ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

伊那路~木曽路ソロツーリング

2008-09-15 16:12:21 | ZRX1100・1200ダエグの部屋

<9月6日>
 土曜日だというのに、僕はお昼まで仕事の関係で職場にいた。しかし、家を出る時から午後からはツーリングに出かけるつもりでいたので、めずらしく愛車ZRX1100で職場に向かった。普段は渋滞している通勤路も、バイクで走るとまた違った景色に見え、ちょっとだけ新鮮な気分になった。
 お昼少し前に、携帯が鳴った。かつての同僚であり後輩のT君からだ。同じ職場だった頃は、僕も彼も250に乗っていて、時々いっしょにツーリングを楽しんでいた。あれから10数年が経った。彼はその後結婚を機にバイクを降りたが、2年前に大型二輪免許を取り、CB750に乗っていると聞いていた。そして、途中まで、またいっしょに走ろうということになった。
 僕の職場は三好で、彼の家は尾張旭。どちらからもそれほど遠くない豊田市八草駅で待ち合わせることにした。
 八草駅は日本で唯一リニアモーターカーが営業運転されている終点の駅だ。愛知万博が開催されていた時の土曜日は行列ができるほど混み合っていたが、今は閑散としたものだ。すぐに彼の黒いバイクが目に入った。
 T君とは10数年ぶりに会ったが、なぜか久しぶりな気がしなかった。
「メシ、食ってない。」
と、僕。
「僕も。グリーン走って、153に行きましょうか。」
と、彼。
 そんな感じで、猿投グリーンロード八草ICから足助に向けてバイクを走らせた。山の緑が眩しい。すぐ後ろを黒のCB750。10数年前は、僕のGPZ250の後ろはVT250F。メーカーは当時のままだが、ずいぶん大きくなっている。
 足助のレストランで遅めの昼食をとった。彼は、2年前に急にバイクを買おうとしたときのことや、大型二輪免許に挑戦したときのことをいっぱい語った。僕は、今年の夏の北海道道東ツーリングのことや昨年の利尻・礼文ツーリングのことをいっぱい話した。
 足助からはひたすらR153を走った。暑いと感じていたのが、伊勢神トンネルを越えると、いつのまにか涼しいと思えるようになってきた。豊田市稲武の道の駅「どんぐりの里」でコーヒー・ブレーク。
 ここで僕は家に電話をしたところ、妻から、
「帰って来んくていいわ(帰ってこなくていいよ)。」
の、ありがたい言葉。一見、冷たそうに聞こえるかもしれないが、これは「思いっきりツーリングを楽しんでおいで」という意味だ。妻は、僕がリアシート・バッグに下着などのお泊まりセットを入れているのを知っている。そこで、楽天トラベルを利用し、携帯で駒ヶ根市のビジネスホテルを予約した。T君は、明日は用事があるとのことで、帰らなければならない。そこで、阿智村から左に折れ、清内路までいっしょに走り、そこでそれぞれ分かれようということにした。
 広い豊田市をやっと抜け、長野県に入ると、すでに秋の気配さえ感じられるようになった。受ける風がさわやかで、山の緑にわずかながら黄色っぽい色や薄茶色っぽい色が混ざっている。
 R153は高速コーナーが続く気持ちのよいワインディングロードだ。平谷峠、治部坂峠と緩やかな峠を快調に走ると、バイクに乗っててよかったと心から思えてくる。時折すれ違うバイクと、ちょっと前ならピースサインを交わしているところだが、いつの間にか誰もサインを出す人はいなくなってしまった。こちらからと思っても、なぜかなかなか出せない。
 阿智村で左に折れ、R256で清内路村に向かった。工事信号で止まった時、オドメーターをImg_0269 見たらあと1㎞あまりで2が全部並ぶことに気づいた。T君に伝えると、
「そりゃあ、写真撮っとかなくちゃ。」
と、言う。もちろん、そのつもりだ。
 くねくねした坂道を上り、ちょうど漬け物工場の前でオドメーターがオール2になった。接写で写真を撮り、すぐにまた走り出した。
 峠近くの店の駐車場でバイクを止め、携帯メールのアドレスを教え合った。かつてのバイク仲間といっしょに走ることがこんなに楽しいこととは思ってもみなかった。またいっしょに走ろうと約束し、T君は南木曾方面へ、僕は元来た道を戻って阿智村方面へと別れた。T君は、中津川から高速で尾張旭まで帰るそうだ。
 完全なソロツーリングとなった僕は、阿智村から再びR153に入り、飯田方面へと向かった。すると、飯田市街地に入る手前にインターチェンジができていた。駒ヶ根市内に入って予約したホテルがどこにあるか探す時間を考えたら、早めに着きたいと思い、迷わず中央道・飯田山田ICに入り、一気に駒ヶ根まで向かった。
 黄昏時の中央道は、なんとなくもの悲しい。交通量は少なく、左手の山並みと右手の平地も静かな感じがし、ただただ淡々と走る。
 駒ヶ根ICを出て、駅に向かった。駒ヶ根グリーンホテルが駒ヶ根駅の近くにあることはチェック済みだ。しかし、駅からはホテルの建物は見えなかった。そこで、近くの神社の駐車場にバイクを止め、携帯にダウンロードしておいた地図で確かめた。そして、駅に戻り、確かめたとおりに狭い路地を走ると、すぐにホテルの看板が見えた。
 一人で走るときは、ビジネスホテルが気楽でいい。誰に気兼ねすることなくのんびりと過ごすことができる。チェックイン後、妻に無事到着の連絡を入れ、短パン1枚になってテレビを見るともなく見ていた。
「メシでも食いに行くか。」
Img_0272  ぶらっと駅の方に歩いたが、地方都市の夜は早い。7時前だが、やっている飲食店は飲み屋さんばかりで、お酒の飲めない僕にとっては1人で入るにはかなり抵抗がある。本屋さんでクルマの雑誌を買い、GIBZAと書かれたアーケード街へと足を向けた。1人で知らない街を歩くのも悪くはない。しかし、明るいアーケードもほとんどの店のシャッターは閉じられ、冷やかしに入る店もない。しかたがないから、国道に向かって歩くと、飲み屋に混じってラーメン屋が一軒。駒ヶ根では人気の店なのか、混み合った店内は活気にあふれていた。とんこつラーメンとミニ炊き込みご飯でお腹を満たし、ホテルに戻った。

*本日の走行    183㎞
*本日のピースサイン  1発

<9月7日>
 1階レストランで安いビジネスホテルにしてはずいぶん豪華な食事を食べた。そして、ロビーを通って部屋に戻るとき、フロントに置いてあった温泉の割引券が目についた。
「せっかく駒ヶ根早太郎温泉の近くにいるのだから、温泉にでも入って行こう。」
 温泉好きではなかった僕も、いつの間にか「温泉に入りたい」と思うようになってきた。夫婦で走った夏の北海道ツーリングの時も、川湯温泉の「日帰り温泉」という看板の前でいきなり止まって妻をびっくりさせてしまった。「温泉に入る」と言った時、妻が目をまん丸にした顔を今でも覚えている。
 早太郎温泉「こまくさの湯」は、10時にオープンする。それに合わせて、テレビを見ながらImg_0276 時間をつぶし、9時半にホテルを出た。
 駒ヶ根インターに向かう県道を走ると、市街地を抜けた辺りから景色は高原風景へと変わっていく。朝の高原はすがすがしくて気持ちがいい。早太郎温泉「こまくさの湯」は県道沿いにあり、すぐに目についた。駐車場は思ったよりすいていた。
 600円のところを割引券を使って550円で入ることができた。中に入ると数人のお年寄りがいたが、外の露天風呂には人影がなく、迷わず外へ出た。
「気持ちいいー。」
 高原の風景と高原の空気。そして、広い浴場にたった一人。ずっと入っていたい衝動にかられた。出るのがもったいないとさえ思えてきたが、だんだん熱く感じてきて、20分ほどで出てしまった。そして、110円の「駒ヶ根の飲むヨーグルト」を一気飲み・・・といきたいところだったが、360㏄は無理だった。
 バイクに戻ると、駐車場はいっぱいになっていた。オープンに合わせて入ってよかった。
 往路は伊那路を走ってきたから、帰りは木曽路で帰ろうと思い、権兵衛峠へと向かった。まずは、燃料補給だ。インター近くのエネオスで満タンにし、駒ヶ根ICから伊那ICまで中央道を走り、R361で木曽へと抜ける。たしか一昨年だったと思うが、峠に権兵衛トンネルが開通し、R361は高速コーナーの続く快適なワインディング・ロードとなった。右へ左へとわずかに体を傾け、夏の終わりの山々を見ながら峠に向かい始めた。しかし、心地よい走りは長くは続かなかった。先頭にもみじマークの軽トラック。次に黒いスイフト。それから僕。対向車も少なく、抜くのは簡単だが、トンネルの出口の広いスペースで写真でも撮りながら一服しようと思っていたのでノロノロとついていった。僕の後ろにも数台のクルマが連なった。
 権兵衛トンネルを抜けてすぐにバイクを止めた。と、同時に白バイが勢いよく飛び出して行き、あっという間に僕の後ろを走っていた大型トラックを抜いて行った。
「かっこいい。」
 思わず声が出た。訓練に訓練を重ねた警察官の走りにビビッとくるものがあった。
「で、何をつかまえにいくんだろう・・・。みんなのんびりと走っていたはずだけど。」
 携帯で峠のトンネルの写真を撮り、タンク・バッグにしのばせた缶コーヒーを口にした。そして、タバコに火を着け、妻に無事に走っていることをメールで伝えた。
「さて、走るか。」
 こういう時、一人はつまらない。「さて、走るか」も、声には出していないのだ。
 峠道を気持ちよく下っていった。峠の西側も、林の中を駈ける素敵な道だ。いい気持ちだなあと思いながら豊かな自然とコーナリングを楽しんでいると、麓のトンネルを出たところで黒いスイフトが白バイに捕まっていた。
 峠のトンネルを出たところで、軽トラックを追い抜いて、それを見て白バイがすっ飛んで行ったのかなあ。その後でかなりのスピードを出したのかもしれないな。きっと、軽トラの後ろでイライラしてたんだろう。峠までは、ちゃんと真面目にゆっくり走っていたのに。なんだか、気の毒な気がするなあ。
 人間は、一人でいると勝手なことを想像するものだ。R361の旧道に入り、尾張小牧ナンバーのベンツCクラスの後ろをのんびり走りながら、あれこれ想像していた。
 中山道宮ノ越宿の手前でR19に合流した。去年から急に、道の駅のスタンプを押したがるImg_0279 ようになった僕は、まだスタンプをゲットしていない道の駅「日義木曽駒高原」に立ち寄ることに決めていた。
 R19は、僕の大好きな道の一つで、ツーリングではよく通る道だ。ピースサインを交わすことができる道というのも好きな理由の一つだが、最近は本当にピースサインを出すライダーが減ってしまった。ピースサインを出すのにちょっと勇気が必要になってきた。出そうかどうしようか迷っているうちに過ぎ去ってしまうこともしばしばあったが、宮ノ越宿の辺りで思い切って出してみた。すると、ちゃんと返ってきたからうれしくてたまらなかった。でも、その後は5,6人に1人の割でしか返ってくることはなく、なんだか寂しくなってしまった。
 道の駅「日義木曽駒高原」には、7,8台のバイクが止まっていた。ライダー同士の「こんにちは」は健在だ。危ない系に見える若者も、ちゃんと挨拶してくれる。ピースサインにしても、ライダー同士の挨拶にしても、クルマでは絶対にあり得ないことで、どうしても人見知りしてしまう僕にとっては、こういう仲間意識がツーリングの大きな魅力となっている。普段の僕が知らない人に自分から挨拶をするなど、考えられないことなのだ。
 道の駅で、まずはスタンプ。それから店内をぶらぶらして、外に出て一服。そうすると、最初に出会った危ない系の若者たちが信州名物のおやきを買っているのが見えた。
「そうだ、お昼の道の駅はレストランが混むから、ここでおやきを買って、どこかで食べることにしよう。」
 そう考えた僕は、さっそくナスのおやきと野沢菜のおやきを買った。すると、若者たちの1人が、
「中、混んでますよね。」
と、声をかけてきた。
「うん、そうだね。だから、これが僕のお昼ご飯。」
「オレたちもそうなんです。」
 彼らと別れて、再びR19を南に向けてバイクを走らせた。木曽福島を通り過ぎるときには、御岳方面にツーリングに行ったことを思い出し、寝覚ノ床をが近づけば、妻と初めて2台で走ったときのことを思い出す。木曽川に沿って走るR19を走ると、ツーリング気分がすごく盛り上がる。ピースサインを返してくれる人もいる。9月に入ったとは言え、夏の日差しを浴びながら大好きなR19を気持ちよく走り続けた。そして、走りながら、おやきを食べる場所をいつも通り過ぎてしまう小野の滝の前と決めた。
 寝覚ノ床を過ぎたら、少しペースを落として、小野の滝を見落とさないように注意深く走った。下りの直線の中程にあって、いつも通り過ぎてから「あっ、滝だ」と思いながら通り過ぎてしまっている。だから、今まで一度もまじまじと滝を見たことがない。
 さあ、下りの直線に入った。ここを逃すと、気持ちよくおやきを食べる場所がないかもしれない。
「あった。」Img_0280
 小野の滝の前の小さなパーキングにバイクを止めた。ブルゾンを脱ぎ、滝を眺めた。高低差はそれほどでもないが、水の量は多く、なかなか豪快だ。周りの濃い緑と、錆かかった鉄橋と、豪快な滝。見応えのある風景だった。
 おやきを食べるための座る場所を探したが、どこもコケが生えているような場所ばかりで、しばらくうろうろしてしまった。しかたがないので、パーキングの端のバス停のベンチで食べることにした。時刻表を見ると1日2往復だから、バスは来ない。おやきと缶コーヒーをバイクのシートに並べ、写真を撮って妻にメールで送った。
「今日のお昼ご飯のおやきとコーヒーだよ。」
と。
 こうして夏の光を浴びながら滝の音を聞き、信州名物のおやきをたった1人で食べる。想像してたよりずっとおもしろい。ソロ・ツーリングを十分に楽しんでいると、心から思えた。この後に大変なことが待ち受けていることなど、知るはずもなかったのだから。
 妻からの「おいしそう」のメールに、
「めっちゃ楽しいよ。天気はいいし、おやきはおいしいし、滝も見ることができたし。」Img_0283
と、電話を入れた。
 小野の滝を後にし、再びR19を中津川に向けて走った。
「そうだ、お土産を何も買ってないや。」
 両側を山に挟まれた川沿いの道を走りながら、道の駅「大桑」でお土産を買うことにした。大桑まではそれほど遠くはない。
 ブルーベリーのドロップなど「信州限定」とか「季節限定」とかの表示のある品を少しだけ買って外に出た。それをリアシートバッグに入れ、ヘルメットを被り、グローブをはめようとしたその時、雨がポツリポツリと落ちてきたのだ。日は射していたので天気雨かなと思ったが、早めにレインスーツを着た方がいいと思い、面倒だったがレインスーツを着ることにした。一応、全後のバッグにもレインカバーを被せ、道の駅を後にした。
 走り出してしばらくしたら、雨は本格的に降り出した。
「これもツーリング。ツーリング中の雨も、思い出の一つ。すぐにレインスーツにしたのは大正解。早め早めの行動が一番。」
などと、のんきな気持ちでいられたのは大桑を出て5、6分だけ。突然、雨はバケツをひっくり返した以上の降り方になり、シールドを拭っても拭ってもすぐに前が見にくくなり、その上、風は暴風状態になって周りの山から小枝までもが飛んでくる。西の山には天と地を切り裂くような稲妻が走り、時には光と同時にベリベリベリッという激しい雷の音。8月末に愛知県を襲った集中豪雨の夜を思い出した。あの日の夜とまったく同じだが、今の僕はバイクで走っている。道路は川のようになって水が流れ、数メートルしか見えないセンターラインと左の路側帯の白線だけを見て、その真ん中を風に振られながら、水に足をすくわれながら、ゆっくりゆっくり走った。後ろにクルマが数台ついたような気がしたので、パーキングのようになっていたらしい場所でクルマを先に行かせ、その後ろについて走った。テールランプを頼りにしようと思ったからだ。南木曾町の交差点で並んで止まったときなど、強風でバイクが激しく振られ、それを支えるのに必死だった。怖いとさえ思った。
 朝のニュースで、信越から関東にかけて局地的なゲリラ豪雨に注意とか言ってたのを思い出した。信越と言っても、ここは東海地方に近い南信だし、天気はいいし、僕のツーリングには関係ないと聞き流してしまったが、まさかこんなことになろうとは。でも、走らなければ帰れない。とにかくいくら怖くても走るしかない。そう思って、暴風雨のR19を走り続けた。しかし、そのうちに恐ろしさも限界に近づいてきた。強風か、それとも川のように流れる水で転倒してしまうのではないかと不安になってきた。
 中津川市街の手前の高台のガードの下でバイクを止めた。坂のてっぺんなので、道路に水は流れていない。スタンドを立て、バイクから離れた。ガードの下に避難し、ヘルメットを脱ぎ、豪雨が去るのを待つことにした。ところが、激しい雨は真横から降ってくる。これでは避難にならない。30分ほどで着く中津川なのに、1時間以上もかかっている。恐怖の時間が1時間以上も続いていることになる。
 強風で横から激しく降る雨の中で避難していても意味がないように思えてきた。意を決して、走ることにした。おそるおそるカーブの下り坂を下りていくと、しだいに雨は小降りになり、中津川市街に入ったら道路はドライ状態だった。相変わらず強い風は吹いていたが、どうやら本当に局地的な豪雨だったようだ。中津川の手前で避難にもならない避難をしていたのがバカみたいに思えた。あと5分も我慢して走れば、雨は降っていない場所にたどり着いていたのだから。
 ほっとした気持ちで中央道中津川ICに入った。風は強いが、走るのに支障はなく、多少は横風で振られることはあってもクルマの流れに乗って走ることができた。さすがに疲れてしまったので、最初のサービスエリアの恵那峡SAに入った。
 リアシートバッグのレインカバーがなくなっていた。実は、高速に入ってすぐ、黒いビニールが舞うのがミラーに映ったことに気づいていた。たぶん、僕のレインカバーだと思ったが、当たっていたようだ。飛んだのが豪雨の後でよかった。そして、恐怖の後の一服が特別においしく感じられた。レインスーツを脱ぎ、少し体を休めて、再び本線に入った。
 えらい目に遭ったなあと思いながらも、朝の温泉や峠のトンネル、滝の下でのお昼ご飯など、楽しかったことをいっぱい振り返りながら高速道路を走った。すると、また雨が降り出した。
「やばい、カッパ脱いじゃった。」
 パーキングエリアもバス・ストップもない。次のゲリラ豪雨はここか。不安にかられていると、そのうちに雨はあがった。そして、また楽しかったことを振り返り、次にツーリングができるのはいつだろうなどと思いながら高速道路を走った。すると、また雨が降り出した。
「またかよう。勘弁してよね。オレ、ゲリラ豪雨に追いかけられているのかも。」
 独り言をつぶやきながら、逃げるような気持ちでアクセルを開いた。ペースを上げるしか、恐怖から逃れることはできないと思った。
 土岐JCから東海環状道に入った。道の駅で出会った危ない系に見えた若者たちは土岐へ行くと言っていたことを思い出した。大丈夫だったかなあ。そんなことを思っているうちに愛知県に入った。もうここは完全に信越ではない。岐阜県に入った時はまだ風も強く、時折雨もパラついたから不安もあったが、愛知県に入ればもう大丈夫だと思った。
 せと赤津PAで妻に連絡を入れ、豊田松平ICで高速を降り、家に帰った。
 恐ろしい思いをしたが、家に着いたらやっぱりそれも思い出の一つになっていた。今回に嗅ぐっては、いつもいっしょに走る相棒の妻を恐怖の道連れにしなくてよかった。
 夜、またツーリングに行きたいなあと思いながら、関東地方を襲ったゲリラ豪雨のニュースを見ていた。

*本日の走行       198㎞(総走行距離 381㎞)
*本日のピースサイン 11発(総ピースサイン数 12発)Img_0285

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F1イタリアGP、初優勝おめでとう!ベッテル&トロロッソ

2008-09-15 00:38:45 | クルマの部屋

 雨の予選を制したのが21才のベッテルでした。決勝レースも雨。メーカー・チ-ムにいくら挑んでもとても太刀打ちできないプライベート・チームのトロロッソが、若いベッテルでフェラーリ、マクラーレン・メルセデス、BMWザウバー、トヨタ、ルノーといったメーカーチームのマシンより速いペースで走りきり、なんと、ポール・トゥ・ウィンをやってのけてしまいました。ウェット・コースの中、ミスもなく、タイヤ選択も、ピット・ストップのタイミングも、すべてパーフェクトで、文句のつけようのない完全優勝でした。プラーベート・チームや若いドライバーが入賞するには、上位チームのマシンの脱落によるタナボタ入賞しかあり得ない今のF1ですから、ベッテルの走りも、トロロッソのチーム力もすばらしいものだったと言えます。そもそも、トロロッソは旧ミナルディというイタリアの超弱小チームです。チェッカーを受けるとき、思わずこみ上げてくるものがありました。ベッテルとトロロッソ・チームのファンになっちゃいそうです。

 おめでとう!トロロッソ、おめでとう!ベッテル。

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