今日は、二十四節気の夏至にあたります。正確には6月21日23時58分だそうですが、この日
昼の時間が最も長く東京では14時間36分あるそうです。東京の日の入りは、19:00とあります
から随分遅くまで明るいのです。今日から、少しづつ日の入りが早まるのですね。
何気なく、今月初め(6/2)のテレビ番組「チコちゃんに叱られる」を見ていた
時に、表題の言葉「察しの文化」が出てきて、その時の例では、「行けたら行く」
の意味が、関西では「行かない」の意味が強く、関東では文字通り、行くことが
可能ならば「行く」の肯定を意味している。 関西の表現は、「察しの文化」
によるのだとありました。
(ネット画像より)
そういえば、関西では、「きれいな服やね」は、あまり「似合っていない」、
「丁寧にやってるね」は、「遅い、もっと早くして」のような意味を含んでいる
ようです。 昔、関西の職場にいた時、特に労働文学?で、「検討することと
します」は、どちらかというと「検討しない」の意味があり、検討するとしても
かなり後回しで・・との意味で使われる場合が多いようでした。
同じ関西でも、京都の話として良くたとえ話に出てきますが「お茶もう一杯
いかがですか?」は、「もうそろそろお引き取り下さい」の意味だとか・・。
地域の集団が歴史的にも密な状態が長く、所属する共同体の利益と集団内部
の「和」を何よりも重視する社会では、自己主張をできるだけ抑え、相手の立場
や感情を考えつつ発言したり、行動する傾向が強くなると分析されています。
このように日本の内部でもこのような状況ですが、外国から見た場合、やはり
ずっと島国であった日本のような、ものの考え方にも同質性が高い社会では、
言葉によるコミュニケーションよりも、相手の目や顔の表情で相手の気持ちを
理解しあうことの方を大切にする文化が形成されて来たとも言われています。
これを「察しの文化」ともよばれているようです。
この、言葉によらない非言語コミュニケーションは、ハイコンテクスト(高
文脈)文化と呼ばれ、相手のしぐさや声色など、非言語に含まれる意図を察し
合う文化を指しています。以心伝心、あうんの呼吸、空気を読むなどの言葉で
表現すれば、日本らしい文化に感じられるかもしれません。実際、日本は世界で
一番「察する文化」を持つとされているようです。
*コンテクスト(context):文脈・脈絡・状況・前後関係
(北浜グローバル経営㈱より)
一方、ローコンテクスト(低文脈)文化では、言語表現を重要視し、明確に
意思を伝え合う文化を指しています。抽象的な言葉や曖昧な表現よりも、伝わり
やすいシンプルな言葉で明確な意思表示をする傾向にあり、欧米などはそうで
すね。
かって「ノ―といえない日本人」と揶揄されたことがありますが、外国人から
見ると、確かに曖昧で、ノーなのかイエスなのかハッキリしてくれ! 日本人
は騙している‥などと誤解を生む元ともなっているかもしれません。
しかし、近年においては、グローバル化も進み、日本国内においても人の流動
も多く次第に、察しの文化は姿を潜めてきているとも思われますが、それでも
内輪同士の会話では、依然として残されているとも思えます。
ハイコンテクスト文化では、共通認識を持つ人同士が文脈やしぐさから相手
の考えを察し合う前提でコミュニケーションが進みます。これは、無意識のうち
に「察する能力」を相手に求めていて、コミュニケーションの精度が相手の能力
に大きく影響されていると言えます。
実際に共通認識があれば効率的なコミュニケーションをとれますが、共通認識
がない場合、相手の受け取り方で表現の意味合いが変わるため、コミュニケー
ションのすれ違いが生じるリスクが高くなってしまうでしょう。
これがハイコンテクストの弱点であり、コミュニケーションをとる中で「話が
伝わらない」と、お互いを疲れさせてしまう原因の一つになります。
(キープデザインより)
「日・中コミュニケーション比較」(北京外国語大学 孔鑫梓氏2012.8.15)と
いう論文の一部を抜粋しました。
『日本的コミュニケーションは建前と本音の二重構造から成り立っていること
がわかる。その中で、代表的な言葉として取り上げられるのは「すみません」
だと考えられる。毎日何十回も繰り返している「すみません」は実に日本人の
コミュニケーション意識を反映していると思われる。エレベーターを出る時、
人の後ろを通過する時、注文する時など、あらゆる場所、時点において「すみ
ません」の声が聞こえる。特に、謝罪の場において、「すみません」は不可欠
な一言とされる。「すみません」を口にした謝罪者は実際どれぐらい悔恨を感
じているかはさておき、非を認めた以上、責め立てることはできない。建前と
しての「すみません」は「場」の雰囲気をよくし、ピンと張りつめている空気
を和らげるのに大きな役割を果たしている。また、スムーズな人間関係づくり
にも役に立てる。』
また、察しの文化は、「おもてなし」文化にも通じているようです。
相手の気持ちや状況、要望などを察して、言葉を返したり、行動したりして
相手が好ましいと思うように振舞おうとする行為です。
「ご迷惑をおかけしますが」、「ご面倒をお掛けしますが」、「何のお構いも
できませんが」・・なども、本当に迷惑をかけたり、面倒をかけたりすることは
ないがそのように、相手を気遣う気持ちの表現なのでしょう。
「お昼どうですか?」「ちょっと片づけることがあるので、どうぞ!」「なら、
何か買ってきましょうか?」「ありがとう!」 これなども、察しの文化で相手
を慮った表現ですね。「この部屋、暑くない?」「ちょっと窓を開けましょうか」
もそうですね。
このようなおもてなしの心は、外国の人達にはことのほか感謝されていると
いいます。 相手を思いやる繊細な心遣い・・これも察しの文化の範疇なんで
しょうね。
現代では、ハッキリとモノを言うことが求められています。特にビジネスの
世界においては曖昧な表現は誤解だけで済まず問題を起こすことになりますから
要注意です。しかし、ハッキリといい過ぎて、ズケズケとした表現では、楽しい
会話にはなりませんし、俺が俺が‥みたいな、殺伐とした雰囲気が予想されます。
やはり、場や雰囲気を選んで、ほどほどに使い分けるのが好ましいのでしょう
ね。いうべきところではハッキリといえばよいのでしょう。
André Rieu - I Will Follow Him