ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2013.3 小学校の先生から大学の先生へ

2013-03-30 00:39:45 | いろいろ思う部屋

 29日、愛知県公立学校教頭の退職辞令をいただいてきました。
 この3月末をもって公立学校教員を退職し、4月から私立大学の子ども発達学科の国語科教育担当の専任講師になることにしました。
 36年に渡って勤めてきた小学校の先生を定年まで勤め上げることなく辞めることにしてしまいました。
 あっさりと書いていますが、決心に至るまですごく迷いました。迷いに迷い、苦しいくらい迷いました。これまでの人生の中で一番迷ったと行ってもいいくらい迷いました。なんと言っても、教員という職業は中学生の頃からの夢で、それなりに頑張って努力し、夢を叶えたのですから。あれから30余年、このまま定年まで続けるのが一番の道と思いながらも、役職に就いて子どもと接する機会がめっきり減ってからは別の夢が生まれてきたのでした。
 校務主任(第二教務)、教務主任時代は、教員研修を担当させていただいていました。初任者研修や、市の3年目研修、法にもとづいた5年経験者研修、10年経験者研修の校内研修、さらに教育実習などで、僕なりに勉強してきたことや経験してきたこと、実践してきたことなどを若い先生たちに伝えてきました。そうした先生たちが育っていく姿を見ているうちに、いつか教員養成の仕事に就きたいという夢が生まれてきたのです。
 大学院時代、「児童の文章表現能力の発達」をテーマに、先行研究や現在行われている国語科教育などを調査し、そこから生まれてきた児童の作文や日記などの表現方法や表現技法を分析し、僕としての論を導き出してきました。大学院修士課程修了後も、小学校現場で実践的研究を続け、その成果を兵庫や大阪の大学の研究会で発表してきました。そこでも、大学の先生に指導を受けながら、自分を磨いてきたつもりです。
 このブログ「イレブンハウス」では遊んでばかりのような生活みたいですが、決して遊んでばかりの生活をしているわけではありません。教員として精一杯努めてきたつもりですし、それに加え、自分のライフワークとして国語科教育の勉強も人一倍がんばってきたつもりです。
 そして、昨年12月、ついに決心したのです。日本国語教育学会および全国大学国語教育学会会員として学会に参加するだけの「研究者の端くれ」から、端くれでない「研究者」の道を歩もうと。それまで、迷っている間に、いくつかの大学で僕のこれまでの論文を審査していただいていました。そして、ある大学から内定をいただきました。
 小学校の先生から大学の先生へ。そのギャップは大きなものだと思います。4月から、国語科教育の研究者としての自分をさらに磨き、これから先生になろうという学生たちが子どもたちの心を理解してあげられる素敵な先生になれるよう努めていこうと思っています。
 決心に至るまでには、いろいろな思いが頭を巡りました。
 まずは、僕が最後に担任した6年4組の子どもたちから学んだことがあります。子どもたちが6年生になったとき、みんなで決めた級訓が「天空」でした。その意味は、「6年生は学校の中で一番高いところにいる。だけど、ぼくたちは、もっともっと高いところを目指していこう」ということだったのです。管理職になった時、この級訓が常に心のどこかにありました。僕にも、まだ目指すところがあるのではないかと。
 次が、ある教育実習生から学んだことです。彼女は大学卒業後、小学校の先生になっています。彼女が実習生だった時に口にした言葉が「いつも『こうなれたらいいな』『こうなりたいな』という気持ちを持ち続けていました」ということでした。その後、話をする機会があったのですが、彼女は、○○高校に入れたらいいな、○○大学には入れたらいいな、彼氏ができるといいな、採用試験に受かるといいな、○才で結婚できるといいな等々、常に今の夢や希望を絶やすことなく持ち続けていたそうです。だから、いつも目標があり、その目標に向かって歩んでいたのです。希望だけでは叶いません。彼女はそれだけの努力をしていたに違いありません。役職に就いてからの僕も、また国語科教育の研究をやりたい、教員養成の仕事に就きたい、そんな思いを持ち続けていました。
 そして、もうひとつ。僕が担任した子どもたちに言ってきたことが、「迷ったら、やれ」ということでした。学級委員を決める時、やろうかどうしようか迷ったら、それは「やってみよう」という気持ちがあるからなのだと。やる気がなかったら、迷うことさえないはずなのです。今回、僕は迷いに迷いました。子どもたちに言い続けてきた「迷ったら、やれ」を、自分に言い聞かせる時が「今」だと思いました。
 そして最後は、12月の東北旅行です。宮城県女川町の「きぼうの鐘商店街」の人から3.11以降のいろいろな話を聞かせていただきました。そんな中で感じたのが、10あった全てを失ってしまった人たちが、2や3を目指して頑張っているということでした。僕も大きな地震は体験しましたが、10のうちの何一つ失ったものはありません。地面は大きく揺れましたが、10の生活全てがそのままです。旅をして強く思ったのは、「10ある人が12,13を目指さなくてどうする!」ということでした。
 もうすぐ4月です。新しい生活が始まります。期待と不安の入り交じった不思議な気分から、だんだん「自分の力が大学で通用するのか」「私企業の厳しさに耐えられるのか」「小学校しか経験していない僕は、浮いてしまうのではないか」など、怖さに近い不安が大きくなってきました。それでも、自分で出した結論です。
 長年過ごしたみよし市のみなさんには本当にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする