東京都千代田区の皇居の東側に面積約21haという広大な庭園「皇居東御苑」(宮内庁管轄)はある。ここはかつての江戸城の「本丸」、「二の丸」、「三の丸」跡であり、明治時代~戦前迄は宮内庁や皇室関連の施設があったところである。戦後(1963年)に特別史跡に指定され1968年10月から一般に公開されるようになった。大手町駅から200mという至近距離にある「大手門」前で手荷物検査を受け、入口で入園札を受け取り入場。緑豊かな雑木林の苑内には「日本庭園」や「皇室関連の施設」、「江戸城の遺構」などたくさんの史跡を見ることができ、国内、外からの多くの旅行者、入園者が訪れる人気のスポット、オアシスである。今年3月27日に開園以来3000万人の来場を記録した。苑内には「三の丸尚蔵館」、宮内庁管轄の「書陵部庁舎」&「楽部庁舎」、「桃華楽堂」、「同心番所」、「百人番所」、「大番所」、「富士見櫓」、「松の廊下跡」、石垣が見事な「江戸城天守跡」(天守台)、諏訪の茶屋等の施設、汐見坂から白鳥濠、日本庭園、雑木林など至る所に四季の花が咲き、今は「あじさい」がそろそろ終りを迎えようとしている。(1806)
東京都港区虎ノ門に浄土宗寺院の「久遠山栄閑院」はある。久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が天徳寺の塔頭として創建。本尊は阿弥陀如来像。嘉永3年の火災に遭い、同4年再建するも大正12年大震火災に炎上し假建築のまま現在に至っている。寛永の頃(1624〜1643)猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来し「猿寺」と呼ばれた。「山門」を入り「本堂」右側より墓域に入る手前に江戸中期のオランダ外科医で蘭学の祖「杉田玄白の墓」がある。「解体新書」は誰もが知る日本医学史上画期的な文献であるが、ここで杉田玄白に参れるとはまさしく「一寺一会」である。(1806)