昨日、関東では寒の戻りで雪が降りました。4月の雪は5年振りとか。
そんな寒い1日でしたが、毎年4月8日は、釈迦の誕生を祝う仏教行事 灌仏会(かんぶつえ)が行われました。
今日のテーマは、まさに 釈迦に説法 ですがお付き合いのほどを・・。
お釈迦様が中国暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく行事なのだそうです。
呼び方としては、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)など
様々にあるようですが、この時期花ざかりでもあり、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)などともよばれている
のですね。
日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、 甘茶を満たして、
誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う風習があります。
子供の頃に、一度経験がありますが、あまり親しみが無かったような記憶です。 甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、
産湯を使わせるために 9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来するのだそうです。
特段、宗派に関係せずどの寺院でも行うとあります。
(ネット画像より)
“花まつり” の名称は、明治時代にグレゴリオ暦が導入(明治5年)され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の
4月8日が、関東地方以西で桜が満開になる頃と合致する事から、浄土真宗の僧が提唱したと伝えられています。
それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられているとか。 お寺が経営している幼稚園や保育園では、
花祭りとして、子どもたちにとっては甘茶をいただいたり、寺では稚児行列が出たりするのです。
浅草浅草寺にて
(浅草寺HPより)
お釈迦様について、物の本によれば、 「釈迦の誕生した年は、紀元前565年頃といわれています。
父は迦毘羅城主 浄飯王、母は、麻耶夫人、インドの習慣に従って出産のため生家に帰る途中、藍毘尼園
(るびに園:今のネパールのタライ地方)の無憂樹の下に佇んだ時、俄かに産気づいて釈尊を産み落とした。
伝説によれば、生まれてすぐ七歩あゆみ、両手を以て天と地を指し、『天上天下唯我独尊』と叫んだといい、
このとき八大竜王は歓喜のあまり甘露の雨を降らして沐浴させたという。」
そして、「姓はゴーダマ、名はシッダッタといい、ヒマラヤ山の麓シャカ族に属する迦毘羅城の王子として生まれますが、
少年時代から人生問題に悩み、宮廷生活に飽きたらず、29歳の時妻子を捨てて出家し苦行すること6年、
ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想を続け悟りを開いて35歳に至って仏陀となりました。 そののち、クシナーラーで
没するまで、45年間インド各地方で説法し、国王よりまで多数を教化しました。 『人生の苦悩は自我に執着する
迷妄から生ずるのであり、無我の境地に立って安心立命せよ。 そのために欲望を抑え、心の平静を保つ、
一切の生けるものに対して慈悲を及ぼせ』 と説きました。」
ところで、天上天下唯我独尊の意味ですが、なかなか難しく、ストレートに読めば、“この世で自分ひとりが最も尊い”と
なりますが、 まさかその意味ではなく、いろいろと解釈をすれば、ネット記事に、
“『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれており、この命のまま尊い。』ということが
本来の意味です。現実の世界に置き換えると、人間の命の尊さは、能力、学歴、地位、名誉、財産などの有無を超えて、
そのままで尊い『自分』を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。世の中は、とかく何事にも優劣をつけ
他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちてす。しかし、この言葉の真意を知れば、この世に
唯一無二のかけがえのない自分という存在が オンリ-ワンだということに目覚めれば、他人と比較して傷つく必要など
全くないものであると同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない、ということに
気づくはずです。” とあります。 なるほど~。 大変ありがたい教えです。
こんなのもありました~
“失敗して物をダメにする事を 「おしゃかになる」と表現するが、 一説によるとこれは灌仏会に因むとされる。
すなわち、江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで
「しがつよかった(火が強かった)」→「四月八日だ」→釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。” えッ!