。

そんな中あのブレンドをくださいなんて方が来ると突如300gくらいの
最低量を焼かなくてはならないケースもあり、改めて火力や排気に
気を使い、色々気付くこともあります。

人それぞれで好みのこの味を求めて一つの銘柄をどっと買われて
行く方もいれば、色々飲みたいからと様々なストレートとブレンドを
合わせて買う方とかお勧めをずっと買い続ける方とかその思いは
それぞれその人の心を表しているかのようです。

そしてその特徴と象徴のようにしてあるのが酸味の呪縛で年配の
珈琲通には多くいるずっと酸っぱいコーヒーを飲んできた人たちの
酸味に対する反応というのがあります。

これは簡単には解けないものなのだというのが最近の結論です。

それでも、多くの人の誤解を解いたと思うし、時には酸味が好きですと
いうお客様もいて必ずしも解かなくてもいいのかという気持ちになって
きています。
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ファゼンダの朝

2014年01月15日 10時34分21秒 | 珈琲
珈琲を飲む朝。

凍てついて窓まで凍りついた朝は室内も暖房をつけてもなかなか温まらず、
そんな中ぼんやりとした意識にもコーヒーの香りが柔らかく喝を入れて
徐々に朝の戦闘体制が整います。

ほんのひと時の静謐の中真っ黒の液体から立ち上る湯気が脳を活性化して
香りが背中をたたいてくれます。

ここのところはファゼンダカクエンジがお気に入りです。

モカマタリという真打は午後の極上の時間に取っておくとして、朝の喧騒の
中の静謐の時間にはファゼンダの甘味がいいのです。

寒さの定番でケニアの豆をよく焼きますが、これは珈琲通のひとにも
欠かせない豆で、苦みが強くインパクトのある豆と思われて買われて
行きます。

しかし、珈琲の醍醐味は苦みのみにあらずで、甘みと酸味が絶妙の
ファーモニーを奏でるものが頂点にあり、その香味と甘みに酔うひと時
こそ至鈺の時といえるでしょう。

エチオピアの豆も最近、質の高いものがあり、これも喜ばれています。

衝撃と喜びと様々な感激の言葉をいただくことがあります。

それはまさに花のような香りであり、ワインのような豊かさです。

その香り立つ種類を数えるもよし、花園のような心地に酔うも良しです。

しかし、朝にはファゼンダの甘味に浸っていたいという、もう少し暖房が
効いてくるまでと甘えてみたり。
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紙の新聞の醍醐味

2014年01月15日 10時01分39秒 | 日々のこと
ここの所朝の最大の楽しみは、日経の履歴書に小沢征爾氏が
登場し、珈琲とともに楽しむひと時が良い時間となっています。

内容としては、すでにどこかで聞いたことばかりなのですが、
本人の口から語られるとこの履歴書の特長ですが、一番の主張
が赤裸々になり、人生と対峙してきた姿勢とか人生観がもろに
出てしまうところが面白いのです。

芸術家とか政治家とか事業家とか色々な人が自分の人生を
振り返り、自信と見栄がほとばしる人や見識の高さを見せる
人やそれぞれの実力が垣間見えるものの、どの程度の真実が
あるのかという疑念の話も時には読む羽目になります。

また自慢話だったり、ひけらかしなら別に読む必要もなく、私歴
をただつづられてもそれもあまり興味はないのです。

ただ、あの芸術家の成り立ちとその完成の度合いを見届けると
なると歴史的事実に立ち会うようなものにも時にはあるのです。

もっぱら興味本位と歴史的証人として社会参加しているような
気分の時もあったりしますが、ようは興味本位です。

興味を抱かせない書き手の多い中、今回は一度は聞いた話
ながら、本人の口からまた聞くというライブ感があります。

それも毎日届くのです。

これぞ紙の新聞の醍醐味ですね。

朝玄関前まで届けてくれるのですから。

昨年スキーに行ったときに朝部屋に新聞が届いた宿があり、
それが日経でとてもうれしかったことを思い出しました。

その当時、連載の小説が面白かったので、すぐ読みたいと丁度
思っていたので、うちにたまっているだろう新聞を読む楽しみと
また違った届くという喜びを感じた朝でした。

その喜びももしかしたら今月までになってしまうのでしょうか。
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新聞の危機その後

2014年01月10日 14時08分31秒 | 日々のこと
日本経済新聞を二十歳代からとり出して、ずっと今まで
変えずに来ました。

周りの人達の話を聞くと、新聞は半年ごとに切り替えるとお得なんだとか。

つまり、更新とか継続とかのたびに景品をゲットできたり色々なチケットやら
なんやらがもらえるというのです。

そんなめんどくさいことをよくやるものです。

それに朝、いつもと違う紙面になったり、いつもと違う記事スタイルに違和感が
募らないのでしょうか。

今回、私が新聞をやめてもいいよといったのはネットで読めるからです。

しかし、宅配される新聞の記事が全て読めるわけではありません。

紙の新聞ならとっておいてまた後で読むということもできますが、ネットだと
検索しても目指す記事が出なかったりします。

もともと日経新聞で一番よく読むのは一番最後の履歴書と文化欄の絵の
コラムと日曜に考えると夕刊の映画のコラム、それに面白い時は小説です。

つまりはネットでも有料会員でないと読めないものばかりです。

日経テレコンでその日の新聞の記事は全て読めるのですが、そもそも
新聞問題の発端はつまらないものでした。

色々家族間で問題になり、ついじゃあ新聞もやめていいよと応じたものの、
これはやはり紙で何日か分まとめて読んだり、一度読んだけどもう一度
読みたいととり出したりすることを考えるととてもネットの情報だけでは
物足りません。

有料会員で紙の状況のまま読めるサービスもありますが、この過去の記事を
とり出して読むというのは実物の紙なら求める記事を探しつつ読み残した記事を
発見したり、新たな発見があったりといいことがあるのですが、ネットでは苦労
ばかりで、検索の仕方によっては見つからなかったり、目指す記事があいまいな
記憶から引き出せなかったりということはざらです。

とまあ紙の新聞の良さが最近しみじみと実感できるのですが、もはや新聞停止は
販売所に告げられてしまったようで、はてこれからどうなるのかということです。
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新聞の危機

2014年01月09日 10時33分39秒 | 日々のこと
我が家の問題でふとやり玉に挙がった新聞代について
いま紛糾しています。

月々5000円ほどの出費ですが、実はこの紙の宅配される
新聞は家族の楽しみでもありますが、これにより何かプラスに
なっているかというと実際出費に見合う経済的な価値が出ているか
情報により何かプラスになっているかというと目に見える物や経済的対価で
現れているものはありません。

さらに、それをどこかに使う予定が現れるとなると今までは別に
問題にもならなかった金額が突如喫緊の課題となってきました。

同様な問題に、家族の携帯電話やインターネットの通信環境などが
ありますが、これはメールと電話が常に家族が取れるという最低の
物に我が家では引き下げられており、かつては新しいモデルが出る
度買い換えられていた携帯電話もずっと古いモデルのままです。

今一番に投資すべきものは時間を作ることとその時間に合う投資効率に
見合う投資です。

しかし、人はなぜか時間に追われ汗をかいている方が貴ばれ、さらに
あの人は努力していると評価されます。

パソコンの前に座り、ほんのちょっとクリックしてあとは家でゴロゴロ
していると世間ではろくなことを言われません。

当然近所の評判も悪くなり、暇ならと地域の役員のような年寄りが
やる仕事をいくつも押し付けられます。

そんな世間的にも時代にも取り残されたようなところに今を押し付けて
批判をしても何も変わりません。

ならばいっしょに汗を流しつつという仕儀になってもこれもすぐに改善を
押し付ければ様々な軋轢を生みます。

当家の新聞はやめても今でもネット上ですべての記事が読めるので、
まるまる新聞代が浮くことになります。

しかし、日々届く紙に何か価値があってそれにより発見も喜びも
チャンスや転機も放棄することにならないか懸念を持っています。

ネットで見る新聞には折り込み広告や掲載広告もなく、本来なら
見られる画像が権利関係からカットされていたりします。

ネット万能という幻想と現実が今激しくぶつかっている我が家です。
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ドカンと下がっていても

2014年01月09日 10時17分55秒 | 日々のこと
日本は9連休とか騒いでいますが、海外の相場は市場が
2日から開き、100ドルぐらい下げました。

それを受け各市場も下げたのですが、コメンテーターや
経済アナリストのコメントは皆これは年末上げ過ぎたので
一旦売りに向いてるだけだと至って冷静です。

そして、そんな安閑とした目測とは裏腹に新年最初の
東京市場もガツンと下がって始まりました。

実際にトレーダーとか機関投資家が動き出すのはまだ先のようで、
役場関連の人とか会社や組織的な人たちはまだあいさつ回りという
旧来以来の行事をこなしてお屠蘇気分は当分抜けないのが一月
です。

民間はアメリカ同様、やはり2日より仕事に明け暮れ、その経済の
動きを直に肌で感じているのです。

いつもより混んでいる高速道路や空港はただカレンダーの日並び
がいいだけの結果なのか、天候がいい日が続いただけなのか、
ドカンと下がり続ける東京市場もこれはまだ実際の経済の動向と
いうより暮れの反動と楽観していていいのか、結論はすぐに
現れるでしょう。

まあ朝の珈琲タイムにふと感じたことです。
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