法解釈について、各分野の学者が自己の専門分野での過去の論争を紹介したり最高裁判例等が取っていると見られる手法や態度を分析するなどした論文を並べた本。2018年の民商法雑誌の特集に掲載された論文6本(法学全般・法哲学、民法、行政法、商法、知的財産法、国際司法)に追加して経済法(実際は独占禁止法)、刑事訴訟法、民事訴訟法、労働法、租税法、刑法、憲法の分野での論文を掲載しています。
それぞれの法分野での法解釈の手法の違いが読めるという趣向かと思いましたが、それぞれの法分野での論争の歴史の違いと、それ以上に執筆者の思考と力の入れ方ないし分析の程度により、かなり向いている方向も読みやすさ・読み甲斐もバラバラに思えます。
論争史が長い民法は、ほぼ学説論争史に尽き、誰が何を言ったの紹介で終わっていて、裁判所の解釈の分析や学説の論争が裁判にどう影響したかには届いておらずそこは読めません。逆に法解釈論争が熟していない刑事訴訟法は、法解釈論争を客観的に解説しようという姿勢が見られず著者自身の主張を正当化し対立する学者への批判に終始していて、法学者の内部ではそれに興味を持てるのかも知れませんが部外者の目にはコップの中の論争を一般向けに出版されてもという戸惑いを感じます。これらは、かなり学者さんの業界内向けのもので、業界外の人が読むのはかなりつらいかと思います。
多くの論文では、法解釈の手法・学説は、文理解釈か政策判断・目的的解釈かというような対立軸で論じられているように見えますが、文理解釈が強く要請される租税法(租税法律主義)、刑法(罪刑法定主義)の分野では、文理解釈から離れられるか自体がポイントになって最高裁判例が分析され、労働法では労働法の独自性(民法等の市民法法理との乖離)を示すかあくまでも(同じことを)市民法の法理によって導けるかがポイントとされて最高裁判例が分析されています。そういう学説対立よりも判例分析に重点が置かれた論文が、学者でない私には読みでがありました。最高裁判例の行政事件での解釈手法を、文理解釈、それが妥当でないときに趣旨目的解釈、それでも妥当な結論を導けないときに上位法適合的解釈、最後の手段として立法過程史解釈が取られている(87~88ページ)として判例分析をする行政法の論文が、意外にも、私には最も興味深く読めました。
まぁ、そのあたりの評価は、私が弁護士だからで、法哲学や法社会学が好きな人はもちろん別の評価をするのでしょうけど。

山本敬三、中川丈久編 有斐閣 2021年3月25日発行
それぞれの法分野での法解釈の手法の違いが読めるという趣向かと思いましたが、それぞれの法分野での論争の歴史の違いと、それ以上に執筆者の思考と力の入れ方ないし分析の程度により、かなり向いている方向も読みやすさ・読み甲斐もバラバラに思えます。
論争史が長い民法は、ほぼ学説論争史に尽き、誰が何を言ったの紹介で終わっていて、裁判所の解釈の分析や学説の論争が裁判にどう影響したかには届いておらずそこは読めません。逆に法解釈論争が熟していない刑事訴訟法は、法解釈論争を客観的に解説しようという姿勢が見られず著者自身の主張を正当化し対立する学者への批判に終始していて、法学者の内部ではそれに興味を持てるのかも知れませんが部外者の目にはコップの中の論争を一般向けに出版されてもという戸惑いを感じます。これらは、かなり学者さんの業界内向けのもので、業界外の人が読むのはかなりつらいかと思います。
多くの論文では、法解釈の手法・学説は、文理解釈か政策判断・目的的解釈かというような対立軸で論じられているように見えますが、文理解釈が強く要請される租税法(租税法律主義)、刑法(罪刑法定主義)の分野では、文理解釈から離れられるか自体がポイントになって最高裁判例が分析され、労働法では労働法の独自性(民法等の市民法法理との乖離)を示すかあくまでも(同じことを)市民法の法理によって導けるかがポイントとされて最高裁判例が分析されています。そういう学説対立よりも判例分析に重点が置かれた論文が、学者でない私には読みでがありました。最高裁判例の行政事件での解釈手法を、文理解釈、それが妥当でないときに趣旨目的解釈、それでも妥当な結論を導けないときに上位法適合的解釈、最後の手段として立法過程史解釈が取られている(87~88ページ)として判例分析をする行政法の論文が、意外にも、私には最も興味深く読めました。
まぁ、そのあたりの評価は、私が弁護士だからで、法哲学や法社会学が好きな人はもちろん別の評価をするのでしょうけど。

山本敬三、中川丈久編 有斐閣 2021年3月25日発行