明日、6月26日は国際連合憲章調印記念日です。
ずいぶん長い名前の記念日ですが、1945年(昭和20年)6月26日にサンフランシスコ会議で加盟51か国の調印に
よって、19章111か条からなる国連憲章が制定されたのですね。
本題に入る前に、昨日の英国の国民投票結果に唖然としてしまいました。 すでに組織から遠ざかって久しい
ファーイーストの 老人でさえ、この行方は、残留、離脱が拮抗しているだけに一層気にかかっていました。
投票前の推定でも、離脱派のやや優勢が伝えられていましたが、思慮ある人々の最後の判断はそうではない、
やはりまともな結論に至るのでは・・と思っていたりもしていました。 これまで、ずっと、このような賛否両論が
拮抗している事案では、最後はいつも“やはり正道”?に落ち着いていたものでした。 しかし、どうやら
こういった考えは、既に懐古趣味的な部類に入るのでしょうか。 先の、アメリカ大統領予備選の共和党代表と
なったトランプ氏にしてもそうだった。(私はそう思ったのです。)あのようなバランスが外れた人がアメリカの
大統領候補として共和党代表になるなんて・・。しかし、現実は、私の感じているような状況ではないのですね。
2014年時点で、人口6000万人の英国に、既に300万人を超えるEU市民が在住しているといい、特に南部、
ロンドンなどが多いといわれていて、確かに身近な問題としては、職を奪われる、異文化の人が多い 治安が悪化
など先が見えない不安と反発する気持ちは理解できますが、だからといって、今回結論が出てしまったように離脱、
独立が本当に彼らのために良いのか、他事ながら心配になるのです。ポンドは急落し、円は100円/ドルを切って
瞬間99ドル台まで高騰し、株価は大暴落し金融市場は大混乱を期しました。 これらのことは、ショックによる
一時的な現象かもしれませんが、この英国のEU離脱は、他の国へのドミノ現象を招く恐れもあり、そもそも、
ヨーロッパにおける恒久な平和を求めて統合路線に向かった共同体に、英国が加盟したのは既に43年前に遡る
のですね。 いろんな変遷はありましたが、現在28か国に拡大してきたのです。 キャメロン首相は辞意を表明
しました。 英国はこの後どのように進めるのか? ドイツ、フランス、イタリア、オランダなど各国はさしあたり
どのようなかじ取りに入るのでしょうか?
国連本部ビル
(ウイキペディアより)
本題に戻りますが、国連憲章が調印される1年前、1944年8月から10月にかけて、アメリカワシントン郊外の
オークスという町で、米国、英国、ソ連、中国の4国代表が集まって、戦後(第2次世界大戦)の平和を保つために、
原則、組織、活動方法を定めたいわば世界の憲法とも言うべき国連憲章の草案を作成していたのです。戦争は
まだ終わっていないというのに。 そして、翌1945年6月26日のサンフランシスコ会議での制定となるのですね。
この時も、まだ戦争は続いていました。広島に原爆が投下される40日ほど前なんですね。草案作成の4国の2国に
英国がいます。やはり大英帝国なんですね。
憲章の主旨は、言わずもがなですが、「言語に絶する近代戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と
人間の尊厳および価値を重んじ、いっそう大きな自由の中で、社会的進歩と生活水準の向上を促進し、互いに
善良な隣人として、平和に共存しうるための組織と確立を目指すものである」とされています。
この憲章が正式に実施されたのは、1945年10月24日で、この日は「国連の日」として記念されています。
あぁ、このような平和も、長い年月のうちに、環境が変わり、考え方もニュアンスが変化し、大衆の流れまで
巻き込んでしまう うねりを起してしまうのかもしれません。
国連憲章の記念日と、今回の英国国民投票結果とが何やら重なってしまいました。
注)日本の国連加盟が認められたのは、1956年(昭和30年)12月です。