King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

秩父に暮らす醍醐味その2

2024年09月15日 11時45分21秒 | ライブ・コンサート・展覧会
朝、目が覚めふと窓の外に目をやるとドーンと武甲山が鎮座している。
この山容を見るだけであー守られていると安堵感が広がります。
そして、南北に流れる荒川。町の中心には秩父神社が鎮座し、北辰妙見信仰が古くから見られ、南北に流れる川は天の天の川に通じ非常に特別な地と古くから人々に信じられ日本書紀のなかにも登場します。
そもそも神社なのに妙見信仰がとも思われますが、元々インド発祥の星を神格化した教えは仏教とか道教とか散々まざりあって日本にたどり着き、天に星を眺め、地の川をたどり田を耕し、祭りをして人々は町としてきたのです。
今は暗渠になったり細々とした水路は昔は船で往来できるほどのものだったといいます。その水路に流れるのは険しい周りの山々からもたらされるものです。
我が家の近くにも湧き水や武甲山の伏流水など地下水も豊富です。
そんな自然豊な周りに山に囲まれ守られたような土地に文化の高い人々の暮らしがあり、それが時々に感じられるのが秩父です。
昨日もいつもの地元ピアニスト高橋望氏のリサイタルがあり出掛けました。
プログラムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ3曲という贅沢なものなのです。
通常ですと三大ソナタ『月光』『悲愴』『熱情』ですが、悲愴の代わりに『田園』が演奏されました。
これは三月のリサイタルで悲壮を弾いたからということなのだと思いますが、まあ迫力というかバランスからしたらやはり悲壮をいれた方がいいと私は思いますし、やるべきだといいたかったのですがプレトークや回りの声を聞くと私と同じ思いの人はなく、生で聞けるなんて贅沢だ程度のものです。
実は悲壮は来月のコンサートでも演奏予定でならばここであえて田園を聞けるのはありがたいとも思えるし、演者としての真意はいかばかりかとプラトークをじっくりと聞きたいと30分以上前に会場入りしてしまいました。
会場にはいつもよりおしゃれをしてきましたとう感じの年配のご婦人方を中心に続々と集まり、8割方会場は埋まりました。プレトークは田園とは交響曲の田園とは違う出版社がつけたものでと教科書的説明があった
だけでなぜ田園にしたか特別に触れられませんでした。
そんな印象とは関係なくさくさくと演奏は進み最初の月光も終わります。CDで何度も色々な演奏者のものを聞いた曲で高橋望の師匠ベーゼルの生の演奏も聞いています。あの時は興奮して、帰りの地下鉄に向かう道すがらずっと感想をしゃべり続けたのを覚えています。
それからすると随分弾き方も印象も違います。
普通ある艶っぽい演出とか暴力的荒々しさとか色気や演出がどれもあっさりと排除され譜面通りなのかなというそっけないともとれるそつなくともとれる演奏でした。
ただ、それだけでないことも今回感じました。
それはピアニストの意識というか演奏で今意識している旋律とかマイクの前にたっているのは今は右手のメロディで次は左手のこの部分でと演者の意識のスポットライトが当たっているのが右手左手と移るのがCDなんかでもはっきり感じ取られるのですが今回の演奏では、全くそういうのはなく右手と左手でそれぞれ別の人が弾いているかのように独立している感じなのです。
特に驚いたのは熱情でした。
テンペストや熱情もよく聞くピアノ・ソナタですが、今回の三曲のソナタで一番強く感じたのは熱情で最後の一番激しいところの音の連打は今まで聞いたなかで一番激しく早いのでした。
そうなるとやはり一番ドラマフルな悲愴は余計聞いてみたかったと思ったのでした。
アンコールはヘンデル作曲メヌエットでした。
こんな特別なピアノが日常的に聞けてしまう秩父に暮らす醍醐味の一部なのです。
こんな世界的な演奏家が生で三大ピアノ・ソナタを聞かせてくれる贅沢。
いつしかドイツ大使感が後援につくようになったのも世界的演奏の証でありそれでも秩父中心の演奏活動をやめないというのも秩父に育ったという特別性が本人も感じてのことなのだと思います。
秩父の日々はこうして続くのです。
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ロスコ~ルームが

2024年09月02日 15時55分24秒 | ライブ・コンサート・展覧会
千葉県にはよく遊びに行きましたがなかでも印象深いのは犬吠埼や屏風ケ浦の景色に海の幸それと九十九里の海水浴と想い出がたくさんありその道中によった香取市の伊能忠敬記念館佐倉市のDIC川村記念美術館見処たくさんでした。
その川村美術館が赤字で休止してしまうそうです。来年一月ということなので年内にお別れに行かなければ…。
本当せちがらい世の中になったものです。
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慌ただしく『全力90分ライブ』参戦

2024年04月14日 12時09分32秒 | ライブ・コンサート・展覧会

今週はすごく長い道のりを全力で走りきったそんな週でした。
そしてその締めがこの泉谷しげるのライブでした。
一週間前までその開催を知らず、Xに泉谷のポストが矢鱈増えたのでみてみると6日甲府で当日券ありますという投稿から13日ホンキートンクでライブ、キャンセル待ちは鈴木さんに電話をというので、電話しました。すると二三日待ってくれということで結局一枚だけひねり出してもらい参加する運びとなり、怒涛の大量注文をこなしたり、夜のランニングでは花見ランで羊山一周のランをしたり、ミューズパークへ自宅から走ったりと昼間も夜も大忙しの大車輪の一週で土曜もやっとこさ発送を終え電車の時間を調べ会場に向かったのでした。前回と違い土曜日で本来ではバスケットの時間に電車に乗っている違和感は強いものの車内の風景や意外に混んでいて春と秩父を楽しむ人達を眺めているうちに電車は到着。まだまだ明るい中会場に向かいまたいつものように老人が並ぶ会場につきました。以前よりその年齢層がグッと上がった感じは強く、大丈夫かと余計な心配をするのでした。一人参加ながら会場まで前後の人やスタッフと会話をしながら自分が最後尾のいきさつなどを会話して人との会話をいつもする仕事とバスケット以外の会話をしてる自分を楽しんでいるのでした。会場から着席まで30分フルにかかり最末尾で入場したのに昨年と同じ席に着席できるという奇跡のような展開で着席したら受付で金を支払ったのに物を受け取ってないのに気がつき受付に聞きに行くと場所を案内され無事受け取りトイレも済ませますが今回今ままでなかったことにトイレ入場に行列がありまたされやっと席に着いたときには開演時間を5分は過ぎていました。それでも一向に始まる気配もなくスタッフの話しではYouTubeでリハーサル生配信をしたとかでそれがみられるというので周りではそれをみたりして中々始まらないのでした。10数分過ぎたごろ舞台に変化があり流れていた音楽もとまり、やっと出てくるかと思ったら未だでないで、暗転して舞台袖にスポットライトが当たってやっと出た。なんかずいぶん一年で年取ったみたい。完全ジジイじゃん。まあ、今年76の年を思えば当然といっちゃあ当然か。
驚くのは歌いだしたらいきなり全力ハイテンションで顔は完全に行ってしまった人の顔だったのです。
この人大丈夫なのか。
心配をよそにそのハイテンション暴走は続き、衰えることもないのです。目を見開き薬できまってしまった人のような表情でいきなり怒りモードに入り吠えまくり立て続けに二曲やった間に疲れたと連発、今まで聞いたことの無いフレーズで酸欠になった水よこせと舞台袖に控えるアシスタントに命令。絶対に真似しないでくださいと今までになく自分から年齢をいいこれで最後ですからと昨年とは違うMCです。
しかし、全力ぶりでなりふり構わずは衰えず曲は進み、スタンドを促したり途中で休憩を宣言してMCで時間稼いだと思ったら、写真撮れと前に出てきたり、来年も来るからなと言い出したり、それでも昨年と違うのは最後のアンコールと宣言して春夏秋冬、野生のバラッドは同じなのですが、春夏秋冬でレベルを下げろと要求するも下がらないとみるやアカペラ、客席に歌うよう促す方式にして歌詞を明確に歌うこの歌を大事にしている姿勢を感じました。最後の野生のバラッドでは本人は片足ジャンプを決めてましたが客席には飛んだつもりジャンプを繰り返し要求し、客が応えるとOKと満足そうでした。そんなやり取りで前の人達にタッチしに来てお別れしてそのまま袖に支えられ消えました。客席はアンコールもなく消えたことに納得しないのか、まだ余韻に浸っているのか帰る人はなく、私はそそくさと会場を後にしたのでした。
セットリストは
巨人はゆりかごでねむる
すべて時代のせいにして
激しい季節
Y染色体のうた
野良犬
旅立て女房
我が心のシャイン
春のからっ風
つなひき
明日も今日の続きを
なぜこんな時代に
眠れない夜
褐色のセールスマン
責任者を探せ
火の鳥
国旗はためく下に
翼無き野郎共
春夏秋冬
野生のバラッド
順番違いや抜けがあるかもしれません。



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秩父に住む醍醐味

2024年03月30日 23時58分00秒 | ライブ・コンサート・展覧会
毎日武甲山の削られた山肌を眺め、そこから連なる回りの山々に目をやり、朝の珈琲を飲む。
昨日はそんな毎日やっていることがとりわけ特別なことのように感じられるのでした。
寒いといっていた日々もそこら中さくらや木蓮やらが咲きだし、町にお昼のパンを買いに出ると町に溢れる半袖姿の人が春を謳歌するかのような観光地の風景に変わっていました。
私はまだ山に雪が見られ、風が吹けばまた山に雪が降っているとスキーに行く日を夢みといった日々が続いて欲しいのですが季節の進みは確実で早いようです。
武甲山の雪もなくなっています。
そして冬の楽しみとも言えるお気に入りのリトルマーメイドのデンマークダブルチーズの石窯パンの焼きたてのお昼と昨日届いたばかりのエチオピア•モカイルガチェフハルスケと共に味わい、ベートーヴェン•ピアノ・ソナタ悲愴の生演奏を聞くという贅沢な時間を過ごすのでした。
これは新雪のパフパフを味わうのと同様、脳内に特別な物質があふれでる状況です。
それも朝の武甲山から始まる秩父という地でしか味わえない最高の組み合わせで豪奢な気分にさせてくれる1日でした。
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プゾーニシャコンヌを聞きに行く

2023年10月01日 23時57分00秒 | ライブ・コンサート・展覧会





いつもの伝承館にピアノを聞きに行きました。
いつもの地元ピアニストの高橋望でなく、鈴木啓三という秩父出身のピアニストです。全然知らない人ですが後援会がいつも納品している喫茶店にあるためポスターが目に止まり何よりシャコンヌの文字に引かれて電話で券を申し込みました。
当日のプログラムはモーツァルトピアノ・ソナタ10番ベートーヴェンビアノソナタ23番熱情シューマンアラベスク、シューベルト楽興の時、シューベルト即興曲、プゾーニシャコンヌです。
当日は雨の日曜日でしたが、色々なイベントがあり市民ホールはたい平の独演会も同じ時間にあり、開場15分前の1時15分に家をでましたが、駐車場入り口は大渋滞でどうにか駐車スペースを確保できました。コロナ以降こんな思いをするのは久しぶりでした。
開場に行ってみると、入り口前テラスはいつもの客層とは違う人たちでまあまあの人がいます。まあそれでも階段席の7割ぐらいのいりでしょうか。ピアノの置かれた両サイドにも椅子が並べられていましたが座る人はいませんでした。
演目は知ってる曲ばかりですが、演奏者はいちいち全て解説をしてから演奏しました。昔高橋望もそんな演奏スタイルで何だか昔に引き戻された感じを抱きながら聞いた曲はcdなど全部持っていて他の演奏を知るだけにああこれはと感心したり聞き入ることもなく、違いをいちいち指摘することもなく
聞きました。まあ、一番聞きたかったのはピアノでどうトランスフリクションされたのかが知りたく、ヴァイオリンで聞くシャコンヌのようにまた目の前に大伽藍が表れるのか、どんな手法でヴァイオリンに迫ったのかでした。音を足したり引いたりでそれが達成されたのかが非常に興味がありましたが、生の音楽でしかなされないまたは感じられないこととかまた今回も十分感じられました。次の予定でアンコールまでいられなかったのが残念でしたが、ビアノの可能性とか能力とかを感じたプゾーニの編曲でした。チョンギョンファのシャコンヌが人生の深淵を問う演奏ならばバッハはそう言う作曲家であり演奏者は常にそれを聴衆に問い人生のどの位置にいて何をなし何を果たしたのかを問いたださなければならないのです。
トラスフリクションされピアノに置き換わったとしてもバッハの世界観は同時に迫り、音の大伽藍が目にできなくても積み重なり姿を表さなくても、バッハの世界観は響き、迫ってくるべきなのです。チョンギョンファの演奏が俊敏で野生動物のような情熱的演奏で駆け上がるような音の伽藍がピアノでどうなるのか味わえてよかったと思います。楽興の時の解説の時話されていた転調とか長調なのに悲しいとか、そんなのが伏線になり最後にシャコンヌなのかとそんな演奏でした。詳しく知りたければ試飲のおりにお話しますので予約入れてください。
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無患子の種

2023年09月23日 22時35分04秒 | ライブ・コンサート・展覧会


今日はお店を急遽お休みにしまして鴻巣花久の里へ行ってきました。はなきゅうでなくかきゅうだそうです。
佐藤久成ヴァイオリンリサイタルに行ったのです。
高橋望氏のピアノで行われたコンサートで、メールでお誘いを承け前から興味があった場所でもあり出掛けてみました。
高橋さんのSNSでは、鴻巣免許センターの裏手ということでしたが行ってみると結構はなれたところにあり、午前中に着いてローズガーデンを散策しようと思いましたがもう既に花はなく、庭園を見て回っても暑いだけでした。お昼は館内のお食事処でとりましたが、私たち同様の行動のコンサート目当ての人たちで席は満席。ぎりぎり席を確保できましたが、想像した施設とは色々と違いがありました。庭園を歩いているときからビアノとヴァイオリンの音が聞こえリハーサル中の姿も見えてしまいました。館内のロビーは狭くいるところもなく、花のない庭は日本庭園と違いなんの面白味もないのでした。ただしらない木があり、グーグルレンズで見てもでてこなくて木の根本に無患子の札が立っていました。検索するとムクロジとでてきました。実は石鹸の代用になり、種は羽根突きの羽の重りになるとあります。花のないローズガーデンで新知識を得たのでした。売店にその種が売っていたので買ってみました。



開場時間になり中に入ってみると天井は張ってなくて屋根組みが見える高いもので舞台はなく板張りの平らな広間に椅子が6列ほどのこじんまりした開場でした。
いつもの伝承館よりグッと狭い感じです。照明などもコントロール室からの集中制御でなく、楽屋入口のスイッチまで人が来て明るくしたり暗くしたりしていました。
スイッチをいじった人がマイクで案内をしてはじまりました。ピアノに座るなり演奏ははじまりそのピアノがいつも聞くピアノより鳴りが悪く、こもったような音で高い天井にかかわらず、響きもよくない感じです。直ぐにヴァイオリンの音も重なり、あのいつものうねりと切れが迫ってきます。あっという間に前半の二曲は終わり、休憩になります。
久々に聞く生のヴァイオリンの音は頭に心地よく響き、からだ全体に染み渡るようで満足感に浸りつつ二曲の前半は終了で休憩にはいりました。後半になり、様々な曲があの手この手の技が披露され、佐藤氏の観客へどうだと言わんばかりの表情と会場を睥睨する様々な仕草が前見たときのステップや四股のような足捌きはなく、よく知る旋律の曲もそう簡単にはやりませんというようにヴァイオリンを観客に向け決めの音はこう出しますというようにパフォーマンスされます。聞いたこともないような曲や埋もれたような曲は今回はなく、超絶技巧や絶滅危惧種などと呼ばれるのを避けたような今回の演奏もまた聞き所ありでよかったと思います。アンコールの曲、誰もが知る旋律のゴセックのガボット、それとボームのカバティーナでこれは佐藤氏ライフワークの幻の曲、このアンコールの曲は2020年9月のオールベートーヴェンプログラムの時と同じもので私の持ってるCDにも入っている曲でした。
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泉谷しげる全力ライブ90分

2023年07月02日 22時44分08秒 | ライブ・コンサート・展覧会






コロナ禍第9波に入ったなどといわれるのになんと私はまたまたホンキートンクに泉谷しげるのライブに来てしまったのです。前回のライブから5年ぶりだろうかまさかまたやってくるなんて。今回はチケット売り出し前から情報をキャッチして売り出し日にTELしたが繋がらず諦めて電話を置いたら向こうから掛かってきて無事買えたのです。6000円でワンオーダーは前回と同じか。
そして内容的にも前回と同じでただ今回は二列目だったのでいろんなことが良く解りました。翼無き野郎共が最後の曲といって楽譜も仕舞われて、自らアンコールと宣言して春夏秋冬。野生のバラット。ジャンプ禁止だから野生のバラットはやりませんといっていたのに最後はやっぱりやったのでした。前回と同様ここから後半です。静かに立ち上がり伸びをしましょうとスタンディングを促し、さらに盛り上がると前に出てこいと促しでかい人は邪魔だからと舞台に上げる大サービス。セットリストが以下ですが
カウントダウン
スキル
Y染色体の歌
オー脳
黒い鞄
野良犬
旅立て女房
白雪姫の毒リンゴ
春のからっ風
つなひき
明日から今日の夢の続きを
なぜこんな時代に
眠れない夜
褐色のセールスマン
国旗はためく下に
翼無き野郎共
春夏秋冬
野生のバラット
なんですが、良く解んないです。

秩父のライブというと田舎でのリが悪くいつもの調子と違うと苦労するミュージシャンは多いもののまったくものともせずギター一本で盛り上げ客を熱くさせる泉谷は本当のミュージシャンでロック魂のある人ですね。途中歌詞が飛んだり、ピックを落として中断したのも味のうちで全然ライブが揺るがないのは場馴れというかお手のものお手の内といったところなんでしょう。前回とまったく同じ全力90分といいつつ120分8時過ぎに終わりました。前回はあっさり感じたのが今回は二列目でしっかり一体となり盛り上がりすっかり堪能しドット疲れた2時間でした。こんなの毎週やってるなんてなんていう75才なんでしょう。
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寿司とかつ続き

2023年02月27日 11時35分50秒 | ライブ・コンサート・展覧会


昨日は土曜の夜のバスケット練習がいつもの農工から皆野高校となり移動するも誰もいない高校の校門も閉ざされているという寒ざむしい情景からポツポツと人が集まりだしいつものメンバーが練習し次の日は試合となったのですがそれが7人という人数で全体的に機動力が足りないそんなゲーム展開でもっとチームとしてやり方を考えるか、あまりに仕方ないで済ませてないかそんな展開なのでした。そんなわけでまた週末でお客様が多い休日に昼過ぎまで留守にしてしまいました。それでも荷物や新豆も受け入れ午後には注文受注や豆焼きとこなしました。そんな週末なのになぜかここ2、3日で2キロも体重増となっているのです。なぜか忙しく動いているときは合間合間に食事したり少しの間に早食いしたりするせいか知らず知らず食べる量が増えているらしいです。さて土曜の昼は伝承館で一時間の休憩時間の間に食事してとなりどこに行こうか色々考えたところ徒歩移動でランチで地元民の食事処としてはいくつかあるものの土曜ということもあり混雑具合が解らず一応和食ということですしかつにしました。というのもお昼何を食べたか毎回のせてる人がここをお気に入りで安くてボリューム満点と評してたのも影響されての来店でした。あれほど名物とか旅のブログなどに影響されまいと日頃誓いテレビの情報番組を毛嫌いしてきたのに手っ取り早く地元民的食事をと考えての行動です。すると日頃アップされてるメニューと土日は違うらしく土日限定メニューが掲げられていました。それが寿司とかつでした。落ち着いて注文のあと写真をみてなぜ寿司とカツが単品でセットなのかその組み合わせか不思議に感じたのですがそうか店名が寿司かつだからと気がついたら謎が解けました。
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寿司とかつ

2023年02月26日 09時49分10秒 | ライブ・コンサート・展覧会


昨日は地元ピアニストのお話の会に行きました。実に11時から4時というイベントでお客様には留守にしてしまいご迷惑をおかけしてしまいました。大事な荷物も新豆も届く日でしたが受けとれずとなり飛んだ渋滞となってしまいました。まあずっと引きこもりの日々からスキーやら温泉やら徐々に抜け出そうとしている胎動の時期とお許しください。お話の方はクラッシック音楽を美術やら経済やらからみてひもとく幅広い内容でした。ただ途中挿入された月光や悲愴を聞いたらお話はいいから月光と悲愴をただ聞いた方がよかったのではと思えてきました。贅沢な演奏の挿入がそう思わせました。この後続く…

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ピアノの名曲ABCを聴く

2021年09月26日 23時05分55秒 | ライブ・コンサート・展覧会

先月いろいろやることがやっと片付き、月末の忙しさの中

束の間念願の佐藤久成のリサイタルに行ける可能性がでてきて

行こうか行かまいかと悩んで結局お出かけは自粛の声に負けて

断念したのでした。

 

それから緊急事態宣言の中、急速に感染者が減少しだした第5波ですが

雨のばかりの九月の最後の日曜日、いつもの地元ピアニストのリサイタルに

でかけました。

 

ここの所のお出かけというと昨年の今頃、家族の病院の付き添いで

練馬まで出かけたあのドライブ以来となるものでそれも文化的な

行事では二年ぶりくらいでしょうか。とはいえ毎日夜走っているので

その範囲内の文化伝承館ですし、土曜日にはバスケットの練習も再開

しているので人の集まるところに出かけるのは久しぶりということでも

ないのです。

 

リサイタルは感染対策をしてということで各回が会場の容量の半分の

80人定員で二部構成で行われました。

 

一部が正午から<ピアノの名曲ABC>

二部が午後三時からの<バッハの見たイタリア&フランス>

 

で私は一部の乙女の祈り、子犬のワルツ、月の光、バッハのパルティータ

といったいつものよく聞く曲ばかりの回です。

 

九月の期末で色々とやることがあり、このピアノリサイタルも

行けるかどうかというなか諸々が片付きやっとでかけました。

相変わらず天候の悪い曇り空でいつまた降り出すかという感じの

日曜日のお昼でした。

 

土曜日曜はお客様いらっしゃるのにお昼から一時間のリサイタル

だからと店を閉め会場に着くと会場にはリサイタルの看板もなく

いつもの日曜の市役所の駐車場はひっそりとしていました。

 

開場は一時間前でしたが開演間際についてみる久しぶりのホールは

ピアノから離れた席しかなく配置された椅子も随分とまばらな遠巻き

となっていました。

 

今まで何度となく聞いてきた曲ばかりで当たり前の感じで始まりあっと

いう間に終わってしまい、最後にABCのAの作曲家が抜けているというので

スペインの何とかという人の曲とショパンのワルツをやり終わりました。

一つ一つの曲が終わりすぐ次の曲という感じで名曲ばかりをひとつの曲の

ようにさっと弾かれたようなギュッと凝縮されたかのような名曲の羅列で

アラカルトのようなぜいたくさなのでした。

 

色々なイベントや楽しみがなくなる中、なくならなかったいつもの楽しみの

ひとつが味わえて心豊かな時間が持てました。

 

 

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佐藤久成×高橋望オールベートーヴェンプログラムを聞く

2020年09月20日 11時31分56秒 | ライブ・コンサート・展覧会

そもそもこのコンサートは春3月14日に予定されていてそれがコロナで

非常事態宣言が出され延期となっていたものです。

プログラムはヴァイオリンソナタ第1番ニ長調

ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調『春』

ヴァイオリンソナタ第9番イ長調『クロイツェル』

とアンコールにボーム作曲カバァティーナ、ゴセック作曲カボット、

ボーム作曲カンツォーナでした。

 

久々の生のコンサートながら家族の都合で聞きに行けるのか直前まで

解らなかったり、もう既に夏の終わりであり、今更春の曲を聴くのもと

いうのもあり、あまり盛り上がらない気分の中、それでも天の差配か

直前に聴きに行けるということになり、開場時間に家を出ました。

 

そうすると会場は階段座席とホールに椅子を出した席はほとんど埋まっており

かなり上の方に行かないともう空きがないのでした。前回の鴻巣で開場時間の

1時間前から既に並んでいた光景を思い出し、これも佐藤久成人気のあらわれか

などと思いました。

 

佐藤久成だけでサントリーホールを埋める実力を持ちそれがわざわざ秩父で

秩父の高橋望とコンサートが催されるという奇跡とそれに遭遇できた喜びを

感じるのでした。しかし、こんな上の方で大丈夫かという不安もないでもなく

そんなヤキモキとする気持ちを持ちつつも直ぐ開演となってしまいました。

 

上から眺める座席はほとんど禿頭か白髪のご老人ばかりで鴻巣やオークラの

時とは違う客層で大丈夫だろうかといういらぬ心配までしてしまうのでした。

 

そして、おもむろにコンサートは始まり、あのヴァイオリンははじまり、

あのステップや節回しと客の反応を確かめるかのように会場を見回す

仕草やそれではこれではどうかと挑む一音一音にどんどんと引き込まれていく

のでした。

 

いつもだと高橋望氏の語りとか曲の説明とか入りますが、今回はアンコールまで

終始無言でそのアンコールでも今の曲は誰々の曲で佐藤久成さんはそういった

埋もれた曲を掘り起こし演奏するという活動もしていると紹介しただけです。

それなのに次にやった曲は誰でもが知るメロディの曲であり、そしてそれは

佐藤久成がやればこうですよと雄大に語ったものでした。秩父の人にもこれで

今回のコンサートの意図したものとか佐藤久成のヴァイオリンが理解された

物と思います。今回佐藤久成氏は一言も発しませんでした。

 

 

 

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世良公則 O-Kirakr Live 2019 参戦

2019年11月17日 23時54分55秒 | ライブ・コンサート・展覧会

移転という大変な問題を抱えながら、それでもバスケットの試合と楽しみにしていた

ライブ参戦と丸一日営業を取りやめてしまいお客様にはご迷惑をおかけいたしました。

 

昨年の泉谷しげるに続いて今年もスターが秩父を訪れ秩父でライブを行うということで

参加したわけですが、いつも走っているミューズパークで行われ、主催が秩父開発機構と

いうところで今までも大物アーティストとか大規模なコンサートがミューズパークで行われ

そんなイメージからはじめから野外コンサート場の方でやると思い込んでいましたが、手にした

チケットを見るとはっきりと音楽堂と書かれていました。

 

そうすると座席数にして600あるかないかという規模で一階の座席だけだとさらに少ないと

いったものです。でもアコギのライブそれもワンマンなら十分なスケール感ではあります。

秩父だと好きなアーティストのライブなどいくらでも日帰りで行ける距離なだけに行こうと

思えばライブもいくらも選択肢があるのです。ですが、清志郎亡き後すっかり聞きたいライブなど

なく、わざわざ検索してライブを探すということもなくなっているのですが、地元にかつての

スターが来るというのはまた別でどうしても血が騒ぐというのが我々の世代なのではと思います。

 

それにアコギの生ギターのロックなどというのも随分久しぶりです。世良公則は深夜のラジオで

よく最近の活動や最近聞く曲の話などを聞いており、身近な存在でそれが秩父でライブとなれば

見逃せません。というわけで期待も膨らみバスケットの試合が終わりシャワーを浴びたらすぐに

出かけました。席は指定券で確保してありますが、小さい会場ながらいつも走る公園は観光の人で

ごった返しており、公園橋からのアクセスはこの前の台風で未だ工事中で片側交互交通でこの信号が

二分半も待つというものなので、会場の一時間前に家を出ました。

 

ミューズパーク内は駐車場はたくさんあり、混雑を嫌い早く出てさらに渋滞を避け別所巴川側から登り

渋滞もなくすんなり野外ステージの裏に停められました。それからぶらぶらと公園内をうろついたり

して開場を待つのですが、公園内を行き来する人や会場に集結する人々はみな当たり前ではありますが、

知り合いばかりで、入り口にはすでに行列する人もいて人気の高さを感じます。

 

そんな状況なので私たちはそんな会場から離れたところでしばらく公園の様子を見てうろつき紅葉の

様子を楽しんだりしました。

 

開場時間になり、列がなくなったころ入場してみましたが、物販コーナーはかなりの規模でコンサートグッズを

売っていたり、いつも買うパン屋がいたりといつもと違う光景もあり、しばらくそんな人たちを眺め席には

すぐ着かづにいたのですが、ロックのライブにしては服装や雰囲気の違う人がいたり、ネクタイと背広の人も

いたりとこれは地域色なのかセンスなのか果ては主催団体ゆえかなどと思うのでした。

 

今回の席は一番前列という席でこれもすぐには席につかない理由でしたが、着いてみるとなんとスピーカーの前

で、これはどうなるものかという気持ちになりました。

スモークをたかれたステージがいきなり暗転して世良公則が単独で登場、座るとすぐに1977という曲をやり、

挨拶を始めて次にHeart Is Gold(ハートイズゴールド)というベイシティ刑事というドラマの主題歌という

のをやり、続いて新しいアルバムからHowling Wolves(ハウリングウルブズ)SECTION No.9(セクションナンバーナイン)

とやりサイドギターの人を呼び入れ音屋吉右衛門の曲をやるということで野村義男とのユニットだが本人がいないので

分家だと称し宿無し、Rock’n Roll Is Gone(ロックンロールイズゴーン)をやります。そしてサイドギター退場し、

ギターをチェンジしてストリング系のバラードに入る時にサウンド系にトラブルとなり、スタッフを呼び込み対処

するというアクシデントが発生。トークでつないだりしてこなしてやったのが奥田民生が世良還暦の時に寄せた

いつもの歌というのをやり、さらにJacaranda(ジャカランダ)を紹介。これはどこか幼稚園の生徒が

演奏するビデオを見て感激したというエピソードを挿入。そして亡くなって行く先輩たちに捧げる曲と

して同胞たちの賛歌(はらからたちのさんか)をやり、日々のニュースでいらっとすることなどを癒す

歌などやり終了。アンコールで同じ黒いTシャツで登場して一旦暗転すると胸のロゴが光る。着替えて

来たとわざわざアピール。デザインはプロの人でコラボした商品だとか。銃爪や燃えろいい女をやり

終了。

 

とまあ結構内容的には盛沢山でたくさんのロックをやってくれ、そのギターテクニックも聞かせて

くれたという感じです。

 

しかし、盛り上がったのはやはり宿無しや銃爪などの曲であり、それを単独ライブだからかアレンジが

強く、すんなり昔のようにシャウトしたりメロディラインを変更したりという癖が強く、すんなりと

楽しめない節もあり、最近の歌をやるのは当然としても今の自分はこうなんだという主張とともに

ラジオの喋りのような世界観はない感じでそれを補うために喋りを入れているのだけどその内容の

薄さと裏付けとなるものが感じられないのと何かスカッと肩透かし的なものを感じて楽しめないそんな

不満も感じました。

 

ロックにしても洋楽のパクリというところを完全に脱した清志郎のように日本語もロックにしてしまうという

スタイルと常に曲が生まれていたというライブ感もあったけれどそういうものとつい比べてしまうところに

過去の歌でしか乗れない感じになってしまった気がしました。それでも生のロックサウンドを身近で聞けたというのは

有意義でした。

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朗読劇『線量計が鳴る』鑑賞

2019年08月24日 23時54分15秒 | ライブ・コンサート・展覧会

この朗読劇のポスターを見かけたのは六月頃いつも市民大会の会場になる

文体センターで見ました。会場はうちの近くの伝承館です。興味があったので

伝承館でチケットを聞くと詳細は解らず、肝心のポスターも貼ってなかったのです。

というわけでポスターにある問い合わせ先に電話してチケット入手先などを聞くと

前売りはしてなくて、当日渡すから会場前に来いというなんともおかしい対応だった

のです。

 

何カ所かでこのポスターを見かけるようになり、当店の珈琲の卸先でも貼ってあったので

券はどうなっているか聞くと知らないというのです。券を売るためのポスターかと思えば

その問い合わせの電話番号でしか受け付けていないようで、そもそも券の前渡しも前売りも

しないという事でした。席数200席のイベントで開場と同時に券の売り捌きもしようとするのか

とても当日の対応に不安を覚えて不信感を募らせたのですが、対応先はここだけだという

電話口の態度は頑なで大丈夫かと思いながらも券を予約したのでした。

 

そして当日、券は売り切れ満席という表記の所で予約してあると名前を言い券を受け取り

席に着きました。前回の鴻巣クレアがとても寒く、いつもより一枚余計に着込んできましたが、

伝承館は冷房が効きすぎることもなく、クレアより若干広い天井も高くてゆったり感があります。

劇はおもむろに始まり、普通なら舞台登場とともに拍手で主役を迎えるはずが、もともと舞台袖が

ない構造で楽屋口のドアから中村敦夫が登場し、それも中腰で手に持った機械をピーピーいわせ

舞台中央スタンドとマイクまで来てそのまま劇は始まりました。

 

登場したのが中村敦夫本人なのかスポットライトもないままマイク前でいきなり台本を読み出し

ますが、それがどこの方言なのか解らないけれど帽子をかぶってリュックをしょった姿はあの

紋次郎というより普通のじじいでしかなく、芸能人のオーラもなく、セリフ回しは田舎の爺さんの

語りそのままです。設定としては福島第一原発に配管工として勤めその現場の杜撰さを指摘したら

辞めるように言われ飯館村にて有機農業とゲストハウスを経営することになり、作物も実りよいよ

というときに妻が脳梗塞で入院した時に震災が起きて飯館村に防護服を着た人が線量計で計測している

人がいたのを発見し、数値を教えるように迫ると逃げるようにいなくなったので技師時代の荷物から

線量計を取り出し測ると針がビンビンと振れるので、これはいけないと妻の病院に向かいやっと

到着するとすでに妻は強制転院した後でそれを追うという展開。とまあなかなか当時のどたばた

ぶりを思い返すような進行で、東電の事故の隠ぺい体質やうそだとか原発マフィアとよばれる

企業体質とか福島第一のマークワンといわれるジーエム製の原発が欠陥品だったとか、お友達作戦

の米軍が被ばくして五人は死んだとか語られるが、これらはあくまで中村敦夫の創作した台本での

話で、現実に働いていた原発作業員の声でもなければ証言集を集めたものでもないのです。

 

これが気になったことで、これは確かにひどい事故でそれに懲りずに再稼働が進むという現実に

たいして果たして有効なことなのかという気もするのです。

 

政府や東電にはこれだけ嘘や欺瞞に満ちていたという世論を醸成し原発はやめなければならないと

いうのであれば、もっと別な方法でやって感情ではなく、きちんとした科学的な理論として脱原発を

訴えなくてはならないのではないかと考えてしまいます。

 

確かにお友達作戦といいつつ、米軍が東北地方の救援に回った時わざわざ日本海を周って青森経由で

仙台に到着したことは明らかに放射能を避けての行動で後に知った時にはそこまでひどいと認識しても

お友達作戦などという実働可能能力のほんの数%の活動しかしなかった人たちが被ばくして死んだ人も

いたのかは知りようもありません。しかし、ニュース等で軍の命令でがんになったと訴訟になったケースは

報道されています。

 

この様に私の知る事実以上にひどいことであるとする糾弾する声には果たしてどの程度正確かという懸念も

ありました。増え続ける汚染水や取り出してもどこにもやりようもない燃料デブリなど本当に取り出す

気なのかとか、チェルノブイリと同様石棺で閉じ込めるのがいいのではないかという疑問もあります。

つい先日福島第一と第二も廃炉というニュースがありましたが、取り出せないデブリがあり続けると

いう事実は廃炉などとい名目が付いたところで現実に変化はなく、何の意味もありません。

 

最終処分場にしろ誰も自分の住んでいる近くにそんなものを置かれたなくはないのですから、決まる

はずもありません。ただし、それを言ってしまうと何故そんなものを作ったというとりとめもない話も

出てきてしまうため、本音としては誰も認めることなく今後も移転先のない仮置き場なり、処分場なり

はつづき、原発があるところから使用済み燃料など運び出すこともできず、再処理施設やらできもしない

リサイクル施設はきまっていてもできないと言ってしまったら新たな搬入は出来ないからリサイクルの

方向の看板は下ろすわけにもいかず、事故やら不始末だらけの燃料リサイクルや再処理はつづけられて

いるのです。

 

オリンピックで蓋をしてという表現が出てきましたが、それは目くらましどころか先日の報道では

補修が必要な橋とか施設が70%もあるというものがあり、それなのに新国立競技場を作ったり

オリンピック施設などを作るより先にやるべきだったんじゃないのかというのは誰もが思った

はずです。どこかの高速道路の天井がまた崩落して死者でもでないとそんな議論もされないのでしょう。

 

秋田と山口に配備のイージスアショアも結局日本国民の生命と財産を守るためよりアメリカのための

施設だというのがばればれでそんなもの作る金があるのならという思いを強くするだけです。

日本も米のいいなりをやめいうべきことは言う時なのではないでしょうか。米軍基地の負担増をいうのなら

どうぞお引き取りをといっていい時期だし、地位協定も見直して主権国らしい態度を持ってもらい

たいものです。

 

とまあこれだけの不安要素や問題があるのに世の人は選挙にすら行かず京アニのニュースなどが

連日流れるのです。

 

それでもこの朗読劇が需要があり、日本全国80箇所にも上る上演があり、今後も続いていくとの

ことなので、決して忘れてしまった人ばかりでもないんだという気もしてそれなのによい方向性

とか原発を止めようとか議論も上がりそうもなく、どこでどう人々の声は消えてしまうのかまったく

謎なのでした。

 

 

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鴻巣で『ヴィルトゥオーゾ』を聞く

2019年08月03日 23時53分54秒 | ライブ・コンサート・展覧会

鴻巣でまた魔界のヴァイオリンを聞きました。佐藤久成のコンサートがあると聞き、

この近さならと予約したのです。会場のクレア鴻巣はかつてクリスマスに清志郎が

コンサートを行った地であり、埼玉ではここと所沢のミューズと私にとっての聖地の

ひとつです。

 

プログラムを記しておくと

モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲第一番KV423

A.ロッラ ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲

パガニーニ モーゼ幻想曲

休憩

西村朗 モノローグ~独奏ヴァイオリンのための

西村朗 <鳥の歌>による幻想曲~ヴィオラ独奏のための

イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第6番

シベリウス ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲 ハ長調

ヴィニアウスキ 華麗なるポロネーズ第1番

アンコール

ヘンデル ハルヴォルセン パッサカリア

 

佐藤久成を芸大の同級生ということで大江のぞみさんが共演を望んで実現したということで、

どんな演奏スタイルか全くの予備知識なしで行きました。会場に演奏会の看板はなく、

まったくの夏の静かな土曜日の午後の佇まいで人気はなく清志郎以来のクレア鴻巣は

あの時の記憶のままに立っていました。駐車場が無料でたっぷりとある施設で聞けるのは

とても幸運で都内なら端から車移動を諦め電車で暑い中移動しないといけません。

 

クラッシックの演奏会だから人気はそんなにないのは仕方ないのかもしれませんが、いつも

聞く地元でのコンサートと同じく人出は少なかったのですが、熱心なファンはいるようで、

開演前から入場口に行列ができていました。全席自由席だからいい席を確保しようという

表れなのでしょう。

 

ホールは映画館のような折り畳み椅子で多目的ホールらしくテーブルも引き出せるようになっていて

伝承館のように木と鉄の階段と舞台はなく平坦なアリーナ状の平坦な板張りの上に楽譜台が6台広い

V字に並んでいました。何人でやるのかと思っていると結局ヴィオラとヴァイオリンの一台づつで

主にヴィオラの大江さんがしゃべり曲の説明をして普通ならピアノとチェロとヴァイオリンのトリオを

ピアノパートなどをヴィオラに編曲してヴィオラは伴奏という形でやったもののようです。

 

しかし、シベリウスの二重奏曲では主旋律をバイオリンとヴィオラで交替したりして決して伴奏しかできない

楽器ではないんだようというのは鳥の歌でも見せました。

 

逆にヴィオラでここまで伴奏ができるんだというのもあり、ピアノの伴奏との違いで楽しむこともでき

ました。

 

聞いていてバッハのシャコンヌの事をまた思い浮かべられずには

いられませんでした。たった一台のヴァイオリンでもあの音の伽藍が構築できる荘厳な表現と目にするかのような

その構造の美しさ。なぜこうも立体的に積み重ね合わせられるのかというような視覚的な音の構造物にただ圧倒され

それでいてそこにあるものは無であるという哲学的なものを見るようです。

 

パガニーニの幻想曲は何度か超絶技巧曲として聞いていますが、本当にG線だけで弾かれるのを目の当たりにしたのは

今回初めてだったように思いました。それは伝説で楽譜すら完璧の物はなく、絵画ではG線だけを弾くパガニーニが残されて

いますが、それは虚構の上の事だと思っていました。それが現実に可能であり、曲としてこうも聞けるものとして

目にしていることにこれは奇跡なのではと思えてくるのでした。それも曲芸的に弾くのではなく普通になんともなく

曲として弾きしかも曲として表現するまさに演奏家の技であり特質なのだと。

 

世に難曲は数多くあり、あくまで人間でありながら神業的に弾ける聞かせることができると演奏されるのは

当然として、淡々と演奏するのでなく曲を完全に自分の物として読み込みまた吐き出させているのとは自ずと

聞かされる身にも当然伝わるものがあるのです。

 

今回演奏の後に佐藤久成氏と話す事が出来、ヴァイオリンでは堂々としているものの会話では挙動不審な

おじさんのようでそのギャップに驚かされました。来年の3月にまた再会できることを確認し秩父に帰りました。

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チケット争奪戦

2019年07月02日 13時11分06秒 | ライブ・コンサート・展覧会

オリンピックの券で混雑と抽選というとてつもない障害があるにもかかわらず

皆さん文句もたれず従い購入した話をニュースでは見ましたが、私の周りに

申込をした人はいませんでした。

今年の夏のイベントで私はいくつかのチケットを手配しましたが、これがそれぞれの対応が

そんなので大丈夫なのかというもので肝心のイベントへの関心までなくなってしまうようなその

対応にもっと社会インフラとしてチケットの発券システムをもっと大きな機関が管理監督して

安くて確実なシステムを提供しなくてはならないのではと思いました。

忌野清志郎のコンサートにはよくぴあやソーゴーのサイトを使って発券はコンビニなどというのが

多かったと思います。

ネットのオークションなども使ったことがありますが、より多くの人が適正な価格で席を確保するには

厳正で公正な機関を民間とは違うものとして介在させてオークションなどで高値で取引できないような

システムを構築すべきなのではと思うのです。

それに今年使ったリフトの前売り券なども安いけれど使い勝手はよくなく、まだまだこのネットで券を売ると

いうシステムも問題が多いと思います。

今回私は遠隔の地なのでネット決済はカードでして券はコンビニ発券というのを初めて使いましたが、

手数料が券そのものが2000円なのに対してシステム利用料とか発券手数料とかがかかり割高なイメージに

悩まされ、さらにコンビニに行ってチケットの欄を見てもその公演はなく、その端末の使い方にもその

券を発行するやり方はないのでした。途方に暮れてネットで質問すると13桁の数字をレジで直接提示して発券

するというチケット端末を介しないものだったのでした。

そして、チケット端末から公演を探すときにあまりの多さに目的の物を探すのさえ苦労してしまう現状にもっと

簡単で発券するシステムがあるのではないかと思ってしまいます。私のコンサート経験でもチケットレス会場があり

携帯をかざすだけと言う所もありましたが、それがあるゲートが限られていたり、端末にピッとやるとレシートがでて

来て結局二回ゲートチェックを受けたりとちっとも便利でない印象もあります。

海外ではチケットレスが進んでいてクレジットカードをかざすだけだったり、体に埋めたチップで入場できたり、

とにかくこれで大丈夫なのかと心配になるくらいチケットレスになってたりしますが、日本は不効率で電話予約して

さらに券は前売りしないで会場にて引き渡しなんて非効率なイベントもありました。まあでもチケットを確保してワクワク

と待つというのもいいものです。今年の夏はそんなイベントがいくつかありよい夏になりそうです。

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