元朝日新聞記者の著者が大学教授として授業をする中で、学生の労働問題に関する認識のなさ加減に驚き、学生のトンデモ質問に対してどこが間違っているかを講義した講義録を元に働く人を守る基礎知識を解説した本。
まず挙げられている学生の質問(「ソボクな疑問」)が、あまりにも経営者側、それもかなり原始的で強欲な経営者目線の感覚であることに驚きます。こういう感覚がどのように教育され形成されてきたのかに興味を持ちますが、こういうことだから、大半が労働者(勤労者)である若者層が労働者の敵(経済界の代弁者:表面的にはそれが労働者のためにもなるかのように述べることもままあるのですが)の政治家に投票するという自分の首を絞める投票行動が広くなされているのだと、悲しいことですが、理解できます。
著者の解説は、労働者側(日本労働弁護団の多くの弁護士より徹底した労働者側)の弁護士である私の目からは、経営者側への遠慮が感じられますが、概ね妥当に思えますし、わかりやすく説明されていると思います。学生向けのワークルールの解説として読みやすい本だと評価できるでしょう。
ただ、私の専門分野ですので見過ごすわけにも行かず、不正確に思える点を少し指摘しておきます。
懲戒解雇の(有効)要件を「①就業規則に何が懲戒の対象になるのかを、合理的に定めており、②それが周知されており、③処分が正当な手続にもとづいており、④処分内容が似たような例と比べて過度に重いなど平等性を欠いていないこと」としています(194ページ)が、実務上、懲戒解雇が無効とされ労働者が勝訴するケースの多くは、具体的事情の下で解雇理由とされたことが解雇するほど重大でない(解雇が相当でない)と評価された場合です(他の事例との比較・平等性ではなく、当該事例での事実の重大性と処分の重さの比例・均衡の問題)。著者の説明では、実務上一番重要な要件を説明できていないことになり、懲戒解雇が有効となる場合を裁判実務より大幅に拡げて見せてしまいます。
「対価型セクハラ」の定義で、上司等が部下等に性的な関係を迫り「それに従えばプラスの評価(昇進など)」の場合を含めています(174ページ)。著者はアメリカのセクシュアル・ハラスメントの取材・研究の経験が深いのだと思いますが、この点は、アメリカで発展したセクシュアル・ハラスメントの概念を日本に導入したときの混乱の残滓です。アメリカでは、公民権法第7編(Title7)の差別禁止規定を根拠としてセクシュアル・ハラスメントに関する訴訟が提起されてきた、つまり「差別」だから違法とされてきました。だから、「利益」を与えても「不利益」を与えてもいずれも差別として問題になるわけです。これに対して、日本では、最初のセクハラ裁判とされた福岡セクハラ訴訟で人格権(性的自己決定権)侵害の不法行為としてセクシュアル・ハラスメントの違法性が構成され、認められました。その後の裁判等でも同様で(安全配慮義務違反:債務不履行の構成が取られることはあっても)差別だから違法だという構成はとられていません。その法律構成では、(そもそも「対価型」と「環境型」を分ける実益もないのですが)どう頑張っても「利益」を与えたときは人格権侵害になりようがありません。その後均等法が使用者のセクシュアル・ハラスメント防止義務(11条)を定めた際にセクシュアル・ハラスメントの定義を対価型と環境型に分類しましたが、その際、対価型の方は「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け」として、「利益」を与える場合は除外しています。ということで、日本でのセクシュアル・ハラスメントを議論する限り、「対価型」の定義を論じる際、「利益」を与える場合は判例上も法令上も含まれません。

竹信三恵子 ちくまプリマー新書 2017年7月10日発行
まず挙げられている学生の質問(「ソボクな疑問」)が、あまりにも経営者側、それもかなり原始的で強欲な経営者目線の感覚であることに驚きます。こういう感覚がどのように教育され形成されてきたのかに興味を持ちますが、こういうことだから、大半が労働者(勤労者)である若者層が労働者の敵(経済界の代弁者:表面的にはそれが労働者のためにもなるかのように述べることもままあるのですが)の政治家に投票するという自分の首を絞める投票行動が広くなされているのだと、悲しいことですが、理解できます。
著者の解説は、労働者側(日本労働弁護団の多くの弁護士より徹底した労働者側)の弁護士である私の目からは、経営者側への遠慮が感じられますが、概ね妥当に思えますし、わかりやすく説明されていると思います。学生向けのワークルールの解説として読みやすい本だと評価できるでしょう。
ただ、私の専門分野ですので見過ごすわけにも行かず、不正確に思える点を少し指摘しておきます。
懲戒解雇の(有効)要件を「①就業規則に何が懲戒の対象になるのかを、合理的に定めており、②それが周知されており、③処分が正当な手続にもとづいており、④処分内容が似たような例と比べて過度に重いなど平等性を欠いていないこと」としています(194ページ)が、実務上、懲戒解雇が無効とされ労働者が勝訴するケースの多くは、具体的事情の下で解雇理由とされたことが解雇するほど重大でない(解雇が相当でない)と評価された場合です(他の事例との比較・平等性ではなく、当該事例での事実の重大性と処分の重さの比例・均衡の問題)。著者の説明では、実務上一番重要な要件を説明できていないことになり、懲戒解雇が有効となる場合を裁判実務より大幅に拡げて見せてしまいます。
「対価型セクハラ」の定義で、上司等が部下等に性的な関係を迫り「それに従えばプラスの評価(昇進など)」の場合を含めています(174ページ)。著者はアメリカのセクシュアル・ハラスメントの取材・研究の経験が深いのだと思いますが、この点は、アメリカで発展したセクシュアル・ハラスメントの概念を日本に導入したときの混乱の残滓です。アメリカでは、公民権法第7編(Title7)の差別禁止規定を根拠としてセクシュアル・ハラスメントに関する訴訟が提起されてきた、つまり「差別」だから違法とされてきました。だから、「利益」を与えても「不利益」を与えてもいずれも差別として問題になるわけです。これに対して、日本では、最初のセクハラ裁判とされた福岡セクハラ訴訟で人格権(性的自己決定権)侵害の不法行為としてセクシュアル・ハラスメントの違法性が構成され、認められました。その後の裁判等でも同様で(安全配慮義務違反:債務不履行の構成が取られることはあっても)差別だから違法だという構成はとられていません。その法律構成では、(そもそも「対価型」と「環境型」を分ける実益もないのですが)どう頑張っても「利益」を与えたときは人格権侵害になりようがありません。その後均等法が使用者のセクシュアル・ハラスメント防止義務(11条)を定めた際にセクシュアル・ハラスメントの定義を対価型と環境型に分類しましたが、その際、対価型の方は「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け」として、「利益」を与える場合は除外しています。ということで、日本でのセクシュアル・ハラスメントを議論する限り、「対価型」の定義を論じる際、「利益」を与える場合は判例上も法令上も含まれません。

竹信三恵子 ちくまプリマー新書 2017年7月10日発行