この日は友人Tちゃんと京都の順正清水店へランチへ行く約束をしていた。
ランチへ行く前に近場で散策したいと清水五条駅近くの遊郭の名残を残す町「五条楽園」へやって来た。
普通の民家も入り混じり風情ある古い遊郭建築の町並みを見ることができるというこの地帯。
ぷにょさんのブログでも興味深い建物のディティールをたくさん拝見し、楽しみにやってきた。
京都へ降り立つと空気が違った~かなり寒い!
高瀬川沿いをしばらく歩く。
この日は雨は降らなかったものの曇りがちの空がちょっと残念。
高瀬川にかかった石橋を渡ると目の前にそびえたつ立派な遊郭建築が
唐破風屋根がついた玄関が二か所。
和風の遊郭建築に混じって、こんな洋風のものも。
華やかに、目立たせるためなのか、玄関周りには色合いのきれいなタイルが敷かれていたり、ステンドグラスが入れられていたりととても凝っているのだ。
ぷにょさんにブログではこちらの窓ガラスは入ってなかったが、新たに入れられ、二階の外壁なども手が加えられ建物はヒーリングカフェ?として再生されたよう。
立派な和館に隣接して建つ和洋折衷?の雰囲気のこの建物。
玄関ポーチには二本の円柱にはさまれた桜の木を描いたステンドグラス、縦長の窓ガラスにも目をひくデザインのステンドグラスが。
和製アールヌーヴォー風の着物姿の女性のステンドグラスが魅惑的~
今は普通の民家として使われているのか?
玄関先には目をひくピンクのタイルがかわいい家。
ピンクの豆タイルにアクセントに色違いのタイルがちりばめられていた。
元遊郭の立派な和風建築で旅館として営業しているところも。
この建物も、とても装飾的でインパクト大!
外壁にはタイルが張り巡らされ、窓を縁取るブルーのタイルも鮮やか。
軒の飾りも豪華だ~
重なり合う丸窓。
二階にもアールデコ調デザインのステンドグラスが入った丸窓が並んでいたりとどこから見ても楽しい建物。
この家の外壁の一部には半端なタイルの寄せ集め?のような飾りが入れられていた。
隅にはライオンの噴水口までが・・
ここのお宅はペパーミントグリーンと淡いピンクのツートンの外壁が素敵。
外壁の一部に煉瓦が組み込まれてていた家も。
鉄格子の模様がおもしろい窓。
他にもタイル他、さまざまな素材が使われ装飾された味わいのあるおもしろい建物をたくさん見ることができた。
そういえば前日まで順正へ行くこと以外何も決めてなかったのに突然こんなところに連れて来られたTちゃん・・
高校時代からOL時代にかけて頻繁に一緒に旅に出てたので自分の趣味は大体理解してもらってるはず~と予告なくやって来たけど
さすが違和感なく一緒に楽しんでくれたようでよかった。
普通の友達なら引くよな・・;
この後は散策しながら清水方面へ向かった。
昨日は夜から雪が降っていたようで、地面には雪がうっすら・・
今朝は茨木の山奥にある「銭原の朝市」へ行こうと車を走らせた。
「バスが通ってるから大丈夫」と聞いて出かけたのだが・・日蔭はまだ地面が凍結しているところもあってこれは危険!と途中でUターン;
途中の見山の郷に立ち寄ることにした。
きれいな雪景色が目の前に広がる。
途中の棚田もうっすらと雪が残ってた。
見山の郷の朝市で野菜や餅などをゲット。
そこで初めて見かけた野菜、「オレンジ白菜」
写真ではわかりにくいが普通の白菜の葉が黄色いところがオレンジ色になってる。
生で食べても美味しいのだそう。
栄養価も普通の白菜より高く、得にカロチノイドは6倍もあるのだとか。
お昼に早速オレンジ白菜とカブのスープにして煮てみたが、煮るとオレンジがさらに鮮やかな色合いに。
晩御飯にもオレンジ白菜大活躍で一日で半分以上食べてしまった~美味しかった!
お出かけしない土曜の午前中は家族でバドが定番になっていて最近、元バド部のママ友を見つけたのでその家族とも一緒にやったりしている。
今日は家族で先日クラブで教えてもらったバックハンドの強化練習?を。
そこでいつも一緒になる別グループの上手なおばさん、おじさんたちがいて、
息子もそこそこ打てるようになり、たまに気にかけていいただき、
教えてもらったりしていたのだが、
今度、サントリーでバドミントン部の監督をされてたというその方がジュニアのバドミントンクラブを始められるとのこと。
息子も少しは打てるようになったけど、親の言うことは全く聞かないので
どこかでバドミントン教えてもらえないだろうか~と思ってたのでそれはちょうどいい!
が、練習は土曜の二時からだそうで。
日曜午前はソフトボールがあるので、両方やると土日とも出かけられなくなるではないか!?
ソフトボールも始めたばかりでまだこれからというところだし・・
でも子どももバドミントンを本格的にやってくれて将来家族皆でバドミントンを楽しめるというのも夢に思い描く理想なのだ~
今まで土日は何かと出かけていたのでそれがなかなかできなくなるというのも痛い~
とりあえず、二月の終わりにあるビジター体験だけ参加してみることにした。
ちなみに娘の方は・・同じように一緒にやってるのにいまだに一向に?上達する気配なしで
クラブはちょっと無理だなあ;
富田林寺内町の散策を終えた後、河内長野方面へ来たらいつか行こうと思ってた「つまようじ資料室」へ行くことに。
河内長野は日本一のつまようじの生産地。
最近では中国の輸入物のつまようじにほぼとって代わられ、日本での生産は減少の一途をたどっているが、河内長野では三社がつまようじの生産を続けている。
その中の広栄社という会社が毎週土曜日に開けているつまようじ専門の展示室。
閉館間際にお邪魔してしまったのだが、社長さん自ら展示品の解説やつまようじについての興味深いお話をしていただくことができた。
写真はつまようじの生産工程と製造に使われる機械。
河内長野で採れる黒文字を使った楊枝。
お茶席などで使われる黒文字は今でもこの河内長野で製造されているそう。
卯木というもともとのつまようじの原木。
現在は白樺が主流だそう。
つまようじの発端となった歯木は木の枝の端をブラシ状にしたもの。
アフリカ諸国などで今でも使われている歯木。
なんとこの歯木には、虫歯予防、歯ぐきの引き締め効果もあるフッ素やタンニン酸が含まれていて、練り歯磨きにはこの歯木の抽出液を使ったものもあるという。
最盛期では河内長野でも年間700億本のつまようじの生産が行われ、世界シェアの50%近くを占めていたそうで、日本のイメージが強かったつまようじ。
そのころ外国で輸出されたつまようじには「サムライ」や「キモノ」「サヨナラ」という
日本をイメージするネーミングがされていた。
世界各国のつまようじが並ぶ・・
そもそもつまようじって食べ物を突き刺すものだとばかり思っていたが、
それとは別に歯の手入れをするためのものがあるのだ。
現在、よく見る輸入物のつまようじは丸く、物を突き刺すためのものでそれを歯に使うと歯茎を傷めてしまう。
こちらの会社ではデンタル用に三角のつまようじを製造されているそう。
からたちや椰子の刺、まぐろの尾びれなど自然の素材そのままを利用した楊枝などもあった。
美術工芸品のような楊枝の展示も。
こちらはロシアの七宝飾りがついたもの。
中国の真珠などの宝石をちりばめた楊枝。
フランスではこんなかわいいくるみのケースがついたナイフ付き楊枝。
こちらもフランス製、象牙の歯のケアセット。
ヨーロッパの貴族が腰にぶら下げていたという銀製のアクセサリー。
この中にも楊枝や耳かきは必需品として入っていた。
最も古い青銅の楊枝。
紀元前から楊枝が使われていたとは~
まだまだたくさんの展示品があったがこれくらいで。
つまようじ資料室、それほど期待していたわけではなかったが
楊枝の歴史から、製造工程、世界の楊枝、美術品としてもすばらしい昔の楊枝などなど楊枝についていろいろと知ることができておもしろかった!
富田林寺内町へやって来た。
この日は父母も一緒だったのでボランティアガイドさんにお願いして、説明を受けながら町並み散策を楽しむことに。
中世から続く真宗の寺院を中心とした寺内町は江戸時代には商業が栄え、酒屋、材木商、油屋、木綿屋などなど町内では51業種、149の店が軒の並べていたそう。
寺内町にある建物のうち戦前の建物は26%を占め、江戸、明治、大正、昭和初期の建築がよく残されているため、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。
以前ひろ009さんのブログを拝見して、洋風建築もいくつか残されているということでそれも楽しみにやって来た。
寺内町の中核となる寺院、興正寺別院のこの門は伏見城の門のひとつを移築したものだそう。
この立派な石垣は当時郡役場が置かれていた時のもの。
日本の道100選に選ばれた城の門筋の一角。
木綿商を営んでいた木口家。18世紀中期の建物。
屋根の上にはかまどの煙を外に出すための越し屋根が付けられている。
葛原家住宅の珍しい三階蔵。
材木商を営んでいた越井家は明治末期に建てられた為、外壁にはこんな赤煉瓦が使われていた。
漆喰を保護するため二階部分には銅板が張られた家も。
防犯用の忍返しがつけられた住宅も多い。
純和風の町並みの中に現れた大正13年建築の中内眼科医院。
連続するアーチ窓には木製の桟が残されていて美しい~
建築当初は国分銀行、その後三和銀行が入っていたのだそう。
内部には大理石のカウンターが残され、カルテをしまう場所は銀行時代の元金庫が利用されているのだとか。
眼科医院の隣は元、呉服屋さんの建物。
そして同じ並びにあった西野薬局。
こちらは南河内では初めての漢方薬局だったそう。
最後に訪れた重要文化財の旧杉山家住宅。
杉山家は寺内町創立以来の旧家で造り酒屋として成功し、発展を遂げてきた。
現存する主屋が寺内町の民家の中でも最も古く規模も大きく質のよい商家として公開されている。
土間の部分は17世紀中期と最も古い。
当時は9つもあったというかまどが一部復元されていた。
能の舞台を模して造られたという大床の間。
薩摩杉を用い、菊の模様を透かし彫りした欄間。
ひろ009さんのブログで拝見して興味深かったらせん階段。
明治15年当家で生まれ、育った明星派歌人石上露子により増築されたというらせん階段。
コンパクトながら美しい造りの階段は純和風の町屋の中でここだけ洋風でとてもインパクトがあった。
寺内町を歩いてみて思ったよりも大きな規模で古い町並みがそのまま残されていて、両親共々驚いた。
さすがに重伝建保存地区なだけあり、外観の改装などの規制が厳しいようで、新しいお家なのにこんな町屋風にして車庫のドアも引き戸にするなど外観に気を使ってる家があった。
又若い人たちは住みやすいところを求めて出て行くそうで、古い町屋の空き家もたくさんあるとのこと。
ガイドさんには「どうですか?ここで住まれませんか?」とすすめられてしまった・・