蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

幸徳秋水  (bon)

2024-01-26 | 日々雑感、散策、旅行

    今日(1/26)の正午のお月さまは、月齢14.6の満月です。夜晴れていれば、夜中に煌々と輝く
    15歳の満月が見られることでしょう。今年最初の満月、ウルフムーンというそうです。アメリカ
    先住民が満月に独自の名前をつけたといわれています。ウルフムーンは、木々も枯れた厳寒の
    荒野に煌々と輝く月をオオカミ月といったのでしょう。

 

 明治の思想家、社会主義者、大逆事件で処刑された‥そんな人物であることは知っ
ていましたが、処刑された日が、明治44年1月24日とあり、先ごろが祥月命日でも
あったことから改めて来歴などを調べてみました。

 私が子どもの頃に父親から、27歳の若さで他界した祖父は、どうやら幸徳秋水に
信奉していた、社会主義思想家であったとの話を聞いたことがありました。祖父は、
画家(日本画)を目指していたようで、いくつかの作品も残されています。
  ある時、密航でサンフランシスコに渡ったそうですが、それが画家としての勉強
だったのか、当時(1905年頃)幸徳秋水らがサンフランシスコに亡命している、ロシ
ア人のアナキスト(無政府主義者)との交流があり、その影響で渡米したのか定か
ではありませんが、20歳過ぎくらいの血気盛んであった頃の祖父もそのような行動
をとっていたのかもしれません。

 そんなこともあり、幸徳秋水と聞けば、何となく(少しだけ)近しい感じで捉え
られるのです。 前置きが長くなりましたが、幸徳秋水について、ウイキペディア
などを参考にかいつまんでまとめてみました。

             幸徳秋水
        (ウイキペディアより)

 幸徳秋水、本名は伝次郎は、1871年に高知県の現在四万十市で酒造業、薬種業を
営む町の有力者の家に生まれるのです。 9歳で儒学・四書五経を学び16歳ころ、
上京して同郷の中江兆民の門弟となり、新聞記者を目指して、板垣退助が社長の
「自由新聞」で勤務するなど、その後も新聞記者を目指して活動し、1892年(秋水
20歳ころ)には、「萬諜報」(よろずちょうほう=万重宝の洒落)の日刊紙の記者
としてひたすら権力者のスキャンダルを追及し、当時の人気トップ新聞として最多
発行部数を記録していたそうですが、伊藤博文や山縣有朋らからも憎まれることと
なります。

 30歳(1901年)の頃、秋水は、社会民主党の創立者として参画していますが、その
活動は即日禁止され、組織変更した社会平民党への結社を届けるも、再び即日禁止
される状態にあったようです。この年、「廿世紀之怪物帝国主義」を刊行して帝国
主義を批判しています。足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴した直訴状は秋水がその
原稿を書いたとありました。
 日露戦争が1904年に勃発した時も、秋水が務める「萬諜報」社が開戦論を主張した
ためこれを退社し、新たに非開戦論を訴え続けるため同士とともに「平民社」を開業
したとあります。そしてこの年、新聞紙条例によりとうとう投獄されてしまいます。
この頃から秋水は無政府主義(アナキスト)に傾倒して行き、とうとうゼネラル・
ストライキによる直接行動論を提唱するに至るのです。

       平民社(1904年頃 左端のセンスを持っているのが秋水
       (ウイキペディアより)

 1907年、第1次西園寺内閣の融和政策により、結党が認められた日本社会党におい
ても、片山潜らの主張と合わず、秋水は社会革命党を結成します。2年後に発刊した
「自由思想」は、即日発売禁止処分を受けるなどその行動はことごとく監視されて
いたのでしょう。

 1910年、秋水が神奈川県湯河原に来ていた時、警察により大逆事件(幸徳事件)
により逮捕され投獄されてしまいます。翌1911年1月18日、秋水は大審院において
「大逆罪」で有罪となり、死刑判決を受けます。そして1月24日に他の死刑囚11名と
共に処刑されたのです。39歳でした。

 しかし、明治天皇殺害計画という大逆罪は、秋水ら何人かは当時の検察のでっち
上げが明らかであったわけですが、当局としては社会主義者の一掃を図ることを目的
としていたとあります。 なのでこの事件は、各方面に大きな影響を与え、徳富蘆花
は、死刑を阻止するため兄を通じて内閣総理大臣(桂太郎)に嘆願したが果たせず、
その他の運動も効なく終わってしまいます。また、石川啄木ら文学者にも大きな影響
を及ぼしたとあります。

         非開戦論を刻む 秋水生誕150年記念碑
        (高知新聞より)

 

 幸徳秋水の活動について、かなり端折ってしまいましたが、社会の問題の核心に
向かって悉く追及の手を休めず、出版などの活動を通じた主張を展開して民衆を洗脳
しているとして、当局にとって「目の上の瘤」だったに違いないのでしょう。
 何かの機会に口を封じてしまいたい‥そんな風潮であったのかもしれません。

 その行動は、明確な論理の上に構成されているもののやや急峻さが見られ、さらに
大きなうねりとした活動まで盛り上げられなかったというか、いつの時代にも見られ
る図式のように、まことに残念ながら大勢にはかなわなかったのですね。

               

 余談ですが、高知県出身の(私が選んだ)著名な方々を列記しました。

坂本龍馬、後藤象二郎、中江兆民、幸徳秋水、板垣退助、ジョン万次郎、岩崎弥太郎、
有澤広巳、寺田寅彦、牧野富太郎、宮尾登美子、山本一力、三浦朱門、安岡章太郎他
たくさんの方がおられます。

 

 

 

HAUSER & Caroline Campbell - Czardas

 

 

 

コメント
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