蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

年賀状  (bon)

2024-12-23 | 日々雑感、散策、旅行

      昨日の日曜日は、全国高校の男女駅伝で、元気に都大路を走っていました。男女とも長野県が
     優勝でした。 有馬記念も終り、いよいよ年末に滑り込んで行くのですね。

 

 年末の仕事の一つに年賀状の仕上げがあります。
 高齢にもなったし、いつまでも儀礼的な挨拶もこの辺で・・と「年賀状じまい」を
考えている人にとっては、先の郵便料金の大幅な値上げで、気持ちに踏ん切りをつけ
た人も多いかも? メールやスマホなど電子的な方法もあり、ふんぎれない人にとっ
ては、これらで簡便に済ませることもできるし・・。

           (ウイキペディアより)

 そもそも年賀状の習慣は、いつ頃から起こったのか? 富士フィルムのページに、
年賀状の歴史は古く、平安時代までさかのぼるとあります。「春の始めの御悦び、
貴方に向かってまず祝い申し候」などの例がありました。

 平安時代頃から、年の初めにお世話になった人や親族の家をまわって挨拶をする
「年始回り」の習慣が長く続いていたようで、大正時代あたりでも、正月は挨拶の
ために行き来する人々で通りが混雑するほどだったとか・・。

 一方、江戸時代あたりには、「年始回り」のほか書状で挨拶を済ませることも増え
て来たそうで、このため飛脚が活躍したとあります。 ずっと時代が進むと、玄関先
に「名刺受け」を設置して、不在時にはお祝いの言葉を書いた名刺を入れてもらう
という簡易スタイルも登場していたそうです。年始回りを簡略化したものが年賀状の
ルーツだといわれているとあります。

 この年始回りというのに近いかもしれませんが、まだ若い頃、会社の初出の日は、
秘書のお嬢さん方は着物姿でしたし、会社の各部局のトップを先頭にして、部局の
社員一団が他の部局へ新年のあいさつ回りをしたものでした。途中、廊下で鉢合わせ
するようなこともあったり、和やかだったですね。 また、最寄りの会館などで、
業界を対象にした「賀詞交歓会」がありましたが、今もあるのでしょうか?

 このようなことで昔から新年の挨拶というのは、習慣的に重要であったようです。
年賀状を出すことが一般に広がったのは、明治4年(1871年)の郵便制度開始がきっか
けのようです。2年後には「郵便はがき」の発行が始まり、明治の中頃には年賀状は
激増したそうです。郵便局員は文字通り、不眠不休で消印作業にあたり、押印担当者
の右手はマメで腫れ上がるほどだったなどとあります。

 現在のように、年末のうちに受付て元日に配達する年賀郵便取り扱いは、1899年
(明治32年)に始まったそうで、その後「お年玉付き年賀はがき」が、1949年に始ま
るなど、国民的行事?みたいな形で2003年には約44億6千枚(ピーク)にまでになった
そうです。その後の発行枚数は減り続けて、昨年(今年用の)は、14億4千枚とあり
ます。

 若い人たちは「年賀状(郵便の)」にはあまり興味が無いように思われますし、
おめでとう挨拶なども電子的なんでしょうね。高齢者も、どんどん離れて行く傾向に
ありますね。


 ローカルな話で申し訳ありませんが、自分自身を振り返ってみると、高校時代は
もっぱら版画に興味がありましたから、その年の人物や風景、生物などをあしらった
版画でしたね。すでに1枚も残っていませんから、見ることはできないですが、彫刻刀
を何本も用意し大きめの「バレン」を自作したり多色刷りに凝っていたものでした。 
 会社人間になってからも、初期には版画で、あて名は自筆でしたが、そのうち枚数
も多くなり、図柄は自分で印刷仕上げでしたね。

 この頃の思惑は、新年の挨拶だから、せいぜい100円程度で、目上の偉いお方や、
取引先の偉い方々に直接手元に届けられる・・そんな利得も考えたりしたものでした。
先様は、キチっと見てくださるかどうかは分かりませんが・・。

 会社をリタイヤしてからは、お世話になった方がた、懐かしい人々、親しい友人
など枚数も減ってきましたから、パソコンに写真などを取り入れて、プリンター印刷、
あて名もプリンターで・・と、いたって簡単になりました。

 通り一遍の「謹賀新年」や「迎春」などから、これらの言葉を使わず、有名な漢詩
などその年に思うことに相応しいと感じた言葉をあしらった「年賀状」を作ってい
ます。今年は、一昨日(12/21)の土曜日に投函してきました。

 少し長くなりすぎますが、会社組織が大きく変化した40年位前の私の年賀状から
いくつか載せてみました。その年に気合を入れて活動していたことや、記念行事、
仕事に関連して、還暦の自身の姿を、旅行や趣味的な話題を取り上げていました。
 最近は、写真というよりは、言葉を主体に、昨年は『去年今年貫く棒の如きもの』
(高浜虚子)、一昨年は『花無心招蝶』(良寛)などを拝借しています。「謹賀新年」
「迎春」などは謳わずに・・。 以下に昔の年賀状を抜粋して・・


 新しい組織が発足した年(1985年)  公衆電話を見直そう(1987年)
  

 

 若者向け地域活動(1988年)     新発足の部署に異動した年(1991年)
                          
                     (㈱コナミに著作権許諾受ける)

 ネット(ニット)ワーク(1992年)  十牛の図(1997年)
  

 

 仙丈ケ岳から甲斐駒越しに(1998年) 還暦を迎えて(2000年)
  

 

 ユングフラウを望む(2001年)    蓼科農園から(2008年)
  

 

 高尾山頂から(2009年)       ベランダのさざんか(2010年)
  

 

 

 

島の郵便屋さん【Canva 公式(キャンバ)】

 

 

 

 


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2 コメント

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時の流れで~ (bon)
2024-12-23 21:54:42
samgirlyさん、コメントありがとうございます。
年賀状も時代というか時の流れ、自身の年齢などによって、変化してきますね。
凝って作成した時代もあったり、次第に枚数も減って簡素になったり・・。
昔、版画の多色刷りをした年賀状では、ハガキに刷っては乾燥させるため、
部屋中に広げていたことがありましたね。
始めると途中でやめにくいので、深夜までかかったりして・・。
返信する
Unknown (samgirly)
2024-12-23 09:42:35
年賀状は、差出人の個性が発揮できて、作るのも受け取るのも楽しみだったものでした。
そうは言いながらも、私も出す相手がほとんどないのもあって、今年は年賀状をまだ買っていません。
返信する

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