蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

Tさんの想い出  (bon)

2024-01-18 | 日々雑感、散策、旅行
 新しい年(2024年)が明けて8日(1/8)に静かに息を引き取られたそうです。 97歳
でした。 少し前から施設におられましたが今年の年賀状もいただいていましたので、
突然の訃報に驚きました。頂いた年賀状には「山のアルバムを見るのが楽しみです」と
追記され、大きく氏名が力強い筆跡で書かれていました。
 Tさんは私より一回り以上も高齢で、私が入社した時には人事・育成担当の管理職で
おられ、時々通達か何かが寄せられたりの程度で、およそ親しみを感じる先輩の印象で
ないどころか煙たい存在の人でした。
 それからもう何年も経って、当時、ニューメディアと呼ばれる今のインターネットの
ような情報サービスの開発途上にあり、電気通信による初めての情報サービスが提供
されることから、情報提供する新聞、放送、出版その他の企業との協働システムである
ため、この新サービスの社会試行のため、1979年に財団法人が設立され、Tさん(本当は
T氏というべきですが)は会社のトップ層を退職され、その専務理事に就任されたので
した。
 Tさんが、この社会システムサービスの実質的な推進担当に就任された時、丁度私は
このシステムの開発担当者でありましたから、これまでの成り立ち、システムの技術的
内容、情報サービスとしての課題等々を説明に伺ったことから、その後の長いお付き合い
が始まるきっかけとなったのです。このサービスの名前は「キャプテン」(Captain)と
名付けられました。

       キャプテンサービスロゴ 
       (ウイキペディアより)

 1984年に東京でサービスが開始されました。そして全国に向けた展開が計画され、翌年
には第2弾の大阪と同時に金沢でサービスが始まりました。84年に金沢に赴任していた
私は、いち早く「金沢にキャプテンがやってくるシンポジウム」という長い名前のシン
ポジウムを地元で開催し、その基調講演に、財団法人の専務理事であるTさんをお招き
したのです。
 この夜、会食の席でたまたま山の話がでました。というか、私が赴任して北陸3県の
山好き10名ほどが集まって、年に一度山歩き(この年が始まりで白山に登頂)をして
いることを話した途端、Tさんも是非仲間として参加したいと とんとん拍子に話がまと
まり、翌年(85年)、白山に続いて、2年目の立山・剣岳登山に初参加されました。
 剣沢小屋をまだ暗いうちに出発し剣岳山頂を目指しましたが、前剣を超えたあたりで、
Tさんの帰りの飛行機の時刻に間に合わないかもしれない‥とのことで、山頂を目前に
して止むなく引き返した記憶があります。この年Tさんは還暦を迎えるとのことでした。
 翌年から、毎年夏山の楽しみが到来します。唐松、薬師、槍、燕・常念、奥穂、
八ヶ岳、白馬と来て10回を記念して白山にテント泊がありました。私は、Tさんと2人
テントでしたが夜中に土砂降りの雨が来て大変な思いをしたことを覚えています。

  キャプテンサービスは、その後拡大基調にあり財団法人は株式会社となり、 
Tさんは社長となられました。ニューメディアの先鋒を担ったサービスも、インター
ネットの普及と共に縮小され、2002年にはサービスは中止されました。

         御嶽山(1995年)
        
         
 御嶽山は95年、97年の千丈は、途中の雨で山小屋は10倍近い混雑だったり、黒部五郎では
雨で2日間太郎小屋に足止め、そして2001年に再び剣岳を目指し登頂に成功しました。
Tさんはなんと75歳でした。
 秋田駒ケ岳では、角館の街並みが印象的でしたし、白馬鑓温泉の標高2100mの
雲上の温泉は来た人だけの特権だったし、2012年の谷川岳の猛暑登山がTさんとの
最後の山行きでした。
 これまで30数回の山行きの内25回をご一緒した想い出は、メンバーそれぞれに深く
胸に刻まれていることでしょう。
 Tさんは、東北(仙台)勤務の頃に山を楽しんでおられたそうでした。以前から山に
親しまれ、山と渓谷社にもつながりを持たれ、私達の行動も、かって同社出版の「岳人」、
「夏山JOY」に紹介されたことがありました。
 ご冥福をお祈りします。

        (ベランダのさざんか)








The Most Beautiful Trumpet Solo





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