ちょっと変わった視点から記事アップしてみました。 「和様」についてです。
ウイキペディアによれば、『和様(わよう)とは、日本風あるいは、日本様式の事物を
意味し、中国風・中国様式を意味する唐様に対して用いられる。書道をはじめとして絵画や
彫刻など、日本美術史において日本風が顕著になった平安時代中期から後期にかけての作品
に対して広く用いられる用語である。 ただし、和様とされるものの多くは純粋な意味での
日本古来のものではなく、その原形は飛鳥・奈良時代に唐から受容された文物を日本の風土
と日本人の感性に合わせる形で改良することによって成立した文化様式である。』と。
難しい表現ですが、つまるところ、それまで、唐(中国)の影響を強く受けていましたが、
唐は 9世紀末頃から国力が衰え、10世紀には崩壊してしまうのです。そして、894年には、
遣唐使が中止されたこともあって、自国意識の高まりとともに「国風文化」が栄えるように
なり、平安時代中・後期(摂関時代)に、ひらがな が考案され、和様書道が生まれ、大和絵
なども出現してくるのです。
彫刻、建築の世界でも、それまでの唐様(からよう)から和様へと独自の様式へと発展し
て行くのです。
根立研介氏(京都大学大学院教授)は、仏教美術の研究をされていて、彫刻における和様
の形成について述べられていました。 氏によれば、彫刻における『 和様とは、1053年、
仏師、定朝(じょうちょう)らによって制作された平等院鳳凰堂阿弥陀如来像によって大成
されたとされる、彫刻様式である』と述べられています。
和様彫刻の特徴は、平面性、平明性、優美性に要約されるとあり、上述の阿弥陀様は、
丸顔で伏し目がち、体つきはボリュームが無く平面的、衣の彫りは浅く、表面の起伏が緩や
かで、柔らかい質感が、見る物に優美さと穏やかさの印象を与えていると。
平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(いずれもネット画像より)
これに対して 7世紀ころの仏像と比較してみると、そこには大きな違いが読み取れるとい
うのです。すなわち、顔だち、伏し目、体つきのボリューム感など、がっちりした立体感が
あるというのですね。 いわれてみれば・・という感じですが、いままで、そのような視点
で仏像を見てこなかったので、このような視点は大変興味のあるところです。
薬師寺金堂薬師如来像
(ネット画像より)
寺院建築における様式も、もともとは中国から伝わってきたものが、平安時代の国風文化
の時代に 日本人好みに洗練されてきたのだそうです。大寺院では規模の大きな仏堂もありま
すが、住宅風に柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間の仏堂も造られたのです。
時代が進んで、鎌倉時代に再び中国から新たな様式が伝わってくると、従来の様式との違
いが意識されるようになり、和様という様式でよばれるようになったそうです。
平等院鳳凰堂
(ウイキペディアより)
和様建築の特徴は、以下のようにありました(ウイキペディア)が、かなり専門的です
ので詳細は割愛しました。
- 柱の上部同士を補強するため、長押を打つ
- 組物の間に蟇股(かえるまた)または間斗束(けんとづか)という部材を置く
- 柱は太く、天井を低めにしたものが多い
- 床を張り、縁側を造る
- 床下に亀原を築
こちらは和様ではありませんが・・
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