伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

信長は本当に天才だったのか

2007-10-12 09:33:19 | 人文・社会科学系
 情報戦や新戦略、経済・社会の改革など織田信長を天才と持ち上げる傾向についての批判を展開した本。
 桶狭間の戦いは信長の情報収集が優れていたわけでも今川が奇襲を受けたわけでもなく信長が砦の防衛隊を捨て駒にして死守を厳命し今川の砦攻略部隊が疲弊していたことと偶然の豪雨のために今川本隊が足を止め背を向けてしのいでいて体制が整わなかったことが勝因としています。そして攻略までに7年かかった美濃攻めや朝倉攻めの失敗、一向一揆に苦戦し本願寺は10年かけても攻め落とせなかったなど、むしろ信長は戦で負けることが多く戦上手ではないと指摘しています。長篠の戦いの鉄砲3千丁とか3段撃ちは史実ではなく勝因は大軍が堀柵から出ないで鉄砲を撃ち続けその間に酒井忠次の別働隊4000人が長篠城を包囲する武田勢を破り戦場(あるみ原)の武田本隊に後から迫り武田が浮き足立ったことが勝因としています。一向一揆や武田の菩提寺の大虐殺などの非人間性、浅井の裏切りや本能寺に見られる情報収集・分析の不足なども含め、信長の問題点を多数指摘しています。
 読んでいてなるほどと思いますが、同時に信長批判というか信長よいしょ本を批判しようとするあまりちょっと書きすぎのきらいも感じます。
 軽めの読み物指向だからでしょうけど、批判としては相手の本もほとんど特定されておらず批判が正しいかどうかは読者としては検証できません。視点としては悪くないと思いますが、自説の積極的根拠がほぼ「信長公記」の記述とその解釈だけで深さや緻密さは感じられないのが、読者としては物足りないところ。


工藤健策 草思社 2007年8月31日発行
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウナギ 地球環境を語る魚

2007-10-10 07:33:36 | ノンフィクション
 日本で現在食べられているウナギの大半がヨーロッパウナギのシラスを中国・台湾の養殖池で太らせて日本に輸入しているものであり、そのヨーロッパウナギが2007年、ついにワシントン条約の規制対象になったこと、ウナギの生態の研究や漁業規制が不十分な実情などをレポートした本。
 日本でも天然ウナギはほとんど捕れなくなりその背景には河口堰やダム、河川・湖沼の護岸の影響が大きいと思われること、しかし、日本ではヨーロッパと異なりそういったことについての研究やダム等でのウナギ遡上のための魚道の設置、水力発電所のタービンでの降りウナギ(産卵のために川を下るウナギ)の致死率を下げるための取り組みなどがほとんど行われていないこと(168~169頁等)の指摘には驚きました。
 ウナギの生態の多くの部分はいまだに謎で、産卵場所がようやく最近になってヨーロッパウナギとアメリカウナギはサルガッソー海、日本ウナギはグァム島付近の海山の近辺と特定されたものの、河川を下ってから産卵場所までの親ウナギの動向や産卵直前の様子、孵化直後のウナギの生態などは海域で見た人もおらず謎のままとされています。それでもそういう領域や養殖の研究では日本の研究は進んでいるけど、天然ウナギの保護等については研究が遅れているという指摘は、いかにも産業化のための研究にだけは研究資金が出るという日本の実情を感じます。
 絶滅が危惧されるほど世界のウナギのシラスやシラスを中国等で養殖したウナギをかき集める世界最大のウナギ消費国日本が、天然ウナギの保護はお粗末、漁獲量が減少した最近消費量が急激に増えている(中国での養殖で安くなったため)ということには、考えさせられます。


井田徹治 岩波新書 2007年8月21日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・小学教師

2007-10-09 08:51:41 | ノンフィクション
 「現場教師の視線で作ったホンネの小学校&教員ガイド」のサブタイトルにあるように主として教師への取材の体裁を取って現在の小学校の問題点をレポートしたムック本。
 学級崩壊とか児童虐待とか親からの言いがかり的なクレームとかの指摘、教師の悩みは、読んでわかります。親から出されるクレームの内容なんて失笑もので確かにこんなこと言われてもなあとは感じます。でも、変な客やクレーマーはどの業界でもいるもの。それを全部客が悪いでは商売やっていけないはずです。
 この本を読んで一番感じるのは、執筆者の感想で「教育の現場は教師が悪いとも親が悪いとも断罪はできない」(224頁)とありますが、執筆者の姿勢が、最初からすべてを教師か親に問題点というか責任を求めていて、校長や教育委員会の姿勢についての問題の指摘が皆無なこと。編集部の指向性が原因なのか、取材相手の自己抑制が原因なのか、どちらにしても教育問題を扱いながら幹部や役人の問題が1つも出てこないということ自体、恐ろしいと私は思うんですが。


別冊宝島Real074 宝島社 2007年9月9日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下流少年サクタロウ

2007-10-08 11:48:35 | 小説
 学級崩壊して授業の体をなさず、教師は保身しか考えず荒れる児童に無抵抗、親は集団でクレームを付けるばかり、児童は保健室にたまり、学校は保健室前に豪腕の警備員を配置といった荒れ果てた小学校で、限りなく失業者に近い父親と2人暮らしの小学5年生輪島朔太郎が、憧れのタレント美少女ジコチュウ小学6年生杉町レイラの気まぐれに翻弄されながら過ごす小学校生活サバイバル小説。
 このテーマ、書きようによっては問題提起になるんでしょうけど、設定が誇張(戯画化)し過ぎで、それはまあ小説だからいいとして、作者の視線が意地悪い(特に教師や親や「下流」の人たちに対する愛情やシンパシーが感じられない)感じで、どうも読んでいて気分が悪くなるだけでした。
 後半父親を刺して(致命傷にはならなかったけど)逃亡し罪を重ねる朔太郎の行く末も、扱いかねたのか、よくわからないままで(特に朔太郎自身が自分の中でどう整理したのか全然触れられもしないで)終わってしまい、物語としても不満感が残りました。


戸梶圭太 文藝春秋 2007年9月15日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラブかストーリー

2007-10-07 11:49:25 | 小説
 超美少年だが中身はネクラでオタクの小説家志望で独り言癖のあるうぶな高校生が通学電車で一緒になる超美少女に憧れる青春恋愛小説。
 うぶな少年と周囲の性的に開けっぴろげな大人たちのコメディ風の会話と、主人公の内心あるいは妄想からこぼれる独り言で場面を展開して間を持たせていくパターンです。
 コメディ風の部分は軽く読めるけど、独り言部分はその気持ち悪さを茶化してはいますがそれがまたすべっていてしらけ気味。間に、最後に種明かしされますが、明らかにトーンの違う幻想/妄想的な気取った作文がはさまれていて、これがまた疲れる。どうせならコメディで統一すればいいのに。
 しかし、それにしてもこの小説、一体どういう世代をターゲットにしているのでしょうか。この種の小説を読みそうな中高生・ヤングアダルトを狙ったにしては中途半端な文体。それに何と言っても出てくる漫画(「タッチ」「まいっちんぐマチ子先生」「日出処の天子」「あさきゆめみし」「カリオストロの城」「なぜか笑介」「バナナフィッシュ」)や映画(「ベルリン・天使の詩」「昨日・今日・明日」「男はつらいよ」スターウォーズシリーズ「奥様は魔女」「気狂いピエロ」「勝手にしやがれ」「アルフィー(2004年のジュード・ロウ主演の方ではなくて1966年のマイケル・ケイン主演の方!)」「戦艦ポチョムキン」「アンタッチャブル」)、歌(「マイレボリューション」「恋しさとせつなさと心強さと」「迷い道」フリオ・イグレシアス「ビギン・ザ・ビギン」「グッドバイからはじめよう」「すみれSeptemberLove」「オリビアを聴きながら」「サムライ(沢田研二)」「I SAY A LITTE PRAYER」)がすべて80年代前半かそれ以前(バナナフィッシュが85年連載開始なので辛うじてそれ以後とも・・・あとたぶん唯一の例外が「クレヨンしんちゃん」)。80年代前半を舞台にしているならわかるけど設定は明らかに現在。作者のサブカルチャー体験は80年代前半でストップしているんでしょうか。さすがに恥ずかしいのか、寿司屋の主人に20歳の時に読んだ本は今でもあらすじはいえるが30歳の時に読んだ本は作者の名前すら忘れたりする、大人になってから受け取ったものはもはや自分の中に収容場所がない、大人になって急に興味を持ったことについての蘊蓄は底が浅い(241頁)なんてことを言わせていますけど。主人公はおじさんたちを自分とは別世界の「昭和の」(70頁)と位置づけていますが、この主人公の頭の中もサブカルチャーは完全に昭和世代(団塊ジュニアかそれより前)。坂道をオレンジが転がって来るという主人公の小説のシーンとスーパーボールが散乱するラストシーンだけはSony+YoutubeのCMを流用してて広告だけは最新のものも頭に入っているようですけどね・・・


松久淳+田中渉 小学館 2007年9月3日発行
(「きらら」2006年8月号~2007年7月号連載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非暴力 武器を持たない闘士たち

2007-10-06 13:09:11 | 人文・社会科学系
 非暴力・不服従運動について、主としてアメリカとヨーロッパでのその展開について広く浅く紹介した本。
 このテーマにありがちなようにカバーではガンジーの写真を掲げ、はじめにガンジーとイエス・キリストを非暴力運動の象徴として紹介していますが、ガンジーやアジアの運動については終盤で付けたし的に紹介しているだけで、著者の関心は専らヨーロッパとアメリカでの良心的兵役拒否や公民権運動などにあります。
 大半の宗教は戦争を非難し道徳に反することなく政治的変革を進めることのできる道は非暴力しかないと認めている(30頁)にもかかわらず、正義の戦争とか敵方は人間ではないとかのレトリックで戦争が煽られて行き、一度戦争となると非暴力を貫く者が虐殺されあるいは投獄されてきた歴史が繰り返し紹介されています。
 非暴力不服従運動を実践することは非常な忍耐を要し、権力者は非暴力不服従の危険を知っているので暴力によって挑発したり運動に紛れ込ませたスパイによって暴力を行使させたりして切り崩しを図り、多くの運動が圧倒的な暴力に対しては暴力で闘うしかないとか今回は例外だとかして暴力を行使して大義を失って衰退して行ったことが論じられています。
 アメリカ独立戦争期のペンシルバニアでの兵役拒否やインド独立運動、アメリカでの公民権運動など成功した非暴力不服従運動も長く続かず暴力派へと主導権が移って行きました。
 しかし、他方において武力の行使や武力による威嚇の成果とされている歴史上の変革も実際には戦争によらなくても実現できた可能性が高い(アメリカ独立とか)し、戦争で実現したというのは後付(ファシズムとの戦いとか)で実態は違うとも指摘しています。
 ナチスのユダヤ人虐殺に対しても渋々占領された上でナチスへの非協力に徹し政府主導でユダヤ人を匿い続けたデンマークでは1人もアウシュビッツには送られず、他方武装抵抗した国々では多くのユダヤ人が虐殺された(206~208頁)ことも非暴力運動の成果と指摘されています。プラハの春以後のチェコやポーランドの連帯の運動なども非暴力運動の系譜に位置づけられ、大きな流れとしてのとらえ方に新鮮味を感じました。
 それぞれの運動を知るためにはちょっと物足りない感じですが、これまで知らなかったアメリカ先住民やアメリカ独立期、ヨーロッパでの各種の運動の存在を知ることができただけでも勉強になりました。


原題:Nonviolence
マーク・カーランスキー 訳:小林朋則
ランダムハウス講談社 2007年8月8日発行 (原書は2006年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KAPPA

2007-10-03 09:01:03 | 小説
 牛久沼で2人の釣り客が相次いで死体で見つかった事件を追って、ルポライターの有賀雄二郎、牛久警察署の阿久沢らが謎を解明し牛久沼に住む怪物を突き止め捕獲するというストーリーの小説。
 体育会系武闘派の有賀と阿久沢、のんべで腕のいい川漁師の源三爺さん、死んだ川漁師の息子で不登校中の少年太一らのキャラクターと、作者の趣味の釣り、特にバスフィッシングの蘊蓄で読ませる本になっています。
 ブラックバスをはじめとする外来種による在来種の生態系の破壊についての問題意識と、さらには人間の都合で日本の野に放たれて悪者扱いされている外来種への同情が感じられます。
 2007年9月9日の記事で紹介した「ダンサー」は同じ登場人物による続編に当たるようです。


柴田哲孝 徳間書店 2007年4月30日発行(CBSソニー出版で1991年発行)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ROUTE134

2007-10-01 20:28:33 | 小説
 かつて南葉山で小中学生時代を送った出版社の編集部員33歳が仕事の打ち合わせで南葉山を訪れた帰りにふと立ち寄った店がかつて好きだった同級生が経営するカフェというでき過ぎたスタートから、ちょっとした意地悪と意地からすれ違いいじめに発展した中学生時代のトラウマ、現在のカフェの従業員や客をめぐるいくつかの事件を展開させながら、当然に予想されるでき過ぎのエンディングまで、湘南の・・・波よりも風のノリでさらっと展開する青春プレイバック恋愛小説。
 主人公が気にしている過去のいじめは、そりゃあんたが悪いだろって事件で謝らないで突っ張ったための自業自得、シカトする側もほどほどでやめときゃいいのにやめないってとこに問題があるけど、それでも何か相手の性格の悪さが強調されて本来は事件の被害者側の子が悪役になってしまう展開はちょっと疑問。最後の方で主人公が少しリカヴァーしようとするんだけど、ちょっとね。
 タイトルは湘南を走る国道134号線と杉山清貴とオメガトライブの曲名から。
 まあ湘南と曲のイメージに乗せて小難しく考えずに軽く読むといいでしょうね。


吉野万理子 講談社 2007年8月29日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする