蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

諏訪と縄文人  (bon)

2021-08-24 | 日々雑感、散策、旅行

     早やこの夏も二十四節気の「処暑」(昨日8/23)が過ぎました。22日の日曜日は満月でした。
     今日からパラリンピックが始まります。残暑はまだまだ厳しいですが秋に向けてスロープを
         一気に進んでいるのですね。

 

 突然ですが、長野県諏訪地方と縄文人との関係? なんです。

 先の土曜日(8/21)のNHK番組「ブラタモリ」で、諏訪地方の探訪がありました。
旅のお題「なぜ人々は諏訪を目指すのか?」を探る中で、縄文人がなぜこの地方に
多く集まっていたのか・・楽しく解説されて、にわかにこれまでの疑問が解けたの
でした。

        尖り石縄文遺跡
         (茅野市HPより)

 

 一昨年まで、16年以上にわたって高校時代の仲間10人で、茅野駅(長野県)から
八ヶ岳の麓への丘陵地にある畑(1000㎡)を借りて農作業を楽しんでいましたが、
畑の近くに尖り石縄文遺跡があり、そこの「尖り石縄文考古館」には、国宝「縄文
のビーナス」「仮面の女神」の他多くの土偶や資料類など貴重な展示があり、当時
の集落分布なども示されていました。(文末の動画に一部紹介しています。)


 夏でも夜は涼しい、冬は相当寒さが厳しいと想定されるこの高原地帯にどうして
縄文人の集落が多くあるのか? かねて疑問であったのでした。  これが、先の
ブラタモリの番組で、鱗が取れたのでした。

    

 縄文のビーナス               仮面の女神
    
         (共に、茅野市尖石縄文考古館HPより)

 その鍵は、黒曜石、と片岩にあると解説されていました。これらのほかにも理由
があるかもしれませんが、少なくとも黒曜石、片岩はそうであろうと納得したのです。
つまり、これらは狩猟や農耕の道具として必須だったからなんですね。黒曜石は、
「星糞(ほしくそ)」と呼ばれていたとあり、ガラス質で、矢じり、ナイフなどに
加工されるのです。また、片岩は、農耕の道具として鍬の先端部分に使用されてい
たのです。

 黒曜石(諏訪市HPより)       片岩(板のように割れる)(ウイキペディアより)
   

 

 で、これらが、諏訪地方に集中して存在していたから、これらを求めて縄文人が
集まり集落が形成されていたのです。

 黒曜石の分布をネットで調べてみましたら、諏訪地方もそうですが、このほか青
森、秋田、栃木などおおくの地でとれていたようですが、これらの黒曜石が、他地
域に流通していたこともわかっているようです。

 「日本文化の入り口マガジン」HPには、八ヶ岳山麓の縄文集落は、5000年前の縄
文時代中期、「縄文銀座」として栄えた縄文大都会があった場所とされていました。

 「ブラタモリ」では、さらに地質学的な側面から、この地は糸魚川―静岡構造帯
と中央構造帯の交点に位置し、これらの断層によって、諏訪湖が出来たり、特徴的
な岩石が多く存在することや、これらの断層の谷間を通してはるか諏訪湖から富士
山を見通せる・・など、興味深い番組が構成されていました。

 また、番組の中で「縄文海進」なる言葉が出てきていました。 ネットで詳しく
調べてみましたら、はてさて、大昔にも温暖化があったことが分かりました。

 この温暖化は、地球の自然変化によるもので、最後の氷期が終わる約1万9千年前
に始まり、約6千年前にピークを迎えます。つまり、旧石器時代の終りから縄文時代
前期にかけて、この温暖化によって海水面は100m以上上昇したそうです。これを
「縄文海進」とよび、この海面上昇によって、海辺の民はより高地へと移動し、新
たな居住の地を求めて定住したと考えられるというのです。

 これから想像できるのは、諏訪湖から富士山を見通せる(断層による)谷間に沿
って、海水が奥地にまで延び、諏訪周辺に「縄文銀座?」ができた!

 もっと深いいきさつなどがあるかもしれませんが、まぁ、こんなところで満足です。

             

 縄文遺跡といえば、何年か前(7年前)に“山のグループ”で東北を旅行した折に、
「三内丸山遺跡」(青森市、今年2021年7月27日に、世界文化遺産に登録されたば
かり)を訪れましたが、広大な敷地に、住居跡や巨大櫓などが目を奪いますが、土
偶、土器や黒曜石などの展示があり、中でも黒曜石は長野県等からのいわゆる高品質
のブランドものとして展示がありました。当時も各地の交流(物流)があったので
すね。

            

 先の「ブラタモリ」から、いろいろと想い出がつながり、縄文時代へと思いが進
んでしまいました。

 

蓼科農園での合宿と縄文考古館訪問 2017.7.4のブログより

 

 

 

コメント (2)
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