普通「気の毒」といえば、goo辞書のトップの意味にある通り、『他人の不幸や
苦痛などに同情して心を痛めること。また、そのさま。』で、この度の能登半島
地震は、元日早々まことに「気の毒な」出来事そのものです。 いや、「気の毒」
どころでは済まされない大きな災害に見舞われたのです。
石川県の方言で、「気の毒な」といえば、「ありがとう」「こんなに気を使わせ
て申し訳ない」など感謝の意味で使われています。 古い言葉であるようですが、
私が赴任していた1980年代でも時々耳にしていたことがありました。『あらぁ、
こんなにたくさん 気の毒な~』
この方言を自分なりに解釈すれば、相手のことを慮って、「相手が苦労をして」
や「相手が心を込めて」私のためにしてくれた‥そんな相手の気持ちを表現して
いる、実に思いやりの深い言葉のように思われるのです。そんなやさしい言葉が
生まれる地方に、きわめて残酷極まりない災害が突然襲ってきたのです。
昨日(1/23)午後2時ころ(石川県)
(毎日新聞より)
能登半島地震から3週間たった、被災した人たちのインタビューがテレビで流れて
いました。 瓦礫化したわが家を前に、茫然と立ちすくして『ここに来るとあまり
思い出せないんです。』そんな言葉がぽつり・・。
元日の夕方、新しい年を迎え、人々は久し振りに帰省してきた家族や新しい家族
を交えた楽しい晴れやかな元旦の団らんが待ち構えていたでしょう。もうすでに
ほろ酔い状態で手放しで幸せに浸っている人もいたに違いない。大方の人が寛いで、
楽しい会話の中で晴れやかな気分で過ごされていたに違いない。 そんな時、一瞬、
震度7が襲ったのです。
正月飾りも散乱
(北国新聞より)
何の前触れもなく、一瞬にして地獄の中に突き落とされたのです。何が何だか
皆目状況も分からず、家が壊れ、家族はどこにいるか、津波警報が出てとにかく
『逃げて!』・・ 家族の名前を呼び、返事が返ってくる。どこにいる? しかし、
崩れた瓦礫の下で、よく見えない。自分では、それらを取り去ることも、動かす
こともできない重く大きな相手だ。 助けを求めるも、皆同じ状態。消防署にも
連絡が付いたが、人手が足りなく大わらわの中で対応できない。 途方に暮れる
ばかり・・。そのうち暗くなり、津波警報に気が付きとりあえずその場を後にせざ
るを得なかった。
一段落して元のところに戻り、助けにも来てくれて母親は救出され病院に運ばれ
た。が2日後に息を引き取った。『~死に目に会うことが出来ただけ良かった。』
とポツリ。
目前に家族を見ながら、助けることが出来なく、遺体で発見された人も多かった
に違いない。『あの時、自分には何もしてやれなかった。』と悔やむ心がいつまで
もこみあげてくる。
(BBCニュースより)
いったい何をしたというのか! まったくの青天の霹靂。生き延びた人たちも
避難場所での生活。寒さが堪える。水も電気もない。これからの住む場所をどう
するか悩む人、どうにか住居だけは何とかなりそうだが、店をどう再建すればよい
か、資金はどうする? 漁師町では港が隆起して、舟が陸地に上がってしまって
いる。漁港はどうする? 漁業の見通しは全く立たない。伝統の漆器や造り酒屋も
同じ状況。
この3週間、悲惨な環境におかれた人々は、日常の苦労と共に先々の困難に対し
てどのように処して行けばよいか答えが見つからない日々を送られています。
(朝日新聞デジタルより)
「1.17」や「3.11」でも同じ状況であったでしょう。3.11ではさらに原発が絡み
一層大きな被害となり未だに処理出来ないまま引きずっている状況下にあるのです。
地震列島はいつ、どこで、どのようなことが起こるか・・? 明日は我が身・・
ですね。
派閥解消、法律改正・・で、自民党不信が払拭されるなんて、そんなこと誰も
思っていません。政権与党であるなら、もっと抜本的な改革、大胆な政策に取り
組んで、国民のために「気の毒な」政治を展開して欲しい。
I'll Never Smile Again