Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

梅雨らしい空模様

2016年06月07日 22時17分19秒 | 天気と自然災害
 本日はあわてて15通の手紙の作成にいそしんだ。A4で6頁分の印刷と15人分あて名ラベル、差出人である私の住所・氏名を記載したラベルを貼り、糊付けと切手を貼って終了。15通の手紙を出す作業も随分と楽になったものである。手書きの味はないかもしれないが、15通同じものを手書きでは時間もかかり大変な作業である。一人の相手に1通の手紙を出すのは、手書きがいいと思うが‥。

 出来上がった手紙を投函するために家を出てみると小雨が降りだしていた。私が出た時は細かい霧のように雨粒であった。用心のため傘をリュックに入れで出たら5分もしないうちに郵便局に着くまでに本降りとなった。雲が低く垂れ込め、湿気も高く、梅雨空らしさがひとしおの空であった。

 風邪様の症状がおさまったばかりの妻と、横浜駅で昼食、買い物等々の所用をすませて15時過ぎに帰宅。横浜駅の百貨店の催しもの会場で山形県の物産展をしていた。駅弁をひとつと、鶴岡市で作られている、妻がお気に入りの洋風和菓子を購入した。
 本日は休肝日。

明日も本日のような天気予報になっている。今週は雲りの日が続く予想であったが、ここにきて雨模様の予報に切り替わってしまった。

 明日は港の見える丘公園にある神奈川近代文学館で開催されている企画展「没後30年 鮎川信夫と『荒地』展」を見に行きたいと思っている。

★天上も雨アマデウス聴く梅雨籠り   庄司 猛
★文字化けを拾い読みする梅雨の夜   佐々木寿万子

モーツアルト「ピアノソナタ#11(トルコ行進曲つき)、#12外」

2016年06月07日 20時41分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今回のCDはモーツアルトのピアノソナタではK.545の第15番と並んでもっとも有名だといってもいい「第11番トルコ行進曲つきK.331」と「第12番K.332」、ならびに「幻想曲K.397」の3曲。
 第11番は第1楽章の変奏曲、第3楽章のトルコ風の行進曲を聴く機会が多い。また第12番は私は第3楽章の豊かな水の流れを伴う急流を思わせる早い旋律が魅力的である。
 K397の幻想曲はあまり演奏される機会はないというが、これは素敵な曲である。梅雨の時期がいいのかわからないが、静かに聴きたいときにふさわしいモーツアルトである。ベートーベンの月光の曲をふと思い出すような雰囲気である。

 他のCDと同様演奏者の内田光子の文章が掲載されている。
 「音は消えるものである、そして消えた音は記憶の中に生きる。」
 「音楽は繰り返しによって形造られている。モチーフは繰り返し変形しながら、ハーモニーを土台にメロディーにとけ込み、変身していく、これらはすべて、記憶の中の過程である。」
 「演奏は一度限りの出来事である。演奏会に行き、その時しか聴けない演奏に耳を傾け、その余韻にひたり記憶をさぐる楽しみは、音楽を聴く本来の姿勢であろう。」
 「レコードも、聴いた後の一瞬の静けさを生かしたいものである。」
 「自分のレコーディングの際も、完璧なものを記録に残すというより、まず生きた演奏を録音することを心掛けたつもりである。モーツアルトの曲を、あるピアノ弾きがある日弾いた演奏として聴いていただければ幸いである。」
 こCDに記された「演奏家論」、全部読むとなかなかいい。一部引用したが、解説に随って全部読むと演奏家の心持が私の中にすっと入ってくる。

   


8週間忘れていたこと

2016年06月07日 11時43分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 予定がない、と昨晩ブログに記載したが、寝てからふと8週間前にするべきことをしていないことがあるのに気がついた。
 朝からあわてて2時間半かけて、15通の手紙を作成した。

 4月11日の吉崎雄一さんのお葬式の様子を友人に送るのを忘れていた。すでに香典や花輪代を出していただいた友人には電子メールで報告を送信済みなのだが、メールが届かなかった方などには後日郵送で写真や弔辞を送ろうと考えていてすっかり失念していた。これは故人にも申し訳ないことをしたといたく反省。慌てて今朝から作業を行い、ようやく終了した。
 これから郵便局に駆け込むことにする。