蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

3・11地震の時。 (bon)

2011-03-12 | 原発

先ほど、13時前ころに6時間かけて帰宅しました。
昨日は、熊谷の3つ大宮寄りの北鴻巣というところに行っていました。
その時・・震度2かな? いや3 いや4・・わぁ~という感じで
5分も続いたかと思うほど長かった。前後左右にこれでもかこれでもか!
やっとのことで、おさまったが、余震がひっきりなし・・。

駐車場の車の(よその人の)ラジオで宮城沖地震と分かった。これは大変!
どうしよう・・。携帯はまったくかからない。発信してすぐにNG表示。
とにかく帰ろう・・。きっと電車は止まっているだろうが、動き出す最初に
間に合わそう・・と駅まで行った。
もう2~30人の人が集まっていた。待つこと3時間。その間にもかなりな余震が
次々と来ていた。携帯の電池が頼りないのでワンセグはあきらめた。ほとんど
情報から隔離されている。寒いし、食べるところや寝るところ・・・。駅の
周りには、ホテルはもちろんコンビニも飲食店も何もない。困った!

そうこうしているうちに、JR関係交通はすべて運行を中止することとした!
とマイクでアナウンス。警察が先ほどからうろうろしていた。
警察官の一人から、これから、避難所として近くの小学校を交渉しているが
希望者はもう少し待ってください。小一時間して、先導してくれた。寒い、
停電で真っ暗な道を肩をすぼめてぞろぞろと見知らぬ者同士がついて歩いた。
5分ほどで小学校の体育館に案内された。パイプ椅子がずらりと並べてくれていた。
全員で6~70名くらいいただろうか?

20時頃に災害用クラッカーが来た。発発のエンジン音は明りのためだ。毛布が
きた。これは、女性子供が優先だそうだ。21時半頃災害用乾燥ごはんが来た。
水を入れて1時間待つ。そうしているところに毛布が来た。いままで割とお行儀
よく並んでいたが、かなりの寒さに毛布に殺到した。しかし、全員にあたった。
薄暗い寒い空気の中で、先ほどのご飯をやってみた。冷たい。芯がある感じ。
でも、五目ごはんらしい味はしている。半分くらい食べました。


もう冷えてしまったけど買っておいたペットボトルのお茶。 
あたりは、エンジンの音だけ、  ぼんやりした人影はあまり動かない。
オーバーコートの上から毛布をかけても、体が冷え切ってしまったのか寒さが
取れない。ほとんど眠れずに明けてきた。
6時半に駅に来て、シャッターが開くのを待ちかねて、停車していた電車の中へ。
中は暖房してくれていた。ありがたい。 大宮までの所要時分は平常時は30分弱
のところが4時間近くかかっている。少しでも動いてくれている・・頼みがあった。
帰宅後すぐに、沸かしてくれていた風呂につかり、この有難味をかみしめて、
ようやくごはんにありついた。

すでにテレビなどでは、途中のニュースであったが、被災された方が多く、広範
囲の災害で死者・不明の方が1,300名超と報じられ、その凄かったことに改めて
肝を冷やすとともに、亡くなった方々のご冥福と不明の方々の一刻も早い救出を
願うばかりです。被災された多くの方々へ素早い対策と安心の確保を願ってやみ
ません。
阪神淡路大震災の時も大変であっただろうと、思いが廻らざるを得ないです。

コメント (3)
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