中学生のときからつるんでいる熊谷在住の高校2年生のぼく、父親が自殺して1人住まいで映画を撮るといってカメラを回し続ける高島、漫才コンビでデビューするという池井と山吉の4人組の過ごす日常に池井を襲ったできごとからの展開を加えた小説。
一貫して「ぼく」と記述される「ぼく」は当初語り手であったのですが、いつのまにか「ぼく」の語りで他の3人の内心や過去の記憶が記述され、さらには「ぼく」がいない場面で他の3人が「俺」を主語に語るようになっていきます。山吉が高島が撮ったビデオ映像を見ながら「自分から抜け出して、自分ではない他人の肉体を通していつも見ている経験している世界を覗くことに好奇心が働いた。自分が自分から抜け出せないことがかえって苛立たしく感じられるほどだった」(96ページ)と思うところに象徴されるような人物間・友人間の境界の超越、幽体離脱のような実験が、テーマなのかと感じられます。同時に、過去の自分、さらには未来の自分との思いを重ね、時空を超えた想念の行き来を試みているのかなとも思えます。
「鳥がぼくらは祈り、」という日本語のルールを無視したタイトル、まぁ「モーニング娘。」とかいうネーミング以来、コマーシャリズムでは何を見ても驚かなくなりましたが、にも表れているように、独自の文体が、否応なく目に付きます。句点や改行がいかにも不自然に唐突になされていて、作者としては意図的であり推敲しているのでしょうけれども、文章の構成やつながりをろくに推敲することもなく、口述筆記で書かれたような、ただ息継ぎで句点を打ったり改行をしているような文章が何よりも気になり、作品としてのストーリーや展開など二の次に思えて、短い作品なのに読み続けるのが苦しく思えました。
話法というか語りのスタイルや文体についての実験小説という感があり、そちら方面の関心を持てればいいのでしょうけれども。
島口大樹 講談社 2021年7月7日発行
群像新人文学賞受賞作
一貫して「ぼく」と記述される「ぼく」は当初語り手であったのですが、いつのまにか「ぼく」の語りで他の3人の内心や過去の記憶が記述され、さらには「ぼく」がいない場面で他の3人が「俺」を主語に語るようになっていきます。山吉が高島が撮ったビデオ映像を見ながら「自分から抜け出して、自分ではない他人の肉体を通していつも見ている経験している世界を覗くことに好奇心が働いた。自分が自分から抜け出せないことがかえって苛立たしく感じられるほどだった」(96ページ)と思うところに象徴されるような人物間・友人間の境界の超越、幽体離脱のような実験が、テーマなのかと感じられます。同時に、過去の自分、さらには未来の自分との思いを重ね、時空を超えた想念の行き来を試みているのかなとも思えます。
「鳥がぼくらは祈り、」という日本語のルールを無視したタイトル、まぁ「モーニング娘。」とかいうネーミング以来、コマーシャリズムでは何を見ても驚かなくなりましたが、にも表れているように、独自の文体が、否応なく目に付きます。句点や改行がいかにも不自然に唐突になされていて、作者としては意図的であり推敲しているのでしょうけれども、文章の構成やつながりをろくに推敲することもなく、口述筆記で書かれたような、ただ息継ぎで句点を打ったり改行をしているような文章が何よりも気になり、作品としてのストーリーや展開など二の次に思えて、短い作品なのに読み続けるのが苦しく思えました。
話法というか語りのスタイルや文体についての実験小説という感があり、そちら方面の関心を持てればいいのでしょうけれども。
島口大樹 講談社 2021年7月7日発行
群像新人文学賞受賞作