「open! architecture」というイベントで大阪高島屋東別館の普段立ち入ることのできない内部やバックヤードなどの見学会があると知り、申し込み訪れた。
戦前、「東洋一の百貨店建築」と称された高島屋東別館は当初は松阪屋大阪店として
鈴木禎次設計により昭和3年から昭和12年にかけて三度に渡って増築され完成した。
高島屋がこちらの店舗を買い取った後は主に事務所として使用してきたため、
改装などされることなくほぼ当時のままの姿をとどめているとのこと。
高島屋の社員の方直々に建物にまつわる歴史話などを聞かせて頂きながらタイムスリップしたかのような内部の雰囲気を楽しむことができた。
11連アーチが連なる堺筋に面した70mの長いショーウィンドウが並ぶルネッサンス様式の外観。
当時堺筋は「百貨店通り」と呼ばれ、北浜の三越、備後町の白木屋、長堀橋の高島屋などが軒を連ねていたという。
当時は角地を効果的に生かす建築が流行っていたのだそうだが、角地の買収に失敗してこのような横に長いスタイルの建築になったのだとか。
外観は細やかなテラコッタ装飾に覆われていて、モチーフはやはりアカンサスの葉があちこちに用いられていた。
内部の意匠には当時先端だったアールデコの装飾が散らばめられている。
英仏に建築を学んだという設計者の鈴木禎次はパリのパサージュをイメージしてアーケードを造ったという。
このアーケードの床のタイルのデザインもアカンサスの葉を省略化したものだそう。
裏へまわって見ると表からは全く分からなかった増築された三つの建物の継ぎ目がよく分かる。
更に手前の第四期の建物は建設途中で延期になってしまったものだとか。
この裏口から内部へ。
見どころの一つ、エレベーターホールは高価な大理石をふんだんに使ったゴージャスな空間。
黒大理石で囲われたアールデコの装飾が美しいエレベーター。
当時は4基動いていたが、現在使用されているのは1基のみ。
階数表示板の針や「下り」「上り」のランプが今でも現役で動いてるというのがすごい~!
後でこのエレベーターにも乗ることができて感激。
中はもちろん新しいものだったが。
エレベーターホールの天井につけられていた緻密な装飾の照明。
この辺りは日本の寺院建築の様式も用いられているということで和洋折衷の美しいエレベーターホールだった。
かつて中二階にあったカフェスペース。
こちらもやはり幾何学模様のアールデコ装飾が施されている。
そして普段社員の方も立ち入ることはできないという階段ホールへ。
当時商品券などを扱うブースが置かれていたという。
こちらも大理石に包まれた優雅な空間。
現在真ん中に一つ残っているアールデコの照明が当時は三つ並んでいたそう。
屋上へ上がると、昭和9年に造られた大阪初という屋上プールの跡が残されていた。
冬はアイススケート場に変わり、大いに賑わっていたのだそう。
その頃は百貨店へ行く、というのは一家総出のお楽しみのレジャーの一つだったんだなあと、
当時の賑わうプールの写真を見て思い巡らせた。
屋上からは昭和3年建築部分の階段を通って下へ。
昭和3年からほとんど人が立ち入っていないという場所へ特別に入らせていただく。
昭和3年建設当時のリノリュウムの床がところどころはがれながらも残されていた。
この他にも写真撮影禁止ではあったが、大食堂の壁面を飾っていたという岡本太郎のモザイクタイル壁画を見せていただいたり、、
もう一つの目玉は、地下2階の現在バックヤードとなっているところには、
地下鉄堺筋線の駅建設を想定して、ホームと店舗を結ぶアーケードの跡が残されていた。
実際には大阪市が地下鉄には民間の手を入れさせなかったため駅誘致は失敗に終わり、
幻の駅となってしまったのだが、もし実現していれば「日本橋3丁目」という駅が存在していたのだとか。
そのアーチの壁の向こうからは時折、地下鉄の走る音が聞こえてきた。
最後に高島屋資料館へ案内して頂き、予定時間の90分を20分ほどオーバーして見学会は終了。
この建物に思い入れを持つ社員の方から、臨場感のある解説を受け、
当時の華やかだった百貨店の様子に思いをはせながら楽しむことができた見学会だった。