僕が6年某組の書写の授業をしていた時のことです。
子どもたちが毛筆で本時の最後の1枚を書いている時、授業の終わりのチャイムが鳴りました。まだ数人の子が書き終えていなかったので、
「ロスタイムがあるからね。」
と言うと、
「ええー。」
と、不満そうな声が上がりました。当然です。子どもは延長授業をものすごく嫌いますから。そこですかさず、場を和ませようと、
「ロスタイムは、先生が途中でバナナの話(習字の緊張をほくすための無駄話)をした5分間。」
「そんなあ~。」
の声と、ざわざわした雰囲気。続いて、
「本当は、まだ一生懸命書いている子がいるから、がんばって書いている子が書き終わるまで。」
と言うと、子どもたちの表情、顔つきが急に変わり、ざわついた雰囲気がさあーっと引いていったのです。
僕の言葉の意味を考え、判断し、行動に移す。これを6年生の子どもたちは一瞬にしてやってのけたのです。学校教育法の前文に、「自分で考え、判断し、表現し、行動できる大人に・・・」と、法の趣旨が記されています。目の前の子どもたちは、まさにそういう子どもたちだったのです。大きな大きな花丸を黒板に描いて、思いっきりほめました。
ゆっくり丁寧に書いていた子どもも、最後まで気を抜くことなく書き上げました。
僕の学校の子どもたちは、僕の自慢の子どもたちです。