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2012.12 三河山中の山城址巡り

2012-12-05 23:44:04 | ローバー・ミニの部屋

 僕がバイクやローバーミニで散歩コースとしてよく行く新城市作手についてインターネットで調べていて、戦国時代の山城址が点在していることを知りました。旧作手村中心部周辺だけでも5つの城址があるとのことでした。僕にとって身近な地であり、なんとなくロマンを感じた僕は、機会があったら行ってみようと思っていました。
 12月1日の土曜日、妻は仕事でいないし、僕も特に用事もなく、久しぶりに暇をもてあましていました。そこで、2時過ぎに急に思い立ち、ローバーミニをガレージの奥から出し、R3Dscf1847 01を東に向けて走りました。ちょうど紅葉の末期で、豊田市松平辺りの三河高原の山々は緑の中に赤や黄色が混じり、まだまだ秋の美しさを残していました。さらに東に進むと、標高が上がり、豊田市下山、岡崎市額田辺りまでくると、紅葉の季節は終わり、枯れ木と枯れ葉の初冬の風景が広がっていました。
 小1時間ほど走り、新城市作手の道の駅「つくで手作り村」に着きました。まずは情報収集です。名物の肉汁がしたたる手作りウィンナーを食べながら観光案内の掲示板を見ましDscf1854 た。回るコースを考えながら、周辺の3つの山城址に行ってみることにしました。
 駐車場に戻ると、僕のミニを穴が開くくらいじろじろと観察しているおじいさんがいました。こういうときは、いつもなら声をかけるのですが、怖そうな顔のおじいさんだったので、もう一度掲示板の所に戻って僕の持っている地Dscf1853 図と照らし合わせてコースを確認しました。
 まずは亀山城址です。道の駅から農道と山道で2㎞足らずの山の中腹に本丸址がありました。駐車場にミニを止め、けもの道のような坂道を登ると、ぱっと開けた場所がありました。作手の町が一望できるビューポイントのDscf1852 ような場所でした。城址の碑が建っているだけの平地でしたが、石垣のように固められた土手の上の平地は誰が見てもかつて城が建っていた場所と想像がつきます。
 次に訪れたのは古宮城址です。亀山城址から北に1.5㎞ほどの所にありました。平地の神社の前に小さな駐車場がありました。神社に入ると、城址への矢印看板があったのでそれに従って狭い山道を登りました。知る人ぞ知る人気スポッDscf1855 トなのか、2人組や4人組の中年の人たち6組と出会いました。何かが祀ってあるような大木の所では、
「あった、あった。これだよ。」
の声も、聞こえてきました。狭い尾根づたいのような山道は、どうやら空堀Dscf1857 の堤防部分のようでした。木々が生い茂っていて、辺りは薄暗く、ちょっとだけ背筋がひんやりとする感じがしていました。城址の一部と思われる平地から本丸址らしい平地まで200mくらいはありました。かなり規模の大きい山城だったのかもしれません。
 最後に行ったのが看板にもっとも大きく描かれていた文殊山城です。国道を西に外れ、旧村役場や消防署の前を通り過ぎるとすぐに「文殊城址」の案内看板がありました。1.5車線の狭い道は途中から未舗装路となり、坂道を登るにつれて凸凹道になり、Dscf1864 低いミニの底を打つ音がたびたび聞こえてくるようになりました。ちょっとヤバイかもと思い、できるだけ平坦な部分を走るようハンドルを右に左に切りながらとことこと登っていきました。車幅の狭いミニですから、1.5車線路もそれDscf1860 ほど狭くは感じません。余裕で平坦部分を選びながら走ることができるのです。
 500mほどダートを走破すると再び舗装路となり、突き当たりが3台ほど駐められる駐車場になっていました。すぐ上には復元された櫓が組まれていました。ここも山城ですから、少しばかりけもの道のような道を登ります。本丸址に復元された櫓は、近くでみるとなかなか立派なもので、はしご状の階段で6mほど上ることができました。ここからの景色もすばらしく、一つ目の亀山城の山を西側から見ることができました。
 こうした新城市作手の山城は、甲斐武田氏の三河進出によるものとされています。町のDscf1862 西側の文殊山城は、この地を治めていた三河奥平氏の城とされ、今で言う出張所のような存在だったようです。ここに出張所を設けたのは、甲斐武田軍の進入を防ぐためと考えられています。実際に町の東側の亀山城や古宮Dscf1865 城は武田軍が三河進出のために築いた城であり、三河地方にはめずらしい甲州型の城郭になっているそうです。武田が天下取りのために都を目指すとすれば、三河、尾張を通らなければなりません。三河には徳川(松平)、尾張には織田と、東国からそうそう簡単に通り抜けられるものではありません。この辺りで多くの諍いがあったことが想像できます。
 うっそうと茂った木々や草の中にある小さな平地や空堀の跡を歩いていると、400数十Dscf1861 年前に同じ場所を戦国武士たちが集っていたことを思い、なんだかロマンのようなものを感じました。夕暮れ時になり薄暗くなってくると、写真を撮ると鎧姿のおじさんが映っているのではないかとヘンな想像までしてしまいました。Dscf1869 背筋がぞぞっとしてしまい、暗くなる前に帰ることにしました。
 こういう身近な歴史探訪のようなドライブもたまにはいいものだと思いました。

コメント (4)
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