STAP細胞問題、福島第一原発事故(炉心溶融していたか否か)、地球温暖化問題(温暖化への懐疑論)についての報道をとりあげて日本のマスコミの科学報道が大本営発表になりがちな現状について検討し苦言を呈する本
STAP細胞に関する報道では、最初の段階で、そもそもまだ最初の「発見」であり科学的には仮説にすぎずこれから他の研究者の追試・再現による検証を経てようやく定説となるべきものを、まるでノーベル賞受賞のように確立された功績のような扱いで報道したことの誤りが指摘されるとともに、マスコミの「ネイチャー」の権威への寄りかかりがその根本にあったこと、そして「ネイチャー」がいったんは査読者が拒否した論文を再掲し騒動後も自己検証していないことと「ネイチャー」の責任を問う報道が見られないことを批判しています。
福島第一原発事故では、いったんは保安院の担当者が炉心溶融に言及し、それに応じてマスコミも炉心溶融を報じた(結果的にそれが正しかった)にもかかわらず、その後東電と保安院が事故を小さく見せるために炉心溶融に言及せず「炉心損傷」と欺瞞的な表現をするようになる(この本では言及していませんが炉心溶融を認めた保安院の広報担当者は更迭された)とマスコミの報道がトーンダウンした様子を、かなり退屈ではありますが、見出しや記事の定量分析で追い、いかに「大本営発表」報道に陥っていたかが指摘されています。
地球温暖化問題では、地球温暖化への懐疑論(そもそも本当に温暖化しているのか、温暖化しているとしてそれは人類の行為が原因ではなく自然現象ではないか)について、欧米ではバランス論の立場から比較的紹介されているのに対して日本のマスコミではほとんど紹介されないことを指摘しています。ここでは、懐疑論は科学者の間ではごく少数説であるが、欧米では懐疑論が存在することからバランスを取ろうとしていることが果たして適切かという疑問を提起し、その意味では日本の報道の方が適切かもしれないが、日本の報道が懐疑論をほとんど紹介しないのはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という公式の国際組織の権威にほぼ盲従しているからという指摘がなされます。
これらの権威に依拠した、批判的な自己検証(調査報道)がほとんどない日本のマスコミの報道姿勢は、科学報道に限ったことではなく、記者クラブ体制での発表報道を中心とし、記者と取材者の固定的で利害共通(発表者は自己の利益に沿った報道を、記者は情報の入手を)の関係、特ダネ(取材対象との強固な関係が必要)を尊び特落ちを恐れマスメディア共同体内での評価を優先する姿勢から強化されていくことが指摘され、科学報道においては、検証と取材対象からの独立性こそが重要だとされています。
そのとおりと思い、日本のマスコミも権威と発表者への疑問と検証に、少しは奮起してくれるといいなと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_ang3.gif)
瀬川至朗 ちくま新書 2017年1月10日発表
STAP細胞に関する報道では、最初の段階で、そもそもまだ最初の「発見」であり科学的には仮説にすぎずこれから他の研究者の追試・再現による検証を経てようやく定説となるべきものを、まるでノーベル賞受賞のように確立された功績のような扱いで報道したことの誤りが指摘されるとともに、マスコミの「ネイチャー」の権威への寄りかかりがその根本にあったこと、そして「ネイチャー」がいったんは査読者が拒否した論文を再掲し騒動後も自己検証していないことと「ネイチャー」の責任を問う報道が見られないことを批判しています。
福島第一原発事故では、いったんは保安院の担当者が炉心溶融に言及し、それに応じてマスコミも炉心溶融を報じた(結果的にそれが正しかった)にもかかわらず、その後東電と保安院が事故を小さく見せるために炉心溶融に言及せず「炉心損傷」と欺瞞的な表現をするようになる(この本では言及していませんが炉心溶融を認めた保安院の広報担当者は更迭された)とマスコミの報道がトーンダウンした様子を、かなり退屈ではありますが、見出しや記事の定量分析で追い、いかに「大本営発表」報道に陥っていたかが指摘されています。
地球温暖化問題では、地球温暖化への懐疑論(そもそも本当に温暖化しているのか、温暖化しているとしてそれは人類の行為が原因ではなく自然現象ではないか)について、欧米ではバランス論の立場から比較的紹介されているのに対して日本のマスコミではほとんど紹介されないことを指摘しています。ここでは、懐疑論は科学者の間ではごく少数説であるが、欧米では懐疑論が存在することからバランスを取ろうとしていることが果たして適切かという疑問を提起し、その意味では日本の報道の方が適切かもしれないが、日本の報道が懐疑論をほとんど紹介しないのはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という公式の国際組織の権威にほぼ盲従しているからという指摘がなされます。
これらの権威に依拠した、批判的な自己検証(調査報道)がほとんどない日本のマスコミの報道姿勢は、科学報道に限ったことではなく、記者クラブ体制での発表報道を中心とし、記者と取材者の固定的で利害共通(発表者は自己の利益に沿った報道を、記者は情報の入手を)の関係、特ダネ(取材対象との強固な関係が必要)を尊び特落ちを恐れマスメディア共同体内での評価を優先する姿勢から強化されていくことが指摘され、科学報道においては、検証と取材対象からの独立性こそが重要だとされています。
そのとおりと思い、日本のマスコミも権威と発表者への疑問と検証に、少しは奮起してくれるといいなと思いました。
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瀬川至朗 ちくま新書 2017年1月10日発表