人間にとって絶対的なものは死だけでそれ以外は相対的なもので死に比べれば何ほどでもないという命題から出発してあれこれ思索する人生論ないしは哲学本。
タイトルがすごく大仰ですが、家族も愛していない、人間は別の人間を信ずるという能力が最初から欠落しているなどとニヒリズムに走り憎まれ口を叩き続ける展開から、著者はそういう覚悟なんでしょうね。ただ、それなら正面から人生論として書けばいいものを、他人から預かった原稿だとかいう設定にして、その人の人生を設定して、内容には自分も異論はあるとか(7頁)、逃げ腰のいいわけを書きすぎていて、それが著者の姿勢を疑わせます。
前半の死と宗教をめぐる議論は観念論ですが、それなりに興味深く読めます。不死が実現すれば人生のほとんどの問題は解決するとかいう展開は、人間が人間でなくなればというのと同じレベルの夢想で観念の遊びですけど。
後半で異常性欲者に我が子を殺された親の立場から犯人が死刑にならない法制度を批判し、復讐が禁じられていることは不合理だとか、被害者の親は犯人の娘を強姦することで始めて犯人に同じ苦しみを味わわせることができるとか言って司法制度を批判するあたりはもう支離滅裂。だいたい前半では家族が死んでも本当に哀しくはないとか言ってたわけで、前半のトーンからしたら子どもが死んでも実は大して哀しくない、復讐に人生をかけるなど無意味だとなるはずです。それが、昨今の風潮に乗っかった犯罪者・弁護士批判になると、そんなこと忘れたように我が子を殺された親の哀しみ・怒りが強調されています。
一応業界人として指摘しておきますが、「心神耗弱」で無罪(98頁)はありません。無罪になるのは心神喪失です。

白石一文 小学館 2008年4月28日発行
タイトルがすごく大仰ですが、家族も愛していない、人間は別の人間を信ずるという能力が最初から欠落しているなどとニヒリズムに走り憎まれ口を叩き続ける展開から、著者はそういう覚悟なんでしょうね。ただ、それなら正面から人生論として書けばいいものを、他人から預かった原稿だとかいう設定にして、その人の人生を設定して、内容には自分も異論はあるとか(7頁)、逃げ腰のいいわけを書きすぎていて、それが著者の姿勢を疑わせます。
前半の死と宗教をめぐる議論は観念論ですが、それなりに興味深く読めます。不死が実現すれば人生のほとんどの問題は解決するとかいう展開は、人間が人間でなくなればというのと同じレベルの夢想で観念の遊びですけど。
後半で異常性欲者に我が子を殺された親の立場から犯人が死刑にならない法制度を批判し、復讐が禁じられていることは不合理だとか、被害者の親は犯人の娘を強姦することで始めて犯人に同じ苦しみを味わわせることができるとか言って司法制度を批判するあたりはもう支離滅裂。だいたい前半では家族が死んでも本当に哀しくはないとか言ってたわけで、前半のトーンからしたら子どもが死んでも実は大して哀しくない、復讐に人生をかけるなど無意味だとなるはずです。それが、昨今の風潮に乗っかった犯罪者・弁護士批判になると、そんなこと忘れたように我が子を殺された親の哀しみ・怒りが強調されています。
一応業界人として指摘しておきますが、「心神耗弱」で無罪(98頁)はありません。無罪になるのは心神喪失です。

白石一文 小学館 2008年4月28日発行