蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ハレとケ  (bon)

2024-01-12 | 日々雑感、散策、旅行

  書籍広告の見出しに「政治は国民のために行われているか?」とあるのを見て、いたく共鳴しました。
   今回の能登半島地震に予備費から47億円余を物資支援強化に充てると閣議決定したとありましたが、
   その規模は違うにせよウクライナへの越冬支援として昨年55万ドル(約7700億円)の緊急無償資金協力
   をしていることから見ても、何ともチマチマとしている。こういうことで良いのでしょうか?パーティー
   券の裏金もチマチマと自派閥のために・・、「本当に国民のため」に政治が行われているか? 自民党の
  「政治刷新本部」は誰の何のためのものか? こんなことで政治不信が払拭されるのでしょうか?

 

 ハレ については、かって民俗学者の柳田国男によって見出された日本人の
伝統的な世界観の一つとして表された言葉だとあります。「ハレ」は晴れを語源
として、儀礼や祭りなどの非日常を表し、「ケ」は普段の生活である日常を表して
います。「ハレ」の日は、衣食住や振る舞いも特別で、晴れ着や正装姿になったり、
食べ物も普段と違った特別料理が出たりしますし、言葉遣いなども違ったり、日常
(普段)とは一線を画して区別しています。

        (ネット画像より)

 例えば、ウイキペディアに、『ハレの日には餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒
などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった(当時
の庶民にとっては雑穀と汁物と漬物が日常食で、肉や魚などの動物性の食品はご
馳走であった)。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられ
なかった。

 それが、戦後から高度経済成長を経て、大衆消費社会になったことで、派手な物、
美味しい物が手軽に消費出来るようになり、ハレとケの区別が曖昧になった(どち
らかと言えばハレが続いている状態になった)と言われている。』

          晴れ着
           (ウイキペディアより)

 柳田国男は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の
人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから近代化による民俗の変容を
指摘する一つの論拠として取り上げ、
未来への潮流を読み取ろうとしていたそう
です。 が、まさにそのような変化にあるのですね。

 飲食について、手元に届いた会報に『料理とは何か?』と題して、昨年7月に
講演された 土井善晴氏(料理研究家)の講演録にも、「ハレとケ」について詳し
く述べられていましたので、抜き読みでここに引用しました。

       懐石料理(例)
        (味吉兆HPより)

『味吉兆の懐石料理は家庭料理ではありません。 それはハレの料理で、日常とは
かっきりと区別します。いわば人間が神様のために手をかけて作るお料理です。
神様が食べる料理には時間を惜しまず手をかけるという観念が日本にはありました。
そうした思想がお客様料理に向けられたのです。』 『素材の持ち味を生かす日常
の料理、素材を清らかにする非日常の料理。日本にはこのような二つの料理観念が
あります。懐石料理とはハレの日の神様のための料理がお客様料理になったので
す。』 『日常の家庭料理は料理屋の調理とは全く違うのです。ケの料理は根や
皮も捨てずに丸ごといただきます。日常は命を構成する部位のすべてをいただく
という考えです。』

 もともとケの料理は、一汁一菜の汁・飯・香ですが、これらは発酵食品で、人間
が作ったおいしさではないのです。人間が作ったものは、食べ飽きてしまいますが、
自然が作った一汁一菜は食べ飽きるということが無いとあり、これは、一輪の花、
自然の景色を見飽きないのと同じだといっています。

         一汁一菜
         (ネット画像より)

 で、人間がおいしい料理をしなければならないという風になったのは、西洋的な
考えによるもので、現代人は味付けすることを料理だと考えるようになったとあり
ます。
 味付けは料理人の仕事です。日常の家庭では、母親が料理人と同じようにおい
しいものを要求されるようになったのです。プロはいつも同じものを作っていれば
よいのですが、家庭では同じものだと嫌がられますからお母さんは大変です。 
家庭料理は、家族やお客様の状況や体調を考えて調理します。そこに、工夫や思い
やりがあるのですね。

 2013年に「和食」がユネスコの無形文化財遺産に登録されましたが、それは日本
の家庭料理が評価されたからだとあります。すなわち、日本の家庭料理の中には
「年中行事との密接なかかわり」、「自然の美しさや季節の移ろいの表現」、
「健康的な食生活」があるからだといわれています。 プロの料理人はお客様の
健康のことまでは考えていないでしょう。

 今や、高級料理店に行かなくても、ハレの料理は巷に溢れて手軽に買えるように
なっていますから、ハレとケの料理をうまく組み合わせて日常を送っているかも
しれませんが、ハレとケという生活習慣は殆ど影を潜めているということでしょう。

 お正月やお誕生日などにその面影が少し残されているかもしれませんね。 

 

 

 

 

Sarah.Brightman-Scarborough.Fair-史卡博羅市集-HQ

 

 

 

 

コメント
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