Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「国吉康雄展」(そごう美術館) その1

2016年06月21日 22時32分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 国吉康雄の名はいつからだったかは覚えていないが、大分昔に聞いていた。解説書の写真だけでなく、実際に作品をいくつかはどこかの展示で見た記憶もある。

 国吉康雄は1889(M22)年、岡山市に生まれ、16歳で移民としてアメリカに渡り、掃除夫などをしながら美術を学び、アメリカ美術家会議などの役員を務め美術家の権利の運動の先頭に立った。また「民主主義のための日系人民主義美術協議会会長に就任し、日本の軍部批判の声明や対日戦ポスターなどの作成なども行っている。
 戦後は芸術家組合の会長にも就任し、アメリカの市民権獲得完了前の1953年63歳の時に胃がんで亡くなりアメリカに埋葬された。アメリカ人として生涯を終えることをのぞんでいたと推察できる。

 展示目録を見ると、ほとんどが「福武コレクション」となっている。その中で「幸福の島」(1924、東京都現代美術館)、「毛皮の女」(1930、横須賀美術館)、「イーグルズ・レスト」(東京国立近代美術館)、「ウッドストック風景」(1917)ならびに「人体デッサン5点」(1912)は「目黒区美術館」の所蔵である。
 目黒区美術館では所蔵品店を見ていないので、横須賀美術館か都美術館、国立近代美術館の3館で見た記憶があるのであろう。
 絵のほかに記憶は藤田嗣治との関係である。戦争画の責任を取って(取らされて)日本からニューヨークに渡った藤田嗣治の展覧会をベン・シャーンと国吉康雄が会場の入口で展覧会のボイコットを訴え、また「フジタはファッショ画家」という抗議声明を新聞に公表していた、との記載を私は読んだ記憶がある(近藤史人「藤田嗣治「異邦人」の生涯」)。

 藤田が日中戦争中にパリから日本に帰国し、戦争の時代を「新たな戦争画の創出」に向け軍部の要請で「皇国の画家」として戦争画にのめり込み、戦後「日本に捨てられた日本人」としてパリに「レオナルド・フジタ」として亡くなる。
 一方国吉康雄は移民として下層のアメリカ社会に身を置きながら新進画家としてアメリカで注目され、日中戦争・太平洋戦争中も日本には帰らず、アメリカ社会での日本人排斥運動や「敵性外国人扱い」に抗し、アメリカ社会に溶け込むための努力をし、日本の帝国主義に反対する活動を続けた国吉康雄は「日本を捨てた日本人」であったかもしれない。

 今の時代から見れば、それは立場が違うとはいえ同じ「戦争画」である。政治のプロパガンダとしての「美術」に従事したことになる。
 ただ両者ともにそれが「本心」なのか、というところがなかなかわからない。謎が多いといえる。国吉康雄ももともと芸術家の地位向上に関心があって社会活動に積極的にかかわったのか、アメリカという内部では排他的で抑圧的な構造を強く持つ社会で生き延びるために対日戦争の積極的な推進者として振る舞ったのか、判らないところがある。
 しかしこのような政治的な枠組みを取り払って、政治の代理戦争のような対立をすっぽりと捨て去って作品を見てみたいという思いもある。
 また、今回国吉康雄が写っている写真を見て、あまりに藤田嗣治とよく似たポーズ、表情を持つことに大いに興味をそそられた。

 次回、惹かれた作品を上げてみたい。
 なお、図録は972円と安い。上質な紙だが光沢紙ではない。それは悪くないことなのだが、残念ながら全作品が収録されているわけではなかった。これはとても残念であった。購入してから展示目録と突き合わせて図録に収録されている作品が少ないことに気がついた。いくつかの気に入った静物画も収録されていない。またポストカードも種類が少なかった。著作権や収蔵側の移行、採算などの課題など制約はあるのだろうが、残念な気がする。

   

ブラームス「弦楽五重奏曲第1番、第2番」

2016年06月21日 19時46分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 先ほど関内での所用を済ませてから予定通り「国吉康雄展」を見て帰宅。11時半ころ出かけようとしたところ雨が強くなり、外出をあきらめかけた。しかし13時近くになり雨が止み、出かけることが出来た。その後は日がさし始め、今はすっかり晴れて夕方の陽射しが眩しい。13時過ぎに大雨・洪水・強風注意報が解除となり、先ほど17時30分過ぎに残っていた雷注意報も解除された。
 先日まで内田光子の演奏でモーツアルトのピアノソナタを聴いていたが、今度は室内楽のアンサンブルを楽しみたくなり、ブラームスの弦楽五重奏曲第1番と第2番をひっぱり出してきた。他の作曲家の曲を続けて聴いていると無性にブラームスを聴きたくなる。ソロばかり聴いているとアンサンブルが聴きたくなる。
 第1番は1882年、49歳の時の作品。翌年に交響曲第3番が完成しており、ブラームスの充実した時期の作品と考えている。第2番は1890年、57歳の時の作品。いったん作曲を止める決意をした後の作品だが、さまざまなニュアンスの主題や旋律が豊かに展開し、魅力ある曲であると思う。第2楽章がブラームスならではの変奏曲。
 第2、第3楽章はとても印象的な曲である。個々の楽器の掛け合いや旋律の受け渡しなど、弦楽のアンサンブルの魅力がたっぷりだと思う。解説には第2、第3楽章共に「哀愁」という言葉でまとめているが、私には違いがあると思う。第2楽章は悲哀と沈潜だと思う。静かに過去の人生を「見つめる」目がある。第3楽章は暗い情念のようなどろどろとしたものを感じる。未だ為しきれないという気分を持ったくすぶっている熾火のような情念を感じる。
 そしてどちらかというと第1、第4楽章は規模の大きな編成の曲としてもいいような壮大さを感じる。第1楽章は朗々としたチェロの第1主題が印象的である。これはブラームス龍のオーケストレーションをしたらどのようになるのか、想像してみるのが楽しい。若い頃の回想といった解説をしているのを聴いたことがある。第4楽章は躍動的で不思議な明るさがある。
 最晩年とはいえ魅力十分の曲である。

   


横浜に大雨・洪水・強風・雷注意報、それでも「国吉康雄」展

2016年06月21日 10時41分26秒 | 天気と自然災害
 朝5時前には大雨・洪水・強風・雷注意報が出ていた。九州から東北まで被害が出ている。報道を見ている限り一時間あたりに換算して100ミリを超える雨という報道もあった。とてつもない雨だったと思う。
 横浜では昨晩から雨が降り始めたが、まだ被害が出るような雨にはなっていない。風もない。雷鳴も聞いていない。横浜市の北部の都筑・青葉区、川崎市北部で強い雨が降ったようだが、今はこの雨域も北東の方に去ったようだ。
 横浜ではこれから夕方にかけてひどくなるという予報である。

 午前中に出かけて14時位までに帰宅するつもりでいる。関内方面に所用が出来た。午前中ならはさほどの雨にはならないと判断した。ついでに昼頃になっても雨がひどくなっていなければ、横浜駅東口のそごう美術館で開催している「国吉康雄展」を見たいと思っている。雨の日で入場者は少ないと判断したが、果たしてどうであろうか。



トータル訪問者数が40万突破

2016年06月21日 07時45分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日見たら、これまでのトータル訪問者数が、400,769IPと40万を超えていた。トータル閲覧数は、1,781,189PVとなりあと2週間ほどで180万を超えそうになった。この数字が具体的に何を集計したものか、未だにわからないが、文字通りに解釈しておこうと思う。
 ブログの登録をしたのが、2007年7月6日。雫石から岩手山の前衛の鞍掛山から岩手山をまじかに見た感想を述べている。苧環(オダマキ)の写真を掲載した。
 その後何も更新せずに過ごし、2009年8月1日からブログの更新をするようになった。しかしこの年の8月は13回の更新。この頻度がずっと続いていたと思う。2012年夏以降に月20日以上の更新というペースになった。
 俳句、旅行、山行、美術館・博物館の感想、絵画作品等の感想、災害情報等々のほか、日記のようなことを備忘録として綴ってきた。文章だけはたくさん書きなぐっている。その割には思考が進まないのはご容赦願いたい。
 この間に多くの方が訪れてくれたことに感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。